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<月下昇天>

「おりん」

 タマモの呼び掛けに、桜の木の下で遊んでいた「りん」は振り返り、笑顔を浮かべながら駆け寄っていく。

「タマモ!」

 タマモに抱き着くと、「りん」は嬉しそうに頭を彼女に押し付けてくる。その様子がおかしいように、タマモは笑った。

「これこれ! ……全く、お前さんは甘えん坊じゃのう」
「えへへ~」

 タマモに頭を撫でられ、嬉しそうに「りん」は笑う。

「そろそろ日が暮れる。寺へ戻るかの」
「うんっ!」

 夕焼けに染まる街の中で、二人は手を繋いで帰っていく。

 タマモは願わずにはいられなかった。

(出来る事なら――)

 叶うなら、

 このまま、この穏やかな日々が続いてくれる事を。


 ――・――・――


 八岐大蛇との決戦の日。

 秋山寺院は、さながら野戦病院のような有り様だった。

「い、痛い! 痛い――!!」
「春美ちゃん、もうちょっと優しくしてよー!!」
「ご、ごめんね、みんな! ちょっと我慢して!」
「あだだだだだだだ!!!!」

 境内に溢れかえりそうな程の妖怪の群れ。誰もが大なり小なりの怪我をしていた。包帯や治療の跡が痛々しい。

「全く、何だい何だい。さっきまで勇ましく戦ってた奴らが、そんな声出しちゃって……イタッ!?」
「包帯塗れで強がっても、何にもならんぞ、珠女」
「く、くっそぉ……」

 皆傷だらけであるが、その表情は明るい。真夜中の激戦を、誰一人欠ける事無く生き抜き、そして勝ったのだ。一部では、夜が明けたばかりだと言うのに、酒盛りをしている面子まで見られる。

「全く騒々しいのぉ……おかげで、おちおち寝ていられんわい……」

 そんな騒々しい百鬼夜行の群れを、縁側からタマモは苦笑しながら眺めていた。

 その姿も、他の者達と同様に包帯だらけだ。特に彼女は、誰よりも長く大蛇と戦闘していたせいか、その妖力の消耗は激しい。しかし、境内から聞こえて来る活気から元気を分けて貰ったのだろうか、こうして立って歩ける程度には回復したようだった。

「やれやれ、しんどいのぉ……」

 それでも立ちっぱなしは辛い様で、近くの柱に寄り掛かる。

「何なら、肩を貸しましょうか?」
「いやいや、そこまでには及ばんよ――!?」

 タマモはその時、自分の隣にいる人物の姿に目を見開いた。

「お、お主は……」
「お久しぶりですね、狐のお姉さん。よくぞ、あの八岐大蛇を相手に生き残りましたね」
「……麒麟の、紛い物か」
「やだなぁ。もっと洒落た名前で呼んでくださいよ――双角獣(バイコーン)、ってさ」

 そこにいたのは、この事件の始まりに出会った少年――アッシュだった。

「……思えば、今回の一件はお主のあの言葉から始まったようなものじゃ。あの僧侶の背後にいたのは、お主達ホウオウグループか?」
「それに関してはノー、とお答えさせて頂きます」
「どうだかの。敵の言葉の真偽など、ワシらには分からない話じゃ」
「だったら、一言付け加えさせてもらいます。今回の事件の主犯、灰炎無道は、僕らのリーダーであるジングウとは相容れない思想の持ち主です」
「何?」
「貴方達だって見たでしょう……彼の考えは破滅思想だ」
「それを言ったら、ジングウの思想も同じじゃろう」
「いいえ。ジングウの考えは、あくまで生命有りきですよ。そして誰よりも破滅を忌み嫌っている。彼が推し進める進化がまさにそれだ。生物が進化するって事は、それだけ死から、破滅から遠ざかるって事なんですよ。ナイトメアアナボリズムなんか、まさにその典型じゃないですか」

 進化が昇る事なら、

 進化が前進を意味するなら、

 それは確かに、死や破滅とは真逆の事象だ。

「まぁ、利用はさせて貰いました」
「何じゃと?」
「彼の思想は気に食わないが、その行動を利用する事は出来る……彼は『火種』として、十二分の働きを見せてくれました」
「火種……そこが分からんの。お主はジングウが生命有りきと言っておきながら、実際はその命を奪うような事ばかりをしておる。いつかお主らがやったウスワイヤの襲撃にしてもそうじゃ。矛盾しているのではないか?」
「いいえ。僕らの行動に矛盾なんかありません」
「なに?」
「生き物が、もっともその命を輝かせるのは何時の瞬間だと思います? どうすれば、生命体がその存在をより高い存在へと高めると思います?」
「……まさか」
「その通り! 命は死に抗う事によってその輝きを高める! 自らの限界を超えようとする時、その存在は更なる高みへと昇る! 都シスイが天士麒麟になったのも! 火波スザクがデッドエボリュートによって新たな力を得たのも! すべては死を跳ねのけ、自らの障害に抗った結果!」

 つまり、彼らは、

「意図的に人間が生命の危機に陥る状況を作り出し、超能力を発現させる、或いは能力を進化させておったのか……!」
「往年の人気漫画に習うなら、『Ecactly』ってところですかね」

 アッシュは愛らしい、魅力的な微笑を浮かべたが、タマモはその背後に濃い闇を感じられた。確かに彼らはあの僧侶とは真逆にいるが、彼らの行いはそれ以上の邪悪さを孕んでいる。

「お主らは……いかせのごれで巫蠱をするつもりか……ワシらは皿の上に載った蟲ではないのだぞ!?」
「ええ。皿の中で殺し合え、なんて言いませんよ。是非とも皆さんには、昇って来て欲しいです。もっともここは皿の上ではなく、壺の中ですが」

 そう言うと、アッシュは庭に降りた。みんな宴会騒ぎに熱中していて、タマモ以外に彼の姿に気付いた者はいない。

「あ、そうだ。一つ言い忘れてました……あの子、どこにいます?」
「……誰の事じゃ?」
「八岐大蛇の巫女にされた、反魂の女の子ですよ。確か……おりん、とか呼んでましたっけ?」
「お主には関係無いじゃろう。この上まだあの子を利用すると言うのなら、妾は黙っておらんぞ」

 タマモの身体から瘴気が漏れ出す。それに当てられ、周囲のものが腐敗していく。消耗して尚もこれだけの力を見せるタマモの様子に、アッシュは感嘆するようにため息をついた。

「流石、大妖怪はケタ外れだ。安心して下さい、僕らはあの子にこれ以上の事は求めません」
「……本当にか?」
「ええ。だって――もうあの子、そんなに長くないですし?」

 その言葉で一瞬、タマモの頭の中は真っ白になった。

「……なん、じゃと?」
「蘇生から半月、ってところですかね。まぁ、持った方じゃないですか? ……あれ? その様子だと気付いてなかったんですか? ……それとも、見て見ぬ振りをしてました? だって、ちょっと考えれば分かる事でしょう。反魂香の効果は有限ですよ。死人がああやって生身を得て生きているだけでも奇跡なのに、そんな奇跡がいつまでも続いてくれる訳無いじゃないですか」

 アッシュの言葉は、呆れているようだった。「貴女ともあろう者が、そんな事にも気付かなったのか」と言わんばかりの口ぶりだ。だが、アッシュの言葉は、タマモの耳に全く入ってこなかった。

「おりんが……死ぬ……?」

 せっかく助けたのに。命懸けで、今度こそ守れたと思ったのに、

 それなのに、

「死ぬ、って言うのは、ちょっと違うんじゃないですか? だって、あの子はもう死んでるじゃないですか」
「それはっ……!!」

 言い返したくても、タマモには言葉が無かった。

 「りん」の存在は、本来在ってはならない奇跡だ。本当なら居ない者が居ると言う奇跡。

 打ちひしがれているタマモを尻目に、アッシュはその場から歩き去って行く。

 タマモは――何も出来なかった。アッシュはホウオウグループの一員なのだから捕らえるべきだっただろうし、何より彼から「りん」の命を長らえさせる方法が聞きだせたかもしれなかった。

 だが、タマモは動かなかった――動けなかった。

 心のどこかで彼女は、この現実に納得してしまっていた。「りん」はここに、現世に居ていい存在ではないのだと。

 突きつけられた現実よりも何もよりも、その「納得」に、彼女は打ち据えられてしまっていた。



 ――・――・――


「すっかり暗くなってしまったのぉ……それと言うのも、おりんが道草して遊ぶからじゃぞ」
「あぅ、ごめんなさい……」
「はっはっは、冗談じゃ、冗談。見ろ、おりん。今宵は満月じゃ」
「うはぁ、キレー! タマモの髪の毛みたい!」
「むむ? 褒めたって何にも出んぞ?」
「あはははー」

 すっかり日が暮れてしまい、代わりに月が街並みを照らす中を、タマモと「りん」は歩いていた。

「タマモ、どうしたの?」
「む? いや、何でもないぞ」
「そう? 何だか、悲しそうな顔をしてたけど……」

 首を傾げる「りん」に、「何でもない」とタマモは返す。

 アッシュに宣告されてから数日。タマモは表向きこそ平静を装っていたが、心中は全く穏やかではなかった。

 誰かに、「りん」の身に起きている事を伝えたかった。その命を長らえる方法も、探したかった。

 だが、これが彼女の選択だった。

(許せ、おりん……)

 すべての者には、それが在るべき居場所がある。生者にはその命を全うする為に現在があり、死者はその命が還る為に死後がある。

 そうだ。死者の手で生者が害される事などあってはならない。それと同じ様に、死者は現世に留まってはならない。

 八岐大蛇を倒した、灰炎無道を否定した自分達に、「りん」の命を肯定する資格など無い。無道を否定しておきながら、「りん」が生きる事を認めるのは、ただの自分の為のエゴに過ぎない。

(何て事じゃ……本当に、妾は……)

 「りん」を追って走っていた、その時の夢の光景が浮かぶ。

 そうだ。彼女自身が言っていた。自分には「りん」を救う事など出来ない、と。

(妾は……妾はなんて、無力なんじゃ……!!)

 人を殺す程の毒を自由に扱える。八岐大蛇と戦うほどの瘴気も持っている。百年以上も生きて多くを見て来た。

 だが、それが何になろうか。何も出来ない。「りん」の為に、彼女は何もしてやれない。こんなちっぽけな少女一人、救ってやる事も出来ない。

「……タマモ?」

 彼女の異変に気付いて、「りん」はタマモを見上げていた。何時の間にか、タマモは泣いていた。頬を伝って、涙が零れる。

「どうしたの? どこか、痛いの?」

 タマモを労わるように、「りん」が彼女を抱き締める。その身体をタマモは抱き返すが、手に力が入らなかった。

「うっぐ……すまぬ、すまぬ、おりん……」
「タマモ、何で泣いてるの? りん、何か悪い事した?」
「違うっ……お主は悪くない……何も、悪くない……!」

 衣越しにも分かる。この子の体温が。死人などではない。今この瞬間、確かに「りん」は生きている。死んでいるが、生きている。その体温が、その感触が、ここにいてくれている実感が、何もかも愛おしかった。

「謝るのは妾のほうじゃ! 妾は、お主の為に何もしてやれない……妾はお主からこんなにもたくさんのものを貰っているのに、お主の為に、何もしてやれん……!」

 「すまぬ、すまぬ」と言いながら、タマモは子供の様に泣きじゃくる。そんな彼女をあやすように、「りん」はタマモの頭を撫でた。

「……ううん。タマモは、りんの為にたくさんくれたよ」
「おりん……?」
「今ね、こうしてタマモとお話し出来るだけで、りんは嬉しいんだよ? 百物語のみんなや春美お姉ちゃんと一緒に遊べるだけで、りんは幸せなんだよ? りんはね、タマモに出会えなかったら、こんな風に出来なかったんだよ?」

 タマモに向かって、「りん」が微笑む。幼い彼女には不釣り合いな、穏やかで落ち着いた微笑。その表情は今まで見た事が無いような笑みだった。

「お、りん……? お主、まさか……」
「タマモ、自分を責めないで。りんはタマモと一緒にいられて、幸せだったよ」

 タマモの手を、「りん」は小さな両手で握った。そしてその手から、ゆっくりと体温が無くなっていく。ハッとしてタマモが彼女を見ると、その身体がゆっくりと透けていくのが見えた。

「そんな……おりん!」
「ごめんね、タマモ……もう私、一緒にはいられないみたい」

 足元から、まるで糸が解れるように、金色の光になりながら、「りん」の身体が消えていく。反魂香の効き目が無くなり、現世に仮定構築された肉体が分解されているのだ。魂の器である肉体を失えば、「りん」はもうこの世にはいられない。彼女にとって、これは二度目の死だ。

「お主、自分がもう長くないと知っていて……」
「ごめんね……悲しませたくないから、ずっと黙ってたの……だけど、タマモも気付いてたんだね。流石、九尾の大妖怪!」

 死に際だと言うのに、おどけるように「りん」は言う。それがタマモには、自分を泣いてほしくないと言う「りん」の気遣いなのだと、痛いほど分かった。

「何が……何が九尾の大妖怪じゃ! 妾は……妾は獣じゃ! 一匹の畜生じゃ! 命を奪っても命を守る事は出来ない! 人に化けて人間の振りしか出来ない、卑しい卑しい畜生じゃ!」
「ううん、違う。タマモはね、全然卑しくなんかないよ」

 ほとんど実体の消失した手で、「りん」はタマモの頬に触れた。

「タマモはね、凄く優しいの。優しいからね、亡くしてしまったものをいつまでも大事にしてあげられるんだよ」
「おりん……」
「だからね、その気持ちをもっと、自分と一緒にいてくれるものの為に使って」

 かつて、自分の親を失った時。その命を奪った遊女だけでなく、関係の無い者達の命までタマモは奪ってしまった。
 怒っていた、憎んでいた、恨んでいた、憎んでいた。
 皮肉な話だ。「はは」がタマモへと注いだ愛の分、彼女がタマモを照らした分、その影は濃くなってしまったのだ。
 だが、タマモは陽光が無ければ輝く事の出来ない月などではない。
 彼女には、「はは」から貰った愛情がある。彼女から貰った器がある。タマモもまた、太陽なのだ。「はは」から受け継いだ暖かい陽光が、彼女の中にもあるのだ。

「だってりんは、タマモと一緒に居られて、タマモの傍に居られて、とってもとっても暖かかったんだよ! ……だからね、その暖かさを、色んな人達に分けてあげて」

 「りん」の身体が、もう半分以上消えていた。実体だけならもう無くなってしまっている。半透明のホログラフのように、その身体を掴もうとしても、タマモの手は空を切った。

「おりん……!」
「……泣かないで、タマモ……」

 消える。「りん」の身体が。タマモに向かって浮かべられた笑みも、見えなくなっていく。

 ――バイバイも、さようならも、言わないよ。

 それが、「りん」の最後の言葉だった。

 風に乗って消えていくように、彼女の身体は、光の粒になり、空に向かって昇っていく。昇天していく「りん」の魂を、タマモは涙で滲んだ眼差しで見送っていた。



 <月下昇天>



(人は死ぬ)

(されど、その行いや想いは、現世に残る)

(死は終わりではない)

(肉体は滅びても、その想いは残された者と共にある)

(だから言わない)

(バイバイも、さようならも)

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最終更新:2013年03月05日 19:59