プロフィール
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選手名 - 飯田 哲也(いいだ てつや)
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背番号 - ヤクルト時代 58(87年~90年)→2(91年~04年) 楽天時代 2(05年~06年)
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出身地 - 東京都調布市
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身長/体重 - 173㎝/72㎏
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投打 - 右投右打
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球歴 - 拓大紅陵高-ヤクルト(86年ドラフト4位)
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顔文字 -
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実況板でのあだ名 - 猿
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関連用語 -
入団前
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拓大紅陵高では強肩の捕手として3年時に春夏連続甲子園出場。
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3年夏の千葉県予選決勝では後のチームメイトとなる土橋が在籍していた印旛高を破って甲子園出場を果たしている。
しかし、ドラフト順位では土橋が2位、飯田が4位と逆転した形で同時にヤクルトに入団した。
ヤクルト時代
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3年目にして1軍に捕手として出場し始めるも、翌年に古田が入団してきた為に二塁手に転向。
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二塁手に転向し、すぐさま前年新人王の笘篠からレギュラーを奪取するが、91年にエンジェルスからジョニー・レイが加入した為
今度は外野手に転向。
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無謀なコンバートと言われたがこれが大成功となり、外野手転向の1年目から7年連続ゴールデングラブ獲得をするなどヤクルト史上に残る名外野手に成長。
フェンスを駆け上る超人的な運動神経や強肩は人気となった。
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1番センターで4度のチーム優勝に貢献。92年優勝時には盗塁王、ベストナインにも輝いた。
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93年の日本シリーズ第4戦でのセンター前ヒットをノーバウンドバックホームで刺したシーンはシリーズ史上に残る名場面とされている。
ちなみに、このセンター前ヒットを放ったのは後にヤクルトに入団してきた鈴木健であったりする。
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98年に怪我をした際に代役となった真中がそのままポジションを獲得してしまい、出場機会が激減。
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04年オフ、コーチ打診を受けるが拒否し、新球団の楽天に無償トレードで移籍。
球団側からも「勉強のつもりで」といった円満移籍であった。
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楽天では短期間ながらも往年を彷彿とさせるプレーを見せながら、2年間のプレーで引退。
10月のフルキャストでの最終戦で元ヤクルトのカツノリと共に引退試合を行った。
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07年、古巣ヤクルトの1軍外野守備走塁コーチとして復帰。08年の高田政権では1軍守備走塁コーチに昇格し、
4年振りに神宮に帰ってくる事となった。
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最終更新:2010年09月12日 23:09