*&color(#C7000E,#FFF){いわてグルージャ盛岡} &bold(){Iwate Grulla Morioka} -&bold(){呼称:}いわてグルージャ盛岡 -[[公式サイト>http://grulla-morioka.jp/]] -&bold(){所属リーグ:}2025年~[[日本フットボールリーグ]] (最大所属カテゴリー:J2リーグ) -&bold(){法人名:}&bold(){株式会社いわてアスリートクラブ} -&bold(){代表者:}秋田豊 -&bold(){創立年:}2003年:ヴィラノーバ盛岡→グルージャ盛岡 -&bold(){活動区域/ホームタウン:}岩手県/盛岡市、宮古市、大船渡市、花巻市、北上市、久慈市、遠野市、一関市、陸前高田市、釜石市、二戸市、八幡平市、奥州市、滝沢市、岩手郡雫石町、岩手郡葛巻町、岩手郡岩手町、紫波郡紫波町、紫波郡矢巾町、和賀郡西和賀町、胆沢郡金ケ崎町、西磐井郡平泉町、気仙郡住田町、上閉伊郡大槌町、下閉伊郡山田町、下閉伊郡岩泉町、下閉伊郡田野畑村、下閉伊郡普代村、九戸郡軽米町、九戸郡野田村、九戸郡九戸村、九戸郡洋野町、二戸郡一戸町【岩手県全県】 -&bold(){クラブカラー:}&color(#000,#FFF){ホワイト}/&color(#FFF,#C7000E){レッド}/&color(#FFF,#000){ブラック} -&bold(){ホームスタジアム:}いわぎんスタジアム(*5,046人) -&bold(){練習グラウンド:}つなぎ多目的運動場 -&bold(){アカデミー(育成):}いわてグルージャ盛岡U-18/いわてグルージャ盛岡U-15/いわてグルージャ盛岡U-12 -&bold(){クラブマスコット:}ギヅール -&bold(){ユニフォームサプライヤー:}ケレメ -&bold(){監督:}松原良香 (日本) -&bold(){クラブの沿革:} 2004年/NPO法人「Jリーグチームを盛岡に作る会」により「[[グルージャ盛岡]]」を発足。[[東北社会人サッカーリーグ]]2部北ブロックに参加 2005年/東北社会人サッカーリーグ1部に昇格 2009年/株式会社いわてアスリートクラブ設立 2013年/Jリーグ準加盟クラブとなる。全国地域サッカーリーグ決勝大会優勝 2014年/Jリーグ入会。[[明治安田生命J3リーグ]]参加 2019年/クラブ名を「グルージャ盛岡」から「いわてグルージャ盛岡」に変更 2021年/J3リーグ2位を確定し、チーム史上初のJ2昇格 2022年/J2昇格するも1年で降格 2023年/元日本代表選手の秋田豊が、運営会社の代表取締役社長兼オーナーに就任 2024年/J3リーグから[[日本フットボールリーグ]]に降格。秋田豊はオーナーを辞任 「盛岡からJ」を掲げ、[[ベガルタ仙台]]、モンテディオ山形に次ぐ東北3番目のJ参入を目指す。 地元の温泉などと提携し、J2[[水戸ホーリーホック]]から選手の供給をうけて強化につとめてきた。 しかし、2005年の[[地域リーグ]]決勝大会ではロッソと同組になって敗退、JFL昇格に失敗。 これをきっかけに数々の不祥事・未払いが発覚、スポンサー撤退でチーム存続の危機に立たされた。 この難局に、クラブは経営陣の一新、監督の交代、一部選手の契約解除などを行ったうえ、改めて2010年のJリーグ入りを目指すことを表明した。 しかし、この措置が後に大きな火種を生むこととなった。 2006年3月、クラブと袂を分かった旧経営陣、監督、サポーターらが[[FCガンジュ岩手]]という新クラブの立ち上げを発表、ご丁寧に「2010年のJリーグ入り」という目標まで同じという念の入れようである。 支援の再構築が急務である時期に、このような分裂劇が起こったことでのマイナス影響は決して小さくはなかったと思われる。 東北リーグでの成績はTDK SCに次ぐ2位となり、地域決勝への進出は逃したものの、最低限の面目は保ったと言える結果を残した。 2007年は岩手県サッカー選手権(天皇杯県予選)の準決勝で実現した[[FCガンジュ岩手]]との因縁対決に敗れるという痛恨事はあったが、東北リーグではNECトーキンを抑えて優勝を飾った。 地域決勝では、あえなく一次リーグ敗退となったが、復活の兆しを全国にアピールすることはできたと思われる。 2009年、運営組織をNPO法人から株式会社に移行。チーム顧問に八重樫茂生氏、チームアドバイザーに斎藤重信氏を迎え体制強化を図った。 2024年にJ3リーグから[[日本フットボールリーグ]]に降格。チーム初のJFLに挑む。