石堂克利

プロフィール


  • 選手名 -石堂 克利(いしどう かつとし)
  • 背番号 - 37(99年~01年)→60(02年~07年)→102(08年~)
  • 出身地 - 愛知県
  • 身長/体重 - 186㎝/83㎏
  • 投打 - 右投左打
  • 球歴 - 愛工大名電高(甲)-ヤクルト/東京ヤクルト(98年ドラフト1位)
  • 顔文字 - 未定
  • 実況板でのあだ名 - イシドゥー
  • 関連用語 - カマドウマ

ヤクルト入団前


  • 愛知県の名門、愛工大名電高に進学すると、速球派右腕として全国にその名を轟かす。
    しかし石堂は当時から怪我がちで、3年時に出場した甲子園では登板できず5番ライトでの出場であった。
  • それでも石堂の素材は各球団が高く評価し、中でも「石堂の素材は松坂(西武)より上」と言い切ったヤクルトが1位指名。
    左打席から繰り出されるシュアなバッティングも大きく期待された。

ヤクルト時代


  • プロ入りしてからの石堂はやはり怪我に悩まされ、試合でまともに登板することすらままならない時期が続いていた。
    折りしも96年のアキラ、97年の三上と高卒ドラ1が短期間で見切られる中、98年ドラ1の石堂も同じ道を辿ると諦めていたファンも多かった。
  • 03年、石堂は怪我から見事に復帰すると2軍で8勝の好成績を上げ、秋口に1軍昇格すると勢いそのままに先発4連勝を飾る。
    度重なる怪我の影響で球速は140km/hを切ることも多かったが、大きなカーブを武器に復活を果たした姿はファンを大いに喜ばせた。
  • 03年に1軍初登板を果たした石堂は、その勢いを維持して04年4月のチームを引っ張り、月間MVPを狙えるかというくらいに奮闘した。
    なお当時「赤ゴジラ」と売り出し中の嶋(広島)を封じ込めるピッチングから、「青モスラ」とサンスポ一面に紹介される快挙を成し遂げたが、全く定着しなかったのもこの頃である。
    しかし4月の最終登板日、当時好調だった巨人に滅多打ちにされ、「ヤクルトは巨人の犬」と呼ばれる一要因となってしまう。
  • その後は1軍と2軍を行ったりきたりする不安定な投球が続き、同じような境遇の鎌田本間と共に
    カマドウマという名のドングリ軍団のイメージが定着した。
  • 05年終盤に2軍で147km/hを記録し1軍でも好投して翌年が期待されたが、06年はカマドウマの引力から逃れられず。
  • 06年シーズン終盤、実況板等で石堂が内野練習、打撃練習を行っているとの目撃談がちらほら出現。
  • 06年10月8日のスポーツ各紙で打者転向が発表され、その年のフェニックスリーグは野手として試合に出場。
  • リーグ第1試合目に初球ホームランを打つなど、これで野手・石堂誕生は確定したかに思えたが、秋季練習終盤に自分の意思で投手に戻ることを決意。
  • 投手としての石堂にはやや限界を感じていたであろう実況板の住人にはやや拍子抜けの結果となったが、翌年以降の復活が期待された。
  • 07年10月5日、戦力外通告。現役続行を希望していたが引退。
  • 08年からヤクルトの打撃投手となり、12年現在ではスコアラーも兼任している。

その他


  • 03年には愛車のアリストを窃盗団に盗まれており、地味ながらも公私両面でネタを提供してくれる石堂は、実況板でも登場頻度の高い選手の一人である。
  • 05年のバレンタインデーは坂元と共にチョコ0個を記録し、スワローズのもてない君として称えられた。

年度別成績


年度チーム試合勝利敗北セーブ投球回三振四死球自責点防御率
1999ヤクルト---------
2000ヤクルト---------
2001ヤクルト---------
2002ヤクルト---------
2003ヤクルト541027.01513113.66
2004ヤクルト1667075.14826586.92
2005ヤクルト512021.1138166.75
2006東京ヤクルト---------
2007東京ヤクルト---------
通算 2611100123.27647856.19






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最終更新:2012年12月06日 00:19