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家を出たネルは、早速飛空挺のチケットを購入しに首都インフェリアーレへ向かった。ラクシャクとの距離はそこまで遠くなく、列車を使っておよそ一時間ほどの場所にある。毎日多数の列車が両都市の間を行き交っている。
運賃を支払い乗車したネルは、家に残してきたルーナのことを考える。家のセキュリティは十分に施してあるが、万が一のことを考えるとなるべく早めに帰った方がいいだろう。
しばらく列車に揺られ、首都インフェリアーレに着いた。富豪が集まる都市と言われるだけあって、装いの華やかな人が多い。また、御子がいる場所でもあるため、至る所で大鐘堂の騎士が周囲に目を光らせている。ネルの友人にも一人だけ騎士がいるが、どうやら今はここにいないらしい。
(時代が変わっても、ここは変わらないな……)
メタファリカが出来る前のパスタリアを思い返していたネルは、帰りを待つルーナを少しでも早く安心させるため、飛空挺の発着場へ急ぎ足で向かった。
リムへの便は、一日に二回しか出ていない。もはや人はほとんど住んでおらず、数少ない物好きが行く以外に利用する人はまずいないからだ。列車の運賃に比べると飛空艇のソレは非常に高く、頻繁に乗れるものではない。しかし、リムに行く手段が飛空挺しかない以上、背に腹は変えられない。二人分のチケットを購入し、来た道を引き返そうとしたその時だった。
「ルカ様!」
声がした方向を見てみると、たった今着いた飛空挺から誰かが降りてくるのが分かった。御子の瑠珈・トゥルーリーワースだ。彼女は外交や祭祀などを行う御子であり、メタファルス政権を担う御子、クローシェ・レーテル・パスタリエと共にメタファリカ大陸の創生を成功させた当人である。
周囲にいた人々は次々と道を開け、御子が通れるようにした。メタファルスに住む人々にとって、二人の御子は尊敬の対象だ。御子本人はそれを見て、困ったような表情をしている。一緒に降りてきた、専属と思われる騎士はため息をついている。
(これは、しばらくここから離れられそうにないな……)
さすがに人の流れを無視して歩くほど、無理なことはしない。下手に騒動になっても面倒だ。
考え事を終えてふと顔を上げると、ルカがこちらに手を振りながらやってくるではないか。少しだけ、表情が硬くなる。公の場で御子と接するのは、あまり褒められたことではないからだ。
「こんにちは、ネルさん。今日は、ルーナさんは一緒じゃないのかな?」
ルカは気さくに話しかけてきた。自分もルーナも、彼女のことは知っている。いや、知っているどころの話ではない。彼女もまた、自分やルーナのことをよく知っている。しかし、問題なのは公の場で話をしていることだ。周囲の人間が黙っているはずもない。
「ルカ?」
専属の騎士がルカに注意を促す。それは、公の場で一個人に話しかけたことに対してなのか、周囲の人を気にしているのか、あるいはその両方か。
その騎士に申し訳なさそうな顔を向けると、一度ルカに向き直る。
「御子様ともあろうお方が、僕のような一介の民を覚えておいでとは光栄です。御子様のおっしゃる通り、今日は彼女は連れておりません。理由は以前お会いした時にお話ししたと存じますが……」
失礼のないよう、言葉を選びながら話す。ルカは少し目を伏せている。
「僕と御子様を除き、彼女は他人と接することが難しい。彼女が怯えるようなことは、僕が望みませんから」
話す口調は淡々と、しかし不快感を与えないように注意して。
ここまで聞いて、ルカは何か考えているようだ。
「クロア、次の行事までどのくらい時間があるか分かる?」
「まだ時間に余裕はあるさ。だけど、何を……?」
ルカは何を考えているのだろうか。彼女は、自分とルーナの関係を知っている。そこから推測されるのは……
「それなら、少しお話していかない?」
この発言。自分にとっては、おせっかいも過ぎると思う。
「ルカ、それは……」
当然、騎士のクロアもそれは許さないだろう。だが
「少し気になることがあるの。お願い、時間は守るから」
御子の意思は誰よりも尊重される。それが示すのは
「……分かった」
クロアの観念した台詞。こうまでされては、自分に否定する権利はどこにもない。
クロア、ルカと共にその場を離れ、喫茶店へ行くことになった。そこに着くまでの間に、帰る時間が遅れることをルーナに連絡しておいた。
喫茶店に入ったのはいいが、やはりネルは奇異の目で見られた。それも当然だ。この場にいるのは御子とその専属騎士だ。その立場とは離れすぎている自分にとっては居場所が悪い。
各々にドリンクを頼む。最初に会話を切り出したのは、もちろんルカ。
「やっぱり、まだまだ時間がかかるのね?」
「ええ。恐怖心を克服させるのは、すぐにどうにかなるものではありません。この間提案して頂いたダイブなら、その限りではないのかもしれませんが……」
話題は、ルーナの恐怖症についてだ。何も知らない様子のクロアを見て、ルカは少しだけ説明をする。それを聞いたクロアは次のように尋ねた。
「つまり、ネルはその彼女に対して何人かダイブを試みている、ということですか?」
「そうですね。もちろん彼女がダイブされることを受け入れた人だけですよ」
「君は、ダイブはしたのか?」
「ええ。詳しくは話せませんが、何度かパラダイムシフトも起こしています」
それを聞いたルカとクロアは驚愕の表情を浮かべた。
「それなら、彼女はもう変わっているはずじゃないの?」
「御子様の疑問はごもっともです。しかし、彼女が変わったのは僕への対応だけです。おそらく彼女の自信がまだ足りていないのでしょう」
自信。言い換えれば、他人に自分を見せるための勇気だ。
クロアはその言葉に確信に近いものを覚えたのか、確認するかのように尋ねた。
「他の人にもダイブをさせて、パラダイムシフトを起こす必要がある、と?」
「そういうことです。彼女自身も、そう言っていましたから」
沈黙。それぞれが考え事をしている。
それを破ったのは、またしてもルカだった。
「ルーナさんと話すことは出来る?」
それは、十分に予想していた台詞だった。ルカがルーナのことを話した後には、必ずテレモで本人と話をしている。
ネルにそれを拒否する理由はない。むしろ話せる相手とは積極的に話をさせておくべきだと考えている。
「テレモを使えば可能でしょう。少しだけ待っていてください」
御子に断りを入れてから、ルーナのテレモに通話を入れた。