平原戦闘を諦め篭城戦へと切り替えて早2ヶ月。
街の中心部はまだ何とか生活感があるものの、街の郊外にある住居地区はすっかり廃墟になっていた。
厭戦気分の蔓延する傭兵や下級兵士らによる略奪と強盗が後を絶たず、街の治安担当らも諦めムードが漂っている。
そんな中、全てのヒトを中心部へと集め守備を固め篭城するルカパヤンの防衛軍は街の改造をほぼ終えていた。
もはや見通しの良い戦場での、ロングレンジ戦闘は望めない。
手を伸ばせば相手の髭を握れる距離で、足を止めて剣で斬り合うような凄惨な戦闘が待ち受けている。
腕力・膂力に劣るヒトにとって、そんな戦闘はすなわち、文字通りの自殺行為だ。
自ずと、有利な闘い方を模索する事になったヒトの側の篭城戦術といえば、巨大な罠を張るしかない。
街の郊外から中心部へと繋がる大通りは入り口の門を常時開け放している。
まるで食虫植物が獲物を待つように、フリーパスで通りへと入って行ける鎮定軍。
だが、その通りは中央広場に到達するまでのすべての交差道路入り口が強靭なバリケードで封鎖されていた。
広場までの距離はおよそ500m。左右の家々の窓やドアまで完全に封鎖されてしまっている。
そして、通りの終点。広場との接続点には上下3段構えの銃撃用バリケード。
騎兵だろうが歩兵だろうが、この通りに入ったが最後、終点まで辿り着くか、さもなくばUターンしかない。
さらには、通りの左右に並ぶ4階建て5階建ての家々はその屋根に渡り板が渡され、防衛軍はそのイヌ走りを使って鎮定軍の頭上から容赦ない殲滅射撃を行えるようになっていた。また、僅かな窪みや、身を隠せる凹みを意識的に残した箇所には螺子や釘を膠でべったりと貼り付けたクレイモアを設置し、遠隔操作で爆破する作戦だ。
まさに、アリ地獄。逃げ場の無い地獄の鍋の底。中央部へはおいそれと手出しできない構造になったルカパヤン。
100騎200騎で突撃したところで、大きな通りにすっぽり飲み込まれてから上下左右の十字砲火を浴びてしまう。
楯を構え守りを固めて前進すれば、今度は屋根の上から火炎瓶を投げ込まれ焼き殺される。
馬2頭立ての戦車に槍兵と銃兵を乗せて突撃を図ったときには、意図的に設けられた段差で歩みが止まった時に頭上からヒトの兵士が戦車へ消火器を投げ込んだ。
そこ目がけて狙撃手が銃弾を打ち込むと、高い内圧を持つ消火器が大爆発して戦車に乗っていたネコの兵士5人が即死した。
この2ヶ月の間に20回以上もの突撃戦闘を行って、事態の改善を図ったネコの国軍の司令官は焦りを深めつつあった。
だが、2ヶ月を経過した辺りでヒトの防衛側が、どうにも旗色が悪くなっていたのも事実だった。
まずは何と言っても弾薬が底を尽き始めた事。
NATO弾を使う銃は一部を除き銃剣を装備して槍として使うしか使い道が無くなった。
マサミのG3も弾切れで宿舎代わりのホテルの一室にしまったままだ。
それと、食料がいよいよ乏しくなってきた。
生鮮野菜の類が決定的に不足し、ビタミン類の補給は僅かな果物を舐める様にして食べるか、さもなくばサプリで補っている。
また、中心部数箇所にヒトが集中した結果、水の消費量が大幅に増えてしまい、井戸の水位が低下している。
備蓄していた保存食代わりのフリーズドライ物や落ち物のカップラーメンなどを食べるにも水がいる。
負傷し手術なり手当てするにも水がいる。不衛生な環境になれば伝染病・感染症の危険も出てくる。
微妙に『祭りの終わり』を実感し始めるとき。
それはつまり、負け戦の終わりがすぐそこまで来ているのだった。
「マサミさん、ちょっと」
ちょっと早い夕食をとっていたマサミはユウジに呼び出された。
「何かおきましたか?」
「えぇ、良いニュースと悪いニュースです」
「と、言うと?」
「まず、悪いニュースです。このタイミングで例の山に落ち物です。海上コンテナクラスの大物です」
「悪いニュースなんですか?」
「えぇ。なんせあれを回収するには敵のど真ん中を抜けなければなりませんでしたしね」
「・・・・・・で、良いニュースとは?」
「ネコやトラの国が農繁期に入ります。一部で撤退が始まりました」
黙って見詰め合う男2人。
「昨夜、回収班を仕立てて山へ入りました。そしたら見事に17年ぶりの米軍の輸送用規格コンテナで」
「と言う事は?」
「弾薬の類が若干ですけど補充されてしまいました。つまり、我々はまだ闘わなければなりません」
ユウジは自嘲気味に笑った。
「所で、農繁期と言うのは?」
「トラの国は大陸最大の農業国家です。つまり膨大な農地を抱えています。で、トラの兵士は半農半軍です。つまり、前線を離れるトラが増えるでしょう。まぁとにかく・・・・ あ、そうそう、これはマサミさんの分です。じゃ」
ひとしきり笑って現場を離れたユウジ。
鎮定軍を誘い込む大通りには死体が溢れていた。
"ブルを出すぞ!"
通りの奥のバリケードが開けられ大型のブルトーザーが姿を現す。
大きなバケットを立てて、通りの奥から外に向かって生ゴミ状態の死体を押し出していった。
街の入り口で火線を引いている鎮定軍。
その前に定期的に現れるブルトーザーは脅威の存在に見えるらしい。
街外れの大穴へ死体の山を落とし込んだブルトーザーはバックで通りの奥へと帰っていった。
変わって通りから出てきたのは、この街にもとから住んでいたヒト以外の種族の男たち。
穴に落とし込まれた死体へ油を掛けて火をつけていった。
死体が腐ってしまうと衛生環境的によろしくない。
ヒト以外の種族の自治会と鎮定軍が定期的に行っている会議の席で、この作業中は攻撃を行わない取り決めとなっていた。
そしてもう一つ。この会議の席はヒトの側の守備陣営と獣人の鎮定軍との非公式折衝の場でもある。
両陣営にとって最大限の利益を得るようなギリギリの交渉を行える場。言い換えれば、和平交渉の実質的なスタートとも言える。
鎮定軍側も疲れている。既に戦闘は半年に及んでいる。
彼らの想定を遥かに上回る規模と努力をヒトの側が行っていた。
当初2万近い数だったネコとトラの連合軍。
しかし、いつの頃からかネコより一回り以上大きなトラの姿が殆ど見えなくなっている。
また、激烈な抵抗と組織的かつ効率的な被負傷戦闘により後方や本国に送り返されるネコの兵士が増えている。
現在、鎮定軍側の実質的に戦闘可能な正規軍戦力は僅か2千足らず。
月払いの給与を受け取った後、契約を更新せず帰途に付く傭兵は後を絶たない。
傭兵まで含めたも総戦闘人員が3千人程度にまで減少した鎮定軍側もまた、組織的な行動の限界を迎えつつあった。
―― ここが踏ん張りどころですよ
そんな風に言うユウジの言葉は、裏打ちの無い強がりの様でも有った。
「踏ん張りどころ・・・・か」
マサミはそうボソリと呟いて、受け取ったNATO弾をテーブルに置き、残っていたメニューを具の無い薄いスープで流し込んだ。
およそ3日に1回の割合で鎮定軍は激しい突撃を仕掛けてくる。
その都度に神経を張り詰めさせ戦闘に臨むヒトの防衛軍。
当然、精神的にも肉体的にも疲労の色は濃くなり、僅かな時間的隙間を見つけては眠る者が増えていた。
ローテーションで大規模突撃とちょっかいレベルの戦闘を繰り返す鎮定軍に比べ、頭数に劣る防衛側は休む間も無く戦い続けなければならない。
弾薬や食料や医薬品と言った問題以上に実は、人間的な限界がすぐそこまで来ているのを皆感じていた。
その夜。当直を交代し寝床へ帰って、マサミは文字通り泥の様に眠りこけていた。
静まり返ったホテルの一室。
宿舎に宛がわれた小汚いホテルの一室だ、今得られる唯一の安息の場所
いびきすらかく事を忘れて眠りこける深夜。
静まり返った街に突然の爆発音が轟き、マサミはまさに飛び起きた。
窓の外、中央広場の辺りで大規模な爆発が起きた。
つまり、尋常な事態ではないと言う事が嫌でも良からぬ事を連想させる。
慌てて装備を整えで宿舎代わりのホテルを出ると、街の北半分が燃え上がっている。
"突破された!"
防衛線を突破されたと見て間違いない。
防衛陣地側の通路を駆けて自分の持ち場になっていた東大通りで行って見れば、すでにそこは死屍累々となった宴の後だった。
ネコや雑多な種族の傭兵の死体と共に、剣や斧で断ち切られ原型を留めていないヒトの死体。
長居は無用とばかり連絡通路を駆けていって中央広場に出れば、今まさに最後のバリケードが突破されようとしていた。
一瞬の思考を挟んでマサミは近くの建物の屋根へと駆け上がった。
手にしてきた得物がG3なのを一瞬後悔したが、ここは装備変更に戻っている時間は無い。
モーゼルを持ってくるべきだったな・・・・
いや、ここはバレットでも良かった・・・・
後悔しても始まらない。
バリケードに向かってジリジリと距離を詰める傭兵たちに向かい、マサミは真横から正確な射撃を浴びはじめた。
ダン!ダン!ダン!ダン!ダン!ダン!
有効被射撃距離の中にあった傭兵が頭から血を流して崩れる。
しかし、彼らの正面に居るヒトの防御陣地から浴びせかけられる火ぶすまの射撃に盾をかざすのが精一杯とあっては、横から撃たれている実感が無いらしい。
マガジンを一本空にして次を突っ込みボルトを引いて射撃を再開。
ただ、十発や二十発撃ったところで状況をひっくり返す事は出来ないだろう。
如何せん数が違いすぎる。ここから100人単位で撃てばともかく、一人でポチポチ撃ったところで・・・・
それでも諦めずに撃っているとバリケードの上から猛然とM2が撃ちかけられ始めた。
盾など簡単に貫通し、距離を詰めていた傭兵が一瞬たじろぐ。
だが、それでもジリジリと距離を詰め、バリケードまであと50mの位置で前進が止まった。
金属の盾を重ねて翳し、真正面から襲い掛かる銃弾の衝撃を必死に耐える兵士達。
そこへ真横からマサミが射撃を浴びせる。豆鉄砲で屁のツッパリ状態。
盾を持つ手が弾かれ一瞬無防備に成ったところに12.7mm弾が降り注ぐ。
悲鳴と絶叫と断末魔。
一旦膠着と思いその場を離れるマサミの視界の片隅に嫌な影がよぎった。
あの日、平原で竜巻を巻き起こしたネコの魔道士達が広場に飛び込んできたのだった。
これは大変な事になる。容易にそんな想像がついた。
ネコの魔道士までの距離は凡そ200m。
一撃で絶命させるには有効打撃距離があり過ぎる気もする。
しかし、撃たないわけにはいかない。
やはりバレットを持ってくるべきだった。
痛烈な後悔と自責の念。
伏撃姿勢になって引き金を引くマサミの奥歯からギリギリと音がこぼれた。
ダン!ダン!
遠くにネコの魔道士が倒れる。だが、彼らはそんな事を省みる事無く詠唱した。
声は聞こえない。ただ、何を叫んだかは分かる。そして、恐れていた魔法効果が発動する。
広場の中に一陣の風が吹き抜け、それが呼び水になったかのように周囲から猛烈な風が吹き込んだ。
シューともゴーとも付かない音が響き、広場の中心にあの時と同じ巨大な竜巻が巻き起こった!
ヒトの防御陣地側に展開していた者達が慌てて建物に退避する。
バリケードの向こう側ががら空きになった所で、再び傭兵たちがネコの魔道士達と共に前進し始める。
広場の中を真横に並んで押し寄せてくる獣の兵士達。後方からは主力の騎士団と思われるネコの騎兵の集団も現れた。
その数は100騎や200騎とは思えない夥しい数だ。通りの郊外側から次々と現れては広大な広場を埋め尽くしていく。
「Fack!」
強い風の中、マサミは魔道士に向かってもう一度射撃を行った。
しかし、強い風に流されて弾丸はあさっての所へと流れてしまう。
竜巻がバリケードを破壊し、岩や金属板が吹き飛ばされる中、その僅かな隙間に傭兵たちが乗り込む。
オォー!
歓声が上がり、騎兵たちが喜ぶ。傭兵達は盾を頭上へかざし、手柄を自慢しては査定担当への自己PRに余念が無い。
だが、ヒトの側もまだ諦めていなかった。
突然、竜巻に向かって炎の柱が延びた。
火炎放射器だ。
それもかなり大型高圧でガソリンを噴出し、それが炎をまとって延びていた。
魔法を使って発生させた竜巻に炎の強力な上昇気流が混じった。
それだけでない。周囲の建物や様々なものに一斉に火が付いた。
鎮定軍側のこの魔道戦術を事前に読んでいたのだろうか?
広場の周囲には事前に可燃物が集められていて、木樽には油が詰められていたようだ。
そして、広場の出口になっている部分の建物の、その基礎部分が突然大爆発を起こし、通りに向かって崩れてしまう。
唖然とする魔道士や傭兵たち。
出口を探して騎兵が広場を駆ける。
ふと気が付けば広場が巨大な鍋の底になった。
竜巻が巻き起こす風に乗って様々なものが猛烈に燃えている。
風を受けて高熱を発し燃え上がる炎。
当然、酸素がドンドンと消費されている。
だが、本当に恐ろしいのは酸欠ではない。
強い上昇気流によって魔道士の制御が効かなくなった竜巻が火災旋風となって広場中央付近を踊り始めた。
屋根から様子を見てるマサミも吸い込まれそうな暴風が吹き荒れ、魔道士や傭兵が次々に吸い込まれていく。
新鮮な酸素がふんだんに供給され高熱を発して燃え上がる可燃物。
広場の中心が負圧となり、1000℃を軽く越える高温の燃焼ガスが溜まり始める。
巨大なオーブンの中身になってしまった鎮定軍の兵士たち。
秒速100mを越える猛烈な火災旋風の中心部へ風で飛ばされ吸い込まれ、鉄をも溶かす高温でこんがりと焼き上げられていく。
生きたまま生き物が焼かれる壮絶な異臭が広場に溢れ、マサミは思わず嘔吐した。
助けを求める声と断末魔が響き、僅かに動けるものが唯一残っていた細い通路へと殺到し始める。
それは預かり屋の前の広場に向かって延びる唯一の脱出路となった細い路地だった。
だが、当然の様にそこにもトラップが山ほど仕掛けられている。
通りの石畳は一面に振動発火地雷で埋め尽くされ、騎兵が通る高さには極細のピアノ線がピンと張られていた。
爆発音が次々に響き、手足を吹き飛ばされた兵士が石畳にひっくり返って、そのまま火炎の竜巻に吸い込まれていく。
ただ、それでもなお彼らは必死になって逃げた。
地雷が次々に踏み潰され、ついに最初の兵士が通路の奥に入った。
オォ!
歓声を上げて通路を駆けていく兵士。
だが、通路の中央付近から広場に向かってもう一度火炎放射器の炎が延びる。
広場は猛烈な火炎旋風が吹き荒れ、通りは進めば焼け死ぬ。
進退窮まった中で後方からドンドンと押し出され、やがて火炎放射器を担いでいたヒトの男達も諦めて後退を始めた。
マサミは慌てて屋根から駆け下り、裏通路を通って預かり屋広場へと向かう。
ごみごみとした裏通りのどこをどう走ったかマサミにも分からなくなり、気が付けば後退するヒトの防衛隊のしんがりと一緒に走っていた。
「マサミさん!よく無事でしたね!」
「良いから走りましょう! 盾になるものの影に入ってもう一回抵抗して!」
息を切らせて走っていくと、通路の中央に植え込みの入った大きな石造りのプランターがあった。
「よし!」
陰に回りこんで伏せたマサミ。
銃を通路に向けて、マガジンが空になるまでフルオートで撃ちかけた。
ダダダダダダダダダダダダダダ・・・・・・・・・・・・・
跳弾が跳ね回り、獣人の群れが妙な悲鳴を上げている。
「マサミさん伏せて!」
2人がかりで扱っていた火炎放射器のオペレーターが圧を最大に上げて通路へと炎を吐いた。
頭からガソリンを被り火達磨になって悶える鎮定軍兵士達。
だが、その炎ですら踏み越えて後続が押し寄せてきていた。
マサミは最後のマガジンを詰め込んで、先頭の獣人の足を狙って撃った。
ダン!ダン!ダン!ダン!
先頭を走っていた兵士が転んで、底へ後方の兵士が倒れ掛かり、壮絶な将棋倒しになった。
後方から続々と兵士が押し寄せてくるので最初に転んだ者から圧死し始める。
その死体自体がバリケードになり、そこへ火炎放射器のガソリンを浴びせ火をつけた。
「よし。今のうちに向こうの広場へ!」
火炎放射器のオペレーターの腕をつかんで走り始めようとしたマサミの耳元を鋭い音が駆け抜けた。
シュン!
え?と振り返れば、炎の向こうから半死半生のネコの兵士が銃で撃っていた。
シュン!シュン!
そんな音を立てて銃弾が周囲を通過している。
いずれ当たる。とにかく逃げよう!
慌てて駆けようとするが、その時、オペレータが妙な声を上げて倒れた。
「ギャァッ!」
「だっ! 大丈夫ですか!」
直撃を受けた背中が血で真っ赤だ。
パクパクと口だけ動くが、既に目は死んでいる。
「・・・・にっ! 逃げて! あなただけでも逃げて! 早く!」
「しかし、そんな事は『ここで相棒と自爆します。一人でも多く生き残って抵抗するんです!もう奴隷は嫌だ!』
「死に溜りですか・・・・」
言葉を失ったマサミ。悲しいほどに誠実な瞳がマサミの心を貫く。
逡巡し立ち上がらぬマサミに向かって、撃たれて死にかけていた方のヒトも血を吐きながら顔を起こした。
「おっ おれも・・・ ヒトの・・・・ く・・・・ にが・・・・ 見たかった 行ってくれ 俺の代わりに・・・・ さぁ・・・・」
マサミはコクリと頷いて走り始めた。
後ろを振り返らず懸命に。
相変わらず周囲を妙な音を立てて弾が通過していった。
だが、不思議と当たらない。
下手な射撃だな・・・・・
そんな風に思っていたら左の肩甲骨付近をバッドで殴られたような衝撃が襲った。
「ぐはっ!」
つんのめって通りへと転んだマサミ。
背中が全域にわたって痛い。息も出来ない。
肺の中の空気を全部吐き出して、拳で自分の胸をドンと叩いてみたが、それでも息を吸い込む事が出来ない。
酸欠に意識が遠くなる。
息をするってこんなに難しい事だったのか。
自分で何をしているのか理解できなかったが、無意識のうちに両脇を掌で叩いたら上がるだけ上がっていた横隔膜が下りてきた。
酸素が美味い・・・・・
「撃たれたのか?」
背中に残る痛みを探して、それが肩甲骨だと気が付いた時、『あぁ、終わった』と思った。
左の肩甲骨のその裏側は左肺。そして心臓。重要な器官が全部詰まっている。
だが、普通に息は出来るし、心臓は動いている。
あ、そうか。この服が・・・・
普通なら銃弾に打ち抜かれる筈だったのだが、魔法効果で銃弾の貫通を防いだ服のお陰だろうか。
バットで殴られたような衝撃で済んだらしい。
ふぅ・・・・
僅かな間に人生一回分位の様々な事を考えたマサミ。
すこし呆然として振り返った時、あの火炎放射器のオペレーターがまさに獣人に踏み潰されようとしていた。
その瞬間・・・・
「フリーダーム!」
ズン!と地響きがしてオペレーターの背負っていたボンベが爆発した。
高圧の掛かっていたボンベだ。まだまだ残っていた燃料と酸化剤の爆発限界は相当高い。
踏み潰そうとしていた獣たちが上空へ放り投げられ、バラバラになった死体が後続の兵士に降り注ぐ。
壮絶な衝撃波にやられたのか、耳から血を流して悶え苦しむ傭兵たち。
周囲の建物を破壊し、その瓦礫が通りを塞ぐ。否応なしに前進が止まり、そして後退を始めた。
チャンスだ!
慌てて再び走り始めたマサミ。
200mほど走って民家のドアを潜り、細い路地を駆けて宿舎に宛がわれた自分の部屋へと舞い戻った。
ロッカーにG3を収め、その隣のモーゼルとバレットを抱えて部屋を飛び出す。
小汚いホテルには既に人影は無く、あの繁栄していたルカパヤンの面影はもうどこにも無い。
バレットの巨大なマガジンに銃弾を装填しながら瓦礫に埋め尽くされた通りをトボトボと歩くマサミ。
たどり着いたのはラムゼン商会の預かり屋前。ルカパヤン中央通の奥にある小さな広場だった。
最終防衛線を突破され、中央広場を鎮定軍に占拠され、着の身着のまま撤退してきた男たち。
女と子供は後方のあの預かり屋の強靭な建屋の中で息を潜めている。
指揮命令系統はズタズタになってしまった。もはや統制の取れた射撃管制は望めそうに無い。
手持ちの小火器と手榴弾と、ポケットの中の僅かな食料がヒトの持つ全て。
ヒトで埋め尽くされていた広場には絶望の暗い影が落ち始めていた。
「まだ戦えるか!」
誰かが叫んだ。
「当然だ!」
誰かがそれに応えた。
「女子供を守れ!最後の一人まで!」
見知らぬ誰かが叫ぶ。
周囲を見回すマサミ。残されたヒトの兵士はおよそ100人程度だろうか。
ありあわせの小火器と僅かに残ったRPGと2門のM2。
そして、剣と槍と人力で引っ張ってきた37mm対戦車砲。
場を仕切っていた男が叫ぶ。
「手近なものでバリケードを作ろう!時間が無い!急ごう!」
マサミは銃を背中に抱えて一目散に走った。
近所の家の庭先に有った石造りのプランターや石畳の隅に積み上げられた岩を持って来た。
見る見る間に積み上げられるバリケード。
誰かが何処からともなく鉄板を持って来た。どこかの鉄の扉をはがして持って来たらしい。
くず鉄置き場から数人係りで押してきた鉄の塊は車の成れの果てのようだ。
小さな広場の中央に横一線のバリケードを築き、広場へ繋がる通りの全てが射界に入った。
周囲の建物の窓や屋上にまで銃を抱えたヒトが並び、眦を決して広場を見下ろしている。
途中に障害物は無い。
通りに入った瞬間、防御陣地の火線の餌食となり、運悪く広場へ出てしまったら十字砲火を一声に浴びる事になる。
中央広場を迂回し街の郊外からこの小さな広場まで繋がる通りは複雑に折れ曲がっている。
行軍突撃速度を少しでも遅くし、更には横列が2列以上には並べない構造。
2門のM2と20ミリ機関砲と37ミリpakが通りへと向けられた。
雑多な小火器を持つヒトの防衛軍がアパートの窓や屋根上や様々なバリケードの裏から一点を狙っている。
この通り以外から侵攻が起きたら、ちょっと対応が遅れるだろう・・・・・
そんなイメージがマサミの脳裏をよぎった。
「自分がこっち側を受け持ちましょう」
バレットを担いでバリケードの前へと躍り出たマサミ。
大きな岩をくりぬいた花壇の影に伏撃姿勢をとって身を隠し、バレットで別の通りの奥を狙った。
有効射撃距離は約150m。
この距離でバレットの12.7mm弾を食らえば、魔法防御されている鎧とて中身は尋常ではないはずだ。
「お!いーもん持ってんじゃん!こっち頼むぜ!」
どっかのおっさんがマサミの装備を見て声を掛けていった。
主力侵攻点を狙ってニヤニヤしながら37mm対戦車砲と20mm機関砲を据えつけている。
小さな広場へと繋がる通りは3本。
何処から突入してきても、ここでは被害甚大になるはず・・・・・
「あ゙!」
唐突に誰かが声をあげた。
そして、遠くを指差している。
「燃えてる!」
そこに居たヒトの視線がいっせいに集まる先。
それはあの預かり屋のオフィスの二階付近。
ファーザーと呼ばれたあの車椅子の老人がいつも陣取っていた場所だった。
そして、ルカパヤン防衛戦闘のCICでもある。
「CIC! CIC! 大丈夫ですか!」
どこかで誰かが叫んでいる。
無線機を使って連絡をとっている。
―― ザー ・・・・・
「CIC!」
―― こちらCIC 少数部隊の襲撃を受け混乱中 各戦線は現状維持に努めよ 状況が回復次第連絡する 以上!
一瞬の静寂。
風の音だけが通りを駆け抜けていく。
「来た!」
見張り役が塔の上から叫ぶ。
預かり屋の高い尖塔の上。
ドラグノフを抱えた名も知らぬスナイパー役が指をさして侵攻ルートを示していた。
「おーい!バーレットのあんちゃん!団体様のお越しみてぇだ!頑張ってくれよ!」
振り返って力強くサムアップするマサミ。
バリケードの後ろでは雑多な小火器を抱えたヒトの兵士が構えていた。
パカパ! パカパ! パカパ! パカパ!
馬の蹄の音がする。石畳を蹴って掛けてくる音。
その音が幾つも重なって不思議な残響音を通りに響かせる。
輻輳する反射音が最高潮に達したとき、先頭を駆けていた騎馬兵が通りの曲がり角から姿を現した。
「あんちゃん! 仕事だ! ぶっ放せ!」
外していたイヤープロテクタを耳に当てて初弾の狙いを定める。
ダォーーーーン!!!
イヤープロテクター越しにも聞こえる大音響。
曲がり角を曲がったばかりの騎兵の、その跨っていた馬の上半分が一瞬にしてミンチになった。
力なくその場に崩れる馬だった肉の塊。先頭が転んだ事により後方の騎馬兵がなすすも無くそこへ突っ込んで次々と転ぶ。
投げ出された兵士を後続の馬の足が踏み殺す。そして転んだ馬と兵士を後ろの馬が蹴り殺す。
血飛沫が舞い、ちぎれた体のパーツが飛び散った。
ダォーーーン!!!
問答無用の第二射。
障害物を避けようと乗り越えてきた騎馬兵が着地するところを狙い撃ち。
鈍い金属音が響き、騎兵の腰から上がどこかへ旅立った。
チッ!
軽く舌打ちしつつ次の犠牲者に照準を合わせる。
ダォーーーン!!!
障害物を乗りこて馬の首を返し、マサミに向かって馬鹿正直にまっすぐ走ってくる騎馬。
その馬の胸元付近に大穴が開いて馬が前転しながら転んだ。
そしてそこへ再び後続が突っ込んで大惨事が繰り返されている。
「おーし! こっちも撃て!」
パン!パン!パパパン!! パン!
後続の兵士に向かって小火器陣が射撃を開始した。甲冑を纏っていても防弾魔法を持ってない物は簡単に貫通する。
そして、馬は丸裸だ。5.56mmと7.62mmの雑多な弾種ながら、様々に撃たれればそれは凄惨な事態になる。
―― どけぇ!
混乱する騎兵の後ろから現れたのは馬までフルアーマーな重装甲騎兵。
剣を抜き勇気ある単騎突撃を敢行する。
「すまない ゆるせ」
ダォーーーン!!!
ガンスモークに一瞬かき消されたスコープの中の攻撃軸線上に写る実像。
煙が晴れた数秒後、夥しい金属片がグチャグチャに突き刺さる形容し難い物がボンヤリと立っていた。
有効射撃距離50mでは少々の魔法鎧ですら打撃出来る。
どれ程強靭な肉体を持ち、弾丸が貫通しない防御魔法の掛かった鎧とて、純粋に撃ち込まれる打撃のその単純な力に屈した。
打つ側には光明が。
攻める側には信じがたい悪夢が展開されていた。
―― ひけ!ひけ!後退!後退!
馬の向きを返して後退するネコの騎士達。
丸見えの背中に向かって最後の一撃。
ダォーーーン!!!
偶然重なった兵士を弾丸がまとめて貫通したらしい。
わき腹がそっくり無くなった兵士、胸から上が無くなった兵士、さらに首がどこかへ遊びに行ってしまった兵士だった物体。
まとめて通路へ転がり落ちて、おぞましく痙攣していた。
「やれやれ」
アモケースから次のマガジンを取り出し詰め替える。
ボルトを引いて初弾を送り込むとき、チャンバーの中から焼けた金属の臭いが漂った。
イヤープロテクターを外し立ち上がったマサミがバリケードの後ろへ後退する。
主力が突撃してきた通路では3人がかり20mm機関砲のオペレーション中だった。
ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!
大気を震わす射撃音。
ガンガンと賑やかな金属音を立てて大きな薬莢が地面に飛び散る。
その音に混じって漏れ伝わるのは断末魔の声。
会敵距離50m未満で20mm砲弾の直撃を食らった兵士の体は豆腐状態だった。
「よーぃ! ってぇ!」
ッドズン!!
37mm砲が火を噴く。
瞬発榴弾が通りの奥で炸裂し、周囲の家の壁が崩れる音が轟いた。
壮絶な金属音が響き、搾り出すような声が耳に届く。
ドッダダダダダダダダダダダダダダダダダ!!!!!!!
M2が猛然と火を噴き、その左右には初めて見るM60のガンナーがもの凄い勢いでバリバリと撃ち掛けていた。
「おらおら!クソども!かかってきやがれ! アッハッハッハ!!」
各通りの全てで鎮定軍の侵攻が停止したようだ。
最後の最後で頑強な抵抗をするヒトの集団に対し、獣の軍勢は攻め手を欠いていた。
平原での機動戦闘と違い狭い場所での集中戦闘ではヒトの世界の近代兵器が猛威を振るう。
一点に対する破壊力・打撃力は剣や下級魔法では対抗出来ず、上級大規模魔法は全てを破壊していまう。
街一つを焼き払うような大規模魔法を使っての勝利は意味を成さない。
あくまで街の機能を残しヒトを支配下に置くことが目的なのだから。
そして、僅かな手立ては中央広場の強引な力攻めで大きく消耗していた。
「おーし!今のうちに体勢立て直そう!まけねーぞ! 俺たちはまけねーぞ! フリーダーム!」
精一杯の叫びが広場に木霊する。
そこに居た全てのヒトが同じように叫んだ。
フリーダーム!
輪唱の様に木霊する広場。
手に手に様々な障害物を持って広場のバリケードを固めるヒト達。
だが、祭の終わりは唐突にやってきた。
ざっ! ザザザ!!!
耳障りなノイズが響く。
「ヒトよ この声を聞いている全てのヒトよ 我らの努力は再び水泡に帰そうとしている しかし 我らは諦めてはならない 我らは決して諦めてはならない これから生まれてくる者達の為に 最後の一人まで抵抗しよう どれ程踏まれても どれ程抜かれても 諦めず芽吹く雑草に様に 冷たい風に吹かれ雪に踏み潰され 厚い氷の下で凍えたとしても!」
広場にあった大きなスピーカーから突然始まったファーザーの言葉。
だが誰も声を上げない。ジッと次の言葉を待っていた。
「裏手からの部隊が預かり屋が占拠しようとしている 勝利を信じ 中へと避難していた女子供が殺されようとしている だが諦めてはならない この不条理な世界に散らばる全ての同胞の為 最後の義務を尽くそう 何人にも踏みにじられる事の無い 我々の誇りを示すため 最後の一人まで抵抗しよう どれ程の犠牲を払ってでも 我々の組織抵抗は今この時を持って終焉を迎える だが 抵抗し抵抗し抵抗しせよ」
そうだ!
広場の中で誰かが叫んだ。
奴隷にされるならば死を選ぶ!
そうだ!高潔な決意をしめそう!
我々は独立する!
必ず独立する!
フリーダーム!
広場の声が騒然となる中、老人の声が再び始まった。
「われは草なり 我らは草なり われは草なり 伸びんとす」
高見順だ・・・・
絶望的な状況なれど、マサミもまた天を仰いでスピーカーを見つめた。
「伸びられるとき 伸びんとす 伸びられぬ日は 伸びぬなり 伸びられる日は 伸びるなり」
鼻をすする音が聞こえる。
誰かが大地に拳を立ててドスンドスンと殴っている。
ちきしょう・・・・
悔しさをダイレクトに表す言葉が漏れる。
「われは草なり 緑なり 全身すべて 緑なり 毎年かわらず 緑なり 緑の己れに あきぬな パン!」
スピーカーからの声が唐突に切れた。
そして渇いた銃声。
皆が息を呑む。
「黙れ!」
野太い獣の声。
「お前達に文学があるかね 生きた証を言葉に残す文化があるかね 次の世代のために 魂の言葉を遺す高潔さが・・・・
搾り出すような言葉が漏れる。
だが、
パン!パン!
「・・・・さぁ もっと撃ちたまえ もはや・・・・ 毛ほどの痛みも感じぬよ」
「ならば死ぬが良い」
「あぁそうしよう 次の世代の為に」
バタン!
パン!パン!
唐突なドアの音と共に銃声が響く。
そして聞き覚えのある声。
「ファーザー!」
「ファーザーユウジ 来てくれたのかね 前線はどうしたかね」
「ファ・・・・」
「ユウジ 君に後を託す」
「ファーザー!」
ごそごそ・・・・
何かを弄る音。
「まだ死ぬわけにはいかぬ ヒトよ 聞け ヒトよ 大岩の僅かなくぼみに溜まった水を吸って 苔は岩にですら根を下ろす その苔は死んで土を遺す そこに草の種がこぼれる そして芽吹く 我らは我らを踏みしだく岩に降り立った死ぬべき苔だ 次の世代のために死ぬためにやってきた・・・・」
ゲホ!ゲホ!
肺に流れ込んだ血を吐いている。
音で分かるその苦しみ。
「われは草なり 緑なり 緑の深きを 願うなり」
ゴホッ!
ベチャっと音を立てて何かがこぼれた。
ヒューヒューと喉を鳴らして苦しんでいる。
「・・・・あぁ 生きる日の・・・・ 美しき あぁ 生きる日の 楽しさよ・・・・ われは・・・・ 草な・・・・」
弱々しい声が続いていたスピーカー。しかし、言葉はそこで終わった。
その言葉を送っていた所で何が起きたのか。言うまでも無い事が起きていた。
「生きんとす・・・・ 草のいのちを・・・・ 生きんとす! 」
唐突に今度は力強い声が響く。
「ファーザー! 続きは! ファーザー! しっかり! メディーコ! はやくしろ!」
呆然と言葉を聞いていたヒトの男たち。
だが、ふと振り返れば通りの奥にトラの戦士が並んでいた。
仲間の骸を踏み越えて、戦士はゆっくりと前進してくる。
「うてぇぇぇぇ!」
誰かが絶叫する。
しかし、誰も引き金を引かなかった。
一列に並んだトラの男たちは槍も剣も持たず。
全くの丸腰で、ただただ、前進してきた。
バレットを構えたマサミが狙った先。
軸線上の向こうには見覚えのあるあのトラがいた。
共に死体を草原へと埋めたあのトラ・・・・
広場の中央付近まで前進した戦士達。
どこからとも無く散発的に射撃音が響く。
何人かのトラが倒れたが、再び立ち上がって前進してきた。
「もういいだろう。お前達の決意は良く分かった。もう十分だ。悪いようにはしない。この戦はお前たちの勝ちだ」
一人のトラがそう言った。見れば、トラの多くが腕や足に銃弾を受けていた。
それでも前進してきたのだ。戦を終わらせるために、自らを犠牲にしてまで。
銃を構えていたヒトが姿勢を崩し、バリケードの上にドサリと座り始める。
誰かがどこかへ伝令に出た。まだ街の各所で息を殺しジッと潜む抵抗軍が居るのだ。
そして約1時間後。ルカパヤン全域で散発的に続いていたヒトの防衛陣地の組織抵抗は終焉を迎えた。
久しぶりに静かな夜がやってきた。
銃声も誰かの断末魔も聞こえない、静寂に包まれた夜が。
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翌朝。
瓦礫の残るルカパヤン中央広場。
照り付ける日差しの下、組織的抵抗を諦めたヒトの抵抗組織の、その各班長が集められ捕らえられた。
その中から簡単な尋問と形ばかりの弁護士による相談で選び出された、ルカパヤンの暫定新指導陣8名。
預かり屋のオフィスで防衛軍の指揮をしていた理事達は突入してきた鎮定軍のコマンドに全滅させられたらしい。
衆人環視の中、事実上の公開裁判が全くの出来レースで粛々と行われていた。
様々な種族が居並ぶ中、ネコの鎮定軍の将軍は長々と『ヒト反乱軍』の罪状を読み上げている。
"で、あるからして、反乱軍の罪状は明らかである。一つ、己の立場を忘れ主たる者に楯突いた罪。一つ、己の本分を蔑ろにし、本業を疎かにし、反乱を企てた罪。一つ、何人かの持ち物である己の身の程を忘れた罪。それらはすべてこの者達の扇動と扇情によって引き起こされた愚かしい行動である。この件において、寛大にして慈悲深いフローラ女王陛下は指導者の心中よりの贖罪と恭順の心を示すならば罪一等を減じよと仰られた。この街を根絶やしにする事は容易いが、膨大な犠牲を払う事を望まぬとのお言葉である。これらはつまり、全てがネコの慈悲と寛大な精神の発露であり、ヒトの生きるも死ぬもネコの慈悲の全てにそぐうという事なのである"
つまり、指導部が責任を取ってネコの御慈悲にすがりますと。
ここまでの犠牲を払っておきながらも絶対に飲めない条件を突きつけて、ヒトの意思を折ろうと言う事のようだ。
ヒトの力では抜けそうに無い程に地面へと突き刺された槍のハンドル部分へ後ろでにロープで縛られたヒトの男たち。
粗末な荒縄を首輪代わりにまかれたその男たちが岩を錘にして地面へと這い蹲らされていた。
焼けた石畳にキスでもするように、嫌でも獣の男たちに頭を下げさせられている姿。
どれ程抵抗しようとしても、岩の錘を持ち上げるほどの背筋力は無い。
せめて真っ直ぐに頭を下げる事を拒否するかのように、ヒトの男たちは皆横を向いていた。
「下を向かんか!」
ネコの士官がヒトの男の背中を蹴った。
グフッと息を吐いて苦痛に耐えるヒトの男が怨嗟の眼差しを向ける。
「はっ! 歯向かいおって!ヒト風情が!」
手にしていたムチを撓らせて背中を打ち据えたネコの男。
野戦服の背中が裂けて血が滲む。
「下を向かんか!」
数発の一撃をくれて再び叫んだネコ。
「どうした?攻め殺せよ。お前らみたいな下等種族は大好きだろ?弱いものにしか強気に出られないってのは情けねぇよなぁ」
ペッ!
血の混じったつばを吐き掛けて尚も恨みのこもった眼差しを向ける。
その眼差しに逆上したらしいネコが髪の毛を逆立てて睨み付ける。
ヒトの男はその姿を見てヘラヘラと笑い、真底蔑むように見ていた。
「望みどおり・・・・」
腰の剣を抜き放ったネコの士官。
振りかぶって首を撥ねようとしたのだが、その剣は下りてこなかった。
「そのヒトの首を撥ねたなら、俺がお前の首をねじり切ってやる」
驚いて振り返ったネコ。
そこにはいつぞや、マサミと共に死体を埋めていたあのトラの男が立っていた。
剣の切っ先を手で押さえて立っている。
ネコなど問題にしない大型肉食獣の頂点の一つ。
そのトラの猛然とした気迫が全身に漲っている。
「ヒトを殺すな。無碍に殺すな。お前らと違ってヒトは誇り高い種族だ」
「なんだと!」
いきり立つネコの仕官の肩を握ったトラの男は、一切迷うことなくその肩を握りつぶした。
メキメキと嫌な音が響き、ネコの男が無様な絶叫を上げる。
「ぐぁっ! んぎゃぁぁぁ!!!!」
そんな叫びを無視するように、トラの大男がネコの士官の襟倉を掴み、ネコの陣営の方へ投げ込んだ。
「文句がある奴はここへ来い。俺が相手だ」
キツイ視線がネコの騎士達を貫く。
その表情は怒りに満ちていた。
「それはトラの国の意思と判断してよいか?」
ネコの将軍は僅かに震える声でそう訊ねた。
当然の質問でもあるし、むしろ今確かめなければならない事でもある。
ネコとトラの両国家は微妙にうまく行ってない部分がある。
事を荒立て国家間の関係に影を落とす事になれば、それは鎮定軍を率いる将軍に取ってキャリアにミソを付ける事になる。
「国家も王も関係ない。この場に居るトラの意思だ」
ふと気が付けば広場に集まっていた騎士や戦士や傭兵の間からトラが抜け出て、石畳の中央に集まり始めた。
戦の後半。どこかバカバカしくなって帰っていった多くのトラにあって、最後まで戦に付き合った凡そ50人程のトラの男たち。
「ネコの女王が認めようと神様が認めようと、誰にも屈しねぇってヒトの意地を踏みつけんなら、そんなのトラは認めねぇ!」
「おうよ!おめぇらみてぇな連中に心意気ってもんがわかるかってんだ!」
どのネコを見てもどこか不機嫌にヒゲが揺れている。
今の今まで連合軍を。いや、もっと言えばネコの下で戦っていたと思っていたトラに噛み付かれた。
そんなショックがあるようだ。だが、ここでトラと全面戦争するほどの余力をネコとて持っては居なかった。
「これも儀式の一環だそうだが・・・・ 随分下卑た事をする連中だな」
どこからとも無くそんな言葉が響き、広場の中へ身形の良い雑多な種族の一団が入ってきた。
「ラムゼン商会だ。このインチキ裁判に立ち合わせてもらう。見え透いた三文芝居をするならお前ら生かして返さん」
一団の先頭に立っていた女が強い口調でそう言い切った。
スレンダーな体に仕立ての良いドレスを纏っている。
ヒューと口笛を鳴らし嫌らしい視線を向ける傭兵たち。
だが、その女の周りに居たライオンやトラやピューマと言った体格の良い男たちがギロリと睨むと、その声は一瞬にしてとまった。
「これが茶番じゃないと思っているのはお前らネコだけだ」
片膝をついてヒトの男の首に巻かれた縄を小さなナイフで切ったトラの男。
「あんたは罪に問われないのか?」
「心配するな。責任は俺が取る」
あぐらをかいた難しい姿勢で頭を地面に擦り付けるように押さえ込まれていたヒトの男。
当然、腰は極度の痛みを覚え、起こした頭は軽く貧血を起こす。
何より、全く足の感覚がなくなるほどに痺れていて、エコノミークラス症候群を恐れさせるほどだった。
「おい、ネコの将軍。今からおれはこのヒトの男達の縄を解くが、何か文句があるか?」
「・・・・敗者に情けは要らぬ。奴隷は奴隷らしく『その奴隷にお前らは負けたんだ』
トラの男は決然とそう言い放った。
「ヒトのおよそ1000倍近い犠牲を払って何とか負けずに済んだ戦で勝者の振る舞いか? この恥知らずめ」
長い剣を使って一人ずつ縄を切っていくトラの男。
ヒトの男は誰も謝意を述べない。
トラの男もそれを求めない。
どこかカラッとした、粋な付き合いにも見える。
「例えなんであれ勝ちは勝ちだ」
「てめぇの部下も配下の騎士も金で集めた傭兵も。ゴマンと殺しておいて勝ち戦の無敗将軍か。笑わせてくれるぜ。この能無しが」
「戦に犠牲は付き物だ。まずは生き残る事が重要なのだよ。そして結果的に勝てばよい」
何かを堪えるようにネコの将軍は言った。
だが・・・・
「ほー つまり、最後の一人まで殺しても勝てばよいってか。いやいや、結構なことだね」
隻眼のキツネが金色に輝く体毛を毛づくろいしながら毒づいた。
「・・・・キツネがなぜここにいる」
「あんたにゃ関係ないだろ?それともそのアホな頭でも理解できるように懇切丁寧な説明が欲しいか?ん?」
どこまでもバカにして掛かる口調で、どこか底意地の悪い言葉が容赦なく浴びせられる。
口喧嘩でキツネにかなう者など居ない。頭の回転の速さと言葉の巧みさ。
それだけでなく、操話術に長け、言葉の刃で反論を封じ込み、自分が言いたい言葉を相手に言わせる会話術と交渉術。
キツネを謀れるのはタヌキかムジナだけだといわれる所以でもある。
「キツネと議論する気は無い」
「まぁ、お前らはその程度だからな」
ヘン!とばかり毒づいて縄で縛られたヒトの紐をキツネは切った。
「久しぶりだな。あの随分別嬪の女房は元気か?」
「・・・・あぁ、あなたはあの時の」
最後まで縛られていたマサミの紐を切ったキツネの男。
その場へと最初にヒトの縄を切ったトラの男がやってきた。
マサミの襟倉を掴んでキチンと座らせるのだが、体中痺れているマサミは座る事ですら苦痛だった。
「まだ名前を聞いていなかった。お前の名は?」
「マサミ。そう覚えてくれれば良い」
「わかった。今からお前は自由の身だ。責任は俺が取る。どこへでも行け」
おい! ネコの側が騒然となる。
だがマサミは『いやいや・・・・』とでも言いたげに首を振った。
「まさか。ここに居る外のヒトを差し置いて俺だけ逃げる訳には行かない。ここのヒトが皆一様に首をはねられるなら、俺もこの首を差し出そう。死線を潜った仲間達、戦友を殺しておいて一人だけ生きながらえるなど、恥以外の何者でもない」
マサミはそう言い切って笑った。なんとも男らしい、爽やかな微笑みだ。
そしてそれは、死を覚悟した男の涼やかな決意の表れだった。
「マサミさん。せっかくの決意ですが、でも」
トラの男に縄を切られたヒトの男が一人口を開いた。
泥と返り血で汚れてはいるが、それは間違いなくユウジだった。
「あなたは生き残ってください。次のチャンスの為に」
「それを言うなら立場が逆ですよ。私が命を差し出しますから。ユウジさん、あなたが生き残るべきだ」
ヒトが二人。どっちが死ぬかで主導権争いをしている。
そんな光景を見ながら、トラもネコも、そして、その場に居た他の種族の騎士や兵士達も不思議そうだった。
生き残ったヒトが首を撥ねられる。そんなシーンを期待して集まっていた生き残りの傭兵達。
戦の後始末の定石として、一人か二人だけ生かしてやるといえば、誰でも必死になって生き残ろうとする。
だからこそ、その場では醜いまでの罵りあいや足の引っ張りあいが見られる。
最後には、生き残る権利を得た者に死ぬべき者の止めを刺させる。
そうやって、負けた側の内部にもしこりを残すようにして、再び一致団結しないように争いの種を残す。
だが、今この場で起きているのは、自分が死ぬからあんたは生きろと言う譲り合いだった。
―― ありえない・・・・
見る者、聞く者、共に混乱する中。
ヒトの生き残りは不思議な相談を続けていた。
「話に口を挟んですまないが」
ちょっと年をとったヒトの男が口を開いた。
「先に死ぬのは年寄りの義務だ。若いモンは生きろ、次のチャンスを待て。死ぬ順番の優先権も年功序列だぞ」
自信たっぷりに言い切ったおっさんがニヤッと笑った。
何ともまぁ気風の良い様なんだが、どうもそれが気に食わないのも居たようだ。
「おいちょっと待ってくれ。先に死ぬのは無能モンって決まってんじゃネーかよ。俺みたいなでくのぼーが先に死ぬからよぉ」
茶髪の若い男が話しに割って入った。
ピアスを幾つもくっつけて、おまけに妙なメイクで浮いた感じの若い男。
「お前達は本当に死を恐れないんだな」
トラの男はその会話に心底驚いていた。
驚くだけじゃない。どこか感動にも似た不思議な感情を得て、トラはまぶしそうにヒトを見ていた。
「いつだったか言ったじゃないか。命は軽く、名は重く。守るべきは名誉。誇り。尊厳。それだけだ」
「ヒトってぇ生き物はたいしたもんだぜ。なぁ」
ヒトを囲んでいたトラが口々に言う。
「ならばこうしよう」
トラの男に一喝されて言葉を失っていたネコの将軍が口を開いた。
「一振りの剣を渡す。その剣を奪い取って自分の喉を刺せ。誰か一人絶命したら、それで落着としよう」
自らの帯剣を腰から抜き放ち、石畳に投げ出したネコの将軍。
カラン!と金属的な音が響きわたり、そして、一瞬の静寂・・・・
「おいおい・・・・」
最初に拾ったのはトラの男だった。
「ネコって奴はどうしてこうもまぁ・・・・」
心底呆れるような嘲笑の相を浮かべ剣の柄を握り締めた。
美しい光沢を放つ鋭剣なのだが、よく見れば刃先には僅かなこぼれがあった。
碌に手入れもされてない、姿だけは美しい一振りの太刀。
「お前らは表面を取り繕うだけなんだな。本当に・・・・」
「人は見かけで勝負するのだよ。トラの戦士よ。剣を交えずに勝つのがもっとも素晴らしいのだ」
しょんぼりと溜息を一つ吐いたトラ。
その太刀を逆さまに返し、石畳の僅かな隙間に突き刺した。
「ヒトの男たち。ご覧の有様なんだが・・・・ 誰が命を差し出すか?」
間髪入れずにユウジが手を上げた。
「現状では自分が責任者だ。責任者は責任を取るためにいるんだからな」
ちょとまて!だのずるい!だのと言葉が上がるなか、ユウジはフラフラとしながら立ち上がった。
石畳に突き刺された剣の柄を握り、一気に引き抜こうとしたのだが、剣は微動だにしない。
腰を入れてグッと力を込めたのだけれど、僅かな量ですらも動いてはくれなかった。
「いやいや、抜けませんね。スイマセンが抜いてもらえませんか。これでは用を成さない」
「いや、自分で抜け。抜けぬなら首を切らないで良い。それで手打ちだ」
ネコを睨み付けたトラがグルグルとネコをならし、恐ろしい声色で脅す。
「相手の名誉を踏みにじる以上、出来ない事に文句は無いな」
「いや、それでは困るのだが」
「いーや、何も困らねぇ。誰も困らねぇ。困るんならあんたがこのヒトの首を撥ねろ。お前がだ。死を賭して闘ったものに名誉ある死を与えろ。それも出来ねぇ腰抜けなら尻尾丸めて帰りやがれ!」
出来る限り丁寧な言葉を選んでいたはずの、最初にロープを切ったトラがついに地声と言葉遣いで喋りだした。
「どいつもこいつも女々しく腐りやがって!てめぇのメンツがそんなにでぇじなら相手のメンツも立てやがれ!」
大声で怒鳴ったトラの気迫にネコが一瞬たじろいだ。
ネコだけじゃない。事の次第を見守っていたカモシカやヘビやそれ以外の様々な種族もまたたじろいだ。
「トラの方よ。心からの弁護、誠に痛み入る。だが、誰かが責任を取らなければならない事なのだからして・・・・」
ユウジはトラの腰にあったナイフを指差した。
ただ、ナイフと言ってもトラの使うナイフだ。
刃渡り40cm近くある脇差並みと言った迫力の刃物。
「そのナイフを貸してもらいたい」
「なにをするんだ?」
「ここで腹を切る。格好良いじゃないか。腹を切って死ぬんだ。最大の名誉だよ」
「・・・・セップクって奴か?ヒトの世界じゃそうするそうだな」
トラの男は腰からナイフを抜いてユウジに手渡した。
ユウジは石畳に正座して上着を脱ぎ、ナイフの白刃へと手ぬぐいを巻いて握る。
「ちょっと待ってください。切腹には介錯が必要です。誰か剣を一振り貸してください」
マサミは慌てて広場で叫んだ。
だが、誰も動かなかった。
「良いんですよ。私はこれで果てますから。後を頼みます」
ユウジは楽しそうに笑っていた。
今まさに死のうとしている男がそんな表情を浮かべられるものだろうか?
広場の中に妙な空気が漂っていた。
「わかった。トラの言うとおりだ。そのヒトの男の命を持ってこの戦を終わりとする。この街はネコの一意の管理下におき、その上でこの街だけはヒトは自由とする。同意するものには賞与を与える。意義無き者は沈黙せよ。同意があるならばわしは一命を賭して女王に奏上する」
ネコの将軍はきっぱりと言い切った。この街だけは自由にする。
それはある意味で膨大な犠牲を払ったヒトに取って、満足出来なくとも納得は出来る勝ち得た戦果。
トラにとっても、名誉ある決着を得られるならば、それは同意に値するものだろう。
だが、それこそネコの狙い。ネコの一意の管理下こそ、もっとも重要な目的。
しばらくの静寂。
熱せられた風が広場を吹き抜ける。
広場を見回したネコの将軍はゆっくりと頷いた。
全てが終わった。
誰もがそう思った。
夥しい犠牲を払ったヒトの独立戦争は『ヒトの反乱』と言う形で決着を迎えようとしていた。
「異議有り!」
広場を取り囲んでいた群衆の奥から唐突に声がした。
「それでは仁義に反する。騎士道に悖る。なにより・・・・」
やや甲高く、そして物悲しい声色の、遠くまでよく通る声が広場に流れる。
「遠い昔、偉大な狼王が召集せし12の種族の青空議会で宣言された、すべての種族に平等を謳うマグナカルタに反する」
群集が割れ、そこから数人の中型の獣人が広場の中心へと入ってきた。
一斉に視線が集まる先。そこに立っていたのは全身漆黒の毛に覆われた獣人だった。
オオカミ
漆黒の体毛と群青色の瞳を持つオオカミ。
白く冷たく光る銀羊歯の首飾りを掛け、長い槍を片手に持った凡そ20人のオオカミたち。
その中の一人が群れを抜け出てネコの将軍とトラとヒトの男たちの前に立った。
「まずは遅き参陣の非礼を詫びる」
「オオカミの戦士 今更我らに援軍など不要だ 帰られよ」
「これは異な事を」
オオカミ達が笑い声を上げた。
広場に集まった凡そ20人のオオカミの戦士。
身の丈を越える長い槍を持ち、その背には巨大なマチェットを背負っている。
太く逞しい腕と首や肩や腰に飾られた煌びやかな戦衣。
「何がおかしい?」
聊か不機嫌そうな声で鎮定軍の長はオオカミを睨んだ。
だが、胸を張って立つオオカミはクルリと向きを変えてマサミの元に歩み寄った。
「我らの輩 オオカミと踊る男 そなたの勇気と厚情とそして犠牲に報いるときが来た」
だらしなく座っていたマサミに手を差し伸べるオオカミ。
「自分は月の女神の神殿を祭るクー族の戦士 ―闇に光る刃― 」
立ち上がったマサミの前に立ったオオカミは再び振り返ってネコの将軍を睨んだ。
「ネコの鎮定軍の主よ いにしえ この世界を焼き払った真の帝王より続く戦の慣わしに則り 一振り献上いたす どうかこの剣で存分に闘われよ 情けは無用に」
別のオオカミが差し出したそれは見事なまでに研ぎ上げられた巨大なマチェット。
トラの戦士が持つ斬馬刀にもイヌの騎士が持つ魔剣にも、全く引けを取らない見事な逸品だ。
「我らクー族の窮地とオオカミの聖地を救いしこのヒトの男の為に我らは闘う ネコの将軍よ 死にたく無くば今すぐ逃げよ」
並んでいたオオカミ達が槍をかざして勝鬨の声を上げた。
オゥ!オゥ!オゥ! ぅオオオオオォォォッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!
いっせいに叫ぶオオカミ。
沢山の声が重なって不思議なハーモニーとなる。
なんと!
ネコもトラも・・・・ それだけでない。
その広場にいた全ての者がいっせいに驚く。
だが、オオカミの戦士たちは胸を張って立ち、ヒトとネコの間に立ってネコを睨む。
「トラの戦士に告ぐ。我らは全てを無に還す滅消の戦士。歯向かうなら容赦しない。ヒトを赦すならばヒトの背後に」
そして、オオカミは再び叫んだ。
言葉にはならない言葉で。
ウァォォォォォーーーーーン・・・・・
遠くまでよく通るオオカミの遠吠え。
悲しいまでの声が街の中に流れていく。
その声に応えるように、他のオオカミ達も遠吠えを始めた。
幾つ者声が重なって響きあい、共鳴し、そして声が終わる。
広場にいる者が皆沈黙し、痛いほどの静謐が広場を埋めていく。
―― ァォォォォォォ・・・・・
どこか遠くからオオカミの遠吠えが聞こえた。
―― ァォォォォォォ・・・・・
―― ァォォォォォォ・・・・・
一つや二つではない数の、何かの声に応えるような遠吠え。
幾つもの声が重なって、風に混じって、そして街の中に響く僅かな声量の遠吠えがすべて繋がった。
途切れる事無く、常に何処からかはわからぬ遠吠えの声が流れている。
「お前達!今すぐ逃げろ!」
あのオオカミの女が叫んだ。盲目の白目を三角にして叫ぶ。
ラムゼン商会の者達が一斉にどこかへと逃げて行った。
シャン!
何かを確かめたオオカミの男が槍を頭上に掲げ、そのまま大地へと突き降ろした。
槍の柄の先端に付けられた飾りがぶつかりあって、賑やかな音を鳴らす。
カッバッチ! カッバッチ!
闇に光る刃と名乗ったオオカミが唐突に呪文を唱えた。
間髪入れず背後に居たオオカミ達がそれに答えるように呪文を叫ぶ。
カッマッテ! カッマッテ!
カッバッチ! カッバッチ!
カッマッテ! カッマッテ!
あらん限りの大声でオオカミたちが詠唱を始めた。
その下地には、遠くから響くオオカミの遠吠えがあった。
何かが起きる。
やばい事が起きる。
これは絶対やばい。
この戦で身につけたマサミの戦の勘がそう言っている。
全身の細胞の全てが『逃げろ!』と叫んでいる。
考えるより早くマサミの足が逃げようとするのだが、足がもつれて上手く歩けない。
必死になってオオカミの列に背を向け後ろへと走るマサミ。
それを追おうとしたネコの兵士がオオカミの一撃で遙か彼方へ吹き飛んだ。
「何が起きるんだ?」
状況を見ていたユウジがもらすその場へマサミが倒れこんだ。
「逃げましょう。よくはわからないけど、でも・・・・・」
振り返ったマサミ。
大声で詠唱するオオカミの男たちと、その詠唱を止めようと襲い掛かるネコの騎士や傭兵たち。
だが、鋭剣をかざし切りかかる騎士たちが目に見えぬ巨大な力で遠くへと弾き飛ばされている。
理由はわからないが、そこにあるのは巨大な力場としてのエネルギーだった。
カ! オラ! カオ! ッラ!
テ! ネイ! テ! タンガタ!
プッフルフル ナア ネ!
イ ティキィィィィ!!
オオカミの男たちが持っていた槍の穂先に光が貯まり始める。
眩く輝くその光がフッと穂先を離れた。
ふわふわと人魂のように舞う光の玉。
その玉は闇に光る刃と名乗ったオオカミの戦士の周りを漂う。
マイ! ファカ! フィティ テ ラ!
ア! ウパネ! ア フパネ!
ア! ウパネ! カ=ウ パネ!
フィティ!
いくつもの声が集まり重なり響きあい。
やがて光の玉がその振動に共振するように震え始める。
テ!
全てのオオカミの声が綺麗に重なって不思議なハーモニーとなった。
その瞬間に光の玉は帯状に光の尾を引いて先頭のオオカミの周りをぐるぐると回り始める。
ラ!
今度は闇に光る刃と名乗ったオオカミだけが声をあげた。
すると、光の玉が回転するその軌道が少しずつ変わり、闇に光る刃の前数メートルのところに集まった。
その光の玉の軌道の中心には黒い玉が見え始める。
向こうの景色が見えなくなるバスケットボールほどの黒い玉。
その周りを数多くの光の玉が尾を引いて回っている。
その速度は肉眼で追うのが難しいほどになり始め、やがて完全な光の帯になってしまった。
空中を走るレーザー光線のような不思議な光景。
それを止めに掛かっていた者達も、もはや抵抗する素振りを見せず、事の成り行きを見守っていた。
「ネコの鎮定軍の主よ! 30秒だけ待ってやろう さぁ 逃げたまえ」
光の帯の中心には黒い玉が浮いている。
それが何であるか。マサミは思案していた。
だが、ふと気が付く驚愕の事実。その黒い玉は影だった。
光が差しても姿の見えない陰。空間にぽっかりと明いた穴。
地面に穿たれた大穴の底が暗闇に閉ざされているように、3次元空間の空中に浮かぶ光を吸い込む穴・・・・・・
「マサミさん! あれは!」
「信じられない・・・・」
ヒィィィィィィ!!!!!!!!!!!!
30秒を経過した頃だろうか。
オオカミたちが一斉に叫んだ。
その瞬間、その黒い影に全ての光の帯が飲み込まれ、そして・・・・・
「あぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! 」
様々な種族の男たちがその黒い影に飲み込まれていく。
男たちだけではない。草や石や土や、戦死した者たちの遺骸や。
銃も剣もありとあらゆる武器の類も。
オオカミの前にあった全ての物が様々な断末魔を上げて黒い影に吸い込まれていった。
巨大な岩までもが吸い寄せられ、有りえないほどの音を立てて瓦解しながら影に吸い込まれる。
言葉では説明できない巨大で見えない力が全てを打ち砕き砂粒へと姿を変えさせ、全ては事象の地平線の向こう側へと消えていく。
「嘘だろ・・・・」
言葉を失って呆然と見ているユウジ。
マサミも言葉を失っていた。
ありとあらゆる物を飲み込んでいく黒い陰。
その大きさがドンドン小さくなっていって、やがて僅かな点にしか見えなくなった。
そして、その小さな点に向かって、周囲の建物や石畳までもが砕かれて吸い込まれていく。
その黒い影の前。
ネコの将軍とその取り巻き立ちは魔方陣を張って空間座標をロックし、影へ吸い込まれるのを必死に耐えている。
だが、どれほど頑張ってみたところで、個人の魔力には限界があったのだろう。
辺りがボンヤリと薄暗くなり始めた。太陽の光りですらも吸い込まれ始めている。
黒い点の周囲越しに見える景色が大きく歪んでいた。質量を持たぬはずの光りですらも吸い込む無限の闇。
「うわぁぁ!」
ネコの騎士の一人が叫んだ。
限界を超えて魔方陣を張り続けていたようだが、ついに限界が来たようだ。
体中の穴から鮮血を噴出して膝をつきそうになり、そしてそのまま黒い闇に吸い込まれていく。
まるで掃除機の口へ吸い込まれる埃の様にスポッと消えてなくなった。
そしてそれが最後だった。
魔方陣の一角が崩れた瞬間、その場に居たネコの指令階級が次々と芋づる式に吸い込まれて消えてなくなった。
最後の最後に残ったネコの将軍は、奥歯を喰いしばり全身の毛を逆立てて耐えている。
黒い影が全てを吸い込み始めて、ここまで凡そ20秒。
今度はオオカミ達が僅かにざわめく。
まずいな・・・・・
オオカミの一団を指揮していた男。
―闇に光る刃― の表情に狼狽が浮かんだ。
ラゥ!
唐突に叫んだ闇に光る刃。
槍をかざし大きな印を切るように空中をもてあそんだその穂先。
再び少しずつ光りが溜まり始めたのだが、その光りですらも糸を引いて黒い陰に飲み込まれ始める。
ロォロ!
エルラオルラ! グッグロ!
イ! ラ! ルレイラ!
ロィロィラ!
オオカミの一団が必死になって詠唱するのだが、槍の穂先には光りが溜まらないで居る。
少しずつオオカミが焦り始めた。いや、焦るのではなく、絶望の表情が浮かび始めた。
「マサミさん。なんか雲行きが怪しいですね」
「あれ、どうみてもブラックホールですよね」
「育ちすぎちゃってコントロール出来なくなった。そんな感じでしょうか」
オオカミ達が毛を逆立てて絶叫しつつ詠唱するのだが、もはや黒い影の中心部は黒い点でしかなく、その周囲はボンヤリと薄暗い影になっているだけだった。
「何が起きているのですか!」
人ごみを割って駆けつけてきたのはヴァルキュリアだった。
あの日、気を失うほどの魔法を使ったせいだろうか。
長い髪が真っ白になっている。
「おそらく・・・・・」
マサミは手短に、しかし、正確に起きた事を説明する。
間髪入れずヴァルキュリアは魔剣をマサミに押し付けた。
「この剣はマサミさんしか抜けません。さぁ抜いてください」
「どうするんだい?」
「良いから!時間が有りません」
マサミがそっと引き抜いた剣をヴァルキュリアが握る。
「今から危険な呪文を使います」
「え?それは?」
「高位世界からこの世のものではない魔人を召還します!いいからそっちへ下がって!時間が無い!」
両手でグッと構えたヴァルキュリアが瞳を閉じて念を込めた。
ゆっくりと息を吸い込み意識を集中する。
ヴァルキュリアの体が薄らボンヤリと光り始めた。
イアイアハスター!
え?
・・・・ハスター!
クフアヤク!
・・・・ブルグトム
ちょっと待て おい それって・・・・・
絶体絶命の危機だと言うのにマサミはポカンとしてヴァルキュリアを見た。
ブルトラグルン! ブルグトム!
「現世と異世の境 無限の虚ろ 深淵なる闇の黒い光!」
魔剣が一瞬だけ共鳴した。
ヒトの可聴帯域で高音限界ギリギリ位な周波数の音を白刃が発する。
耳が痛いほどに共鳴し、そしてすぐにその音が消えた。
だが、周囲の獣人を見ればわかる事がある。
ヒトの可聴帯域を抜けただけで、音はまだ続いている。
「クトゥローよ! 魔のクトゥローよ! 我が召喚に応えよ!」
オオカミ達の制御が限界に達し、敵ならざる者を自動防御するはずの魔効境界線が崩れつつある。
トラやヒトやオオカミの背後にあった物までもがカタカタと揺れだし、そのまま黒い影へと吸い込まれていった。
そんな中、ヴァルキュリアの周囲だけが平然としている。
何事も無かったかのように平穏だった。
そう、彼以外の全てが。
ヴァルキュリアの握り締めた魔剣のその刃が縦に割れたように見える。
いや、正確には、空間が湾曲し、刃の間に別の世界との隙間が発生したと言うべきなのだろう。
空中の一点だけに集まった猛烈な力場としてのブラックホールではなく、異なる世界の摂理が意思を持たぬ単純な力となって刃から噴き出ようとしていた。
「 アイ! アイ! ハスター!!!!! 」
金切り声で絶叫したヴァルキュリア。
その瞬間、刃からあの日と同じ様に炎が噴き出した。
再びあの恐ろしい形相の巨大な魔人が姿を現す。
全身に炎の衣をまとって広場の中央に屹立していた。
「フン!グルイ!ム!グルウナフ!クトゥルフ!ルルイエ! ウガァナーグル! フダァァァァグ!」
長く延びる白い髪が逆立って青白い火花をバチバチと立てている。
人智を超えた巨大なエネルギーがヴァルキュリアの持つ魔法回路を経由してこの世界へとロードされた。
「ティビマグヌムイノミナンドゥム シグナステラルム ニエグラムエ ブフファニフォルミス サドクエシジルム」
正体の抜けた眼で虚空を見つめるように放心状態のまま、まるで機械の様に詠唱を続けるヴァルキュリア。
紅蓮の炎をまとう魔人の姿が少しずつ崩壊して行き。そして次の瞬間にはその炎が黒い影のようになった。
その影の縁取りは眩いまでの真っ白な光。
マサミは瞬間的に理解した。黒く見える炎はつまり、あまりに眩すぎてブラックアウトしているだけだと。
必死になって重力の渦を中和しようとしていたオオカミたちですらも、力尽きて吸い込まれかけていた。
小声で詠唱を続けるヴァルキュリアの声だけが響く広場。
何かを諦めたようにオオカミ達が槍を横に構え、詠唱がフッと止んだ。
一瞬の静寂。
突然広場の中に青白いスパークが弾ける。
目に見えない巨大な力がそこに生まれ、ヴァルキュリアの召喚した『 な に か 』が諦観したオオカミ達を払いのけた。
まるでゴム毬のように広場の隅へと跳ね飛ばされるオオカミやトラ達。ヒトもネコも飛ばされた。
広場の中心は強力な力場の黒い陰と、その向かいで剣を掲げるヴァルキュリアだけになった。
眩すぎて何も見えない。視界が全てブラックアウトし、自分の目の前に現れた『 な に か 』の存在感だけが増していく。
確かにそこに何かが存在する。人知を超えたもの凄い何かが存在する。
「 」
聞き取れない無音の音が広場を埋め尽くす。
沢山の人々が祈りを捧げる声のような。
巨大なスタジアムを埋め尽くした観客の叫ぶ声のような。
その巨大な『 な に か 』が叫んだ瞬間、マサミは意識を失った・・・・・・
ルカパヤン戦役編 第5話 了
街の中心部はまだ何とか生活感があるものの、街の郊外にある住居地区はすっかり廃墟になっていた。
厭戦気分の蔓延する傭兵や下級兵士らによる略奪と強盗が後を絶たず、街の治安担当らも諦めムードが漂っている。
そんな中、全てのヒトを中心部へと集め守備を固め篭城するルカパヤンの防衛軍は街の改造をほぼ終えていた。
もはや見通しの良い戦場での、ロングレンジ戦闘は望めない。
手を伸ばせば相手の髭を握れる距離で、足を止めて剣で斬り合うような凄惨な戦闘が待ち受けている。
腕力・膂力に劣るヒトにとって、そんな戦闘はすなわち、文字通りの自殺行為だ。
自ずと、有利な闘い方を模索する事になったヒトの側の篭城戦術といえば、巨大な罠を張るしかない。
街の郊外から中心部へと繋がる大通りは入り口の門を常時開け放している。
まるで食虫植物が獲物を待つように、フリーパスで通りへと入って行ける鎮定軍。
だが、その通りは中央広場に到達するまでのすべての交差道路入り口が強靭なバリケードで封鎖されていた。
広場までの距離はおよそ500m。左右の家々の窓やドアまで完全に封鎖されてしまっている。
そして、通りの終点。広場との接続点には上下3段構えの銃撃用バリケード。
騎兵だろうが歩兵だろうが、この通りに入ったが最後、終点まで辿り着くか、さもなくばUターンしかない。
さらには、通りの左右に並ぶ4階建て5階建ての家々はその屋根に渡り板が渡され、防衛軍はそのイヌ走りを使って鎮定軍の頭上から容赦ない殲滅射撃を行えるようになっていた。また、僅かな窪みや、身を隠せる凹みを意識的に残した箇所には螺子や釘を膠でべったりと貼り付けたクレイモアを設置し、遠隔操作で爆破する作戦だ。
まさに、アリ地獄。逃げ場の無い地獄の鍋の底。中央部へはおいそれと手出しできない構造になったルカパヤン。
100騎200騎で突撃したところで、大きな通りにすっぽり飲み込まれてから上下左右の十字砲火を浴びてしまう。
楯を構え守りを固めて前進すれば、今度は屋根の上から火炎瓶を投げ込まれ焼き殺される。
馬2頭立ての戦車に槍兵と銃兵を乗せて突撃を図ったときには、意図的に設けられた段差で歩みが止まった時に頭上からヒトの兵士が戦車へ消火器を投げ込んだ。
そこ目がけて狙撃手が銃弾を打ち込むと、高い内圧を持つ消火器が大爆発して戦車に乗っていたネコの兵士5人が即死した。
この2ヶ月の間に20回以上もの突撃戦闘を行って、事態の改善を図ったネコの国軍の司令官は焦りを深めつつあった。
だが、2ヶ月を経過した辺りでヒトの防衛側が、どうにも旗色が悪くなっていたのも事実だった。
まずは何と言っても弾薬が底を尽き始めた事。
NATO弾を使う銃は一部を除き銃剣を装備して槍として使うしか使い道が無くなった。
マサミのG3も弾切れで宿舎代わりのホテルの一室にしまったままだ。
それと、食料がいよいよ乏しくなってきた。
生鮮野菜の類が決定的に不足し、ビタミン類の補給は僅かな果物を舐める様にして食べるか、さもなくばサプリで補っている。
また、中心部数箇所にヒトが集中した結果、水の消費量が大幅に増えてしまい、井戸の水位が低下している。
備蓄していた保存食代わりのフリーズドライ物や落ち物のカップラーメンなどを食べるにも水がいる。
負傷し手術なり手当てするにも水がいる。不衛生な環境になれば伝染病・感染症の危険も出てくる。
微妙に『祭りの終わり』を実感し始めるとき。
それはつまり、負け戦の終わりがすぐそこまで来ているのだった。
「マサミさん、ちょっと」
ちょっと早い夕食をとっていたマサミはユウジに呼び出された。
「何かおきましたか?」
「えぇ、良いニュースと悪いニュースです」
「と、言うと?」
「まず、悪いニュースです。このタイミングで例の山に落ち物です。海上コンテナクラスの大物です」
「悪いニュースなんですか?」
「えぇ。なんせあれを回収するには敵のど真ん中を抜けなければなりませんでしたしね」
「・・・・・・で、良いニュースとは?」
「ネコやトラの国が農繁期に入ります。一部で撤退が始まりました」
黙って見詰め合う男2人。
「昨夜、回収班を仕立てて山へ入りました。そしたら見事に17年ぶりの米軍の輸送用規格コンテナで」
「と言う事は?」
「弾薬の類が若干ですけど補充されてしまいました。つまり、我々はまだ闘わなければなりません」
ユウジは自嘲気味に笑った。
「所で、農繁期と言うのは?」
「トラの国は大陸最大の農業国家です。つまり膨大な農地を抱えています。で、トラの兵士は半農半軍です。つまり、前線を離れるトラが増えるでしょう。まぁとにかく・・・・ あ、そうそう、これはマサミさんの分です。じゃ」
ひとしきり笑って現場を離れたユウジ。
鎮定軍を誘い込む大通りには死体が溢れていた。
"ブルを出すぞ!"
通りの奥のバリケードが開けられ大型のブルトーザーが姿を現す。
大きなバケットを立てて、通りの奥から外に向かって生ゴミ状態の死体を押し出していった。
街の入り口で火線を引いている鎮定軍。
その前に定期的に現れるブルトーザーは脅威の存在に見えるらしい。
街外れの大穴へ死体の山を落とし込んだブルトーザーはバックで通りの奥へと帰っていった。
変わって通りから出てきたのは、この街にもとから住んでいたヒト以外の種族の男たち。
穴に落とし込まれた死体へ油を掛けて火をつけていった。
死体が腐ってしまうと衛生環境的によろしくない。
ヒト以外の種族の自治会と鎮定軍が定期的に行っている会議の席で、この作業中は攻撃を行わない取り決めとなっていた。
そしてもう一つ。この会議の席はヒトの側の守備陣営と獣人の鎮定軍との非公式折衝の場でもある。
両陣営にとって最大限の利益を得るようなギリギリの交渉を行える場。言い換えれば、和平交渉の実質的なスタートとも言える。
鎮定軍側も疲れている。既に戦闘は半年に及んでいる。
彼らの想定を遥かに上回る規模と努力をヒトの側が行っていた。
当初2万近い数だったネコとトラの連合軍。
しかし、いつの頃からかネコより一回り以上大きなトラの姿が殆ど見えなくなっている。
また、激烈な抵抗と組織的かつ効率的な被負傷戦闘により後方や本国に送り返されるネコの兵士が増えている。
現在、鎮定軍側の実質的に戦闘可能な正規軍戦力は僅か2千足らず。
月払いの給与を受け取った後、契約を更新せず帰途に付く傭兵は後を絶たない。
傭兵まで含めたも総戦闘人員が3千人程度にまで減少した鎮定軍側もまた、組織的な行動の限界を迎えつつあった。
―― ここが踏ん張りどころですよ
そんな風に言うユウジの言葉は、裏打ちの無い強がりの様でも有った。
「踏ん張りどころ・・・・か」
マサミはそうボソリと呟いて、受け取ったNATO弾をテーブルに置き、残っていたメニューを具の無い薄いスープで流し込んだ。
およそ3日に1回の割合で鎮定軍は激しい突撃を仕掛けてくる。
その都度に神経を張り詰めさせ戦闘に臨むヒトの防衛軍。
当然、精神的にも肉体的にも疲労の色は濃くなり、僅かな時間的隙間を見つけては眠る者が増えていた。
ローテーションで大規模突撃とちょっかいレベルの戦闘を繰り返す鎮定軍に比べ、頭数に劣る防衛側は休む間も無く戦い続けなければならない。
弾薬や食料や医薬品と言った問題以上に実は、人間的な限界がすぐそこまで来ているのを皆感じていた。
その夜。当直を交代し寝床へ帰って、マサミは文字通り泥の様に眠りこけていた。
静まり返ったホテルの一室。
宿舎に宛がわれた小汚いホテルの一室だ、今得られる唯一の安息の場所
いびきすらかく事を忘れて眠りこける深夜。
静まり返った街に突然の爆発音が轟き、マサミはまさに飛び起きた。
窓の外、中央広場の辺りで大規模な爆発が起きた。
つまり、尋常な事態ではないと言う事が嫌でも良からぬ事を連想させる。
慌てて装備を整えで宿舎代わりのホテルを出ると、街の北半分が燃え上がっている。
"突破された!"
防衛線を突破されたと見て間違いない。
防衛陣地側の通路を駆けて自分の持ち場になっていた東大通りで行って見れば、すでにそこは死屍累々となった宴の後だった。
ネコや雑多な種族の傭兵の死体と共に、剣や斧で断ち切られ原型を留めていないヒトの死体。
長居は無用とばかり連絡通路を駆けていって中央広場に出れば、今まさに最後のバリケードが突破されようとしていた。
一瞬の思考を挟んでマサミは近くの建物の屋根へと駆け上がった。
手にしてきた得物がG3なのを一瞬後悔したが、ここは装備変更に戻っている時間は無い。
モーゼルを持ってくるべきだったな・・・・
いや、ここはバレットでも良かった・・・・
後悔しても始まらない。
バリケードに向かってジリジリと距離を詰める傭兵たちに向かい、マサミは真横から正確な射撃を浴びはじめた。
ダン!ダン!ダン!ダン!ダン!ダン!
有効被射撃距離の中にあった傭兵が頭から血を流して崩れる。
しかし、彼らの正面に居るヒトの防御陣地から浴びせかけられる火ぶすまの射撃に盾をかざすのが精一杯とあっては、横から撃たれている実感が無いらしい。
マガジンを一本空にして次を突っ込みボルトを引いて射撃を再開。
ただ、十発や二十発撃ったところで状況をひっくり返す事は出来ないだろう。
如何せん数が違いすぎる。ここから100人単位で撃てばともかく、一人でポチポチ撃ったところで・・・・
それでも諦めずに撃っているとバリケードの上から猛然とM2が撃ちかけられ始めた。
盾など簡単に貫通し、距離を詰めていた傭兵が一瞬たじろぐ。
だが、それでもジリジリと距離を詰め、バリケードまであと50mの位置で前進が止まった。
金属の盾を重ねて翳し、真正面から襲い掛かる銃弾の衝撃を必死に耐える兵士達。
そこへ真横からマサミが射撃を浴びせる。豆鉄砲で屁のツッパリ状態。
盾を持つ手が弾かれ一瞬無防備に成ったところに12.7mm弾が降り注ぐ。
悲鳴と絶叫と断末魔。
一旦膠着と思いその場を離れるマサミの視界の片隅に嫌な影がよぎった。
あの日、平原で竜巻を巻き起こしたネコの魔道士達が広場に飛び込んできたのだった。
これは大変な事になる。容易にそんな想像がついた。
ネコの魔道士までの距離は凡そ200m。
一撃で絶命させるには有効打撃距離があり過ぎる気もする。
しかし、撃たないわけにはいかない。
やはりバレットを持ってくるべきだった。
痛烈な後悔と自責の念。
伏撃姿勢になって引き金を引くマサミの奥歯からギリギリと音がこぼれた。
ダン!ダン!
遠くにネコの魔道士が倒れる。だが、彼らはそんな事を省みる事無く詠唱した。
声は聞こえない。ただ、何を叫んだかは分かる。そして、恐れていた魔法効果が発動する。
広場の中に一陣の風が吹き抜け、それが呼び水になったかのように周囲から猛烈な風が吹き込んだ。
シューともゴーとも付かない音が響き、広場の中心にあの時と同じ巨大な竜巻が巻き起こった!
ヒトの防御陣地側に展開していた者達が慌てて建物に退避する。
バリケードの向こう側ががら空きになった所で、再び傭兵たちがネコの魔道士達と共に前進し始める。
広場の中を真横に並んで押し寄せてくる獣の兵士達。後方からは主力の騎士団と思われるネコの騎兵の集団も現れた。
その数は100騎や200騎とは思えない夥しい数だ。通りの郊外側から次々と現れては広大な広場を埋め尽くしていく。
「Fack!」
強い風の中、マサミは魔道士に向かってもう一度射撃を行った。
しかし、強い風に流されて弾丸はあさっての所へと流れてしまう。
竜巻がバリケードを破壊し、岩や金属板が吹き飛ばされる中、その僅かな隙間に傭兵たちが乗り込む。
オォー!
歓声が上がり、騎兵たちが喜ぶ。傭兵達は盾を頭上へかざし、手柄を自慢しては査定担当への自己PRに余念が無い。
だが、ヒトの側もまだ諦めていなかった。
突然、竜巻に向かって炎の柱が延びた。
火炎放射器だ。
それもかなり大型高圧でガソリンを噴出し、それが炎をまとって延びていた。
魔法を使って発生させた竜巻に炎の強力な上昇気流が混じった。
それだけでない。周囲の建物や様々なものに一斉に火が付いた。
鎮定軍側のこの魔道戦術を事前に読んでいたのだろうか?
広場の周囲には事前に可燃物が集められていて、木樽には油が詰められていたようだ。
そして、広場の出口になっている部分の建物の、その基礎部分が突然大爆発を起こし、通りに向かって崩れてしまう。
唖然とする魔道士や傭兵たち。
出口を探して騎兵が広場を駆ける。
ふと気が付けば広場が巨大な鍋の底になった。
竜巻が巻き起こす風に乗って様々なものが猛烈に燃えている。
風を受けて高熱を発し燃え上がる炎。
当然、酸素がドンドンと消費されている。
だが、本当に恐ろしいのは酸欠ではない。
強い上昇気流によって魔道士の制御が効かなくなった竜巻が火災旋風となって広場中央付近を踊り始めた。
屋根から様子を見てるマサミも吸い込まれそうな暴風が吹き荒れ、魔道士や傭兵が次々に吸い込まれていく。
新鮮な酸素がふんだんに供給され高熱を発して燃え上がる可燃物。
広場の中心が負圧となり、1000℃を軽く越える高温の燃焼ガスが溜まり始める。
巨大なオーブンの中身になってしまった鎮定軍の兵士たち。
秒速100mを越える猛烈な火災旋風の中心部へ風で飛ばされ吸い込まれ、鉄をも溶かす高温でこんがりと焼き上げられていく。
生きたまま生き物が焼かれる壮絶な異臭が広場に溢れ、マサミは思わず嘔吐した。
助けを求める声と断末魔が響き、僅かに動けるものが唯一残っていた細い通路へと殺到し始める。
それは預かり屋の前の広場に向かって延びる唯一の脱出路となった細い路地だった。
だが、当然の様にそこにもトラップが山ほど仕掛けられている。
通りの石畳は一面に振動発火地雷で埋め尽くされ、騎兵が通る高さには極細のピアノ線がピンと張られていた。
爆発音が次々に響き、手足を吹き飛ばされた兵士が石畳にひっくり返って、そのまま火炎の竜巻に吸い込まれていく。
ただ、それでもなお彼らは必死になって逃げた。
地雷が次々に踏み潰され、ついに最初の兵士が通路の奥に入った。
オォ!
歓声を上げて通路を駆けていく兵士。
だが、通路の中央付近から広場に向かってもう一度火炎放射器の炎が延びる。
広場は猛烈な火炎旋風が吹き荒れ、通りは進めば焼け死ぬ。
進退窮まった中で後方からドンドンと押し出され、やがて火炎放射器を担いでいたヒトの男達も諦めて後退を始めた。
マサミは慌てて屋根から駆け下り、裏通路を通って預かり屋広場へと向かう。
ごみごみとした裏通りのどこをどう走ったかマサミにも分からなくなり、気が付けば後退するヒトの防衛隊のしんがりと一緒に走っていた。
「マサミさん!よく無事でしたね!」
「良いから走りましょう! 盾になるものの影に入ってもう一回抵抗して!」
息を切らせて走っていくと、通路の中央に植え込みの入った大きな石造りのプランターがあった。
「よし!」
陰に回りこんで伏せたマサミ。
銃を通路に向けて、マガジンが空になるまでフルオートで撃ちかけた。
ダダダダダダダダダダダダダダ・・・・・・・・・・・・・
跳弾が跳ね回り、獣人の群れが妙な悲鳴を上げている。
「マサミさん伏せて!」
2人がかりで扱っていた火炎放射器のオペレーターが圧を最大に上げて通路へと炎を吐いた。
頭からガソリンを被り火達磨になって悶える鎮定軍兵士達。
だが、その炎ですら踏み越えて後続が押し寄せてきていた。
マサミは最後のマガジンを詰め込んで、先頭の獣人の足を狙って撃った。
ダン!ダン!ダン!ダン!
先頭を走っていた兵士が転んで、底へ後方の兵士が倒れ掛かり、壮絶な将棋倒しになった。
後方から続々と兵士が押し寄せてくるので最初に転んだ者から圧死し始める。
その死体自体がバリケードになり、そこへ火炎放射器のガソリンを浴びせ火をつけた。
「よし。今のうちに向こうの広場へ!」
火炎放射器のオペレーターの腕をつかんで走り始めようとしたマサミの耳元を鋭い音が駆け抜けた。
シュン!
え?と振り返れば、炎の向こうから半死半生のネコの兵士が銃で撃っていた。
シュン!シュン!
そんな音を立てて銃弾が周囲を通過している。
いずれ当たる。とにかく逃げよう!
慌てて駆けようとするが、その時、オペレータが妙な声を上げて倒れた。
「ギャァッ!」
「だっ! 大丈夫ですか!」
直撃を受けた背中が血で真っ赤だ。
パクパクと口だけ動くが、既に目は死んでいる。
「・・・・にっ! 逃げて! あなただけでも逃げて! 早く!」
「しかし、そんな事は『ここで相棒と自爆します。一人でも多く生き残って抵抗するんです!もう奴隷は嫌だ!』
「死に溜りですか・・・・」
言葉を失ったマサミ。悲しいほどに誠実な瞳がマサミの心を貫く。
逡巡し立ち上がらぬマサミに向かって、撃たれて死にかけていた方のヒトも血を吐きながら顔を起こした。
「おっ おれも・・・ ヒトの・・・・ く・・・・ にが・・・・ 見たかった 行ってくれ 俺の代わりに・・・・ さぁ・・・・」
マサミはコクリと頷いて走り始めた。
後ろを振り返らず懸命に。
相変わらず周囲を妙な音を立てて弾が通過していった。
だが、不思議と当たらない。
下手な射撃だな・・・・・
そんな風に思っていたら左の肩甲骨付近をバッドで殴られたような衝撃が襲った。
「ぐはっ!」
つんのめって通りへと転んだマサミ。
背中が全域にわたって痛い。息も出来ない。
肺の中の空気を全部吐き出して、拳で自分の胸をドンと叩いてみたが、それでも息を吸い込む事が出来ない。
酸欠に意識が遠くなる。
息をするってこんなに難しい事だったのか。
自分で何をしているのか理解できなかったが、無意識のうちに両脇を掌で叩いたら上がるだけ上がっていた横隔膜が下りてきた。
酸素が美味い・・・・・
「撃たれたのか?」
背中に残る痛みを探して、それが肩甲骨だと気が付いた時、『あぁ、終わった』と思った。
左の肩甲骨のその裏側は左肺。そして心臓。重要な器官が全部詰まっている。
だが、普通に息は出来るし、心臓は動いている。
あ、そうか。この服が・・・・
普通なら銃弾に打ち抜かれる筈だったのだが、魔法効果で銃弾の貫通を防いだ服のお陰だろうか。
バットで殴られたような衝撃で済んだらしい。
ふぅ・・・・
僅かな間に人生一回分位の様々な事を考えたマサミ。
すこし呆然として振り返った時、あの火炎放射器のオペレーターがまさに獣人に踏み潰されようとしていた。
その瞬間・・・・
「フリーダーム!」
ズン!と地響きがしてオペレーターの背負っていたボンベが爆発した。
高圧の掛かっていたボンベだ。まだまだ残っていた燃料と酸化剤の爆発限界は相当高い。
踏み潰そうとしていた獣たちが上空へ放り投げられ、バラバラになった死体が後続の兵士に降り注ぐ。
壮絶な衝撃波にやられたのか、耳から血を流して悶え苦しむ傭兵たち。
周囲の建物を破壊し、その瓦礫が通りを塞ぐ。否応なしに前進が止まり、そして後退を始めた。
チャンスだ!
慌てて再び走り始めたマサミ。
200mほど走って民家のドアを潜り、細い路地を駆けて宿舎に宛がわれた自分の部屋へと舞い戻った。
ロッカーにG3を収め、その隣のモーゼルとバレットを抱えて部屋を飛び出す。
小汚いホテルには既に人影は無く、あの繁栄していたルカパヤンの面影はもうどこにも無い。
バレットの巨大なマガジンに銃弾を装填しながら瓦礫に埋め尽くされた通りをトボトボと歩くマサミ。
たどり着いたのはラムゼン商会の預かり屋前。ルカパヤン中央通の奥にある小さな広場だった。
最終防衛線を突破され、中央広場を鎮定軍に占拠され、着の身着のまま撤退してきた男たち。
女と子供は後方のあの預かり屋の強靭な建屋の中で息を潜めている。
指揮命令系統はズタズタになってしまった。もはや統制の取れた射撃管制は望めそうに無い。
手持ちの小火器と手榴弾と、ポケットの中の僅かな食料がヒトの持つ全て。
ヒトで埋め尽くされていた広場には絶望の暗い影が落ち始めていた。
「まだ戦えるか!」
誰かが叫んだ。
「当然だ!」
誰かがそれに応えた。
「女子供を守れ!最後の一人まで!」
見知らぬ誰かが叫ぶ。
周囲を見回すマサミ。残されたヒトの兵士はおよそ100人程度だろうか。
ありあわせの小火器と僅かに残ったRPGと2門のM2。
そして、剣と槍と人力で引っ張ってきた37mm対戦車砲。
場を仕切っていた男が叫ぶ。
「手近なものでバリケードを作ろう!時間が無い!急ごう!」
マサミは銃を背中に抱えて一目散に走った。
近所の家の庭先に有った石造りのプランターや石畳の隅に積み上げられた岩を持って来た。
見る見る間に積み上げられるバリケード。
誰かが何処からともなく鉄板を持って来た。どこかの鉄の扉をはがして持って来たらしい。
くず鉄置き場から数人係りで押してきた鉄の塊は車の成れの果てのようだ。
小さな広場の中央に横一線のバリケードを築き、広場へ繋がる通りの全てが射界に入った。
周囲の建物の窓や屋上にまで銃を抱えたヒトが並び、眦を決して広場を見下ろしている。
途中に障害物は無い。
通りに入った瞬間、防御陣地の火線の餌食となり、運悪く広場へ出てしまったら十字砲火を一声に浴びる事になる。
中央広場を迂回し街の郊外からこの小さな広場まで繋がる通りは複雑に折れ曲がっている。
行軍突撃速度を少しでも遅くし、更には横列が2列以上には並べない構造。
2門のM2と20ミリ機関砲と37ミリpakが通りへと向けられた。
雑多な小火器を持つヒトの防衛軍がアパートの窓や屋根上や様々なバリケードの裏から一点を狙っている。
この通り以外から侵攻が起きたら、ちょっと対応が遅れるだろう・・・・・
そんなイメージがマサミの脳裏をよぎった。
「自分がこっち側を受け持ちましょう」
バレットを担いでバリケードの前へと躍り出たマサミ。
大きな岩をくりぬいた花壇の影に伏撃姿勢をとって身を隠し、バレットで別の通りの奥を狙った。
有効射撃距離は約150m。
この距離でバレットの12.7mm弾を食らえば、魔法防御されている鎧とて中身は尋常ではないはずだ。
「お!いーもん持ってんじゃん!こっち頼むぜ!」
どっかのおっさんがマサミの装備を見て声を掛けていった。
主力侵攻点を狙ってニヤニヤしながら37mm対戦車砲と20mm機関砲を据えつけている。
小さな広場へと繋がる通りは3本。
何処から突入してきても、ここでは被害甚大になるはず・・・・・
「あ゙!」
唐突に誰かが声をあげた。
そして、遠くを指差している。
「燃えてる!」
そこに居たヒトの視線がいっせいに集まる先。
それはあの預かり屋のオフィスの二階付近。
ファーザーと呼ばれたあの車椅子の老人がいつも陣取っていた場所だった。
そして、ルカパヤン防衛戦闘のCICでもある。
「CIC! CIC! 大丈夫ですか!」
どこかで誰かが叫んでいる。
無線機を使って連絡をとっている。
―― ザー ・・・・・
「CIC!」
―― こちらCIC 少数部隊の襲撃を受け混乱中 各戦線は現状維持に努めよ 状況が回復次第連絡する 以上!
一瞬の静寂。
風の音だけが通りを駆け抜けていく。
「来た!」
見張り役が塔の上から叫ぶ。
預かり屋の高い尖塔の上。
ドラグノフを抱えた名も知らぬスナイパー役が指をさして侵攻ルートを示していた。
「おーい!バーレットのあんちゃん!団体様のお越しみてぇだ!頑張ってくれよ!」
振り返って力強くサムアップするマサミ。
バリケードの後ろでは雑多な小火器を抱えたヒトの兵士が構えていた。
パカパ! パカパ! パカパ! パカパ!
馬の蹄の音がする。石畳を蹴って掛けてくる音。
その音が幾つも重なって不思議な残響音を通りに響かせる。
輻輳する反射音が最高潮に達したとき、先頭を駆けていた騎馬兵が通りの曲がり角から姿を現した。
「あんちゃん! 仕事だ! ぶっ放せ!」
外していたイヤープロテクタを耳に当てて初弾の狙いを定める。
ダォーーーーン!!!
イヤープロテクター越しにも聞こえる大音響。
曲がり角を曲がったばかりの騎兵の、その跨っていた馬の上半分が一瞬にしてミンチになった。
力なくその場に崩れる馬だった肉の塊。先頭が転んだ事により後方の騎馬兵がなすすも無くそこへ突っ込んで次々と転ぶ。
投げ出された兵士を後続の馬の足が踏み殺す。そして転んだ馬と兵士を後ろの馬が蹴り殺す。
血飛沫が舞い、ちぎれた体のパーツが飛び散った。
ダォーーーン!!!
問答無用の第二射。
障害物を避けようと乗り越えてきた騎馬兵が着地するところを狙い撃ち。
鈍い金属音が響き、騎兵の腰から上がどこかへ旅立った。
チッ!
軽く舌打ちしつつ次の犠牲者に照準を合わせる。
ダォーーーン!!!
障害物を乗りこて馬の首を返し、マサミに向かって馬鹿正直にまっすぐ走ってくる騎馬。
その馬の胸元付近に大穴が開いて馬が前転しながら転んだ。
そしてそこへ再び後続が突っ込んで大惨事が繰り返されている。
「おーし! こっちも撃て!」
パン!パン!パパパン!! パン!
後続の兵士に向かって小火器陣が射撃を開始した。甲冑を纏っていても防弾魔法を持ってない物は簡単に貫通する。
そして、馬は丸裸だ。5.56mmと7.62mmの雑多な弾種ながら、様々に撃たれればそれは凄惨な事態になる。
―― どけぇ!
混乱する騎兵の後ろから現れたのは馬までフルアーマーな重装甲騎兵。
剣を抜き勇気ある単騎突撃を敢行する。
「すまない ゆるせ」
ダォーーーン!!!
ガンスモークに一瞬かき消されたスコープの中の攻撃軸線上に写る実像。
煙が晴れた数秒後、夥しい金属片がグチャグチャに突き刺さる形容し難い物がボンヤリと立っていた。
有効射撃距離50mでは少々の魔法鎧ですら打撃出来る。
どれ程強靭な肉体を持ち、弾丸が貫通しない防御魔法の掛かった鎧とて、純粋に撃ち込まれる打撃のその単純な力に屈した。
打つ側には光明が。
攻める側には信じがたい悪夢が展開されていた。
―― ひけ!ひけ!後退!後退!
馬の向きを返して後退するネコの騎士達。
丸見えの背中に向かって最後の一撃。
ダォーーーン!!!
偶然重なった兵士を弾丸がまとめて貫通したらしい。
わき腹がそっくり無くなった兵士、胸から上が無くなった兵士、さらに首がどこかへ遊びに行ってしまった兵士だった物体。
まとめて通路へ転がり落ちて、おぞましく痙攣していた。
「やれやれ」
アモケースから次のマガジンを取り出し詰め替える。
ボルトを引いて初弾を送り込むとき、チャンバーの中から焼けた金属の臭いが漂った。
イヤープロテクターを外し立ち上がったマサミがバリケードの後ろへ後退する。
主力が突撃してきた通路では3人がかり20mm機関砲のオペレーション中だった。
ドン!ドン!ドン!ドン!ドン!
大気を震わす射撃音。
ガンガンと賑やかな金属音を立てて大きな薬莢が地面に飛び散る。
その音に混じって漏れ伝わるのは断末魔の声。
会敵距離50m未満で20mm砲弾の直撃を食らった兵士の体は豆腐状態だった。
「よーぃ! ってぇ!」
ッドズン!!
37mm砲が火を噴く。
瞬発榴弾が通りの奥で炸裂し、周囲の家の壁が崩れる音が轟いた。
壮絶な金属音が響き、搾り出すような声が耳に届く。
ドッダダダダダダダダダダダダダダダダダ!!!!!!!
M2が猛然と火を噴き、その左右には初めて見るM60のガンナーがもの凄い勢いでバリバリと撃ち掛けていた。
「おらおら!クソども!かかってきやがれ! アッハッハッハ!!」
各通りの全てで鎮定軍の侵攻が停止したようだ。
最後の最後で頑強な抵抗をするヒトの集団に対し、獣の軍勢は攻め手を欠いていた。
平原での機動戦闘と違い狭い場所での集中戦闘ではヒトの世界の近代兵器が猛威を振るう。
一点に対する破壊力・打撃力は剣や下級魔法では対抗出来ず、上級大規模魔法は全てを破壊していまう。
街一つを焼き払うような大規模魔法を使っての勝利は意味を成さない。
あくまで街の機能を残しヒトを支配下に置くことが目的なのだから。
そして、僅かな手立ては中央広場の強引な力攻めで大きく消耗していた。
「おーし!今のうちに体勢立て直そう!まけねーぞ! 俺たちはまけねーぞ! フリーダーム!」
精一杯の叫びが広場に木霊する。
そこに居た全てのヒトが同じように叫んだ。
フリーダーム!
輪唱の様に木霊する広場。
手に手に様々な障害物を持って広場のバリケードを固めるヒト達。
だが、祭の終わりは唐突にやってきた。
ざっ! ザザザ!!!
耳障りなノイズが響く。
「ヒトよ この声を聞いている全てのヒトよ 我らの努力は再び水泡に帰そうとしている しかし 我らは諦めてはならない 我らは決して諦めてはならない これから生まれてくる者達の為に 最後の一人まで抵抗しよう どれ程踏まれても どれ程抜かれても 諦めず芽吹く雑草に様に 冷たい風に吹かれ雪に踏み潰され 厚い氷の下で凍えたとしても!」
広場にあった大きなスピーカーから突然始まったファーザーの言葉。
だが誰も声を上げない。ジッと次の言葉を待っていた。
「裏手からの部隊が預かり屋が占拠しようとしている 勝利を信じ 中へと避難していた女子供が殺されようとしている だが諦めてはならない この不条理な世界に散らばる全ての同胞の為 最後の義務を尽くそう 何人にも踏みにじられる事の無い 我々の誇りを示すため 最後の一人まで抵抗しよう どれ程の犠牲を払ってでも 我々の組織抵抗は今この時を持って終焉を迎える だが 抵抗し抵抗し抵抗しせよ」
そうだ!
広場の中で誰かが叫んだ。
奴隷にされるならば死を選ぶ!
そうだ!高潔な決意をしめそう!
我々は独立する!
必ず独立する!
フリーダーム!
広場の声が騒然となる中、老人の声が再び始まった。
「われは草なり 我らは草なり われは草なり 伸びんとす」
高見順だ・・・・
絶望的な状況なれど、マサミもまた天を仰いでスピーカーを見つめた。
「伸びられるとき 伸びんとす 伸びられぬ日は 伸びぬなり 伸びられる日は 伸びるなり」
鼻をすする音が聞こえる。
誰かが大地に拳を立ててドスンドスンと殴っている。
ちきしょう・・・・
悔しさをダイレクトに表す言葉が漏れる。
「われは草なり 緑なり 全身すべて 緑なり 毎年かわらず 緑なり 緑の己れに あきぬな パン!」
スピーカーからの声が唐突に切れた。
そして渇いた銃声。
皆が息を呑む。
「黙れ!」
野太い獣の声。
「お前達に文学があるかね 生きた証を言葉に残す文化があるかね 次の世代のために 魂の言葉を遺す高潔さが・・・・
搾り出すような言葉が漏れる。
だが、
パン!パン!
「・・・・さぁ もっと撃ちたまえ もはや・・・・ 毛ほどの痛みも感じぬよ」
「ならば死ぬが良い」
「あぁそうしよう 次の世代の為に」
バタン!
パン!パン!
唐突なドアの音と共に銃声が響く。
そして聞き覚えのある声。
「ファーザー!」
「ファーザーユウジ 来てくれたのかね 前線はどうしたかね」
「ファ・・・・」
「ユウジ 君に後を託す」
「ファーザー!」
ごそごそ・・・・
何かを弄る音。
「まだ死ぬわけにはいかぬ ヒトよ 聞け ヒトよ 大岩の僅かなくぼみに溜まった水を吸って 苔は岩にですら根を下ろす その苔は死んで土を遺す そこに草の種がこぼれる そして芽吹く 我らは我らを踏みしだく岩に降り立った死ぬべき苔だ 次の世代のために死ぬためにやってきた・・・・」
ゲホ!ゲホ!
肺に流れ込んだ血を吐いている。
音で分かるその苦しみ。
「われは草なり 緑なり 緑の深きを 願うなり」
ゴホッ!
ベチャっと音を立てて何かがこぼれた。
ヒューヒューと喉を鳴らして苦しんでいる。
「・・・・あぁ 生きる日の・・・・ 美しき あぁ 生きる日の 楽しさよ・・・・ われは・・・・ 草な・・・・」
弱々しい声が続いていたスピーカー。しかし、言葉はそこで終わった。
その言葉を送っていた所で何が起きたのか。言うまでも無い事が起きていた。
「生きんとす・・・・ 草のいのちを・・・・ 生きんとす! 」
唐突に今度は力強い声が響く。
「ファーザー! 続きは! ファーザー! しっかり! メディーコ! はやくしろ!」
呆然と言葉を聞いていたヒトの男たち。
だが、ふと振り返れば通りの奥にトラの戦士が並んでいた。
仲間の骸を踏み越えて、戦士はゆっくりと前進してくる。
「うてぇぇぇぇ!」
誰かが絶叫する。
しかし、誰も引き金を引かなかった。
一列に並んだトラの男たちは槍も剣も持たず。
全くの丸腰で、ただただ、前進してきた。
バレットを構えたマサミが狙った先。
軸線上の向こうには見覚えのあるあのトラがいた。
共に死体を草原へと埋めたあのトラ・・・・
広場の中央付近まで前進した戦士達。
どこからとも無く散発的に射撃音が響く。
何人かのトラが倒れたが、再び立ち上がって前進してきた。
「もういいだろう。お前達の決意は良く分かった。もう十分だ。悪いようにはしない。この戦はお前たちの勝ちだ」
一人のトラがそう言った。見れば、トラの多くが腕や足に銃弾を受けていた。
それでも前進してきたのだ。戦を終わらせるために、自らを犠牲にしてまで。
銃を構えていたヒトが姿勢を崩し、バリケードの上にドサリと座り始める。
誰かがどこかへ伝令に出た。まだ街の各所で息を殺しジッと潜む抵抗軍が居るのだ。
そして約1時間後。ルカパヤン全域で散発的に続いていたヒトの防衛陣地の組織抵抗は終焉を迎えた。
久しぶりに静かな夜がやってきた。
銃声も誰かの断末魔も聞こえない、静寂に包まれた夜が。
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翌朝。
瓦礫の残るルカパヤン中央広場。
照り付ける日差しの下、組織的抵抗を諦めたヒトの抵抗組織の、その各班長が集められ捕らえられた。
その中から簡単な尋問と形ばかりの弁護士による相談で選び出された、ルカパヤンの暫定新指導陣8名。
預かり屋のオフィスで防衛軍の指揮をしていた理事達は突入してきた鎮定軍のコマンドに全滅させられたらしい。
衆人環視の中、事実上の公開裁判が全くの出来レースで粛々と行われていた。
様々な種族が居並ぶ中、ネコの鎮定軍の将軍は長々と『ヒト反乱軍』の罪状を読み上げている。
"で、あるからして、反乱軍の罪状は明らかである。一つ、己の立場を忘れ主たる者に楯突いた罪。一つ、己の本分を蔑ろにし、本業を疎かにし、反乱を企てた罪。一つ、何人かの持ち物である己の身の程を忘れた罪。それらはすべてこの者達の扇動と扇情によって引き起こされた愚かしい行動である。この件において、寛大にして慈悲深いフローラ女王陛下は指導者の心中よりの贖罪と恭順の心を示すならば罪一等を減じよと仰られた。この街を根絶やしにする事は容易いが、膨大な犠牲を払う事を望まぬとのお言葉である。これらはつまり、全てがネコの慈悲と寛大な精神の発露であり、ヒトの生きるも死ぬもネコの慈悲の全てにそぐうという事なのである"
つまり、指導部が責任を取ってネコの御慈悲にすがりますと。
ここまでの犠牲を払っておきながらも絶対に飲めない条件を突きつけて、ヒトの意思を折ろうと言う事のようだ。
ヒトの力では抜けそうに無い程に地面へと突き刺された槍のハンドル部分へ後ろでにロープで縛られたヒトの男たち。
粗末な荒縄を首輪代わりにまかれたその男たちが岩を錘にして地面へと這い蹲らされていた。
焼けた石畳にキスでもするように、嫌でも獣の男たちに頭を下げさせられている姿。
どれ程抵抗しようとしても、岩の錘を持ち上げるほどの背筋力は無い。
せめて真っ直ぐに頭を下げる事を拒否するかのように、ヒトの男たちは皆横を向いていた。
「下を向かんか!」
ネコの士官がヒトの男の背中を蹴った。
グフッと息を吐いて苦痛に耐えるヒトの男が怨嗟の眼差しを向ける。
「はっ! 歯向かいおって!ヒト風情が!」
手にしていたムチを撓らせて背中を打ち据えたネコの男。
野戦服の背中が裂けて血が滲む。
「下を向かんか!」
数発の一撃をくれて再び叫んだネコ。
「どうした?攻め殺せよ。お前らみたいな下等種族は大好きだろ?弱いものにしか強気に出られないってのは情けねぇよなぁ」
ペッ!
血の混じったつばを吐き掛けて尚も恨みのこもった眼差しを向ける。
その眼差しに逆上したらしいネコが髪の毛を逆立てて睨み付ける。
ヒトの男はその姿を見てヘラヘラと笑い、真底蔑むように見ていた。
「望みどおり・・・・」
腰の剣を抜き放ったネコの士官。
振りかぶって首を撥ねようとしたのだが、その剣は下りてこなかった。
「そのヒトの首を撥ねたなら、俺がお前の首をねじり切ってやる」
驚いて振り返ったネコ。
そこにはいつぞや、マサミと共に死体を埋めていたあのトラの男が立っていた。
剣の切っ先を手で押さえて立っている。
ネコなど問題にしない大型肉食獣の頂点の一つ。
そのトラの猛然とした気迫が全身に漲っている。
「ヒトを殺すな。無碍に殺すな。お前らと違ってヒトは誇り高い種族だ」
「なんだと!」
いきり立つネコの仕官の肩を握ったトラの男は、一切迷うことなくその肩を握りつぶした。
メキメキと嫌な音が響き、ネコの男が無様な絶叫を上げる。
「ぐぁっ! んぎゃぁぁぁ!!!!」
そんな叫びを無視するように、トラの大男がネコの士官の襟倉を掴み、ネコの陣営の方へ投げ込んだ。
「文句がある奴はここへ来い。俺が相手だ」
キツイ視線がネコの騎士達を貫く。
その表情は怒りに満ちていた。
「それはトラの国の意思と判断してよいか?」
ネコの将軍は僅かに震える声でそう訊ねた。
当然の質問でもあるし、むしろ今確かめなければならない事でもある。
ネコとトラの両国家は微妙にうまく行ってない部分がある。
事を荒立て国家間の関係に影を落とす事になれば、それは鎮定軍を率いる将軍に取ってキャリアにミソを付ける事になる。
「国家も王も関係ない。この場に居るトラの意思だ」
ふと気が付けば広場に集まっていた騎士や戦士や傭兵の間からトラが抜け出て、石畳の中央に集まり始めた。
戦の後半。どこかバカバカしくなって帰っていった多くのトラにあって、最後まで戦に付き合った凡そ50人程のトラの男たち。
「ネコの女王が認めようと神様が認めようと、誰にも屈しねぇってヒトの意地を踏みつけんなら、そんなのトラは認めねぇ!」
「おうよ!おめぇらみてぇな連中に心意気ってもんがわかるかってんだ!」
どのネコを見てもどこか不機嫌にヒゲが揺れている。
今の今まで連合軍を。いや、もっと言えばネコの下で戦っていたと思っていたトラに噛み付かれた。
そんなショックがあるようだ。だが、ここでトラと全面戦争するほどの余力をネコとて持っては居なかった。
「これも儀式の一環だそうだが・・・・ 随分下卑た事をする連中だな」
どこからとも無くそんな言葉が響き、広場の中へ身形の良い雑多な種族の一団が入ってきた。
「ラムゼン商会だ。このインチキ裁判に立ち合わせてもらう。見え透いた三文芝居をするならお前ら生かして返さん」
一団の先頭に立っていた女が強い口調でそう言い切った。
スレンダーな体に仕立ての良いドレスを纏っている。
ヒューと口笛を鳴らし嫌らしい視線を向ける傭兵たち。
だが、その女の周りに居たライオンやトラやピューマと言った体格の良い男たちがギロリと睨むと、その声は一瞬にしてとまった。
「これが茶番じゃないと思っているのはお前らネコだけだ」
片膝をついてヒトの男の首に巻かれた縄を小さなナイフで切ったトラの男。
「あんたは罪に問われないのか?」
「心配するな。責任は俺が取る」
あぐらをかいた難しい姿勢で頭を地面に擦り付けるように押さえ込まれていたヒトの男。
当然、腰は極度の痛みを覚え、起こした頭は軽く貧血を起こす。
何より、全く足の感覚がなくなるほどに痺れていて、エコノミークラス症候群を恐れさせるほどだった。
「おい、ネコの将軍。今からおれはこのヒトの男達の縄を解くが、何か文句があるか?」
「・・・・敗者に情けは要らぬ。奴隷は奴隷らしく『その奴隷にお前らは負けたんだ』
トラの男は決然とそう言い放った。
「ヒトのおよそ1000倍近い犠牲を払って何とか負けずに済んだ戦で勝者の振る舞いか? この恥知らずめ」
長い剣を使って一人ずつ縄を切っていくトラの男。
ヒトの男は誰も謝意を述べない。
トラの男もそれを求めない。
どこかカラッとした、粋な付き合いにも見える。
「例えなんであれ勝ちは勝ちだ」
「てめぇの部下も配下の騎士も金で集めた傭兵も。ゴマンと殺しておいて勝ち戦の無敗将軍か。笑わせてくれるぜ。この能無しが」
「戦に犠牲は付き物だ。まずは生き残る事が重要なのだよ。そして結果的に勝てばよい」
何かを堪えるようにネコの将軍は言った。
だが・・・・
「ほー つまり、最後の一人まで殺しても勝てばよいってか。いやいや、結構なことだね」
隻眼のキツネが金色に輝く体毛を毛づくろいしながら毒づいた。
「・・・・キツネがなぜここにいる」
「あんたにゃ関係ないだろ?それともそのアホな頭でも理解できるように懇切丁寧な説明が欲しいか?ん?」
どこまでもバカにして掛かる口調で、どこか底意地の悪い言葉が容赦なく浴びせられる。
口喧嘩でキツネにかなう者など居ない。頭の回転の速さと言葉の巧みさ。
それだけでなく、操話術に長け、言葉の刃で反論を封じ込み、自分が言いたい言葉を相手に言わせる会話術と交渉術。
キツネを謀れるのはタヌキかムジナだけだといわれる所以でもある。
「キツネと議論する気は無い」
「まぁ、お前らはその程度だからな」
ヘン!とばかり毒づいて縄で縛られたヒトの紐をキツネは切った。
「久しぶりだな。あの随分別嬪の女房は元気か?」
「・・・・あぁ、あなたはあの時の」
最後まで縛られていたマサミの紐を切ったキツネの男。
その場へと最初にヒトの縄を切ったトラの男がやってきた。
マサミの襟倉を掴んでキチンと座らせるのだが、体中痺れているマサミは座る事ですら苦痛だった。
「まだ名前を聞いていなかった。お前の名は?」
「マサミ。そう覚えてくれれば良い」
「わかった。今からお前は自由の身だ。責任は俺が取る。どこへでも行け」
おい! ネコの側が騒然となる。
だがマサミは『いやいや・・・・』とでも言いたげに首を振った。
「まさか。ここに居る外のヒトを差し置いて俺だけ逃げる訳には行かない。ここのヒトが皆一様に首をはねられるなら、俺もこの首を差し出そう。死線を潜った仲間達、戦友を殺しておいて一人だけ生きながらえるなど、恥以外の何者でもない」
マサミはそう言い切って笑った。なんとも男らしい、爽やかな微笑みだ。
そしてそれは、死を覚悟した男の涼やかな決意の表れだった。
「マサミさん。せっかくの決意ですが、でも」
トラの男に縄を切られたヒトの男が一人口を開いた。
泥と返り血で汚れてはいるが、それは間違いなくユウジだった。
「あなたは生き残ってください。次のチャンスの為に」
「それを言うなら立場が逆ですよ。私が命を差し出しますから。ユウジさん、あなたが生き残るべきだ」
ヒトが二人。どっちが死ぬかで主導権争いをしている。
そんな光景を見ながら、トラもネコも、そして、その場に居た他の種族の騎士や兵士達も不思議そうだった。
生き残ったヒトが首を撥ねられる。そんなシーンを期待して集まっていた生き残りの傭兵達。
戦の後始末の定石として、一人か二人だけ生かしてやるといえば、誰でも必死になって生き残ろうとする。
だからこそ、その場では醜いまでの罵りあいや足の引っ張りあいが見られる。
最後には、生き残る権利を得た者に死ぬべき者の止めを刺させる。
そうやって、負けた側の内部にもしこりを残すようにして、再び一致団結しないように争いの種を残す。
だが、今この場で起きているのは、自分が死ぬからあんたは生きろと言う譲り合いだった。
―― ありえない・・・・
見る者、聞く者、共に混乱する中。
ヒトの生き残りは不思議な相談を続けていた。
「話に口を挟んですまないが」
ちょっと年をとったヒトの男が口を開いた。
「先に死ぬのは年寄りの義務だ。若いモンは生きろ、次のチャンスを待て。死ぬ順番の優先権も年功序列だぞ」
自信たっぷりに言い切ったおっさんがニヤッと笑った。
何ともまぁ気風の良い様なんだが、どうもそれが気に食わないのも居たようだ。
「おいちょっと待ってくれ。先に死ぬのは無能モンって決まってんじゃネーかよ。俺みたいなでくのぼーが先に死ぬからよぉ」
茶髪の若い男が話しに割って入った。
ピアスを幾つもくっつけて、おまけに妙なメイクで浮いた感じの若い男。
「お前達は本当に死を恐れないんだな」
トラの男はその会話に心底驚いていた。
驚くだけじゃない。どこか感動にも似た不思議な感情を得て、トラはまぶしそうにヒトを見ていた。
「いつだったか言ったじゃないか。命は軽く、名は重く。守るべきは名誉。誇り。尊厳。それだけだ」
「ヒトってぇ生き物はたいしたもんだぜ。なぁ」
ヒトを囲んでいたトラが口々に言う。
「ならばこうしよう」
トラの男に一喝されて言葉を失っていたネコの将軍が口を開いた。
「一振りの剣を渡す。その剣を奪い取って自分の喉を刺せ。誰か一人絶命したら、それで落着としよう」
自らの帯剣を腰から抜き放ち、石畳に投げ出したネコの将軍。
カラン!と金属的な音が響きわたり、そして、一瞬の静寂・・・・
「おいおい・・・・」
最初に拾ったのはトラの男だった。
「ネコって奴はどうしてこうもまぁ・・・・」
心底呆れるような嘲笑の相を浮かべ剣の柄を握り締めた。
美しい光沢を放つ鋭剣なのだが、よく見れば刃先には僅かなこぼれがあった。
碌に手入れもされてない、姿だけは美しい一振りの太刀。
「お前らは表面を取り繕うだけなんだな。本当に・・・・」
「人は見かけで勝負するのだよ。トラの戦士よ。剣を交えずに勝つのがもっとも素晴らしいのだ」
しょんぼりと溜息を一つ吐いたトラ。
その太刀を逆さまに返し、石畳の僅かな隙間に突き刺した。
「ヒトの男たち。ご覧の有様なんだが・・・・ 誰が命を差し出すか?」
間髪入れずにユウジが手を上げた。
「現状では自分が責任者だ。責任者は責任を取るためにいるんだからな」
ちょとまて!だのずるい!だのと言葉が上がるなか、ユウジはフラフラとしながら立ち上がった。
石畳に突き刺された剣の柄を握り、一気に引き抜こうとしたのだが、剣は微動だにしない。
腰を入れてグッと力を込めたのだけれど、僅かな量ですらも動いてはくれなかった。
「いやいや、抜けませんね。スイマセンが抜いてもらえませんか。これでは用を成さない」
「いや、自分で抜け。抜けぬなら首を切らないで良い。それで手打ちだ」
ネコを睨み付けたトラがグルグルとネコをならし、恐ろしい声色で脅す。
「相手の名誉を踏みにじる以上、出来ない事に文句は無いな」
「いや、それでは困るのだが」
「いーや、何も困らねぇ。誰も困らねぇ。困るんならあんたがこのヒトの首を撥ねろ。お前がだ。死を賭して闘ったものに名誉ある死を与えろ。それも出来ねぇ腰抜けなら尻尾丸めて帰りやがれ!」
出来る限り丁寧な言葉を選んでいたはずの、最初にロープを切ったトラがついに地声と言葉遣いで喋りだした。
「どいつもこいつも女々しく腐りやがって!てめぇのメンツがそんなにでぇじなら相手のメンツも立てやがれ!」
大声で怒鳴ったトラの気迫にネコが一瞬たじろいだ。
ネコだけじゃない。事の次第を見守っていたカモシカやヘビやそれ以外の様々な種族もまたたじろいだ。
「トラの方よ。心からの弁護、誠に痛み入る。だが、誰かが責任を取らなければならない事なのだからして・・・・」
ユウジはトラの腰にあったナイフを指差した。
ただ、ナイフと言ってもトラの使うナイフだ。
刃渡り40cm近くある脇差並みと言った迫力の刃物。
「そのナイフを貸してもらいたい」
「なにをするんだ?」
「ここで腹を切る。格好良いじゃないか。腹を切って死ぬんだ。最大の名誉だよ」
「・・・・セップクって奴か?ヒトの世界じゃそうするそうだな」
トラの男は腰からナイフを抜いてユウジに手渡した。
ユウジは石畳に正座して上着を脱ぎ、ナイフの白刃へと手ぬぐいを巻いて握る。
「ちょっと待ってください。切腹には介錯が必要です。誰か剣を一振り貸してください」
マサミは慌てて広場で叫んだ。
だが、誰も動かなかった。
「良いんですよ。私はこれで果てますから。後を頼みます」
ユウジは楽しそうに笑っていた。
今まさに死のうとしている男がそんな表情を浮かべられるものだろうか?
広場の中に妙な空気が漂っていた。
「わかった。トラの言うとおりだ。そのヒトの男の命を持ってこの戦を終わりとする。この街はネコの一意の管理下におき、その上でこの街だけはヒトは自由とする。同意するものには賞与を与える。意義無き者は沈黙せよ。同意があるならばわしは一命を賭して女王に奏上する」
ネコの将軍はきっぱりと言い切った。この街だけは自由にする。
それはある意味で膨大な犠牲を払ったヒトに取って、満足出来なくとも納得は出来る勝ち得た戦果。
トラにとっても、名誉ある決着を得られるならば、それは同意に値するものだろう。
だが、それこそネコの狙い。ネコの一意の管理下こそ、もっとも重要な目的。
しばらくの静寂。
熱せられた風が広場を吹き抜ける。
広場を見回したネコの将軍はゆっくりと頷いた。
全てが終わった。
誰もがそう思った。
夥しい犠牲を払ったヒトの独立戦争は『ヒトの反乱』と言う形で決着を迎えようとしていた。
「異議有り!」
広場を取り囲んでいた群衆の奥から唐突に声がした。
「それでは仁義に反する。騎士道に悖る。なにより・・・・」
やや甲高く、そして物悲しい声色の、遠くまでよく通る声が広場に流れる。
「遠い昔、偉大な狼王が召集せし12の種族の青空議会で宣言された、すべての種族に平等を謳うマグナカルタに反する」
群集が割れ、そこから数人の中型の獣人が広場の中心へと入ってきた。
一斉に視線が集まる先。そこに立っていたのは全身漆黒の毛に覆われた獣人だった。
オオカミ
漆黒の体毛と群青色の瞳を持つオオカミ。
白く冷たく光る銀羊歯の首飾りを掛け、長い槍を片手に持った凡そ20人のオオカミたち。
その中の一人が群れを抜け出てネコの将軍とトラとヒトの男たちの前に立った。
「まずは遅き参陣の非礼を詫びる」
「オオカミの戦士 今更我らに援軍など不要だ 帰られよ」
「これは異な事を」
オオカミ達が笑い声を上げた。
広場に集まった凡そ20人のオオカミの戦士。
身の丈を越える長い槍を持ち、その背には巨大なマチェットを背負っている。
太く逞しい腕と首や肩や腰に飾られた煌びやかな戦衣。
「何がおかしい?」
聊か不機嫌そうな声で鎮定軍の長はオオカミを睨んだ。
だが、胸を張って立つオオカミはクルリと向きを変えてマサミの元に歩み寄った。
「我らの輩 オオカミと踊る男 そなたの勇気と厚情とそして犠牲に報いるときが来た」
だらしなく座っていたマサミに手を差し伸べるオオカミ。
「自分は月の女神の神殿を祭るクー族の戦士 ―闇に光る刃― 」
立ち上がったマサミの前に立ったオオカミは再び振り返ってネコの将軍を睨んだ。
「ネコの鎮定軍の主よ いにしえ この世界を焼き払った真の帝王より続く戦の慣わしに則り 一振り献上いたす どうかこの剣で存分に闘われよ 情けは無用に」
別のオオカミが差し出したそれは見事なまでに研ぎ上げられた巨大なマチェット。
トラの戦士が持つ斬馬刀にもイヌの騎士が持つ魔剣にも、全く引けを取らない見事な逸品だ。
「我らクー族の窮地とオオカミの聖地を救いしこのヒトの男の為に我らは闘う ネコの将軍よ 死にたく無くば今すぐ逃げよ」
並んでいたオオカミ達が槍をかざして勝鬨の声を上げた。
オゥ!オゥ!オゥ! ぅオオオオオォォォッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!
いっせいに叫ぶオオカミ。
沢山の声が重なって不思議なハーモニーとなる。
なんと!
ネコもトラも・・・・ それだけでない。
その広場にいた全ての者がいっせいに驚く。
だが、オオカミの戦士たちは胸を張って立ち、ヒトとネコの間に立ってネコを睨む。
「トラの戦士に告ぐ。我らは全てを無に還す滅消の戦士。歯向かうなら容赦しない。ヒトを赦すならばヒトの背後に」
そして、オオカミは再び叫んだ。
言葉にはならない言葉で。
ウァォォォォォーーーーーン・・・・・
遠くまでよく通るオオカミの遠吠え。
悲しいまでの声が街の中に流れていく。
その声に応えるように、他のオオカミ達も遠吠えを始めた。
幾つ者声が重なって響きあい、共鳴し、そして声が終わる。
広場にいる者が皆沈黙し、痛いほどの静謐が広場を埋めていく。
―― ァォォォォォォ・・・・・
どこか遠くからオオカミの遠吠えが聞こえた。
―― ァォォォォォォ・・・・・
―― ァォォォォォォ・・・・・
一つや二つではない数の、何かの声に応えるような遠吠え。
幾つもの声が重なって、風に混じって、そして街の中に響く僅かな声量の遠吠えがすべて繋がった。
途切れる事無く、常に何処からかはわからぬ遠吠えの声が流れている。
「お前達!今すぐ逃げろ!」
あのオオカミの女が叫んだ。盲目の白目を三角にして叫ぶ。
ラムゼン商会の者達が一斉にどこかへと逃げて行った。
シャン!
何かを確かめたオオカミの男が槍を頭上に掲げ、そのまま大地へと突き降ろした。
槍の柄の先端に付けられた飾りがぶつかりあって、賑やかな音を鳴らす。
カッバッチ! カッバッチ!
闇に光る刃と名乗ったオオカミが唐突に呪文を唱えた。
間髪入れず背後に居たオオカミ達がそれに答えるように呪文を叫ぶ。
カッマッテ! カッマッテ!
カッバッチ! カッバッチ!
カッマッテ! カッマッテ!
あらん限りの大声でオオカミたちが詠唱を始めた。
その下地には、遠くから響くオオカミの遠吠えがあった。
何かが起きる。
やばい事が起きる。
これは絶対やばい。
この戦で身につけたマサミの戦の勘がそう言っている。
全身の細胞の全てが『逃げろ!』と叫んでいる。
考えるより早くマサミの足が逃げようとするのだが、足がもつれて上手く歩けない。
必死になってオオカミの列に背を向け後ろへと走るマサミ。
それを追おうとしたネコの兵士がオオカミの一撃で遙か彼方へ吹き飛んだ。
「何が起きるんだ?」
状況を見ていたユウジがもらすその場へマサミが倒れこんだ。
「逃げましょう。よくはわからないけど、でも・・・・・」
振り返ったマサミ。
大声で詠唱するオオカミの男たちと、その詠唱を止めようと襲い掛かるネコの騎士や傭兵たち。
だが、鋭剣をかざし切りかかる騎士たちが目に見えぬ巨大な力で遠くへと弾き飛ばされている。
理由はわからないが、そこにあるのは巨大な力場としてのエネルギーだった。
カ! オラ! カオ! ッラ!
テ! ネイ! テ! タンガタ!
プッフルフル ナア ネ!
イ ティキィィィィ!!
オオカミの男たちが持っていた槍の穂先に光が貯まり始める。
眩く輝くその光がフッと穂先を離れた。
ふわふわと人魂のように舞う光の玉。
その玉は闇に光る刃と名乗ったオオカミの戦士の周りを漂う。
マイ! ファカ! フィティ テ ラ!
ア! ウパネ! ア フパネ!
ア! ウパネ! カ=ウ パネ!
フィティ!
いくつもの声が集まり重なり響きあい。
やがて光の玉がその振動に共振するように震え始める。
テ!
全てのオオカミの声が綺麗に重なって不思議なハーモニーとなった。
その瞬間に光の玉は帯状に光の尾を引いて先頭のオオカミの周りをぐるぐると回り始める。
ラ!
今度は闇に光る刃と名乗ったオオカミだけが声をあげた。
すると、光の玉が回転するその軌道が少しずつ変わり、闇に光る刃の前数メートルのところに集まった。
その光の玉の軌道の中心には黒い玉が見え始める。
向こうの景色が見えなくなるバスケットボールほどの黒い玉。
その周りを数多くの光の玉が尾を引いて回っている。
その速度は肉眼で追うのが難しいほどになり始め、やがて完全な光の帯になってしまった。
空中を走るレーザー光線のような不思議な光景。
それを止めに掛かっていた者達も、もはや抵抗する素振りを見せず、事の成り行きを見守っていた。
「ネコの鎮定軍の主よ! 30秒だけ待ってやろう さぁ 逃げたまえ」
光の帯の中心には黒い玉が浮いている。
それが何であるか。マサミは思案していた。
だが、ふと気が付く驚愕の事実。その黒い玉は影だった。
光が差しても姿の見えない陰。空間にぽっかりと明いた穴。
地面に穿たれた大穴の底が暗闇に閉ざされているように、3次元空間の空中に浮かぶ光を吸い込む穴・・・・・・
「マサミさん! あれは!」
「信じられない・・・・」
ヒィィィィィィ!!!!!!!!!!!!
30秒を経過した頃だろうか。
オオカミたちが一斉に叫んだ。
その瞬間、その黒い影に全ての光の帯が飲み込まれ、そして・・・・・
「あぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! 」
様々な種族の男たちがその黒い影に飲み込まれていく。
男たちだけではない。草や石や土や、戦死した者たちの遺骸や。
銃も剣もありとあらゆる武器の類も。
オオカミの前にあった全ての物が様々な断末魔を上げて黒い影に吸い込まれていった。
巨大な岩までもが吸い寄せられ、有りえないほどの音を立てて瓦解しながら影に吸い込まれる。
言葉では説明できない巨大で見えない力が全てを打ち砕き砂粒へと姿を変えさせ、全ては事象の地平線の向こう側へと消えていく。
「嘘だろ・・・・」
言葉を失って呆然と見ているユウジ。
マサミも言葉を失っていた。
ありとあらゆる物を飲み込んでいく黒い陰。
その大きさがドンドン小さくなっていって、やがて僅かな点にしか見えなくなった。
そして、その小さな点に向かって、周囲の建物や石畳までもが砕かれて吸い込まれていく。
その黒い影の前。
ネコの将軍とその取り巻き立ちは魔方陣を張って空間座標をロックし、影へ吸い込まれるのを必死に耐えている。
だが、どれほど頑張ってみたところで、個人の魔力には限界があったのだろう。
辺りがボンヤリと薄暗くなり始めた。太陽の光りですらも吸い込まれ始めている。
黒い点の周囲越しに見える景色が大きく歪んでいた。質量を持たぬはずの光りですらも吸い込む無限の闇。
「うわぁぁ!」
ネコの騎士の一人が叫んだ。
限界を超えて魔方陣を張り続けていたようだが、ついに限界が来たようだ。
体中の穴から鮮血を噴出して膝をつきそうになり、そしてそのまま黒い闇に吸い込まれていく。
まるで掃除機の口へ吸い込まれる埃の様にスポッと消えてなくなった。
そしてそれが最後だった。
魔方陣の一角が崩れた瞬間、その場に居たネコの指令階級が次々と芋づる式に吸い込まれて消えてなくなった。
最後の最後に残ったネコの将軍は、奥歯を喰いしばり全身の毛を逆立てて耐えている。
黒い影が全てを吸い込み始めて、ここまで凡そ20秒。
今度はオオカミ達が僅かにざわめく。
まずいな・・・・・
オオカミの一団を指揮していた男。
―闇に光る刃― の表情に狼狽が浮かんだ。
ラゥ!
唐突に叫んだ闇に光る刃。
槍をかざし大きな印を切るように空中をもてあそんだその穂先。
再び少しずつ光りが溜まり始めたのだが、その光りですらも糸を引いて黒い陰に飲み込まれ始める。
ロォロ!
エルラオルラ! グッグロ!
イ! ラ! ルレイラ!
ロィロィラ!
オオカミの一団が必死になって詠唱するのだが、槍の穂先には光りが溜まらないで居る。
少しずつオオカミが焦り始めた。いや、焦るのではなく、絶望の表情が浮かび始めた。
「マサミさん。なんか雲行きが怪しいですね」
「あれ、どうみてもブラックホールですよね」
「育ちすぎちゃってコントロール出来なくなった。そんな感じでしょうか」
オオカミ達が毛を逆立てて絶叫しつつ詠唱するのだが、もはや黒い影の中心部は黒い点でしかなく、その周囲はボンヤリと薄暗い影になっているだけだった。
「何が起きているのですか!」
人ごみを割って駆けつけてきたのはヴァルキュリアだった。
あの日、気を失うほどの魔法を使ったせいだろうか。
長い髪が真っ白になっている。
「おそらく・・・・・」
マサミは手短に、しかし、正確に起きた事を説明する。
間髪入れずヴァルキュリアは魔剣をマサミに押し付けた。
「この剣はマサミさんしか抜けません。さぁ抜いてください」
「どうするんだい?」
「良いから!時間が有りません」
マサミがそっと引き抜いた剣をヴァルキュリアが握る。
「今から危険な呪文を使います」
「え?それは?」
「高位世界からこの世のものではない魔人を召還します!いいからそっちへ下がって!時間が無い!」
両手でグッと構えたヴァルキュリアが瞳を閉じて念を込めた。
ゆっくりと息を吸い込み意識を集中する。
ヴァルキュリアの体が薄らボンヤリと光り始めた。
イアイアハスター!
え?
・・・・ハスター!
クフアヤク!
・・・・ブルグトム
ちょっと待て おい それって・・・・・
絶体絶命の危機だと言うのにマサミはポカンとしてヴァルキュリアを見た。
ブルトラグルン! ブルグトム!
「現世と異世の境 無限の虚ろ 深淵なる闇の黒い光!」
魔剣が一瞬だけ共鳴した。
ヒトの可聴帯域で高音限界ギリギリ位な周波数の音を白刃が発する。
耳が痛いほどに共鳴し、そしてすぐにその音が消えた。
だが、周囲の獣人を見ればわかる事がある。
ヒトの可聴帯域を抜けただけで、音はまだ続いている。
「クトゥローよ! 魔のクトゥローよ! 我が召喚に応えよ!」
オオカミ達の制御が限界に達し、敵ならざる者を自動防御するはずの魔効境界線が崩れつつある。
トラやヒトやオオカミの背後にあった物までもがカタカタと揺れだし、そのまま黒い影へと吸い込まれていった。
そんな中、ヴァルキュリアの周囲だけが平然としている。
何事も無かったかのように平穏だった。
そう、彼以外の全てが。
ヴァルキュリアの握り締めた魔剣のその刃が縦に割れたように見える。
いや、正確には、空間が湾曲し、刃の間に別の世界との隙間が発生したと言うべきなのだろう。
空中の一点だけに集まった猛烈な力場としてのブラックホールではなく、異なる世界の摂理が意思を持たぬ単純な力となって刃から噴き出ようとしていた。
「 アイ! アイ! ハスター!!!!! 」
金切り声で絶叫したヴァルキュリア。
その瞬間、刃からあの日と同じ様に炎が噴き出した。
再びあの恐ろしい形相の巨大な魔人が姿を現す。
全身に炎の衣をまとって広場の中央に屹立していた。
「フン!グルイ!ム!グルウナフ!クトゥルフ!ルルイエ! ウガァナーグル! フダァァァァグ!」
長く延びる白い髪が逆立って青白い火花をバチバチと立てている。
人智を超えた巨大なエネルギーがヴァルキュリアの持つ魔法回路を経由してこの世界へとロードされた。
「ティビマグヌムイノミナンドゥム シグナステラルム ニエグラムエ ブフファニフォルミス サドクエシジルム」
正体の抜けた眼で虚空を見つめるように放心状態のまま、まるで機械の様に詠唱を続けるヴァルキュリア。
紅蓮の炎をまとう魔人の姿が少しずつ崩壊して行き。そして次の瞬間にはその炎が黒い影のようになった。
その影の縁取りは眩いまでの真っ白な光。
マサミは瞬間的に理解した。黒く見える炎はつまり、あまりに眩すぎてブラックアウトしているだけだと。
必死になって重力の渦を中和しようとしていたオオカミたちですらも、力尽きて吸い込まれかけていた。
小声で詠唱を続けるヴァルキュリアの声だけが響く広場。
何かを諦めたようにオオカミ達が槍を横に構え、詠唱がフッと止んだ。
一瞬の静寂。
突然広場の中に青白いスパークが弾ける。
目に見えない巨大な力がそこに生まれ、ヴァルキュリアの召喚した『 な に か 』が諦観したオオカミ達を払いのけた。
まるでゴム毬のように広場の隅へと跳ね飛ばされるオオカミやトラ達。ヒトもネコも飛ばされた。
広場の中心は強力な力場の黒い陰と、その向かいで剣を掲げるヴァルキュリアだけになった。
眩すぎて何も見えない。視界が全てブラックアウトし、自分の目の前に現れた『 な に か 』の存在感だけが増していく。
確かにそこに何かが存在する。人知を超えたもの凄い何かが存在する。
「 」
聞き取れない無音の音が広場を埋め尽くす。
沢山の人々が祈りを捧げる声のような。
巨大なスタジアムを埋め尽くした観客の叫ぶ声のような。
その巨大な『 な に か 』が叫んだ瞬間、マサミは意識を失った・・・・・・
ルカパヤン戦役編 第5話 了