小野公誠

プロフィール


  • 選手名 - 小野 公誠(おの こうせい)
  • 背番号 - 32(97年~08年) 86(13年~)
  • 出身地 - 東京都
  • 身長/体重 - 176㎝/81㎏
  • 投打 - 右投右打
  • 球歴 - 聖望学園高-東北福祉大-ヤクルト/東京ヤクルト(96年ドラフト4位)
  • 顔文字 - ( *´з`)
  • 実況板でのあだ名 -
  • 関連用語 - 岩村軍団

ヤクルト入団前の小野


  • 埼玉・聖望学園高時代から強打の捕手として活躍し、(当時活躍していたデーブ大久保にあやかって)「埼玉のデーブ」と呼ばれた。
    高校時代は野球選手とは思えないくらい太っていたらしい。
    3年次には門倉(現巨人)と超高校級バッテリーを組んで甲子園出場を狙うが、城石率いる春日部共栄高に敗れ夢を絶たれる。
  • 東北福祉大に進学し、96年春季リーグでは.543 18打点の二冠王を獲得。日米大学野球では4番も務めた。
  • 強打と捕手としての実績を買われ、96年のドラフト4位でヤクルトに入団。

永遠の2番手


  • 97年一軍に昇格すると、三澤(当時巨人)からプロ初打席初本塁打をかっ飛ばし、華々しいデビューを飾る。
    しかしその後は古田の壁が厚く、戸田暮らしの日々が続く。
  • 小野が再び注目を集めたのは01年。シーズン終盤に離脱した古田の穴を埋め、チームを8連勝に導いた。
    だが良いムードは長く続かず、結局古田の復帰もあってヤクルトはなんとかシーズンを制覇する。
  • 01年の活躍もあり、それ以降は2番手捕手の座を確固たるものにした。
  • 06年、古田が兼任監督に就任して第一線から退いた為にレギュラー奪回のチャンスとなったが、若手の米野福川に出番を奪われ、戸田暮らしが続いた。
    打撃だけならば米野、福川を超えているが、守備面や年齢等がネックになっているようである。
  • 07年は5月30日に1軍昇格。6月5日の西武戦では一塁手としてスタメン出場し、2安打1打点の活躍。
    しかしその後はヒットを打てず、捕手としての出場もないまま7月2日に2軍落ちとなった。
  • 08年は衣川の活躍もあり、しばらく戸田暮らしが続いたが6月に一軍昇格。7月20日には一軍では2年ぶりにマスクをかぶった。
    9月以降はシーズン終了まで一軍に残るも、3番手捕手という扱いで出場機会は代打のみであった。

最高の代役


  • 01年終盤に古田の穴を埋める活躍をし、05年中盤にはまたも古田の代役となった小野。
    レギュラーとして出場した最初の2試合で7打数6安打3ホーマーと大爆発。
    古田の代わりとして捕手に入り始めてしばらくは攻守に安定した活躍をするが、どうもそれが長続きしない。
  • 08年10月12日、前日の引退勧告を受け引退を表明。同日、真中・度会・河端とともに、引退試合に臨んだ。
    代打で登場した、8回裏、ベイスターズ牛田の2球目。137kmのストレートを打ち返し、弧を描いたボールはスタンドに吸い込まれ決勝点となった。
    初打席をHRで飾った代役と呼ばれた男は、最後もHRで飾り、最終戦の主役となりグラウンドを去った。

引退後


  • 球団スタッフとして残留。スコアラーを経て、13年からは二軍バッテリーコーチを務める。

年度別成績


年度チーム試合打数得点安打二塁打三塁打本塁打打点四死球三振盗塁打率
1997ヤクルト42210012110.500
1998ヤクルト------------
1999ヤクルト------------
2000ヤクルト99010001040.111
2001ヤクルト358951910264230.213
2002ヤクルト41801018404113220.225
2003ヤクルト44403800034120.200
2004ヤクルト29404710132130.175
2005ヤクルト621641533507188441.201
2006東京ヤクルト10000000000-
2007東京ヤクルト1016121003170.125
2008東京ヤクルト911110011020.091
通算24445141901201648231281.200






-

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2012年12月09日 14:59