猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

ルカパヤン戦役01

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「エレカ!」
「きゃっ! 見つかった!」

 

 屋根の上をタタタと走っていく少女。
 その光景を唖然として見ているマサミの眼差しの先。
 エレカと呼ばれた少女は屋根の隅まで走って逃げると、その端面で立ち止まった。

 

「まちなさーい!」

 

 エプロンを掛けた教師と思われる妙齢のマダムが屋根の上をヨタヨタと歩いていく。
 だが

 

「つっかまらないよーだ!」

 

 あっかんべーと舌を出したその少女は勢い良く屋根から向こうへ飛んでしまった。

 

「あ゙!」

 

 驚いて声を上げたマサミのその緊迫した叫び声に周りの大人たちが笑う。

 

「あの娘(こ)が屋根から!」

 

 ハハハ!
 笑い声を上げて平然としている。

 

「マサミさん。あのこなら大丈夫ですよ。あのこはゼクスだから」
「ゼクス?」
「そう。ゼクス・メル・エレカ」

 

 ルカパヤンの中心部。
 7階建てを誇るルカパヤン・パレスホテルの6階、大会議場。
 その窓から見える光景にマサミが言葉を失い、ルカパヤンの男立ちは平然としている。

 

「しかし!」

 

 まぁまぁを両手でジェスチャーするユウジがニコリと笑う。

 

「ゼクスと言うのは第6世代の意味です」
「第6世代と言うと・・・・ 結構古くから・・・・・ しかし、なぜ?」
「様々な理由でこの世界のあちこちから集められたヒトの子を育てる施設では世代ごとに定冠詞をつけて区別しています」
「そうですか」
「まぁ、色んな理由があるんですけどね、一番の理由は『今、私の事エレカって呼んだでしょ!』

 

 再び派手に驚いたマサミがもう一度外を見ると、先ほど飛び降りたはずの少女が窓の外に立っていた。

 

「あぁ、エレカ。君には聞こえるんだね」
「ユウジ先生酷いです!私の名前は『エレクトロニカ。良い名前だね』・・・・うん!」

 

 ニコリと微笑む少女。
 だが、マサミはある事に気が付いた。

 

「君はそこにどうやって立っているんだい?」

 

 マサミが歩みよった窓辺の外。
 そこは・・・・・  床が無かった。

 

「え゙?」
「私はエレクトロニカ! ゼクス・メル・エレクトロニカ! 空くらい簡単よ! ほら!」

 

 窓に触れていたエレカが手を離した瞬間、その体はふわりと落ち始めた。
 だが、その落ちていくスピードはまるで鴻毛のようだった。

 フワリフワリと空中を漂って、音も無くはるか下の地面へと着地する。
 遠く下から見上げているエレカがバイバイと手を降って建物の中へと消えていった。

 僅か数分の光景だったのだが、マサミは未だに事情が飲み込めていない。

 

「あ、あの」
「まぁまぁ。とりあえず下に行きましょう」

 

 何度乗ってもその動きに慣れる事の出来ない魔法のエレベーターで地上階へと降り立ったマサミとユウジ。
 夏の日差しの降り注ぐルカパヤンのメインストリートは相変わらず賑やかだった。

 様々な種族と共にヒトが普通に歩いている。
 いや、むしろここでは沢山居るヒトに混じって獣たちが歩いていると言うべきだろう。

 

「ここはこの世界で唯一、ヒトが自由に生きていける環境であると私は思います」
「そうですね。それは同意できます。無碍に虐げられる事はなさそうです」
「ですが、ここにも上下関係が存在します」
「と、言いますと?」
「建前上、世代が進めば進むほどここでの発言権は弱くなります」
「つまり、我々第1世代が一番強い、と」
「そうです」

 

 通りを歩きながら話す2人の足が止まると同時に会話も途切れる。
 そこはルカパヤン中央学園入り口と書かれた大きな交差点。

 様々な世代のヒトが集められたルカパヤン最大の教育施設であるこの学校は、同時に研究施設でもあった。

 

「あれがこの街の切り札の一つ。ルカパヤン大学です」
「大学が何故?」
「この世界にやってきた様々な頭脳がここに集っています。マサミさん、貴方の探す人材がここに居るかもしれません」

 

 ロッソムの街の半分を焼き払ったあの騒乱から早くも4年。
 ヒトの世界を思い出しながら見よう見まねでやってきた都市政策が限界に達しつつあるのをマサミは感じていた。
 政治的な部分に関しては全くの素人なのだから、それはある意味で仕方が無い事でもあった。

 

 だからこそ。

 凡そ2ヶ月掛けて主アリス公爵を説得しこの街へとやってきたマサミの目的はただ一つ。
 有能な人材のヘッドハンティング。そして、自らの研鑽。

 これからの20年ないし30年。
 いや、ある意味で残りの生涯の全てと言っても良いだろう。

 ロッソムを。そして、スキャッパーそのものをヒトにもイヌにも暮らしやすいシステムに変えてしまう事。

 それこそが今現在の目標であり、到達点でもあった。

 だが、その旅の初っ端ですごいものを見てしまった。

 

「ところで、さっきの・・・・」
「あぁ、エレカの事ですか」
「えぇそうです。第6世代と言う事ですが、あの子が窓の外に立っていた理由は・・・・」
「魔法です」

 

 平然と魔法と言う言葉を口にしたユウジ。
 その言葉に驚いてマサミの足は自然に止まってしまった。

 新鮮な驚きを見せるマサミ。
 ユウジは何を今更と言わんばかりなのだが。

 

「いま、なんと?」
「魔法ですよ。あの子も含めて大体第5世代くらいからは魔法が使えるようになるヒトが出てきます」
「ヒトでも魔法が使えるんですか?」

「えぇ、使えますよ。カモシカの国などでの研究では成長力と適応力とか言われているそうですが」
「・・・・・・信じられない」
「でしょうね。私も驚きましたよ。まぁ、世代交代の回転が速いヒトならではでしょうね。稀に第2世代でも出ますけど」

 

 学園の正門を通り広大な敷地を横切って学舎へと向かう二人。
 中央のグラウンドではここに居る多くのヒトの子供が遊んでいた。

 

「あの子達は?」
「この世界のあちこちから集まってくるヒトの子です。様々な種族の協力者達が恵まれぬ境遇のヒトの子をここへ連れてきます」
「協力者?様々な種族?」
「そうです。この世界の社会制度的には権力者の無聊を囲ってしまった者の再起は限りなく不可能です」
「でしょうね」
「それを支援しこの街の協力者に仕立て上げます。様々な種族国家からギリギリで独立を保っていられる理由の一つです」
「・・・・なるほど」


     いっちにー! いっちにぃー!

 

 不意に後方から現れた少年たちの一団が掛け声と共に2人を追い越す。
 汗だくになって駆ける者の隣で汗ひとつかかずに平然としているものも居る。

 

「シップ! 何週目だ?」
「15周目っす!」

 

 列の先頭に立って走る一際長身で足の長い少年が答え、そのまま走っていった。
 色白の少年。浅黒い肌の少年。
 背の高さもばらばら。

 種族としての多様性と言われるヒトの姿でもあった。

 

「シップ・・・・ 船。ですね」
「えぇ、船です。 が、ただの船ではありません」
「と、いうと?」
「彼は。彼の名はスターシップ。フィア・ディス・スターシップ。第4世代です」

 

 走っていく少年達の一団が角を曲がって見えなくなるまで、マサミはその少年達の背中を見ていた。

 

「・・・・スターシップ。宇宙船。エレカ、エレクトロニカ、電子的。まるで名前が・・・・」
「気が付きましたか」

 

 再び歩き始める2人。
 ユウジは学園の中に居る子供達を指で指しながら言葉を続けた。

 

「あの子はライカ。フンフ・メル・ライカ。あっちの子はマスタング、あの子は世代が不明なのでヌル・ディス・マスタング」

 

 歩きながらその人物紹介は続いた。
 驚くほどにヒトの姿の多いこの施設。
 次世代の教育と育成を引き受ける学校と言うシステムがこの地にも出来上がっている。

 そして、その中を歩き話すユウジ。

 トランジスタ。あの子はトラと呼ばれている。礼儀正しい子だ。
 あそこで踊っているのはトリノ。ドライ・メル・ニュートリノ。
 こっちに居るのは・・・・・

 

「なぜそのような名前が?」

 

 マサミの当たり前すぎる質問にユウジは再び立ち止まった。
 ジッとマサミの眼を見てから一旦視線を切って地面を見たあと、ふと振り返って遠くを見ている。

 

「・・・・今から凡そ300年前の出来事と私は聞いています。その頃、この街はまだネコの国の独占勢力圏下にあったそうです。今でもそうですが、ここに新しくやってきたヒトや生まれてきたヒトを戸籍台帳に記録し管理しています。たまたまそこに孤児のヒトが連れ込まれ、この町の住民が保護する事になったのですがね。名前が無い。だからネコの管理官が名前をつける事になったんだそうですよ」

 

 これは雲行きの怪しい展開だ・・・・
 なんとなくマサミはそう直感した。

 

「・・・・・そうなんですか」

 

 きっとこれはまた厄介事に巻き込まれる。
 正直、ルカパヤンよりスキャッパーなのだが・・・・

 

「えぇ。で、そのネコが最初につけた名前は・・・・ 湯呑み茶碗」
「湯呑み茶碗?」
「えぇ。その時テーブルの上に乗っていたんだそうです。湯飲みが」
「そんな・・・・」
「ですから、街の住人は抗議しました。そしたらその管理官が言ったんです。面倒だ、お前ら湯飲みをなんて呼ぶんだ?って」
「・・・・無茶苦茶ですね」
「そんなもんですよ。で、結局その人物はクリアグラスと名付けられたそうです。その時にね、その管理官が言ったんだそうです」
「なんと?」
「意味はなんだ?って」
「なるほど。グラスでは意味が通じませんものね」

 

 マサミは一歩下がってふと青空を見上げる。
 白い雲が浮かび風はそよぐ。
 太陽の強い日差しが照りつけ、地面に黒い影を落としていた。

 

「その時以来、ここの街にやってきた名無し子に名前をつける時は、ヒトの世界の様々な名詞が使われるようになりました」
「そうなんですか」
「そして、その隣に意味を書くんです。彼らには理解できない事象を意味としてね」
「じゃぁ・・・・」

 

 不思議そうにして見るマサミ。

 

「あの子のね。トリノを登録するときは傑作だった」

 

 ユウジはおかしそうに笑みを噛み殺していた。

 

「意味にね、素粒子とかいたんです。そしたらそれの意味はなんだと聞くんですよ」
「管理官がですか?」
「えぇ、カモシカとネコとトラとか。複数の種族からなる管理委員会とか言う組織の連中です。もっとも、今では形式的ですが」
「・・・・そうなんですか。で、そのあとは?」
「届出を出した人間は胸を張ってこう答えたそうです。ヒトの世界でも選りすぐりの明晰な頭脳を集め100年かかって研究しても理解出来ない神の領域の研究だ。お前ら獣程度のオツムじゃ1000年掛かっても理解できないから諦めろって」

 

 何がそんなにおかしいのか。突然爆ぜるように大笑いしたユウジ。
 ひとしきり笑ってから、ふと地面に目を落とし、小さく溜息をついた。

 

「そしたらね、それを聞いていたネコの管理官がやおら立ち上がりましてね、その届出を出した者はネコの魔法で黒こげに・・・・」
「・・・・なんて事を」
「彼らのプライドが許さなかったんでしょう。下に見ている奴隷のヒトの言葉が理解できないと言う屈辱ですよ」

 

 再び歩き始めたユウジとマサミ。
 広いエントランスを通り抜け、大きなロビーへと進んでいく。
 大きくゆったりとした作りの施設は高い天井と大きな窓が特徴だった。

 

 ヒトだけでなく様々な種族も受け入れるのだが、最高学府への入学試験を突破したヒト以外の種族は数えるほどだとか。
 純粋に入試レベルの高さで弾かれているのだから、他の種族とて文句を言いにくい状況なんだろう。

 

「それ以来ね、出来る限り理解しにくい名前をつけて、それを彼らにも理解できるように説明用紙をつけるようになりました」
「嫌がらせみたいなものですね」
「えぇ、そうです。管理官らはそれを手書きで複写し本国へ持ち帰ってます」
「・・・・なんともまぁ陰湿と言うか」
「でしょ? ただね、それも一度だけ受け取りを拒否されました」
「何でですか?」
「あまりに長すぎたからです。レポート用紙にして、およそ2000ページ」

 

 言葉を失ったマサミ。ユウジは楽しそうに笑っている。
 そして、視線をマサミから切って、ロビーの片隅の一際豪華な設えの椅子に座る白銀の髪をした女性に向けた。

 

「あの子の名前でね」
「あの少女ですか?」

 

 歳の頃なら15歳か良くて18歳。
 白銀の長い髪を腰まで伸ばし、細くて透きとおるような細く白い指で小さな本のページを捲っている。
 静かなロビーで静かに読書に耽る少女。

 

「ノイン・ディス・ヴァルキュリア」
「ヴァルキュリア・・・・ ワルキューレ。あの少女は神の使い?」
「いえ、少女ではありません。少年です。ディスと付けばジェンダー傾向は男性です。メルは女性です」
「でも、どう見てもあの子は」

 

 涼やかな白いワンピースに萌黄色の飾りベルトを腰に飾る少女。
 そのくびれたウェストや豊かに膨らむバスト。
 何より、見るものをアッといわせる美貌と長い髪。

 

「あの子は同姓交配実験の産物です。何処の国から送られて来たのかは私にはわかりません。ただ、魔法を使ってFtF交配を行われたのは間違いないようです。姿形はまるっきり女性ですし、生殖器構造も女性器ですが・・・・メンスがありません」

「じゃぁ・・・・ 交配し子孫を残す事は・・・・」
「いえ、それがどっこい。生命の神秘ですね。彼は絶頂に達すると子宮袋の奥にある卵巣体部分から射精します」
「え?」
「卵巣体が睾丸になっているんですよ」

 

 唖然としながら見ているマサミの視線に気が付いたのか。
 ヴァルキュリアは立ち上がって長いスカートの両側を摘まむと、まるで女性の様に左右へ広げて腰を折り挨拶した。

 その動きには優雅さと気品が溢れている。

 ただ・・・・

 

「瞳が・・・・」
「紅いんですよ。彼はね」

 

 再び椅子へと腰を降ろしたヴァルキュリアは上品にスカートの形を整えて、もう一度本のページを捲り始めた。

 

「あの子の生い立ちには謎が多い。それに、彼は普通の人間、ヒトではない」
「ヒトではない?」
「えぇ。他の種族の下手な魔法使いなど片手で圧倒するほどの魔力を持っています。少なくともA級国際犯罪者レベルです」
「じゃぁ、彼女・・・・ いや、彼の魔力を凌駕すると言うと」
「まぁ、あれですね。S級の・・・・ 」

 

 一息ついて腕時計をちらりと見やったユウジ。
 このロビーで待ち合わせのはずの者がそろそろ来るはずなのだが。

 

「ディンスレイフやDr.ザラキエルらのクラス、あとはフローラ帝クラスならば相手にならないでしょうけどね」
「その名前は国際舞台では異次元の実力者ですよね」
「えぇ、そうです。もっとも、世界は広いものでこれほどの実力者達ですら全く太刀打ちできない異次元の存在も居るとか」
「例のドラゴンとかですか?」
「いや、それもそうですけど。ヒトの姿をした。それも少年の姿をした者だと聞きますが、私も詳しくは知りません」
「・・・・すごいですね」

 

 ロビーの中央付近。
 大きな灰皿のある辺りで立っているユウジはポケットから無造作にタバコを取り出した。

 

「まぁ、アレですよ。最強だの無敵だのというものは、本当の実力以上に負け無いと言う実績が重要なんです」
「つまり・・・・ 負け戦はしない」
「そう。負けないから最強。負けそうな相手とは戦わない。戦いさえしなければ負けませんから、結果的に最強」
「じゃぁ・・・・」

 

 紙のケースからタバコを一本取り出して口に咥えると、ユウジは上目遣いにマサミを見てから遠くに座る彼を見た。

 

「私も最近まで知りませんでしたが、彼の寝室へネコのとんでもない魔法使いがやってきた事があるそうです」
「ほぉ!」
「で、顔をシゲシゲ眺めて、フーンと一言残して風の様に消えたとか」
「敵わないと気が付いて逃げ出した?」
「いえ、相手をするのが馬鹿らしい位の実力差とかだそうで、呆れて帰ったそうですよ」
「じゃぁ」
「ヒトは所詮その程度でしょうな」

 

 自嘲気味に笑うとポケットに手を突っ込みユウジは火を探している。

 

「あれ?」
「どうしました?」
「ライターを自室においてきたようです」
「あらら」

 

 ガッカリとして笑うユウジ。
 だが突然、咥えているタバコの先端がパッと光り、その直後に煙が出始め火を灯した。

 

「ユウジ先生。火は付きましか?」

 

 涼やかな鈴音の如き声で呼びかけたヴァルキュリア。
 清楚な少女の声そのものなのだが・・・・

 ちょっと離れたところから光熱の魔法を使ったらしい。

 

「あぁ、有難うヴァルキュリア。だが、人前でそれを使っちゃいかん」
「申し訳ありません」

 

 腰掛けたまま右手をかざし小さな呪印を切って、高位世界から何らかの力を召還したらしい。
 一瞬だけ出来る異世界と繋がった小さな穴は、術者の施術が終わると自然に閉じてしまう。
 ただ、何らかの力場が残るのは間違いないようで、その穴の開いた場所の辺りではその向こうの景色が歪んで見えた。

 

「ほら、あそこ。空間が歪んでいる」
「あ、ほんとですね」
「一瞬の間に非常に小さな、おそらく砂粒程度の大きさのマイクロブラックホールが発生します」
「ブラックホール!」

 

 驚いて裏返った声を漏らすマサミ。
 その声に気が付いたヴァルキュリアがニコリと笑った。

 

「僕らの様な存在を彼らは恐れています。彼らにとって僕らは自らの実験の果てに生まれてきた・・・・」

 

 その言葉をユウジは途中で制止した。

 

「それ以上言ってはいけない。君らもヒトだ。化け物などではないのだ」
「ありがとうございます。先生」

 

 悲しそうな表情のヴァルキュリアが再び本へと視線を落とすと、ユウジはマサミに顎をしゃくってドアへと促した。
 咥えていたタバコの火を消し灰皿へと捨てる仕草。
 ユウジの単純なその動きの中に、マサミは彼の心中に立つ細波のような虚無感を感じた。

 

「ユウジさん」
「彼は、ヴァルキュリアは魔女の子孫です」
「魔女?」
「えぇ、中世の時代に本当に居た魔女の末裔でしょう」
「魔女は実在したんですか?」

 

 細い廊下を歩きながらユウジはマサミに説明を続けていた。
 どこへ向かうのだろうか?
 段々と細くなる廊下の左右にある窓から外を見れば、この道が山に近い事を教えてくれる。

 そして、ついに完全に窓がなくなり、それと同時に空気がひんやりとしはじめていた。

 

「ホンの一握りですがヒトの世界にも正真正銘の魔女が居たようです」
「信じられない・・・・」
「彼女らは苛烈な迫害と絶滅政策から逃れるために、何らかの方法でこの世界へと流れてきたのかもしれません。そして」
「・・・・そして?」
「魔女以上に恐ろしい存在もまた、この世界へ」
「それは・・・・悪魔?」
「いえ、むしろ悪魔ならば楽じゃないでしょうか。魂の取引に応じてくれましょう」
「じゃぁ、その存在とはなんですか? 魔女以上に恐ろしいなんて・・・・・」
「ここの奥にはそれらが居ます。いまからご案内しましょう」

 

 細い廊下の行き止まり付近にある大きな扉の前に二人は立った。
 真っ黒に塗られた金属製の扉。

 

 『 許 可 を 受 け た 者 と 関 係 者 以 外 立 ち 入 り 禁 止 』

 

 その黒い壁に赤い文字で警告文が書いてある。
 警告文の下には大きくはっきりとバイオハザードマークがひとつ。
 そしてその隣には黄色で一際はっきりとニュークリアハザードマークがひとつ。

 

 『高度感染性細菌施設 および 高レベル放射性物質管理施設』

 

 その文字の意味するところをスッと理解しろと言ったところで常人には難しいのだろう。
 だが、軍事マニアなマサミの知識から推察されるその施設の中身といえば・・・・

 

「これはつまり」
「えぇ、おそらくご想像されているものと同じでしょう」
「じゃぁこの中は」
「ここルカパヤンのリーサルウェポンが入っています」
「・・・・NBC兵器ですか?」
「えぇ。その通りです。それも120kt級の戦域核です。起爆すればここら一体が何も無い状態ですよ。一瞬で」
「そんなもの・・・・・・」

 

 一瞬唖然となったマサミ。
 口を開けて呆然と壁を見ている。
 戦域核と言えば中性子爆弾だろうか。
 全ての生物の遺伝子を焼き払う悪魔の兵器・・・・・

 

「でもね、起爆はできないでしょうね」
「え?それは?」
「爆縮レンズってわかりますか?」
「もちろん」
「そのね、電気作動雷管がね、足りないんですよ。92本必要なんですが半分も無い」
「じゃぁ・・・・ 張子の虎ですね」
「えぇ。着火できない核兵器。意味の無い存在です。でも」
「でも?」
「威力だけは宣伝してあります。かなり昔に小型の核砲弾を起爆させたと聞いています」

 

 その言葉の意味するところが何であるかを理解できない訳ではない。
 ただ、俄かには信じられない言葉である事は確かだった。

 

「マサミさん。この街が独立を保ってられる担保は何だと思いますか?」

 

 その時、マサミはふと気が付いた。
 ユウジの目がまるでどこか遠くを見ているかのようなものに見えた。

 

「カモシカの国の好意?イヌの国の情け?ネコの国気まぐれ?」

 

 呆れたような笑みを浮かべ両手を広げ、ふと視線を床に落としたユウジ。
 その表情から意図を読み取るのが難しい程の状態だ。

 

「甘いんじゃないですか?認識が。 残念ですが我々ヒトは奴隷なんですよ」
「・・・・えぇ」
「貴方はまだわかっていない」

 

 吐き捨てるように言ったユウジの言葉がマサミの胸に突き刺さる。

 

「クリアグラスと名付けられたヒトの子は4歳で死んだそうです」
「4歳・・・・」
「ネコの管理官がね、茶碗が服を着るなんておかしいじゃないかと、そう言ったんだそうですよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 ひとつ小さな溜息を付いてユウジは顔を上げた。
 まっすぐに見つめられたマサミはその視線の強さに驚く。

 

「死ぬまで服を着る事を許されなかったその子はね、最後は街角で寒さに倒れて死んだそうです」
「酷いな」
「その亡骸をね、あいつらはこう呼ぶんです 『生ゴミ』とね」

 

 俯いたマサミもまたひとつ溜息をつく。

 

「奴らはその亡骸をゴミと一緒に処理した。生ゴミですから」
「生ゴミ・・・・・」
「ヒトと獣が愛し合う?美しい信頼関係?種族を超えた愛情?バカバカしい話ですよ。そんなのただの幻想です」

 

 鬼気迫るように吐き捨てるユウジの言葉。
 だがそれは血を吐くような思いの吐露でもあった。

 

「ネコは600年生きるんですよ。若いうちは良いですよ。良い遊び道具だ。道具です。ただの道具。でもね、生き物は歳をとる」
「・・・・ですよね」
「60過ぎ、70過ぎのヒトはどうなりますか?」
「・・・・わかりません」

 

 率直に堪えたマサミの回答に、ユウジはどこか怒りの入り混じった眼差しを返した。

 

「ネコの国やカモシカの国やイヌの国や。その他の国でなぜヒトの老人を見かけないんでしょうか? 何故だと思いますか?」
「すいません、わかりません」

 

 何かに怒りを覚えている。
 その眼差しから読み取れるものはそれだけだ。

 何に怒っているんだろうか?
 マサミは僅かの間に考えたのだが、答えを思い浮かべられないで居る。

 

「その多くが捨てられるからです。野山だけじゃなく街場でも捨てられます。そしてノラヒトなんか誰も助けない。若くて元気で性的な遊び相手になるならば興味本位で拾われるかもしれません。でも、年老いて死を待つだけのノラなんか誰が拾うんですか。拾うどころか苛めの対象ですよ。棒で殴って石を投げつけられて、なぶり殺しにして遊ぶんですよ。多少若ければ性的に倒錯した獣たちの力任せのSMプレイで殺すのを前提に徹底的に責められて・・・・・・」
「・・・・ユウジさん」

 

 怒りを堪えるユウジの、その歯を食いしばって怒りに耐える姿が痛々しいほどだ。
 きっと今までそんなシーンをいくつも見たのだろう。
 助けたくとも助けられない環境で、断末魔の悲鳴を聞いても耐えるしか出来なかったのだろう。

 救いを懇願しても赦されぬ容赦の無い責め苦。

 

「もし、地獄と言うものがあるならば、それはきっとこの世界なんですよ。生きる権利、最低限の人権ですらも相手の善意に頼らなければならない環境です。資産価値を持つ奴隷だなどと言って誤魔化されてますが、それでも我々は・・・・・・ ジッと耐えるしか」

 

 ふと気が付く違和感の正体。

 スキャッパーでアリスやポールを囲んで食事を取る席での、あのユウジの不思議な表情。

 自分が以下に恵まれているのかをなんとなく理解したマサミだが、しかし、それでもまだ実感として持てないで居る。

 

 いつ夜だったか。
 抱きしめた腕の中で眠る妻カナが寝言で繰り返していた言葉。

 必死に主に許しを求め涙ぐむ姿の本当の意味を垣間見た。

 

「だから・・・・ 国が欲しいんです。飽きられて捨てられても生きていける受け皿を。ヒトの国を。それが欲しいんです」

 

 ユウジがやおら取り出したペンダントトップの十字架。
 それを壁際の小さな穴に差し込みまわすと、壁の奥でカチャリと小さな音がした。
 ややあって大きな扉の向こう側で金属同士の擦れあう実に嫌な音が響いた。

 

「この街が他種族の蹂躙を受けずやっていける担保。それは技術だとか知識だとか信用といったものではありません」
「では、なにが?」
「力です。イヌの国の40万余の戦力でもネコの国の魔法力でもないし、トラの男の腕力でもない」
「・・・・力?」
「そう、そして、恐怖。彼らの理解の範疇を越えるテクノロジー」

 

 重々しい音と共にその巨大な扉が開いた。
 薄暗い廊下の奥の、そと扉の向こうは墨を流したような暗闇だった。

 

「その男は誰だ?ユウジ」

 

 嗄れ声の老人と小さな子どもが同時にゆっくりと喋るようにも聞こえるその声。
 だが、いままで聞いた事の無い、深く、大きく、威厳のあるものだった。

 

「・・・・獣の臭いがする。何者だ」

 

 墨黒の闇の向こう。
 カツンカツンと石畳を蹴る靴の音が響く。
 その残響音からして、この廊下の奥行きは相当深い・・・・・・

 

「この人物がいつぞや話しをした例の執事の」
「獣風情のケツの穴をなめる誇りを失った人間に用は無い。帰れ」

 

 手厳しい意見が容赦なくマサミに突き刺さる。

 

「大叔父様。この方はきっと見方になってくれますよ」

 

 唐突に響いた女性の声に驚くマサミ。
 振り返るとそこには先ほどのヴァルキュリアが立っていた。
 全く気配を感じなかっただけでなく、無警戒のウチにここまで接近をゆるした事に驚く。

 

「おぉ 小僧か 大きくなったな」
「大叔父様。この方は信用できます」
「そうか 辛酸を甞めたお前の言葉だ 信用しよう」

 

 再びカツンカツンと靴音が響く。
 そして闇の中から現れたのは・・・・

 

「あなたは?」
「誰何するならばまず名乗れ 礼儀を知らんな」

 

 見上げるほどの大男がそこに立っていた。
 身長は2m近くあり、色白の顔にはヴァルキュリアと同じ紅い瞳。
 そして、その髪は見事なまでの銀髪。

 

「申し訳ありません。手前はマサミ。松田誠実と申します。今はル・ガル王政公国南部スキャッパー地方の貴族領にて公爵スロゥチャイム家の執事を勤めておりま・・・・した。どうぞお見知りおきください」

 

 うん・・・・

 ゆっくりと頷いたその男はじろっとマサミを見てから、ユウジのほうに向き直った。

 

「ユウジ。この男は信用に足る。今度からここへ連れて来て良い」
「あぁ、気にいってもらえた様で何よりだ。彼もここを変えていく人材になると俺は思う」
「そうか」

 

 再びその大男の目がマサミを貫いた。
 紅く大きな瞳が炯々と光り、その力強い眼差しだけで敵を打ち据えるかのようだ。

 

「ワシはシュテンドルフ セルゲオ・イワノビッチ・シュテンドルフ 遙かな昔には酒呑童子とも呼ばれておったな」
「酒呑童子・・・・ じゃぁあなたは」

 

 驚いて見上げるマサミがおかしいのか、ゲラゲラと笑う大男。
 だが、その刹那、マサミは信じられないものを見た。

 

「あの、あなたのその口の・・・・」
「流石だな」

 

 ニヤリと笑ったシュテンドルフの口元には、見事に発達した鋭く長い犬歯があった。

 

「大叔父様は純血のヴァンパイアです。そして、最後の正当血統かもしれません」
「驚いた・・・・・ 」
「ヒトの世界ではヴァンパイアが滅んだと聞いています」
「じゃぁ、君もなのかい?ヴァルキュリア・・・・君」
「いえ、私は・・・・」

 

 美しい顔立ちのヴァルキュリアがハニカミながら控えめに口を開くと、ごく普通の歯列があった。
 ヴァンパイアのような牙は何処にも見えない。

 

「この子は世代を重ねるうちに我が一族の特性を失ってしまった。だが、この子の4代前。祖母の母は本物の魔女であった」

 

 シュテンドルフの大きく紅い瞳が優しく笑ってヴァルキュリアに注がれる。
 だが、その直後には白い肌のシュテンドルフが憤怒の表情となって紅潮した。

 

「あの愚かな獣たちの下卑た遊びでこの世界で生まれた魔導を持つ男と掛け合わされた、そして、誇りも尊厳も奪われ・・・・」
「大叔父様」

 

 シュテンドルフへと歩み寄ったヴァルキュリア。
 その小さな頭に手を置いて愛しむようになでている。

 

「お前の祖母も母も、皆あの獣たちの興味で攻め殺された。そしてお前までこのような姿に・・・・」

 大きな背中がションボリと小さくなって僅かに震えている。

「ワシがもっと早くに覚悟を決めておればよかったのだ」
「大叔父様。悲しまないで。私はこれでも幸せですよ。だって生きている第9世代は私だけですもの」

 

 そうか・・・・!

 マサミはハッと気がついた。

 

 ノイン・ディス・ヴァルキュリア。

 ノイン。
 ドイツ語で9だ。

 

「ヴァルキュリア君。君以外の第9世代と言うのは?」
「皆、だいたい育たずに死んでしまいます。私の知る限りノインは3人。最初のノインはジーザスと言いました。でも3年でした」
「3年?三歳で死んでしまったのか」
「はい。そして、2人目のノインはファティマ。女性でした。あの方は12歳まで」

 

 随分若いな・・・・・
 成人する事無く・・・・・・

 

「私は2人の母から生まれました。女性の方が長生きしたので100%女性が生まれる仕組みを探っていたのでしょう」
「そうなんだ・・・・ で、君は今幾つなの?もうすぐ二十歳?」
「いえ、私は25歳です」
「え? その割には」
「私は歳を取るのが遅いのです。私が何歳まで生きるかでこれからのヒトが決まるかもしれません」

 

 上品に微笑むヴァルキュリア。
 姿形もちょっとした仕草も。視線を合わせて瞬間的にはにかむコケティッシュさまで。
 どれを取っても女性としか思えないし、むしろ男性といわれる方がよほど違和感があった。
 だが、そう語るヴァルキュリアの表情には女性とは思えない凶相が浮き出ている。

 

「この世界の空気に馴染んだ私たち高世代のヒトは相対的に長生きになり、魔素の体内蓄積が進みます」
「体内蓄積されると魔法が使えるの?」
「はい。しかし、耐性が無ければ死んでしまいます。体が耐えられないようです。2人の母が私に与えてくださったこの体はとても丈夫です」
「そうなんだ。それは良いことだね」
「獣の女達にもてあそばれて私の心が折れそうな時も支えてくれました」
「弄ばれた?」
「えぇ、長く私はただの・・・・見世物でしたから」

 

 言葉を失って呆然と見ているマサミ。
 悲しそうな表情のシュテンドルフ。

 重い空気を振り払うようにユウジが口を開く。

 

「性的に倒錯した興味を持つ存在と言うのはどこにでも居ますし、その犠牲者は多いです。私もそうでした」
「以前伺いましたね」
「この子は・・・・ 男性恐怖症に陥った獣の女達によって育てられました」
「先生、それはちょっと違いますよ。私は・・・・飼育されたんです」

 

 一瞬マサミと目が合ったヴァルキュリア。
 ニコリと笑うが瞳には哀しいまでの怒りが満ちている。

 

「8人の方が私の主になりました。そして、多くが私の体を嘗め回したのです」
「・・・・君も」
「男に抱かれる事に嫌悪感を持つ女が私を抱く事で精神の安定を求めたのです」
「・・・・・・・・」
「大きな張り型をつけてまだ幼かった私を犯したのです。私の体は特殊ですから・・・・」

 

 言葉に詰まったヴァルキュリアをシュテンドルフが抱き寄せた。
 祖父に抱かれる少女のようでその実は全く違うのだから、混乱するなと言うほうが難しい。

 

「やがて、精通を経た私の胎内より引き抜かれる張り型には私の精子が残るようになりました」
「君は・・・・ 男だものね」
「それを綺麗にしろと舐めさせられました。汚らしい、と」

 

 なにか言葉を掛けたいのだが、そのきっかけですらも失って絶句するマサミ。
 沈痛な表情で事の成り行きを見守っていたユウジですらも、何か嫌な記憶を振り払おうとするかのように首を振っている。
 重い沈黙と痛い程の静寂。暗闇の奥底から響くかのような呼吸の音だけが狭い廊下に響く。

 

「私の体がそれなりに見られるような年齢になった後、私はネコの国の見世物小屋に売られました。5セパタでした」
「5セパタ?」
「えぇ。その時の主は真性のペドフィリアでした。大人の女には興味が無かったのです」
「どこにでも居るんだね。その手の救いようの無い存在が」

 

 言葉の途切れたヴァルキュリアとマサミ。
 ユウジは忌々しげに口を開く。

 

「ロリコン・ペドフィリア・トランスジェンダー。 キチガイですよ、クズ以下です。でも、現実にそういうのが居るんです」

 

 心のそこから軽蔑するような姿のユウジ。
 ヴァルキュリアは思い出したくない何かを思い出したようだ。

 

「私のほかにもう一人、女性が居ました。3歳から育てたのだといいます。ですが、その子が少しずつ大きくなるのが許せなかったのです。生きたまま腕も足も切り落とされました。子供は小さいからと。痛みに泣き叫び怨嗟の言葉を沢山聞きました。そしたら子供は言葉を喋らないと言って歯を抜かれ舌を焼ききられてしまいました。抵抗も出来ずただ泣くしか出来なくなったその子をあのネコは犯しました、何度も・・・・何度も。永遠に幼女だと喜んでいました。でも、ある日、その子に初潮が来たのです。そのネコの男は怒り狂って魔法で胎内を焼きました。そして勢い余ってそのまま・・・・」

 

 恐ろしい言葉が次々と出てくる。
 まさかここまで・・・・
 だが、この世界の底辺の裏側とは、実際その程度なのかもしれない。

 

「ある日、ネコの国のヒト市場で5歳のヒトの女の子が売りに出されました。ですが、その子を買うのに予算が足りず、私は再び売られたのです。足りない分のセパタの為に・・・・」
「・・・・・・・・」
「随分良くしてくれたのですが・・・・

 

 何かに我慢がならぬヴァルキュリア。
 紅い瞳に力が宿り、憤怒の形相ともいえる。

 

「この子のように捨てられ命を落とすヒトは多い。捨てられるならまだしも、手足と口を縛って山に埋める者も居る」

 

 シュテンドルフの口元がワナワナと震えているのは怒りの為だろうか。
 ギュッと抱きしめられた腕の中でヴァルキュリアは自らの感情をコントロールし切れずにいるようだ。

 

「ヴァルキュリア君。嫌な事を思い出させてしまって申し訳ない」

 

 マサミは胸に手を当てて会釈した。
 その姿にシュテンドルフは不思議な満足感を得ていた。

 

「マサミ。この街は再び危機に瀕している。だからユウジは君をここへ連れてきたのだろう」
「え?それはどう言う事ですか?」

 

 シュテンドルフとユウジを交互に見たマサミ。

 人材についての相談を打ったユウジが何かを思いついたようにルカパヤンへと誘った理由が不思議だった。
 だが、その思いつめたような表情のシュテンドルフやユウジを見ていると、やはり妙な胸騒ぎが正解であったらしいと言う気になってくるのだった。

 

「マサミさん。実は・・・・」
「どうぞ、遠慮なく言ってください」
「では、単刀直入に言います。再びここが狙われています」
「と、言いますと?」

 

 ユウジはシュテンドルフの方を一瞥してから溜息を一つついて心の整理をしたようだ。
 そして

 

「ネコをはじめとする連合軍がここを再び実質的支配下に置こうとしています。彼らは鎮定軍と呼んでいます」
「鎮定・・・・ 随分な言い草ですね」
「全くですよ」
「じゃぁ、郊外や街中のアチコチで土木作業に当たっている人たちは」
「戦闘に備えて各所の手入れや確認です。おそらく相当大規模な戦闘になるでしょう」
「つまり、その為に人手が欲しい・・・・と」
「えぇ。ですから・・・・ あなたをここの最高評議会に紹介したい。そして」

 

 一旦言葉を切ったユウジ。
 次に繋がる言葉が何かを思い浮かべられないほどマサミも子供ではない。
 一瞬の静寂が万の時にも感じる。

 

「共に闘ってください。次の世代の為に。これから落ちてくるヒトの為に。我々が安心して死ねる場所を作る為に」

 

 まっすぐに見つめるユウジの眼差し。
 そこに思考的なブレや憂慮や揺らぎは見えない。
 どこまでもまっすぐに。愚直なまでにまっすぐに目的へと向かって歩むものの眼。

 

 ここまで様々な形でスキャッパーとスロゥチャイム家とイヌの国と、そして何より自分と妻カナに便宜を図ってくれたルカパヤンの住人の目的がやっと理解できた。

 

 このときの為に、少しでも協力者を増やすと同時に非常時の逃げ場所を確保する事。
 共存共栄。持ちつ持たれつの関係を作り、それをネタにイヌの貴族を強請って協力者に仕立て上げる作戦。
 その手段が綺麗だとか汚いだとか、そんな悠長な事を言ってられないほどに切迫した事態。

 

「ユウジさん。こんな事は言いたくは有りませんが、今まで私にレクチャーした銃火器の取り扱い方は・・・・」
「えぇ、この際正直に言います。全てはこれを見越した上で戦力として組み込む事を前提です」

 

 ・・・・やはり

 

 眼を閉じややうつむくマサミ。
 人の善意なんか信じない方がいい。
 どこかで必ず見返りを期待している。

 当たり前の話だが、でも、それは真実であった・・・・

 

「この街の正面戦力は?」

 

 どこか腹を括ったような表情のマサミ。
 とりあえず聞いておこう。
 そんな感じで言葉を選びつつ、だが極めて事務的に質問を始めた。

 

「戦闘人員数はヒトだけでおよそ500人。銃火器は小銃がおよそ300丁。大型火器は20丁。野砲が3門」
「野砲?」
「えぇ、88mmPakが有ります。それと・・・・・・」
「それと」
「III戦車とIV戦車が合計5輌」
「センシャ?」
「えぇ、それに・・・・・ 1輌だけですがVI型が」
「ティーガー・・・・・・」
「実はVI-IIがあったんですけどね。テスト中に壊してしまいまして稼動出来ない状態です」
「でも、戦車があれば」
「戦車が有っても燃料がありません。オイルも不足しています。砲弾だって僅かです。なにより」

 

 自嘲気味の笑みを浮かべ両手を広げるユウジ。
 口を真一文字に結んで、生唾を飲み込む。

 

「そもそも第2次大戦中の古典戦車など誰も操縦した事がありません。ですから、野砲代わりです」
「・・・・普通に考えればそうですよね」
「戦車と言うだけで喜ぶヒトも居ました。でもね、その人たちは何か勘違いしてますよ」
「闘うのは人間だ。って奴ですね」
「えぇ、そうです。マニュアルも教本も無い環境で、スイッチやレバーをいじりながら動かし方を研究してるレベルです」
「それでは戦力とは言えませんね」

 

 怜悧な言葉を使うつもりではないのだが、それでもしかし、口を突いて出る言葉は辛らつだ。
 敵意や悪意などではない。生きるか死ぬかの現場を覚悟するならば、時には冷静に損得を判断せねばならない。

 

「ここを目指すその・・・・鎮定軍とやらは?」
「手持ちの情報から判断すると、人員数でおよそ・・・・2万」
「ニマン?」
「えぇ。そして、魔道軍も混じっているようですし、少数ですが有翼人の傭兵も居るようです」
「対空戦闘付きか」
「まぁ、逆に言えば歩兵だけですからね。地雷やトラップで数を減らして・・・・・」

 

 希望的観測と言うのはよく分かっている。
 ユウジもマサミも分かっている。

 

 ただ、そんな物は実際の戦闘では宛てにしてはいけない事をわからない訳でもない。
 常に最悪の事態を想定しておかねば戦闘は出来ない。

 模擬戦でも演習でも訓練でも無い。

 血で血を洗う命のやり取りがそこにある。

 

「勝てるんですか?」
「勝てませんよ」
「じゃぁ・・・・・・」
「上手く負けます。それしかありません」
「でしょうね。全面戦争に突入するには・・・・・・」

 

 寂しそうにニヤリと笑うユウジ。

 

「戦略爆撃も大陸間弾道弾も巡航ミサイルも無く。航空支援も強力な戦車による電撃戦を行えるわけでもなく」
「無い無い尽くしの我々と、頭数に勝り単純ながら信頼性の高い武器で、しかも、そもそもの肉体的アドバンテージ」
「ヒトの銃火器を持っていれば我々が勝てるなんて単純な発想をするバカは評議会には居ませんよ」
「でしょうね」
「優れた兵器や戦術ではなく、ただ単純に戦力としての大きさの違いを理解出来ないと・・・・ね」

 

 何をそんなに嘆いているのか。
 なんとなく理解出来ないで居るのだが、きっとこの街の世論と言う奴にも色々と有るのだろう。
 喜んで闘うなんて人間はきっと一握りなんだろうし。

 

「でも、我々は闘わなければならない。そして、上手く負けて」
「そして?」
「ヒトに勝つのは簡単だが、しかし厳しい代償を払わねばならない。だから、攻めるより懐柔して共存しようと彼らに思わせる」
「なるほど」
「で、他はともかく。ここだけは独立を。まぁそれが無理ならば、出来れば高度な自治権を持つ状態を。それを勝ち取ります」

 

 どうだ?と言わんばかりの表情でユウジが首を傾げている。
 最低限の目標として掲げた物ですらかなり難しい。
 だが・・・・

 

「やらねばならないって奴ですね」
「えぇ」

 

 最後は搾り出すような声になったユウジ。
 眼に見えて緊張しているのは、恐怖だけじゃないような気もしたのだが。

 

「その闘いにワシも協力する」

 

 唐突にシュテンドルフが口を開いた。

 

「私も協力します。私だけじゃなく、魔道を使えるヒトの全ても」

 

 持って行き場の無い感情を整理してやっと落ち着いたヴァルキュリアもまた口を挟んだ。

 

「マサミさん。この街はこの闘いの為に100年準備したんですよ。ですから・・・・」
「・・・・ちょっと考えさせてください」
「分かりました。では、明日、評議会へ赴きましょう。それまでに決めてください」

 

 僅かに頷いたマサミ。
 波乱の予兆に慄いていた心が不思議なほど平穏になっているのを、本人だけが気が付いていなかった。

 

 ルカパヤン戦役 第1話 了

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