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悪夢迷宮・2

 それからアッシュは襲い掛かってくる「悪夢」を打ち倒しながら、迷宮を進んでいった。

 時にはそれは、自らを生み出した存在の姿であったり、

 或いは、共に肩を並べて戦った戦友の姿であったり、

 或いは、自らの親しい者であったり、

 手を変え、品を変え、迷宮はアッシュに容赦無く襲い掛かった。

「はぁ……はぁ……」

 壁に手を付き、額に浮かんだ汗をアッシュは拭う。

 幻覚とは言え、半分は現実だ。一つ一つを対処して行くにつれて、アッシュは確実に疲弊していく。特に、精神の消耗が激しい。実体を伴ったな、極めて本物に近い幻想。例え偽者や幻覚だと頭で分かっていても、その感触がアッシュの心を惑わす。

「う――あぁぁぁぁぁ!」

 幻覚を殴っているのに、自分まで殴られたように錯覚する。

「――あぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 切り裂いた相手は偽者の筈なのに、心が不快感に鷲掴みにされる。

「――あああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

 一つ試練を乗り越える毎に、身体が、心が、冷たくなっていく。

「はぁ……ッ! はぁ……ッ!」

 どれだけの幻覚を、幻想を、悪夢を倒しただろうか。疲弊した身体を引き摺りながら、アッシュは更に奥を目指していた。

『アッシュ、もうこれ以上は無理よ! 大人しく引きなさい!』

 フレイの声が脳内に響くが、今のアッシュにとってそれは雑音も同然だった。

「はぁ……ッ! はぁ……ッ!」

 呼吸が荒く止まらず、目は血走ってギラギラと光っている。立て続け、何度も幻想に襲われたせいだろうか――アッシュは悪夢に魅入られてしまったのだろう。その足はフラフラと、まるで誘蛾灯に誘われる羽虫のように、奥へ奥へと吸い込まれるように進んでいく。

 やがてアッシュは、開けた場所に出た。

「ここ……は?」

 そこは、直径三十メートル程の大きな空間だった。石を鎌倉状に組み、ドームを作っている。部屋の装飾から、どうやら礼拝堂のような場所であるらしい。今までと明らかに造りが違うものの、アッシュの入ってきた場所の丁度真反対側に更に奥へと通じる道があるので、ここが終点と言う訳ではないようだ。

「う……?」

 奥を目指してアッシュが歩き出すと、一体どこから出てきたのか、部屋の中に霧が立ち込めてきた。霧はアッシュが一歩進む毎に濃くなっていき、部屋の真ん中を過ぎる頃には右も左も分からなくなっていた。

 もはや驚くまい――そう思い、ただ部屋を抜ける事だけを考えてアッシュは足を進める。しかし、その足が急に止まった。彼の前方に、その進行を妨げるように立つ人影が見えたのだ。

「……おいおい、まだ何かあるのか」

 もうウンザリだ、とばかりに、アッシュが言う。抜きっぱなしのナイフを構えて、その刃が全く汚れていない事に気付いた。なんて皮肉だ、と彼は力無く笑った。感触ばかり、あんなにもリアルだと言うのに――痕跡が残らないと言う事は、やはりすべては幻覚なのだ。

「もういいぜ……何が出てきたって、僕は驚かない」

 アッシュの感覚は狂いつつあった。悪夢と現実の入り混じったこの空間に長く居座りすぎたせいか、どこまでが嘘でどこまでが本物なのか、彼には分からなくなっていた。

 幻覚から受けた攻撃は、本当にその攻撃を受けたと身体が錯覚し、身体には傷が出来る。
 幻覚を切り裂く感触は生々しく手に残り、しかし実際にはそれが存在していた痕跡は残らない。

 ああ、まさに――皮肉だ。まるでそれは、彼自身の有り様のようではないか。

「さぁ、かかって来いよ。お前も引き裂いて……」

 威勢良く言ったアッシュであるが、その言葉は途中で途切れた。その瞳が、驚きによって大きく見開かれる。

「……おいおい、まさか……ここに来てそれかよ」
『どうしたの、アッシュ? 何が出てきたの?』
「この世で一番……会いたくない相手だよ」

 霧の向こうから、「敵」が全身を現す。それは彼のオリジナル――都シスイの姿をしていた。

「会いたくない相手だけど――ああ、殺り合うなら最高の相手だ」

 歓喜か――それとも、憤怒か。

 ぐにゃりと、アッシュの口元が歪む。これ以上は無い位の三日月を描く。

「どうせなら、一番最初に出てきてほしかったよ」

 しんでくれ、にいさん――消えろ、マボロシと、

 アッシュは、一匹の獣になって飛び出した。

「――――!!!!!!」

 雄叫びを上げ、銀のオーラを撒き散らしながら刃を振るう。二振りの刃。その刃を、「金装」によって身を固めた兄の幻覚が受け止める。

「くそっ――!」

 シスイの身体が燃えるのを見て、アッシュは咄嗟に距離を離した。瞬間、炎が辺りを包み込んだ。

「ぐ……!」

 緋色に変化した髪を揺らしながら、感情の無い瞳でシスイがアッシュを見つめる。

「……ただの、属性付加の能力の筈なのにな……麒麟の強化能力と組み合わさる事で、ここまで化けるのか……!」

 五行の気を取り込む事で、術者に属性を付加する「天装」。だが、シスイのそれはその領域をとっくに超えている。一瞬で周囲を火の海に変えるそれは、もはやパイロキネシスと変わらない。

 アッシュが同じ事をやったとしても、ここまで大きな変化は引き起こさないであろう。そのカラクリはやはり――

「デッド……エヴォリュート、か」

 かつてアッシュに破れ、シスイは死の危機に陥った。おそらくそれは、「一度死んだ」と言っても過言ではない状態だっただろう。しかしシスイは、それを乗り越えて再び立ち上がった。

 死と言う、決して小さくは無い事象。それをトリガーとして、シスイの身に起きた変化は大きかった。ナイトメアアナボリズムとは異なる、もう一つの死を契機とした特殊能力の進化現象。それが「デッド・エヴォリュート」だった。

「――其は、四天の中心に座したる天帝の証」
「ッ!? まずい!」

 シスイが唱え始めた呪文。それが意味するところに気付き、アッシュは腰から短機関銃を抜いた。銀のオーラを纏い、放たれる無数の弾丸。しかしそれらはすべて、「金装」によって鎧と化したシスイの肌に弾かれて意味を成さない。

「目覚めよ、黄道の獣。汝が往くは、王の道」
「うおぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 銃を捨て、ナイフを突き出しながらアッシュは突進した。それは破れかぶれの、特攻と同じだった。

「我、護国の剣と成りて――魑魅魍魎を打ち破らん」
「――ッッッ!?」

 猛烈なオーラが、シスイの身体から噴き出す。その勢いに弾き飛ばされるようにして、アッシュは地面を転がった。すぐさま体勢を立て直した彼の目に映ったのは――右腕に金色の篭手を顕現させた、都シスイの姿だった。

「幻獣拳、麒麟……!」

 右腕に出現した篭手。それが「龍儀真精」の幻龍剣を思わせるのは、決して気のせいではない。都シスイの心象。いかせのごれの救世主、ケイイチへの憧れ。それが能力に反映され、具現化した形だ。

 ドンッ、とまるでジェット噴射のような音と共に、シスイの身体が飛び出してくる。右手の篭手の装甲が開き、そこからオーラを噴射させて身体を加速させたのだ。

「くっ――!」

 そのまま、その勢いを乗せた拳を、アッシュは両手をクロスさせて受け止めた。ミシリ、と腕が軋む。

(互角じゃない――完全に圧し負けている!)

 下からシスイの身体を蹴り上げ、咄嗟に身体を離す。地面に落ちていた銃を拾い上げ、アッシュは引き金を引いた。

「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」

 放たれる弾丸。その瞬間、シスイの右手から吹き出るオーラが動いた。鬣のようなそれがうねり、銃弾をすべて弾き飛ばす。

「な……!?」

 あまりの出来事に、アッシュは驚きを隠せない。そもそも麒麟のオーラに、物理干渉するような力は無い。対象物に纏わせ、溶け込ませて、その性質を強化させる。それだけの筈だった。

 しかし、シスイの「天子麒麟」、否、「天士麒麟」は、それから逸脱している。能力が変質し、別のものに成り果てている。オーラが能力者の意思に応じて様々に形を変え、相手の動作に対応する。

 それはまるで、

「龍儀真精、そのものじゃないか……!」

 アッシュが弾切れになった銃を投げ捨て、ナイフを抜いた。強化を足回りに集中させ、自身が出せる最高の速さで突っ込む。しかしその動きがまるで見えているように、シスイは最低限の動きでかわす。何度刃を振ろうとも、それらはすべて空振りに終わる。

(何だよ、これ……強化の伸び幅が違い過ぎる!)

 加速特化の強化でも、強化されたシスイの動体視力の方が強い。どれだけアッシュが速く動こうと、シスイには止まっているように見えるのだろう。

 いくら武器を強化しようと、当たらなければ意味が無い。そう、言われているかのようだった。

「――ガハッ!?」

 がむしゃらに追撃を繰り返すアッシュの腹に、シスイの拳が突き刺さった。肺の中にあった空気が、身体の外へと追い出される。息が詰まり、視界が明滅する。続けて繰り出された回し蹴りが、アッシュの頭を捉えた。

 身体が跳ねる。宙を舞っているのだろう、全身が浮遊感に囚われている。流れていく視界が、やけにスローモーションだった。

(駄目だ……今の、僕じゃ――)

 そこで、アッシュの意識は途絶えた。

 ――・――・――

「う……」

 意識を取り戻したアッシュがまず感じたのは、鼻腔をくすぐる甘い香りだった。ゆっくりと、彼が瞼を開けていくと、自分の顔を覗き込む一人の女性の顔が目に入った。

「お目覚め、かしら?」

 どこかで、聞いた声だと思った。けれども、その声の主と、目の前の人物とが一致しない。

 女性は、二十代後半ぐらいに見えた。髪の色はクルデーレに似ているが、彼女よりも濃い紫色をしている。黒い大きな帽子を被っており、服の色まで黒い。その姿はまるで、中世や御伽噺に出てくる魔女のようだと、アッシュは思った。体勢から見て、彼はどうやらこの女性に膝枕をされているようだった。

「……もしかして、フレイさん?」
「正解。全く、貴方ったら無茶をして。私が助けに行かなかったら、あのまま野垂れ死んでいたわよ?」
「……ごめんなさい」

 身体を動かそうとすると、身体の節々が痛んだ。シスイの幻覚と戦った時のダメージだけではない。それ以前に遭遇した幻覚との戦いも、アッシュの身体を弱らせていたのだ。

「……ごめん、フレイさん。僕、一番奥まで行けなかった」
「仕方ないわ、たった一人で攻略出来る程、『悪夢迷宮』は易しくないわ……あんなに深い階層まで行けただけ、貴方は大したものよ」
「……フレイさん」
「ん?」
「最後に僕が戦ったの……兄さんの幻覚だった」
「! ……そう」

 アッシュは、フレイから顔を背けた。覗き込めば見える位置だが、彼女はそうしない。

「悔しいなぁ……同じ力を持っている筈なのになぁ……」

 体裁を取り繕っている余裕なんか、もう無かった。素直な感情が涙になって溢れ出す。そんな彼の頭を、何も言わずにフレイは優しく撫でた。

「大丈夫……まだ貴方は、強くなれるわ」
「気休めの言葉なんか要らないよ……」
「気休めなんかじゃないわ。当たり前の事を、当たり前のように言っているだけ……」
「…………」
「都シスイが手に入れた強さは、彼だけの強さ……貴方には手に入れられない」
「…………」
「でも、大丈夫。貴方には、貴方だけの強さがある。貴方だけが手に入れられて、都シスイには得られない物が」
「……本当に?」

 顔を上げて、フレイの方を見上げた。彼女はふわりと、優しく微笑んだ。

「ええ。だから、今は身体を休めなさい。何時か貴方がその強さに届く、その為にも」
「……うん」

 フレイに促されるように、アッシュはもう一度瞳を閉じた。



※作中に出てきた「デッド・エヴォリュート」はアナザー・ナイトメア・アナボリズムに登場した「アナザー・ナイトメア・アナボリズム」ですが本編との混乱を避けるべく改名されています(しらにゅい)

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最終更新:2012年12月09日 14:51