君は言う
「善行のためには戦いを犠牲にせよ」と。
私は言う
「善戦のためには万物をも犠牲にする」と。
___ニーチェ「ツァラトゥストラ」より。
「たまちゃーん、遊びにき・・・あれ?」
緑音ののかがいつものように保健室に入ると、養護教諭・・・この学校では
「保健医」と呼ばれている、
玉置静流がソファにもたれて寝ていた。
いつもののかが保健室に行くとタマキは、
「あぁ、ののかさん。いらっしゃい。」
と天使さえ顔負けする、とびっきりの笑顔で迎えてくれるのだが、
今日は珍しく昼寝をしているようだ。
「・・・お邪魔しちゃったかな?」
ののかがそーっと顔を近づけてみると、タマキの口から規則正しい寝息が聞こえてくる。
目の前で手を振ってみるが、起きる素振りも見せない。どうやら本当に熟睡しているようだ。
「・・・・・・・・・」
不意にののかが不敵な笑みを浮かべた。
人間とは、実に好奇心旺盛な生き物である。
普段触れることの出来ないものに触れられる機会が出来ると、どうしても触りたくなるもので、
それはののかとて例外ではなかった。
よく彼女はタマキに頭を撫でられているのだが、一度そのふんわりとした髪を撫でてみたいと
ののかは密かに思っていたのだ。
今がまさにチャンスである。
「起きないでねー・・・」
ののかはそう言って、そっ、とタマキの前髪に手を伸ばす。
窓からくる隙間風で、その髪が少しだけ揺れた。
あと、数センチ。
「あと、ちょっとー・・・」
ののかの指先が触れるか否か、その瞬間であった。
「わ!?」
突然、ののかの視界が逆転した。
次にぼすっ、と頭の後ろに柔らかい感触を感じ、それがソファにおいてある枕だと
彼女は分かったのだが、その直後、額に何か固い物が押し付けらる。
「え・・・?」
それは刑事ドラマや映画などでしか見たことのないハンドガンの銃口で、
保健室とはあまりにかけ離れた存在に、ののかは眼を丸くした。
そして妙な息苦しさと、首元の違和感にようやく危機感を悟ったのであった。
___人間とは兎角も不思議な生き物で、意識が視界と結びついていないと、
目の前の光景はまったく頭の中に入らず、何が起こっているかも理解出来ないらしい。
だから、彼女はもっと重要なことに気付けずにいた。
自分が誰に首を絞められ、かつ銃口を突きつけられているのか、ということを。
「・・・っ!?」
逆光に目が慣れ、ようやくののかはその人物を認識することが出来た。
その犯人はいつも優しく自分を出迎えてくれる、タマキであったのだ。
しかし、そのタマキは自分の知っているタマキシズルとは酷く違い、目つきは鋭く、
手の力は強いというよりも絞め殺す勢いで押え付けており、
片手で持っているハンドガンは今にでも弾を撃ち放ち、彼女の頭を吹き飛ばしてしまいそうな、
そんな重圧がののかに重く圧し掛かってくる。
そして何より、濃厚な殺意が雰囲気からも嫌でも伝わってくる。
今にも殺されるかもしれない、そんな緊張感に包まれながらもののかは、
どこかで見たことあるような気がする、こんな人、とそんなことを考えてしまった。
そして彼女は、はっ、と気が付いた。・・・そうだ、今の先生の姿はまるで、
「ぐん、じん、さん・・・」
「!」
か細い声でののかが呟くと、憑き物が取れたかのようにタマキの手の力は弱まり、
鋭い眼からいつもの優しい眼に戻っていた。
そして彼は自分が何をしてしまったか気付くと、慌てて上から退き、ハンドガンを捨て、
彼女を抱き起こした。
「の、ののかさん!すいません、っ僕・・・!!」
「あ、えっと、だ、大丈夫だよ、たまちゃん!ちょっと首痛いけど・・・」
ののかがそう言って苦笑するが、タマキは表情を暗くして俯いた。
何か言わなければ、と彼女は普段使わない部分まで頭を使い必死に言葉を探すが、
何かを言う前にタマキは彼女から離れ、こう言った。
「ごめんなさい・・・その・・・今、治療しますから。」
「たまちゃ、」
引き止めようと伸ばした手は、虚空を掴んだだけでタマキを止めることは出来ず、
彼はそのまま奥へと消えてしまった。
「・・・・・・・・・」
行き場のない手を見つめ、ののかはため息をついたのであった。
***
昔の夢を見た。
そう遠くはないかもしれない、過去の夢。
友人達と共に戦場を駆け、時に人を殺し、時に人を助けていたあの頃。
苦しくとも、懐かしいあの日々。
懐かしいけれども、その夢は途中で途絶え、「僕」は暗闇に突き落とされた。
そして
闇の中、かつての戦友が、・・・白骨化した友が「僕」の足を掴み、「俺」にこう囁くのだ。
クルシイ
タスケテ
イタイ
ナゼオマエダケ
タスケテ
ミステルナ
タスケテ
タスケテ
・・・タスケテ、グンジンサン。
そして、背中に貼り付いたあの少女が「俺」を___
そこで目が覚めて、気が付けば「俺」はののかの首を掴み、護身用として持っていたハンドガンを、
まだ幼い彼女の額にへと突きつけていた。しかし、そこで「僕」は彼女が緑音ののかだと気付くと、
慌ててそれを捨てて、彼女に怪我が無いか尋ねた。笑いながら大丈夫だとは言っていたが、
僕はその首につけられた・・・いや、僕自身がつけた傷を見ていられなくなってしまい、
半ば逃げるように薬箱を取りに行ったのだった。
昔の悪い癖だ。あれは、突然寝込みを襲われたらそう切り返せと鬼教官に無理矢理身体に覚えさせられた体術だ。
けれども、それは同じ軍人である者や自身に危害を加える者に対してであって、民間人に使うものじゃない。
だから、ののかさんには申し訳ないことをしてしまった。
こんな些細な事で、彼女に変な勘違いをさせて、酷い場合は、
またあの時のように能力が暴発してしまう事態になりかねない。
自分は、ののかさんのような偶発的に能力者となってしまった者達を守るために、
『養護教諭』としてこの学校に赴任してきたというのに・・・自分が厄を巻いてしまっては、
本末転倒じゃないか。
「・・・はぁ・・・」
僕は薬箱を取ると、ため息をついた。
・・・もしかしたら、もう逃げてしまったのかもしれない。
当然だ、あんなことをされて、また何か酷いことを受けるかもしれない、と考えない人なんておそらくいないだろう。
自分も何かの拍子に、また「俺」になってしまうかもしれないと考えれば、
今不安定な状態で誰かと一緒にいない方が良いだろう。相手の為でもあるし、「僕」自身の為でもある。
いっそのこと、またウスワイヤにお世話になってしまおうか。
・・・ああでも、聖さんの視線が痛そうだなぁ。
憂鬱な気分でそんなことを考え、再び戻ってくると、そこにはマサムネと遊ぶののかさんがいた。
・・・あれ?
わう!
「た、ただいま・・・って、え?」
特別怒る事も、そして脅える事もなく、いつものように振舞うののかさんを見て、もしかしてさっきの出来事も夢だったのか、
と一瞬思ったが、紅くなっている彼女の首を見れば、それが現実だと突きつけられた。
そんな戸惑っている僕を他所に、ののかさんはマサムネから離れると、ソファに姿勢よく座って治療を待っていた。
いつまでもそうさせては仕方なかったので、僕は彼女の横に座り、テーブルに置いた薬箱から湿布を取り出すとそれを
貼ってあげたのだった。男の力によって締められた首に湿布なんて気休めのようなものだから、後々、
ちゃんと病院に行くように言っておこう。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
沈黙が凄く痛い。・・・いや、僕が悪いのは分かってるんだけどね、うん。
どうしようかと言葉に迷っていたら、不意にののかさんが口を開いた。
「たまちゃんは、」
「はい?」
「たまちゃんは、昔何してたの?」
「・・・昔、と言いますと?」
「この学校に来る前。」
「・・・・・・・・・」
「あっ、話したくなかったら話さなくていいんだよ!?だってたまちゃん、私のことだって・・・」
「いえ、大丈夫です。・・・僕がこの学校に来る前ですよね?・・・軍に所属していましたよ。」
「・・・軍?」
「そうです。」
「・・・軍人さん?」
「・・・そう、ですね、軍人さんです。元、ですが。」
「そっか。・・・それって、今さっき見た怖いたまちゃんと関係あるの?」
「・・・・・・ののかさんは、意外に鋭いんですね。」
「意外って何ですかぁー。」
ののかさんが、ぶう、と頬を膨らませて不満げにそう言うと、何故か微笑ましい気分になり、
つい笑ってしまった。
・・・そうだ、そうだった。緑音ののかという人物は本来、このような人物であった。
彼女の持つ和やかな雰囲気で、どんなに暗く、そして辛い雰囲気も一瞬にして変えてしまい、
良い物へと昇華する。正直、今まで自分の過去について話すのは凍りついた口を動かすぐらい
辛いことであったが、彼女になら、話してもいいかもしれない。
どうせ、もう過ぎてしまったことだから。
その時は理由も分からず、そんなことを考えてしまった「僕」であった。
「・・・ののかさん、」
「何?」
「これから話す話は、面白くもないし、かといって同情を誘うような悲しい話ではありません。
あったことを話す、ただそれだけの話です。大変長いですから、
ののかさんの時間をかなり貰うことになりますが・・・よろしいですか?」
「・・・・・・・・・」
ののかさんが保健室を尋ねてきたのはお昼休みだ。
これから僕の話を聞くとなれば、午後の授業はおそらく出れないだろう。
自分の話を聞かせる為に生徒をサボらせるなんて、なんて酷く身勝手で、
自分よがりの大人なんだろう、僕は。
ののかさんは、少し悩んだ後笑って僕にこう言った。
「いいよ。」
「・・・いいんですか?」
「うん、だってサボりはなれっこだもん。」
クスクス、と笑うののかさん。・・・この子は、昔と比べて本当に強くなった。
なのに自分は、こんな子供に縋りたくなるほど弱くなってしまったというのか。
なんだか泣きたくなってしまう。
「・・・ありがとうございます、ののかさん。」
「えへへ、いいよ!たまちゃんにはいつもお世話になってるし、たまには私が力になってあげたいから。」
「・・・感謝し切れませんね。では、お話をする前にお菓子とお茶を用意しましょうか。」
「ほんと?やったー!」
嬉しそうに両手をあげて喜ぶ彼女を傍目に見ながら、僕は戸棚にあるお菓子と緑茶を取り出した。
ぽとぽと、と湯飲みに注げば、緑色の水面がそこに映る。
・・・あの時も、こうしてお茶を淹れたかな。
とある軍人のお話
(それはむかしむかし)
(いかせのごれから離れた地で起こった)
(「俺」の話)
最終更新:2011年05月05日 16:05