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**ツエーゲン金沢 -所属リーグ:明治安田生命J2リーグ(2015年から。2014年はJ3所属) -[[公式ホームページ>http://www.zweigen-kanazawa.jp/index.html]] -運営組織:株式会社石川ツエーゲン(代表取締役社長/米沢寛) -ホームタウン:金沢市、野々市市、かほく市、津幡町、内灘町を中心とする全県 -活動地域:石川県 -スタジアム:石川県西部緑地陸上競技場(入場可能数:20261人)2022年城北市民運動公園内にある金沢市民サッカー場を10000人に改修し新ホームスタジアムに -クラブマスコット:ゲンゾー、ナンシー。共にイヌワシがモチーフ、危機に陥いた時、ゲンゾーは正義のヒーローケンゾイヤーに変身する。 -クラブカラー:赤、黒、黄色 -胸スポンサー:北國新聞 -背中スポンサー:北國銀行/澁谷工業 -サプライヤー:アディダス -クラブの沿革: 1956年/金沢サッカークラブ創立 2006年/金沢サッカークラブを母体にツエーゲン金沢創設。北信越リーグ参加 2009年/JFL入れ替え戦に勝利 2010年/JFL昇格。株式会社ツエーゲン設立 2013年/Jリーグ準加盟クラブとなる 2014年/Jリーグ入会。明治安田生命J3リーグに参加 2015年/明治安田生命J2リーグ昇格 石川からJを目指すべく金沢SCを母体に石川県サッカー協会を中心に2005年に発足した。 ツエーゲンはドイツ語と方言「強えーげん」にかけた造語。「2015年、石川SCは北陸新幹線延伸をJ1優勝でお祝いします」(オフィシャルサイトより) 宮沢ミシェル氏をスーパーバイザーに迎え、元Jリーガーの補強を積極的に行い06年シーズンに臨むもいくつかの試合を取りこぼし4位。この時点で早くもネタクラブとしての片鱗を見せた。 2007年も引き続き補強を進め、選手兼任監督だった小川雅己に替えて新たに池田司信氏を監督を迎えるも、結局前年と同じ4位に終わった。 2008年も前半戦は攻撃力が爆発、このまま優勝かと思われたが後半戦に入ると失速、上位との直接対決に敗れるなどの「やらかし病」を発症してしまったが、前年優勝の[[松本山雅FC]]が4位に終わったため、3位でリーグ戦を終えた。シーズン終了後監督が退任。この退任劇を引き金に選手の大半が離反、空中分解と報道された。大幅な運営予算の削減もあって、チーム崩壊とも噂された。また、スーパーバイザーの宮沢ミシェルもチームから離れることとなった。 2009年は監督が交代、ブラジル人選手3人を獲得するなど積極的な補強を行ったものの、前年同様3位でリーグ戦を終えた。しかし全社で準優勝し、地域決勝の出場権は獲得。地域決勝では一次ラウンドを全勝で突破したものの、決勝ラウンドでは決定力不足から3位となり入れ替え戦に回ることとなった。入れ替え戦はJFL17位のFC刈谷に1勝1分でJFL昇格を果たした。 2010年には元日本代表FW久保竜彦を獲得するなど1年でのJ2入りを目指すと言わんばかりの補強ぶりを見せていたが、1月のJリーグ準加盟申請に間に合っていなかったことが発覚、この時点で規定通りなら2011年のJ2入りは不可能になるのだが、クラブ側は「4月に申請する」と発言、監督は「1年でJ2に上がる」と息巻いているが、他サポからは「結局、特例狙いかよw」と総ツッコミを受けた。その準加盟申請に関しては、4月に提出したとクラブから発表されたが、Jリーグから申請の受理と審査実施の発表はなく、事実上の継続審議の扱いとされたが、経緯についてクラブ・Jリーグ共公式発表は無かった。 JFLでのファーストシーズンの成績は14勝12敗8分、勝ち点50の9位に留まり。1試合当たりの平均入場者数も1,547名でいずれも昇格要件を満たすことはできなかった。 2011年はトップチームを前年12月に設立した「株式会社 ツエーゲン」へ運営母体を移管(下部組織は従前に同じく「一般社団法人石川サッカークラブ」が運営)し、2度目の準加盟申請を行ったものの、2月の審査で継続審議という判断となり、会社組織の構築とスタジアム改修という課題に取り組むが、加盟条件を満たすことはできず2011年の準加盟は断念した。 現時点では「派手な選手補強より、マトモなフロントの構築が先」と言われるほどの現状であり、ホームスタジアムの西部緑地の改修に県がやる気がないのも問題である。
**ツエーゲン金沢 -所属リーグ:明治安田生命J2リーグ(2015年から。2014年はJ3所属) -[[公式ホームページ>http://www.zweigen-kanazawa.jp/index.html]] -運営組織:株式会社石川ツエーゲン(代表取締役社長/米沢寛) -ホームタウン:金沢市、野々市市、かほく市、津幡町、内灘町を中心とする全県 -活動地域:石川県 -スタジアム:石川県西部緑地陸上競技場(入場可能数:20261人)2022年城北市民運動公園内にある金沢市民サッカー場を10000人に改修し新ホームスタジアムに -クラブマスコット:ゲンゾー、ナンシー。共にイヌワシがモチーフ、危機に陥いた時、ゲンゾーは正義のヒーローケンゾイヤーに変身する。 -クラブカラー:赤、黒、黄色 -胸スポンサー:北國新聞 -背中スポンサー:北國銀行/澁谷工業 -サプライヤー:アディダス -クラブの沿革: 1956年/金沢サッカークラブ創立 2006年/金沢サッカークラブを母体にツエーゲン金沢創設。北信越リーグ参加 2009年/JFL入れ替え戦に勝利 2010年/JFL昇格。株式会社ツエーゲン設立 2013年/Jリーグ準加盟クラブとなる 2014年/Jリーグ入会。[[明治安田生命J3リーグ]]に参加 2015年/[[明治安田生命J2リーグ]]昇格 石川からJを目指すべく金沢SCを母体に石川県サッカー協会を中心に2005年に発足した。 ツエーゲンはドイツ語と方言「強えーげん」にかけた造語。「2015年、石川SCは北陸新幹線延伸をJ1優勝でお祝いします」(オフィシャルサイトより) 宮沢ミシェル氏をスーパーバイザーに迎え、元Jリーガーの補強を積極的に行い06年シーズンに臨むもいくつかの試合を取りこぼし4位。この時点で早くもネタクラブとしての片鱗を見せた。 2007年も引き続き補強を進め、選手兼任監督だった小川雅己に替えて新たに池田司信氏を監督を迎えるも、結局前年と同じ4位に終わった。 2008年も前半戦は攻撃力が爆発、このまま優勝かと思われたが後半戦に入ると失速、上位との直接対決に敗れるなどの「やらかし病」を発症してしまったが、前年優勝の[[松本山雅FC]]が4位に終わったため、3位でリーグ戦を終えた。シーズン終了後監督が退任。この退任劇を引き金に選手の大半が離反、空中分解と報道された。大幅な運営予算の削減もあって、チーム崩壊とも噂された。また、スーパーバイザーの宮沢ミシェルもチームから離れることとなった。 2009年は監督が交代、ブラジル人選手3人を獲得するなど積極的な補強を行ったものの、前年同様3位でリーグ戦を終えた。しかし全社で準優勝し、地域決勝の出場権は獲得。地域決勝では一次ラウンドを全勝で突破したものの、決勝ラウンドでは決定力不足から3位となり入れ替え戦に回ることとなった。入れ替え戦はJFL17位の[[FC刈谷]]に1勝1分でJFL昇格を果たした。 2010年には元日本代表FW久保竜彦を獲得するなど1年でのJ2入りを目指すと言わんばかりの補強ぶりを見せていたが、1月のJリーグ準加盟申請に間に合っていなかったことが発覚、この時点で規定通りなら2011年のJ2入りは不可能になるのだが、クラブ側は「4月に申請する」と発言、監督は「1年でJ2に上がる」と息巻いているが、他サポからは「結局、特例狙いかよw」と総ツッコミを受けた。その準加盟申請に関しては、4月に提出したとクラブから発表されたが、Jリーグから申請の受理と審査実施の発表はなく、事実上の継続審議の扱いとされたが、経緯についてクラブ・Jリーグ共公式発表は無かった。 JFLでのファーストシーズンの成績は14勝12敗8分、勝ち点50の9位に留まり。1試合当たりの平均入場者数も1,547名でいずれも昇格要件を満たすことはできなかった。 2011年はトップチームを前年12月に設立した「株式会社 ツエーゲン」へ運営母体を移管(下部組織は従前に同じく「一般社団法人石川サッカークラブ」が運営)し、2度目の準加盟申請を行ったものの、2月の審査で継続審議という判断となり、会社組織の構築とスタジアム改修という課題に取り組むが、加盟条件を満たすことはできず2011年の準加盟は断念した。 現時点では「派手な選手補強より、マトモなフロントの構築が先」と言われるほどの現状であり、ホームスタジアムの西部緑地の改修に県がやる気がないのも問題である。

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