鈴木健

プロフィール

  • 選手名 - 鈴木 健(すずき けん)
  • 背番号 - 西武時代 8(88年~02年) ヤクルト時代 9(03年~07年)
  • 出身地 - 埼玉県越谷市
  • 身長/体重 - 187㎝/95㎏
  • 投打 - 右投左打
  • 球歴 - 浦和学院高(甲)-西武(87年ドラフト1位)-ヤクルト
  • 顔文字 - (○・∀・)
  • 実況板でのあだ名 - 危険
  • 関連用語 - しりとりクリーンナップ

アマ時代~西武時代

  • 埼玉県の強豪、浦和学院高で超高校級のスラッガーとして名を馳せ、ドラフト1位で西武入団。
  • 89年、サンフランシスコ・ジャイアンツ傘下の1Aサンノゼに野球留学。90年、91年に2年連続イースタン首位打者を獲得。
  • 92、93年にはプロ野球史上に残るヤクルトとの日本シリーズで西武の選手として対戦。
    93年の第3戦では代打満塁ホームランを放つも、第4戦で川崎から打ったセンター前タイムリーが
    球史に残る飯田の超絶バックホームにより阻止されたり、
    第7戦では高津から三振を奪われ最後の打者となるなど、当時から縁があったのかもしれない。
  • 97年にはFAで清原が移籍したため、4番として大活躍。優勝決定サヨナラホームランを打つなどした。
    日本シリーズではヤクルトと3度目の対戦となったが、またも抑え込まれてしまう。
  • その後は外国人等にポジションを奪われ、当時から守備が下手だったのにも関わらず、
    エラーしては(・∀・)ニヤニヤ、三振しては(・∀・)ニヤニヤという態度が首脳陣に嫌われ、02年オフには戦力外リストに名を連ねる事になる。
  • しかし、当時ペタジーニの巨人移籍で左の大砲が欲しいヤクルトと、在京で現役続行志望の鈴木健との思惑が一致し、
    金銭トレードという形で、ヤクルトに入団した。

ヤクルト時代

  • 入団当初は左の代打という事で考えられていたが、開幕戦でいきなりサードレギュラーの岩村が戦線離脱してしまい、
    運良くサードのポジションをゲットした。
  • 同年4月9日の対巨人戦で何とエラーした直後に(・∀・)ニヤニヤして立ち止まり球を追わず、余計にランナーを帰すという大失態を犯してしまう。
    しかし翌日の試合では汚名返上の5打数4安打6打点の活躍を見せると、その後はアホみたいに粘着し、ヒットを量産。
    終わってみればセリーグ5位の打率(.317)を残し、カムバック賞を受賞。
  • 04年からはファーストを守り、オジンガン打線の中核を担う。
  • しかし05年はリグス宮出との併用、本人の不調等により代打、戸田降格に甘んじてしまった。
  • 06年はサード岩村、ファーストリグスで完全にレギュラーが固定されてしまった為、左の代打要員という起用をされている。
  • 07年も代打要員として出場。しかし、07年9月20日に持病の腰痛の悪化もあり、引退を発表した。
  • 引退直後はコーチ職や解説者の仕事も発表されなかった為、実況板ではニートとネタにされた。
    シーズン開幕後にスカイAでの楽天戦中継の解説者となった事が発表され実況板でも就職が決まったと祝福されたが、
    数試合解説の仕事をした後にプロゴルファーの小山内護選手のキャディーに専念するとの報道がされた。
    しかし、報道後もKスタ宮城で行われた楽天対ヤクルト戦の解説も行っており、この話がどうなったかは不明である。

引退試合

  • 07年10月4日の対横浜戦が引退試合となった。8回裏1アウトから宮本の代打として打席に入る。相手投手は横山道哉。
    横山は全球ストレートで勝負。鈴木はカウント2-1と追い込まれてからもファールで粘り、15球目をセンター前ヒット。代走に城石が送られベンチに退いた。
    この打席ではサードを守っていた村田が捕れるファールフライを捕らずにファールにしており、ヤクルツファンから賞賛のレスが相次いだ。
  • 試合後のセレモニーでの挨拶ではヤクルツファンの涙を誘った。
    「20年間多くのファンの皆様に支えられ、多くの声援を頂き、ここまでやってくることが出来ました。 
    野球ができない気持ちと複雑な気持ちがありますが、心の整理がついたので、引退を決意しました。 
    ありがとうございます。20年間精一杯やってきたので悔いはありません。 
    本当に長い間ありがとうございました。最後にこの場を借りてお礼が言いたいと思います。 
    古田さん、18年間本当にお疲れ様でした。そして、こんな素晴らしい思い出ありがとうございました。 
    いつも対等に接してくれて、そして僕が引退の報告をしに行ったときに、一緒に泣いてくれました。 
    僕は本当に世界一幸せもんです。本当にお疲れ様でした。本当に本日はありがとうございました。」
    

最終打席の内訳

1球目:141km/hストレート見逃し 0-1

2球目:144km/hストレートフルスイングで空振り 1-1

3球目:142km/hストレートファール 2-1

4球目:142km/hストレートファール 2-1

5球目:141km/hストレートファール 2-1

6球目:142km/hストレートファール 2-1

7球目:143km/hストレート大きく外れてボール 2-2

8球目:141km/hストレートファール 2-2

9球目:142km/hストレートファール 2-2

10球目:142km/hストレートファール 2-2

11球目:144km/hストレートファール 2-2

12球目:球速不明ストレートファール 2-2

13球目:143km/hストレートサードファールフライも村田が見送ってファール 2-2

14球目:142km/hストレートファール 2-2

15球目:141km/hストレートセンター前ヒット


その他

  • 上半身の体の使い方(バットコントロール等)が持ち味で、「鈴木健の上半身、清原(西武→巨人→オリックス)の下半身が
    組み合わされば最高の打者」との評価もある。
    よって変化球には強く、パ(速球主体)→セ(変化球主体)への移籍は成功しにくいという風潮の中活躍できたのは
    そういう特性があったからとも言われる。
    そしてそういった理由の裏には移籍後もパ出身の投手には相変わらず相性が悪いという弱点があった。
  • 黄金時代の西武、球団史上初の4年連続Aクラスを達成した時のヤクルトに在籍していたため、
    プロ野球生活17年で一度もBクラスの順位を経験した事がなかったという異色の経歴の持ち主でもある。
    05年、ついにBクラスを経験。現役最終年の07年は最下位を味わってしまった。
  • 野球解説者の金村義明(近鉄→中日→西武)と顔が似ている事で有名であり、何度かやくみつるの漫画等でネタにされている。
    03年オフにカムバック賞を受賞した事で、金村と大塚光二(元西武)が司会を務めるJSPORTSの「ガンバレ日本プロ野球!?」に出演。
    番組内でも顔が似ているという事の話題になり、鈴木家は娘が3人、金村家は息子が3人という事で、
    「1人交換しよう」「もし交換しても顔が似てるから子供も気づかないかもしれない」等といった話となった。

実況板での扱い

  • 引退した現在でも(○・∀・)の顔文字を使ったレスが多く見受けられ、愛される選手となっている。
    また、実況板では鈴木健がアホキャラとしてのイメージが定着している為、(○・∀・)を喋らせる場合は全てひらがなを使ったレスといった決まりがあるらしく、
    難しい言葉や漢字を使った場合はニセモノと言われてしまう。


年度別成績

年度チーム試合打数得点安打二塁打三塁打本塁打打点四死球三振盗塁打率
1989西武88010000040.125
1990西武1127271000170.259
1991西武3963518701105151.286
1992西武699210243151910240.261
1993西武1193523595121135144620.270
1994西武1022664193211124938443.350
1995西武12441639105100124248630.252
1996西武10935447107171216049481.302
1997西武133471721473431994101762.312
1998西武13548865134231226584581.275
1999西武13346848122302138179503.261
2000西武119386369617065251400.249
2001西武1153614791290185143491.252
2002西武6517221419152715310.238
2003ヤクルト13548267153360209562842.317
2004ヤクルト129470411362101565451001.289
2005ヤクルト81274256912063228420.252
2006東京ヤクルト3424141012360.167
2007東京ヤクルト2627031002690.111
通算1684520160214462841118979771281215.278


タイトル

  • パシフィック・リーグ最高出塁率:1回(97年.431)
  • セントラル・リ-グベストナイン三塁手部門:1回(03年)
  • パシフィック・リ-グベストナイン三塁手部門:1回(97年)
  • イースタン・リーグ首位打者:2回(90年.364)(91年.401)
  • セントラル・リーグカムバック選手賞:1回(03年)











-

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2010年09月12日 01:09