―――少しというには結構な間の空いた、かつての話。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……!!」
男は走っていた。夜の街を、人気のなくなった道をただひたすら走っていた。
正確に言うと、逃げていた。追って来る何かから。
「こ、ここまでくれば……」
足を緩め、安堵しかけたその背中に、
「ねぇ……どこに行くの?」
「ひいいっ!!」
あどけなさを残した少女の声がかかる。そしてまた、弾かれるように男は逃げ出す。疲労さえ忘れて、ただただ逃げる。
こんなことが、1時間も前からずっと続いている。
男にはわけがわからなかった。
(何で、何で、何でだよ!? 何でこんなことに!?)
男は殺人犯だった。しかも、連続殺人犯だった。
ここ最近いかせのごれで頻発していた、少年少女ばかり狙った連続殺害事件の犯人が、この男だった。
動機は――この際関係ない。問題なのは、件の事件の犯人がこいつである、ということ。
今日も今日とて、全くいつものように品定めをしていた男は、部活か何かで帰りが遅くなったらしい女子学生に目を付けた。
後は簡単。さりげなく後をつけ、人気のない所で引きずり込み、息の根を止める。飽きるほど繰り返した、簡単なことだ。
その、はずなのに。
『こっちよ』
『えっ?』
女子学生が角を曲がり、自分の視界から消えた瞬間、そちらの方から呼びかける声と、女子学生の当惑の声。
覗いてみて驚いた。彼女がどこにもいなかったのだ。走ったにしても速すぎる。
『……ちっ、空ぶったか』
悪態をついてその場を離れる男の背に、
『どこに行くの?』
『?』
さっきと同じ少女の声。誰だ、と思いかけて、そうだこいつでもいい、と振り向く。
『……あ?』
いない。気のせいか、と顔を戻し、
『何をしているの?』
また背後から声。悪戯が過ぎる、と怒鳴りつけるべく振り向き、
『!?』
またもいない。隠れたにしては手際が鮮やかすぎる。
体ごと振り向き、慌てて辺りを見回す男に、
『わたしは、ここよ』
またも声。しかも三度、背中からかかる。
弾かれるように振り向くが、やはり影も形もない。日がすっかり沈み、闇が空を支配し始めている。
恐ろしくなった男は踵を返して走り出し、
『ダメ、逃がさない』
四度目の声に、ついに恐慌をきたした。
それから1時間。逃げても逃げても離れる気配のない姿なき―――いや、その表現は正しくないのだが―――声に、男の精神は限界を迎えていた。
発狂寸前まで高まった恐怖感が、彼から正気を奪う。
「どこだ!? どこにいやがる!? 出てきやがれ、ぶっ殺してやる!!」
『嫌よ。その言葉を、そのままお返しするわ』
またも背後から声。振り向いても、やはりいない。それがますます、男を責め立てる。
『楽しいから、暇だから。それだけで、あなたはたくさん殺した』
「だ、だからどうしたってんだ! ああ!?」
『わからない? なら、あなたはここまでね』
そして、その声は言う。男の背後、それも息がかかるほどの間近から。
『わたしと一緒に逝きましょう―――』
「なっ!?」
不穏な言葉に男は振り向く―――そして、見た。
「―――――――!!」
「ふふ……うふふ……」
不気味に笑いながら恐ろしい力で己の肩を掴む、和服を着た血色の目の少女の姿を。叫び声が迸りかけた刹那、
「さぁ――――!!」
少女の後ろに開いた隙間に、男は少女ごと恐ろしい勢いで引きずり込まれた。男が最後に見たのは、裂け目の向こうに広がる、赤い光に包まれた森。
そして、
「!!!!!!!!」
その中から憎悪に満ちた目でこちらを見つめる、己が手にかけた犠牲者たちの姿だった。
裂け目が閉じる。そして、その場から一切の気配は消えた。
本当に本当の話だよ
夜の道を一人で歩いてると、聞こえて来るんだって
後ろから囁くその声が
その声が聞こえたら、返事をしたり、振り向いたりしたら駄目
凄い力で掴まれて、どこかに連れて行かれちゃうんだって
連れていかれたら、もう帰って来られないんだって
囁いてるのは女の子でね
いつも一人で、とっても寂しがり屋
友達が欲しくて、誰かを呼ぶの
でも、連れてきた友達はみんな消えちゃうの
だからその子は寂しくなって、また呼ぶの
友達が出来るまで、何度でも
その子は誰にも見えないの
だって、人の後ろにしか出られないから
誰も見てくれない、誰も気づいてくれない
だから、その子は囁くの
その子はね
ずっとずっと、ずうっと昔
山に捨てられて帰れなくなった、女の子なんだって
「ただいま戻りました」
「ああ、お帰りなさい、
トーコちゃん」
戻ってきた少女を出迎えたのは、巫女服の上から白装束を纏った女性。
開口一番の発言に、サシエと呼ばれた女性は苦笑しつつ答える。白装束から、包帯に吊られた腕が覗く。
「さすがにもうお休みですよ」
「そうですか」
トーコ、と呼ばれた少女は、嘆ずるでもなくそう返す。
先ほどからこの会話、かなり異様なことになっている。というのは、その場にいるのがサシエのみであり、トーコと呼ばれた少女の姿がどこにもないのである。ゆるりと歩くサシエ、常にその背後から声だけが響いている。
「……今晩はいつもより遅かったですけど、何を?」
「散歩のついでに、街の掃除をして来ました」
「掃除?」
サシエは首を傾げるが、トーコは答えず、
「では、また明晩」
そのまま、すっ、と気配が消えた。
「掃除かぁ……意外と律儀ですね、トーコちゃん」
まさか、トーコの言う「掃除」の内容が、「連続殺人犯を異界に引きずり込み、発狂させた」ことだとは欠片も思わないサシエであった。
「かぁ、ごめ、かぁごめ」
夜
闇の中を一人歩くトーコは、知らず知らず歌を歌っていた。
こうなる前のことはほとんど覚えていない。ただ、本来の力である「異界送り」を使った後は、いつも自然とこの歌が出て来るのである。
「かぁごのなぁかの、とぉりぃは」
つたないというか、どことなく舌っ足らずな調子で歌われるのは、「かごめかごめ」。
「いぃつぅ、いぃつぅ、でぇやぁる」
恨み歌だとか、何かの暗喩だとか、埋蔵金の話だとか、単なる遊び歌だとか、色々な説が唱えられている。
「よぉあぁけぇの、ばぁんに」
草鞋を履いた足が、地面を踏むたびにさく、さく、と小さく音を立てる。
「つぅるとかぁめがすぅべった」
その足が、はた、と止まる。
「うしろの、しょうめん」
「だ、ぁ、れ?」
振り向いたそこには―――――――
誘う声
「……何かあったら面白かったのに」
―――ただ、風が吹いていた。
最終更新:2012年08月23日 20:42