色のない森。
かつてそう呼ばれていた灰色の森は今は緑の海に包まれ、本来そこにあった厳かな姿を取り戻していた。
森の奥には樹齢何百年とも思わせるほどの大樹があり、その周りを囲むように澄み切った泉が広がっている。
ここで何が起きて、どのような争いがあり、誰が泣き、嘆き、苦しみ、そして立ち向かっていたか。
その出来事を知ろうとする者なんて、恐らく誰も居やしないだろう。この森に広がる美しさを前にすれば、それすら億劫となってしまいそうだから。
さて、その”元・色のない森”へ一人の
来訪者がやってきたのであった。
「………」
バサ、と羽音を立てて地に足を付けたのは、異様な風体の男である。
気だるげな雰囲気と、山伏の持つ錫杖、そして人間にはないカラスの翼。
黒翼の彼は大樹へ向かって歩くと、ある程度距離が縮まったところで立ち止まり、上を見た。
頭の上では透き通るような水色の若葉が広がっており、その隙間から太陽の光を零している。
光の加減で葉の色が変わる姿は、どこかの童話のフレーズにあった絵にも描けない美しさそのものである。
男はそう呟くと、錫杖を土に刺した後、ドカッ、とその場に胡座を掻いて座った。
その表情はどこか、憂いを帯びている。
「お前と、お前が昔会った子供達と、そのオトモダチ達が頑張ったおかげで、森を取り戻す事が出来た。
…こんなに、綺麗だったんだな。そら
神秘の森って呼ばれるわな。」
彼が後ろを振り向けば、ぬいぐるみのようにふんわりとした小鳥達が、ピチチ、と鳴きながら空を飛び回り、時折、湖の水面に足を引っ掛け、水遊びを楽しんでいる。
パステルカラーの花々の上を色鮮やかな蝶が舞い踊っている。
生命に満ち溢れたこの光景を見ていると、忘れていた何かを思い出せた、そんな懐かしさが沸き起こってくるようだ、と男は心の中で呟く。
「…なぁ、ハーディ。お前は、本当に…諦めないで、よく頑張ったよな。」
故郷の森と、それを見せると約束した友人達と、その美しい思い出を取り戻す為に、彼は頑張った。
悠々と構えているその姿とは裏腹に、願いに対する渇望はとても強く、また焦りも感じさせた。
男にとって、ハーディの葛藤を理解するのは難しかった。だから、そんな思いをするぐらいなら諦めた方がいい、などと言ってしまい、
本気で彼を怒らせてしまった事があった。
『君に、私の想いなど…理解する事は出来ないだろうね…』
そんな言葉と悲しげな表情を共に返されたのを、男は今でも覚えている。
しかし、
「今なら、お前のその気持ち…理解出来る気がする。とても、大切なものなんだよな。」
そう言って、目の前の大樹に語りかけた。
その返答は、返って来ない。
返って来る筈が、ないのだ。
「………」
彼は、ここにいない。
「…ハーディ…」
さわ、と心地良い風が耳の横を通り過ぎ、髪が僅かに浮かび上がる。
先程まで聞こえていた鳥もどこかに行ってしまったのか、森は死んだかのように静まり返っている。
男は森の奥で、ただ独りとなってしまった。
「……ハーディ…お前…これ、好きだったよな…」
男は自前の袋から何かを取り出し、大樹の前へ置いた。
七輪と木炭、それを燃焼させる為のマッチだ。そして、もう1つ取り出す。
「今、焼いてやるよ……お前の大好きな、ジンギスカ、「人の森で何しているんだカザマ!?」
ラム肉パックを取り出そうとした瞬間、黒翼の男…風魔は背後から頭をスパン!と叩かれてしまった。
小気味良い音が森に響き渡ると、どこに隠れていたのか、鳥達が一斉に飛び立っていったのであった。
「いや、いい天気だし……外でバーベキューを。」
風魔は叩かれた箇所を押さえながら、背後へ振り向いた。
叩いた犯人は緑色の服を身に纏い、特徴的な帽子を被った男…この森の主で、先程風魔が弔っていたハーディであった。
いや、正確には、死んでいないのにあたかも死んだように弔っていた、だ。
「…ばあべきゅうっていう場所でもないし、下手すれば火災に繋がるんだよ?」
「つーかいつからいたの。」
「お前と、昔会った子供達と、のくだりからここに帰ってきてたけど…?」
「やだァん筒抜けェ?」
―――今すぐその巫山戯た顔を思いっきりそこの湖に突っ込んで浄化してやりたい。
クネクネと気持ち悪く身体を曲げる風魔に、温厚なハーディも思わずそんな衝動を抱き掛けてしまった。
しかし実行に移すことはなく、彼はハァ、とため息に収束させると、風魔から袋を奪い取り、今しがた取り出した道具類を片付け始めたのであった。
片付けながら、彼は風魔へ問いかける。
「というか、何故私を勝手に殺してるんだい?酷いじゃないか。」
「そういうところが見たいって、神のお告げが。」
「君、たまに変な事言うよね…」
「俺が言ってるのは真実だぜ?
ホウオウグループにここ教えた事もな。」
「……は?」
ハーディは思わず耳を疑ってしまった。
しかし風魔はそれを気に留めず、言葉を続けた。
「アースセイバーや警察が立ち入って、ホウオウグループが知らないわけないだろ?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ……つまり、君は、…ここを売った、というのかい?」
「まぁ、そうなるけど。俺、ギブアンドテイク主義だぜ?」
「……カザマ…君は、なんてことを…」
やっと平穏が訪れたというのに、心休める暇もないのかとハーディは心底嘆いた。
風魔の性格を熟知していなかったわけではない、だが彼は友人で、
多少なりとも身内には情があるからよもやそんな真似をするわけはないだろう、と甘く見ていた部分はあった。
森の主は暗い未来を思い表情を曇らせたが、烏天狗は次にこんな事を言ったのであった。
「ちゃんと言っておいたぞ、『アースセイバーが巡回している可能性があるから、直接介入するなら俺を通した方が早い。
無駄なリスクを背負うのはあんたららしくないだろ?』って。」
「え…」
「な?俺ちゃんと言ったろ?」
ハーディは言葉を返す代わりに、苦笑を漏らした。
ああそうか、やはりこの烏天狗は、ハーディの知る風魔で間違いはなかったのであった。
暗に無防備に晒されているこの森を護ってくれる、と示してくれたのであったから。
安心して片付けを再開したハーディの横で、あ、と風魔が声を上げた。
顔だけ彼の方へと向けると、口をぽかんと開けてこちらを見つめている。
「どうしたんだい?」
「アレ、どうしたんだ?」
そう言って風魔は、己の手首を指差す。
その意図を理解したハーディは、ああ、と声を漏らし、返答する。
「あげたんだ、あの子に。」
「へぇ、いいの?カノジョとの思い出だろ?」
「…いいんだ。」
ハーディが苦笑しながら、袋の紐を引っ張る。
「…ふーん。」
風魔は後追いせず、その様子をただ眺めているだけだった。
会話が止まり、二人の間に少しだけ、静寂が訪れる。ハーディの視線は、どこか遠く見ているようだ。
ややあって、風魔が口を開くとこんな事を呟いた。
「『過ぎたことを振り返る暇なんてない。アタシは立ち止まらない。前に進み続けるよ。』」
「!それ、は、」
それは、ハーディがあの友人…榛名有依から聞いた言葉そのものだ。
風魔はその場にいなかった筈なのに、彼の口から発せられる一字一句、彼女のあの言葉であった。
驚くハーディを余所に、烏天狗はいつも通り、眠たげな表情を彼へと向けた。
「『アタシは忘れない。さよならなんて言わないぜ。ずっと一緒だ。』」
「………」
「いるんだろ?お前の、そこにも。」
そうか、彼が自分に伝えたいのは。
彼女が、と風魔は言葉を付け足して、ハーディの左胸を指差すと、彼は自身の左胸を抑えて、目を閉じた。
「……ああ、そうだな。ここに、いる。」
慈しむように、懐かしむように、想いを馳せるように。
彼女の姿も、声も、思い出も、全てそこに詰まっているのだと確かめるように。
ハーディはただ胸を抑えて、彼女を…ミハルを、思い出すのであった。
「ハーディ、」
「ん?」
「そういや、これ言ってなかったな。」
"おかえりなさい"
(何故君がそんな事を言うのだと羊は笑ったが)
「…ただいま。」
(穏やかな表情で烏天狗にそう告げたのであった)
最終更新:2013年12月23日 10:32