日記の筆者は二人存在する?

4日目、8日目で日記を書いている電卓らしき人物。
そして、電卓が観た未来を元に再構成されたもう一つの電卓。
この二人はそれぞれ別の『世界』に存在する可能性がある。
二つの日記を比べてみよう。まずは序盤に登場する日記から、



「4日目、new word」より
【December/14】【シンクロトロン棟、実験準備室にて】
そう――『言葉』を手に入れた時からだ。
人は、自分が見ている世界と、他人が見ている世界が同じであり、
世界がたったひとつしかないことに気づいてしまった。
(中略)
だから私は観測者を創ってみようと思う。
ほんの気まぐれな思いつきで、鼻唄混じりに創造してやろう。
神話や聖書の神がそうしたように……。



次に、それ以降に登場する日記を見てみよう



【DECEMBER 31】【中央制御棟、コントロール室にて】
ビームサイズ調整完了……。
(中略)
ほんの気まぐれな思いつきで、鼻歌混じりに創造しよう。
神話や聖書の神がそうしたように……。
私の『世界』を創ってやろうじゃないか。
(後略)



違いが分かっただろうか?
まず、日付けの書き方。【December/14】と書いているのなら、
当然31日には【December/31】と書かれているはず。
しかし、後の方の日記には【DECEMBER 31】となっている。

次に、『観測者』が誰かという点について、
前半では、「だから私は観測者を創ってみようと思う」とあるように、
私≠『観測者』である。
しかし後には、「私の『世界』を創ってやろうじゃないか」とあるように、
私=『観測者』という違いが出てくる。

よって、日記から察するにこの二人は別の人物という可能性が出てきた。
だが、当たり前だが否定意見は出せる。
まず日付。「それぞれ別の年に書かれたものだから表記が変わった」
などと言ってしまえば、その可能性は当然ある。
次に『観測者』が誰かという点について、
「気が変わった」とでも言ってしまえば十分。

なので、日記以外から以下の場面を用いる↓



琴子ルート「Quale」より
琴子「あの世界の父さんは、どうなったのでしょうか?」
???「あの『私』は確かに世界を手に入れただろう。だが、同時にそれを失ったのだ」
???「それ以上のことはわからん……、シュバルツシルト半径の内側に落ちた者のことは、いかに私でも知りようがない」
琴子「やはり、そうなってしまいましたか……」
(中略)
???「あの『私』の失敗は、世界を決定論的に創造しようとしたことだ」
???「『意識』はそれでは生まれんよ……。現に私は、複雑性の中から創発的に生まれた者だ」
???「重なり合った可能性のひとつさ」
琴子「父さんが神様だったという可能性ですね」
???「やめてくれ、そんな古臭い名称で呼ばれたくない。それではあのバグ持ちと同じだ!」



上記の場面。???という人物は世界の外側にいる観測者である。
もし、日記を書いていた『私』が重なり合って二人いたとすれば、
『意識』を生み出すことが出来ない、とハッキリ言ってるのは電卓が見た未来の方。
よって、そっちの『私』は観測者になっていないと考えられる。
これを信じるなら、考察するにあたって電卓のもうひとつの人生の方の日記を、
どこまで信用することができるかが鍵になってくると言える。

ちなみに日記の違いに関しては、どちらも私=観測者のようです。
完全に的外れでしたが、一応残しておきます。申し訳ありません。

電卓の未来の日記での年号と、樹の世界での年号が違っていたことにも注目。

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最終更新:2011年03月09日 09:36