理性の狡知(こうち)

ドイツ観念論を代表する哲学者、フリードリヒ・ヘーゲルの言葉。
理性(神)は自ら歴史に入り込まず、個々人の行動を手段として実現させるというもの。
例えば、ひと昔前まで中心的だった思想があったとする。
しかし、人々はいつしかその思想に限界を感じ、新しい思想を生みだすだろう。
そして、この過程の繰り返しによって人々は段々と究極目的へ近づいていく。
このとき、今では不必要に思われるような思想も、振り返ってみればより普遍的な境地へ近づくための理性(神)の思惑通りであった、ということ。
狡知というのは「ずるがしこい考え。悪知恵」という意味である。

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最終更新:2011年03月13日 22:16