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母の想い、子の想い

ゲンブとスザク、流也が帰り、一人になったランカは、二階にいる家族二人のもとへ向かった。

「マナちゃん、アズール、入るよ」
「……どうぞ」

アカネの部屋にいた二人だったが、人の姿のアズールは既に完調、マナも目を覚ましていた。

「ランカ……」
「二人とも、具合はどう?」

ランカの言葉に、マナは「大丈夫、ありがとう」と短く答えたが、アズールは俯いたまま答えない。

「どうしたの、アズール」
「…………」
「アズール?」

何回か呼びかけると、消え入りそうな声で、

「……ごめんなさい、マスター」

そんな答えが帰って来た。

「アズール……?」
「決めたのに……マスターのために強うなるって、決めたのに……ウチ、何も出来んかった……」

彼女を苛んでいたのは、無力感。主であるランカのために強くなると、守るために力をつけると決めて、旅に出た。
それなのに、いざその時になって、何も出来なかった。

「……アズール、大丈夫だよ」

そんな彼女に、ランカは明るく声をかける。

「マスター……?」
「今回は、向こうが一枚上手だった、それだけだよ。それに、お母さんだったら言うよ。『昨日より今日、今日より明日』って」
「……そう、でしょうか」
「そうだよ、絶対。……そうだ。今度、アカノミさんって人……あれ、人じゃないっけ、樹だっけ? とにかく、そこに皆で行くことになったんだ」
「アカノミ……百物語組の一角ですな」
「そうそう。せっかくだからさ、アズールとマナちゃんも行かない?」

提案に対し二人は、

「私は構わない。色々あったし、ちょっと気分転換がしたい」
「……マスターが行かれるなら、ウチが行かへん道理はありません」
「ん、わかった。……じゃあ、先にお風呂入って来るね。今日はここでゆっくり休んでてね」


「……ここは?」

気が付くと、アズールは白波邸の廊下にいた。人の姿を取り、窓から射す陽光を浴びて。

「はて……ウチ、さっきまで寝とったはずなんやが」

寝過ぎて寝ぼけたんやろうか、と考え、とりあえず歩いて見る。

「?」

どうなっとるんや、と疑問を覚えつつ横を向くと、見慣れた扉。アカネの部屋の扉があった。

「そや、マナさんここにおったはずやな」

ノックをしようと手を出して、

「あれ、アズール?」
「マスター?」

横合いから突然ランカの声がした。振り向くと、そこにはやはり主の姿が。

「どないしたんですか、突然」
「わかんない……さっきまで、自分の部屋で寝てたはずなんだけど」
「……何かありますな。ともかく、中に入って見ましょか」
「うん」

用心しつつ、アズールはランカを背中に庇うようにして扉を開け、中に入る。
と、


「こら、アズール! 人の部屋に入る時は、ノックして声をかけなさい! 言ったでしょ、ちゃんと」


『!?』

聞きなれた、そして懐かしい、しかしあり得ないはずの声が聞こえた。それは、

「アカネさん!?」
「お、お母さん!? お母さんなの!?」

扉を全開にして飛び込んだ二人の目に映ったのは、墨色の髪と薄緑の目を持ち、Tシャツとジーンズでまとめた、快活な印象の女性。一児の母とは思えないほど整ったスタイルと長身。
間違いなく、ランカの母にしてシドウの亡き妻、白波 アカネその人だった。
あまりのことに、感激する前に驚愕して硬直する二人。しかし、アカネは二人に構うでもなく、

「ほら、勝手に入らないの。やり直し、やり直し」
「あ、は、はい」

言われるがまま外に出た二人は、改めてアズールを前にノックをする。
コンコン、

「アカネさん、アズールです。失礼します」
「はい、どうぞ」

かちゃ、と扉を開けると、机の前の椅子に腰を下ろしたアカネが見つめていた。

「OK、今度は合格よ。さ、入りなさい」

静かに部屋に入り、扉を閉める。
呆然とアカネを見つめていると、そのアカネが苦笑して、言う。

「そんな所で突っ立ってないの。ほら、こっちいらっしゃい」

招かれるまま、おずおずと歩み出すランカ。

「お、母さん」
「なぁに?」

昔と変わらないその微笑みに、ランカの中で堰を切ったように感情が溢れ出す。

「お母、さん……お母さぁん!!」
「! っとと……よしよし。相変わらずね、ブランカ。甘えん坊なんだから」

無我夢中で、ランカは母の胸に飛び込んでいた。優しく抱きとめてくれたその温もりは、幼い頃の記憶と何一つ変わっていない。あの頃のままだ。
一方のアズールはそのまま立ちつくしていたが、ふと我に帰り、アカネの近くに歩み寄る。

「アカネさん……」
「久しぶりね、アズール」

だが、胸の中で泣きじゃくるランカを抱いたアカネの表情は、どこか鋭い。

「あ、アカネさん? どないしたんですか?」
「どないしたんですか、じゃないでしょ? ランカをおいて突然出て行くなんて、何考えてるの」

―――怒っていた。ランカを置いて旅に出た事に、途轍もなく怒っていた。

「う、いや、その」
「ランカに話したのは聞いたわ。でもね、アズール。ここで、私に、自分の言葉で説明して。とりあえず、きっかけだけでもいいから」
「わ、わかりました」



アズールから改めて事情を聞いたアカネは、ため息をついてもう一度彼女を見た。

「……そういうこと。でもねアズール、さすがにいきなり旅に出ちゃうのはどうかと思うんだけど?」
「で、でも、ウチは強うなりたかったんです。マスターを守るために……」
「気持ちはわかるわ。けど、考えてみなさい。あなたがいない2年の間、ブランカはほとんど一人ぼっちだったのよ? それって本末転倒じゃない?」
「う……」

ようやく泣きやんだランカをベッドに座らせ、アカネはアズールの目を見据える。

「いーい、アズール? 例え相手のためであっても、それが必ずしもそうなるとは限らないのよ。いくら守りたいからって、あなたがいない時に襲われたらどうする気だったの」
「そ、それは」
「終わった事だし、それについてはこれ以上言わないわ。けどね、これだけは覚えておきなさい」

強い意志を宿した目でアズールを見つめ、アカネは毅然と言い放つ。

「これ以上、ブランカに心配をかけないこと。でないと、何度でも叱りに行くわよ」
「は、はい。肝に銘じときます」
「ん、よろしい」

そこまで来て、ようやくアカネは相好を崩した。

「それじゃ……今度は、旅の話を聞かせて、アズール」


「……そ、それは大変だったわね」
「アズール、大丈夫だった?」
「いや、今思うとよう助かったと思いますわ。全く、無茶はするもんやないですな」

ランカを挟んでベッドに座ったアカネとアズールは、3人で昔話に花を咲かせていた。
アズールの旅の話、ランカの近頃の話。

「……それで、大さんとお父さんが来てくれたから、何とか助かったんだ」
「鳴り物入りじゃなくて毎日いなさいよ……全く、ダメな人ね」
「よ、容赦ないですな」
「悪い人じゃないんだけどね……自己中心的になるのが玉に瑕ね」

はぁ、とまたため息をつくアカネ。シドウは確かに善人ではあるが、ともすると自分の判断が先行するのが問題だった。だからこそ、かつては自分が押さえていたのだが。

(いくらなんでも、ブランカを危険にさらすのは頂けないわね)

額に指を当て、どうしてくれようかしら、と密かに思うアカネに、ランカが言う。

「あとね、あとね……」

他愛も無い……しかし、とても暖かい話。家族の事、友達の事、出会った人たちのこと……。
そんな話を、一体どれほど続けただろうか。

「……さて」

ふと、アカネが立ちあがった。不思議そうに見る二人に向けて、部屋の真ん中でくるりと身体ごと振り返ったアカネは、部屋の扉を指して言った。

「―――お話はこれでおしまい。さあ、起きる時間よ、二人とも」
「あ……」

――――夢は終わり。

それを理解して、ランカの目に涙が浮かび、アズールは寂しそうに目を伏せる。
そんな二人の「娘」に、アカネは苦笑しつつも言う。

「私はもう、あなた達を助けてあげられない。でも、忘れないで」


「あなた達には、友達が、仲間がいるでしょう?」


『!』
「辛い事はあるわ。今日みたいに、自分が嫌になる時だってある。でもね、そこで諦めないで。辛かったら、苦しかったら、周りを頼っていいんだから。何もかも自分一人でしなきゃならないなんて、そんなことはないんだから。そして、アズール」
「は、はい」
「自分が弱いと思うなら、強くなりなさい。昨日よりも、今日。今日よりも、明日。明日よりも明後日、少しだけ強くなりなさい。それと、ブランカを守りたいなら、覚えておきなさい。誰かを守るっていうことは、とても大変なことよ。相手を守って、自分も生きなきゃならないんだから。あなたにそれが出来る?」

問われたアズールは、しばしの躊躇を置いて答える。

「……やって見せます。ウチは、そのために旅に出たんですから」
「よろしい。その気慨があれば十分よ。ただし、決して無理はしないこと。いいわね」
「はい、アカネさん」

アズールの答えに、満足げに頷いたアカネは、次に愛娘を見る。

「お母さん……」
「そんな顔しないの、ブランカ。私はもう死んだのよ。こうして話が出来ること自体、本当はあり得ないことなんだから」
「でも、でも、せっかくまた会えたのに」
「寂しいのは私も同じよ。でもね、子供はいつか、親から巣立って行かなきゃならないの。自分の力で、生きていかなければいけないのよ」

―――だが、そう諭すアカネの心は、悔しさと悲しさで一杯だった。

(こんな……こんなことって……この子はまだ14歳……まだ、まだ私が守ってあげなきゃいけなかったのに……っ!!)

娘を守れない。助けられない。その事実が、アカネを締め付ける。
ブランカは確かに強い子だ。だが、それは年齢の割に、ということだ。大切な何かを失えば、崩れてしまう。
おまけに、本来彼女を支えるべきシドウはいない。

(出来ることなら……このまま……!)

だが、それは許されない。彼女はまだ生きている。死んだ者である自分の我が儘で、彼女をこちら側に引き込むことは絶対に出来ない。
それでも、まだ幼い、と言っていい娘をあの渦の中に放り出すのは、母親として絶対に受け入れられない。
―――どれほど拒んでも、現実がある。だから、悲しくても、悔しくても、別れを告げなければいけない。
だからこそアカネは、今すぐにでも娘を抱きしめて泣きじゃくりたいのをこらえ、表には一切そんな素振りは出さず、笑顔の仮面を被ったまま言う。彼女にとって、最後まで良い母親であろうと。

「大丈夫よ。あなたには、頼もしい友達がいるでしょう? その人達がいれば、きっと大丈夫。どんなことがあったって、乗り越えて行けるわ」

そしてそれは、己に向けた言葉でもあった。

「……うん。わかったよ、お母さん。私、みんなと一緒に頑張るから」
「ん……よろしい」

心が引き裂かれそうな痛みを無理に堪え、アカネは扉を開ける。

「さあ、行きなさい」
「―――うん」
「はい。アカネさん……ありがとうございました」

アズールの後を追い、ランカが扉の外に出る。


「――――さよなら、お母さん」


手を振る母親に、笑顔でそう告げて。




「……ぅ……うぁぁああっ……!」

二人が去った後、アカネは崩れ落ちるようにして泣いた。
どうして娘を守れない?
どうしてあの子と一緒にいられない?
彼女を襲っていたのは、他ならぬ彼女自身がアズールに言った「無力感」だった。

(どうして……どうして私は死んでしまったの……!? どうして私が死ななければならなかったの……!?)

まだ、ブランカにも、アズールにも、言っておきたい事が、してあげたいことが両手に余るほどあった。それがあの日、一瞬で潰えてしまった。
病を力で補っていた綱渡り、いつ切れてもおかしくなかった。だがそれでも、この場所―――自分だけの閉ざされた世界で、悔いなかったことはない。
それでも今までは、何とか割り切って来られた。それが今日、不意に娘二人と再会したことで、一遍に崩れてしまった。

二人を送り出した時は、本当に胸が張り裂けそうだった。

「ブランカ……アズール……!」

誰に何にか、アカネは声なき声で叫んでいた。

(お願い……! もう一度、もう一度でいいから……あの子達を、私の娘達を守らせて!! あの子達の傍に、いさせて!!)

振り仰いだ先の視界が、

「―――ッ!?」

不意に、真っ白に染まった。


「――――あれ?」

目が覚めると、ランカは自分の部屋にいた。確かに、さっきまで母と話をしていたはずだが……。

「……夢、だったのかな」

夢。しかし、そう言い切るには現実感があり過ぎた。
母の胸の温もりも、泣いて疲れた目の感覚も、しっかり残っている。

「お母さん……会いに来てくれたのかな」

たとえ夢であっても、母に会えたのが嬉しかった。
彼女の言葉を、しっかりと胸に刻む。

「お母さん……私、頑張るよ。アズールやマナちゃん、綾ちゃんと一緒に」


「だから、空から見ててね」



母の想い、子の想い

(決意する娘は知らなかった)
(自分を送り出した母の想いを)
(その裏にあった悲しみを)




「! 今度は何じゃ!?」
「向こうで音がしましたが……」



(そして、一つの出来事を)

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最終更新:2011年08月26日 13:59