度会博文

プロフィール

  • 選手名 - 度会 博文(わたらい ひろぶみ)
  • 背番号 - 47(94年~00年)→4(01年~08年)→83(09年~)
  • 出身地 - 千葉県船橋市
  • 身長/体重 - 181cm/78kg
  • 投打 - 右投右打
  • 球歴 - 八千代松蔭高-中央学院大-ヤクルト(93年ドラフト3位)
  • 顔文字 - (^ー^)
  • 実況板でのあだ名 - ニコ、ニコライ、どかい
  • 関連用語 - バスケレンジャー

入団前

  • 中央学院大時代はシーズン打率.750を記録するなどリーグ屈指の選手であったが、それほど注目されてはいなかった。
  • 神宮外苑で草野球をしている姿が当時の片岡スカウトの目にとまり、入団に至る。

ヤクルト時代

  • 入団後4年間1軍での出場が無かったが、98年に8番サードで開幕スタメンに抜擢。5月には自身初となるサヨナラアーチを放つ。
    この年キャリアハイとなる85試合に出場。
  • 99年には1軍出場が激減したが、イースタンでは首位打者のタイトルを獲得している。
  • その後は内外野守れるユーティリティー性と、勝負強い打撃で磐石のレギュラーとは言えなくとも良い活躍を続けてきた。
    ベンチのムードメイカーでもあり、一番の仕事は声出し。
  • 05年は成績を大きく落としながらも出場が続いた為、多くの批判を浴びた。
  • 06年も例年通り右の代打としての起用であったが、要所で結果を残した。
  • 07年はオープン戦で猛アピール。開幕戦はスタメンサードで起用されるも、レギュラーは飯原に奪われた。
    守備でも失策5(守備率はファースト.917、サード.889)と精彩を欠いた。
  • 08年は戸田スタートも結果を残し交流戦で1軍昇格。
    ところが代打でバントの場面でサインミスのあげく三振してしまい、その翌日に戸田行きとなった。
    9月末、真中と共に来季の構想から外れているとの報道があり、08年9月29日に引退を発表した。
  • 08年10月12日の横浜戦で真中河端小野との合同引退試合に出場。
    7回裏に松井の代打で最終打席を迎え、阿斗里から大きなレフトフライを打ち、15年間の現役生活を終えた。
  • 09年からは2軍外野守備走塁コーチとして球団に残る事となった。内野のユーティリティープレイヤーとして現役が長かった度会が外野担当のコーチとなった事は
    ファンにとっても意外であり、08年10月21日のYahoo!トップでは「元内野手・度会が外野コーチに」という見出しで紹介された。

その他

  • 実は貴族の末裔である。

度会家の先祖は13世紀に現在の三重県で絶大な影響力をもった名門貴族。
本家の過去帳(先祖代々の戒名、俗名、死亡年月日などが書かれたもの)は歴史的資料として船橋市役所に寄贈された


年度別成績

年度チーム試合打数得点安打二塁打三塁打本塁打打点四死球三振盗塁打率
1998ヤクルト8520526549041213321.263
1999ヤクルト1938380002240.211
2000ヤクルト605381421043100.264
2001ヤクルト534911155018041.306
2002ヤクルト728361840295160.217
2003ヤクルト39408123024380.300
2004ヤクルト5660117400112140.283
2005ヤクルト45601710001100.117
2006東京ヤクルト27283102003240.357
2007東京ヤクルト688891840080160.205
2008東京ヤクルト33000000010.000
通算52770776173341961321192.245


タイトル

  • イースタン・リーグ首位打者:1回(99年:.357)











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最終更新:2010年09月23日 23:14