静まり返った広間。
暖炉の中にゆれる炎の音だけが静寂を破っていた。
「・・・・お前はどうしても行くんだな」
口髭を震わせるポールの言葉には僅かならぬ怒気が含まれている。
その気迫。裂帛とも言える雰囲気が場の空気をなおさら冷えたものにしていた。
「裏切り者と謗られようとも、俺はそれをしなければならない。恩は恩。だが、義理は義理」
努めて冷静な口調で話しているつもりなのだが、それでもマサミの言葉には棘があった。
深夜の紅朱館。
静寂の中、男二人がホールの片隅で酒を飲んでいた。
―― ポール、夜になったら話がある
お昼前の紅朱館へ帰ってくるなり唐突に話を切り出したマサミの、その不自然なまでに緊張しきった声と雰囲気。
何かがあった。何か恐ろしい事に遭遇した。皆、瞬時にそう悟った。
だが、そのどれもが正解であり、そして不正解でもある。
遭遇したのは事実であり、命からがらに辿り着いたのも事実。
しかし、実はこれから体験する事こそ本当に恐ろしい事なんだと分かっているのは、その時点ではマサミだけだった。
日中はアチコチへ出掛けまわっていたマサミ。
夕暮れ前に帰ってきた時には、両手に様々な物を抱えていた。
―― どこかへ行くの?
少し不安そうなカナの頬に手を添えて笑ったマサミの笑顔は、どこか寂しそうだった。
悲壮な覚悟を決めたマサミはできる限り平静を装ったつもりだった。
だが、誰が見たってその様子のおかしさはわかってしまう。
全てをポールに任せ自室へと篭ってしまったアリスもまた、心中穏やかならぬ状態なのだった。
そして・・・・
「俺やアリスがお前を止めないとでも思ったか?黙って行かせるとでも」
グラスに残っていた僅かな酒を流し込んで、ポールは一息入れた。
どんな時にも妻アリスを立てるこの男が、今宵は男同士で腹を割って話をするからと言って皆を遠ざけてしまった。
領主たるアリスの権限は絶大だが、この紅朱館は例えどうであれレオン家の持ち物。
ならば、館の中での優先的指導権はポールが持つのもまた道理の一説。
もっと抗議しても良いはずのアリスだが、この夜だけは不思議とそれをしないでいた。
「まさか、そんな事は無い。むしろ全力で引止めにかかるのは折り込み済みさ。だからまず・・・・」
グラスの底を遠い目で眺めていたマサミの、その半ば虚ろな眼差しがポールへと向けられた。
酒に酔っているのではないし、悲壮感に酔っているのでもない。
マサミはただひたすら。イヌの持つ愛情の深さに酔っていた。
「俺はお前を失いたくは無い。お前だけでなくカナも失いたくは無い。だが、お前の言うとおりだ。縁を切らねば・・・・」
深い溜息をひとつ吐いて、ポールはビンに残っていたウィスキーをグラスへと全部注いだ。
マサミがルカパヤンから持ち帰ったウィスキーのビン。
その中に入っているのはルカパヤンで仕込まれたこっちの世界でのウィスキーだった。
ヒトの世界のウィスキーが持つ深い味わいと格調高い香りは無い。
だが、力強く野趣溢れるその芳しいまでの匂いはこの世界そのものな気がした。
「ポール。どうか・・・・ 妻を・・・・ カナを頼む。そして、俺の子供を」
「・・・・マサミ」
「これから仕込んで行こうと思う。男は格好良く死ぬのが義務だよ。遠い昔から戦で格好良く死ぬんだ。次の世代の為に」
「男は子を産めぬからな」
「あぁ」
グラスに残っていたウィスキーをマサミも一気にあおった。
喉を焼き、胃の府に落ちる火酒の熱が身を焦がす。
「こんな事なら俺は盗賊にでもなっていればよかった」
「なにを馬鹿な事を・・・・」
「国も家族も背負わぬ漂泊無頼の盗人であれば、お前と共に戦に行けた。今の俺には背負っている物が重過ぎる」
「その気持ちだけで十分だ。俺は良い主に出会えたと満足するよ」
やわらかく笑みを浮かべるマサミ。
まだ30年にも満たぬ人生経験なのだが、なぜこの男はこうも深い表情を浮かべられるのだろう。
ポールは50年を越える自らの人生経験と照らし合わせ考えた。
しかし、いくら考えても答えは出ない。
「明日の朝になったらアリスに話をすれば良い」
「あぁ、そうしよう」
「それまでに俺があいつを説得しておく」
「すまない」
ポールは自分のグラスに入っていたウィスキーをマサミのグラスへと分け注いだ。
一口飲めば無くなってしまう程のウィスキーでしかない。
だが、ポールはそうする事でしか自らの心情を表現する手段を持たなかった。
「これは俺の肩書きが言う言葉だ、俺の本心ではない」
「・・・・・・・・」
「抵抗し、義務を果たせ。己の責任を全うせよ。そして、誇り高く死ね」
「ありがとう」
カチーン・・・・・
グラスをあわせそれぞれが口へと運ぶ。
残り僅かなウィスキーが喉を焼いた。
「もう寝よう」
「あぁ。カナにたっぷり注いで行け」
「くどい様だが・・・・ 妻を頼む」
「分かっている。獣の男たちには指一本触れさせん。もちろん、俺を含めてな」
そっとその場を立ち去るポールの背中を見送るマサミ。
グラスをキッチンへと片付け酒のビンを処分した。
底の方に僅かに残っていたウィスキーの雫。
琥珀色のその液体が、マサミにはこれから流す血のようにも見えた。
―― ヒトの抵抗 ヒトの意地 ヒトの誇り ヒトの・・・・・ 未来
少し酔った様だ。
頭の中を様々なイメージがグルグルと駆け回る。
少しふら付く状態ながら階段を上がり自らの部屋へ入ると、そこにはカナがマサミを待っていた。
ベットの上で正座して、じっとマサミを見ていた。
「何があったの?」
問いただすカナの言葉が震えている。
事情を一切話してない筈なのだが、それでもやはり何かを感じ取ったのだろうか。
「実は・・・・」
少しだけ口篭ったマサミ。
しかし、黙っていたところで話はちっとも前には進まない。
「ルカパヤンの街の防衛戦闘に参戦する事に成った。事実上の独立戦争だ」
少しだけ笑みを浮かべ、出来る限り優しい眼差しを心がけたつもりでいた。
だが、どれほど演じてみたところで、目は口ほどにものを言う。
僅かではない緊張と恐怖。そして、後悔。
「私たちは・・・・『カナ』
何かを言いかけたカナの言葉をマサミの言葉が遮った。
ワナワナと震える唇。必死に堪えている筈の涙がすっとこぼれた。
「俺たちは奴隷だ。飼われる生き物だ。だから主に噛み付くなど許されない。だけど・・・・」
バタン!
「マサミ!」
そこへ突然アリスが飛び込んできた。いきなり開いた扉の音にマサミもカナも真底驚く。
だが、それ以上に驚いたのは、今まで見た事が無いほどに狼狽し、そして怒っているアリスの姿だった。
「そんなの絶対に認めないからね! 鎖で縛り付けて逃がさないから! 誰の許しがあってそんなこと!」
もの凄いテンションで一方的にまくし立てるアリス。
たれ耳の毛まで逆立てて怒っている。
だか、マサミはどこか満足そうな笑みを浮かべるとアリスにそっと歩み寄って、その細い体をギュッと抱きしめた。
「アリス様。あなたは立派になられた。ジョン公が今のお姿を見られたら、きっとお喜びになられるでしょう」
「話をそらさないで! あなたは! あなたもカナも私のものなんだから!」
「えぇ、その通りです。ですから・・・・」
テンションの下がらないアリスをさらにギュッと抱きしめて、そしてマサミはアリスの頭に頬を寄せた。
まるで愛しい恋人を慈しむようにするマサミの姿。複雑な表情でカナがそれを見ている。
「私はありがたい事に、ある程度裕福で余裕のあるところへ落ちました。そして、運良く妻を見つけ、理解ある主と共に生きて来れました。しかし、この世界にはそうではないヒトも沢山居るのです。無理解と無教養と無思慮と、そして、理不尽」
「・・・・・あなたがそれを正す必要は無いはずよ」
「えぇ、そうです。しかし、ジョン公は言われました。苦しむ者の為に尽力し、救いを求める者に手を差し伸べ、死の淵に立つ者の前に立って死から免れる手引きをせよ、と。貴族とはそういうものだと教えられました」
テンション高く喚くアリスに対し、マサミはあくまでソフトな口調で諭し諌める努力を続けた。
「アリス様。私の主は私の為にありとあらゆる努力をしてくださるでしょう。私が行かなくても済むように様々な政治工作の手練手管を尽くしてくださるでしょう。ですが、それではイヌの国を守る事は出来ません」
「あなたが行かなければ良いのよ!それで丸く収まるじゃない!あなたはここにいる。向こうの街は滅んでもあなたは死なないで済むのだからそれで良いじゃない!」
マサミは力なく笑ってアリスを抱きしめていた腕を緩めた。
アリスの目がマサミを見つめる。
「それは出来ません。私の代わりにユウジさんが捕まっています」
「なんで?」
「イヌの国に援軍を求めに行ったと勘違いされてしまいました。私は身辺整理に舞い戻ったと言うのに」
「じゃぁ、このまま行かなければ良いじゃない!私が手紙を書くわよ!」
「私が帰らねばあの人が殺されてしまうのです」
「あなた以外の誰が死のうと私には関係無いの!」
パン!
アリスは一瞬何が起きたのか理解できなかった。
だか、視界の上下が反転し、それと同時に世界がぐるりと回って床がグンと近づくのが見えた。
そして、左の頬には焼け付くような痛みと衝撃。
ドサ!
ふと気がつけば、見上げるようなアングルのマサミ。
息を呑んでいるカナとポール。
自分が床にひっくり返っているのを理解するまでに数秒を要した。
「マサミ・・・・ あなた・・・・」
自分の頬に手を当てて呆然とするアリス。
それを見下ろす、いや、見下すようなマサミの眼差し。
「アリス様。主に手を上げる躾けの悪いヒトです。どうぞお好きなようにしてください。しつけが悪いと手を切り落とすなら私は喜んで差し出しましょう。主に反抗する危険な奴隷とされるなら喜んでこの命を差し出しましょう。ですが・・・・」
グッと睨みつけるような強い眼差しが不意にアリスを襲った。
これほど力強い眼差しで見つめられた事は今まで無かった。
アリスは今やっと、マサミの覚悟を理解した。
「・・・・出て行きなさい」
呟くような小声が部屋に響く。
「よく聞き取れません」
無情な言葉でマサミは攻め立てる。
「今すぐここを出て行きなさい! 何処へでも流れて行って野垂れ死になさい!」
必死になって涙を堪え、だがしっかりとした声で叫んだアリス。
グッと歯を喰いしばっているものの、垂れ下がった尻尾はワナワナと震えている。
「イヌの貴族の方よ。もし僅かでもお情けがあるのならば、せめて一夜の寝床をお恵みください。どうか」
胸に手を当てて最敬礼するマサミ。
目を逸らし手をグッと握り締めアリスは震える。
「・・・・夜が明ける前に出て行きなさい」
なんとかそう搾り出した言葉を残して、アリスは部屋を飛び出していった。
クローゼットを片付けて作った急ごしらえの部屋だ。
僅か4畳半にも満たない小さな部屋。
だが、今のアリスにとってそこは広大な草原よりも大きく広い世界だった。
心から愛したヒトの男が何処までも遠く果てしなく離れて見える。
手の届かないところへドンドンと遠ざかっていく。
それがとにかく悔しかった。
短い廊下を走って自らの寝室に飛び込むと、枕を抱きしめてアリスは泣いた。
その声が聞こえる距離だけに、マサミもカナも辛かった。
「ポール・・・・ すまない・・・・」
「いや、よくやってくれた。これで良いんだよ。良い判断だ。きっとこの会話もどこかでそのウサギに聞かれているさ」
マサミの肩をポンポンと叩いてポールは部屋を出て行った。
そっと閉めたドアの音が響く。乾いた音が廊下を流れていく。
そして、もう一つのドアの音。
アリスの泣き声がどこか遠くへと消えてしまった。
「カナ・・・・」
「もう手遅れなのね」
「あぁ」
「一度だけ言わして」
「なんだ?」
「行かないで・・・・」
首を振って否定したマサミ。
「おねがい」
「一度だけじゃなかったのか?」
「お願いは一度だけだから」
「2回目だよ」
「お願いは聞いてもらえるまで一回目だから・・・・」
「駄々をこねるな」
カナの隣へ腰を下ろしたマサミ。
「お願い」
座高の低いカナの眼差しがマサミに注がれる。
「おねが・・・・
言葉を言い切らないうちに、その唇を自らの唇で塞いでしまったマサミ。
何をされるか分かっていながら、カナは身を任せた。
正座のまま押し倒したカナの服をマサミが脱がしていく。
録に着ていなかったカナがすっかり剥かれてしまった。
「カナ、最後のチャンスかもしれない」
僅かな隙間にあったカナがウンと頷く。
いそいそと服を脱いでカナと同じになったマサミ。
その両肩へ手を伸ばし、キスを求めたカナ。
「抱いて。お願い。強く抱いて」
言葉と同時に自らの体が熱くなっていくのをカナは感じた。
その体の片隅の小さなひとかけらの細胞までもがマサミを求めた。
生物の本能とも言うべき部分だけでなく、頭の中の奥底の普段は封印してある深層心理の最下層の。
本人ですらも気がつかない所にある燃え滾るほどの感情、激情。
ギュッと抱きしめられたカナは短く言葉を漏らした。
なんと言ったか聞き取れない言葉ではあるが、その感情だけは伝わる。
さらに力を入れてギュッと抱きしめるマサミ。
自らの胸板が押しつぶすカナの小さな乳房越しに、カナの早鐘を打つような鼓動を感じた。
「まだ生きているうちに、次の命を」
「うん」
抱きしめていた腕を解いてカナの秘所をまさぐると、そこはまるで抱きしめて搾り出したかのように淫らなまでに濡れていた。
早鐘を打つ鼓動が押し出したかのようにプックリと膨らむ乳首の先端とクリトリス。
片方の手で優しく愛撫して、そしてもう一方の手で自らのペニスの位置を確かめた。
「カナ」
「うん」
「カナ」
「・・・・うん」
「カナ・・・・」
「!!!! ンァアアア!!」
押し込まれた熱く硬い衝撃にカナが身をよじる。
その動きを規制するように両の足を抱えさらに奥へ奥へと突き込む。
リズミカルに打ち込むその流れをカナの細い体が受け止めている。
無心に腰を振って奥を突き上げるマサミのペニスの先端が、カナの膣奥のその細い入り口をノックする。
「んんんんぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああ・・・・・」
「カナ・・・・」
熱い吐息がこぼれ2人の体の間には滴り落ちるほどの汗が滲む。
細い腰を両手で抱え押し込むマサミ。
心からの愛を込めて思いの丈を託す願いの雫がマサミの中に漲ってきた。
「愛してるよ」
言葉にならない声で答えるカナの手がマサミへと伸びる。
その手を引き寄せ、抱き寄せるようにして尚、マサミの動きは続いた。
「カナ。一番奥に!」
・・・・ハァハァ・・・・
言葉にならないカナが頷く。
ウッ!と短く声を漏らして、マサミの中に滾っていた愛の雫がカナに注がれた。
脈動するその動きですらもカナが揺れる。
半ば放心状態のまま悲しみを交えた表情のカナ。
その姿が余りに愛しくて、マサミはもう一度力の限り抱きしめた。
「カナ ごめん」
「・・・・うん」
抱きしめたままベットに倒れこんで、マサミはそっとカナの胎内から役目を果たしたものを引き抜いた。
ブルっと僅かに振るえ短く声を漏らしたカナ。
マサミは腕枕にカナを抱きしめていた。
「カナ。申し訳ない」
「そんなこと無いよ」
「間違っても後を追ってこないでくれよ」
「うん」
「アリス様とポールを頼む。本当にイヌだよな。ヒトの世界のイヌと一緒だよ。どこまでも一途で純情だよ」
「そうね・・・・」
「身勝手な男を許してくれ」
「今頃アリス様も泣いてるわよ」
「あぁ」
こんな状況で尚アリスを心配するカナがより一掃愛しくなったマサミ。
泣くのを必死に我慢するカナが少しだけ鼻をすする。
「俺はダメな男だな」
「でも、立派よ」
「ありがとう」
「え?」
「カナに出会えて俺は本当に良かった」
「マサミさん」
「でも、カナは迷惑だよな。こんな所でこんな目に・・・・」
それ以上の言葉を失ったマサミ。
カナもまた言葉を失っていた。
痛いほどの静寂が流れる手狭な部屋。
抱きしめたカナの体から良い匂いがしてくる。
優しい花の香りに似た、男の本能を刺激する匂い。
「カナ」
「なに?」
「名前を呼ばせてくれ」
「うん」
「カナ・・・・」
名を呼んだマサミの頬にカナがキスした。
その体を持ち上げてマサミがカナの唇を奪う。
「カナ・・・・」
今度はカナがマサミの唇を塞いだ。
長いキスと酸素を貪る呼吸の音。マサミの口内にカナの舌が侵入する。
その舌先をマサミの舌が押し返しカナとマサミの涎が入り混じっていた。
「あなた・・・・」
「そんな風に呼ばれるのは始めてかもな」
「じゃぁ、旦那様」
「カナを買い取った覚えは無いよ」
「でも、買い取られたようなものよ」
「ヒトが売り買いされる。ヒトが商品になる」
「間違ってるとは・・・・いえないものね」
「あぁ」
瞳を閉じて額をあわせるマサミ。
鼻の頭がペタリとくっついて、言葉にならない会話をしているようだ。
「あなた」
「ん?」
「もう一度」
「なに?」
「もう一回」
「なにを?」
マサミの首に手を回してカナが甘える仕草をする。
今の今まで見た事の無かった姿かもしれない。
「あぁ」
僅かな隙間に手を侵入させて、小ぶりなカナの乳房を優しく愛撫する。
その指先が皮膚をすれる音と感触に、どこか遠くへ行っていた熱い激情が戻ってきた。
「・・・・っあぁぁ・・・・」
マサミに抱きつく手を緩める事無く、カナはされるがままの姿だった。
持ち上げてしまえば楽な姿勢なのだが、体を動かせば先に注いだものがこぼれてしまうかもしれない・・・・
「カナ・・・・」
それ以上の言葉が出てこない。
潤んだ瞳でマサミを見つめるカナ。
役目を果たし萎びていた部分が再び熱く硬くなっていった。
狭い空間の中でカナの両足を抱え大きく広げたマサミ。
夫しか見ていない暗い部屋の中、カナは夫を迎え入れる体制になった。
クチュ・・・・・
「・・・・っ!」
淫らな水音と空気の漏れる音。
体同士のぶつかる音が部屋に響く。
「アァァァァァ!! アアンンンン・・・・ ンアア・・・・ ァァア・・・・」
もはや誰憚る事無く悦びの声を上げてカナは身を捩る。
その動きを規制するようにマサミの手がカナの足を捕まえていた。
決して上等ではないベットと薄っぺらい毛布と。
立て付けの悪い扉と隙間風のする窓と。
そして。
愛する妻と。
全てはこれで終わるんだ。
おれは帰って来れない・・・・・
「カナァァ!!!」
足ごと抱き寄せて強引に抱きしめに行くマサミ。
無理な体勢で抱きしめられたカナが妙な声を出す。
だが、自分を揺らす夫の瞳からこぼれた涙の一滴が自分の顔に掛かったとき。
カナはどこか醒めた意識が戻ってくるのを感じた。
「あなた・・・・ 愛してる・・・・」
「あぁ、俺もだ」
突き込まれた愛情の塊のその先端の動きにシンクロするように、カナは自分の腰を動かした。
迸る吹き出し口と迎え入れる小さな入り口が一直線に並んだ瞬間。
二度目の精をマサミは吐き出した。
・・・・トク ・・・・トク ・・・・トク
・・・・トク ・・・・トク ・・・・トク
もう出ないよ・・・・
そんな言葉が漏れたような気がしたベットの上。
放心状態のカナを抱きしめてマサミが壁を見ていた。
「・・・・もし男の子だったら」
「うん」
「何より義を大切にするヒトを育てて欲しい」
「じゃぁ、義人だね」
「あぁ」
「女の子だったら?」
「摩耶」
「マヤ・・・・」
「釈迦如来の母。慈悲と愛情と無上の母性」
「良い名前ね」
「良い男を捜して夫にしてやって。3世代目でこの世界のブッダが生まれるように」
「うん」
「それまでに、ヒトの国が出来るように頑張るよ」
カナが鼻をすすった。
声を上げないように泣いている。
泣きながら笑っている。
笑ってマサミを見ている。
「泣き顔で送ったらダメだよね」
「あぁ」
「体に気をつけて」
「あぁ」
「行かないでって言っても無駄よね」
「・・・・あぁ」
「だから」
マサミの胸板に顔を寄せてカナが震える。
「死なないで」
「・・・・頑張るよ」
「生きて帰ってきて」
「難しいな」
「一人っ子じゃかわいそうじゃない」
「そうだけど・・・・」
「あなた・・・・」
「なに?」
「ルカパヤンで何を見たの?」
ハァ・・・・
マサミの溜息が漏れ、そして言葉を選んで語り始める。
沢山のヒトが集められ、世代ごとに分けられ、そして、ヒトの世界の名前が付けられ。
4歳で死んだ子供の話も、魔法で交配実験された犠牲者の話も。ネコの魔法で焼き殺されたヒトの話も
黙って聞いているカナと語り続けるマサミ。
この暖かな場から出て行くのを躊躇うのは自然な流れだ。
だが、それでも行かねばならない。
その為に自分を説得するかのように・・・・
「そろそろ行かなきゃ」
「やだ・・・・」
「おいおい」
「だめ・・・・」
もう一度熱いキスをしたマサミとカナ。
カナを抱きしめるマサミの腕から力がフッと抜ける。
まるで散り際の花びらが音もなく落ちて散るように。
包み込まれていた物から解き放たれる。
ベットに横たわったままのカナが笑っている。
肩までかぶっている毛布から手だけ出して振っている。
あたかも、ちょっとそこまで用を足しに行く夫を送るように。
「いってらっしゃい・・・・」
「いってくる」
「くるって言うくらいだから帰ってきてね」
「あぁ、もちろんだ」
冷たいシャツに袖を通しながらマサミも笑った。
悲壮感のかけらも無い爽やかな笑み。
「帰ってきたら川の字になって寝よう」
「うん。大丈夫、きっと出来るよ」
「そうだな。この世界じゃ妊婦は大変だからな。早めに帰ってくるよ」
「そうね・・・・」
毛布の中から起き上がろうとしたカナ。
マサミは慌ててそれを止める。
「そのまま」
「大丈夫よ」
「でも、今までダメだったから」
「・・・・ごめんね」
「そんなこと無いよ・・・・」
最後にもう一度そっとキスしてそのまま後ろへゆっくりと下がる。
まだまだキスをねだるように目を閉じたカナ。
マサミはそっと壁へと歩き、全身の神経を集中してドアノブをまわした。
音もなく開くドア。
目を閉じたままのカナはまるで眠っているようだ。
その笑顔がたまらなく愛しくて、マサミの視界が滲む。
パタン・・・・
部屋の中。毛布に包まっていたカナの耳にもその音が聞こえた。
だが、行ってしまった夫がそこに居ないと言う視覚的現実を受け入れたくなくて、カナは目を閉じたままだった。
不安が押し寄せてくる。どうしようもない不安が。
頭の先まで毛布をかぶって震えるカナ。
身を包む暖かさの中に、さっきまで感じていたもう一つの温もりが無い。
それが無性に切なくて情けなくて悲しくて。
「・・・・かな」
え?
今、確かに名前を呼ばれた。
カナは一瞬焦った。
「かな?」
間違いじゃない。
そーっと毛布をどけて見ると、そこにはアリスが立っていた。
泣きはらした腫れぼったい目をして。
「・・・・アリス・・・・様」
慌てて飛び起きようとしたカナをアリスも制した。
「カナ・・・・ もう行っちゃったの?」
カナは言葉なく頷いた。
痛いほどの静寂。壁掛け時計のコチコチと言う音だけが部屋に響く。
先ほどのひと時の、あの熱さの余熱みたいなものが胎内の奥深くに残ってるような気がした。
「申し訳ありません。引きとめようと思ったのですが・・・・」
アリスは首を振って否定した。その仕草にカナが驚く。
カナの横たわるベットの、その隣へアリスも寝転がった。
「マサミはあなたに注いで行った?」
「はい」
「じゃぁ、あなたの中にマサミが・・・・ 居るのね・・・・」
どれ程泣いたかわからない程だが、それでもまたアリスが涙を流す。
そんなアリスをカナが抱き寄せて胸に抱いた。
毛布の中にはマサミの体臭が残っている。
そして、カナへと注いだ愛の雫の臭いと、カナの体が発する幸せな女の匂い。
優しさに溢れるこのヒトの女の・・・・
アリスは今はっきりと敗北を悟った。
どれ程頑張っても、このヒトの女だけがマサミの妻なのだ・・・・と。
「カナ・・・・ お願いだから・・・・ 明日の朝までジッとしてて」
「えぇ」
「たっぷり注いで行ったんでしょ?」
「・・・・ごめんなさい。私だけ・・・・」
「良いの。だってそうしないと・・・・」
我慢ならずまた声を上げて泣くアリス。
カナもまたたまらず涙を流した。
押し殺した泣き声の響く部屋。姿形は違えども、女2人の涙の意味をマサミはどこまで理解してるのか。
ヒトの鼻とは比較にならないアリスのそのイヌの鼻には、マサミがまだそこに立っているような錯覚を覚える。
「帰ってくるよね。あなたのところに」
「必ず帰ってきてってお願いしましたから」
「じゃぁ、あなたはずっとここにいて。あなたのマサミが帰ってくるように」
悲しい声がいつの間にか途切れる。
泣き疲れて眠ってしまったアリス。その肩にカナがそっと毛布を掛けた。
眠るアリスに被さる毛布にはマサミの体臭が残っていた。
「マサミ・・・・」
寝言を呟くアリス。
カナはそっと耳元で囁いた。
「必ず帰ってきますよ。私たちのところへ」
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ルカパヤンへと続く街道の峠道。
鞍部へと差し掛かったマサミが馬を止めて振り返った。
黒から群青へと移り変わる空の色に赤金色の光が混じる。
首筋を通り抜ける黎明の寒気が街道を駆け抜けていった。
寒い。
全てを失った今、自分が頼るべきはあの街しかない。
これで良いんだ。
これで良いんだ。
なんどもそう自分へと言い聞かせ、馬の腹を蹴った。
知らず知らず、視界が滲んで行く。
勝手に溢れる涙を拭いてなお走っても、それでも涙が溢れてくる。
―― カナ・・・・
愛しい妻の名を呟いて、マサミは自分の両手を見た。
―― この手に何を掴めるのだろう
馬上で半ば呆然としつつ振り返るロッソムの街。
ポツリポツリと灯りの点り始める時間だ。
―― お世話になりました・・・・
心の中でそう呟いて再び前を見据えたとき、道のど真ん中に大きな棒が立っていた。
なんだろう?
黎明の空をバックにシルエットで見えるもの。
慌てて馬を止めたマサミは地面へと降り立って近づいた。
初見で棒だと思ったそれは道へと突き刺さった一本の剣だった。
そして、その傍らには漆黒のコートが一着。
持ち上げてみればズシリと重たい手応えがある。
ポールが突撃戦闘の際に着込む、真銀を織り込んで防弾魔法をエンチャントした戦闘服だった。
「・・・・ポール」
薄手のシャツ一枚で飛び出てきたマサミだ。
寒さを感じないわけが無い。
早速袖を通してみれば、仄かに背が温かく感じた。
はて・・・・?
あまり気にしないようにして剣を眺める。
見事な彫金の施された柄を持つつや消しの灰色に塗られた太刀鞘。
その表面には黒い炎が描かれている。
どう見ても100トゥンや200トゥンでは買えない代物、業物だ。
無造作に柄を握ったマサミ。
しかし、掴んだその柄が触れぬほどの温度になっていた。
まるで黒い炎に炙られていたかのような熱さ。
そして鈍い痛み。
剣の前に片膝をついてじっくりと確かめようとした瞬間!
ブワッ!
剣の柄が吹き飛んで中から紅蓮の炎が立ち上がった。
驚いて腰を抜かし尻餅をついたマサミ。
10m近く上がった炎の柱がスッと小さくなって3mばかりの揺らめく姿になった。
" 我は炎神ゾショネルの眷属 主に仇名す敵を焼きしだく炎の化身なり "
揺らめく炎の柱。
轟くような低い声が頭の中に直接響く。
その中から恐ろしい憤怒の形相を浮かべ、口元に牙を生やす者が実体化しつつあった。
揺らぐ炎の形がそれに少しずつそれに重なり、まるで炎の衣をまとった魔人にも見えた。
金剛夜叉・・・・ 不動明王・・・・
唖然としているマサミを見下ろす魔人。
ブワッと炎を吐いて口が開く。
" 汝 我が主になにを祈る "
いきなりの問いかけ。
マサミも一瞬迷う。
だが、自分でも驚くほど素直な答えが出てきた。
「ヒトの身を縛るくびきを解きたい 栄光を ただ それだけです」
マサミの言葉に炎が揺れる。
形を変え色を変え、だが、燃え盛っている。
暗がりを照らす炎のまぶしさに、マサミは目を細めた。
" 汝 我が主になにを捧げる "
捧げるもの・・・・
今全てを棄てて走ってきたマサミだ。
「帰る家も家族も主も捨ててきました もう私には何もありません 有るとすれば 希望 帰れるかもしれない希望」
燃え盛る炎が僅かに小さくなった。
だが、赤々と燃えていたその色が段々と青く鋭い色になっていく。
それと同時に、自分の体を温めていた筈の炎の熱がどこか遠くに行ってしまったような気がした。
" 汝 我が主になにを誓う "
「理想を・・・・ ヒトがヒトとして生きていける理想を この身を捧げてもなお その理想を」
間髪を入れずにそう答えたマサミ。
胸を張って前を見据えて。
強い信念を言葉に託して。
次の言葉を待っていたマサミ。
だが、青白い炎が少しずつ黎明の空に溶けていき、やがて陽炎のようになってしまった。
ユラユラと揺らぐ陽炎の柱。
そしてそれですらもスーッと消えていって、やがて剣の柄の部分に戻ってしまった。
僅か数分の出来事。
振り返れば何も無かったかのように馬がマサミを待っている。
それどころか、あれだけの炎が吹き上がったにもかかわらず、熱も何も感じなかったかのようだ。
なんだったんだ?
不思議そうにしながらも、熱さを警戒しながらマサミは再び剣の柄へと手を伸ばした。
指先でツンツンと軽く触れ、熱を感じないことを確認して再び柄を握る。
今度は熱さを感じない。それどころか、魔法金属特有の突き刺さる様な冷たさを感じた。
「あれ?」
柄ごと地面から抜き取ると、左手で鞘を握り、刀身を鞘から引き抜いた。
刃渡りおよそ1メートル。
真銀特有の青白い刀身なのだが、刃先のもっとも肉の薄い辺りは黄色ともオレンジとも付かない色だ。
「凄いな・・・・」
鞘を脇に抱え柄を両手で握って見る。
重心が柄に近い辺りにあるようで、バットのように振らない限りは金属の重さを感じない。
剣道などの心得が無い故に、形も何も無く、ただ時代劇のように上段から振り下ろしてみた。
刀身がブン!と鈍い音を立てて風を切る。
初めて握った剣。
新しいおもちゃの様であり、危険な武器であり・・・・
「・・・・よろしくお願いします」
刀へとそう呟いて鞘に収めようとしたマサミ。
だが、そこへ再びあの声が響いた。
" 汝が願い ここに聞き届けり 我が力 そなたが望む時に与えよう 我が名はディールプティオ 炎神ゾショネルの眷属なり "
ポカーンと口を開けて眺めていたマサミ。
「誰が?」
誰がこれを置いていったのか?
ふと、それが気になった。
鞘へと太刀を収め馬へと戻ると、適当な紐を捜して鞘のフックへと紐をかける。
よっこいしょ・・・・
背中へと襷掛けに太刀を背負ったとき、袖を通した戦闘服の胸のポケットに何かが入っているのに気が付いた。
ゴソゴソと音を立てて取り出すと、そこには走り書きの文字がある。
まだキチンと文字を読めないマサミだが、それでも最後の一文の意味は分かった。
スキャッパー辺境方面機動騎士団 ポール・ゴバーク・レオン
ポール・・・・
そうか、これは一兵卒が着る野戦戦闘服か・・・・
しかもこれはポールのお古。
自ら赴けぬ戦場へとマサミを送り出すポールの無念さ。
それ故に持ち出した識別章や階級章の一切付かない、もっともベーシックな戦闘服。
防弾能力を持つこの服は防弾チョッキでもあるのだろうか。
―― なんとしても生きて帰って来い
どこからともなくそんな声を聞いた気がした。
けして安くは無い魔剣と服を置いていったポール。
まだ何処かから見ているかもしれない。
「ポォォォォォォォォル! カナを頼む! 俺が生きて帰って来るまで!」
再び馬に跨って走り出したマサミ。
峠に続く道に砂塵が上がる。
鞍部へと続く街道の先。
ようやく登り始めた太陽が姿を現した。
眩い光を浴びて全身に温かみを感じる。
―― さぁ 行くか
大地を蹴る蹄の音が少しずつ小さくなっていく。
その姿をやや離れた丘の上から、ポールは眺めていた。
「マサミ 生きて帰ってこいよ」
ルカパヤン戦役編 第3話 了