城石憲之

プロフィール

  • 選手名 - 城石 憲之(しろいし のりゆき)
  • 背番号 - 日本ハム時代 54(95年~98年) ヤクルト時代 28(98年~00年)→00(01年)→10(02年~09年) →87(09年オフ~)
  • 出身地 - 埼玉県さいたま市大宮区(旧大宮市)
  • 身長/体重 - 183㎝/73㎏
  • 投打 - 右投右打
  • 球歴 - 春日部共栄高(甲)-青山学院大中退-日本ハム(94年ドラフト5位)-ヤクルト
  • 顔文字 - < ゚ _・゚>
  • 実況板でのあだ名 - ポチ、ポーさん、駄犬ミート1
  • 関連用語 -
  • 好きな食べ物 - 焼肉
  • 嫌いな食べ物 - セロリ (「この世の食べ物じゃない」とのこと)

アマ時代~日本ハム時代

  • 春日部共栄高では主将としてチームを引っ張り、小野と門倉(巨人)擁する聖望学園を下し甲子園に春夏連続出場する。
  • 青山学院大に進学後、厳しい上下関係など部内の雰囲気に嫌気が差し、神宮でプレーすることなく退学。
    当時の青学の同期には坪井(日本ハム)が、先輩には小久保(ソフトバンク)木村(元巨人)がいるなど錚々たる顔ぶれであった。
  • 大学中退後はアルバイトをしながら草野球を続け、時には社会人の東芝の練習生として練習に励みながら、ぼんやりとプロ入りを考え始める。
    「受かればいいな」 程度の気持ちで受けたというプロテストに見事合格し、95年ドラフト5位で日本ハムファイターズに入団を決めた。
  • 日ハムでは2軍で定位置を獲るも1軍で活躍することはできず、98年シーズン開始直後にヤクルトにトレードされる。

ヤクルト時代

  • 移籍した98年はプロ初本塁打を放つなど打撃面でも活躍を見せるが、それ以後はバッティングに苦しむ時期が長く続いた。
    とはいえ先任の土橋の衰えが徐々に目立つようになり、セカンドとして完全に1軍定着し年々出場機会を増やしていた。
  • 06年にプロ野球選手会会長に就任した宮本からバトンを受けてヤクルトの選手会長に就任。
    移籍選手で選手会長に就任するのはまれなケースであり、多大な信頼度が伺える。
  • ところが06年から広島の4番を打っていたラロッカが移籍してしまった関係でシーズンでは守備固めに甘んじる。
    06年6月13日の日本ハム戦は「城石憲之Day」と題された日だったが、本人は爪をはがしてファームに落ちていた。
    その後しばらく出番がなかったが、8月にラロッカが怪我で離脱した為にスタメン復帰する。
  • 07年は田中の成長によりベンチ要員となったが、内野全般をカバー出来る守備固めとして重宝されている。
  • 08年も守備固めとして貢献するほか、スタメンで出場することもあった。
    7月に腰痛で登録を抹消されると、試合に出られるようになってからも川端梶本などの若い選手が一軍で使われたため戸田での出場となった。
  • 09年は開幕から戸田での出場。打撃好調で一軍昇格が検討されたこともあったが、腰痛のため逃してしまった。
    この年限りでの引退を表明し、10月12日のシーズン最終戦(巨人戦)が引退試合となった。
    引退試合では8回に代打で登場し、越智から二塁打を放った。9回の守備ではセカンドを守り、宮本と二遊間を組んだ。
    オフに一軍守備走塁コーチに就任。

生え抜きイケメン若手俊足内野手

  • もう30をとうに過ぎたベテランの域(08年シーズンで35歳)にある選手なのだが、イケメンなせいか若手と言われてしまうことも少なくない。
    また、均整のとれた体型のせいか、俊足だと勘違いしているファンや解説者もたまにいる。
    日ハム時代のイメージがほとんどなく、ヤクルトに移籍してもう長いことから生え抜きのような存在の自然さすら感じる。
  • イケメン人気選手でありながらイメージが掴めない、という評判もあったが、06年からは選手会長としてチームの要職に。
  • 私生活ではテレビ東京の大橋未歩アナウンサーとの交際をすっぱ抜かれたが、今年5月に破局報道。
    前々よりテレ東に反対されてたのでその説が有力だが、肝心の大橋はIT系の男性に転がった。
  • しかし、06年11月に「大橋アナと今オフにも婚姻届提出」と某スポーツ新聞の一面を飾った。
    07年1月1日に無事入籍届を提出した。

その他

  • 古田の母方のいとこと、城石の父方のいとこが夫婦なので、両者は親戚である。
  • ヤクルトにトレードで来た年の秋に、宮本に譲ってもらったグラブをずっと試合で使用している。
    親指部分には「Ys 6 Shinya」の刺繍が施されている。毎年オフになると修理に出し、破れた部分は糸で縫っているらしい。
    本人曰く、「引退しても大事にする」宝物のような物。

城石悲惨伝説

「城石悲惨伝説」

甲子園に主将として出場し、5球団から指名の話が来るが進学

上記の経歴が仇となり、野球部で先輩からつぶしを食いわずか10日で退部

※退部については諸説あり。厳しい上下関係を嫌ってのものも。

さらに大学自体も1ヶ月で退学

約2年のフリーター生活を送る

そば屋の出前のバイトの最中、バイクの後ろの

皿を抑える機械の操作を忘れ、皿を全て割る

テストを受け、95年ドラフト5位で日ハムに入団

ちなみにその前にヤクルトのテストに落ちている

98年、ヤクルトにトレードされる

理由は宮本がオフにやらかし、内野の補給のため

城石→しろいし→シロ→犬っぽいという理由でポチと呼ばれる

宮本のグローブを譲り受け、契約メーカーと違うが使用

宮本にAVを買いに行かされる(ただし被害者多数)

イケメンだが地味というか歳をとっているため、aiでの人気がない

テレ東の人気アナウンサー大橋未歩とフライデーされる。

3割あった打率が急降下、さらに大橋ファンのにしこりに小物呼ばわりされる

2005年、土橋よりセカンドの定位置を奪うも

2006年、ラロッカに奪われ出場機会が減る

宮本に断らなそうだからという理由で選手会長に指名される

ついに年下の青木にもポチ(及びポーさん)呼ばわりされる

AAが犬そのもの(ただし若松元監督とは別の種類)

大橋と破局。テレ東側に反対されたとの説が有力だが、肝心の大橋はIT系の男に転がる

推定年棒4700万なのに、自分への誕生日プレゼントはPSP(白)

宮本の故障と梶本及び田中浩の守備の不調から久々のスタメンを飾り

城石Dayにスタメンを期待されるが前日、登録抹消

理由は守備の際、ホークス川崎と接触し左足の爪が半分はがれたため

6月終わりに一軍復帰し8番ショートのスタメンを飾るが、代走と守備で三木に交代させられ、

さらにその三木がやらかして負けの原因となる

  • 06年9月6日の中日戦、2-2の同点で迎えた4回表二死二塁から城石が勝ち越しタイムリーツーベースを放つ。
    その後次打者のゴンザレスを迎えた所で中日はピッチャーを交代した。
    通常、打てる見込みの少ない9番ピッチャーに打順が回った場面で自軍の投手を交代させる等という事はあまりなく、
    それ以前に相手の勝ち越しを阻止したいのならば「8番の城石を敬遠して9番のゴンザレス勝負」というのが定石なのだが、
    中日監督の落合監督は試合後にこう語っている。

    城石よりゴンザレスの方がバッティングがいいから。言っちゃ悪いけど…。バッターにしたいくらい

    ゴンザレス>>>>>>>>>>>>>>城石
  • 2007年4月28日の、テレ東にて中継された巨人戦で今季2試合目のスタメン出場。
    夫人の大橋アナが中継の途中で他のスポーツ会場から登場し、その後の打席でHRを放つ。
    試合はスワローズの勝利。今季初アーチ含む3安打2打点の活躍で、
    先発投手の藤井と共にヒーローインタビューを受ける。
    同じセカンドの田中浩の打撃不振もあり、このままスタメン定着かと思った矢先の
    試合後、病院にて「帯状疱疹」と診断される。翌日に登録抹消となった。


年度別成績

年度チーム試合打数得点安打二塁打三塁打本塁打打点四死球三振盗塁打率
1995日本ハム23120000000.667
1996日本ハム35110000020.200
1997日本ハム41000000010.000
1998ヤクルト444531310243111.289
1999ヤクルト869371340057292.140
2000ヤクルト814331002160.214
2001ヤクルト31364930001100.250
2002ヤクルト80230265711082814531.248
2003ヤクルト117245336414052826411.261
2004ヤクルト11931529677042218582.213
2005ヤクルト130359259218123020662.256
2006東京ヤクルト701301230202517311.231
2007東京ヤクルト8110992340296220.211
2008東京ヤクルト4121011000060.048
2009東京ヤクルト111110000001.000
通算81716071543766712513311133610.234





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最終更新:2010年09月12日 00:42