リーン・・・・
リーン・・・・
リーン・・・・
草むらの奥で羽虫が歌う草原。
その真ん中を幾重にも重ねた線状に掘られた塹壕。
足を運ぶのも憚られるような静寂。
ジャリ・・・・・
足首の痺れに我慢ならず重心を移したのだが、その僅かな動作ですら窘められる。
「夜間戦闘においてウサギが何でこんなに恐れられているか分かりますか?」
息を殺しているマサミとユウジ。
さっきまで聞こえていた同行者のうめき声が段々と小さくなっている。
「頼む 殺してくれ 奴らに 捕まりたくな・・・・・
パッハーーーン
ブズッ・・・・
「我々の耳は左右に開いています」
「えぇ」
「ネコやイヌなどは上を向いて放射状です」
「はい」
「しかし、ウサギだけは前を向いているんです」
パッハーーーン
ッキュイーン!
「今のは危なかった」
「あれは誰なんですか?」
「カミ・ハイハ ウサギのスナイパーです」
「スナイパー・・・・」
「ウサギの耳は前を向いている。立体で音が聞こえるんですよ」
「しかも、その耳が良い」
「だからこの会話も奴には聞かれているでしょう」
墨を流したような漆黒の闇。
大きな二つの月が雲に隠れ星明りですらも失われている。
正真正銘の闇。
自分の手すら目を凝らしても見えない。
「ノクトビジョンは?」
「高周波の作動音でここに居るぞと知らせているようなものです」
「そんなに耳が良いんですか」
「えぇ、100m先のネズミの屁の音まで聞こえますよ。彼らは」
「そう考えると、ヒトの世界の文明の利器ってのは本当にすごいんですね」
「そうですね。でも、そんな都合の良い物は中々持ち出せないです」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
平原で正確に撃たれる恐怖から塹壕に飛び込んだ2人。
進退窮まる状態と言うのはこういう事を言うのだろうか。
ユウジの手にするAKの残弾数は既に10発を切った。
まともな銃撃戦なら3秒で終わるだろう。
だが、今ここでは・・・・
およそ100mの距離を挟んで1匹のウサギと2匹のヒトが息を殺して対峙している。
手榴弾は届かない。迫撃砲も意味が無い。
通常の小銃では必殺距離は足りていても確実殺傷を与えるには照準条件が悪すぎる。
「打つ手無しですね」
「えぇ、その通りですよ」
「撃たれれば痛いよなぁ・・・・」
「あとは慈悲深い神が苦しまずに殺してくれる事を祈りましょう」
自嘲気味に笑ったユウジ。
音を立てぬよう深く溜息をついたマサミ。
こんな事になるんじゃ・・・・・
後悔先に立たず。
午後にルカパヤンを出て夕暮れ前に峠を越えるつもりだったのだが。
しかし、すでにこの場所で8時間以上釘付けにされている。
そして、事態の改善は望めそうにも無い。
あの時の勢いで応えてしまった自分を今更ながらに撲殺してやりたいほど、深く深く後悔していた・・・・・・
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時計の針を少し戻して、その日の日中・・・・
「我々の正面戦力は彼らと比べ頭数以外は劣っていません。ですが、逆に言えば嵩に掛かって力攻めに転じられると弱いです」
「つまり、一人でも多くの協力者が欲しいのです」
「それもヒトの協力者です。他の種族の応援を仰げば、戦後になってそれが利権になる」
「つまり、我々の力だけで事を成し遂げなければなりません」
「ご理解いただけますかな?」
常任理事会と呼ばれるヒトの男が口々に話を続けている。
それも、畳み掛けるような勢いでだ。
マサミはただ黙ってその話を聞いていた。
忍耐強く1時間も黙ったまま。
「マサミさん。あなたの立場と目的に我々は協力を惜しみません。それは我々にとっても利権となりえます」
「ですが、それには見合うだけの対価が必要なのです。我々はここでは何も生み出せない」
「そうです。正直に言えば落ちてくるのを待つしかない。それも、偶然に落ちる物ばかり」
「望むものが落ちてくる事は稀です。大概はどうでも良いものばかり。一度など生ゴミの袋ですら落ちてきました」
「ですが、先人らは100年以上の時を掛けて少しずつ蓄積してきました。ここにあるヒトの世界の物は全て・・・・」
「誰かしらの犠牲の上に成り立っています」
マサミと同じく黙って事の成り行きを聞いていた車椅子の老人。
かつてマサミに銃火器を手渡したその老人もまた理事の一人のようだ。
決して老人ではないが、しかし、若者でもないヒトの男達。
「マサミさん。我々はあなたの協力が必要だ」
「この世界へ望まずにやってきた者達の、その最後にして究極の願いを成し遂げるチャンスかもしれない」
「安心して死ねるところを我々は作りたいのです」
男達の射抜くような視線がいっせいに注がれるマサミ。
気圧される事無く向き合えるのは、執事として様々な立場の獣達と対峙して来た場慣れ的な部分だろう。
理事と呼ばれる者達を一人ずつジッと見つめ返し、その眼差しの意味を探る。
「・・・・私には妻がいます。もちろん、ヒトの妻です」
何処から話をすれば良いのか。
マサミもその取っ付きを探しきれていない。
「それは存じています」
「ご長男の件は残念でした」
「もしそれがヒトの国であれば、最初から様々な処置が出来たでしょうね」
フゥ・・・・
一つ溜息をついたマサミが目を閉じる。
その仕草にですら理事たちの眼差しは鋭い。
「主を裏切るのは人倫に悖る行為です。例えそれが獣の主であっても。私はそう考えます。ただ、その上でこの街の危機と支援を求める要望は理解できますし、私の暮らす地域への支援を考えれば謝意を持って応じなければならぬ事もまた人倫でしょう。でも・・・・」
目を見開き理事たちを睨み返すようにしたマサミ。
「奥様の事ですね」
例の車椅子の老人がやっと口を開いた。
ずっと黙って聞いていたのだが、最後の最後で大物登場と言ったところだろうか。
「えぇ。その通りです。妻の身を何とかしなければ、私は死んでも死に切れない」
「ならば、どうされる?」
「一度スキャッパーへ戻ります。その上で再度考えたい」
「・・・・わかりました。マサミさん、あなたの望むとおりにしましょう」
議長!それでは!
声を荒げて理事が席を蹴り立ち上がった。
だが、議長と呼ばれた老人は手をかざし続く言葉を制すると、ジッとマサミの目を見ていた。
「あなたの主と妻と未来の子供たちにとって最も良い選択肢をあなたが選ぶ事を私は希望します」
「仰るとおりです」
「護衛をつけましょう。最近では武装強行偵察の小規模集団が街の周りをうろうろしています」
「・・・・物騒ですね」
「えぇ。街に出入りするヒトと物を見ているのでしょう。そして、稀に暗殺まがいの戦闘が発生します」
「暗殺・・・・」
「既にこの街の南西約15kmの所で彼らはベースキャンプを作りました。この街を攻略する橋頭堡です。既に1万を越える陸上戦力が結集しているのを確認しています。まぁ、重火器や野砲を彼らが装備していないのは福音でしょう」
ゴクリ・・・・
思わず生唾を飲み込んだマサミ。
「正直に言えばあなたをイヌの国へと送り出すのは得策では無いのです。あなたが援軍の特使としてイヌの国へ戻ると彼らは見るでしょう。つまり、なにが何でもあなたには死んでもらわないと彼らは困るわけです。イヌの国軍がイヌの貴族の、それも公爵の持ち物であるヒトの執事の回収を名目にこの街へ進駐してくる事を恐れています。あなたが街を出てイヌの国へ帰る前に、なにが何でもどんな手段でも殺そうとします。そしてもっと言えばこの街の中ですら暗殺の危険性があります。絹糸同盟を最初に考えた者の愚かさが今になって響いている訳ですよ。イヌは自衛戦闘は出来るんです。他国への武力侵攻が出来ないだけなんです。ですから・・・・」
老人とマサミの視線がまるで火花を散らすようだ。
理事たちは黙って事の成り行きを見ているしか出来なかった。
「つまり、私はル・ガルにおける全ての立場ですら捨てて来なければならない・・・・」
「その通りです。逆の見方をすれば、今のままにあなたが我々の支援をすると言う事はイヌの貴族がそれを認めた事になり、それは絹糸同盟の禁止条項に抵触します。つまり、事と次第によってはル・ガルが危険に晒され、そして・・・・」
ぷっつりと切れた言葉の続きを捜すように、その場に居合わせた者達の目に見えない先の取り合いが行われていた。
だが、非常に難しいその言葉のラリーの続きを見つけ出す事は容易ではない。
いたずらに時間は流れ、その場の者達が痺れを切らし始めている。
「私は妻も主も帰る家ですらも棄てて参戦せねばならないのですね」
参戦・・・・
マサミの口から前向きな言葉が漏れた。
理事たちが色めき立つなか、老人だけはいつもの様に冷静だった。
「その通りです。そしてこれは私の本音です。あなたは最悪のタイミングでここへ来てくれた。既に現状でこの街は危険に晒されているのです。ですから、今すぐにでもこの街から出て行って欲しいくらいです。あなたの存在は災厄だ」
「・・・・こう言っては何ですが、自分より交渉上手な人を初めてみました」
「しかも脅迫ですら上手い。そういう事ですね」
「えぇ」
「伊達にあなたの3倍近く生きていません」
老人は初めてニヤリと笑った。
好々爺の様でしたたかで。そして、計算深い。
「あなたに付けた護衛が何らかの事情で命を落とせば、それは我々にとって決して小さくない痛手です。余計な事で戦力を失いたくは無いのですが、それでもそれをしなければならない。無駄な犠牲をあなたの為に払わされるのは我々に取っても良い迷惑です」
「今まで様々にお世話になりましたが、でも・・・・ 非情ですね、あなたは」
苦虫を噛み潰すように歯を喰いしばるマサミ。
歯軋りの鈍い音が響く。
「えぇ、非情です。呪うなら私を呪っていただきたい。私はこの街の凡そ5000人のヒトの命を預かる立場です。恨まれ呪われ怨嗟の声を受ける事にも慣れました」
床へと目を落とし一つ溜息をついた老人。
肩を落としうな垂れているようで、それは普段の姿の様でもある。
重責を背負う老人の苦悩と焦慮。
この街は今、かつて無い危機に直面していた。
チリーン・・・・
ドアの呼び鈴が唐突に鳴り、その直後にドアが開いた。
「稟議中に失礼します」
今までみた事の無い若い男が入ってきて、小さなメモを読み上げ始めた。
「街外れの川岸で他殺体が発見されました。被害者は若い女性、推定年齢は18才ないし25才。背の低い赤い髪の女性です。致命傷は刀傷と思われますが、その前に魔法による傷害を受けたようです。おそらく何らかの情報を引き出したかったのか、さもなくば・・・・」
その言葉が詰まり、報告は途切れた。
「犠牲者に性的な傷害の痕跡は?」
「・・・・初見報告をした警邏隊の報告では、おそらく強姦中のショック死と思われますが、死姦の可能性も有ると」
「遺体の損傷は?」
「両乳房に噛み千切った跡が。また右わき腹には深い裂傷が。一部臓器が抜き取られ岩で潰されて・・・・」
報告を聞いていた理事たちはそれぞれに首を振ったり目を閉じたりと否定的な意思表示をしている。
その異常とも思える行動が何を意味するのか。
「根絶やしにすると言う意思表示と見て間違いないでしょうな。マサミさん、これもこの街の現状です。彼らは・・・・無情です」
「無情・・・・ 非情と無情」
「えぇ」
静かにざわめく理事たち。
ヒソヒソと会話する声が少しだけ聞こえている。
概ね強硬派しかいないと思っていた理事だが、その漏れてくる会話からは弱気な言葉が伝わってくる。
やはり、獣の軍隊と戦うのは得策ではない。ただ単純に数の差だけではなく、その原始的な戦闘に手馴れている事も大きい。
そして、魔法の存在。
「マサミさん。我々ヒトはこの世界では消耗品です」
「・・・・奴隷とか財産とか言われてますが」
「そんなの建前ですよ」
車椅子の車輪が甲高く軋む音を立てる。
窓の外へ眼差しを贈る老人の顔には深い皺があった。
どれ程の苦労をしたのであろうか。
どれ程の苦痛を味わったのだろうか。
どれ程の屈辱が、今までこの人物の上を通り過ぎて行ったのだろうか。
「若い男でも女でも。遊び道具を前提にヒトを買い求める層があります。その手の連中に取っては飽きたヒトなど無駄飯食いです」
「・・・・・・・・でしょうね」
「幸せな生活? 愛のある家庭? 信頼と愛情? そういう物は確かにあるでしょう。しかし、それは氷山の一角でしかない」
車椅子の向きをクルリと変えて老人はマサミに向き直った。
「棄てられても良い。ただ、闇雲に殺さないで欲しい。突き詰めればそれだけなんですよ。ここへ棄ててくれれば良い。最後の受け皿を作りたいのです。ヒトの世界を思い出して欲しい。裕福な男が自らの裕福さを示すために紙幣へ火をつけて灯にした話しがあるでしょう。あれと同じでね、ヒトの男を2人用意して剣で戦わせる遊びがあるのですよ。遠い昔の剣闘士です。それだけじゃない、性的に倒錯し四肢切断や精神崩壊を招く拷問を加えられ、心を病んで壊れて死んでしまうヒトも少なからず居るのです」
痛いほどの静寂。
静まり返った会議室。
理事の一人がボソリと呟く。
「せめて人間らしく死にたい」
僅かに頷き唇を噛む男。歯を喰いしばり慟哭する男。
この理事たちは今まで何を見てきたのだろう。
あまりに辛い現実を幾つも見たのかもしれない。
それがどれ程の物なのか・・・・
「私個人の力は微力でしょう。ですが、この世界のバランスへ投じる一石となるならば、私は協力を惜しみません」
おそらく、その言葉は理事たちや車椅子の老人の期待するものだったのだろう。
静かに頷いて悲しそうな笑みを浮かべた。
「マサミさん、あなたの身辺を整理してください。安心して死ねるように」
「えぇ。そうしましょう」
車椅子を滑らせてマサミへと近づいた老人は懐から小さな封筒を取り出した。
その中から出てきたのは一枚の小切手。
「これはネコの国の中央銀行による小切手です。額面は1000万セパタあります。あなたの身辺整理に使ってください。ネコの国のさる富豪の名義になっています。もちろんそれは偽名です。ですが、その小切手を割る事を拒否する事は無いでしょう」
差し出された小切手を受け取るかどうか。
マサミは一瞬だけ逡巡した。
「あなたのご家族の為に使ってください。今のあなたならばネコの国にも多少のコネクションがあるでしょう」
「・・・・そうですね」
受け取った封筒を懐に収めたマサミは理事たちを順番に見た。
「一旦帰ります。後日またお会いしましょう。それでは」
部屋を出て行くマサミの背中に理事たちの視線が突き刺さる。
痛いほどに視線を集めたその背中が部屋を出ると、理事たちは堰を切ったように話し始めた。
その言葉をドアの裏で聞くマサミ。
曰く、イヌの貴族の持ち物に落ち着いたヒトを信用できるのか?
あいつはイヌの女の遊び道具だぞ?
このまま逃げたりはしないだろうな?
再びここへと戻ってくる保証が無いのに、なぜ小切手を与えたのだ?
そしてあの車椅子の老人の声。
信じる事を忘れたらヒトはヒト足りえない。
我々に出来る事は信じる事だけだ。と。
廊下の外れではユウジが待っていた。
静かに笑みを浮かべ外を指差す。
窓の外では無邪気に遊ぶヒトの子供たち。
「さぁ、行きましょう。もう時間が無い」
「えぇ、よろしくお願いします」
建物の外ではさらに別のヒトの男が馬を連れて待っていた。
道のりは長くないが、急がねば夜になってしまう。
迷う事無く走り始めた一行を会議室の理事たちが見ているのだった・・・・・
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「で、どうしましょうか?」
「どうにもなりませんね。彼はこの状況ですと最悪の敵です」
塹壕の中で空を見上げたユウジ。
満天の星空が2人を見下ろしている。
「このまま明日の朝を待つしかありません。陽が昇れば我々も彼を目視できる。そしたら撃ち返せます」
「でも、明日の朝までに殺されない保障はありませんよね」
腰のホルスターからベレッタを抜いたマサミ。
息を殺してそーっと塹壕から頭を上げるのだが・・・・・
パッハーーーン
ッシュン!
頭を出したマサミの右の耳の、そのおそらく5cm以内を弾丸が通過した。
腰の力が抜けるように塹壕へと崩れたマサミ。
右の耳たぶの一番外側の辺り。
通過した弾丸が掻き混ぜる空気の渦流裂傷で血を滲ませる。
「痛いというより熱いって感じですね」
「痛みを感じてるうちは死にませんから大丈夫です」
「そりゃどうも。安心しますね」
無謀とも言えるマサミの暴挙にユウジが呆れた笑いを浮かべる。
「あなたは度胸があるのか無謀なのかわかりませんね」
「馬鹿なんですよ。ようするに」
「しかし、こんな良い条件で珍しく奴は外したな・・・・」
「ユウジさんはあのウサギのスナイパーをご存知なんですか?」
「知ってるも何も、奴に銃の使い方を教えたのは私ですよ。彼は・・・・」
遠い目をして漆黒の空を見上げるユウジ。
だが、言葉の続きを待っていたはずのマサミは信じられない物を聞いた。
―― あんたを殺したくは無い!素直に投降してくれ!待遇は保障する
「ハイハ!今回の雇い主は誰だ!」
―― それは聞いちゃいけないことだろ! 良いから素直に投降してくれ!
「せっかくの誘いだが断る! かまわず撃ち殺せ お互いプロだろ」
―― あんたには世話になった! 殺したくは無いんだ!
「まだまだ甘いぞ! それじゃ傭兵は務まらん!」
―― どうしてもダメか
「あぁ ダメだ!」
風の無い夜とは言えこれほど音の響く環境も珍しい。
ふとマサミはそんな事を思った。
だが、そんな思考をあざ笑うかのようにユウジはボソリと言った。
「あなたにも聞こえるように伝達の魔法を使っていますね」
「そんなのがあるんですか?」
「えぇ、電話代わりですよ。 しかし、奴は何をそんなに焦っているんだろう・・・・」
息を押し殺して様子を伺うユウジとマサミ。
日の出までまだたっぷり3時間はある。
こう着状態で痺れてくる状況なのだが、事はそう簡単ではない。
「最後の手段です」
ユウジは腰の弾薬ケースから手榴弾の入ったアルミの箱を取り出した。
無言で手榴弾を抜き取り、それと同時に周囲から砂利を集めて箱に収める。
蓋を開けたまま箱を左右に傾ければ、様々な大きさの石や砂利が箱の中を転がって賑やかな音を立てた。
ジャラジャラジャラジャラ
「良いですか?」
ジャラジャラジャラジャラ
出来る限り小声で話掛けるユウジ。
同時に箱が揺れて声に邪魔かが入る。
ジャラジャラジャラジャラ
「手榴弾を投げます。爆発した瞬間の衝撃波で彼は一瞬聴力を失います」
ジャラジャラジャラジャラ
「その間に出来る限りジグザグに走って遠くへ逃げましょう」
ジャラジャラジャラジャラ
「40m走るともう一本塹壕があります。そこへ飛び込みます」
ジャラジャラジャラジャラ
「思案してる暇はありません」
ジャラジャラジャラジャラ
「良いですね?」
「良くない」
「え?」
唐突な声に箱を揺する手が止まってしまったユウジ。
塹壕から見上げるとそこにはウサギの男が立っていた。
全身古傷だらけの壮絶な容貌だ。
手にしている銃はスコープすら付いていないボルトアクションの古い銃、モシン・ナガン、モデル189だった。
「・・・・ハイハ」
「戦場では音を立てるな。そう教えたのはあんただぜ」
薄暗闇の中で見ても分かるその姿。
両目は完全に白くなっている。
おそらく視力は無いだろう。
失明状態なのだが、普通に立っていると言うのは・・・・・
「ハイハ。構わず撃て。何故撃たない?」
「あんたを殺したくは無い。あんたは恩人だ」
「まだまだ甘いな」
「その銃に弾は残って無いだろ。音で分かる」
「いや、入ってるぞ」
ユウジは迷う事無く銃口を空に向けて引き金を引いた。
ダン!
「弾が残ってるのに何故俺を撃たなかった」
「撃っても当たらなかった。それだけだ」
ユウジとウサギの男が会話する中。
マサミは出来る限り音を立てずにベレッタをウサギに向ける。
「そっちのヒトの男。マサミと言ったな」
「何故私の名前を?」
「さっきの会話を聞いてた」
マサミは唸った。
あの距離を離れて会話を聞き取れるのだろうか?
これは驚いた。本当に・・・・
「とりあえず銃を降ろせ」
「見えるんですか?」
「いや、音で分かる。銃の表面を風が流れると独特の音がする」
こいつは驚いた・・・・
「参ったな」
マサミは音の立つ事を意に介さず、立ち上がってホルスターに銃を収めた。
「ハイハ、目的はなんだ?」
「あんたとあんたの連れがイヌの国に帰って援軍を呼ばないようにしてくれと依頼された」
「誰に?」
「それは言えない」
ユウジとマサミは顔を見合わせた。
このウサギの男は嘘は言ってない。
そんな確信があった。
「ハイハさん。私は・・・・ 援軍を呼ぶのではなく、家と主を捨てに行くのですが」
「そんな嘘は信用ならない」
「嘘じゃない・・・・と言っても信用してくれないんじゃ一緒ですね」
ガッカリといった感じでマサミは腰を下ろした。
大きな岩の上に座ってジッとウサギを見る。
「ハイハ。マサミは本当に全てを捨てに帰るんだ。そしてそのままイヌの国へは戻らない」
「あんたまで嘘をつくのか?」
「嘘なものか」
ユウジも腰を下ろしてしまった。
立っているのはハイハだけ・・・・
「ハイハ、じゃぁこうしよう。マサミはここから一人で帰る。俺はおまえとここでマサミの帰りを待つ。もし援軍が来たなら、おれは責任もってマサミを撃つ。そしてお前が俺を打つ」
「あんた、そこまでこの男を信用するのか?」
「当然だよ。このヒトは嘘をつかない。だから皆に信用されている」
しばらく黙り込んで考え込むハイハ。
ユウジもマサミもジッと答えを待っていた。
「ここから北の方に行くと俺のテントがある。そこでお前の帰りを待っている。お前が分からなくとも俺はお前の足音が分かる。そしたら迎えに出る。それまでユウジは俺が預かる。2日以内に戻って来い。それが条件だ」
「えぇ、分かりました。それだけ譲歩してくれるなら十分です。ただ」
「ただ、なんだ」
「あなたが今射殺したこっちのヒトの男をルカパヤンへ届けて欲しい」
「それはお前がやれ。帰ってきたらな」
月を隠していた雲が晴れて草原に光が落ちる。
片方だけだが満月と言う事もあって、夜にもかかわらず驚くほど明るい。
「お前の足音が聞こえなくなるまでここにいる。俺の耳はお前の足音を覚えた。さぁ早く行け」
「後ろから撃たれるのはごめんです」
「俺は撃たない。ここには俺しか居ない。もし誰かがお前を撃ったら、俺が責任もってそいつを殺す。俺も嘘はつかない」
「分かりました」
やおら立ち上がって歩き始めるマサミ。
ユウジは心配そうだった。
「ユウジさん。そう言うわけなんでよろしくお願いします」
「あぁ、早く帰ってきてください。ウサギの寝床に同衾なんて考えただけで悪夢だ」
ペロッと舌を出して笑うユウジ。
だが、ハイハは少し機嫌が悪い。
「俺はそんな趣味は無い。ウサギが全部変態だと思われるのは心外だ」
「それは以外ですね。でもまぁ、信じますよ」
「お前は信用していない」
ハイハはライフルのボルトを引いて次の弾を装填した。
「ハイハ。相変わらず冗談が通じないな」
「あんたは知っているだろう」
「あぁ」
ボリボリと頭を掻いたユウジ。
何かを思い出したかのように一息ついた。
「何年か前の話です。私がルカパヤンに来て・・・・確か3年目くらいでした」
「えぇ」
「ある日、落ち物のパトロールに出たらウサギの商人と遭遇しまして・・・・・」
ウンザリと言う表情を浮かべつつ、ユウジは溜息をこぼす。
「当時、13歳だったかの少年を連れてましてね、その子が見つかってしまったんですよ。ウサギに」
「・・・・あらら」
「で、まぁ例によって変態揃いなウサギのヒト商人ですからね、早速剥かれて味見してみようと言う事になったんですが、その時の商隊で見習いだったんですよ。ハイハは」
首だけ振ってハイハを見るユウジ。
ハイハはどこか遠くを見ていた。
「でね、彼はね・・・・ 出来ないんですよ、房事が」
「そうなんですか」
「そんな事をするなと止めに入ったら、ウサギの商人が怒り出して、それでまぁ、気が付けばハイハは4人のウサギを相手に孤独な戦いって奴で」
「気が付いたら大変な事になっていたと」
このあまりに酷い風貌はその時の傷か。
マサミはなんとなく理由が分かった。
裏切り者の存在をウサギはゆるさない。
一人だけ寂しく行動するなんて考えられないほどに連帯意識の強い種族だ。
一人ぼっちだと文字通り死んでしまいかねない。
だが、どんな物にも例外はある。
このウサギの男はその例外なのだろう。
「マサミといったな。生きたまま魔法の炎に焼かれる苦しさは理解できるか?」
「そういう経験が無いからわからないな」
「じゃぁ経験してみるか?」
「遠慮しておきます」
マサミは出来る限り後ろを振り返らないよう、早足で歩き始めた。
スキャッパーとルカパヤンを隔てる山の稜線がほんのり明るくなり始めた。
もうすぐ夜が明ける。あと1時間と少しだろう。
急いで山を越えねば・・・・
自然と早足になるマサミ。
気が付けば半ば走っている様な状態だった。
ハァハァ・・・・・
息を切らせて振り返ると、随分高度を稼いでいた。
遠くに見える塹壕線には、すでに人影が無い。
「急がなければ・・・・」
手にしていた物を整理して走りやすい格好になったマサミ。
それっ!とばかりに走り出して峠を目指す。
残された時間はおよそ40時間。
走れメロスってこんな心境だったのか・・・・
誰にと言うわけでなくそう一人ごちてマサミは走り続けていた。
ルカパヤン戦役編 第2話 了