■一章「GH-410 - mission No.B-218 -」
さくら さくら
やよいのそらは みわたすかぎり
かすみか くもか
においぞ いずる
…また歌ってやがる。呑気なもんだ。
ニューデイズ、ミズラキ保護区近く。
オウトク・シティからは随分離れており、人の数は随分少ない。
優美な山々が連なるこの場所は、居住の為の場所というよりは観光の為の場所と言った雰囲気が強いか。そんな場所に立てられた、小洒落たコテージ。
私はそこから幾らか離れた地点の木の上から、その様子を眺めていた。
太い枝の上に寝っ転がって、センベイとかいうニューデイズの菓子をバリボリやりながら。
季節は冬の終わり。…ぶっちゃけクソ寒い。油圧の低下が激しいのもあるが、何より私のテンションは最悪だった。気が乗らねぇんだよなあ…、何でかこの仕事は…。
コテージには二人いる。
一人はニューマンの女。ガーディアンズ所属。年齢27歳。能力による登録レベルはB+。
まぁ…、極々有り触れたレベルだ。この程度の使い手はどこにでも転がっている。
現在長期休暇中。で、ニューデイズのあのコテージに滞在している。
確かそろそろ二ヶ月になるとかいう話だ。…何ともお気楽なことで。
コテージの外のベンチに腰掛けながら、聞いたこともない歌を歌っておられる。
そして…、もう一人。
私はセンベイをくわえたままその場であぐらをかき、ナノトランサーから通信機を引っ張り出す。
「こちら430。ミッション初日。ターゲットを視認。…センベイってのは大して美味くないが止められないな、コレ」
3Dビジョンタイプの置き型通信機が灯す映像には、今の私の相方、GH-440が写し出される。
「こちら440。定時連絡了解。あとでお土産をよろしくお願いします」
「金くれれば」
「同僚のお土産くらい実費で払われては如何です?」
相変わらずのニコニコ笑顔の皮肉に、私は品悪く鼻から息を吹いてやった。
「それで? どうです? ターゲットは」
「視認しただけだっつってんだろ。することもねーし、会ってくるわ。こんなダリィ仕事、ぱっぱと終わらせるに限る」
「交渉における口調の役割は大きいですよ? 430、すこぅし丁寧にお喋りした方が…」
ぷしゅん。
問答無用。私は靴のカカトで通信機の電源を切る。
バカくせぇ、「狂犬」が「ですます口調」で喋れってのか? 反吐が出る。
大体にしてこのミッション自体気に入らない。
こんなの引き受けるくらいなら、あのクソ忌々しい450と殺し合いしてる方がナンボか楽しいってもんだ。…あ゛ー、暴れてぇ。
木の枝に足を引っかけ、私はくるりと身を翻すと、音もなく地面に着地する。
ターゲットは…、ニューマンではない。実は、彼女が所有する、…パートナーマシナリーだ。
GH-410、識別番号GSS988-B2。それがターゲット。
庭先で呑気な歌を歌うニューマンに、湯気立つ湯飲みを運んできたアイツ。
後日諜報部が揉み消せる程度であれば手段を選ばず、該当ターゲットの奪取…、が、今回のミッション。てきとーに色々やって410を出来るだけ穏便にかっさらってこい、ってこと。
確かにまぁ…、そんなこと出来るのは、私かさっきの440くらいのもんだろうけどさ。
吐き出すなり白い靄に変わる息の中を突っ切って、私はずんずんとコテージに進む。
まぁ、「私なり」に穏便にやりゃぁいいだろ。
ミッション難易度S+。理由は一つ。
該当ターゲットであるGH-410は…、私たちと同じ、
――ワンオブサウザンド、だった。
* * * *
冬の間に降り積もった落ち葉を踏みしめながら、私は歩く。
距離にして300m先にいる、GH-410へと向かって。彼女は私に背を向けて、コテージの庭の掃除をしているようだった。
アレがワンオブサウザンド? マジで?
ワンオブサウザンドなんてのは、つまるとこ、GRMが誇る最高傑作の「欠陥品」だ。
それが発生する確率なんてそれこそ天文学的に低い。およそ数万体に一体。それがなんだ? 私、440、そんでもってあのクソ450。これだけで既に三体いる。
更に410? 四体目? …GRM社は欠陥品のバーゲンセールでもやってんのか?
ざくざくと落ち葉を踏み締める私の足音は、徐々にテンポを上げていく。
見た目じゃわかんねぇもんなあ。アレだ、ハタでも立てりゃ良い。私はポンコツです、こんなんでどう?
そう、私らはみんな欠陥品。『あってはならないもの』ばかりを搭載した、役立たず…!
ナノトランサーから取り出したビームガンのグリップを、音を立てて握り込む。
足音のテンポは「プレスト」―最速!
呑気に庭先の掃除にいそしむ410の背後へと、私は地面を蹴って飛び上がる。
距離、高度、共に十分。私は更に中空で前転し、振り上げたビームガンの銃尻に、遠心力を加重する。
…狙いは頭部。一撃でカチ割る。悪ぃなぁ、コレ、私なりの「穏便」なのよねー。
ごちゃごちゃ言うのは面倒だ。ここでブッ倒して貰っていこう。
ぱ…、しん。
お?
鉄槌の如く振り下ろした私の左手は、後ろを向いたままの410に容易く捕らえられていた。うそー? 結構本気だったんだぜ? 今の。
未だ中空にいる私の、その左手首を握る小さな手が微かに動いて…、あ、やべ、見事に関節極められた。こいつ、やるなぁ。
左手首、そして、左肘。そして瞬く間に、410の背中が私の胸を押し上げる。…背負い投げか。
ぎしぃ…ッ!
あらら、こりゃ折られるわ。
「…ん?」
間近に聞く、410の声。そして何故か、不意に極められた関節が緩んだ。私は即座に地面を蹴って再び身を浮かせ、410の背負い投げから抜け逃れる。
くるりと身を翻らせて両足から地面に着地し、410に背を向けたまま、私は言う。
「今のは折れたんじゃねーの?」
…気にいらねーな。コイツ今、加減しやがった。
「折るつもりだったのだが。掴んだ手首が余りに細いし、体重が軽かったんでな。…君はひょっとして、パートナーマシナリーか?」
「見りゃァわかんだろが」
何言ってんだこいつ。私は眉を寄せて振り返り…、その410を見た。
「視覚センサーが機能しておらぬのだ。悪いが見えておらん。自己申告で頼む」
なんだ…、こいつ。両目閉じたままだ。…本気で見えてねぇのか…?
「駆動音から察するに、GH-430か? …にしても、フォトンリアクターの駆動音が異常だな。何故そんな途轍もない出力を出していながら自壊しないんだ?」
私は、笑った。多分、相当に物凄まじい表情で笑っただろう。
駆動音が聞こえる? アホ言え。どんなセンサー搭載すりゃそんなんが聞こえんだ。
「…見当ついたぜ。お前が抱えた『欠陥』は、視覚の不機能の代わりの、超感覚か?」
「なかなか良い洞察力だ。説明が省けて嬉しい。…良く信じてもらえなくて苦労するんだ。見えないことは私にとってハンデにならん」
おいおい、面白ぇじゃねーの…。てことは死角もなけりゃ、不意打ちもクソもねぇってことか。接近戦を主とする410にとっちゃ、この上ない武器だ。…本気でやりあったらさぞかし面白ぇだろうな!
「今の不意打ちも察知出来てたってとこか?」
「…君が向こうの木の上にいた頃からな。…あ? いや、待てよ?」
ふと、410は顎に手を当ててしばらく上向いて―やっぱり目は開いていない―、やがて、何かを思い出したかのように、ぽんと手を打った。
「そうか、うっかりしていたな。今日だったか、君が来るのは」
…は?
思わず、ぽかんとしてしまう。いつでも飛び掛かれるように腰を落としていた体から、するりと力が抜けてしまった。何言ってんだこいつ?
「すまない。独り言だ。…とりあえずそっちのベンチに腰掛けると良い。君の第一の任務は、説得と買収による私の回収だろう?」
…前任者から、私の話でも聞いてやがったのか…?
「私としちゃァ、テメェとここで一戦交えるのも悪くねぇんだがなぁ?」
「君は私を買いかぶりすぎだ。本気になった君が相手では、私は先を読み切れない。…君が思っているほど楽しい結果は得られんよ。やめておけ。がっかりするのは君だ」
何なんだ、こいつ、一々先を見越したようなことを…。
はあっ、と私は大きく息を吐き捨てる。すっかり興が削がれてしまった。
何とも、変なヤツだ。
* * * *
「ガーディアンズ諜報部所属、GH-430、識別番号はGSS253-A5だ」
どっかりとコテージのベンチの上であぐらをかき、私は言う。
「GH-410、識別番号はGSS988-B2だ」
挨拶代わりに後頭部をかち割ろうとした私など意に介さず、410は再び庭先の掃除を再開していた。
タケボウキを使って、キリがないような量の落ち葉を一カ所に掻き寄せていく。
「諜報部はテメェの回収に1000万メセタ用意してるぜ? 何でテメェのご主人様は買い取りに応じてくれねぇんだ?」
「交渉は主殿(あるじどの)とするべきではないか? 私は所詮パートナーマシナリーだ、主殿の意向には逆らえぬ」
「私より前に仕事に来ていた黒服どもが、散々テメェのご主人様と交渉してんだろ? そんでダメだったから私が来た。…今更ご主人様と交渉したって無駄だろーよ」
「君は実に理解が早いな。聡明だ。誇って良いぞ」
「喧嘩売ってんのか? アァ?」
睨み付けると、410はやはり背中を向けたまま、気楽そうに笑い声を上げる。
「まさか。ガーディアンズ諜報部の切り札『わんわんサンド』を相手にする気など毛頭ない」
…どー聞きゃァそうなんだ…? ワンオブサウザンドがわんわんサンドって…。
「テメェもその端くれだろう?」
「どうだかな。普通ではないと思っておるが」
にしても何なんだこいつの口調は。410ってのはもっと脳天気な口調だろうが。…そーいや450の奴も奇妙極まりない喋り方してやがったっけな。…あ、私も人のこと言えねぇか。…あれか? ワンオブサウザンドってのは、まず口調がイカレてんのか?
「視覚センサーが機能してねぇのに私の不意打ちをひっくり返した。…もう十分異常だろが」
あぐらの上に頬杖をつき、私は410を睨み付ける。
「ふむ、まぁ…少なくとも、君より『普通』ではないな」
あっけらかんとそう言い切る言葉に…、私のこめかみにビキビキと青筋が立つのを自覚する。おーおー、言ってくれるわこいつ。
私が普通だと? あ? その辺でちょうちょ追い掛けてる430だとでも言いてぇのか…? この私を捕まえて、普通、だと…!?
「まぁ待て。君は理解が早いが、それ以上に喧嘩っ早くて困る。…そろそろ主殿に薬を―」
と、410が何かを言いかけたところで…、
「やぁーん! 何々!? 410のお友達!? 430よね!? かーわーいーいー!」
…はぁ…?
唐突に横合いから声が掛かったと思った瞬間に…、
「ふばぁっ!」
ぎううううううう! と正体不明の肉塊に押し潰される! 何!? 何コレ!?
「主殿! 彼女は…」
「私410型の次に430型が好きなのよぉおお! 上がって上がって! 美味しいダンゴモチがあるのよー! 食べていかない!? 食べていって!? 食べるトコ見せてえぇええ!?」
「ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」
ニューマンだ! 410のマスターの! なんだこの馬鹿でかい二つの脂肪の塊は!
乳!? 乳なのかコレ!? 息が! 息がぁあああああ!
…私は、乳に押し潰されながら、ニューマンに抱えられてコテージへと引きずり込まれた。