Mystery Circle 作品置き場

なずな

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nightstalker

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Last update 2008年03月14日

Piece~鏡の国で僕は拾う  著者:なずな


ふつりと頭をもたげる感情を抑えるため、もう一度強く、唇を噛む。
振り上げた 拳が勢いを失い 鏡の前で止まる。
ガキの頃から 僕は何度こうやって 鏡の前に立っただろう。

 *

「やっべー、忘れてた」
ばたばたと靴を履く音、玄関先の大声。
「な、な 良ちゃん、お前芝居とか好きだろ?チケットあるんだ、行って来て」
「何で?優はどこ行くんだよ、芝居って、誰かと約束してるんじゃないの?」
「オレ?オレは蓉子さんとデート!」
優介は ワックスで念入りに立たせた髪を玄関の鏡で確認すると、
「オレ、付き合ってる人いるから無理、って コクられたら断っといて!」
ドアをバタンと閉め いそいそと出て行った。
「行くか、そんなもん!」
ドアに向かって叫んだ。ドアベルが、いつまでもカラカラ間の抜けた音を響かせていた。


「有岡優介様」・・白い封筒の中に入ったチケットを確認する。
僕の好きな作家の戯曲作品だった。


 *

開演ぎりぎりに走りこむ。暗くなった場内でチケット番号の列を探しあて、席に向かう。
ぽつんと空いた席、その隣に座っている女の子の横顔を見て驚いた。
「彼女」だ。

反対側のホームのベンチ、行きかう人も気にせず熱心に本を読んでいる女の子。
周囲の喧騒も時間の経過も関係ない、彼女だけ別の空気の中にいるように思えた。
静かで穏やかな自分だけの時間・・彼女だけが別の時間を持っているようだった。

ホームの時計を見上げ そっと本を鞄にしまい、やって来る友達に「おはよう」と笑いかける。
友達に向ける明るい顔と、本を閉じる時一瞬見せる残念そうな表情。
そんな 小さな表情の変化も、妙に印象に残っていた。
優介の高校の制服だってこと、何故今まで気づかなかったのだろう。
本を読む彼女を 電車の窓越しに見かけた日は良いことがある、
意味もなく、そんな気がして、僕は毎日彼女の姿を探していた。


「ありがとうございます。嬉しいです。もうすぐ始まっちゃうし、来てもらえないかと思ってた」
恥ずかしそうに微笑んで、彼女はぺこりと頭を下げた。紅潮した頬。
顔を上げ、僕の顔を見て 一瞬きょとんとする。
 ─ ごめん 僕は優介じゃなくて・・・口に出す前に 彼女が耳元で囁いた。
「あ、そうか。今日は髪の毛立ててないんですね。何だか雰囲気違うと思った」


幕が上がる。音楽が響く。役者の通る声。
きらきらした瞳で、まっすぐ舞台を見つめる彼女の横顔。綺麗に伸びた背中。
舞台に視線を戻すと、僕は 芝居の中に 引き込まれていった。
双子の弟だ・・と 言いそびれたまま。

 *

「同じ学校の下級生。春名ちゃんっていうんだってさ。けっこう可愛いでしょ、」
芝居の余韻に浸りたいのを我慢してトイレに立ち、優介に電話した。
携帯から聞こえる、能天気な優介の声。憧れの女子大生とのデートは順調のようだ。

「どういう子なの?僕のこと、優だと思ってるよ」
「学校で いきなりチケット押し付けて逃げ去った。ほんとだってば。
断る間どころか、近づいたことも、話したこともないんだから。
双子だってこと?あ、オレの学校のヤツは皆知らないと思うよ。」
「で・・・どうすんの?」
「どうするって、隠さないで代理で来たって言えばいいじゃん。
気が合いそうなら付き合ってもいいし」
「勝手なことばっか、言って・・・」
「とにかくオレは蓉子さんがいるから。じゃあ もう切るねっ」


 *

「これ、私のアドレスです。もし、迷惑でなかったら今日の感想とかも話してみたいな・・なんて・・」
メモ用紙に小さいきっちりした文字が書かれていた。
優介と僕のこと、言い出せないままの帰り道だった。
せっかく芝居が面白かったのに・・と思うと 今更優介じゃないって言ってがっかりさせたくなかった。
彼女のがっかりした顔を見るのが 怖かった。

「有岡さんって 意外と無口なんですね。驚いちゃった」
「ご・・・ごめん」
「謝らないで下さい。一緒にいられて楽しかったです。学校とちょっとイメージ違ってたけど・・」
「ごっ・・ごめん」
「やだ、また 謝った」
春名はおかしそうに笑って、僕を見た。
こんなに傍にいて、正面から顔を見るのが照れくさかった。

 *

「楽しかったって?春名ちゃん」

僕よりずっと遅く、ご機嫌で帰って来た優介が聞く。
「ありがとうって言われたよ。一緒にいられて楽しかったです・・って 目きらきらさせてさ」
彼女は最後まで僕のこと、優介だと思っていたからだ・・そう思うと 胸が痛む。
「あ、アドレス書いたの貰ったよ」
「良がメールしたら?いっそ付き合っちゃえば?」
 ─ まさか、これは優介へのものだし・・ 
アドレスを書いた紙切れを差し出しかけた時、優介の携帯が鳴った。
「蓉子さん!」優介の舞い上がった声。

押し付けたメモを、優介は無造作にズボンのポケットに突っ込む。
ハイテンションの優介が出て行った後、僕の部屋に香水の香りが ふい、とした。
オトナの付き合いだぜぇ・・蓉子さんとのデートの話を自慢げにする、優介の声が耳に残った。


 *

おそろいの服を着て並んで歩く僕らを 通りかかる人たちが目を細めて見る。
─かわいいねぇ、双子ちゃん。色々大変でしょ、お母さん?
知らないおばさんは 重ねて母に、こう聞いてくる。 
─お母さんでも どっちがどっちか解らなくなることってない?
僕は おばさんをにらみつけ 走って逃げる。 
母が肯定するのが怖いのだ。いつも 怖かったのだ。

大きな鏡が行く手に立ちはだかる。
こちらを向いて笑ってるのは 誰?   僕は拳を振り上げる
お前 お前 お前は誰?        拳を振り下ろす。

堅い 堅い 堅い 鏡   びくとも しない
 ぽろり・・・・
パズルのピースの形の破片が 剥がれて 落ちる。



いまだに そんな夢を見続ける。
暗闇の中目覚めると 僕のベッドを占領して大の字で眠る優介。平和な優介。


 *
名前。

「優」と「良」が、評価の基準の場合、上下関係にあると知ったのは小学校の頃。
 ─ どっちもいい字、いい名前なのよ・・・母は説明したけれど、
それ以来 自分の名前を言うたびに心にチクリと遠い痛みを、僕は感じてきた。

賑やかなのは優ちゃん、大人しいのは良ちゃん。
皆を笑わせるのは優ちゃん、まじめなのが良ちゃん。
生徒会長が優ちゃん、美化係が良ちゃん。
 ─優くん!・・・・あ、間違えた、やっぱ、そっくりだよね
優介のクラスの女の子たちが笑いながら通り過ぎる。
 ─でも、やっぱ、微妙に地味ぃ・・・。

一緒に受けた中高一貫の進学校は、僕が落ちた。僕だけ落ちた。
良かったのか 悪かったのか、そうやって僕らの道は分かれていった。


 *

「良ちゃん お願いっ。責任半分あるんだから、何とかしてっ」

優介が僕の部屋に来るのはいつもいきなり。ノックもなし。
勉強机にガラクタがいっぱいで辞書が見当たらない、
眠いのに、ベッドに物が載ってて除けるのがめんどう
自分の部屋と僕の部屋を調子良く 優介は勝手に行き来する。

白いレース模様のついた封筒。
手紙を差し出して 優介はおどけた仕草で僕を拝んだ。
きちんと揃った綺麗な文字、春名からの手紙だった。

 ─あの日来てくれたお礼だけでも伝えたくて・・
優介からのメールを待って、来ないことが「返事」だと解った上での 手紙だった。


芝居の感想だけでなく、主人公の心の闇に絡めて自分の思いなども淡々と書かれている。
中学の時、友達付き合いで悩んで不登校だった時期があり、その間本ばかり読んでいた・・
「図書室登校」を経て 今やっと高等部に通っている・・と 手紙には書かれてあった。

駅のホームで 本を鞄に押し込んで、友達に笑顔を向ける時の かすかな不自然さ・・
僕の中で パズルのピースがひとつ、はまる瞬間。

「オレ、こういうの苦手なんだよなぁ。長文のメール見ただけで頭クラクラしてくるし。
 文学少女?不登校? あ、ダメ!良ちゃん 頼むわ、パスッ!」
「ちゃん」づけで呼ばれる時はろくなことがない。
暗いもの、重いものはお前の世界じゃないってか?
優介のいつも以上の 軽さにカチンときた。

「メールすりゃいいじゃない、好きな人がいるから 付き合えないってさ。」
冷たく返すと、優介が、ぶうっと拗ねた顔をする。
「一緒に芝居観たの、お前なんだぜ」
「だから?」
「彼女 騙したのも 結果 お前じゃん」
「彼女はお前に手紙くれたんでしょ?お前のこと誘ったんでしょ?
お前のことが、好きだったんでしょ?」
ぷちり 切れる。

「書けばいいじゃん、この前君と芝居を観たのは双子の弟です。
約束を忘れていたので そいつに行かせました。
暗いいじけた性格のヤツです。あの時 ちゃんと言い出せなかったダメなヤツですあんなヤツ 代わりに行かせて、ごめんなさいってさ」

「下手に傷つけてまた不登校にでもなったら どうすんだよ?!ダメダメ 無理!
 謝って断るにしても オレの文章力じゃ到底無理!!」
「そうやって いい人ぶって、いつも 人に押し付ける!」
誰を気遣ってるんだ?何を守りたいんだ?いつもずるいのは誰だ?

「良の方が賢い。文章も上手。オレは口と要領と体力だけだって、自分で解ってんの!
何でオレなんかが 文学少女に気に入られたのか全く解んないや 良ならともかく。」
オレなんか?意外な言葉。ふざけてる、コイツ?
自信たっぷりで華やかで人気者で、光が当たってるのが当然って顔したヤツじゃなかったのか?
僕は拳を握り締める。
優介は 続けて言う。それは 予想もしない言葉だった。

「知ってるんだ。中学の入学試験のとき良は問題と関係ない作文書いただろ?
放っとくには惜しい才能だ、是非うちに来て欲しかった、残念だって、
国語の教師が3年間オレに言い続けてた。 高校になってからも オレの顔見りゃ言ってくる」
そんな話 初めて聞いた。優介の先生の口から僕の話題が出るなんて思ってもみなかった。

ただ書くことが好きだった。書きたいことを書いているうち 時間がなくなった。
 ・・試験終了の合図を聞いた時 テーマから逸れていることに、気がついた。
 「面接官に双子だったら一緒に入学したいでしょう?って聞かれて 否定したって話だって
 オレ、知ってる。 ちゃんと知ってる」
双子、双子と面接でそんな事ばかり聞かれた。頭にきて素直に肯けなかった。
それだけだった。

「良はほんとは いつもオレのこと 馬鹿にしてるんだ。馬鹿にしてる!」
いつもにない激しい口調で言いながら 優介はつかみ掛かってきた。
取っ組み合いのけんかも 仕掛けてくるのは優介、かすり傷作るのは僕。
最後に 怒られるのは いつも優介だった。
「手加減ばっかりして、被害者になって・・・。本気で相手なんかしないじゃないか。
 オレだけ いつも馬鹿で・・・ちくしょう ちくしょう、ちくしょう・・」
僕の襟首を掴んだ手を緩めると 優介は僕のベッドに倒れこんだ。
長い沈黙の後 両手で顔を覆い、優介はぽつんと言った。

「どうせ蓉子さんにも 振られちゃったさ・・・・」


 *

春名のメールアドレスを書いたメモを探したが 洗濯された優介のズボンのポケットからは
ぼろぼろにちぎれ捩れた、無残なかけらしか 見つからなかった。

「‘僕’がもう一度会いたがってるって 伝えて」優介に告げた。

あのまま僕のベッドで朝まで眠って、起きてからの優介は気持ち悪いくらい素直だ。

「解った。オレ、先に 謝るから。正直に話して、謝るから」
人懐っこい笑顔でそう言うと 制服のジャケットを羽織り、ネクタイを締めなおす。


「おーし オレは蓉子さんよりいい女見つけるぞぉ」
優介は気合を入れて、鏡の前でポーズを決める。
「おう 頑張れ!」
僕は手を伸ばし 時間をかけてセットした 優介の髪をくしゃくしゃにかき回した。

「やめろー!!!」

「何やってるの!!二人とも さっさと学校行きなさい!」
母のカミナリが落ちるまで 玄関先で転げまわってじゃれ合った。


春名と同じ学校の制服を着た優介を見送ってから 
いつも通り反対側のホームの電車に乗った。
そんなこともあったな・・・・離れていくホームを見ながら、僕は思い出ていた。
同じ中学でなきゃ行きたくない・・受かったくせに ごねて泣いたのは優介。
慰めて励ましたのは 落ちた僕の方だった。


 *

「こんにちは」

走ってきた春名は 前と同じようにぺこりと頭を下げ 涼しい目をして笑う。
「有岡・・・・有岡 良介です」
恐る恐る 名前を言うと、春名は笑った目のままで言った。
「はじめまして・・じゃないですね、こういう場合、何て言うのかな?」
告白する前に振られに来たようなものだ。どんなに責められても仕方ない。
覚悟は決めていた。

「全部聞きました。それで、解ったの。私がずっと、ずっとお話したかったのは
やっぱり良介さんの方だったんですよ」
「え?」
「作文・・」
言葉を止め 春名はいたずらっぽい目をクルクルさせた。

「優介さんの作文の宿題 良介さんが ずっと手伝ってたってこと、聞きました」
「あ・・ああ、・・正直に話すって・・そんな話までしたの?優介のヤツ」
 ─うちの国語の教師なんて、ややこしい作文の宿題ばっかり出してさ。
内容なんか見ない、提出さえしたら点はやる・・・なんて言うんだぜ
優介の国語教師の出す課題が面白くて、ついついずっと宿題を引き受けてきた。


「図書室の本も 借りるのは優介さんだけど 読んでるのは良介さんなんだって聞きました」
「それは僕の学校より 君のところの方が充実してるから・・」
「優介さんの貸し出しカード、いつも見てました。
どんな作家が好きなのかな・・どんな本を読むのかな・・って、これ図書委員の特権なんですよ」
「・・それ、僕が読んだ本・・ってことだ」
「はい。同じ作家を好きな人がいるって思ったら 嬉しかった。
同じ本を読んでる人がいるって思ったら、楽しかった。知らない本があったら、探して読みました。
すみません、ちょっとストーカー状態ですね?」

「だから、あの芝居に誘ってくれたんだ?」
「はい」
春名コクンと肯いた。


「最初に読んだのは あなたの書いた・・感想文でした。
他の人の書くのとは全然違ってた。それにね、あなた 書いてたこと、覚えてますか?」
「うん・・・いや・・・」
いつも 思いのまま書いていた。
優介の名前で出す宿題だってことさえ書いている内に忘れてた。

「主人公の少年の『強さと自信』について語った一文を取り上げて、
その文章にとことん拘ってた。感想文の枠を あなたは自由に飛び越えてた・・・」

くすりと笑うと 春名は懐かしい者でも見るように目を細めて僕を見た。
何度も繰り返し読んでくれたのだろうか。
春名の唇から中学生の僕の綴ったまだまだ幼い文章が やわらかに流れ出した。

 ─『迷いも悩みも揺れも惑いも、いずれは自分の力に変えて行ける』
 ・・・そんな主人公の強さ、自信。

けれど 僕は思うのだ。人間っていう生き物だけは皆 そうやって強くなる。
「強い」主人公だけではない。
「彼の物語」の中では、どんな小さな脇役の人物も、
そして今 自分の弱さに向き合いながら本を読むどこかの誰かだって きっとそうやって強くなることができるのだ。

僕はそう信じている



「あなたの書いたものに励まされて あなたに会いたくて 学校に戻る勇気が沸いたんです
 無理言って頼み込んで あなたが書いてきたもの、全部読ませてもらったの。
 きちんと綴じて 残しておられるんですよ、神崎先生って」
内容は問わない、提出さえしたらいいと、優介に作文の宿題を出した国語教師の名前だった。


僕は 駅で本を読んでる君を、ずっと見ていた。
こんな風に繋がることの 不思議。
優介が両手に持った2本の糸を ひょいと引っ張って鼻歌交じりで結んでる
 ・・そんな姿が頭によぎる。


「いいな 双子って 素敵だな」
「そうかなぁ」
「私、ひとりっこだから、すごく羨ましいです」

 ─優介さんが羨ましい。
春名が振り返って つぶやいた。
「優が羨ましい・・・?」 
君は優が羨ましいの?


「はい、だって 良介さんのこと 一番良く知ってるでしょ?」
春名は そう言ってから きゃっと小声で叫んで 首をすくめた。
横顔の頬が紅い。

僕の頭の中、鏡に映った 優介がにっと笑って手を振った。




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