「やわやわ~止まれ止まれ~。」
私の声に合わせて制動がかかり、衝動なく、しかし連結を失敗することなく、停止する。
「連結オーライ。よし、貫通幌を引き伸ばして…」
連結にはそこそこの力が必要な密着連結器では実現できるはずが無いような凄技を、いとも容易く…
「どうしたんですか?紗希さん。」
その凄技を披露した彼女がこちらを心配する。先ほどの運転を思い出しているうちに自然と手が止まってしまっていた。
「ああごめんね…さっきの連結が凄すぎて…」
「あら、ありがとうございます。でも、私たちRailRoidはこれくらい普通にできるものですよ?」
「ダウトです。三山鉄道のRailRoidは連結失敗を起こさないために少し余裕を持った強さで連結するようになっています。先ほどの麹の連結は意図的に衝動を無くしており、かつ連結を失敗させない完璧な強さに調整してあります。これは私たちには再現できません。」
気づけば貫通扉の向こうに居た律がそう話す。その言葉に麹は苦笑いをこぼし、一つ息をしてから口を開く。
「あらあら律さん。完璧な強さの連結だなんてそんな。…連結って良いですよね、相手との相性が良くないといけませんし。ふふふ♡」
"連結"を強調し意味深なトーンで話す。ただの列車の連結の話なのだが、麹が話すとイケナイ話のように聞こえる。
軽く狼狽える律に、麹は攻勢を緩めない。
「ふふ…この抜きたてホヤホヤのハンドル。握りやすくて、丁度いい大きさで、良いと思いません?律さん?」
古い縦軸ツーハンドルの7200系。今麹が持っているように、ブレーキハンドルは着脱できる。…麹が持つ手はゆっくりとハンドルを撫で、白手袋と相まってどこか扇情的だ。
「…もしかして律さんはこれで変な妄想をしちゃったのかしら?ふふ…律さんったら…♡」
気づけば麹の圧倒的優勢だ。これは可哀想に…。軽く涙目になりながらこちらへ視線を向けてくる律へ、助け舟を出すことにする。
「はいはいそこまで。律ちゃんを困らせないの。移動して出発準備しようね?」
「あら、ごめんなさい。少し調子に乗ってしまいました…行きましょうか。」
その言葉に3人揃って歩き出す。…麹はいつの間に荷物を整えたのだろうか。
6000系D2編成と7200系R18編成の併結運転。本来は同調の試験のために試運転スジを走る予定だったが、その前の時間を走る各停の運用に入るはずだった6100系が踏切事故で入場してしまったため、急遽この列車が各停運用に入ることとなった。
「各停高戸行き、現車5両…」
6000系が先頭になったため律がハンドルを握り、私と麹が傍に立つ。6000系は乗務員室が広くて助かった。
「一応混乱は収まっているようですが、まだいくつかの遅れ貨物や返却があるようですね。多分ないでしょうが、臨時待避の指示があるかもしれません。」
麹は淡々と律に伝える。さっきまでの茶番は嘘だったかのように仕事をこなす姿が、そこにある。
麹は三山鉄道に来たばかりで、一応律よりも後輩に位置する。それでも最初から乗務は完璧で、三山鉄道に馴染めていた。…正直なところ、私はそれが恐ろしい。RailRoidはどれだけ世代を積んでも、三山鉄道に適応するには時間を要すると言われている。実際に律も、運転所やその周りの人と馴染むまで少し時間がかかっている。…そもそも、人間だって新天地で簡単に馴染めるわけが無い。なにか彼女には底知れぬ何かがあるような…
「…さん。さーきさん。」
目の前で振られる手に現実に引き戻され、慌てて麹の方を見る。
「あ、よかった。紗希さん、今日体調悪いんじゃないですか?大丈夫です?」
「ごめんごめん。大丈夫。RailRoidの担当慣れてなくて…いろいろ考えごとしてた。」
「そうですか。体調が悪くなったらすぐに言ってくださいね。」
そう言う彼女は微笑む。しかしその目には、全てを見透かされているような気がした。
「雷鳥1番出発注意。合図よし、時刻よし、戸閉めよし、発車。」
「時刻よし発車。」
時刻表と知らせ灯を流れるようになぞり、列車を前へ進める。
「定刻、緩解よし。次今庄、停車。」
歓呼し律は左手を引くが、しばらくしているうちに戻し、また引き、それを数度繰り返し、やがて諦めたように引き切る。
「…違和感があるんですね?」
麹の問いに、律は深く頷く。
「この6000形のパワーがまるで感じられないんです。ほぼ7200形に押されているだけ…みたいな。でも、実際にはそれなりに加速していて、それがなんだか気持ち悪くて…」
事前に予想出来ていたとはいえ、やはり同調問題が発生したかと、少し頭を抱える。
「性能制限が変な風にかかって、6000形のトルクが結構変わってるかもしれませんね。モーター1基で80kwも差がありますから、このような問題は避けられないだろうとは思っていました。…電制がトリッキーになってるかもしれません。減速時は気をつけてください。」
真剣な表情で麹は言う。それに応える律も真剣で、その2人の横顔に、少しばかり疎外感を覚えた。
麹が律の右手を支えつつ遅れを取り戻し、高戸で切り離したR18編成は、車庫へ早々に引き上げた。
「んんっ…はぁっ…なんか疲れちゃった。」
「色々大変でしたね。でも、おかげでいいデータを取ることが出来ました。ありがとうございます、紗希さん。」
検査のためにR18編成は入場することになり、暇をすることになった麹と共に、運転所へ戻る。
「同調問題出ちゃったけど…車両は大丈夫そうだった?」
「うーん…ちょっと制御装置が不安ですかね…2度ほど回生ブレーキが変な風に入ってしまっていたので…」
少し暗い表情で答える。言葉以上に深刻なのかもしれない。…でも私には分からない。"回生ブレーキの違和感"すら、気づけていなかったのだから。
運転所に着き自販機で紅茶を買い、そのまま休憩所のソファに腰掛ける。
「ふう…っ!いたた…」
紅茶を一口。力を抜いたら、いつの間にか力が入ってしまっていた肩が痛む。
「あら、大丈夫ですか?」
麹に心配され、私は大丈夫だと答える。
「今日は初めてのことをやったし、少し緊張しちゃったかな。んんっ…首筋からしっかり痛いや。」
「…揉んであげましょうか?私もそれくらいはできますよ。」
麹の提案に二つ返事で了承し、背を託す。一つ首を回して待っていると、予想と違うところに手を伸ばされる。
「あの…どこを揉んでらっしゃるのですか?」
「肩こりの原因ですよ。元から揉みほぐすべきだと判断しまして。」
そう言い胸を揉み続ける麹に、どうしたものかと頭を抱える。
「あの…こういうのやっちゃダメだと思うんですけど。」
「あら、その割には全然抵抗されないようですが。紗希さんも揉まれるのがお好きで?えっちですねぇ♡」
「違うけど?!というか揉まれたの初めてなんだけど!!」
「あらあら…初めて、なんですね…♡」
このままではナニをされるか分からない。麹を引き剥がし、少し距離を取る。柔らかいものが当たっていた背中が名残惜しさを訴えるが、除夜の鐘の高速連打でこれを消し去る。
この後 麹に軽く説教をしたが、動揺を隠しきれず支離滅裂なことを言ってしまったような気がした。
最終更新:2025年05月15日 14:04