猫耳少女と召使の物語@wiki保管庫(戎)

犬国奇憚夢日記11c

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匿名ユーザー

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「あの子は・・・・ どうしたものかしらね」
「・・・・難しいな」

 深い溜息を一つついてアリス夫人は振り返った。
 豪華な設えの大きなベッドに腰掛けて、爪の手入れをしていたアリス夫人の手が止まる。

「リサの話では、ミーシャをここへ置いていくとはとても言い出せない状況みたいだわね」

 一人寝酒を煽りながら、ベッドサイドの小さなランプで書類を読んでいたポール公と視線を絡ませる。

 共に手詰まり。

 リサの報告によれば、ミーシャはかなりの部分で生活力に欠けている事が分かった。
 そもそも、自分で自主的に判断すると言う部分が絶望的に欠如している。
 誰かしらの指示を受けないと動きがギクシャクする始末。

 どうしたものかと思案しているのだが・・・・

  コンコン

「だれ?」
「リサです」
「入りなさい」

 ガチャリ

「リサ、こんな時間にどうしたの?」
「あの・・・・ 査察官様とミーシャちゃんの件なんですが」

 なんとなく思いつめている表情にも見えるリサ。

「遠慮なく言って御覧なさい」
「はい。あの、実は」

 言葉を選んでリサはしゃべり始める。
 数日前の朝、覗き窓から見た事。そして、ミーシャの仕事中の事。

 報告書に書いたとおり、ミーシャは文字通り何一つ自分の判断で適時対応する能力が欠けていた。
 そして、査察官サムが帰ってくると何も無かったとしても抱きついて泣き出す始末。

「私の教え方がまずいのでしょうか」

 思案に暮れているリサのその心配そうな表情。
 アリス夫人の知る限り、リサのそんな表情を見た事はあまりない。

「まぁ、のんびりやれば良いわよ。誰だって最初は戸惑うものよ」
「でも奥様。あの子は多分・・・・」
「あなたの心配する通りね、多分だけど。でもね」

 何かを言おうとしたその矢先。
 唐突にドアを開けてアーサーが入ってきた。

「母上。父上。まだ寝てなかったようですね。良かった」
「・・・・ほんとうにお前はノックすると言う事を覚えんな」

 突き刺さるかのようなポール公の叱責にアーサーは一瞬だけ怯む。

「申し訳ありません父上」

 言葉に詰まり先を取られアーサーは次の一手を見失った。
  だが、僅かな沈黙がかえって落ち着きを呼ぶ事もある。

「実は先ほどヨシと話をしたのですが」

 出来る限り心中の同様を見透かされぬよう、背筋を伸ばし姿勢を整え。
 何処か遠くを見るような眼差しで平然と言葉を発した。

 だが

「あの男の娘の事だろ?」
「・・・・はい」

 暗い中にベッドサイドの明かりだけが煌々と燈る部屋。
 やっと目が慣れたアーサーはこの時点でリサが在室である事に気が付いた。
 アリス夫人と話し込んでいるその様子から、おそらく話のネタは同じであることが容易に想像付くのだった。

「あの娘をここに残して行かせようと思ったけど、諦めたほうが良さそうね」

 どこか残念そうで、でも、ホッとしたような口調のアリス夫人。
 肩甲骨の下まで伸びた髪を丁寧に束ね、右肩越しに前へとはだけさせた。

「あの、奥様」
「どうしたの?」
「あの子はもしかして私と同じ境遇では?」
「・・・・やっぱり分るのね」

 少し俯いたリサが小さく溜息をついた。
 細い肩がより一層ちいさくなったようにも見える。

「或いは私も・・・・ ああなっていたのでしょうか」
「それはどうか分らないけど。でも、そのように育てられたヒトの娘は確かに存在するって事ね」

 重い言葉に気分が沈む。
 リサの華奢な両肩にズシリと重い錘が乗った。

「明日以降、あの男と娘の処遇について話をする。それまで不用意な接触は避けよ。それと、あの娘をあまり追い込まぬようにな」

 グラスに残っていたウィスキーを溜息と一緒に流し込んで、それから一つ。
 大きな背中が小さくしぼむように深い溜息をついた。

「出来ることなら俺はヒトを救いたい。出来る限りな。それがアイツとの・・・・ マサミとの約束だ。 だが・・・・」
「そうね・・・・ こればかりはどうにもなら無いわね」
「あぁ。あの娘自身の問題だからな。本人がどう思うかにかかっているだろう」

 領主夫妻の会話からも、未だにマサミの名前が出てくる事に、アーサーは新鮮な発見をした気がした。
 死してなお影響を及ぼすと言う事の凄さと深さを垣間見る。

「そういうことだ。二人とも、うまく立ち回れ。わかったな」

 威厳のある声だが、その表情には優しさがある。
 言葉を言い放ってからの無言が、暗黙のうちに退室を促していた。

「おやすみなさいませ」

 部屋の隅。キチンと腰を折って右手を胸に添えて。
 機械仕掛けの人形のようにお辞儀をして部屋を出て行くリサ。

 その姿を見ていたアーサーには、その動きまで含めたヒトの女の全てがまるで人形のように思えていた。



 その翌朝。まだ静けさの残る城内で一つの事件が起こった。
 前日の夜には城の中に居たはずのサムとミーシャが忽然と姿を消していた。
 当然の様に最初の大目玉は城内警備主任であるエミールの頭上へと落っこちる。

「言うまでも無い事だが」

 怒っている・・・・・
 確実に怒っている。
 それも、半端なく怒っている。

「必ず見つけ出せ」

 やや薄くなり始めた頭髪を逆立たせて吠えるポール公の怒声にエミールは直立不動で答えた。

「はっ!」

 城内をヨシとリサそれぞれが配下の者を連れ、くまなく歩いて探している。
 2人だけではない。アーサーはマヤを連れ、万が一のために一個中隊の銃兵を従え城下町の店や業者の家々を回っていた。
 それもあまり穏便ではない方法で、しかも、一切の遠慮なく。容赦なく。

 朝食時の家のドアなど構わず蹴り開けて踏み込んでいく一行。
 一夜の夢を売る色街の置屋や遊郭の裏部屋や、その夜の稼ぎを数えながら渋茶と塩豆をつまむ女たちの私室まで。

 だが、約1時間の努力は全てが徒労に終わったようだった。
 城下の大手門前。第2世代達が顔をそろえて皆一様に首を振っていた。
 何処を探しても居ない。思いつく限りの場所を探してもだ。

 城内も城下町も個人の家屋敷もゴミ置き場の箱の中も。
 女風呂から裏手の森の中から、果ては墓場の棺堂の中まで。

「何処へ行ったんだ?」

 やや苛ついて厳しい口調のヨシが腕を組んでいる。
 警備主任はエミールだが城内の全権はヨシの専権事項。
 各門や出入り口の警備担当者達は舌の先端まで渇ききって慄いている。

 彼らはここまで怒りを露にするヨシを今まで見た事が無かった。

 ヨシ自信は自らの不明を恥じ、そして怒りを覚えているのだが、その揮下にある者達は何より処分を恐れた。
 そんな事をヨシがする筈は無いと信じつつ、しかし、執事の権限はそこらの軍高官など話にならぬほど強く大きい。

「ヨシ、ひょっとすると昨夜のうちに・・・・」

 アーサーの目が何かを語りかける。
 あの部屋からも行ける隠し扉と秘密通路の存在を、昨夜は無思慮にも教えてしまった事になる。
 誰の目に映る事無く城から抜け出す事すら出来る通路だ。
 
 言葉には出さぬだけで、ヨシもまた同じ事を考えていた。

「城詰めは通常業務に戻ってください。少し考えがあります。警護団は警備主任の指示に沿って動いてください。以上、別れ」

 ヨシの毅然とした指示がその場の解散を促した。
 どこかホッとして、そそくさと場を離れる者達。
 その場に残ったヨシとアーサーと、そして僅かな者達だった。

「なぁアーサー。出口へ行こう。俺にはわからないけどイヌの鼻ならわかるんじゃないか?」
「・・・・そうだな。それが良い。まずは足取りを探そう。部屋の前に居た者は不寝番だ。気がつかない訳がない」

 ヨシが頷いて一歩踏み出そうとしたとき、アーサーはヨシの方を指差して「あっ!」と声を漏らした。
 
 その余りに無防備な一言が面白くて、ヨシの厳しかった表情が僅かに緩んだ。
 だが、指差された先を降り返って見た時は、ヨシですらも「あっ!」と言うしかなかった。

 尾羽打ち枯らしたようにトボトボと歩くサムがそこに居た。
 小脇に抱えた皮袋がパンパンに膨らんでいる。
 中に入っているのがお金である事は疑いようが無かった。

「サムさん!」

 その姿があまりに痛々しくて、ヨシはたまらずに声を掛けた。

「あぁ・・・ 執事・・・・ どのか・・・・」

 呆然としたような、放心状態のサム。
 思いつめたその表情は、一人にしておいたら自殺でもするんじゃないかと思うようなレベルだ。

「・・・・お一人ですか?」

 アーサーの声はどこか詰問調になっている。
 冷たく言い放つ上から目線の言葉は、サムのどこか弱い部分を無遠慮に殴りつけたようだ。

「えぇ。そうです。今しがた・・・・ 一人になりました。これで」

 力なく笑うサムの手からずるりと落ちた皮袋。
 ドシャリと音を立てて落ちたその袋からトゥン金貨が飛び散った。

「これは? どうしたんですか? まさか!」

 引き攣ったように笑い出したサム。
 泣きながら笑っている。

「とっ・・・・ 取り返しの付かない事をしてしまった・・・・ あぁ!」

 その狼狽振りがあまりに酷いのでヨシもアーサーも手に余すほど。
 だが、その場へやってきたポール公は一目見て全てを見抜いたようだ。

「サム」
「・・・・本人の希望・・・・です」

 搾り出すように呟いた言葉がその場に只ならぬ空気を作り出した。
 自ら望んで・・・・売られたとでも言うのか?
 そんな事は有り得ないだろう。
 売られたヒトがどんな末路を辿るのかを、サムもミーシャも知らぬ筈が無い。

「お前は・・・・ それで良いのか?」
「・・・・・・・・・・あの娘がそれを望むのなら」

 誰にも聞こえない小さな溜息を一つついて。
 ポール公はアーサーとヨシに目配せした。

「サムさん。とりあえずここじゃなんですから」
「そうだ。その通りだ。とりあえず上に行こう」

 とっさのアドリブでサムを人目から避ける手立てを作って。
 そしてアーサーもヨシも周囲を素早く確認した。
 
 それほどの眼差しがここへ来てる様子は無い。
 今ならまだ大丈夫だ。
 そっと持ち上げた皮袋の片隅には見覚えのあるマークが入っている。

「アーサー」

 ヨシが見せたマークにアーサーの表情が引き攣る。

「ヨシ。ここを頼む。ちょっと行ってくる」

 緊迫感を伴ったその態度には普通じゃない空気が漂っていた。
 それもその筈。色街で幅を利かすルハス一家の店とは違う、もう一つの派閥。
 ルトラ・ファミリアの掲げる青い桔梗のマーク。
 
 あのファミリアとアーサーは浅からぬ縁だ。
 事と次第によっては、色街で血が流れる抗争の元になりかねない。
 アーサーとスロゥチャイムファミリーに対し、割と近い立場のルハス一家ならば、まだ穏便な話も出来よう。

 だが、敵対しないまでも余り友好的とは言えないルトラ・ファミリアは・・・・・・

 ヨシは周囲の軍関係者をそっと呼び寄せた。

「・・・・彼に護衛を。それと内情を探って。くれぐれも足跡を残さないように」

 話しを聞き終わると、全く返事をせずにその場を立ち去った若いイヌ。
 マサミの時代から執事一家の中に入り込んでいた、その手足。
 見るとは無しに気を向けていたポール公は、顔に出さぬだけでその成長を喜んでいた。


 そして、領主執務室。


 ションボリと小さくなったサム。じっくり話しを聞く姿勢のポール公とヨシ。
 だが、すぐ隣に立っているリサやマヤが驚くほどにアリス夫人は怒気を孕んでいた。

「あなた、何を考えているの?」
「・・・・私も・・・・ できれば」

 ごくりと喉を鳴らして生唾を飲み込むサム。
 年端の行かぬ子供が親に叱られているかのように。

「城下の飲食店でも職人の工房でも。何処でもまともな所があるでしょうに!」
「・・・・しかし。あの子が出来る仕事と言えば・・・・ それにヒトが一人で暮らそうなどとすれば・・・・」

 呟くように搾り出したその言葉が、かえってアリス夫人の逆鱗に触れたかのようだった。
 ピクリと動いた眉の動きが穏やかならぬ心中を代弁していた。

「私の領内でもヒトの一人暮らしは危ないと? そういうの?」
「いっ! いえ! 決してそんな事は・・・・ただ」

 怒りに震えるようにして腕を組み、何処に腰掛けるでもなく。
 顎を引いてグッと上目遣いに相手を見据えるその冷たい三白眼を、リサはどこかで見たような気がしていた。

「ヒトを小馬鹿にするのもいい加減にしなさい!」

 かなりきつい口調で言い放ったその言葉に、リサだけじゃなくヨシもまたハッと気付かされた。
 
 かつて、会議の席や種族を跨いだ懇談の席や。それだけじゃなく、様々な難しい商談などの席で。
 ヒト相手だと思って舐めた口をきいて、到底受け入れられない酷い条件を平気で出してきた相手に対し。
 カナは尋常じゃない程の冷たい殺気を孕んだ口調で、よくそう言っていたのだった。

 そしてそれは、カナの夫マサミが、より難しい交渉の席で相手を打ち据える冷たい眼差しと共に言っていた言葉。

 ヒト相手だと思って小馬鹿にするのもいい加減にしろよ・・・・・。

 それを多少上品にしただけの、不純物を含まない純粋な敵意から来る言葉だ。

 ヒトはヒトの名誉や面子や誇りのためなら死を恐れず戦うぞ?と。
 目的を果たすまで、どれ程無駄な死を重ねてでも。
 最終目的のためにそれをするのだから。

 その言葉と同じ事をアリス夫人の口が語った。
 その僅かな出来事がヨシやリサの胸を打った。

「あなたは最大限守りたかったのでしょうけど、それは逆効果よ」
「でも、あの子が生きていくなら『それなら裸に剥いてヒトの置屋にでも放り込みなさい!』

 息を飲むほどの迫力でアリス夫人は言い切った。
 堂々と色街に沈めろというのか。
 その言葉の真意を汲み取れぬまま、サムはどんどんと小さくなっていった。

「あの子が・・・・ どんな人生を送ってきたのか。あなたはそれを知らないわけじゃないでしょ」

 中を泳ぐサムの視線がそわそわと落ち着かないで居る。
 だが、ふと、どこか遠くにある物を見つめるようにして落ち着いた瞬間に。

 サムの眦から一筋の涙が流れた。

「僕もどうして良いか分からないんです。出来れば連れて行きたいのですが、でも・・・・ でも・・・・」
「あなたの仕事が危険なのは皆知ってるわよ。でもね」

 一息入れて、どこか心の整理をして。
 覚悟を決めて次の言葉を言おうとしたその瞬間。

     ガチャ・・・・

 執務室のドアが唐突に開いた。
 一瞬静まり返った部屋。耳の痛い程の静寂。
 
「おっと、まずいタイミングだった」

 僅かに開いたドアの向こうにはアーサーが立っていた。

「お前は本当に・・・・ まぁいい。それより、なんだ」

 頭をボリボリと掻きつつポール公はウンザリといった表情で振り返った。
 最大限気を配ったつもりだったのだが、しかしそれでも、相手を射抜く戦士の眼差しがこぼれていた。

「ミーシャを見つけましたが・・・・・・」
「で、どこに居る」
「本人が言うには、自分の意思だと」

 かなり厳しい交渉をしてきたように見えるアーサーの姿に、少なくとも交渉失敗を繕う為の嘘は見当たらなかった。
 やはり本人の意思でここへ地力で残るための手を打ったと言うことなのだろうか。
 
 だが、傍目に思うほど色街が優しい街ではないのは、この場にいるものならば説明の必要すらない。
 文字通りに命を削って生きていく。寿命をすり減らして生きながらえる。
 そんな環境の筈だ。

「何とかならなかったのか?」
「・・・・・・はい」

 打つ手なし。
 そんな姿だ。

「ミーシャが言うには・・・・ サムさんが迎えに来るまで、絶対にここを離れない・・・・ と」

 聞いたままの言葉を呟くようにして言ったアーサー。
 だが、その言葉にアリス夫人やポール公の表情がどこか柔らかくなったように見えた。

「ヒトっていうのは・・・・ 皆同じように考えるのかしらね」
「・・・・・・そうだな」

 領主夫婦がどこか懐かしそうに言った。
 それがどこか不思議で、でも、あぁ、いつものパターンかと、安心できるようで。

 子供たちの世代が見上げた先。先代執事の肖像画は今日も代わらずそこにあった。
 全てを見通すかのような怜悧で先鋭な眼差しがフロアを見下ろしている。
 父母はこの部屋であの眼差しを感じながら執務しているのか・・・・
 アーサーは改めてそれに驚いた。

「まぁ、仕方が無いといえば仕方が無いのだが・・・・・」

 アゴの髭をボリボリと掻きながら。ポール公はのっそりと立ち上がって壁の金庫の扉を開けた。
 中に収まる様々な書類の中から強引に引っ張り出したのは、スキャッパーの古い人物台帳だった。
 ポケットの老眼鏡を取り出して鼻先に引っ掛けページを捲る。
 
 その仕草がまるで老成した父マサミのようで、ヨシはどこか懐かしげにその姿を眺めている。

「おぉ これだこれだ。 サム。ここへ来い」

 取り出されたのは1枚の書類。
 遠い日。この街へやって来たトラのヒト奴隷商が持ち込んだ人物人相帳。
 言い換えるならば・・・・ 手持ち商品のメニューリスト。

「面倒が起きた時の切札にしようと思っていたんだが・・・・ まぁ、これを見ろ」

 節くれ立った指が指し示す文字列には、幼い筆跡でミーシャと書かれている。

「御館様。これはどうして?」
「さぁな。偶然の一致だろう」

 20年近く前にやって来たトラの奴隷商が置いていった書類にミーシャの名前があった。
 同一人物かどうかは分からない。少なくとも、20年近く前のミーシャがこの文字を書けるとは思えない。
 ただ、ここにその書類がある以上、使わない手は無い。

「サム。この原本をお前に貸し出す。今すぐに行ってあの娘は我がスロゥチャイム家の縁者だと啖呵を切って来い」
「しかし、もし嘘がばれたら・・・・」
「そしたらそしたで手を考えれば良い。お前が思うほど我々は弱く無いぞ」

 ヒトの奴隷商が手に余して持ち込んだヒトの男女は合計で40人近く。
 何を思ってそうしたのか、今となっては全部が謎だ。
 ただ、齢300に手が届きそうだった老年の奴隷商は、自らの商品の行く末を案じたのだろう。

 現状。スキャッパーの城下に暮らすヒトの数は決して少なくは無い。
 多少の問題は年中起きているのだが、人攫いや女衒といった本人の意思を無視する人身売買は厳罰に処される街だ。
 当然。当人の希望や主や種族を超えた配偶者といった責任者の同意があったとて、それ自体はかなりの規制下に置かれている。

 だからこそ。

「城の台帳を見たら娘の名前があったから困ってると言い切ってこい」
「しかし、自分は書類にもうサインしてしまいました」
「あぁ、分かってる。だが、これが武器になる。四の五の言ったら一緒に城まで来てくれと言え」
「本当に来たらどうされるのですか?」
「細かい事は良いんだ。あとは何とかしてやる。心配するな」

 領内における最高責任者夫婦がそう言っている。
 しかも、国内の権力序列ですら上から数えても上位20か30位に収まるかもしれない公爵家だ。
 
 ル・ガルの人間ならば誰だってあまり敵には回したく無い。

「・・・・それでは迷惑が掛かります。自分はこれでも一応は行政府のイヌですから」
「だからそれが武器になるんだ。分からん奴だな」

 ボリボリと頭を掻きながらポール公は老眼鏡を降ろした。
 執務机の上に無造作に置かれた眼鏡をマヤがそっと持ち上げてエプロンの縁で綺麗に拭きあげる。
 その僅かな動きを眺めつつ、マヤの気が付いたちょっとした気遣いにリサが気が付かない事をアリス夫人は気が付いた。
 
「いいか?建前でもあの娘はスロゥチャイムの預かりだ。それを知らずに保護していたお前が、関係を知らずに売り飛ばしてしまったと言うことで、行政府にばれると色々困るから何とかしろと言えば良い。金を返せといわれたら、請求書を行政府に出すか城に出せと言えば良いんだ。お前が貰った金は城に預けてあると言えば、向こうだってそれ以上の事は言えんだろ。要するに、娘だけ返せと言い切ってこい。まぁなんだ。腕っぷし勝負になったら負けるような事は無いだろうからな」
 
 ニヤッと笑ったポール公の傲岸不遜な笑みがサムを貫く。

 肩書きで相手を叩き潰す作戦はあまり穏当とは言えないものだ。
 だが、時にはそれをしなければならないし、むしろ今しなければ使う時が無いとも言える。

「娘を連れ出したら一旦街を出ろ。しばらくしてほとぼりが醒めたらまた来れば良い」
「はい。ではそのようにさせていただきます」

 半分くらいは腑に落ちないでいるサム。
 だが、畳み掛けるようにアリス夫人が口を開く。
 先程のきつい口調は影を潜め、今は穏やかだ。

「サム。あなたが持って帰ってきたお金。あれは路銀にしなさい」
「・・・・・・・・え? あ・・・・ いや、しかし・・・・ 大金です」
「えぇ。そうでしょうね。安く見積もっても100トゥンはあるんじゃない?」

 まるで見透かされてるかのように図星だったアリス夫人の見積もり。
 サムは言葉も無く、ただただ、ウンウンと頷くだけだった。

「その程度の金額であれば地下の大金庫に行かずともな・・・・」

 ポール公が目配せした先のヨシはちょっと困ったように笑いながら肩を窄める。

「100トゥン程度であればすぐにでもご用意します。そうですね、ちょっとした書類操作で足の付かない方法で」

 地域が上げる莫大な収益を一旦集める紅朱館の中には一体どれ程のお金が納まっているのだろうか?
 出納官吏のまとめる書類を全部把握しているヨシならば、どうにでもなるのかもしれない。

「まぁよい。サム。すぐにでも荷物をまとめて行くと良い。そのまま街を出ろ。そのほうがあの娘の為にもなる」

 アレだけ険しかった表情が孫をあやす好々爺の笑みになったポール公。
 一時はまるで般若の如くだったアリス夫人もまた柔らかな笑みを浮かべていた。

「あなたとあの娘はこれからも様々な試練を乗り越えなくてはならないようね。まぁ、頑張りなさい」
「そうだな。なんせマサミは・・・・ 死ぬが死ぬまで、本当に苦労したからな。もっと楽に生きさせたかったよ」

 最後はどこか贖罪の溜息が混じったかのような。悲痛な呟きになっていた。
 アリス夫人とポール公の若かりし時代を共に生きたヒトの夫婦が辿った数奇な運命は、違う形で今もその血を受け継ぐものたちに引き継がれているのかもしれない。
 
 ただ、何事も無く、ただ生きているのだけでも大変な世界と言える。
 そんな中を歩いていかねばならない者たちにとって、先人の言葉は重く大きい。

「わたしも・・・・ まぁ、仕方がありません。安扶持の公職員ですから」

 本当は何を言いたかったのか。それが分からぬでもないヨシやアーサー達。
 含みが有ると気が付いてるリサやマヤ。
 様々なコントラストを写す部屋の面々に視線を一巡させて。

 サムは音も無く立ち上がった。
 まるでこれから戦場へ赴く騎士のように。

「思えばすっかり長居をしてしまいました。こちらの城は居心地が良すぎるからです。またお伺いします。そうですね、次の巡回は10年後でしょうか。それまで皆さん、どうかお元気で。お世話になりました」

 傍らにあった安っぽい帽子を胸に当てて、マダラの男が深々と頭を下げる。

「サム。上手くやれよ」
「はい」

 窓から差し込む明かりが春の終りを告げている。
 色濃く落ちる影は夏の日差しの到来を実感させていた。
 
 重厚な音を立てて締まる執務室の扉。
 部屋を出て行ったサムの、その独特の残り香が部屋に漂う。

「あの娘にとってはこれが最上だろうな」

 ポール公は誰に語る訳でもなくそう呟いて席を立った。窓際から見下ろす先には例の色街がある。
 段々と高度を下げつつある太陽の光が弱まるほどに、この街が放つ妖艶な煌きは眩さを増していく。

 吹き抜ける風に誘われてスロゥチャイム家の面々が窓際に並んだ。
 眼下遠くの色街で今きっとサムが交渉に及んでいるのだろう。
 泣き虫でいつも震えていたミーシャは、どんな表情でサムを見上げるだろうか?
 
 ややあって皆が三々五々とそれぞれの仕事へ消えていった部屋の中。
 ポール公とアリス夫人だけが色街を見下ろし続けていた。


 そして数日後。ルトラ・ファミリアの人間が城に持って来た書類には、公爵夫妻が現金を支払ってヒトを買い戻した事へのお礼状と共に、知らぬとは言え公爵の関係者であるヒトの売買を行った事への詫び状が添付されていた。

 午後のお茶の時間。その書類を眺める公爵夫妻に笑みが浮かぶ。
 図らずも微妙な関係であるファミリアに貸しを一つ作った事になる。

「ヨシ。これが政治だ。よく覚えておけよ」

 上機嫌なポール公を眺めながら、ヨシはサムとミーシャの旅路の安全を祈っていた。

 第11話 全パート 了

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