犬国奇憚夢日記11b
犬国奇憚夢日記11b
***********************************************************5***********************************************************
~承前
夕刻。
美しい夕焼けを遠くに眺める紅朱館6階の執務室。
軍の調査官3人は昼過ぎに紅朱館を出て行った。
次の調査地まで3日ほどの行程らしい。
何かに警戒しヒトの子供たちを匿い初めて3日。
調査官たちはどこか諦めたような表情で身支度をしていた。
だが、リサの用意した弁当を持ち、領主からの心ばかりの路銀の足しを受け取ってからと言うもの。
安月給の公務員は事のほか嬉しいようで、嬉々として笑顔で出掛けていった。
「何事も無かったわね」
ホッとした表情のアリス夫人が窓の外、遠くを見ながらボソリと呟く。
「あぁ、何事もなかったな」
すっかり冷めたお茶を手鍋で温めて、ポール公は軍の調査官が置いていった書類に目を通していた。
「父上、母上。軍の調査官らをなぜこれほど警戒するのでしょうか?」
同室していたアーサーが我慢ならぬと言わんばかりに尋ねた。
数日前より妻ジョアンと共に不思議がっていたアーサー。
同じようにヨシとリサも不思議そうだった。
「御館様。軍の調査官の方々に対し情報はコントロール出来たはずです。ですから、私も警戒の理由が思い浮かびません」
子供たちの不思議そうな表情にポール公もアリス夫人も苦笑いを浮かべるだけだった。
「情報などいくらでもくれてやればよい。それより問題はだな」
カップを下ろして立ち上がったポール公。
アリス夫人がゆっくりと振り返って子供たちを順番に見回した。
「あなた達を守るためよ」
より混乱したと言ってよい表情で子供たちが不思議そうな顔をする。
その表情はまだまだあどけない子供そのものだ。
アリス夫人の目がやさしく笑った。
何事も経験。
そして場数。
苦い経験から得られる貴重な教訓。
ポール公の口ひげいじりが始まると、ヨシはすぐさま『始まるな』と思うのだった。
「調査地を離れる間際になって些細な矛盾や内容的におかしな点をあげてね、暗にリベートを要求する連中もいるのよ」
「まぁ、なんだ。金品だったり、或いは親族などの身分についての向上要求などだな」
なんだ。
そんな事か。
子供たちの表情にフッと安堵の色が浮かぶ。
だが・・・・
「あとね。ヒトを託っている家ではね。ヒトの奉仕を要求したりもするわね」
「男でも女でもな。ヒトの男女などとは縁のない身分になると余計だな」
え?
何気なく語っているアリス夫人とポール公の言葉に場が凍りつく。
それはつまり・・・・
「母が危なかったのですか? それとも父ですか?」
「ヨシの問いは当然と言えるだろうな。だが、その問いはどっちも正解で無いし、どちらも正解だ」
アリス夫人は一つ溜息をついてからまっすぐにヨシを見た。
「私もその時点ではそんな事知らなかったのよ。だからね・・・・」
ポール公は目を閉じて首を横に振った。
それが何を意味するのか分からぬ年ではないし、それに、ある意味で当然の展開とも思えた。
「この話はあなた達だけにとどめて置きなさい。マリアやタダ達は改めて話をします」
言葉もなく子供たちが頷く。
それを見たアリス夫人は再び窓の外の遠くを見た。
「あの住宅街の真ん中辺りにね、昔は砦があったの。軍関係が使っていたんだけど、いつの間にか来客用の宿舎になっていて ・・・
************************************************************************************************************************
夕暮れ時のロッソム。
家々から立ち上る夕餉の支度の煙。
一頃のどん底を抜け出したとは言え、まだまだここは絶望的貧困地域だ。
煙に混じって流れてくるメニューの匂いはなにかを煮て食べる物だろうか。
どんな食材でも煮込んで火を通し柔らかくして何とか食べる。
山に生える樹木の皮まで煮て食べたと聞いたとき、マサミは軽いめまいを覚えたものだ。
「アリス様。最近はまともなメニューが食卓に並ぶようになったようですね」
夕闇の中、大通りの街灯へ街中役が明かり灯して歩いている。
騒乱ですっかり焼け野原になった中心部も再開発するには良い機会だったようだ。
攻めの雪対策と火災の延焼を防ぐための政策。
街中を無秩序に繋がっていた通りを再設定し、大きな碁盤の目状の計画都市化しつつあった。
「野菜を煮ている匂いね。食糧増産計画はあなたの計算どおりだわ」
次の冬が終われば高台の砦を含めた遺跡化しつつある旧市街を大規模に再開発し、巨大な住宅街を整備する予定だ。
商業地域と工業地域。そして住宅街。
機能を振り分けそれぞれを連携させる事で人の往来を作り、それによって街を発展させていく。
マサミの考えた都市計画のアウトラインはこれが精一杯だった。
「さて、我々も早く帰りましょう。妻が夕食を支度しているはずです」
「そうね。今夜のメニューは何かしら?」
「自分もまだ聞いてませんが、例の軍と議会の調査官らもまだ居ますので、妻もやる気になっている事でしょう」
この秋は珍しく議会と軍の調査が同時にやってきた。
軍と議会。
反目する故にバッティングする事は滅多に無いのだが、それでも何十年かに一回はこういう事があるのだとカイト老は言う。
調査対象が大きな変化を遂げた場合、双方が相手にのみ有利な情報を持ち帰らないようにするための云わば牽制合戦。
マサミとカナとアリスらによるスキャッパーの政治経済を含めた大きな改革はル・ガルの中央からも注目を受けている。
そしてそれはどこの世界でもそうであるように、あまり好意的な解釈を受けない場合が多い。
没落貴族の傾向が強かったスロゥチャイム家が再興しつつある。
それはつまり上位にあった公爵家を追い越して貴族列位を一段あげるため、中流以下の貴族が長年頑張ってきた暗闘を全部水泡に帰す可能性の存在でもある。
公国制を取るル・ガルにおいて貴族列位を一段上げると言う事はそれだけで大きな利益を生み出す原動力にもなる。
そしてまた、膨大な利権を入手し、それを行使出来る可能性でもあった。
ここ数年、議会の主流を占める中流の貴族にとって、公爵12氏族の上位に序列されるスロゥチャイム家の動向は関心の的だった。
この古い公爵家が没落し、国家への様々な納付義務を放棄した場合はどうなってしまうのか。
当然、公爵家として持っている様々な特権や利権、それだけでなく公爵と言う爵位すらも手放さざるを得ない。
そして同時に新たな公爵家を子爵家などをから選ぶ事になるのだった。
だからこそ、中流階級の貴族家は様々なビジネスに手を染め、家の実力を向上させて他家を出し抜こうと努力する。
その一環にヒトの繁殖などが含まれていたとしても、あまり驚く事ではない。
ヒトは高く売れる。莫大な利益を生む。
そしてなにより、良質な奴隷を安定して供給できると言うのはそれだけで信頼の元だ。
公爵家が最近入手したヒトの奴隷は執事をしていて、その働きで所領は再び栄えようとしている。
そんな情報が流れとんだ時、他家の者が何を考えるか。
一つはヒトの入手。何とかしてヒトの執事を引き抜こうと考える。
もう一つはヒトの胤の入手。ヒトの女を用意して胤付けを依頼して血筋を入手する。
どちらもスロゥチャイム家とは比較的友好度の高い場合だけ使える手段なのだろう。
だが、敵対するか、または交流のない場合はどうするか。
この場合はあまり穏便な方法では済みそうにない。
一つは人間的に使い物にならないように人格破壊してしまう方法。
媚薬を使って人間的におかしくなるまで搾り取るのは常套手段。
或いは、法に触れる範囲の常習性薬物を使って廃人化。
そして、それも出来ないなら・・・・
暗殺
奇麗事でなく、喰うか喰われるかの瀬戸際で派閥争いと権勢争いをする貴族の世界。
優雅な舞踏会の舞台裏は生々しい暗闘の現場になっている事も多いのだった。
「アリス様。あの調査官たち。あちこち調べて歩いてますが・・・・」
「漏れて困る情報は今のところ無いはずよ。それに、全部正直に中央へは報告してるし」
「軍の方はどうでしょう」
「ポールが言うにはフェルおじさんが上手くやっている見たいね。まぁ、心配ないでしょう」
「そうですか」
二人の歩く大通りから見上げた先。高台にある砦が調査官たちの宿舎になっていた。
軍の調査官が4名と議会の査察官が1名。
議会の人員が少ないのは、逆に言えば軍の定員が多すぎると言う事なのだろう。
「明日には軍の調査官が出発するそうだし、議会の方はどうにでも誤魔化せるでしょ」
「だと、いいのですが」
どこか心配そうなマサミが砦を見上げている。
明かりの灯る砦の中央。
軍の調査官らが机を並べて今頃書類の作成に取り掛かっているはずだ。
「あの連中が紅朱館に入ると鬱陶しいわね。食事はあっちで取らせましょ」
「そうですね。あとで妻に運ばせます」
「今夜はポールも居ないし・・・・ カナには悪いけど、今夜はお願いしようかしら♪ ね、マサミ」
「ハハハ・・・・ はい。かしこまりました」
苦笑するマサミをよそに、アリスは屈託なくニコッと笑う。
調査官らの滞在でここしばらくは夜もご無沙汰のアリスとマサミだ。
クローゼットそのものの執事室で過ごすマサミとカナとて同じでいる。
細かな増築を繰り返しているとは言え紅朱館の小ささは、そろそろ中央公共施設としての機能限界に達しつつあった。
そしてそれは、ここを生活の場とする公爵夫妻と執事夫妻、それに僅かばかりの直接の使用人らの住環境を殊更酷くしていた。
そろそろ抜本的な改善が必要だ。
もっと、広くて大きくて機能的で。何より地域住民の生活に役立つ存在。
雪対策や賊徒の類への対応も含めた緊急シェルターとしての役割。
「アリス様。先日お話した件ですが」
「えっと・・・・ ルカパヤンで人材を探す件ね」
「どうでしょうか?」
「あまりヒトばかりと言うのもねぇ・・・・」
「そうですか」
「ヒトが嫌いと言うわけじゃないのよ。でもね」
「中央との兼ね合いですね」
「そうなのよ。それに、いきなり中央からそのヒトをよこせって言われると困るし・・・・」
そんな話をしながら帰ってきた紅朱館。
発展しつつある街と、その大通りに面したエリアの大きな建物に比べ、この施設は住民からですらみすぼらしく見えている。
―― 領主様、これでは示しが付きませんぞ!
―― そうですとも。建築資金は我ら銀行団にお任せくだされ
―― 執事殿の尽力でスキャッパーは益々発展しますぞ!
―― これを機に中央へ睨みを効かせる施設を作るべきです
地元の商工会や有力者などと会食を行えば、出てくる話の〆は必ずそこに行き着くのだった。
だが、それでもマサミやアリスにとっては誰にも邪魔されない我が家。
「まぁ、まだ不自由は我慢できる範囲ですからね」
「そうね。当面は地域投資しないと駄目なんでしょ?」
「えぇ。公共投資を怠ると将来何倍にもなってツケが回ってきますから」
最近竣工した5階建てのホテル。その向かいは3階建ての銀行。
隣に立つのは手狭になった市民市場を2階建てにし、その上に食糧倉庫を設けた大型商業施設。
3階建て程度の雑居ビルが軒を並べ、様々なビジネスが行われている。
その向こう。
川に掛かる一本の橋を挟んだ反対側には一夜の夢を売る歓楽街。
妖艶な灯りの燈る大きな建物は規制緩和で他の地域からも客を集め儲ける大きな置屋だろうか。
この地域から上がる莫大な税収はスキャッパー改革の大きな資金源でもあった。
視界に入る建物は皆大きく立派で豪華になりつつある。
その狭間にポツンと取り残されたような・・・・ 紅朱館。
2階建ての公民館程度しかない・・・・
それでも、我が家。
「お、今日は妻がシチューを作ったようですね」
「あなたの鼻はここまで来ると分かるのね」
「と、いいますと?」
「私はさっきの時点でわかってたわよ」
「イヌの鼻にはかないませんよ」
ドアを開け入っていくと、食卓が手狭なほどのメニューが並んでいる。
決して豪華ではないものの、婦長カナが考えた心づくしの栄養メニュー。
「あぁアリス様。待ってましたよ」
「あ、ごめんねカナ。早速食べましょう」
「はい」
「あ、そうそう。例の調査員たちの分。ここで食べさせると鬱陶しいから・・・・」
「あちらで食べていただきますか? 先ほど議会の査察官さまがお見えになりまして、今宵は下の宿を取ったので夕食は不要と」
「そうなの。なんか嗅ぎつけたのかしら」
「さぁ、私にはわかりません」
「それより」
「はい?」
カナを引き寄せ耳元でアリスが何かを囁く。
その言葉にカナはコケティッシュな笑みを浮かべつつ『エー!』と言わんばかりの抗議の表情だ。
「どうぞご随意になさってください」
「ごめんね、ごめんね!」
「フン!だ。私も今夜辺りって思ってたんですが・・・・」
「じゃぁ一緒に」
「二人一緒じゃ夫も干からびてしまいますから」
どこか残念そうなカナと嬉しそうなアリス。
幸せそうな女二人の笑顔。生活が充実している証かもしれない。
だが、そんなコントラストを眺めていたマサミは妙な胸騒ぎを覚えていた・・・・
そして、夕食後。
「ほほぉ!流石は公爵様!お話がお分かりになってらっしゃる!」
「さぁ、こっちへ来て。ほれ、もっとこっちへ」
査察官の男たちは何をそんなに嬉しいのだろうか?と言うほどの喜びようだ。
「あ、あの。お好みに合いますかどうか・・・・」
重箱に重ねた夕餉のメニューをテーブルにおいて、カナは包みを解き始める。
「おいおい、解くのはそこじゃ無いじゃないか」
アハハハと下品に笑うイヌの男たち。
ちょっと離れたところで見ているのは紅一点で同行していたイヌの女。
「そんなところではじめたら服に臭いが残りますが、いいのですか?」
呆れたような表情で眺めている。
「それもそうだな。よし、婦長殿、風呂へ行こうか」
「あ、あの、お食事は?」
「そんなの後で良い!」
男たちがカナを抱え上げ風呂へと歩き始める。
「キャ!」
短く上げた悲鳴ですらも嬉々としているのだが。
「ちょ!ちょっと!下ろしてください!」
「ははは!そうこなくっちゃ雰囲気で無いな。なかなか分かってるじゃないか!!」
砦の風呂場は大きな湯船になっていて、大量の兵士が同時に入っても余裕のある構造になっている。
だがしかし、地域の兵が使わなくなって以来、ここはこういった来客でもない限り使われない施設になっていた。
当然、周囲に人気は無く、大声を上げても誰にも迷惑は掛からない。
言い換えれば、助けを呼んでも誰も来ない場所だった。
風呂の脱衣場であっという間に上半身裸になった男たち。
早くしろと言わんばかりの顔なのだが・・・・・
「往生際が悪いですぞ婦長殿」
「あの、何の事でしょうか?」
「ん?ご存じないのか?公爵様は知ってて送り出されたものとばかり」
「ですから、あの」
3人の調査官が周囲を囲み、逃げられない環境になったカナ。
「調査を終える調査官らに手心を加えてもらうとなれば、それなりの施しは必要と言うもの」
「まして、栄を取り戻そうとしているスキャッパーともなれば裏金の10や20は必要でしょうな」
「それを報告せずに黙っていて欲しいとなれば、我らの口を何かでふさがねばなりますまい」
楽しそうにしている調査官たち。
カナは瞬間的に『売られた!』と思った。
だが、部屋から出る時のアリスはそんな素振りが全く無く、むしろ夫マサミを搾り取る事への謝意で満ちていた。
―― アリスも知らないんだ!
ふと気が付く、凄く重要な真実。
売られても無く、はめられた訳でもない。
ただ、純粋に無知から来る失敗。
つまり、助けが来る事は期待できない・・・・・
そして、今ここでは・・・・・・
一瞬の間に多くの事が頭を駆け抜け、カナは瞬間的に絶望を悟った。
「無駄な抵抗は御身の為にもなりますまい」
「そして、我らの報告書には、非協力的であったと書き加えられる事になりますな」
「もっと言うならば敵対的な態度を取るヒトの夫婦は危険である・・・・と」
ニヤニヤと下品に笑うイヌの男たち。
それが何を意味するのか・・・・・
「これまで協力を惜しんではいませんし、それに」
とりあえず形ばかりでも抗議しなければ。
カナの発想はきわめて正常なのだろう。
だが、現状はそれほど甘くは無かった。
「いや、現に今現状は非協力的だが?」
「いかなる協力も惜しまない。公爵様はそのように書類にサインされましたなぁ」
「つまり、アレは嘘だったと」
「これでは止む無く・・・・」
「重大な秘匿事項があるようだと報告せねばなりませんな」
ゲラゲラと笑う男たち。
カナだけが青ざめている。
「とりあえず身体検査からはじめますかね」
「そうですな」
「どこかにヒトの世界の武器でも隠し持たれていると、我々も安心して食事に出来ませんし」
「いや、むしろ毒を入れられた可能性が高いですぞ」
「となると、衣服のどこかに隠しているかもしれません」
急に真面目な顔で論議しているのだが、取って付けた感は否めない。
そんな男たちが一斉にじろっとカナを見た。
「まずはそのエプロンからだ。ちょっと外してみたまえ」
「なに、小官も軍人である。望んで如何わしい行為には及ばぬ」
嘘ばっかり・・・・
目が姦(や)るき満々じゃないか・・・・
なかば涙目のカナはしぶしぶエプロンを取った。
「うん、特に問題は無いようだな」
「いや隠しポケットと言う可能性もある」
「毒類なら臭いがするはずだぞ」
大の男が寄って集ってエプロンの臭いを嗅いでいる。
クンクンと鼻を鳴らして臭いを確かめる。
「これは安全だと思うが、如何か?」
リーダー格のイヌがそういうと、他のイヌもそれに同調するように頷いた。
「さて、次はどうしますかね」
「とりあえずワンピースを脱いでもらえますかな?」
「出来れば裏返しが良いですな。隠している物がよく見えます」
溢れんばかりの涙を溜めてカナはワンピースの背にあるジッパーを下げる。
肩口から露になるカナの肢体。
細くて繊細で。イヌの力で抱きしめれば折れてしまうかもしれない。
「おぉ、これはこれは。取り扱い注意ですな」
「ですなぁ。慎重な対処が必要ですな」
緋色のワンピースにポツポツと黒いしみが落ちる。
屈辱感と敗北感に耐え切れず、カナの眦から涙が落ちた。
そんな姿ですらイヌの男たちには扇情的なのだろう。
なんとも嬉しそうに尻尾を振って喜んでいる。
「このワンピースはまた・・・・」
「おぉ、良い香りだ。美しい花の香りですな」
「上等なフレグランスですなぁ」
アチコチの臭いを確かめる姿をカナは正視する事すら出来なくなり始めている。
スカートの前縁部あたりを念入りに確かめる男たち。
そこにはカナの『女』の匂いが染み付いているのだろう。
下着姿のカナが両の腕を胸の前で交差させて隠している。
そんな姿にですら喜びを隠せないのだろうか。
「婦長殿。そこに隠されているものは何ですかな?」
「しっ 下着です!」
イッヒッヒッヒッヒ・・・・・
いやらしい笑い方がこぼれる。
顔を横に向け歯を食いしばるカナ。
「いや、何かを隠しているかもしれませんな」
「ですなぁ。普通ここは誰も調べませんからなぁ」
「どれ、婦長殿。一つそれも取ってみてくれませんか。なに、守秘義務は・・・・守りますぞ」
プルプルと細かに震えながらカナはそっぽを向いている。
「う~ん。残念ですなぁ。ご協力いただけませんか」
「仕方がありませんねぇ」
「うん、今日はここで結構です。さて、報告書をもう一枚・・・・」
カナを取り囲む男たちの声は剣呑だ。
「とります・・・・ 取らせていただきます・・・・」
衆人環視で一枚ずつ剥かれて行く屈辱感。
だが・・・・
「奴隷と言うものは素直に言う事を聞かねばなりませんな」
「ですなぁ。反抗的な態度などありえませぬ」
「教育の行き届いていない奴隷は反乱の危険がありますし」
「いやいや、どこかの工作員であるならば、隙有らば好機と捉えましょう」
「ですな。我々も注意が必要です」
「公僕としての努めですなぁ」
ニヤニヤとする男たちの視線がカナを視姦する。
そっと手を後ろに廻しホックを取ると、ブラの中から小ぶりで形の良いカナの乳房が現れた。
「どれ、それも一つこちらへ」
渋々とブラを手渡すカナ。
受け取ったイヌが早速じろじろと観察する。
「まだ温もりが残ってますな」
「熱変化を使う毒劇物には重要ですなぁ」
「温度が下がると効力を持つタイプですな」
クンクンと臭いを確かめジッと観察する男たち。
もはや我慢ならずといったカナの頬を涙が伝う。
だが、両手で隠す乳房の形が押し潰れるほどの力である事に男たちが気が付く。
とっさにしまった!と思った物の、もはや手遅れだった。
「婦長殿。そこに何を隠してられますかな?」
「何も・・・・ 隠してません!」
涙声の抗議ですらも受け入れられないのは分かっている。
「では、真に申し訳ありませんが・・・・・」
「ちょっと拝見しても宜しいですかな」
「なに、進んで協力していただければすぐに終わりますよ」
「では、両手を下に。気を付け!の姿勢で」
ちょっとだけ逡巡したカナ。
だが、迷っても仕方が無いし、それに・・・・
「これで宜しいでしょうか」
せめてもの抵抗に顔を背け、自らの胸を見ず知らずの男たちに開陳した。
その乳房の先。乳首の先端に鼻先を近づけ臭いを確かめる。
吸い込まれた息を再び鼻先で噴出せば、カナの乳首にくすぐったいばかりの触覚を伝えるのだった。
「あ・・・・」
僅かに声を漏らしたカナ。
その声を確かに聞いた男たちがニヤリと笑う。
「臭いだけでは分かるまい。味を見てみよ」
「しかし、毒が塗られているかもしれませんぞ?」
「そうです。いきなりそれは危険です。戦闘教本にも書いてありました」
「えぇい、止むを得ん。小官が確かめる。諸君ら若い者は後を頼むぞ」
白々しい・・・・
そうは思っても声には出さないで居るのだが、しかし・・・・・
「あぁ・・・」
ざらつく舌で攻められればカナは小さく声をあげるしかない。
だが、それですらも彼らには扇情的な仕草でしかなく・・・・
「こっちはどうだろうね」
反対の乳首辺りにも舌を這わされると、カナは思わず肩を窄めて手を握り締めた。
不可避の感触に攻められて尚耐えるしかない現状。
頬を伝う涙の熱だけが温かみを感じるのだった。
「ふん、問題ないようですな」
ニヤッと笑った男の目が覚悟しろと言わんばかりだった。
「もっ もう・・・・ 宜しいですか?」
「いやいや、ご冗談を」
ハハハ・・・・
「まだ着衣は残ってますからね」
「まぁ、とりあえずその靴を脱がれたらいかがでしょう」
「そうですな。靴は凶器をしまうには最適ですからね」
前屈みになろうとしたカナの動きを制止し、若い男の方がカナの靴に手をかけた。
「婦長殿のお手を煩わせる事などありません」
「ですな。むしろお手を出されぬ方が宜しいでしょう」
されるがままに両方の足から靴が取られ、同時にソックスまでも取られてしまう。
「婦長殿。お手を」
何をされるか分かる分だけカナの恐怖は倍増する。
だが、ニヤニヤする男の表情は心底楽しそうだ。
覚悟を決めて手を出すと、自らの履いていた靴下が両手に被せられる。
指の動きを全部制約されると言う事は、つまり抵抗が無駄だと諦める事でもあった。
「さて、残る着衣は一枚ですが・・・・・・」
ショーツ一枚で立たされるカナ。
その姿に男たちも勃っているが見える。
バチンバチンの膨らんで行き場を探す巨大な肉棒が3本。
それが視界に入ったとき、フッと卒倒しそうになってギリギリで持ち堪えたカナ。
両手に靴下を履き拘束されたカナの表情から最後まで残っていた屈辱感に耐える人間らしさが段々と消えていった。
「自分で下ろせますかな?」
「・・・・下ろしてくださいますか」
「ほほぉ。やっと素直になりましたな」
されるがままに最後の一枚を下ろされ一糸纏わぬ姿のカナ。
恥ずかしさも敗北感もどこか遠くへ飛んでしまっている。
幸せな毎日にすっかり忘れていたと思っていた"生き人形"の躾が、消しがたい悪い癖の様に顔を現した。
「中は何も有りませんかな?」
「お確かめになってください」
「では、遠慮なく」
近くにあった椅子を引き寄せカナの傍らに置くと、片足のみを持ち上げ椅子に置いた。
当然、カナの秘所は丸見えになり、茂みの奥にある蜜壷まで露になってしまう。
「よく見えませんな」
「えぇ、見えませんね」
「申し訳ありませんが広げてみてもらえますか」
「はい」
傍らの椅子に腰を下ろし、大きく両足を広げて秘所を露にしたカナ。
全くの無表情で機械の様に動いているだけだったのだが・・・・
「ほら、両手で広げて」
「こうでしょうか」
自由にならぬ指で秘所を広げると、しとどに濡れた秘裂の奥まで丸見えになっていた。
ある意味、グロテスクの極地とも言えるデザインなのだが、しかし、ここは女性にとって守るべき一番重要な器官の入り口だ。
そして、一体どれ程の男たちに蹂躙されたらこうなるのだろうか。
そう思わせるだけの跡がそこにあった。
「ホホホ。婦長殿もお好きなようですな」
「これはこれは」
「いやいや、可愛い顔して恥じらいを見せる様など、まるで生娘のようではないですか。それが」
無造作に手を伸ばしカナの秘所を弄ると、カナは足を閉じることなく甘い吐息を漏らすのだった。
「これは・・・・調教済みと言う事ですな」
「でしょうな」
「既に正体が飛んでいるようですな」
「では・・・・」
リーダー格のイヌはおもむろにカナの秘所へ口を寄せると、イヌの長い舌でその中身をかき混ぜ始める。
「あぁ! あぁぁぁぁぁぁ!! ん!」
迫り来る快感の波に揺さぶられて腰を捻りつつも、それでも尚カナの手は秘所を広げたままだった。
椅子の上でのらりくらりと動きながら、それでもより一層快楽の深い奈落を探して体は自然に動き始める。
「君、例のアレを持ってきたまえ。使い方を実演しよう」
「アレって言うと、あの、アレですか?」
「他に何があるんだね」
ニヤリと笑った男が走っていって持ってきたのは小さな木箱だった。
『尋問用』と書かれた小箱はあちこちに色の変わった跡がある。
水濡れの痕跡なのだが・・・・
「ほれ、早く開けたまえ」
リーダーは右手でカナの秘所をいじり、左手でカナの乳房を弄っている。
しかし、その最中もカナは嫌がる素振り一つ見せず全てを受け入れていた。
ガチャ
中から取り出されたのは張り型の付いた貞操帯。
それも、ちょっと普通じゃ考えられないサイズの張り型が付いている。
小さなビンに入った紫色の粘る液体をタラーリと張り型に垂らし、それを自らの膝に乗せた。
まるで、膝先からペニスが生えているように。
「婦長殿。立ってごらん」
「はい」
「そしてここへ座って」
言われるがままにそこへ腰を下ろしていくカナ。
少しだけ膝を動かし位置を微調整してやるリーダーのイヌ。
カナの蜜壷へズブッズブッと音を立てて飲み込まれていく巨大な張り型。
だが、それはかなりの柔軟性があるようで、形を変えながらも根元まで飲み込んでしまった。
「んあぁあああ!!」
半ば言葉にならず獣のような唸り声を上げ、カナの背中は弓のようにしなった。
どうしていいか分からずその両手がイヌの肩をつかむ。
そんな中、リーダーのイヌは貞操帯の前後をまくり上げ、腰のベルトを通して外れないようにロックした。
指を使えぬカナにとって、このロックを外すのは容易ではないはず。
「さて、ここからが見物だよ」
膝の上に座っていたカナを立たせると、その秘裂辺りに手を当てて、そのイヌは短く呪文を唱えたようだ。
ややあってカナの反応が変わり始める。
「んあ! あぁ! んんん!!!!!」
どうなっているんですか?
そんな眼で見ている若いイヌの男たち。
カナから手を離したイヌが満足げに笑う。
「例の張り型はね、魔素を注げば勝手に動き出すのだよ」
「それは凄い」
「ウサギの国で作られた魔具のひとつだ。ネコでもイヌでも、もちろんヒトでも。女ならこれで堕ちる」
ついに立っている事も困難になったカナが力なく崩れるようにして座り込む。
しかし、そのカナをイヌが叱責した。
「誰が座ってよいと言いましたかな?」
熱い吐息を漏らしながらも、カナは必死で立とうとするのだが、上手い具合に体に力が入らないようだ。
水から上がったクラゲのように、ねっとりとした動きでそれでも立ち上がる努力を続けている。
「まぁよい。それより婦長殿。私のチャックを開けてくれますかな?」
正体の抜けたカナが手を伸ばしてチャックをつかもうとするのだが、指が自由にならぬカナには難しい作業だ。
「口があるではないですか。どうしましたかな?」
力の入らぬ体をイヌの足に預けるようにして抱きつくと、口と舌でチャックのノブを銜え下に降ろした。
その中には下着に囲われイヌのペニスが屹立している。
何も指示されるうちにカナは舌を使ってペニスを外に引き出すと、口内の奥深くまで銜えて舌で奉仕を始める。
「おぉぉ!! これは至極! 随分上手いですな!」
「さてはポール公に随分と仕込まれてますな」
「いやいや、これは案外領主殿の躾かも知れませんぞ?」
ねっとりと絡みつくように奉仕を続けるカナの舌が一番敏感なところを刺激すると、リーダー格のイヌは短く嬌声を上げた。
背筋に走る痺れるような感触。そして、くすぐったいのだろうか、腰を左右に振って笑っている。
「アッハッハ!婦長殿!婦長殿! これでは小官もたまりませんな!」
「随分と良いようですが?」
「これはたまらんぞ!吸い付くようだよ!」
何か機械的にむしゃぶりつくカナの頭を抑えたイヌの男。
それはつまり終点が近づいていると言う事なんだろう。
「婦長殿、ちょっと失礼しますぞ!」
うっ!
短く声をあげたイヌの男は溜まりに溜まっていた白濁液をカナの口内へとぶちまけた。
普通では考えられない量なのだが、しかし、獣の男たちならばある意味で正常な量なのだろう。
カナはまるで水でも飲むように喉を鳴らして、余すことなくそれを飲み込む。
「お粗末でした」
全部飲み込んで尚吸い上げる用にすると、まるで魂まで吸われるかのようにしたのだろうか。
イヌの男は恍惚の表情で椅子へと腰を降ろした。
「大変上手でしたぞ? ささやかな謝礼ですので遠慮なく受け取られよ」
力任せに立ち上げられたカナの腰に手を廻すと、素早い手つきで貞操帯のロック部分にあった小さな金具に指を触れた。
途端にカナの膣内を蹂躙していた張り型が振動を起こし、その動きはより一掃立体的にうねり始めた。
「あ! あぁぁ! うんんん・・・・ ぁああっ!」
張り型のうねりに合わせカナの上半身も艶かしく動き、そんな姿を眺めるイヌの若い男たちが我慢ならぬと言った表情だった。
「ほれ、それを取ってあげなさい」
「はい」
力が抜けて四つん這いになったカナの後ろに回り、無造作に張り型に手を添えるイヌの若い男。
僅かな感触ですらも体を震わせるカナだが、もはや言葉にならない声で何かを懇願していた。
「婦長殿。よく聞こえませんが?」
「・・・・・ぁぁ」
「どうされましたか?」
「んぁぁ・・・・」
ハァハァと熱い息を漏らして力の抜け切った姿を晒すカナ。
若い男は何躊躇することなく張り型を抜き放った。
「んああぁぁぁぁ!!!!」
グッタリと力が抜け切りカメのように蹲ったまま、カナは動けなくなっていた。
だが、カナの背後に立つイヌの若い男はズボンを降ろすと、自らのいきり立ったペニスを取り出した。
「婦長殿はこっちの方が宜しいのではないですかな?」
「おぉ、そうかもしれんな。どれ、一つ婦長殿の協力に感謝を示そうではないか」
「そうですな。では、若輩ながら小官が勤めさせていただきます」
「うむ、手を抜く出ないぞ」
蹲ったカナの腰に手を廻し膝を立たせると、若い男は背後から長々といきり立つそれを迷うことなく押し込んだ。
「んあああぁぁぁぁぁあぁ!!!!!!」
うずくまっているものの、それでも後ろから付き上げられると体をよじっているカナ。
その動きは嫌がる女ではなく、まるで手馴れた娼婦の様でもある。
「ほぉ、やはり婦長殿はこちらの方が宜しいようですな」
「ですな。随分と締め上げてくれます。これはこれは。きっとポール殿もお楽しみなのでしょうな」
「高級貴族と言うのは羨ましいですねぇ。こんな遊び道具で毎日のように遊べるのですから」
クッチャクッチャと淫猥な音を響かせて頑張るイヌの男。
それを見ていた残る一人が我慢ならずといった風でカナの前に立った。
「婦長殿。自分も参戦したいのですが、お願いして宜しいでしょうか?」
何を言われているのか理解出来ないほどだったのだろう。
カナの意識はどこかへ消し飛び、半ば本能のままの動きでもあった。
だからだろうか。
前に立った若い男の旺盛に勃ち起きる肉棒がこれ以上なく魅力的に見えるのかもしれない。
「はぁうっ! あぁ! いぃ! いっただいてもぉぉ!! おぉぉぁぁぁぁぁあああ!」
それ以上の言葉にならず、カナは弄るようにしていきり立つ物を口で取り出してむしゃぶり付いた。
背後からグッチョグッチョと淫猥な水音が響き、前では口と舌を使ってネチョネチョと猥雑な音を立てている。
「おやおや。婦長殿は相当お好きと見える」
「ですね。なんともまぁ、吸い付かれるようです。これは・・・・ 名器ですよ」
「しかもこの舌使い。下手な娼婦などぉぉ!!」
途中で言葉を切った若い男。そのままどうやら果ててしまったようだ。
再びカナの喉の奥へ大量の白濁液が放たれ、余すことなく喉を鳴らしてカナはそれを飲み込んだ。
それでも尚残すことなく精を吸い取るようにするカナの舌と口はねちねちと動く。
「あははは。これはたまらん!」
「お前は若いなぁ」
「スイマセン、場数が足りませんでした」
「ハハハ! しかしこの銘器はたまりませんな! それ、婦長殿!行きますぞ! それ!」
遠慮することなくカナの中で果てた中堅所のイヌ。
ドクッ!ドクッ!っと熱いものを大量に吐き出して萎えている。
「あぁ、こりゃたまらんな」
四つん這いのまま振り返ったカナが萎びたナスのようなイヌのペニスを綺麗に舐めている。
まるでヒトの世界のイヌのように、舌を使ってペロリペロリと。
「・・・・あ ありがとうございました」
搾り出すような声で呟いたカナ。
その姿を見ていた一番若いイヌの男は再び硬さを取り戻していた。
「申し訳ありません。もう一回!」
「それ!やれやれ!若いんだ3回は出来るぞ!」
扇情的なカナの尻肉をがっちりと掴み遠慮することなく蜜壷へと押し込めば、カナは再び頭を振ってよがり始める。
「あぁ!これは凄い!こんなの初めてっすよ! あぁ、まじで凄い!」
グッチャグッチョと響く水音に周りのイヌがけしかける。
「ほれ!どうした!婦長殿はいまだ健在ぞ!」
「そうだ!イヌの男の面子にかけて果て崩れてもらわねば困る!」
もはや獣の唸り声になったカナの声が風呂場に響く。
残響しつつも鋭い声がそれを塗りつぶすようになお共鳴している。
「んがぁ!! あぁぁぁぁ!!!! あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!!!!!!!!」
どこからこれほどの声量が搾り出されるのだろうか?
そんな風に思えるほどの声。
だが、その音量は確実に小さくなっていき・・・・
「あぁぁ!! 婦長どのぉぉ!!! すいませーーーーーーん!!!」
一番若いイヌまで遠慮することなくカナの中で果ててしまった。
勢いよく噴き出た物がカナの胎内を焼き焦がすように流れていく。
カナの尻肉から手を離した若いイヌの男。
どこか達した感すら感じながら遊び終わったおもちゃを手放すようにしていた。
ズシャリと鈍い音を立てて風呂場の床に崩れて動かなくなったカナ。
焼け付くような胎内の刺激の中で、ギリギリの所で繋ぎとめていた最後の意識を彼女は手放した。
***********************************************************6***********************************************************
水を打ったように静かになった執務室。
その空気は冷え切ると言うより凍りついている。
息をのむとか言葉を失うとか、そういう次元の問題ではない。
どこまでも不運な一人の女性としての存在に、皆、心を痛めた。
「それで、あの・・・・ 母は・・・・」
どんな言葉を紡ぐべきか。一瞬だけ逡巡したアリス。
それほどにヨシの眼差しには敵意が入っていた。
自分の母を売ったかもしれないイヌの女。
そんな風に見られている・・・・
もちろん、そう思われても仕方が無いし、結果的にはそうなっているのだから否定しようもない。
ただ。事実は事実として、それを伝えるのは先に生まれたものの義務だ。
「明け方近くだったかしらね。カナはほぼ全裸で紅朱館に戻ってきたの。何人かの市民がそれを見たらしくてね、手に手に毛布やシーツや身を隠すものを持て飛んで来たそうよ・・・・」
半ば諦観した眼差しでまっすぐにヨシを見ながら、アリス夫人の言葉は続いた。
カナは市民の差し出した物を全て断り、裸のまま紅朱館へと入った。
最初に出迎えたメルは驚きのあまりに卒倒しそうになったらしいが、カナはメルに手を差し伸べ、風呂に入るからキッチンを任せると言ったのだとか。
メルから話を聞いたキックは動転し、上手く言葉をつなげられない状態で2階へと駆け上がっていったそうで、ノックも何もせずにアリス夫人の寝室に飛び込み事の次第を口早に説明したのだと言う。
マサミの腕の中で羽化登仙の夢心地だったアリスが頭上より冷や水を浴びせされるように飛び起きたのは当然の理だろう。
そして、キックの話を全部聞き終わる前に浴室へと文字通り飛んで行ったマサミ。
「・・・・半ば私を突き飛ばすように走っていったマサミの背中は忘れないわ。アレだけの男に心底惚れられたら女は幸せよ」
************************************************************************************************************************
「カナァァァァァァァァァァ!!!!!!」
「朝からうるさいじゃない! びっくりするでしょ!」
浴室に飛び込んで行ったマサミに負けない声量でカナが怒鳴り返した。
半ば廃人同然でフラフラと帰ってきてるかも・・・・
完全に壊されてしまったか?
あのクソどもめ!
この手でねじり殺してやる・・・・・
怒り心頭にグツグツと沸き立つ頭に強烈な一撃。
唖然とするマサミを他所に、カナは風呂場の床へ湯を溜めて、その上でジャンプしていた。
「信じられない! あの馬鹿イヌども! 遊び道具じゃないんだかね! まったく! 失礼しちゃうわよ!」
・・・・・・徹夜明けのテンションは言葉じゃ説明できないよなぁ。
あっけに取られて眺めつつもそんな事を思ったマサミ。
やや遅れてアリスも到着したとき、ジャンプするカナの足元にベチャ!バチャ!と音を立てて黄色く濁った物が落ちてきた。
両足の内側を汚らしく染めて垂れてくる黄土色の粘液。
しかしそれは、白濁した物に血が混じっているものだと気が付く。
ただ、その出てくる量が半端ではない。
一人や二人じゃとてもこの量は・・・・・・
しばらく飛んで垂れてくるのが止まると、手桶を使って脚の周りを洗い始める。
「カナ・・・・ 大丈夫・・・・ か?・・・・」
「大丈夫よ! 頭にきてるだけよ!」
唖然として見ているアリス。
カナはアリスの姿に気が付いた。
「アリス! ちょっと聞いてよ! あの馬鹿イヌども・・・・・・」
カナは怒気混じりに昨夜の顛末を話し始める。
公然とリベートを要求し、そして、それと同時に奉仕を要求されたと。
「もうホントにさぁ 失礼ぶっこいちゃうわよ! そんなにやりたいなら川向こうでも行って来ればいいのに!」
訳のわからぬテンションで喚くカナ。
そんな所へポールが駐屯先から駆けつけてきた。
「もう一回頭から話したほうがいいかしら!」
「いっ いや、いい。話は聞こえてた」
「ホントに失礼しちゃうわよ! まったく男って連中はさぁ!」
浴室のドアを開け放ったまま遠慮することなくカナは湯を頭からかぶる。
周囲で唖然としているマサミやアリスやポールに遠慮することなく。
浴室の外。キックがはそっとバスタオルと着替えを用意した。
それすらも気にすることなくカナは湯をかぶっている。
「まったくさぁ!みんな見てる前で一枚ずつ剥かれるなんてさぁ!」
ザバー・・・・
「ストリップのねぇさん達ならともかくあたしは素人だ!っての」
ザバー・・・・
「しかも脱いだ服のにおい嗅ぎまわってさ! 変態よ!へんたい!」
ザバー・・・・
「遠慮無しにアチコチ舐められてさぁ! あの舌は紙やすりよ。 痛いじゃない!」
ザバー・・・・
「おまけにカバン中から変なもん取り出してさぁ! あんな感触最低よ! 嘗め回される方がマシね!」
ザバー・・・・
女性向けの低刺激石鹸を手にとって体を洗うカナ。
「どこそこ遠慮なく鷲掴みにして! 痛いじゃない! これだからデリカシーってモンが無い男は!」
その細くてしなやかな肢体が泡に包まれ、湯気の漂う風呂場の中に花の香りを漂わせている。
「だいたいねぇ! いくら若いからってすぐに元気になるもん? どっかおかしいわよ!」
男たちに蹂躙されたその小ぶりな乳房や遠慮なく押し込まれたひそやかな花園まで。
「どれくらい溜まったらああなるのよ! もう! あぁ! 本当に汚いんだから!」
何か目に見えない物まで洗い流そうとするカナの執拗な洗浄。
「あんな獣臭いニオイをばら撒いて街を歩いたら変なところにスカウトされそうよ!」
なかば呆然と見ているマサミはその意図に気が付く。
だが、カナは何がそんなに気に喰わないのか。
湯をすくった手桶をマサミへと投げつけた。
「女房が一仕事してきましたよ! 女しか出来ないんだから! 背中くらい流しなさいよ! まったく!!」
プリプリと怒り続けるカナ。
そんな妻をマサミはグッと引き寄せ力いっぱい抱きしめた。
「お疲れ様。大変だったね」
急に抱き寄せられ驚くカナ。
「・・・・怖かったんだから」
小声で恥ずかしそうに、まさに呟くように口を尖らせている。
だが、その表情が急速に崩れていく。
「怖いんだから・・・・ ホントに怖かったんだから・・・・」
泡まみれを気にせずマサミに抱きしめたカナの体は小刻みに震えていた。
その震え方は疲れや屈辱感といった物じゃなく・・・・
「同情なんか要らないんだから・・・・・」
「あぁ。よく頑張ったよ。カナしか出来ない仕事だ。本当にありがとう」
ここまで必死に繋ぎとめていた思いが溢れ出したのだろうか。
我慢ならずに涙がこぼれると、人前を憚らずカナは泣きだした。
「ホントに・・・・ 怖かったんだから・・・・ 女しか分からないんだから・・・・」
「あぁ、そうだ。間違いない」
自らのシャツを濡らす事も厭わず、マサミは湯をすくってカナに掛け始めた。
昨夜と同じく、されるに任せるカナなのだが、その中身は大きく違う。
泡を流して綺麗になったカナにバスタオルを被せた。
「ありがとう。落ち着いた・・・・ ごめん」
「そうか。良かった」
カナが申し訳なさそうにアリスとポールを見る。
「あっ あの・・・・」
「いいの・・・・ 私が謝るようだわ」
「そんな事ないです・・・・ 飼われ者の分際で・・・・ 口が過ぎました 申し訳ありません」
「それは立場がち――
何かを言いかけたアリスをポールが制した。
「あぁ、分かった。何も問題ない」
ゆっくり頷いたポールの眦が異常なほどに充血しているのにマサミは気が付いた。
毛深い顔立ちでは分かりにくいだろうが、ちらりと見える垂れ耳の内側も鼻先の奥に見える粘膜も。
どこを見ても真っ赤に充血している。
「ポール! ちょっとまて!」
「お前は見ているだけだ。すまんが諦めてくれ」
「そうじゃなくて!『いいんだ!』
振り返り大股で風呂場を出て行くポール。
「カイト! 剣を出せ! それとフェル爺さんに連絡だ! あいつらを生かして帰すものか!」
長く伸びた優雅な飾り毛を怒りに逆立てさせてポールが吼える。
第2種軍装の略装だったのだが、部屋に飛び込み担ぎ出したのは穿孔突撃用に仕立てられた重防護戦闘服。
真銀を繊維状にして編み上げた防弾チョッキのような上着とズボン。
そして、一握りの将兵にしか支給されないライフリングの切られたロングバレルの野戦戦闘銃。
一丁ずつ手仕上げで作られるこの小火器の威力はヒトの世界の自動小銃に引けをとらない。
一発ずつ手動で先込め装填する部分さえ眼をつぶればマサミの持つG3に比肩する威力だった。
「ポール!妻の事はいい!今はここの為に『それではいかんのだ!』
銃を背に担ぎ馬上用の長槍をラックから降ろすと穂先のカバーを取って刃先を見る。
「ここへ来ればこれが出来る。そういう実績を残されては困るのだ」
鋭利に仕上げられたその冷たく鈍い輝き。
波紋の続く金属地に向こうの景色が反射する。
そしてそこには肩からバスタオルを巻いたまま、濡れた髪を風に晒すカナ。
出口をふさぐようにして立っていた。
「カナ。報復してくる。そこをどくのだ」
「いいえどきません」
「いいからどけ!」
「どうしても行かれるなら先にそれで私を突き殺してください」
「なに?」
「昨夜の一件はもう終わったことです。私には私の役目があってそれを果たしただけです。なにも問題は有りません」
決然と言い放ったカナの言葉は迫力に満ちていた。
全ての結果は全ての行程の事象的終着でしかない。
「それとも、ポール様は私の努力が足りなかったとお怒りでしょうか?」
「いっ いや、そういうわけでは」
「では、私の努力を無駄にしないでください。私の役目ですから」
「・・・・カナ。お前の仕事は娼婦ではない」
「えぇ、もちろんです。私は婦長です。貴族の家の婦長は家と領地と領民の為に努力します」
「そうだな」
「夫が命がけで努力するように、私も同じ事をしただけです」
どこまでも冷静で、そして理詰めの言葉を浴びせるカナ。
「カナ。次に来る連中が同じ事を要求するかもしれないぞ」
「その時はその時です。ここが。スキャッパーが栄えるなら、私は喜んでそれをします」
「しかしだな!」
「ポール様は私とアリス様の領地領民とどちらが大事ですか?」
「・・・・・・・・!」
「私たちにしか出来ない仕事なら、それは逆に名誉ある事です」
「カナ・・・・」
「どって事ないですよ。次は私も楽しみます。だって、夫は年中妻以外の女を抱いてるんですよ?女だって良いじゃないですか」
あっけらかんと凄い事を言い放ったカナ。
だが、その言葉は精一杯の強がりだと気付かぬ愚か者などこの場にはいない。
どこまでもまっすぐにジッとポール公の眼を見るカナ。
その迫力にポールも根負けしたようだ。
「わかった。そうしよう。よくやってくれた。感謝する」
「ありがとうございます」
銃を肩から下ろし槍の穂先にカバーをかけたポール。
心底悔しそうで、それでいてどこか感心している。
「カナ。とりあえず着替えたらどうだ。その格好では寒かろう」
「はい。では」
バスタオル姿のまま2階に上がっていくカナ。
アリスがそれとなく指示を出し、キックが2階へ付いていった。
「マサミ。お前もずぶ濡れだな。着替えろ」
「あぁ、そうするよ」
「・・・・マサミ。女も強いな」
「全くだ。とこにここの女たちは強いよ」
朝食の支度を黙々と続けているメルがキッチンから顔を出す。
「執事様。あの、婦長様の分も用意した方が宜しいでしょうか」
「えぇ、もちろん」
「昨夜はお休みになってないようですが」
確かにそうだ。
メルの指摘にポールもアリスも気が付いた。
だが、
「いや、構わぬ。むしろ用意せねばカナは怒るだろうて」
「かしこまりました」
先ほどの口ぶりからしたら、昨夜の事などおくびにも出さず一日働くだろう。
ならばその意地を張り通させてやらねばならん。
「大したものだ。俺も精進が足らんな」
2階から何か笑い声がする。カナが楽しそうに笑っている。
張りつめていた緊張の糸が切れ、文字通り徹夜明けのテンションそのままなのだろう。
1階で待つイヌ達が天井を見上げる中、笑い声は続くのだった。
************************************************************************************************************************
「そうだったんですか・・・・」
カナの毅然とした態度に一番驚いたのはリサだった。
夜の事の顛末はある意味で予想の範疇だったのは間違いない。
しかし、ポール公を諌めて報復をとめさせたのは意外だったようだ。
「リサ。お前が同じ立場だったらどうするかね?」
ある意味で一番きつい質問が飛んだ。
ポール公も全部承知で問うているようだ。
「御館様・・・・ それではまるで」
ヨシがたまらず搾り出した言葉はつまり、ポール公が母と同じ事をするのを暗に求めているようにも聞こえるからだろうか。
「夫としては聞き捨てならんだろうな」
「・・・・えぇ」
「だがしかし、時には冷徹に職務に徹する事も必要なのだ。そしてカナはそれをした」
「そうですが・・・・」
ハイともイイエとも付かない言葉の真ん中で、ヨシは混乱してた。
そしてなにより。ポール公の行動を最初に押しとどめた父マサミの行動も不思議だった。
「父も母も。なぜそこまでして」
「分からないか?」
「はい」
心底分からないといった表情のヨシ。
だがリサとアーサーがある事に気が付いた。
「あ、そっか。お義母様もお義父様も議会の」
「そうだな。議会の側の査察官に対する配慮だったんだな」
二人の回答に満足を得たのだろうか。
アリス夫人は満足そうに笑みを浮かべる。
「正解よ。議会側の人間に軍に対して非協力的、または敵対的と言う情報を渡すのが怖かったのね」
「情報と言うものは独り歩きを始めたときが一番怖い。ついでに言うと、軍にも議会にも影響力のあったジョン公の都合でだ」
軍の後ろ盾を失ったとき、ポール公やバウアー将軍ら、比較的軍と関係の深い人間が立場を悪くするかもしれない。
悪くするだけで済めばいいが、場合によっては暗殺されるかもしれない。
軍部の深い重要機密情報を持っているのだ。
議会側への漏洩を防ぐために、適当な理由で粛清されるかもしれない。
マサミとカナはそこまでの思慮をめぐらせた。
冷徹なまでに肩書きに忠実であった父と母の若き日々の出来事。
自分と大して変わらぬ年齢だと言うのに、どうしてそこまでの事が出来るのであろうか。
「・・・・自信をなくします。父と母には敵いそうにありません」
ガックリとうなだれるヨシ。
そんな姿をリサは少しだけ可愛いと思った。
「ヨシ。それはな、仕方が無い事なんだよ」
「なんでですか?」
「俺やアリスはな、マサミとカナによって育てられたようなものだ」
「え?」
「その我らによって育てられるお前やリサや、ここで働くものたちが育つのにはそれなりに時間が掛かる」
「・・・・私たちは本質的に劣るのですね」
「ある意味そうかもしれん。認めたくは無いだろが、ヒトの世界と言うのは色々と遥かに大変なのかもしれんぞ」
「そうですね。父や母は誰に教育されること無くそれだけの事が出来たのですから」
どこかガッカリとしているヨシやリサや、それだけでなくアーサーも。
この世界の本質がヒトの世界より数段落ちる状況なのかもしれない。
やはり認めたくは無いし、認識すらもしたくない。
ただ、やはり。
生まれて育つ人間をどこまで教育できるのか?
それを考えれば教育と言うものの重要さをことさら認識するのだった。
「でもね、ヨシ」
アリス夫人は何かを思い出したようにしゃべりだす。
「あれはいつだったかしらね。マサミがカナを残して出掛ける時にね、こう言っていたのよ」
「なんと言ったのですか?ちちは」
「生まれてくる子供がどう育つか俺は見届けられないかもしれない。だから頼む」
アリス夫人の眼差しがまっすぐにヨシを見ている。
その眼差しがまるで母カナのようにも見えるヨシ。
「男でも女でも。大義の為ならば喜んで地下1000mの捨石と身を投げられる義の人間を育ててくれって」
「捨石・・・・ ですか」
「えぇ。自分の名誉はこれっぽっちと無くとも、必要ならば身を捨てて大義を取れる人間に」
ヨシは少し考えてからポール公を見た。
父無き今、ヨシにとってポール公は父と同義だった。
「御館様。自分は・・・・」
「ヨシ。それを問うてはならん。それは死んだ後になって残され生きる者がそれを評価するのだ」
「死んだ後ですか」
「そうだ。だからマサミはよく言っていたよ。ヒトの世界の戦の話。命を惜しむな名を惜しめ。死して尚その名を轟かす・・・」
ニヤリと笑ったポール公。
アーサーも何かを思い出す。
「士官学校の教本に書いてありましたね。それも中表紙に」
「あぁ、そうだ。命は軽く、名は重く。命惜しむな名を惜しめ。己を捨て大義に生きよ。そういう教えだ」
コンコン
「誰だ?」
アーサーの声が誰何すると、ドアの向こうから消えそうな声が聞こえる。
「・・・・あ あの ミーシャです」
アーサーの目が室内を一巡する。
特に問題ないようだ。
「は・・・・
そこまで言った時にリサの手がアーサーに重ねられた。
何を言いたいのかを瞬間的に理解したアーサー。
「入っていいよ。ドアはゆっくり開けるんだ」
「・・・・はい。失礼します」
本当にゆっくりとドアが開いて、その向こうから申し訳なさそうなミーシャは姿を現した。
「どうしたんだい?」
ヨシが出来る限り優しい言葉を掛ける。
だが、重厚な室内に揃う者達の視線が一斉に襲い掛かってくるミーシャには、その言葉ですらもきついようだ。
少しだけ涙目で口を僅かに震わせる。
「・・・・あ あの。 ミサさんが・・・・ ミサ様から婦長様をお呼びするようにと・・・・ 承り・・・・ました」
「うん、分かった。ミサはどこで仕事してる?」
「・・・・あ あの・・・・ 食堂の控え室です」
うんうんと笑顔で頷いてヨシはリサに視線を送ると、笑顔で頷いたリサが立ち上がった。
「ちょっと見てきます。失礼します」
ピシッと立ち上がって胸に手を当て会釈する。
メイドの正しい振る舞いをミーシャに見せてリサはドアへと向かった。
「サムさんはお帰りになったの?」
「だっ・・・・ 旦那様は先ほど御戻りになりまして、お部屋で書類を書いてられる筈です」
「そう。じゃぁ一緒に行こうね」
おどおどと落ち着かないミーシャの肩に手を置いてリサが部屋から出て行った。
その背中を部屋の住人が見送ったあと、ドアが閉まると同時に声色を改めてポール公が口を開く。
「どうするべきか散々迷ったんだが、ここで話をしてしまうことにする」
突然改まって離し始めたポール公。
その声色はいつに無く真剣だった。
「アーサー、ヨシ。これは・・・・ あなた達の胸のうちでとどめて置きなさい。絶対に口外しては駄目よ」
「それはヨシの兄弟たちも含めてですか?」
アーサーは冷静に聞き返した。アリス夫人の言葉が珍しく強い。
こんな事は滅多に無いだけに、アーサーはそれは不思議なようだ。
「そうね。この場に居る者以外は口外禁止」
「はい」
どんな話が始まるんだろう?
息をのんで待っているヨシとアーサー。
先に口を開いたのはポール公だった。
「先ほどの話。カナがえらいめに合った時の査察なのだがな・・・・」
かなり深刻そうな口ぶり。
ただ事ではない。
そう直感する。
「単刀直入に言うとね、今来ているサムはね。ヨシ、あなたの兄よ」
ポカーンと口を開けて理解不能と言う表情のヨシ。
同じくアーサーもポカーンと言った感じだ。
「あ、あの」
「理解しろって言うほうが無理よね。あの子は紛れも無くオオカミの血を引いてるから」
「ですよね」
「でも、そこには半分はヒトの血が入っているのよ。あの子の母親はヒトだったから」
「じゃぁ・・・・ オオカミの酋長の・・・・ 娘さんの・・・・」
「えぇ、その通りよ。酋長からはきつく口止めされていたんだけどね。ヨシ、あなたは知っていないと駄目。そして」
≪知っていても知らないフリをする≫
ヨシとアーサーの声が絶妙にハモッた。
息をぴったり合わせて。
「そう。分かっているじゃない」
アリス夫人は自らの執務机に腰を下ろし、子供たちを見ていた。
「今回と同じようにね。あの時も。およそ30年前もね、軍と議会が一緒に来たの」
「いや、あの時は議会が先だったな。まるで全部知っていたかのように現れて・・・・
************************************************************************************************************************
「あー おはようございますー」
午前10時のロッソム。
急ぐ人たちが過ぎて街も一息ついた頃だった。
いつものように紅朱館の周りを掃除していたカナの所に、ヨレヨレの安っぽいトレンチコートを羽織ったマダラの男が現れた。
「あ、あの・・・・」
あまりの怪しい風体に、思わず後ずさったカナの声が裏返る。
「あぁ、すいませーん。いえねぇ、ウチのかみさんも朝は掃除から始まるもんでね。つい声を掛けてしまいました」
「・・・・どちら様でしょうか?」
「あー すいませーん。 申し遅れました。わたしね、貴族院の資料制作室のね、巡回査察員をやってるセリオンと言います」
ヨレヨレで腰の無い安っぽい帽子をひょいと上げると、そこにはピンと立ち上がった耳。
毛の色はこれまた安っぽい灰色で、見るからに雑種の、しかもマダラ。
血統と家柄が全ての絶望的階級社会であるル・ガルでは最下層の最下層と言っていい領域だろう。
「あ、これは失礼しました。私は『スロゥチャイム公爵家婦長のカナさんですね』
え?っと言う顔で驚くカナ。
セリオンと名乗った安っぽい公務員は精一杯の作り笑顔で答えた。
「先ほど街の方々に聞き込みしまして、あ、聞き込みと言っても悪い事じゃないんですよ。生活指数と言いまして、暮らしぶりはどうか?とか、どのような仕事か?とかを聞いて回ったんです。そしたらね、こちらではヒトの執事さんと婦長さんが素晴らしく努力されてるとかで目覚しい発展を遂げられているそうですね、いやいや、本当に驚きました。いえね、ご覧の通り私はこんな人間でしてね、家に帰ればうちのカミさんにもっと良い仕事とはやし立てられましてね。いえいえ、もぉ羨ましい限りですよ。これだけ立派な仕事をされてるんじゃ婦長様も鼻が高いでしょうな。それにご主人たる公爵様がまた素晴らしい。英断ですよ。もうなんと言ってもヒトの世界の知識と知恵を使って地域発展をしようなんて、並みの貴族様方ではできっこありません。これはもう本当に胸を張って自慢されるくらい凄い事なんですよ。なんかもうそれだけで羨ましくて羨ましくて。あ、いえ、お気を悪くされないでください。わたしみたいな公務員の安月給じゃ国内を旅するなんて事は到底出来ないモンですからね。こんな仕事でもない限りこんな風にアチコチ行けるなんて考えられませんよ。でね、行く先々で素晴らしいものをたくさ・・・・・『あの、どのようなご用件ですか?』
黙っていればおそらく明日の朝まで独演会をしそうな勢いの査察官。
「あーーーー すいませーーーーん 悪い癖です」
おでこに指を当て顔をしかめる査察官セリオン。
カナはその仕草を見ながら心中で(刑事コロンボ)と呟く。
そして同時に(この人は筋金入りの曲者)だと思った。
「いえ、先ほどそこでね、この子が・・・・」
セリオンが紹介したのは5歳か6歳かにもみえるマダラの男の子。
同じくピンと立った耳が付いているものの、その毛色は暗闇の様に黒く、そして瞳は青空のように青かった。
膝を折ってスカートを折りたたみ腰を下ろしたカナ。自分の子が育っていたらきっとこれくらいだった。
瞬間的にそんな事を思ったカナだが、婦長の矜持を忘れるわけではない。
「あなたは?」
「僕は・・・・ ~輝ける祝福~ お爺様の言いつけで届け物に来た」
ネイティブネーム・・・・
この子はオオカミだ。
と言う事は、この上にあるクー族の・・・・・
「そうなの。で、何を届けに来てくれたの?」
「僕!」
「え?」
不思議そうに見上げるとセリオンも苦笑いしている。
「この子が言うには、オオカミのヒトのハーフなんだそうですよ」
「そんな・・・・ まさか」
「ですか、当人がそう言うのだから間違いないのでしょう」
再び少年を見るカナ。
「で、届ける相手はだれ?」
「オオカミと踊る男。お爺様はそう言われた」
「なんで?」
「お父様に会いに来た!」
オオカミと踊る男、それはマサミ。
そして酋長をお爺様と呼ぶ少年。
その少年はマサミを父と呼ぶ。
でも、風の噂にサリナさんは亡くなったと聞く。
じゃぁこの子は・・・・・
偶然生まれたマダラの子をそうやって育てたのかな?
いやむしろ、そう思い込んで酋長様が育ててるのかも。
で、社会経験を積ませるためにここへ・・・・
一瞬で色んな事を考えたカナ。
「そうなんだ。一人で来たの?」
「うん」
「どうやって?」
「歩いて」
立ち上がって山を見上げるカナ。
どう見ても5歳か6歳かの少年が一人でこれる距離じゃない。
だが、それはある意味でヒトの常識な範疇。
獣人たちにとってはこの程度朝飯前なのかもしれない。
「セリオンさま。普通あの山を一人で乗り越えられると思いますか?」
「どうでしょうねぇ。それこそ物心付いた頃から野山で遊んで育った子の感覚は私には分かりません」
もう一度膝を折ったカナ。
「じゃぁ、お父さんに会いに行こうか」
「うん!」
元気に返事をした少年がじっとカナを見ている。
「どうしたの?」
「母様凄く綺麗だ!」
「え?」
「僕!凄く会いたかった!」
万歳状態でカナに飛びついたマダラの少年。
「かあさま、すごく良い匂いがする・・・・」
抱きついてクンクンと鼻を鳴らす少年。
ズシリと重い体重だが、カナは不思議な感動に包まれていた。
そして
あれ?そういえばマサミさんと同じ臭い・・・・
疲れて汗だくになったマサミの発する体臭と同じ臭い。
女性だけが感じる独特の嗅覚がそれを捕らえる。
「いこう! ねぇ!いこうよぉ!」
「はいはい。行きましょうねー」
困った困ったの笑顔を浮かべカナはセリオンを見た。
そのセリオンも困ったような表情だったが、それでも笑みを浮かべていた。
「いやいや、懐かれましたな」
「不思議ですね。育たず死んだ子が生きていればこれくらいなんですが」
「じゃぁ本当にハーフかも知れませんね」
なんとも掴みようの無い笑みを浮かべて巡回査察官はカナたちを眺めている。
「ところであの。巡回査察といえば」
「あー そうでした。仕事を忘れるところでした。そんな訳で申し訳ありませんがこちらの地域の査察に参りました」
改めて居住まいを正しペコリとお辞儀するサリオン。
カナは釣られる様にお辞儀をする。
「お忙しい事と思いますが御領主さまにお取次ぎください」
「かしこまりました。ではこちらへどうぞ」
飛びついたオオカミのマダラを降ろして歩こうと思ったのだが、輝ける祝福と名乗った子供は抱きついたまま離れない。
「やだ!」
ギュッと抱き付いてイヤイヤをするオオカミの子供。
「はいはい」
ちょっと困りつつも歩き始めるカナ。
その後姿を見ながらサリオンが言う。
「ところで、軍の調査隊は既にお越しになりましたか?」
「いえ、まだですが?」
「そうですか・・・・」
少し黙ってしまったサリオン。
しばらく考えていたのだが、紅朱館の入り口あたりで唐突に切り出した。
「その子は私のアシスタントと言う事にしてください。少なくとも軍の調査の方には。あと、出来ればその子を彼らに見せないようにしてください。そうしないと色々と厄介が・・・・ と言うより面倒な事になりますから」
「あ、はい、かしこまりました。ただ、私の一存では承りかねますので公爵様らのお耳には入れますけど、よろしいですね?」
「えぇ、結構です」
************************************************************************************************************************
コンコン・・・・
再び良いペースで進んでいた話を唐突に途切れさすドアのノック。
「だれ?」
誰何するアリス夫人の声はちょっと残念そうだった。
「リサです」
「どうしたの?」
「失礼します」
ガチャリ・・・・・
「お食事の用意が整いました。明朝にはサムさまもこちらを離れられますので同席していただこうかとご用意したのですが」
「・・・・そう。良い判断よ。今から行きます。先に席を用意しておいて」
「かしこまりました」
ドアを閉め歩み去るリサ。
その足音が離れて小さくなっていくのを確かめ、アリス夫人はニヤッと笑う。
「ヨシもアーサーも。顔に出しちゃ駄目よ」
いきなり難しい事を要求されたなぁ・・・・
そんな表情でうへぇとなっているヨシ。
アーサーも困ったなぁと言う風だ。
「お前たちはこれからいくつもの修羅場を越えねばならん。その良い修行の場だ」
「そうね。頑張りなさい。なんせあの子は曲がりなりにも査察員よ。下手な芝居はすぐに見破ってカマを掛けて来るからね」
「議会の査察員と言えば情報調査にかけては百戦錬磨の剛の者が揃っている。うろたえるなよ?」
こんな時のポール公やアリス夫人は心底楽しそうな表情だ。
まずい事になったなぁ・・・・・
覚悟を決めて部屋を出るヨシとアーサー。
今宵のハードルはかなり高く険しいものになりそうだった。
*****************************************************6*****************************************************************
「公爵様もお人が悪い。既に話しをされていた後ならば先に言っていただければ」
ニコニコと笑うサムの笑顔が少しだけ狂気を帯びていた。
まんまと一杯食わされたヨシとアーサー。
絶妙の間合いで掛けた会話的な罠に2人ともすっぽり落ち込んだ。
「ねぇ?何の話?」
アーサーの隣で不思議そうに聞いているジョアンが我慢ならず声を出す。
問題の本質に触れず、しかし、重要な情報を相手が持っているかどうか確かめる真理的なトリック。
「いや、まぁ、その・・・・」
しどろもどろの応対しか出来ないアーサー。
ヨシは言葉を失って絶句したままだった。
「いえいえ、若奥様が気を揉まれる様な話ではありません。お気になさらず」
みすぼらしい姿だが百戦錬磨の査察官。
その辺の応対も一切ぬかり無い。
「それに、時と場合によっては知らない方が良い事もあります。いずれ時が来たら自然にお耳に入るでしょう」
優雅にワイングラスを傾ける仕草など、どこかの貴族の若旦那の様でもあった。
「参りました」
フッと力が抜けてそんな言葉が口をついたヨシ。
「お父上はもっと話し上手だったそうですよ。場数を踏むしかないですね」
まるで家族を見るような眼差しのサム。
ヨシはガックリとうな垂れている。
「あの・・・・ 私が聞いてはならないことでしょうか?」
リサもまた話しの真相を知りたいと言わんばかりに口を開いた。
その言葉にタダやミサやそしてマリアとマヤもまたジッとサムを見た。
「参ったわね。さて、今度はあなたの実力拝見かしら?」
調子に乗ってカマを掛けてしまったサム。
だが、時と場所を選ばないと周囲から逆に痛いところを突かれる事もある。
アリス夫人が仕掛けた罠も巧妙だった。
サムは子供達皆が知っているつもりになっていたようだが・・・・
「・・・・そういう事ですか。これは逆に一本取られましたね。御見それしました」
ますます話しの中身が見えなくなった子供達。
ヨシとアーサーの目が合って、瞬間的に何かアイコンタクトしたらしい。
「実は・・・・ 俺もさっき母上から聞いたばかりなのだが、こちらのサムさんは・・・・」
アーサーも核心部分を言うのに言葉が詰まった。
ヨシは諦観したように目をつぶってしまった。
「アーサー。そういう時はな、とっさに取り繕う事はするな。自信を持ってはっきり言えば良いのだ。サムが昔ここへ来たと」
え?
アーサーとヨシの目がポール公に集まった。
勿論、その他の子供達の眼差しも。
「そう、もう随分昔、まだヨシやアーサーが生まれる前にね。別の査察官と一緒に来た事があるのよ。だからこの子はこの城の知識があるし、あなたたちの事も知っているの」
「議会の査察官といえば皆が根無し草の拾われ赤子ばかり。ゼロから教育して育てていくにはそれが必要なのだ。だからこの子はその昔、父親代わりの査察官と共にここへ来た。ある重要な任務を負ってな」
「そう。あの査察官は・・・・ サリオンだっけ?」
アリス夫人とポール公はあっさりと嘘を付いて、しかしそれは誰が見ても一切の虚飾や不自然な部分が無くて。
踏んだ場数の違いで生み出される精神的余裕の象徴でもあるし、潜った修羅場の数の証明でもある。
絶妙に真実ですらも織り交ぜる話しのうまさ。些細な矛盾とて自信たっぷりに言い切れば訝しがられる事も無い。
そして、ニコリと笑みを向けられたサムにとってその笑顔は脅迫でもある。
上手く話しをあわせなさい。そう言わんばかりの表情にも読み取れた。
「セリオンです。でも、よく覚えていてくださいました。あの方から私は多くを学びました。自らの真実も」
「・・・・そうね」
少しだけ表情の曇ったアリス夫人。
険しい表情でやや俯き頭をボリボリと掻いたポール公がもう一口ワインを飲んで一息ついた。
次の言葉を息を殺して待つ子供達。
「私は根無し草ですよ。王都の浮浪者横丁のね。そのドブの中に捨てられていた雑種の・・・・孤児です」
深いため息を付いて目をつぶったサム。
「自分の親の顔を知らず自分の名も知らず。物心付いた時には王城のゴミ捨て場を漁って生きているみすぼらしい存在でした」
フッと顔を上げたその表情には淋しさとも悔しさとも付かない複雑な笑みがあった。
そして、それはどこか自嘲気味な、自らに対する出自の卑しさをあざ笑うかのような、そんな劣等感にも見えた。
「・・・・調査官というのはな。常に買収や脅迫の対象になる。それ故に、これの様に出の良く分からん子供を集めて教育を施し、そして議会の手足となるように育て上げる。そうしなければ家族やら兄弟やらを人質に取られたり買収されたりでな。危なっかしい」
ワイングラスの中身を揺らすように振りながら、やや酔った様な眼差しをアーサーとヨシへ向けたポール公。
だがそれは、重要な意味を持つアイコンタクトであり、相手が何を言いたいかを読み取れという試練でもある。
この先。アーサーとヨシは幾つもの試練を潜らなければならない。
いつ何時、アリス夫人とポール公が急逝してしまうかも分からないのだ。
何らかの事故や暗殺などで、急に所領を受け継ぐ事にでもなったなら・・・・
「俺やヨシと違ってサムさんはルーツが分からないんだそうだよ。だから・・・・」
「うん。なんか自分でもよく実感出来ないんだけど。その・・・・ 羨ましいって感覚が」
アーサーとヨシは精一杯の話しを考えたようだ。
ちょっと苦しいが、それでも可能な限りの言葉を並べたつもりだった。
ただ、確かな成長をしていたリサだけがその妙な言葉に違和感を覚え、そしてそれが場を取り繕う嘘だと見抜いた。
しかし、婦長たる者はそれに気が付いても口に出して言わないし顔にも出さずに乗り切る事が必要だ。
重い沈黙が訪れた部屋の中に、時計の音が響いた。
「ヨシ君はルカパヤン生まれのルカパヤン市民だし、アーサー君は立派な跡取りとして成長した。それが羨ましいって事ですよ」
完璧な表情まで作って場を乗り切ったサム。
常に買収や脅迫などの危険と隣り合わせの調査員にとって、ピンチを話術だけで乗り切る事は絶対的に必要な能力だ。
少なくとも、この場ではピンチを乗り切ったと言ってよいかもしれない。
「私の件で場をシラケさせてしまいましたね。大変申し訳ありません」
サムは胸に手を当てて頭を下げた。
側頭部辺りからピンと立ち上がっている耳たぶが左右へと僅かに動く。
何かを合図したと思われるのだが、偶然のようにも見える。
訝しがる子供達の空気を敏感に感じ取ってポール公が口を開いた。
「まぁよい。さて、時間も時間だ。随分話し込んでしまったな。お開きにするとしようか。お前は明日出立か?」
「はい。居心地が良すぎて長居をしすぎました。明日は峠を越えてラウィックへと入る予定です」
「そうか・・・・ あいつによろしく伝えてくれ」
何かを思い出したようなポール公が一瞬だけ遠い目をした後、何も言わずに立ち上がった。
つまり、今宵の食事会はお開きだ。
ヨシは素早く立ち上がってポール公のイスを引き、歩きやすく場を整えた。
リサもまた機転を利かせてアリス夫人の隣へと周り、食事に使ったナプキンを降ろして優雅なドレスの襟を整える。
まだ座っているアーサー夫妻の向こう上面。
タダはミサと共に場の片付けを始めた。
見事に統制の取れた、でも、無言で始まる一連の作業。
その姿をボンヤリと眺めていたミーシャにサムはそっと囁いた。
「婦長さまの指示を聞いて手伝いをするんだ。いいね?私は部屋に戻って仕事をしているから」
「・・・・はい、旦那様」
サムより先に立ち上がったミーシャがリサに指示を聞きに行った。
何かを話しているのだが、サムはそんな声が耳に入らない様子で、どこかボンヤリと眺めているのだった。
自分の口から出た言葉で自分が傷つく事は今までいくらでもあった。
だがしかし、自らのルーツともいうべき部分を自分で否定した事は今まで一度も無かった。
そしてそれは、事前に予想したよりもはるかにきついダメージなのだった。
その夜もふけた頃
サムが仕事部屋にしていた所へ突然ポール公が現れた。
「あ、これはポール様」
「スマンな、ちょっと邪魔をする」
部屋の中で寝床の支度を整えていたミーシャが直立不動で緊張していた。
「ミーシャ。さっきミサがお前を探していたぞ?風呂で待っているはずだから一緒に風呂に入ってきなさい」
まるで孫にでも語り掛けるような口調でポール公がそれを指示すると、ミーシャはサムを見た。
今にも泣き出しそうな表情のミーシャがジッとサムを見つめている。
きっと自分はここへ置いていかれるんだ。
そんな事が頭の中をグルグルと回っているのだろうか。
両目いっぱいに貯まった涙が今にもこぼれそうだ。
「先に風呂へ入っておいで。ゆっくりして来るんだよ」
「・・・・はい」
泣き出さなかっただけでも褒めるべきな程のミーシャが消え入りそうな小さな声で返事をして部屋を出て行った。
そのドアが閉まると同時にポール公は鍵をガチャリと掛けてしまった。
ドアから振り返ったポール公の表情は先ほどの好々爺ではなく、どこか戦に挑む騎士の緊張したそれだった。
「サム。お前の真実をアーサーとヨシに伝える」
「・・・・はい」
「俺が死んだ後、あの2人がここを受け継いだ時、あの2人に何かあったらお前にその処置と支援を頼む」
「それは心得ております。父が最後に私に言った言葉もそれでした」
「そうか」
ポール公は部屋の片隅に飾られた大きな姿見鏡の脇へと小さな鍵を差し込んだ。
小さく鈍い音がして。その扉ほどもある鏡がまるでドアの様に開く。
その向こうにはアーサーとヨシが立っていた。
「入れ」
サムの使っていたベットの回り。
ポール公を12時の位置にして、時計回りにアーサー、サム、ヨシの順番で並んだ男たち。
「これは我々4人のここだけの秘密の話だ。何があっても口を割るな。良いな」
緊張感溢れる強い口調のポール公。
その気迫に若いアーサーですらも気圧された。
「・・・・王都には。落ちたばかりの第1世代のヒトの女を捉えておく施設がある。そこでは失われた魔法薬を飲ませてヒトならぬ種族の男との間に子供を孕ませる実験を繰り返している。偶発的に生み出されるキメラ生物の研究をしているのだ。実に僅かな可能性だが、稀に生まれてくる恐るべき能力を持った者を議会の秘密機関が育てているのだ。軍が持っている特殊機関の兵士を越える生物の研究施設だよ。サムはな、そこではないところで偶然に生まれてしまった存在だ。だが、その存在が明るみに出てしまった以上は粛清しなければならん。それをな・・・・」
言葉に詰まったポール公。きっと何かつらく酷い話しなんだろう。
子供達はそう理解して次の言葉を待っている。
だが、実際はどんな話しをしたものかと思案に暮れているだけだった。
「まぁ、こればかりは自分から言いましょうか・・・・」
サムは頭を掻きながら笑みを浮かべた。
「実は、私の母もヒトですし父は・・・・マサミさん。つまり僕はヨシ君と兄弟なんだけどね。太古の魔道士、ウィルケアルヴェルティが残した魔法薬は母親の胎内で幾つもの魂を重ねて新しい命を作り出す錬金術の秘法中の秘法。重複魂の秘術を生み出す物だったんだ。マサミさんは事実上騙されて薬を飲んで、母と一夜を共にした。だが、子供は出来なかった。魂が足りなかったから。そして、母はおかしくなってしまってオオカミの集落の男達と狂ったように事を成した。それ自体も魔法薬の効果なのだが・・・・」
少し恥ずかしそうに言い切ったサム。
だが、少し頭を掻いて話しを続けた。
「しばらくして必要な数の魂が貯まって私はこの世に生を受けた。母親の腹を突き破って、母自身の魂ですらもこの身の中に収めてこの世へ。しばらくはオオカミの集落で育ったのですが、やがて手に負えなくなったようで、私はある人物の元へと預けられた。セリオンと言う議会の査察官。そして、その正体は私と同じキメラ生物。私はあの人と旅をしながら成長して行った。この身に備わった恐るべき能力に自分自身が恐怖しながら」
僅かな沈黙。
再び口を開こうとしたサムの先を取ってポール公が話し始めた。
「軍がサムの情報を得たのはまだオオカミの集落にいた頃だ。能力の全てを開花させる前に軍は身柄を欲しがった訳だ。貴重な研究対象だし、軍の秘密機関の兵士ですら太刀打ち出来ぬとんでもない戦闘力だ。軍としてはどうしても手に入れたかった。だからな、これとその親代わりの者がここスキャッパーへ来るときに、同じく軍も特殊機関の工作員を送り込んだ」
ポール公は深く深く溜息をはいた。
「お前たちに日中聞かせたカナの災難の話。あの日の午後、軍の調査員達は古い紅朱館へ直接やってきてこれの親代わりと直接話しを付ける算段だったようだ。俺もアリスもその場に居たんだが話しが上手くのみこめなくてな。隊長とその副長が俺やアリスを交えて話しをする中、特殊機関の工作員はこれを探して城内を歩いていた。身柄を確保するために」
「実は、私は父マサミさんの手引きでカナさんと一緒に古い物置の中の、枯れ井戸のある部屋で隠れていたんですよ。ですが、軍の調査官がね。臭いを頼りに探し当てましてね。で、まとめて見つかったわけです。で、マサミさんが私とカナさんを逃がすべく銃を抜いたら、調査官だと思っていたのが実は諜報局員だったって話しのオチなんですよ・・・・
************************************************************************************************************************
カナが食事を届けに行った翌日の午後。
サムとカナはマサミの手引きで旧紅朱館隣の廃屋然とした物置の地下へ隠れていた。
だが、軍の調査官もまたイヌ。その優秀な鼻を鳴らして臭いを探しだしていた。
軍の調査には無い秘密の施設。地下に隠された隠匿空間。
ドアを蹴破って部屋へと転がり込んだ時、カナは悲鳴を上げる暇すらなかった。
前夜、盛んにカナを揺らした若いイヌの男と、調査隊の紅一点な女が強行突入した地下室。
舌なめずりしてカナを見る男。
にやりと笑って目を細め、まるで値踏みでもするようにマサミを見る女。
「調査が不十分でしたな。まさかマダラの子を隠匿しているとは」
じっくり尋問しようと言い出したイヌの男と女。そのズボンの股間部分がムックリと膨らんでいるのが見える。
だが、次の瞬間。マサミとカナは信じられないものを見た。
”やめろ!”
大声で叫んだサムがイヌの男に飛び掛った。
子供に飛び掛られた所で、大の大人がどうとなるものではない。
そう、本来はなるものでも無い。
だが、サムの突進は常軌を逸脱した速度だった。
直撃を受けたイヌの男は後方へ激しく吹っ飛んでしまい、壁に頭を打ち付けてフラフラとしていた。
間髪入れずサムが殴りかかったもう一人のイヌの女。
彼女もまた一番良い角度から入ったサムの拳をまともに腹部へと受けてしまった。
小さな子供とてその小さな拳に力を込めて殴られれば、大の大人のみぞおちは致命傷の急所になる。
だが、そのサムの一撃は致命傷を通り越して一撃で絶命せしめるような強烈さだった。
後ろへ吹き飛んだその女は口から血の泡を吹いて倒れ痙攣している。
「やれやれ・・・・ ここに居たのか」
フラフラと立ち上がった男性の調査官が懐から取り出したのは小さな札入れの様な・・・・バッジホルダー。
「もう芝居は良さそうだな。俺は・・・・・ル・ガル治安維持局・・・・いやこの際はっきり言おう。お前を。いや、お前達を粛清しにきた諜報局員だ」
そう言いながらホルダーを広げる。
きらりと光る真銀で作られた4局のマーク入りのバッジ。
「事態をS級国家危機と認定する。お前は排除すべき国家の病巣だ。だが、大人しく協力すれば生かしておいてやる。お前たちを王都へ連行する」
冷たく言い放つイヌの口調に聊かの逡巡も無かった。
ぶれる事の無い視線-それは果てしなく冷たい眼差し-をジッと投げかけるイヌの調査官。
音も無く抜き放たれた両手持ちのロングソードが暗闇の中できらりと光る。
紅朱館の隣に立つ粗末な物置の地下。
既に枯れてしまって久しい井戸のある部屋で若いイヌの男と女がマサミとカナと、そしてカナの前で立ちはだかるようにしているサムを見ていた。
「それが嫌ならおとなしく切られるがいい。痛みを感じる前に死ぬ事が出来るだろう」
正気を取り戻した男が視線を逸らした先。
強烈な一撃を受けた調査員の女は痙攣したまま床に転がっていた。
もしかしたら一撃で絶命してるかもしれない。
小さく舌打ちして忌々しげに視線をサムへと向けた。
「情報通りだな。お前はやはり議会の査察員の素体だったか」
一歩踏み出した一番若いイヌの男の5m程先。
起き上がったサムは無表情のまま立っていた。
しかし・・・・
「僕は・・・・」
ゆっくりと壁際へ歩み寄りながら・・・・・・
「父さんに出会った・・・・」
その姿はゆっくりと変貌していく。
「母さんにも出会った・・・・」
4局から来たらしいイヌの表情が険しくなったのをマサミは見ていた。
静かに上げた左手でカナを自らの後ろに入れると、マサミは静かにベレッタのグリップへと手を沿えた。
「黙れ!」
怒気を含んだ調査官の声が地下に響く。
暗闇とほぼ同化したサムの姿はおぼろげであったのだが・・・・
その表情はマサミにもカナにも読み取れた。
「何をそんなに怯えているの?」
「だまれと言っているんだ!」
「僕はヒトの子なんだよ・・・・」
僅か1m足らずだったはずのサムはどう見ても身長3mほどに膨れ上がっていた。
倉庫代わりに使っていた地下室の天井に頭がつかえそうになりながらも見下ろすサム。
調査官が見上げるまでになったその体躯には薄焦げ色の体毛が生え揃い、頭にはねじれた角が見える・・・・
「僕の父さんも母さんも殺しちゃうの?アリス様もポール様も・・・・」
「国家反逆はS級犯罪だ。そしてお前は国家の病巣だ。お前を始末した後で協力者は全て排除してやる」
「ひどいよ・・・・」
少年の表情から笑みが消え、ヒトの男のようだった顔立ちはまるで雄牛のような形になった。
僅かに開いた口からは白い蒸気の様な息が漏れ、鋭く長い牙が口元に見えている。
4局のイヌの男は声も音も無く剣を構えサムへと突進した。
風のように素早い動きで切りかかり、その長い剣がサムの腹部を貫く。
「そうか、もう手遅れか。さぁ、殺してやるぞ化け物め!」
その長い剣の柄を持ち替え剣を回そうとしたのだが、まるで岩にでも衝き立てられたが如く、剣は微動だにしなかった。
「それは僕がいうんだよ・・・・。セリオンさんに聞いたんだ、おじさん達は作られた・・・・生き物」
長い爪を生やした両手でイヌの肩をつかんだサム。
イヌの男の方がギリギリと締め付けられ、マサミたちの耳には砕ける骨の音が聞こえる。
バキッ・・・・ベキッ・・・・
「ギャァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
勢いをつけて腕を伸ばせば、4局の諜報局員は剣の柄を手放さざるを得なかった。
「うるさいなぁ・・・・・ 僕は知ってるんだよ。おじさん達の秘密・・・・」
頭上高く持ち上げたサムは床へとイヌの男を叩き付けた。
固い石畳の床に打ち付けられバウンドして再び床へと倒れた調査官。
僅かに動けるようだが、しかし・・・・
「取るに足らない失敗作のおじさん。殺戮の夜へ・・・・ようこそ・・・・」
突然声が変わり、聞くものに本能的な恐怖を覚えさせる威圧感ある声が響く。
それと同時に、たどたどしい子供の言葉が消え、急に大人びた老獪な言葉に変わった。
転がる肢体の脛を掴んだサムが鞭でも振り回すように、そのイヌを壁へと叩きつけている。
「死にたくても死ね無いというのは・・・・辛いですね。さぁ殺しきってあげますよ」
鈍い音を立ててぶつかる壁には血のりが残り、割れた頭蓋骨からは脳漿が飛び散った。
もはや悲鳴すら上げる事も出来ず、身動きのとれないイヌの男はされるがままに壁へと全身を打ち付けられていた。
足を持って逆さまにぶら下げられた男。全身を痙攣させ泡を吹いて悶えている。
「なるほど・・・・大したものね」
ふと気が付くと、先ほどサムの強烈な一撃を受けて痙攣していたイヌの女がその光景を立って見ていた。
肩に羽織っていたグレーのコートをひっくり返しにすると、それはリバーシブルな漆黒のコートとなった。
ゆっくりと袖を通した彼女がゆっくりと口を開く。
「死ぬ前に教えてあげる。私はシンシア」
「腐肉を食らう狂犬の粛清を受け持つ局があるのだそうですね」
「・・・・少年。あなたにはもともと何の罪も無いのでしょう。あなたを産み落とした母と、種になったオオカミの父を恨みなさい」
「恨むなんてないよ。僕はヒトの子なんだもの」
「S級国家災害要員者としてあなたを排除しなければなりません」
「暗殺と粛清を受け持つ死神がいるのだとセリオン様は言っていた」
「あなたの存在は災厄でしかないのよ」
「僕の様な超越者を粛清する為に派遣されたのかな?」
「・・・・あなたは超越者なんかではなく、ただの・・・・歩く災害」
「でも、僕は知ってるんだGARM機関の真実を」
最初にシンシアと名乗った女性査察官は細身のレイピアを抜き放ち剣先に指を沿え小声で詠唱する。
――<ソレイ・ロ・リーエル・フルハ・ローエルリ・ホ・・・・・オン・・・・・>――
真銀で作られたレイピアが眩く輝き、短かった刀身はスッと伸びて刃渡り2m近いロングソードになる。
「まるでビームサーベルだな」
「嘘みたい」
カナもマサミもボソリと呟く。
2人の見ている前。
シンシアは鋭く一歩を踏み出すと飛燕の速さでサムの脇を駆け抜けた。
先ほどの4局に属する男もかなりの速度だったのだが、シンシアの足はそれを遥かに超える常軌を逸脱した速度だ。
一瞬遅れてサムの両腕が床に落ち、切り口からは銀色の血が噴き出る。
「すごいなぁ・・・・一瞬見えなかったよ。でも、もうダメだよ、僕の目はもう学習した」
まるで親と遊ぶ子供の様な笑顔のサムがニコニコとしながら振り返った。
「さぁ、次はどこを切り落としてあげましょうか」
「じゃぁ、もう一度腕を切ってよ」
サムの左腕の断面から真新しい腕がニョキッと生えてきて、掌をシンシアに見せながら開いたり閉じたりしている。
「化け物ね・・・・大したものだわ」
再び凄まじい速度でサムに駆け寄るシンシアだったが・・・・
「化け物はあなたでしょ?もっとも、あなたは単なる失敗作だけど」
サムはそう言いながら生えたばかりの左腕でシンシアを弾き飛ばした。
まるでボールのように弾き飛ばされたシンシアが太い柱に叩きつけられて床に落ちる。
そこへサムは突進して行って切り落とされていた古い左腕をまるでハンマーのように使い、上から激しく打ち下ろした。
しかし、僅かにシンシアの反応が早く、振り払った剣先はサムの古い左腕を切り裂く。
「凄いな。丈夫なんだね!」
どこと無く嬉しそうなサム。
裂き切られた古い左腕を惜しげもなくポイッと捨てて、落ちていた右腕を掴みあげる。
「さて、ゲームはこれからだね」
ニコニコと笑うサムはまるで棍棒でも振るが如く、柱にもたれたシンシアへ右腕を殴りつけた。
僅かにしなる強烈な一撃をまともに受けたシンシアは柱を半分砕きながら、反対側の壁まで吹き飛ばされてバウンドする。
「ほら、見てよ。これはあなた達失敗作には出来ないよね」
サムは切り落とされた右腕を元の場所に戻した。
ピタリと吸い付いた傷口が音も無く張り合わされ、サムは右腕をグルグルと回している。
「あなたは・・・・ 一体なんなの・・・・」
端正な顔を真っ赤な鮮血で染めたシンシアが立ち上がり、再び剣を構える。
おそらく全身の骨格が崩れているはずだ。骨折を含めた障害箇所は計上されている部分だけでレポート用紙数枚分だろう。
魔力強化された筋力でそれを補いながらも尚立ち上がる力があるのには、もはや驚くより他に無い。
立っているその場の足元に血溜りを作りながらも全身の痛みを無視し、腰を落として突進の体制になったシンシア。
サムはどこか小馬鹿にしたような、子供のような笑みを浮かべて手招きする。
「おねえちゃん もっと遊ぼう」
「化け物」
シンシアが最初の一歩を踏み出そうとしたその瞬間、サムは彼女よりもはるかに速い速度で一気に踏み込む。
治った右腕を拳にして殴りかかるのだが、彼女には受身の態勢を取る事もかわすことも出来なかった。
一瞬だけ見えたシンシアの絶望の表情。
巨大な鉄球に襲われたかのように、その細い体が壁へと押しつぶされる。
ゴフッ!
「結局、あなた達は使い物にならないからGARMへ送り込まれたんだよ」
サムの巨大な右手が人形を鷲掴みするかのようにシンシアを掴み、剣を握り締めていた右腕を左の指でつまみあげた。
「姿身は女の人だけど、中身は違うんだよね。ぼく達みたいな存在を目指して練り上げられた、呪われた生き物」
楽しそうに喋りながら、サムはジッとシンシアを見ている。
彼女は屈辱にまみれた表情でキツくサムを睨んでいた。
「・・・・なんて化け物なの」
「僕が化け物ならあなたも化け物だよ。だって・・・・、あ、いやゴメンネ、あなたは化け物じゃない。だって僕には敵わないもの」
ニッと笑ったサム。
頭からは角を生やし、身の丈は3mにも達する姿となっているのだが・・・・
「僕に敵わない単なる失敗作の消耗品だ」
「なんですって?」
「減耗を前提に使い捨てにされるただの戦闘要員。そして・・・・消耗品。失っても困らない存在」
グッと力をいれたサムの左腕がシンシアの腕を引きちぎった。
苦痛に顔を歪めるシンシアをジッと見ているサム。
ふと何を思ったか残された左腕にも手を掛けて同じように引きちぎった。
歯を食いしばって痛みに耐えるシンシア。
「僕は知っているよ」
サムの大きな手で掴まれたシンシア足は膝から下だけが見えていた。
そこへ手を掛けたとき、どれ程の苦痛でも音を上げないように作られたGARMの生体兵器は大声を上げて懇願する。
「やめてぇぇぇぇぇぇ!!!!!!」
しかし、シンシアはもはや正常な意識を手放しつつあった。
「アァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
多重に魂を搭載した彼ら・彼女らとて、その力は無敵ではなく・・・・
「イヌの王都にはヒトの女を捕らえておく施設があるんだよね」
有り得ない方向へ膝を捻じ曲げボキッと音を立てて引きちぎられた左の膝。
真っ赤な鮮血がこぼれて、シンシアは言葉ではない絶叫を上げている。
「どれほど嫌がってもヒトの女は犯されるんだ。どんなに懇願しても許してもらえないんだ。どんなに祈っても救いが無いんだ」
残っていた右の膝をもねじり落としたサム。
「誰かが決めた馬鹿馬鹿しい決め事で、ヒトは男も女も使い捨てにされるんだ。どんな奇麗事を並べても奴隷は奴隷なんだ。主の都合で殺されても文句を言えなくて。どれだけ悔しい涙を流しても救われないんだよね。遠い昔から何度も何度もそれを変えようとして色んな人が頑張ったけど、でも、ヒトが奴隷のほうが都合良い奴らはそれを邪魔してきたんだ。男でも女でも子供でも大人でも、姦して姦して気がふれて自分から死ぬまで姦して姦し続けて。それを見て笑って喜ぶ変態達が、小さな男の子や女の子が泣き叫んで赦して欲しいって喚く姿を楽しみ続けるために・・・・」
そのままポイッとゴミの様に床へと投げ捨てられたシンシアは、両腕も両足も奪われ芋虫のように這いずるしか出来ない。
だが・・・・
――<エロ・エロシア・エル・パラパ・エル・エオリア・・・・・・
「ダメだよ!自爆なんかしちゃ! ゲームはこれからなんだ! 僕が殺しきるまで死んじゃだめ!」
サムの右腕がシンシアの顎を掴み、グッと力を入れた瞬間にシンシアの下顎が完全に握りつぶされた。
「ヒトの女に魔法薬を飲ませて捕らえておいて、対になった魔法薬を飲ませた何人ものイヌの男に何度も何度も強姦させるんだよね」
絶望の表情を浮かべたシンシアだが、それでもまだ目には力があった。
何かを企んでいる。 マサミもカナもそう直感しているのだが。
「そして、ヒトの男にも薬を飲ませて同じように犯させるんだ。子を産ませるために」
これ以上無い怒りの表情を浮かべるサム。
握り締めた手にグッと力が入り、苦悶の表情を浮かべたままシンシアはそれを見上げている。
「ぼくの様な・・・・化け物を作り出す為に・・・・ 幾つもの魂を重ねられて生み出される・・・・ 本物の化け物」
シンシアの眼差しがサムを貫く。
そこには諦観も観念もなく、ただ単純に存在する・・・・『殺意』と『敵意』。
「でも、何度やっても産まれてくるのは単なる失敗作ばかり。あなた達みたいな生体兵器は出来ても、ぼくらみたいな存在は作れなかったんだよね。遠い昔の偉大な魔法使いが残した魔法薬を使わない限り、僕らみたいな本物の化け物は生まれない。そして、その魔法薬を作る手段は世界で一番偉大な渇望の狼福王、リュカオンによって失われた。リュカオンの友だったウィルケアルベルティが残した危険な魔法薬は世界中に流れていって、それをリュカオンは全部回収したんだ。世界がその薬で壊れてしまう前に、自らの手を血で染めて、世界中を焼き払って、自分が悪者になって・・・・ リュカオンはヒトを救いたかったんだ」
ボロ雑巾のようになったシンシアを担ぎ上げてサムは振り返った。
「あなたも生まれてきてはいけなかったんだ。偽物の薬で生み出される失敗作でもイヌの国には大事な戦力だから大事にされるんだって。でも。それを産み落とすヒトの女は使い捨て。だって・・・・ 僕の様に・・・・ お母さんのお腹を突き破って生まれてくるから」
唖然とするマサミたちを気にせず少年は語り続ける。
「セリオン様は言ってた。イヌの王都の研究所にはヒトの女がたくさん捉えられてるんだって。手も足も舌も切り落とされ、ただの道具にされて生かされている。誇りも尊厳も奪われて、ただの道具にされているんだ」
大きな姿の少年がマサミとカナを見る。
異形の生物となったオオカミのマダラの少年。
だが、その眼差しはどこまでも純粋で綺麗に透き通っていた。
「軍はお父さんとお母さんを欲しがったんだ。でも王都へ連れて行かれれば殺されちゃう・・・・だから」
芋虫になったシンシアを無造作に掴んで再び床へと叩きつける。
グエッともンゴェとも付かぬ声で痛みに叫ぶシンシア。
だが、少年はそれを気にすることなく足で踏みつけた。
あまりに凄惨な光景。
だが・・・・・
ドサッ・・・・
無敵の力を欲しいままにしていたサムが突然に倒れた。
身の丈3mはあったと思われた姿がスーッと縮んでいって、僅かな間に慎重1m足らずな少年の姿に戻ってしまった。
「ダメだ。時間切れだ。僕にはまだ姿を維持する力が無い・・・・」
フッと意識を失って眠ってしまったサム。
慌てて駆け寄ったマサミが抱き起こし頬を叩くのだが、全く目を覚まさないで居る。
「死んじゃったの?」
同じく駆け寄ったカナがサムの体を抱き寄せて背中を叩く。
だが、サムは全く目を覚まさないうえに、スヤスヤと寝息を立てて眠っていた。
そして
「・・・・クソ ・・・・忌々しい化け物め・・・・」
フラフラになった状態で立ち上がった4局の男。
両足とも複雑に骨折し、筋肉の間から骨が肉を突き破って飛び出ている状態だ。
しかし、その状態で尚、全身の筋肉と骨格を魔法で補強して立ち上がるのは、凄いとか素晴らしいとかではなく、おぞましい光景。
「殺してやるぞ おまえら」
全身の穴と言う穴から血を流し、右目は眼球ごと失われている。
左の腕は肩から下が有り得ない方向へ複雑に変形し、右の腕は肘が反対側へ曲がっていた。
その状態で更に戦闘を行うと言うのか・・・・
マサミは考えるより早くベレッタを抜いて、両足から飛び出している骨目掛けて銃弾を打ち込む。
魔法で強化された両足への打撃に男は奇妙な絶叫を上げながらもヨタヨタと近づいていた。
マサミは手を緩めず銃弾を打ち込み続ける。
十発以上の弾丸を打ち込まれバランスを崩し床へと崩れかけたイヌの男。
ヨタヨタフラフラとしていたイヌの男はついに自立が困難になって膝を付いた。
だが、その行為は折れた骨によって自分を傷つける行為の一環でしかなかった。
再び絶叫を上げて悶える。
そして・・・・
「死なないんじゃない。死ね無いのか」
正常な意識ですらも手放したイヌの男は呪詛の言葉を吐きながら転がってでも近づいてくる。
その有り得ないほどにグロテスクな姿はカナに卒倒を起させかけるほどだった。
「苦しいだろ・・・・」
イヌの男が使っていた剣を拾ってきたマサミは男の首に向かって剣を振り下ろした。
最低の感触が手に伝わる。腱や筋肉や骨を絶つ手ごたえ。
剣で切られた男は苦悶の表情を浮かべながらもまだ生きている。
「外傷では死なないのか・・・・」
剣を再び構えたマサミは男に向かって力いっぱい剣を振り下ろした。
首の幅半分程に深く切られた男はモゾモゾと部屋を動いて枯れ井戸の淵に立つ滑車の柱にもたれかかった。。
返り血を浴びて赤く染まったマサミが振り返ると、さっきの例のイヌの女が下あごの無い顔で器用に笑っていた。
それなりに修羅場を見たマサミまで思わず卒倒し掛ける程のグロテスクさ。凄惨さだ。
「あなたも死ねないのか」
女は僅かに俯いたように見えた。いや、頷いたのだろう。
どれ程の痛みを感じているのかはわからないが、もはや正常な意識など望むべくも無い。
その目が何かを訴えかけているのが読み取れる。マサミはサムによって芋虫になったシンシアに歩み寄った。
肘までは残る両腕を広げ、まるで愛しい男を迎えるように笑みを浮かべるシンシア。
マサミは何も言わずシンシアを抱き上げると、4局のイヌの男がもたれて立っている井戸に近寄った。
「これしかないか・・・・」
もたれかかった男に女を押し付けて井戸の中へ落としたマサミ。
それほど深くは無い井戸だが、それでも底までは3mはある。
さて、どうしたものか・・・・
「カナ。キッチンへ行って火の起きている炭を炭桶に入れて持ってきて。出来れば洗面器一杯」
「投げ込むの?」
「いや、それじゃ死なないと思う」
「じゃぁ・・・・・ まさか・・・・ うそ・・・・ ダメよそれは!」
「でも・・・・ それしかない」
抱きあげていたサムをそっと床に降ろしたカナは自分の上着をサムに掛けて地下井戸の部屋を出て行った。
それと入れ替わるように入ってきたのは・・・・・
「あぁ、どうも、御主人。いやぁ、しつこいってのは嫌なものですねぇ」
にっこりと笑う査察員は井戸の近くへ歩み寄る。
「ほぉ!始めてみました。ヒトってのもたいしたものですね。ここまでのダメージを与えるとは」
「あの、あなたは」
「すいません、申遅れましたね、改めて自己紹介しましょうか」
昼行灯な風体のマダラな男はそう言って帽子を取った。
「国家安全保安院の危険予知管理課にあります巡回調査管理9局のセリオンと言います」
セリオンはもう一度井戸の中を覗き込む。
「普通の方法じゃ彼らを殺しきるのは不可能ですよ。そういう風に作ってありますから」
「あの、彼らは一体どんな生き物なんですか?」
「あなたがそれを知る必要はありません。ただ・・・・」
ニコッと屈託無く笑ったマダラのイヌの男。
だが、その瞳の色はまるで魔界の底の暗闇の様に暗かった。
「本来ならその少年を回収し、この井戸の底で死ねずに居るイヌを処分するのが私の役目なんですがね、あなたが処分してくれたから手間が省けた。私は軍じゃなく議会のイヌです。GARM機関を監視し、時には彼らが暴走しないように抹殺して歩いているんです。だから巡回査察員」
「GARM機関・・・・・」
「他言無用に願います。それが出来なければ、あなたも抹殺される。彼らの目と耳と手は長い。ヒトを粛清するのは簡単です」
厳然と言い放った恐るべき言葉。
特殊機関の存在を薄々は感づいていたのだが、まさかこんな形で遭遇するとは思わなかった。
「彼らをこんな目に合わせたのはサムですよ」
「なんですと? ではあの子は既に・・・・」
「仰っている意味が私には良く分かりません。ただ、今ここで見た出来事は俄かには信じられない事です」
「・・・・誰にも言わないと約束してください。そうでなければ・・・・」
冷たい口調で詰問するセリオン。
「分かりました。約束します」
「それで良いのです。誰しも生きていれば墓の中まで持っていく秘密の一つや二つはあると言うものです・・・・
************************************************************************************************************************
さらっと凄い話しをしたサム。
その話しを聞いていた子供達は言葉を失っていた。
何となく聞いて知識としては知っていた軍の特殊機関の存在。
議会が持つ査察官の本当の存在理由。
それぞれが暗闘し、内部で壮絶な権力闘争を繰り返している軍と議会の関係。
だが、何より一番驚いたのは、サムの口からマサミとカナを父さん母さんと呼んだことだった。
「じゃぁやっぱり サムさんは俺のあ・・・・ 兄貴なんですか?」
ちょっと裏返った声のヨシが搾り出した声は驚きに満ちていた。
サムはどこか寂しそうに笑って頷いた。
「こんな化け物だが、でも、君とは血が繋がっているらしい。いつも君のことを思っていたよ」
サムの手がヨシの肩を抱き寄せた。
その腕はまるで父マサミのようだった。
力強く、そしてやさしい腕。
「その枯れ井戸に投げ込まれた軍の特殊機関のイヌなんですが」
その姿を眺めていたアーサーは唐突に切り出した。
「多分君が想像したとおりの結末を迎えたよ」
「では、やはりマサミさんは火の起きている炭を井戸の空中にかざして」
「あぁ、そうだ。彼らは酸欠で死にかけた」
酸欠・・・・
その言葉の意味を知らないわけではない。
ただ、あまり科学的な知識レベルの高くないル・ガルにおいて、炭と酸欠の因果関係を正確に理解できる理系インテリのイヌは、この場ではヘンリーしか居なかった。
酸素が欠乏すれば、段々と意識を失って死んでしまう。
その事実だけを軍事教練の一環で教えられたアーサーは、ただ単純に酸素が無くなれば死ぬとしか考えることが出来ない。
「さぞ、苦しかったでしょうね」
「いやいや、それがね・・・・」
サムはもう一度寂しそうに笑った。
だが、その笑みが途中で凶悪な悪魔の笑みに変わる。
「彼らは最後まで呼吸する努力をしていたんだが、やはり死に切れなかった」
「そうなんですか? じゃっ・・・ じゃぁ・・・・」
「実は僕もその時点ではまだ死ぬと思っていたんだけど。すべての魂が死ぬまでは死ねないんだ」
燃える炭を少しだけ井戸の中へ入れれば、軽い酸素をドンドン消費して、重い二酸化炭素が井戸の底に溜まるのは道理。
神経毒や麻痺性毒等と違って、ガス交換をする上で必要な酸素が無くなっていく事は生物ならば避けられない死だ。
そして、炭が燃えて酸素が減少していけば炭は不完全燃焼を起こし一酸化炭素を生み出してしまう。
どんなに解毒魔法を行使しても抜ききれない毒性気体。
細胞に直接作用する毒ではなく、細胞の求めるものの供給を遮断してしまう毒に対する魔法など有り得ない。
皮肉な事に、強靭な肉体が求める要求酸素量は普通の人間と比較して何倍にもなる彼らだ。
僅かな量の一酸化炭素・二酸化炭素でも簡単に死に至る。
強化人間を作り出した者達の予想した耐久するべき事象を遥かに越える予想外の事態。
「ここを離れる前、マサミさんは僕にこう言ったよ。ヒトの世界でね、様々な生き物を薬殺処分する時はこうやって酸欠状態にして楽に殺す安楽死が行われる。ヒトが虐げられるのはその報いかもしれない・・・・ とね。でも、それは安楽でも何でもなく、苦しくて苦しくて、でも、体が動かなくて、本当に苦しくて。楽な死に見えるのは、殺す側が辛い現実を見なくて済むってだけなんだって」
小さく溜息をついたサム。
しゃべるがままに任せて黙っていたポール公がもう一度くちを開いた。
「実はな。俺とアリスの所にいた軍の調査官はセリオンが一瞬のうちに始末してしまったのだ。そして、その井戸の部屋へと駆けつけたときには既に全部終わった後だった」
終わった後?
何のことだ?
疑問に満ちたアーサーとヨシの眼差しがポール公に注がれる。
その問いに答えるように、サムは再びしゃべりだす。
「少し経って意識を取り戻した私はね、セリオンさんにこっぴどく叱られてね」
クックックとかみ殺した笑いがサムから漏れた。
なにがそんなにおかしいのか?
ジッと見つめるヨシの目を見てサムは言った。
「結局そのイヌたちも死に切れなくて、で、食べちゃったんだよ。私が」
「え? それは?」
「今、君が想像したとおりだよ。その男と女の魂を僕が食べちゃった。多重搭載は出来ても、他の魂を取り込むなんて事は僕達にしか出来ないからね。で、その男と女が持っていたおまけの方の魂を一つずつ僕の中で殺していって、最後に彼らの本体だけを残してあるんだよ。それらは僕の魂のスペア。身代わりとして」
俄かには信じられない、理解出来ない、想像の遥かに斜め上を行く事を聞かされたアーサーとヨシ。
上手くそれらを消化出来ず、混乱を極めていた。
だが、嘘かそうで無いかはこの際問題じゃない。
本当に重要なのは、今、目の前にいるこの化け物と自称する男が敵か味方かなのだろう。
「サム。すっきりしたか?」
「はい。お蔭様で」
ポール公の手がサムの肩を叩いた。
その姿にアーサーもヨシも、今の今までサムが背負ってきた重荷の辛さを理解した。
「ヨシ君。僕はね、父マサミさんから一つ頼まれている事がある」
「それはなんですか?」
「君やアーサー君や、この城の子供達を守って欲しいと。だから、死ぬまでその責務を果たすつもりだよ」
「・・・・サムさん」
「兄だから・・・・なんて事を言うつもりは無い。だから、君も僕を兄と思わなくて良い。ただ、僕はね、化け物と言わず息子よと言って抱きしめてくれたマサミ父さんとカナ母さんへの恩義として、その責務を果たす。僕は根無し草だ。何処まで行っても天涯孤独だ」
寂しそうな笑みではなく、晴れやかな笑顔がそこにはあった。
自信に溢れた笑みだ。
アーサーはそれがたまらなく眩しかった。
なぜならそれは、彼自身がどれ程頑張っても太刀打ちできない圧倒的な力に裏打ちされた自信に見えたから。
「サム・・・・ さん・・・・」
「アーサー君。いや、違うな。次期領主のアーサー様。そんな訳でひとつ・・・・ よろしく」
ニコリと笑って手を差し出したサム。
アーサーは出来る限り平静を装って手を差し出そうとして、その手を父ポール公に蹴り上げられた。
「バカ息子!もしサムの手に何か付いていたら、どうするつもりだったのだ」
「しかし!」
「しかしもカカシも無い!」
唖然とするアーサーをサムは笑ってみていた。
ガチャ! ガチャ!ガチャ!
唐突に響いたドアのノブを回す音。
瞬間的に部屋の中が静まり返った。
「どなたですか?」
平穏な声色のサムが誰何する。
すると、ドアの向こうから気の抜けた声が聞こえた
「あ、夜分遅くにすいません ミサです」
「・・・・ちょっと待ってください」
発作的に時間稼ぎをしたサム。
その間にポール公はアーサーとヨシを鏡の向こう側へ押しやって鍵を掛けた。
「おい、サム。剣を抜け」
「はい」
小声で指示を出したポール公。
サムも迷わず剣を抜いた。
そしてそのままドアの鍵を開ける。
ガチャ
「遅くにすいま・・・・ 御館様?」
「おぉ、ミサじゃないか。どうした?」
「あ、あの。ミーシャちゃんがお風呂の中で泣いちゃって・・・・」
困り果てた姿のミサ。
その背中に抱きつくようにして泣いているミーシャ。
「どうしたんだい?」
ヒック ヒック
「・・・・旦那様に ・・・・旦那様に捨てられるのヤです」
真っ赤に泣きはらした目で訴えられたサム。
ちょっとだけ狼狽したものの、すぐに柔らかな笑みでミーシャを手招きした。
「そんな事する訳無いじゃないか」
ミサの背中を突き放すようにして走り出したミーシャ。
そのままセミのようにサムの傍らへ飛びついた。
「だって、お部屋の中から追い出されました!」
「違うよ、ほら」
サムは抜き身の剣を見せた。
「ミーシャは心配性だな。今な、俺がサムに剣の稽古をつけていたのだ。外でやれば問題だし、狭い部屋の中では怪我をしかねん」
ポール公がやさしく笑っている。
その笑顔にミーシャが少しだけ落ち着いたようだ。
「サム、今宵はここまでにしよう。ミーシャが心配しとるでな」
「はい。お世話になりました。もっと剣の腕を磨きます」
「そうじゃな。次に来る頃は俺が負けるだろう。それまでにうちのどら息子を鍛えておく」
「よろしくお願いします」
ちょっと大げさに剣を収めたサム。
ポール公は肩をトントンと叩きながら部屋を出た。
「あぁ、しんどいな。歳はとりたくない無いもんだ。ミサ。行くぞ」
「あ、はい、御館様」
手を振ってポール公は部屋を出て行った。
その後をミサが続く。
重い音を立てて客間のドアが閉じられた。
中からまた泣き声が聞こえる。
「御館様。ミーシャちゃんあれじゃぁ・・・・」
「うむ。ちょっと困った娘じゃな。アリスと相談するでな。今日はもう部屋へ戻れ。ご苦労だった」
「はい。おやすみなさいませ」
立ち止まったポール公にペコリと頭を下げてミサは階段を下りていった。
そのすぐ脇。大きなタペストリに隠れた秘密通路の扉からアーサーとヨシが姿を現す。
「父上。あの、先ほどのサムさんの話ですが」
「なんだ?」
「リュカオンの話は本当でしょうか?」
「そんな事、俺が知るか。真実であるかどうかなど関係ない」
「え?」
「オオカミはそう理解している。それはネコの理解と違う。我々とも違う。それだけだ」
「しかし・・・・」
何かを言いかけて言葉を飲み込んだアーサー。
気になる話ではあるし、それに、真実を知りたくなるのは仕方が無いことなのかもしれない。
「良いか?アーサー良く聞け。ヨシもだ。真実はきっと一つだろう。だがそれを解釈する方法はいくらでもある。一枚のコインの表と裏がそれぞれ相手をなじって自分が本物と罵りあうようなものだ。事実と言うのは一枚のコインでしかない。それと同じだ。どんな側面があるにせよ、行った事象の結果で今も我々は苦しい立場にある。その真実から目をそむけてはいけないのだ。2000年も前に起きたことが真実かどうかなんて事を研究するのは考古学の学者にでもやらせれば良いのだよ。俺やお前達は領民の暮らしが安定し所領が発展することを第一に考えよ。それ以上の意味は我々には関係ない」
すこし乱暴な話し方だが、それでもポール公は偽らざる本音を言った。
遠い昔の出来事がどうであれ、未だにスキャッパーは、ル・ガルは、イヌの国は餓えているのだ。
そしてまた、オオカミの国は自然環境が厳しい所にあり、その中で一定の繁栄を保っている。
納得出来なくとも、事実は事実として理解する。
それがどれ程受け入れ難き事だったとしても・・・・
「ところで御館様。あの子はサムさんの所に置いておいたほうが」
「そうだな・・・・・」
「ミーシャをここへ置いておくとなると、色々と・・・・ 面倒が起きるかもしれません」
何か考えがあったはずなのだが、それはどうやら上手く行かないらしい。
どこか苦虫を噛み潰したような表情をポール公は浮かべていた。
今日一番の重い沈黙。
アーサーとヨシは一礼してそそくさと部屋へと戻っていくのだった。
「・・・・分かっておる」
第11話 Bパート 了