『こちら、フレイ。アッシュ、聞こえる?』
「ええ、聞こえますよ」
カルーアトラズ刑務所、地下。アッシュの〝コネ〟によって入手した情報を元に、地下迷宮への入り口は開かれていた。石造りの階段が、暗い穴の底、奈落へと向かって通じている。
『うん、思念通話は良好ね。もっとも、それも『悪夢迷宮』にはどこまで通用するか、だけど』
「そうですね……ふぅ……」
『……アッシュ、大丈夫?』
「大丈夫、って言いたいところですが……全く、あの人の底無しさ加減には、流石のバイコーンもお手上げだよ」
そう語るアッシュの顔は、若干やつれているようにも見える。情報量の対価を払った結果だ。昨日は遅くまで、〝彼女〟の相手をさせられたのだ。
『貴方は土気で、彼女は木気だもの。相性は最悪だわ。しかも、あれだけの歳月を経た木精ともなれば、もう大妖怪の類よ。たかが、生まれて数か月ぽっちの麒麟が、敵う訳無いじゃない』
「まぁ、それもそうですね」
アッシュは頭に暗視ゴーグルを付けた。武装は、常に携帯しているサバイバルナイフと分解して持ち込んだ短機関銃。狭い迷宮内では、長柄の得物は役に立たないと言う判断からだ。
「じゃあ、行ってきます」
『行ってらっしゃい……生きて戻りなさい』
「まぁ、程々に」
適当にも聞こえる返事をして、アッシュは階段を降りて行った。
――・――・――
「……思ったより、広いな」
迷宮に突入して数分。それがアッシュの抱いた感想だった。
ジメッとした、黴臭い古の気配。果てしなく続いて行く石造りの通路は、頑張れば車が通れそうな位には広い。おそらくは、ここへ
アーネンエルベを運び込む為に、この様に作られているのだろう。
薄ボンヤリと見通せる程度に明るい。一体どう言う作りなのだろうかと、アッシュは思った。
「しかし、拍子抜けだな……スライムの大群なり何なりの歓迎を受けると思ったんだけど」
『もしそれがお望みだったのなら、貴方に勝ち目は無いわよ? それも貴方、火を使う技でも持ってるの?』
「一応」
『……まさか、天装を?』
都シスイが会得した、守人に伝わる奥義の一つ。天装。術者の肉体に五行の気を纏わせ、その属性を付加する技である。シスイに会得出来たのだから、同じスペックを有するアッシュに会得出来ない理屈は無いが――
「それこそまさか、だよ。いかせのごれにちやほやされている兄さんならともかく、造り物の麒麟にあの大地が見向きするとでも?」
言って浮かべたアッシュの表情には、苦々しげな色が浮かんでいた。
都シスイのクローン。パチモン。麒麟の紛い物、偽物。贋作、フェイカー。それらを心象の中に背負うアッシュは、自らのオリジナルであるシスイに強い劣等感を抱いている。それは麒麟の本能から来るものでもあるが、やはり彼はどこかで、麒麟としては歪んでしまっているのだろう。
『……アッシュ、老婆心から言わせてもらうけれど、貴方は偽物なんかじゃないわ』
「止めてよ、綺麗事なんか聞きたくない」
『いいえ、これは綺麗事なんかじゃないわ。当たり前の事を、当たり前の様に言っているだけ……貴方は
AS2、アッシュよ。貴方は、都シスイの偽物なんかじゃない』
「……だけど、僕は兄さんのクローンだ」
『だから、どうしたって言うの? 都シスイの遺伝子をコピーして生み出された存在であれ、それをペーストした訳じゃないわ。都シスイと言う作品から派生した、アッシュ(あなた)と言う別の作品よ。真似事なんかじゃない、絶対に』
「…………」
アッシュは、複雑な表情を浮かべた。そこにある感情は何であろうか。嬉しい、と思いたいのに、それを我慢しているかのような――そんな苦みのある顔だった。
その時、だった。
「……!」
一体何時からそこにいたのか、目の前に一人の女性が立っていた。金髪碧眼で、色白だ。軍服を身に着けており、ハーケンクロイツが目を惹いた。
「わぁお、美人さんだ」
『何? 何か出たの?』
「絵に描いたような軍服美人、の幽霊。ご丁寧に鉤十字まで付けてる」
『……ナチスの亡霊。噂通りね』
『悪夢迷宮』には、無数の人間が人柱として埋められている。死して彼らは迷宮を守るガーディアンとして君臨し、侵入者に襲い掛かる。
相手が何時仕掛けて来てもいいように、アッシュは身構える。しかし亡霊は彼を一瞥だけすると、
闇の中に溶けるようにして消えてしまった。
「……あれ?」
拍子抜けしたように、アッシュは間抜けな声を出してしまった。てっきり戦闘になる、と思っていただけに、この反応は意外だった。
「……ちぇ。振られちゃった」
『ちょっとアッシュ、油断しないで』
「分かってるよ、フレイさん」
軽口を叩きながら、アッシュは歩を進める。見た目こそふざけているが、内心はそうじゃない。表を取り繕うのはアッシュの本領だ。実際彼は、この迷宮に踏み込んだ時点で、常に周囲に気を配っていた。
――だが、それでも彼は、心のどこかで油断していたのかもしれない。
「え――?」
角を曲がった、その先で、彼はあり得ないものを目にした。
そこは、教室だった。見慣れた、いかせのごれの、二年二組の風景。夕暮れ時なのか、赤い光が窓から差し込んでいる。
そして、一人の少女が立っていた。
「あ、二角君だ」
「と、トキコ……ちゃん?」
現れたトキコの姿に、目に見えてアッシュは困惑している。そんな彼を尻目に、笑顔を浮かべながらトキコは駆け寄ってきた。
「二角くーん!」
「うわっ――っと!?」
アッシュの胸の中に飛び込んで来るトキコ。有り得ない出来事に、アッシュの困惑は強くなる。
「と、トキコ……ちゃん?」
「んー? 何で、そんなに驚いてるの?」
アッシュにじゃれ付きながら、トキコが首を傾げる。まるで、こうするのが当たり前と言わんばかりだ。
不覚ながら、アッシュの胸が鼓動を打つ。触れている部分からトキコの体温が、温もりが、そして柔らかい身体の感触が伝わってくる。それは抱き締めれば折れてしまいそうな、華奢な女の子の身体だった。
「だって私達、恋人同士でしょう?」
言って、トキコがアッシュの頬を両手で包み込んだ。ゆっくりと身体を引き寄せる。二人の顔と顔が近付き、後少しでキスしそうな位になった。
――その瞬間、アッシュは右手の刃を一閃した。
「――え?」
胸を真一文字に切り裂かれ、一体何が起きたのか分かっていないような表情のトキコ。空間がブレ、教室が端から崩れだす。
「二……角……くん……?」
「……失せろ、偽者に興味は無い」
吐き捨てるように、アッシュは言う。その瞳は、普段の彼とは別人な位に冷たい。
そしてアッシュの言葉に圧されるように、教室は完全に崩れきった。後に残ったのは、先程までと同じ、薄暗い迷宮の通路だった。
『……アッシュ、何か見えたの?』
「ああ……胸糞悪いものを見せられた」
敬語を使う事はせず、思わずアッシュは素の口調で答えてしまう。傍目に見て、彼はとても苛立っているようだった。
「……ふざけんじゃねぇよ……肉を切る感触まであるじゃねぇか……」
『……そう、それよ。悪夢迷宮の一番の恐ろしさ。その空間は、夢と現実が交互に入り混じっている……いえ、正確に言えば、幻想が現実を侵食している、と言った方が正しいかしら……夢限や、ナイトメアカタボリズム、それと同じ理屈よ』
フレイが説明してくれているが、その半分もアッシュの耳に届いていない。今見せられた幻覚のせいで、完全に頭に血が昇ってしまっていた。
「オーケー、オーケー……ゴースト共、お前らがそのつもりなら、こっちもそのつもりだ……一匹残らず切り刻んでやるから、覚悟しておけ」
本来、麒麟が持つべきでないもの――殺意を全身から漂わせながら、アッシュは闇に溶ける迷宮を睨み付けた。
最終更新:2012年12月01日 18:21