熱く熱せられた風が草原を吹き抜けて行く。
数日前までの初夏の陽気は、気が付けば盛夏の熱気となっていた。
野戦築城された砦の上。眼下一面、見渡す限りの獣の男たち。
ネコとトラと、そして、雑多な種族からなる傭兵たち。
「すごいな」
見晴台に立ったマサミは息を呑んだ。
「およそ10万。よく集めたものです。殆どは傭兵ですね。自国兵を殺したくなかったんでしょう」
涼しい顔でユウジはそう言い放った。
傭兵とは実質的に消耗品である。
民間軍事会社で活動してきた現代の傭兵は、その実情を嫌と言うほど知っている。
「これ、全部魔法の掛かった戦闘兵器を装備してるんでしょうか?」
膂力に優る獣人の兵士達が普通に振り回す剣や戦斧とて、ヒトから見ればその威力は計り知れない。
しかも、その全ての武器に魔法エンチャントされてるとなれば、それはちょっと笑えない事態になる。
「それはまずありえません。裕福なネコの国でも防弾魔法や空間湾曲などの自動防御魔法を持った防具を持つのは一握りです」
双眼鏡をのぞきながらユウジは答える。
パッと見る限り、見事な装飾の施された高級な鎧や兜を装備するのは司令官クラスの一握りだけだった。
むしろ、前線の大半を占める傭兵の歩兵たちは簡易的な胸当てや革の兜的な軽装備でいる。
普通に考えたって高級装備はつまり高価格装備だ。
一攫千金を目的に命を危険に晒す傭兵が報酬の大金を手にして、さらに装備を整え戦へ行くなど考えにくい。
命からがらで得た金を持って足を洗うのが常道だろう。
「じゃぁ、こっちはとにかく」
「えぇ。片っ端から怪我をさせます。死なない程度で尚且つ戦闘能力を奪って。で、出切れば後遺症を残す形で」
消耗品である傭兵を雇い続けると金が掛かって困る。
だが、自国の兵士で直接戦闘を交える事は、イヌの国が持つ40万余の国軍対策の観点からも避けておきたい。
ネコもトラも色々と難しい部分を抱えているといって良いだろう。
最前線の指揮官とそれに指示を出す司令官は女王からきつく命じられているはずだ。
名より実を取る戦略で無くば意味が無い。
一番欲しいのはヒトの奴隷でも街の支配権でもなく、つまりは、権益。
ヒトの世界の知識階級を抱えるこのルカパヤンで他の種族よりも優先的に人頭支配出来る利権。
それを得るための、いわば必要経費と言っても良いのかもしれない。
だが、軍隊と言うのは、いや、もっと言えば、戦と言うのはやはり金が掛かる。
「殺してしまってはダメですね」
「そうです。ですけど、今日見る限りでは、向こうは我々抵抗勢力を根絶やしにする気満々ですな」
戦へ出して負傷し障害を負えばそれに対して補償せねばならない。
そうでなければ傭兵など集まってはこないし職業軍人にしたところで仕事に身が入るまい。
軍隊の種類を問わずその義務を負うのは国家だ。
それ故に戦は金が掛かるし、終わっても傷病兵対策で補償で金が掛かる。
そして、戦後は次の戦のための投資として、傷病兵とその家族達の生活を安定させるために金が掛かる・・・・
だからこそ、一回の戦闘で戦闘能力を全て奪って穏健派だけにしてしまいたい。
急進派・武等派の一派は根絶やしにして、大人しく言う事を聞くヒトだけにしておきたい。
そんな国家単位の思惑もどこかに見え隠れしている。
「ヒトと戦をすると高くつく。そう学習してもらうわけですね」
「そうです。ただ、表現が違う。そう学習してもらうのではなく、そう教育するのです。我々が」
ユウジはルカパヤンから西へ5kmほど行った平原でスキャッパーから舞い戻る筈のマサミを待っていた。
人質としてユウジを監視していたはずの、あの凄腕のウサギのスナイパーもそこに一緒に居た。
無事な再会を喜ぶ間も与えられず、一切の心の準備も無いままに、既に始まっている戦争のど真ん中へ放り出された格好のマサミ。
カモシカに奪われたこの街の実効的支配権を奪い返すと言う当初の目的など、ネコとトラは気にしていない風だ。
ヒトは増えすぎた。そんな思惑もあるのかも知れない。
生きて帰りたい。そうは願うものの・・・・・
絶望的な守備戦闘は既に1週間を経過したところだった。
―― 彼らの軍使が来るかと思っていたらそんな者は来やしませんでした
―― どうやら戦の相手とすら見てもらえて無いようですな
冷たい現実の言葉を聞いてマサミは震えた。
彼らは我々に一片の容赦も無く攻めるつもりらしい。
「マサミさん。指輪物語って知ってますか?」
「えぇ、もちろん。映画も見ましたよ」
「それは羨ましいなぁ。ここにも落ちてきたんですけどねDVDが。でもリージョンコードで見られなかった」
「あらら、残念ですね」
「ローハンの騎士が砦から見下ろす一面のダークエルフの群れってこんな感じなんでしょうね」
「・・・・そうですね」
トラの戦士が大音声で吼える。
その声に多くの兵士が応えた。
その昔、僅かな量の燃料を気前よく焚いて建設機械を動かし作ったと言う野戦築城の土塁城壁。
土塁分の土を掘ったところは空堀になっていた。
斜度70度を越える急な坂道の土塁が高さ6mにも達している。
十分周到な準備だと思っていたのだが、この施設はもう既に何度も使われている防衛戦闘の為の砦でもあるらしい。
だが、騎馬兵などは確実に突入を防ぐ仕組みなのだけど、話に聞く魔法の攻城戦などやられたら一気に瓦解するかもしれない。
キチンと作られた城や砦では無いと言う部分での恐怖。
「やってみようじゃないですか。この応急的な設備でね。派手な防衛戦闘を」
なかば吐き捨てるように言ったユウジの言葉。
過去の戦闘記録を書き残した詳細な資料を何度も読んだと彼は言う。
ヒトの世界でも実戦を経験している者が前線指揮官を頼まれるのは、普通な事なのだろう。
「勝手に死なれては困る。俺はまだまだ学び足りない」
ふと気が付くと、背後にはあのウサギが立っていた。
相変わらずスコープすらない古い銃を持っている。
「ヒトの戦い方を学んでおきたい。そうすれば俺の価値はもっと上がる」
自己を高める為の訓練。その為にユウジを自由にしている。
スキャッパーから戻ってきたマサミに対し、ウサギは事も無げにそう言い切った。
「・・・・あなたは傭兵ですからね」
「あぁ、そうだ」
目の見えないはずのこのウサギは、これだけの大軍勢を前にどんなイメージを描いてるのだろうか?
視覚情報が無いだけに、全てを音に頼る筈のウサギの耳。
「さて、休憩時間は終わりです。奴らも昼飯を終えたことでしょう。持ち場に戻ってください」
野戦築城した砦を迂回してルカパヤンの街を直接襲うのかと思っていた鎮定軍がここに居座って既に7日。
する事といえば土塁の前までやってきて大声で吼えるか、さもなくば小規模な魔法集中による防衛線破壊。
まるで、ヒト側の実力を測っているかのような動きを繰り返していた。
昼時などは暢気に焚き火までして昼飯を食べだす始末。
戦意など無い傭兵たちにとっては、戦争期間が延びれば延びるだけ日当が増える勘定だ。
ついでに言えば、ヒトの世界の強力な兵器で撃たれて死にたくは無い。
ヒトがバカバカしくなるか、さもなくば戦意を喪失して戦線を引き払うまで。
持久戦ともいえる戦いをしているのだった。
つまり、ルカパヤンの街を破壊する意思は無いと見て間違いなさそうだ。
「じゃぁ、ここをお願いします」
マサミはライフルを持って持ち場に戻った。
3重に立てられた騎兵の突入を防ぐ為の馬防柵の内側。
手持ち火力を集中投入した火線の集中する最前線。
―― あなたには死なれたら困るんですよ
―― ですから、一番安全なところへ
あの理事たちが指示した安全な場所は最前線だった。
・・・・あいつら狙ってやがったな
マサミがそう悪態を付きたくなるのも当然といえる。
しかし、イヌの国の重装防御衣服をまとい、強力なNATO弾のライフルを持つ兵士だ。
おまけにライフル以上に強力な対物狙撃銃を持ち、散々撃って練習してきたのだ。
一番危険な場所に配置されるのは当然ともいえる。
「おい!野郎ども! ビビんじゃねーぞ! 初弾装填! あの獣くせぇ筋肉バカどもを血祭りに上げんぞ!」
筋骨隆々な野戦指揮官役のおっさんが叫んでいる。
左右に陣取るヒトの男と一緒に、マサミはG3のボルトを引いてチャンバーへ初弾を送り込んだ。
・・・・さぁ!今日もおっぱじめようぜ!
隣に陣取る10代のあんちゃんが血気に逸っている。
ヴィぃィィーー!!!!!!!!!!
どこからか合図を送る笛の音が聞こえる。
バスの後退を誘導するバスガイドの笛だなぁ・・・・
妙な事を考えていたら担当するエリアの射撃指揮官が叫んだ。
・・・・おー!奴らちょっとやる気みてぇだぜ!突っ込んでくるぞ!
・・・・第1突撃集団が来たら一番前の青い柵まで待て! 柵に達したら各個射撃を始めろ!!
・・・・無駄に弾を使うなよ!残りは5000発を切った!
3重の柵はそれぞれ違う色が塗られていた。
一番外側が青、2番目は黄色、一番手前が赤。
そして、その手前が堀。柵は約30m間隔で立てられている。
それぞれの柵の間には映画で見たような対戦車誘導障害にも見える複合形状の障害物が高さが地上20cmから80cmの間でランダムに並べられ、シケインのように配置されている。
どこへ伏せても射線・火線の餌食になる構図。
伏撃姿勢で照準サイト越しにネコの騎馬兵の腹部を狙うマサミ。
目標までの距離、およそ100m。
G3ならば鎧を貫通する事も可能な距離だ。
ダン!
軽い衝撃と共に初弾が放たれた。
赤く光る線がスーッと延びていって、ネコの騎兵の腹部を貫通する。
紅蓮の花がパッと咲き、血を吐いてネコの騎兵は馬から落ちた。
狼狽する周囲の傭兵たち。ヒトの兵士が歓声を上げる。
それを合図にして、各射撃サイトが各個射撃を開始する。
パン!バン!ダン!
ババン!ババン!
自動小銃やボルトアクションライフルの奏でる、それぞれが個性的な音の賑やかな銃声。
マサミのルカパヤン戦闘はこうして続いていた。
・・・・おーし!先頭集団を漸減したら射撃やめー!
再び静けさが戻ってくる。
火線のアチコチからマガジンを変える音や弾を押し込む音が聞こえる。
殺しきるな。重症を与えろ。
そんな指示が徹底されている守備陣営。
それを守るヒトの防御戦闘は実に統制が取れていた。
射撃の合間。重傷を負った傭兵や騎兵が仲間に抱えられて後方へ撤退する。
おそらく陣幕の向こうでは手配された野戦医師により治療が行われているはず。
回復魔法を使える一握りの高階層僧侶などが重傷者に回復魔法を行使していたが、如何せん数が多すぎて僧侶の方が疲れてしまい寺院へ帰ったようだ。
事実上、使い捨てで使われる傭兵たち。
彼らの不平不満は日増しに高くなってきている。
・・・・今日はもうお終いのようだな
高台に陣取って戦闘指示を出していたおっさんが望遠鏡を覗き込みながら叫んでいる。
馬防柵の向こう側までやってきていた兵士たちが引き潮のように帰っていった。
「今日も生き残ったみたいだ」
見知らぬ誰かから声を掛けられマサミはふと我に帰った。
連日続く戦闘でどこか感情が麻痺しているのかもしれない。
なんとなく感じる生を確かめながら、マサミはあてがわれた宿舎へと帰り道に着いた。
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戦闘開始から3週間。
散発的な小規模の小競り合いはあるものの、傭兵の大半が死に絶えた平原は死臭溢れる壮絶な空間になっていた。
連日30℃を越える夏の陽気の中、およそ5万もの死体が累々と積み重なっているのだ。
鼻が曲がる程の腐敗臭が漂い、ハエやウジが蠢く吐き気満点のグロイ世界。
当然、ヒトもネコもトラも生き残った傭兵たちも。
こんな臭いの中では食事など出来るわけが無い。
「マサミさん!どちらへ!」
顔見知りになったヒトの男に呼び止められたマサミ。
片手に大きなスコップを抱え馬防柵へと歩いていくところだった。
「彼らを埋葬する。ちょっと臭いが酷いのと、このままじゃ野犬の餌食だ。治安上も問題だし」
まともに食事が喉を通らず憔悴仕切った姿だが、それでも充実した毎日だ。
まぁ、充実していると言う毎日の内容が少々問題なのだが・・・・
「よっこいしょ!」
馬防柵を乗り越えてキリングゾーンへと足を踏み出したマサミ。
鼻を焼くほどに臭う死臭が渦を巻いている。
「こりゃ酷いな」
銃撃を受け穴の開いた鎧のところからウジやらハエやらが出入りしている。
そのおぞましいほどの光景を見れば、普通なら卒倒しかねないのだろう。
だが、数日前まで銃撃と手榴弾と迫撃砲で血や肉や死体の飛び交うシーンを目撃してしまうと、なぜかこんな死体ですらもただの生ゴミに見えてくるから不思議なものだ。
少し広くなった場所を探してシャベルを突き刺し、せっせと穴を掘り始める。
深さ50cmほどで2m近く掘った穴へ足を引きずっていって最初の死体を落とし込んだ。
たぶんネコの傭兵だろう。なんで裕福な国の国民が傭兵に出てるのだろう?
裕福ゆえに借金が嵩んだか、それとも事業のための資金が欲しかったのか。
「次はヒトと喧嘩しないようにな」
掘り返した土をそっと掛けて、最後に盛り土の上に剣を置いた。
これでよし。盛り土に手を合わせ冥福を祈って、そして次の死体用の穴を掘り始める。
ヒトの側からも鎮定軍の方からも視線が来ているのを感じている。
だが、マサミはそれを気にしないで作業をし続けた。
5体目。どうやらネコ科の違う種族らしい。
6体目。どう見てもヘビだ。爬虫類系の種族だろう。トカゲかもしれない。
7体目。イヌかオオカミか。いや、顔立ちからしたらジャッカルとかハイエナかもしれない。
8体目。これは・・・・損傷が大きくてわからない。内蔵をぶちまけ顔も半分腐っていた。
墓穴に落とし込んで土をかけ始めたとき、背後に人の気配を感じた。
「貴様の作業を手伝ってやる。ありがたく思え」
振り返るとそこにはとんでもない巨躯のトラの男が立っていた。
マサミが使うより二周り以上大きなシャベルで穴を掘り始める。
「手伝わせてやるから感謝しろ。死者を弔う事に種族の壁は無い」
あくまで対等な口をきいてマサミもまた穴を掘りだした。
ヒトとトラが死者を墓穴に納めている不思議な光景。
それを見ていたヒトの陣地の男たちがシャベルを持って出てきだした。
「手伝いましょう」
トラの周りにヒトの男たち。
威張るでも指図するでもなく、トラもまた汗を流す。
「おいおい、トラの名折れだ。手伝うぜ」
鎮定軍側陣地から続々とトラの兵士達が続いた。
惰眠を貪っていた傭兵たちも武器を片付け死体の埋葬に集まり始める。
広大な平原にびっしりと並ぶ墓の盛り土の列。
土饅頭が草原を埋め尽くしていた。
作業開始から4時間程度が経過しただろうか。
損傷の軽い死体はあらかた埋葬が完了した。
問題はここからだ。
強烈に腐敗して白骨化しつつある紛争初期段階の死体。
野犬などに食い荒らされた無残な死体。
そして、炸裂系の兵器で木っ端微塵になった種族すらわからぬ体のパーツ類。
「これらは共同墓地にしよう。まとめて埋葬が良いと思う」
マサミがそう提案し最初に穴を掘りはじめた。
深い穴が掘られ、草原の各地から死体が集められて投げ込まれた。
戸板やら担架の成れの果てやら。
ネコ車のお化けのようなものまで動員され平原から死体が集められ、穴に放り込まれる。
ただ、いかんせん量が多すぎてなかなか終わらない。
そろそろ集中力が切れ始めたかと言う頃合。どこかの若いヒトの男が穴の縁に落ちた獣の腕を足で穴へ蹴り落とした。
「おい!」
強い怒気を含んだ声でマサミが怒鳴った。
「死体を辱めるな!死者を辱めるな!自分が死んだらそうされたいか!」
予想外の言葉にヒトの男が驚いている。
それだけではない。
獣の男たちも新鮮に驚いている。
「・・・・も、申し訳ない」
遠くに見える山並みの上辺り。真っ赤な太陽がゆっくりと沈むのが見える。
何処からとも無く強い風が吹き、草原にたまっていた死臭をどこかへ吹き払った。
「今夜はゆっくり寝られそうだな」
その場の空気を変えようとしたのか。どこかの獣の男がボソリと一人ごちた。
鎮定軍の傭兵がそれに応え浮ついた口調でおどけたように言う。
「司令官殿は傭兵に夜戦突撃を命じる腹だぜ。枕を高くして寝ててくれよ。そうすれば俺たちは死なないで済む」
わっはっは!と笑い声がこぼれる。
傭兵たちは明日をも知れぬ中で戦闘してるのだ。
今を生きている事に感謝するのは自然なことだろう。
マサミ達ヒトの安眠を妨害する一言は、彼らにとっては違う意味を持っているのかもしれない。
「夜戦突撃する前は一声掛けてくれ。手持ち戦力を総動員して大歓迎するから」
マサミの言葉に今度はヒトの側の防御陣営が大笑いする。
微妙な心理戦が繰り広げられているともいえるし、ある意味で戦友とも言える者同士の気の置けない会話でもあった。
「さて、ぼちぼち晩飯だな」
埋葬作業をしていたヒトの多くが街へと帰り始めた。
傭兵やトラの兵士達も自分たちのキャンプへと帰っていく。
草原から見る遠い山並みの向こうへ太陽が沈んでいく荘厳な光景。
息を呑むほどに美しいその情景を見ながら、マサミは目の前に広がる膨大な数の埋葬丘を見ていた。
――なぜ争うのだ?
無念とも後悔とも付かない複雑な感情が沸き起こる。
この土の下に眠る者達にも家族があっただろうに。
「おい、ヒトの男」
ふと気が付けば最初にマサミの手伝いをした見事な毛並みのトラがそこに立っていた。
「なにか?」
あくまで対等な口調を努めて使うマサミ。
「敵に情けをかけたつもりか?」
「・・・・バカな。戦が終われば同じ生き物だろ。死者にも名誉と尊厳がある。それを尊重しただけだ。種族など関係ない」
トラの男を睨みつけるように言い放ったマサミ。
その言葉をゆっくりと反芻しているかのようなトラの男が不意にヒトの側の陣地を見た。
「お前の死体を見つけたら俺が責任持って名誉ある埋葬をする」
「あぁ、分かった。ならば私はあなたの死体を誰にも辱めさせる事無く埋葬する事を約束する」
毅然と言い放ったマサミの表情が涼しげなほどにさわやかである事にトラの男は驚いていた。
「お前は死が怖くないのか?」
「あなたは怖いか?」
「勿論だ。死にたくは無い」
「そうですか」
「お前はどうなんだ?」
マサミの胸にまるで刃でも付きつけるかのように指を立てて、トラの男は真剣な表情で問うた。
「死は怖くない。ただ、自分の死が無駄になる事の方が怖い」
「無駄?無駄だと?」
「あぁ。誰かのために役に立って死ねるなら、それは意味のあることだ」
「どんな意味だと言うんだ?死んだらおしまいじゃないか」
「次の世代の為に意味ある死を迎える事が出来れば、それは立派な事じゃないか。名誉ある死を得る為にヒトは闘う。それだけだ」
ほぉ・・・・
言葉にすればそんな感じだろうか。
マサミの率直な言葉にトラの男が驚いていた。
名誉とメンツを重んじるトラと言う種族の、その思想的な根幹にあるプライドを裏打ちする部分。
そんなところをマサミの言葉がくすぐっているのかもしれない。
「ヒトの世界ではこう言うんだよ。命は軽く・名は重く。死んでから指差されて笑われる恥ずかしい生き方はしない」
ニヤッと笑ったマサミはくるっと踵を返してヒトの陣地へ歩き始めた。
その背中を夕陽が照らし、地面へ長い長い影を落とす。
その影がスーッと消えて辺りには音も無く夜の闇が近づいてきた。
足早に馬防柵を乗り越え陣地へと体を滑り込ませるマサミ。
ふと気が付くとあのトラの男がまだこっちを見ていた。
右手を上げて別れの挨拶をマサミは送った。
立っているトラの男も右手を上げて対等な挨拶を送り返してきた。
なんとなく通じ合えたと言う満足感。
――なぜ争うのだ?
より一掃、その悩みは深くなっていった。
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膨大な量の腐乱死体を埋葬してから1週間。
毎日の様に挑発行動を繰り返してはヒトの防衛戦力を砦の外に誘い出そうとしていた活動がピタリと止んだ。
不気味なまでの静寂と平穏。
時折聞こえる銃声。
つい先日までは凄惨な死の空間だった草原に花が咲き、長閑に蝶が舞い踊っていた。
「静かですね」
戦況確認の為に巡回しているユウジはそんな独り言を言いながら双眼鏡を覗いていた。
「何か言われましたか?」
護衛役を買って出たマサミの耳に僅かな声が届いたのだろうか。
そっと歩み寄ってユウジに並び立った。
「いや、この1週間ほど戦闘がありません」
「向こうも疲れてきた。さもなくば戦意を喪失する何かが起きた」
「いや、それならば良いのですがね」
「と、いいますと?」
双眼鏡を下げて肉眼で戦線を確認するユウジの視界には、ヒトの陣地から凡そ4キロ彼方にある鎮定軍の野営幕が見えていた。
そして、その周りにあるおびただしい数の傭兵や正規兵のテント。武器弾薬を管理する石積みの営倉。
チラホラと上がる煙は食事の為の物だろうか。
火を扱っているのは間違いないのだが、そのどれもが暢気に煙を立てている。
かまどを設置して火を扱うと言う事は、長期戦を想定していると言う事なのだろう。
「例えば、傭兵などの増援を待っている可能性。または他の種族の支援を受ける為の準備。或いは、何か強力な兵器を使う為の・・・・」
ヒトの視力では捕らえきれない長距離での動きは把握できない。
他の地域に張り巡らせた、ヒトや協力を約束してくれる様々な種族の支援者達が送ってくれる情報だけが頼りだ。
偵察衛星も観測機も無い中での手探り戦闘は酷く神経を使う行為だった。
「なにか良い偵察方法は無い物ですかね」
「・・・・難しいですね」
溜息混じりに場所を移すユウジ。
馬上でもう一度双眼鏡を覗くその姿には隠しきれない疲労の色が色濃くなり始めていた。
同じ頃。
街の中心部にある建物の一室。
理事会と呼ばれる街の意思を決める最高機関の会議室。
出席している理事達の心配事は、底を付きつつある弾薬の残量と食料備蓄の補給だった。
まだ殆ど使ってない特殊火器類の弾薬はともかく、標準的に使われる7.62mmの銃弾は派手に戦闘すれば1週間持たないのが目に見えていた。
かと言ってNATO弾の3倍近い備蓄がある5.56mmの小口径弾薬では、有効ダメージを与えられる距離が大幅に短くなってしまう。
高初速で低伸弾道な小質量高速弾丸は丸裸の様に軍服一枚のヒトならばともかく、例えそれが皮や鎖帷子のような初歩的な物だったとしても、装甲増加効果を持つ者へのロングレンジ射撃では意味を成さないでいた。
ルカパヤンの街中で実験したところ、鎖帷子の両面を打ち抜く為には20m~30mでの射撃が必要と言う結果になった。
ヒトの世界のようなか細いチェーンではなく、獣の職人が作る鎖帷子のチェーンは太く逞しい。
50mでも両面貫通が可能なNATO弾の減耗は、守備側にしてみれば死活問題ともいえるのだった。
「で、どうするかね。守備を諦めて一挙に平原で突撃するわけにも行くまい」
「戦車が使えれば良いんだがねぇ」
「陣地へ野砲を打ち込んだとして・・・・」
「種族的な反感や徹底殲滅を決意させる執敵心を煽る行為は出来れば慎みたいものだ」
「かと言って、このままではジリ貧だな」
痛いほどの静寂。
悲痛な沈黙の意味するところはつまり、絶望。
他に手が無い所まで追い詰められつつあると言う部分で、理事達の焦りは当然とも言える。
「止むを得ません。市街戦にしましょう」
一人の理事が声を震わせ提案した。
「街中へ彼らを引き込むのかね」
「危険だ。正面突破戦術以外で攻撃された場合・・・・」
反対意見が沸きあがる。
当たり前なのだが、それでも言葉に出るのは辛い部分でもあった。
「市街戦へ引き込んで、どう抵抗するかを考えよう」
車椅子を滑らせたファーザーと呼ばれる男が場を沈める一言を口に出した。
何処までも現実的な選択をするしか無い。
玉虫色の理想論を掲げたところで、実際に訪れるであろう破局を回避する事は出来ない。
「ファーザー。現場指揮官を呼びましょう。意見を求めるのです。実際に戦うのは彼らだ。我々老人では戦力にはならない」
おそらく、その場の最高齢と思われる理事はゆっくりと口を開いた。
間違いなく正論が述べられた。
そんな空気が理事会の会議室に満たされる。
チリーン・・・・・
「お呼びですか?」
ドアを開けて入ってきた女性にファーザーは指示を出す。
「各兵科の長をここへ集めてください。大至急です」
「かしこまりました」
ドアの閉まる音と共に誰かが溜息をついた。
「前線本部を作るようですな」
「ここでそれをする訳には・・・・いけませんなぁ」
「そうですな。ここはルカパヤンの歴史そのものだ」
強靭な建築方式を持って作られた地上5階地下3階のルカパヤン中央オフィス。
ここにはこの街が誕生してから経験した全ての記録が残されている。
過去数度行われた獣人の軍隊との壮絶な防衛戦闘の記録や、国家間交渉の記録である。
そして更には、ルカパヤンの生まれ育ち死んだヒトの記録もあった。
いつの日か、この施設がルカパヤン政府施設となる日のために。
そんな言葉が定礎に添えられたここを焼き払うわけには行かなかった。
「預かり屋の事務所で良いでしょう。あそこなら視界が良い」
老人の指差した窓の先。見るからに一際強靭な建築の建物が見える。
ラムゼン商会の預かり屋が持つ建物はヒトの世界の知識と技術が惜しみなく注ぎ込まれた建物だった。
ガチャリ・・・・
「お呼びですか?ファーザー」
各兵科。そう言ったところでここでは歩兵の普通科と工兵などの実務作業科しかない。
機械化歩兵や砲兵や機甲師団などの特殊兵科を持たぬ以上、単なる各隊の隊長クラスを召集する程度でしかない。
「このようなプランが提案された。各位の意見を聞きたい」
ファーザーが示した街の見取り図に書き加えられた市街戦プランの図。
それに各隊が思い思いの経験を勘案したプランを書き加えている。
事実上、これしか対抗策が無い。
そんな所まで追い詰められている事を、各隊の隊長は思い知らされていた。
少しでも抵抗する。
1分1秒でも長く抵抗する。
一人でも多く道連れにして・・・・・
激論が闘わされ驚くべきプランが完成するまでの約3時間。
理事会の席の片隅で車椅子の老人は事の成り行きを眺めていた。
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その夜。
二つの月が両方とも新月になる夜。
墨を流したような漆黒の闇が平原を埋め尽くしていた。
僅か数メートル先ですらも全く認識できない闇だ。
最前線の見張り役は塔の上からノクトビジョンで眺めていた。
「ユウジ。何か来るぞ」
前線指揮所の奥にある粗末なソファーでまどろんでいたユウジをあのウサギのスナイパーが起した。
「何が来るんだ?」
「それは分からない。ただ、慎重に距離を詰めて歩く足音だ。まだ平原の中ほどだが」
出来る限り音を立てないように起き上がったユウジ。
僅かな物事の気配でマサミも目を覚ました。
「何かおこったんですか?」
「いや、これから置きそうな気配です」
ただならぬ雰囲気にマサミは素早く戦闘服を着て傍らに立てかけてあったG3へ手を伸ばした。
「今回は指示があるまで絶対に撃たないで下さい」
「了解」
足音を殺して指揮所の外に出た3人は最前線の馬防柵付近へとやってきた。
真っ暗の闇が何処までも続く平原。
ここでは音だけが頼りだ。
「ハイハ、見張り役は?」
「ちょっと待て」
しばらく見上げていたウサギのスナイパーは突然銃を構えると狙いを定めた。
「耳をふさげ」
パン!
フンギャァァァァァァ!
ドサッ!
「どうした!」
「ヘビだ!」
「見張りは?」
「おそらく死んでいる」
暗闇に向かって耳を澄ますハイハ。
賑やかな音を立てて次弾を装填すると暗闇に向かって狙いを定める。
パン!
フングゥォ!
「奴らは暗闇でも目が見える」
ボルトアクションライフルのボルトを牽いて3発目を押し込んだハイハ。
再び暗闇に銃を向けるのだが・・・・・
「奴らは静止した。音が無い」
風の無い晩はさしものハイハとて音が聞こえない。
息を殺しジッとチャンスを待つヘビのコマンド達。
「照明弾用意!」
迫撃砲の発射筒が用意され、閃光照明弾が運ばれてきた。
「撃て!」
ポン!
頭上遠くで炸裂音が響き、パーっと平原に明かりが落ちる。
そこには数名だと思っていたヘビのコマンド達が少なくとも100名単位で展開していた。
「照明弾連続発射!各射撃管制は責任領域を掃討しろ!ファーストラインまで前進!各個射撃開始!」
寝ている所をたたき起こされてきたヒトの防御陣営が集まってきてそれぞれの射撃管制により統制射撃が始まる。
だが、どう見てもその数は平常時の半分にも満たぬ数だった。
「奴ら、このタイミングを待っていたな」
ダン!ダン!ダダン!ダン!
パン!ダン!パパパパパパパパパン!
暗闇の中に赤い線がスーッと延びて行ってパッと消える。
鈍い唸り声と共に何かが砂利の上で悶える音が響く。
しばらく射撃が続いていたが、各射撃管制はそれぞれに射撃停止を指示した。
「ハイハ、どうだ?」
暗闇に向かって耳を澄ますウサギのスナイパー。
「全滅したと思う。音が聞こえん」
「そうか」
だが・・・・
タン!
唐突に平原側から撃ち返された。
慌ててその場に伏せるユウジとマサミ。
ハイハは平然と立っている。
「ハイハ!伏せろ!」
「いや、大丈夫だ。当たらない」
タン!
散発的な反撃が数度おきて再び静かになった。
タン!
銃弾が頭上を抜けていく恐怖。
流石のマサミも小便をちびりそうだ。
「ハイハ。どうなってるんだ」
「制止し時間を掛けてゆっくりと動き、単発の銃を撃っている。全く音が聞こえない」
痛いほどの沈黙と静寂。
全く風の無い夜。
こんな夜に限って虫の声も聞こえない。
月の無い夜は星ばかりが綺麗だ。
満天の星空を横切るように銀河が輝く。
「守備班順次後退せよ。ゼロラインまで撤退」
ユウジの指示で馬防柵付近に前進していたヒトの射撃班が後退を始めた。
その音に混じって奴らが動き出すかもしれない。
ハイハがジッと聞き耳を立てている。
「ユウジ。良い夜だな」
後退するヒトの列を割って姿を現したのは・・・・ シュテンドルフ。
「今夜はワシが引き受けよう。お前達は後退しろ。そこのウサギの男もだ」
「ヒト風情が俺に指図する・・・・
不機嫌に言い返したハイハの言葉がぴたっと止まった。
瞬間的にユウジやマサミは鎮定軍のコマンドの音を探し当てたと思った。
だが、実際は物音一つ立てずにハイハへ急接近したシュテンドルフの動きに驚いて言葉を停めただけだった。
「邪魔だ。うせろ」
足音一つ立てずに歩くシュテンドルフ。
漆黒の闇にスーッと消えていくシルエット。
草原の中央付近へと歩みを進め、そして・・・・
ギュァ! ベキ! ドシャ! バキ! メキメキメキ・・・・
ビチャ・・・・ ペチャッ! ポタポタポタ・・・・・・
ンギャァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!!!!
タッ・・・・ タッ・・・・ タッ・・・・ タッ・・・・
タッ・・・・ タッ・・・・ タッ・・・・ タッ・・・・
タッ・・・・ タッ・・・・ タッ・・・・ タッ・・・・
ヌッチャ! ベキ! バキ! ゴキッ!ゴキッ!ゴキッ!
「お前達の血は臭いんだ・・・・ 獣臭い・・・・ 不味くてのめんな・・・・」
アァァ! ヤメロ! ヤメテクレ!! アァァァァ!!!! ギャァァァァ!!!! ギ・・・・・
グチャッ! メキメキメキ・・・・ ズブッ! ブチブチブチブチ・・・・・・
しーーーーん
「何が起きてるんですか」
音しか聞こえない環境に響く様々な音。
少なくとも、生物の肉体が”通常では ”このような音を発するとは思えない・・・・ 音。
生木を縦に引き裂くような。フライドチキンの骨をねじ折るような。生肉を力任せに引きちぎるような。
「起きてるんじゃない。終わったんです」
静かな口調のユウジが闇の深淵を眺めてそう言った。
「なにが?」
「一方的な・・・・ 殺戮・・・・ ですよ」
再び静まり返った平原。
闇のほうへ耳を向けていたハイハがボソリと言う。
「気配はするが音が無い。何者なんだ」
「ヴァンパイアだ」
「・・・・そうか。戦わなくて良かった」
再び痛いほどの沈黙。
5分、6分・・・・
「終わったぞ」
唐突にそんな声がして暗闇の中からシュテンドルフが現れた。
全身に返り血を浴びて、口元からは血を滴らせて。
「ご婦人が見たら卒倒する姿だな」
威厳ある声と姿のシュテンドルフへ、ユウジはまるで友達であるかのように声を掛ける。
「いいね。ご婦人か。ヒトの生き血などもう100年以上口にして無いな」
にやりと笑ったシュテンドルフが暗闇に再び溶けていく。
気を許した相手には寛大な様でもあるが、それでも警戒は怠りたくは無い。
「帰るのか?」
「あぁ。あと数時間で夜明けだ。ミディアンは闇へ帰る」
半透明になった姿がスーッと消えて行って、完全に闇そのもになって消えた。
テレポートだろうか。それとも・・・・
「あの方はどうやって移動を?」
「さぁ、私には分かりません」
「コウモリだ。小さなコウモリが幾つも空へ消えていった」
マサミとユウジの会話にハイハが入り込む。
小さなコウモリに姿を変えて闇へ消えていったらしい。
「闇の中で立ち尽くすってのは寒いですね」
「えぇ、平原の闇夜は真底冷える」
「風呂に入りたいなぁ。たっぷりとした湯船へ湯を張って」
「マサミさん。あなたは風呂が好きですね」
くだらない会話をしていると、地平線の向こうが少しずつ明るくなり始めた。
僅か10分足らずだが、黎明の空にいっそう星が輝く。
その荘厳なまでの光景に言葉を失って夜明けを眺めるマサミ。
少しずつ光りが溢れ、そして、そこには闇夜に紛れ何が起きたのかを示す痕跡が現れ始めた。
「街中の要塞化作業に人手を取られた隙って感じですね」
「えぇ、そうです。内通者が居るのか。それとも上空から偵察されたか。さもなくば・・・・」
「魔法による偵察ですかね?」
「そうですね、古典的ですが水晶玉のスパイ活動ってありますからね」
ルカパヤンの大通りを含む主要な大路と通りは碁盤の目状に整備され、その中央付近には巨大な中央オフィスビルがそびえる。
その前は大きな中央広場。巨大な野球場が4つくらいは軽く収まる大きな広場だ。
公園状に整備されその広場からは放射状に5つの大通りが延びる。
その通りから左右に分かれる大路や通りをバリケードで封鎖し、中央広場へと続く一本道にしてしまう作業。
突撃してきた騎兵や歩兵を奥深くまで誘い込んで、頭上から小口径自動小銃や火炎瓶や。
そしてもっと原始的な兵器。小石やねじを貼り付けたダイナマイトや濃硫酸・濃硝酸のビンなどを投げつけて被害を与える作戦。
「バレバレですね」
「いや、街中はそうでもないと思いますよ」
「そうなんですか?結界とか?」
「あそこは不思議と魔素の力場が強いそうで、相当な術の使い手でもなければ混乱するそうです」
「じゃぁ」
「えぇ、ここ守備陣地の様子を見たんでしょうね」
一夜の戦闘で大幅に手持ち弾薬を減らしてしまった守備陣地。
一瞬のパニックが引き起こした乱射こそが、あのヘビ類のコマンドの本当の目的かもしれない。
「夜が明けたら彼らを埋葬しましょう。何が起きたのかを彼らの側にも見せながら」
普通では考えられない状態の夥しい死体。
強い力で引きちぎられて無残な姿になった肉片。
どす黒い血の水たまり。
ユウジは目を細めて溜息をついた。
「そうですね。闇にまぎれた戦闘では分が悪い。そう学んで欲しいものです」
血生臭いにおいがうっすらと流れ始める。
夜明けと同時に風がおき始めたようだ。
胸を悪くするような臭いに軽い嘔吐感を感じながら、マサミはその凄惨な光景を見ていた。
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コマンドの襲撃から3週間。この日、草原は朝から雨だった。
深夜の襲撃に備え最前線では赤外線の非常警報線が整備された。
通常では見えない赤外線のセンサーだが、ヒトならぬ種族の可視光帯域には入るようで、夜間は全く大人しくなっている。
それを幸いに、守備陣地は大幅に人が減っていた。
実際の話、今までのように200人規模での管制射撃を行うほど7.62mmの弾薬が残っていない。
前線指揮官のユウジとその直接指揮下に移籍してきたマサミ。
そして僅か5人足らずの戦闘要員。
残りは街中の作業に24時間体制で当たっていた。
「困りましたね。今度は食料も足りない」
「そうですね。今度攻め込んできた傭兵たちの死体を持ち帰って焼いて食べますか」
「ユウジさん・・・・ 冗談ですよね?」
「いや、案外マジです。結構うまいですよ。特にトラやネコといった種族の肉は焼いて食べます」
恐ろしい事を平然と言い放ったユウジ。
長引く戦闘でどこかちょっとおかしくなっているのかも知れない。
手持ちの少なくなったNATO弾に変わり前線へ送り込まれたのはブローニングM2重機関砲。
7.62mmを越える12.7mmの大口径機関銃だ。
そして、そのM2を4基あわせて電磁作動激鉄を装備した4連装機関砲座。
誰が呼んだか、その名も"ミートチョッパー"(挽き肉製造機)と言う渾名付きのとんでもない代物。
ユウジは言う。
朝鮮戦争当時やベトナム戦争では、この挽き肉マシーンは相手にとって悪夢以外の何物でもなかったと。
7.62mmを越える12.7mmの威力はマサミの持つバーレットを見れば良く分かる。
初速が音速の3倍近い速度なうえに、NATO弾とは比較にならぬ大質力の弾丸が毎分500発近くもばら撒かれるのだ。
しかも、弾丸の最大射程は凡そ3kmもあり、重装甲の歩兵とて防弾魔法が無ければ500mの距離で射殺出来る。
僅か数名の守備とは言え、1000人単位で攻勢を受けたところでなんら問題にしないと言うのが正しいのだろう。
防御陣地のど真ん中に鎮座する4連装のM2は平原はおろか、鎮定軍のキャンプ地付近まで有効打撃を与えられそうな気配だ。
「今日は雨です。動くなら今日ですよ。なんせ、雨の日は接近戦闘になりますから」
「確かに雨の日は嫌ですね」
「えぇ。おまけに段々と風が出てきた」
気が付けば草原を渡る風が少しずつ強くなっていた。
台風でも来ているのだろうか?
初夏ではなく盛夏の陽気に包まれていた平原を冷やすように冷たい雨が降っている。
「上空には既に冬の空気が入ってるのかもしれませんね」
「そうですね。気象観測など考えもしない世界ですから、落ち着いたらじっくり調べたいところです」
雨の中、雨合羽を羽織って菅笠状の雨避け帽を被ったユウジは双眼鏡をのぞいている。
この時期の雨の日は視界が悪い。しかも、連日の陽気で地面が熱を持ってしまっていた。
降ったそばから蒸発し始める雨により飽和水蒸気がもうもうと立ち込めている。
鎮定軍の陣地は霞んでしまってほぼ見えない。
有視界戦闘を前提に騎兵が横一線に並んで高速突撃してきたらひとたまりも無い。
ブルッと身悶えて武者震い一発。マサミはM2のハンドルをグッと握った。
「お?」
双眼鏡で何かを探していたユウジが声をあげる。
「どうかしましたか?」
「どうやらビンゴです。奴らが動き出しました」
「騎兵ですか?」
「ですね。およそ1000騎。重武装の重装甲です。草原の中央付近で停止しました」
「何を始める気でしょうか」
息を呑んで双眼鏡を見続けるユウジ。
だが、その視界に入ってくる情報は絶望を想起させるものだった。
「あ゙!」
一瞬の風が草原のもやを払った。
サーっと視界が広がり、各砲の銃座にいた僅か5名の守備隊の視界にも横に並ぶ騎兵の姿が見える。
そして・・・・
―― 天!
―― 地!
―― 猫!
騎兵の間に並んでいたネコが印を切って何かを詠唱した。
「全員伏せろ!」
ユウジが絶叫する。
意味はわからずとも何が起きようとしてるのかは理解できた。
魔法による攻撃。それも騎兵の突撃を支援するための準備攻撃。
銃座から飛び跳ねるように後退し、土嚢の影に伏せるマサミ。
地響きと猛烈な風の唸り。
何かが来る!
次の瞬間。
上を向いていたマサミの視界を『ドン!』と言う音と共に、津波のような雨交じりの衝撃波が通過していった。
雨だけでなく砂や泥や草の千切れた葉っぱが通過していく。
およそ30秒間の猛烈な風。瞬間最大風速100mか?と思わせるような暴風。
あまりの風圧に土嚢が崩れ、マサミの体に土砂がこぼれる。
ペッ! ペッ!
口に砂が入り酷くまずい。
風がやんだのを確認して起き上がって見れば、横一線に並んだ騎兵が後100m程の所まで接近していた。
「各個射撃開始!急げ!なぎ払え!」
慌てて銃座についてボルトを起こし引き金を引く。
だが、機関砲はたったの一発も発射出来ない。
一瞬の猛烈な風と衝撃波で銃口から砂でも入ったようだ。
「非常吐出!シックネスゲージ再調製!早く!」
ボルトを引いてチャンバーを露にしたM2の銃口へ圧縮空気を送り込む。
銃口からは埃っぽい砂交じりの油が吹き出た。
遊低部分のクリアランスを再調製し機関部の蓋を閉める。
騎兵の列は既に30m付近だった。
ドッダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ・・・・・・・・・・・
猛然と火を噴くM2。
大気を震わせ音速を超える大質量大口径弾丸が赤い線を引いて延びる。
そして、その線の消える先。プレートアーマーを纏ったネコなどの騎兵が恐ろしい事になっていた。
着弾距離10mを切った辺りで撃たれるとプレートアーマーには大穴が開いた。
馬も騎兵も次々とただの肉塊に変わっていく。
4門の機関砲に続き、4連装が猛然と射撃を開始した。
毎分2000発の弾丸が平原を血の海へと変えていく。
僅か5名のガンナーによる血も涙もない一斉射撃。
幸か不幸か、至近弾をくらって吹き飛ばされた騎兵が平原に投げ出された。
まだ戦闘できると判断した騎兵が落とした槍を持ち直そうとした時、そこへ3ヶ所の銃座から銃弾が降り注いだ。
金属的な轟音を立てて体がバラバラになっていく騎兵。
吹き飛ばされた肘や膝から鮮血が飛び散り、馬から落馬して息絶える者。
腹部を貫通した大穴がら引きちぎれた腸が飛び出てたまま馬の上で果てる者。
兜を打ち抜かれた兵士の、その弾丸の穴からミンチになった脳髄が吹き出る。
破甲弾・徹甲弾・焼夷弾・炸裂粒弾・曳光弾。
5種類の弾を順番に打ち出すように作られた銃弾列がドンドンと機関部へ飲み込まれていき、巨大な薬莢が景気良く撥ねている。
耳を劈く大音量と大気を震わす射撃音に突撃してきた騎兵の戦意が完膚なきまでに叩き潰され、恐怖を刻み付けられる。
ひとかけらの。
小さな匙の先に乗る一つまみの。
全ての希望や温情や、全てを内包した人間性と言う部分での感情の欠如。
一切の許容も、気まぐれの慈悲もない
ヒトの世界の・・・・
戦争・・・・
横一線だった騎兵の進撃が停まった。
恐怖に駆られた者から踵を返して逃げに入る。
馬の首を返し走り始める騎兵の背中へも容赦なく銃弾の雨が注がれる。
肘から先を地面に落とし、背中に大穴を向こうの景色が丸見えになり、甲冑に乗っていたはずの首が吹き飛ぶ。
撃たれ肺の中に自らの吐血を吸い込んで溺れる者。
地面へ投げ出され、両手を空へ突き上げ神に祈る者。
生あるものから全てを奪う鉄槌の一撃を受け、断末魔の絶叫が平原を埋め尽くしていく。
ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ・・・・・・・・・・・・・・・
射撃が止まった。
一瞬の静寂。
僅か数騎の生き残りが懸命に平原を駆ける。
草原の下には死に切れなかった騎兵や傭兵が手を伸ばしていた。
―― 死にたくない・・・・・ 助けてくれ・・・・
―― 置いていかないでくれ 戦友・・・・
―― 苦しい・・・・ 痛い・・・・ 殺してくれ・・・・
怨嗟の声が響く草原。
瀕死の重傷を負った者が幽霊のように立ち上がって周囲を見回した。
ヒトの陣地と鎮定軍陣地の中間付近。
手首から先の無い腕でかぶとを下ろしたネコの騎士。
凄みのある笑みを浮かべたその男は血を吐きながら平原に倒れた。
まるで、遊び疲れて、眠るように。
―― 死にたくない・・・・・
―― 死にたくない・・・・・
―― 死にたくない・・・・・
―― 死にたくない・・・・・
―― 死にたくない・・・・・
大穴の開いた甲冑の腹部から内臓をぶちまけた騎士がズリズリと這いながらヒトの陣地へやってくる。
血と雨でぬかるむ泥の海に長い腸を引きずってやってくる。
―― 死にたくない・・・・・
―― 死にたくない・・・・・
―― 死にたくない・・・・・
―― 助けてくれ・・・・・
「赦しを乞うたヒトの願いをお前らは聞き届けた事があるか・・・・」
AKのボルトを引いてユウジが構えた。
「死ぬほどの責め苦に泣き叫び、心からの願いを、赦しを乞うたヒトの男も女も笑いながら攻め続けたお前らが・・・・」
バン!
「勝手に赦しを乞うな!!!!!!」
バン!バン!バババババン!
肩を揺らして荒い息をするユウジ。
瞬間的に何を思い出したのか。
「地獄の責め苦を知って死ねぇぇぇぇ!!!」
再び銃を構えた時、突然の突風がヒトの陣地の側から通り抜けた。
さすがベテランの傭兵。その一瞬で冷静さを取り戻し振り返るとヒト陣地側には何も無い。
すかさず鎮定軍側を見たとき、そこには先ほどと同じネコの男たちが一列に並んで同じ詠唱をしていた。
何がおきるんだ?
守備側の男たちが事の推移を見守る中、ネコの戦闘魔法使い達の周りには大きな風の渦が出来始めた。
「トルネード! カマイタチだ!」
誰かが叫んだ。
「高速裂空波!全員銃口にカバーを掛けて伏せろ!何があっても頭を起こすな!」
ユウジが金切り声で叫ぶ。
真っ赤に焼けた銃口の先端へ金属製のカバーを掛けてマサミは土嚢の壁にぴったりと張り付いて隠れる。
シュー とも ヒュー とも付かない風音と共に周囲の様々なものが吸い込まれていく巨大な竜巻。
魔法とはこれほどの威力が出るものなのか・・・・
妙なところで冷静になったマサミは上空を眺めていた。
だが、本能的な恐怖を感じる地響きと共に迫ってくる竜巻はそれどころではなかった。
視界の遠く。どこかの銃座にあったM2ごと巻き上げられたヒトのガンナーが、はるか上空に巻き上げられていた。
物凄い勢いで吸い上げられたヒトが豆粒より小さくなって、そして竜巻最上部より吐き出された。
空中で手足をじたばたさせながら落ちてくる男。
そのすぐ下には一緒に巻き上げられたM2。
あ!っと声を出すまもなく、落下してきたM2がすぐ隣の陣地に落ちてもう一人のガンナーが下敷きになった。
鈍い音と共に、何かが飛び散る音。霧状になった血が竜巻に吸い寄せられマサミの上に降り注ぐ。
絶望的なまでの力量差。
銃火器での一斉射撃は確かに恐ろしいが、広大な平原での戦闘ではより一層大きな気象変動を行える魔法の方が有利。
液体気化爆弾。粉塵拡散爆弾。高収束クラスター爆弾。そして、中性子爆弾。
点ではなく面で破壊できる兵器の有用性とはつまりこういう事なんだ。
呆れるほどに冷静な分析をしていたマサミだが、風が収まったのを見届けてから上半身をそっと起こした。
周囲の状況を確認しようと見回したとき、それが実は圧倒的なまでの絶望的状況だと言う事を実感する。
竜巻の暴風と混乱に巻かれ5人居たはずのガンナーは自分以外見当たらない。
そして、ユウジの姿も無かった。
つまり、自分ひとりが取り残された状況。
心細いとか不安とか、そういうネガティブな感情が沸き起こるのは当然と言えるも、じつはそんな状況じゃ無い事に気が付く。
鎮定軍側陣地から飛び出てきた傭兵達が徒歩でジリジリと距離を詰めていた。
マサミは慌てて立ち上がり丸腰で逃げる。
とっさにM2のボルトをオープンにしてロックを掛けたのは我ながら偉いと思った。
必死になって草原を駆けるのだが、どういうわけか体が重く、まるで水中を歩いているような錯覚に陥った。
―― なぜだ?
動きを拘束し鈍重な運動しか出来ないようにする戦略魔法を受けているとはマサミ自身、全くの慮外だった。
今はとにかく必死になって走るしかない。もどかしい思いに煮え滾りながら必死になって走った。
だが、平原を走る事に関して言えば獣人の方が圧倒的に有利だ。
傭兵達はどんどん距離を詰めてくる。
「くそ!」
苦悶の形相を浮かべ走っていたマサミの耳に不思議な声が響く。
まるで謡うような女性の声が草原に響く。
理解出来ない言語で何かを語りかけるように。
―― リパキュレイト
その言葉だけ認識できたと思った瞬間、体がフッと軽くなった。
全身に詰め込まれていた鉛が落ちたような感覚。
アクセルを踏んだままジャンプ台から飛んだ車が、急激にエンジン回転数を変動させるように。
空中を両足が掻き混ぜて、そのままつんのめって泥の中に倒れた。
「いってぇ・・・・」
「大丈夫ですか!」
唐突に声を掛けられたマサミが顔を上げると、そこにはヴァルキュリアが居た。
「ヴァル君!」
「スイマセン、遅くなりました。ユウジ先生は先にあちらへ避難しました。さぁ、マサミさんも早く」
立ち上がって再び走り始め様としたマサミ。
だが、それより早くマサミとヴァルキュリアの周囲を傭兵達が取り囲んだ。
瞬間的に悟る絶望。
「へっへっへ。こりゃ役得だな」
「そうだよ。そっちの女をこっちへよこしな。おめぇは苦しまずに殺してやる」
下卑た笑みを浮かべる傭兵達。
ネコだけでなく、それ以外の多くの種族がそこにいた。
雑多な種族からなる混成軍。
こりゃまいったな・・・・
俺の人生もここまでか・・・・
ハァと小さく溜息をついたマサミが腰のホルスターに手をかけた。
「ヴァル君。せっかく来て貰ってすまないが、これから血路を開く。君だけでも逃げるんだ」
「駄目です!そんな事出来ません!」
「しかし」
「私達に有利な状況です」
「え?」
ヴァルキュリアが背中に抱えていた魔剣をマサミに押し付けた。
あの時、街道で契約したディールプティオだった。
「これは」
「マサミさん、この剣の発動条件はなんですか?」
「はつどうじょうけん?」
「そうです。何を捧げましたか?」
「・・・・希望。帰れるかもしれない希望」
「え? そっ! それじゃぁ!」
思わず息を呑んだヴァルキュリア。
周囲の傭兵達ですらもヘラヘラと笑う。
―― 知らねぇってのは悲劇だぜ!
―― こりゃ殺す訳にはいかねぇなぁ
―― さぁ、どうすんだ?ヒトのあんちゃんよぉ
これ以上無いと言うほどに厭らしい笑みを浮かべ傭兵達が取り囲む。
「マサミさん。その供物はつまりあなたの命ですよ」
「なんだ簡単じゃないか。ならここで死のう。どうしたらこの剣が威力を発揮するんだい?」
スパッと言い放ったマサミ。勢い良く鞘から抜き起した魔剣。
だが、その刀身からはマッチ一本程の火炎ですらも起きなかった。
一瞬引き攣った後で力なく笑ったマサミのその表情にヴァルキュリアが悲しみに満ちた顔になった。
「ヒトのあんちゃんよぉ! そこでその娘とまぐわって見せろよ!」
「おぉ!それがいい! 良い見世物だ! お前らにちょうど良い」
ネコやウサギの傭兵がヤンヤと声をあげて笑っている。
傍目に見えればヴァルキュリアはヒトの少女に見える。
思いつめたような視線をマサミに投げかけるヴァルキュリア。
マサミは一瞬、彼が男である事を忘れ狼狽した。
コケティッシュでフェミニンな思いつめた表情。
あぁ・・・・
なんて事だ・・・・
心からの後悔がマサミの表情を苦々しい物に変えた。
それを見たヴァルキュリアが首を横に振った。
「ヴァル君」
ヴァルキュリアは目を閉じた。
僅かに深くなる呼吸。心臓は早鐘を打っているようだ。
グッと強く握り締めた両手を胸の前で交差させて念を込める。
「・・・・今から魔剣に封じられている魔人を直接召還します。制御し切れないかもしれないけど」
「ヴァル君、それは?」
「危険ですが他に手はありません!」
小さな印を切った後で両手を握り締め、小声で何かの詠唱を始めた。
まるで子守唄の様な詠唱が続くと、グッと握った両手の中から光りがこぼれる。
―― お!なんか芸を見せてくれるらしいぞ!
―― なんだなんだ!俺にも見せろ!
傭兵達が騒がしくするなか、ヴァルキュリアは静かに詠唱を続けた。
「開け 天の聖櫃 天と地と精霊の名において 現世と虚世を結ぶ契約の石版よ・・・・
肉体と精神を繋ぐ魔法回路が開き、遠い世界の膨大なエネルギーが両手の中にオーバーロードされた。
本人の意思とは関係なく押し広げられたヴァルキュリアの両手。
細い指の先、艶やかな爪がまるでトイレの蓋でも開くかのようにいっせいにパカッと上に捲れ上がり、そこから血が吹き出た。
そんな痛みを感じないかのようにマサミの手から魔剣を奪い取ると、天にかざした。
「うおぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!」
女性の声とは思えない低く轟く声で叫んだヴァルキュリア。
血まみれの両手がディールプティオの柄を握った。
全く理解できない言語を早口で並べ、ヴァルキュリアが叫ぶ。
「さぁ! いでよ!」
ディールプティオを勢い良く地面へと振り下ろしたヴァルキュリア。
その瞬間、刀身から眩いばかりの光りが飛び、紅蓮の炎が大きく燃え上がった。
先ほどまでヘラヘラと生笑いをしていた獣たちの表情が引き攣ったように凍りつく。
今、彼らが見ているのは個人の防御魔法など問題としない烈火の渦。
草原の中央付近。
輪の中心にあったマサミとヴァルキュリアの2人を取り囲むおびただしい量の獣の兵士達。
その全ての意識が今目の前で起きている絶望的な力量の差に一時的な情動の全てを封じられたようになっていた。
そして・・・・
誰かが叫ぶ・・・・
―― 逃げろ!
十重二十重に囲んでいた輪の中心部。最前列で眺めていた傭兵達が立ち上がって外へ逃げ出そうとしていた。
しかし、輪の外周部から中心部へ向かって、何が起きているのかを確かめようとする圧力とで均衡状態になった。
その動くに動けない状況の人ごみに向かって、燃え上がった炎の柱の中から真っ赤に焼けだたれた炎の濁流が噴き出す。
まるでジェットエンジンで吹き上げられる噴水の様に押し寄せる灼熱の劫火。
速駆けの馬よりも遥かに速い炎の津波。
その炎の通り道となった所には何も残っていなかった。
全てを焼しだいて暴れる暴力的なまでの炎の拳。
一瞬で数あまたの兵士が消し炭の様になっていた。
炎の舌先が甞めた金属は水飴の様に溶けていった。
暴れる腕(かいな)の如き炎の柱が大蛇(おろち)となって獣の兵士達を舐め焼き尽くす。
" 我が名はディールプティオ 炎神ゾショネルの眷族なり "
輪の中心。
再び天へと振りかざしたディールプティオの刀身から見上げる程に吹き上げられた炎の巨大な柱。
その中心部付近には明るく輝く炎の内側にはうっすらと人影が見え始める。
ボンヤリとした姿が少しずつ集まって固まって。そしてそこにはあの日見た魔人が実体化して姿を現した。
右の手には光り輝く巨大な剣を握り、左の手にはスイカの様に大きな珠を連ねた数珠を持っている。
どんな獣の咆哮よりも迫力のある凄まじい叫び声が轟き、マサミは頭の中に高電圧のスパークが飛ぶような衝撃を覚えた。
まだ命ある獣人が空を指差して叫ぶ。
「ア! ア! ア! アークデーモン!」
その声の主に向かって炎の手が伸びる。
一瞬にして全てを焼き尽くす超高温の刃。
” わが主にあざなる愚か者よ ひれ伏せよ ”
眩い光を放って稲妻の様に広がっていく紅蓮の壁。
まるで巨大な花がゆっくりと花開くように、炎の濁流が周囲の全てを焼き払っていく。
―― 助けてくれぇー
―― こんな所で死にたくねぇ!
―― どけ!どけよ!死にたくねぇんだよ! どけって言ってんだろ!
輪の中心で僅かに生き残った者が外へ向かって逃げ出し始めた。
それでもまだ中心へ向かって押してくる力の方が強い。
逃げたいのに外から押し込まれて荒れ狂う炎に飲み込まれる者達。
逃げ場の無い断末魔の絶叫と押してくる者達への野獣の咆哮が重なる。
「中心部で何が起きてるんだ? 俺にも見せろ!見せろよ! どんな見世物だ!」
何も知らず立ち上った炎だけを遠くに見た者達が、野次馬根性で更に輪の中心へと押し込み続ける。
笑いながらまるで遊びでもしているかのように中心部へと押し続ける。
誰かが剣を抜いた。
外へ逃げ出したい兵士が恐慌状態に陥り剣を抜いた。
同士討ちが始まり、アチコチで血飛沫が飛ぶ。
その血の臭いに獣の兵士たちの興奮はピークへと達した。
壮絶な力が中心へと向かって働き、その力に抗しきれず転んだ兵士を沢山の足が踏みつけて殺した。
もはや統制の一切取れないただの群集以下の集団。
それはまるで、夏の虫そのものだ。炎に引き寄せられて焼け死んでいく。
血生臭いにおいがかき消されるように、猛烈な炎が人ごみの中を通り抜けた。
野次馬の外野側ですら、今何が起きているのかを理解して逃げ出し始める。
その獣たちですらも焼き尽くすほどの炎の津波。
だが、絶望的な状況を劇的に変化させる事象を、ただ呆然と眺めているマサミの前。
猛烈な奇跡の反撃を繰り広げていたヴァルキュリアの肢体から力が抜けた。
まるで糸の切れた操り人形の様にその場へ崩れ、頭上に掲げていた魔剣が地面へと落ちる。
それと同時に、無慈悲なまでに焼しだく炎がフッと勢いを弱め、霞と消えてなくなった。
僅か数分の虐殺ショーの終焉。
だが、その寸劇のさなか、有り得ない数の獣たちがただの消し炭になっていた。
数千近い数で押し包まれていた二人だが、今そこに生き残って満足に動けるものは僅かだった。
「チャンスだ!逃げよう!」
力の抜けたヴァルキュリアを背に担ぎ、ディールプティオを脇に抱えてマサミは走った。
消し炭と僅かに息の残る死体の海。生き物を焼く異臭に鼻が曲がりそうだ。
生焼けになった獣の内臓が血生臭い便臭を放つ。
「はやく!」
ふと見れば街の入り口の門付近でユウジが手招きしていた。
ユウジと共にこの数ヶ月一緒に闘ったヒトが何人も並んでいた。
「バリを開けてある!はやく!」
小柄な女性のようなヴァルキュリアとは言え、ヒト一人抱えて走るのは大変だ。
もつれそうな足を必死に動かしてマサミは門の内側へ倒れこむようにしてなだれ込んだ。
後方からは馬の蹄の音。とっさに傭兵か騎兵かと振り返ったマサミ。
そこにはヒトの男が数人係りでまだ動かせるM2を回収してきたところだった。
「バリケードを閉める!門を閉じろ!篭城戦だ!」
重々しい音と共に街の中心へ続く通りの巨大な門が扉を閉ざした。
鉄製の閂が掛けられ、その扉に向かって内側から様々な瓦礫が押し付けられた。
外から扉を破壊しても瓦礫で通れないようにする工作。
「危ないところでしたね」
肩で息をしながらその場に座り込んだマサミ。
知らないうちにアチコチ火ぶくれになっていた。
「ヴァルキュリア君が助けてくれた」
「えぇ、そうでしょうね。そうでないと普通のヒトじゃ魔剣は発動できません」
先ほどの恐るべき威力を発揮していた魔剣は静まり返っている。
「さぁ、第2ラウンドです。ここからが本当の防衛戦闘ですよ」
ニヤッと笑ったユウジが手を差し伸べる。
「これから?」
「えぇ、そうです」
馬に引かれ回収されてきたM2が早速どこかへ運ばれていった。
「通りに誘い込んで上下左右から一斉射撃。大通りは5本ありますので、どれかに誘い込んで徹底的に殲滅します」
一瞬の負け戦と思った雨の中の戦闘。
だが、結果的に見れば戦死者はヒトが4名に対し、鎮定軍はどう見ても千人や二千人じゃない戦死者を出している。
「そろそろ向こうも厭戦気分が出る頃です。戦に出れば死ぬ。それがわかれば傭兵は減っていきます」
「じゃぁつまり」
「そうです。ここからが向こうの本体との正面戦闘。今日最初に突撃してきたのはネコの正規軍でしょうね」
ユウジの手を借りて立ち上がったマサミ。
ヴァルキュリアは担架に乗せられて運ばれていった。
通りを広場に向かって歩くマサミたち。
左右の民家や商店は入り口や窓が完璧にふさがれ、細い路地は人が通れないように瓦礫でふさがれていた。
通りの奥から外に向かって一直線に遮蔽物の無い状態。
左右の石積みで作られた家々の屋根には渡り板が渡され、頭上から射撃できる構造だ。
「巨大な罠ですね」
「えぇ、そうです。マウスシューター。巨大ネズミ捕りですよ」
今まで見た事の無かったアーマーライトのM16やカラシニコフのAK-100を抱えたヒトの兵士たち。
接近戦等では低伸弾道で高初速、かつ鋭利な弾丸の5.56mm弾が有利。
そんな状況にもう一度ブルッと身震いして、マサミは一旦医務室へと歩いていった。
―― 明日からは本当に酷い事になりそうだ・・・・
誰にも聞こえない程の声で、そう呟いて。
ルカパヤン戦役編 第4話 了