三山鉄道編第2章3話

「じゃあ合図で一旦停止の後連結お願いしまーす。前8mでーす。」
声に合わせてブレーキが緩み、軽い衝動の後電車は動き出す。無数の雨粒が靴に刺さる。
「やわやわー...止まれ止まれー。」
多少滑ることを加味して、早めに停止指示をかけ、車両は止まる。連結器の向きを再確認し、緑旗を掲げる。
「じゃあ連結お願いしまーす。あと2mでーす。」
エアの抜ける音がし、再び動き出す。GTOの甘い歌音が響き、雨音のスネアに合わせて音楽を作る。
「やわやわー...止まれ止まれー。」
ブレーキ操作と共に密連が押し込まれ、心地よい音と共にピタリとハマる。衝動もあまりなく、連結が成功したことを確認する。
「連結オーライでーす。ありがとうございます。」
今回は試運転のためそのまま貫通扉を閉める。軽く足元を拭き、忘れ物が無いか確認した後、彼女と共に車両の反対側を目指す。室内灯の落とされた車内は、雨の日ということも相まって中々に暗い。予想よりも軽く動いてしまった仕切り扉が派手な音を立て、2人揃って肩を跳ねさせながら、ようやく運転台へたどり着く。
「よりにもよって雨なの、何なんですかね。」
彼女はそう言い、鞄を下ろす。高戸運転所の藤田さん...自分が高戸に居た頃は、よく話をしていた。今回試運転をすることになり、久しぶりに再会した次第だ。
「よりにもよって...ってのは分かる。今日はハードモードだなぁ...」
1M3Tの運用を見越して、実際に走ってみることになった。想定されている運用と増結位置や車種は違うが、専用に改造した1049を、この6000系D2編成に繋いだ。
「...これ、途中で止まったりしません?」
出発準備をしつつ、藤田さんはそう問う。これから挑むのは、電化区間最難関の竹達峠だ。6000系単独の1M2Tですら雨の日は苦戦する。先が思いやられるのは当然だった。
そんな無言の肯定を後目に、藤田さんは運転台へ腰掛け、ブレーキテストをする。自分も時刻表のコピーを手に、行路確認を始める。
「上り9732M列車、雷鳥発、四宮行き。四宮までの各駅に停車、編成4両、1M3T。工事等無し、遅延時運行順序変更あり。このほか特記事項無し。担当藤田、助役八木。以上。」
藤田さんも指でなぞりつつ、小さく呼応する。そのまま人差し指を走らせ、時計の微かな埃を拭う。ブレーキを緩め、彼女は1つ、深呼吸をした。
「雷鳥9番空宮出発進行。11時6分発。...どうか何事もなく走りきれますように。」
目に見える難題に絶望したその重い声に、僕は掛ける言葉を見失った。

「はぁ...ついにですね。」
穴吹駅に停車し、彼女は気怠げな様子を隠そうともせず、そう話しかけてくる。
「...しっかり濡れちゃってるね。モーター耐えてくれるかなぁ。」
「私が動かせなかったら、八木さんにお願いしますね。」
「...あんまり期待しないでね。」
発車時刻が迫り、窓から顔を出す。未だに振り続ける雨が帽子を濡らし、車体から垂れる水が首元を冷やす。
「ホームよし。出発。」
ブザーボタンを短く押し、発車を促す。藤田さんは1ノッチに入れつつブレーキを緩め、モーターが回り出すのを待つ。8000系L4/S4編成と同じGTOの美しい声が響き...雨に濡れた上り25‰の勾配にあっさりと喘ぎ出した。車輪はレールを削るのみで、むしろ少しずつ後退しているまである。藤田さんの右手を押し、一先ず車両を止める。
「...やっぱ無理ですね。八木さん、お願いできますか?」
「こうなったからにはやるしかないね。」
鞄の上に帽子を置き、運転台へ腰掛ける。何度か力行を動かし、反応速度を覚える。ブレーキの圧力計を注視しつつ、レバーをガチャガチャと動かし、0.5段くらいの圧力になるところを探る。そのまま忙しなく右手を動かしブレーキを調整しつつ、左手を静かに引く。P1とP2を行き来し、反応遅延を合わせつつ、ブレーキが強くなっている時には出力を高く、弱くなっている時には出力が低くなるよう、周波が合うように繰り返す。そうしていると、やがて不快な前後動を伴いつつ、それでもゆっくりと列車は加速を始める。周波数の切り替わりで大きく出力の変動する制御装置に気を使いながら、雨の竹達峠をそれはそれはゆっくりと登っていく。2M1Tにすると過剰出力になるとまで言われたこのじゃじゃ馬は、常人が扱うものでは無い。やっと15km/hほどに達し、P1へ戻しブレーキを緩める。それでも問題無く加速を続ける。
「さっ...流石です八木さん。」
先程から固唾を呑んでこちらを見守っていた藤田さんは、こちらへ賞賛の声を送る。
「だいぶ遅れちゃったけどね。しかも、傍から見たら滑稽だと思うよ?こんなのさ。」
「いえ!凄かったです!私もあんなことできるようになりたい!」
...純粋な憧れの目を向けられ、何だか申し訳なくなる。
「こんなこと毎回やってたら車両が壊れますけどね。流石に低出力モードか何か付けた方がいいと思うなぁ。こんなの、律に乗らせちゃダメだと思う。」
配属予定のRailRoidの名を出す。藤田さんはこのRailRoidの担当になるらしい。
「それもそうですね...そもそも私が出来ないですし...6000系は柏木工場に一旦送られるんですかね?」
「どうだろう。インバータのデータ追加なら高戸の方で終わらせそうだけど。」
「あー、そうかもですね。...りっちゃんの初乗務、いつになるかなぁ...」
そう言い藤田さんは遠くを眺める。既に藤田さんは律のことをりっちゃん呼びしており、憂鬱な雨とは真反対の将来の明るさに、心の中で応援の言葉を贈った。
最終更新:2025年05月15日 14:01