プロフィール
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選手名 - 坂元 弥太郎(さかもと やたろう)
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背番号 - 63(01年~02年)→11(03年~05年)→45(06年~07年) 日ハム時代 30(08年~09年) 横浜時代 13(10年) 西武時代 37(11年~)
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出身地 - 広島県広島市
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身長/体重 - 182㎝/86㎏
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投打 - 右投右打
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球歴 - 浦和学院高(甲)-ヤクルト/東京ヤクルト(00年ドラフト4位)-日本ハム-横浜-埼玉西武
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顔文字 - ヽ-=・=-′ ヽ-=・=-′
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実況板でのあだ名 - ヤタロー、ヤー、ヤタロット、弥太羅王
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関連用語 -
入団前
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埼玉県の強豪、浦和学院高のエースとして活躍。3年夏の埼玉県大会決勝戦で春日部共栄高で後に中日にドラフト1位指名で入団した中里(現巨人)に投げ勝つ。
ちなみに、この決勝戦は浦和学院のサヨナラ勝ちであり、決勝のホームを踏んだのが坂元であった。
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甲子園1回戦の八幡商戦でスライダーを武器に実に54年ぶりとなる1試合最多奪三振19のタイ記録を打ち立てる。
当時のスコアシート
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2回戦では後に近鉄に自由枠で入団した香月(現オリックス)擁する柳川高戦で16奪三振を奪うも敗退。
しかしながら大会史上4人目の2試合連続毎回奪三振を記録するなど数々の記録を打ち立てた。
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高校時代のライバルであった中里、香月も後年プロに進んだが故障や不調もあり、あまり目立った活躍をしていない。
その為か、実況板では坂元の話題になると、セットでこの2人の近況や思い出話が出る場合がある。
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甲子園での活躍で一躍有名になった坂元は4位指名でヤクルトに入団。
しかしこの年のドラフトでヤクルトが指名した選手は皆プロに入ってからネタ要員になる運命だった…
ヤクルト時代
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高卒1年目ながらファームで6勝をあげ、2年目には早々と1軍で20歳のバースデープロ初勝利をあげた、がこの後から歯車が狂い始める。
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負け運キャラが決定的となったのは02年6月13日の巨人戦、先発した坂元は何と完全試合ペースで巨人打線を終盤まで抑える。
ところがそう甘くはなく、完全試合消滅、ノーノー消滅、完封消滅、完投消滅といったように試合は進行、
せめて勝ち星は…と思ったら何と抑えの高津までもが打たれて勝ち星も消滅してしまった。
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この出来事から2ちゃんねるでも注目され始め、一気にネタキャラ化の一途を辿った。
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03年にはかつて荒木大輔がつけていた11番を継承するもその後先発では良い結果が出ずリリーフ起用が増え、
05年の阪神との開幕シリーズでは第2戦で久々の先発を任されるも炎上。
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そして05年オフ、この年限りでヤクルトを退団した山本樹が背負っていた背番号45に変更。同時にリリーフへ完全転向する事になった。
坂元はこの件について、これまで11番にふさわしい活躍ができず、これからはヤクルト内で一番親身になって世話をしてくれ、たくさんの思い出があった
山本樹のように毎年50試合投げたいという願いをこめて45番に変更したと自身のブログで語っている。
日本ハム時代~横浜時代
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08年1月上旬に日本ハムとのトレードが決定。ヤクルトを去ることになった。
藤井と共にネットのヤクファンからはそれなりに愛されていたキャラだったためか、その放出を惜しむ声も少なくなかった。
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オープン戦の好投が評価され、開幕1軍入りを果たす。08年3月22日の開幕第2戦で同じく日本ハムへ移籍した藤井の後を受けてリリーフ初登板を果たすが、いきなり敗戦投手となってしまう。
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08年5月3日の楽天戦でリリーフで好投し、移籍後初勝利をマーク。この年は先発が早い回で降板したときのリリーフとして活躍し、自己最多となる6勝を挙げた。
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09年は菊地と江尻の活躍もあり、19登板と1軍登板機会は減少。CS第2ステージでは2試合に登板も、日本シリーズでは登板無しに終わった。
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09年11月26日、加藤武・松家・関口とのトレードで稲田・松山と共に横浜移籍が決定。3対3トレードを2回経験というおそらく初の偉業を達成した。
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横浜時代は登録名を「弥太郎」としていた。10年は中継ぎで29試合に登板。
3度目のトレード、西武へ
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11年開幕前に大沼幸二とのトレードで埼玉西武に移籍。
11年は16試合に登板したが、12年はルーキーイヤー以来11年ぶりの一軍登板なしとなった。
握りキャラ
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前述の巨人戦での悪夢から2ちゃんねるプロ野球板の坂元スレで負け運キャラっぷりが注目され始めると、
そのスレの454が坂元が負け運の元凶?になった高津の頭を握って激怒するAAを貼る。
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このAAがスレ住人に受けた為、握られる人物も先輩後輩同期外国人に関わらず色々改変され握りまくる
凶悪なキャラが定着してしまい、プロ野球板各スレで有名になった。
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以上の様なキャラ付けの投手がこの時期に多数誕生しており、特に寺原(ソフトバンク→横浜)、真田(巨人→横浜)と坂元を加えた3人のスレがプロ野球板では人気となっていた。
運命のいたずらか、後にこの3人が横浜に集結する事になる。
ヤクルト坂元。未来の奪三振王
http://sports3.2ch.net/test/read.cgi/base/1022892066/
西武ファンの悲鳴
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坂元の出身校浦和学院高は埼玉県にあるため、地元である西武が指名する確率も高かった。しかし西武は何故か回避。西武実況板では非難轟々。
しかしこの年の西武のドラフト指名選手は三井、帆足、佐藤友、中島と将来西武の主力となる選手。
結果としてはネタドラフトとまで言われたヤクルトの方がダメだったというわけである。以下は当時の西武実況板ログ。
396 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日:2000/11/17(金) 15:09
ウケ狙いに走りやがった・・・・・・芸人魂に乾杯
397 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日:2000/11/17(金) 15:09
あくまで即戦力かよ・・・
398 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日:2000/11/17(金) 15:10
佐藤充も根市もヤタローも無視して帆足・・・・・・・
399 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日:2000/11/17(金) 15:11
鬱だ・・・氏のう
400 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日:2000/11/17(金) 15:11
4位は折り返しだから3位で根市取っとけば4位で坂元取れたのに・・・
まぢで逝ってくれ・・・トンビ・・・
401 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日:2000/11/17(金) 15:11
五年後に帆足がやっと中継ぎとして開花。
同じころ根市が他球団のエースとして君臨。
そんな未来が見える。
410 名前:名無しさん@お腹いっぱい。投稿日:2000/11/17(金) 15:17
根市と坂元両取りできたかもしれんのに、ああもったいない。
3位指名でなにが隠し玉だよ。
そして2011年、その西武にトレード。10年遅れで坂元はやってきた。
にその旦那
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実況板では実況板の管理人、にその旦那という設定になっている。
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そう設定された経緯は
にその兄(従兄弟?)が阪神ファンだったと日誌に書く
↓
坂元の嫁さんは平尾(現西武、元阪神)の従姉妹
↓
にそが日誌に旦那をよろしく見たいなことを書く
という伏線があってから実況板での占いで決定的となった。
その他
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1軍に上がった2年目には何と3度の緊急先発を経験している。
その内2回は藤井とホッジス(ヤクルト→楽天)の体調不良によるもの、しかし極めつけは何と先発メンバーの書き間違えから
Tシャツに短パン姿でウトウトしていた坂元が投げる事に。
ちなみに坂元が緊急登板した3試合ともチームは勝利している。このうち坂元についた勝利は1勝。
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練習前に昔のガチャガチャのテトリスをしている。本人曰く「俺が作った4000点の壁は厚いよ!」
ダルビッシュ有オフィシャルブログ 08/7/16より
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関東圏での試合の時は東○ポを買って練習前に読むのが日課。自称「歩く東○ポ」
ダルビッシュ有オフィシャルブログ 08/7/9より
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遠征の際に本屋で新刊コーナーを覗いていた時に古田に声をかけられた後、
「やっぱり、そろそろ週刊誌とか漫画だけでなくこういう本を読まなければいけないと思うんですよね。古田さん、何かお薦めの小説ってないですか?」と質問。
感心した古田が本をプレゼント。翌年のキャンプで感想を求められ、「あの本、最初の2ページ読んだところで意味があんまり分からないんでやめました」
と失礼発言。それに対する五十嵐のフォローは「せめて10ページは読まなきゃ、ねえ、古田さん?」であった。
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バレンタインのチョコレースでは石堂と共にチョコ0個を記録した。
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06年オフ、神宮クラブハウス脇の通路で石井一とキャッチボールをしている時に暴投して石井の後ろにあったトラックにボールを当てガラスを粉砕。
弁償代として10万を払った。
≪キャッチボールでトラックのガラス粉砕≫石井一がアクシデントに襲われた。神宮クラブハウス脇の通路でキャッチボールをしていたところ、
相手役の坂元の投球がそれ、石井一の背後にあったトラックのフロントガラスを粉砕。トラックの持ち主へ約10万円を弁償する羽目になった。
坂元は「もう今後は戸田で練習するかもしれません」と肩を落としたが、石井一は「僕のジャンプが足りなかった。全部払います」と後輩を気遣っていた。
迷言
坂元AA
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/ 坂元  ̄ ̄/ u (.....ノ(....ノ / ヽ
l::::::::: | 高津 u .:(....ノノ
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ヽ::::::::::::::::::: \/ヽ u ::::::::::::::::::::::::::::ノ
遊びじゃねえんだぞ?ああ?
年度別成績
年度 | チーム | 試合 | 勝利 | 敗北 | セーブ | 投球回 | 三振 | 四死球 | 自責点 | 防御率 |
2001 | ヤクルト | - | - | - | - | - | - | - | - | - |
2002 | ヤクルト | 29 | 3 | 9 | 0 | 107.2 | 100 | 34 | 44 | 3.68 |
2003 | ヤクルト | 32 | 4 | 1 | 0 | 54.0 | 44 | 20 | 36 | 6.00 |
2004 | ヤクルト | 34 | 4 | 2 | 1 | 49.0 | 24 | 24 | 24 | 4.41 |
2005 | ヤクルト | 5 | 1 | 2 | 0 | 10.0 | 7 | 4 | 10 | 9.00 |
2006 | 東京ヤクルト | 30 | 0 | 0 | 0 | 34.1 | 35 | 15 | 19 | 4.98 |
2007 | 東京ヤクルト | 2 | 0 | 0 | 0 | 1.0 | 2 | 2 | 1 | 9.00 |
2008 | 北海道日本ハム | 31 | 6 | 1 | 0 | 51.0 | 35 | 23 | 18 | 3.18 |
2009 | 北海道日本ハム | 19 | 0 | 2 | 0 | 28.2 | 11 | 16 | 19 | 5.97 |
2010 | 横浜 | 29 | 1 | 1 | 0 | 32.2 | 16 | 13 | 11 | 3.03 |
2011 | 埼玉西武 | 16 | 0 | 0 | 0 | 22.0 | 12 | 9 | 6 | 2.45 |
2012 | 埼玉西武 | - | - | - | - | - | - | - | - | - |
| 通算 | 227 | 19 | 18 | 0 | 390.1 | 304 | 160 | 188 | 4.33 |
タイトル
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イースタン・リーグ最優秀救援投手:1回(07年:18S)
日本代表歴、アマ時代の実績
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2002年 インターコンチネンタル杯日本代表
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2000年 高校日本選抜
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2000年 夏の甲子園2回戦
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最終更新:2012年12月12日 00:10