もうじき僕は歌わない。@Wiki
解釈(1)
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ヒナを巻き込んで、動き出したのでもう今更逃げられなくなりつつある現状が嬉しくもあり、辛くもあり。でも、お祭りの始まりです。
後は倒れるまで踊り続けるだけ。
後は倒れるまで踊り続けるだけ。
「もうじき僕は歌わない。」から連想するものを、僕も始発点にしようと思っていたので、ネタがかぶるけれども、気にせず(それがblog共通のウリだと信じて)行きます。
1「もうじき」とはどのくらいの未来か。
2「僕」とは誰か。
3「歌う」とはどんな行為か。
4「歌わない」のは「歌えない」とは違うのか。
2「僕」とは誰か。
3「歌う」とはどんな行為か。
4「歌わない」のは「歌えない」とは違うのか。
「歌う」というのは「訴える」だ、というのが昔の国語の教科書にあったのが、僕は印象に残っています。自分の何かを誰かに伝えようとする行為が歌う、だということでしょうか。
でも、それって生きてるってこと、そのものじゃないか。
でも、それって生きてるってこと、そのものじゃないか。
だとしたら、歌わない=死ぬ、と仮置きできる訳で、そうすれば「生きているひとはみんな死ぬ」という大原則のことを指す言葉として「もうじき僕は歌わない」を使うことができるかもしれません。百年後にはみんな死ぬ、その百年後が「もうじき」かもしれない。
「歌わない」は「歌えない」ではない、ということは、殺される訳ではなく、積極的に死を選ぶ選択がそこには含まれるかもしれません。(消極的に歌わない選択だってありえるけど、話が複雑になりすぎるのでまずは相手にしません)
自殺をしたかった高校時代。
大学時代。
社会人。
今。
大学時代。
社会人。
今。
不穏なことは、言い出せばきりがないんだけど。
明日更新予定の解釈(2)に続きます。
カテゴリ: [io] - &trackback() - 2005年11月21日 23:29:44
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