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恋する乙女と夏の語り部

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恋する乙女と夏の語り部


大きな窓から差し込む蜜柑色の光が蛍光灯の明かりと混じり合い、窓際の机を照らしている。
 机を囲む椅子は四つあり、そのうち一席だけが埋まっていた。
 そこに座り、大人しそうな雰囲気の女生徒――河内静奈が机の上の本へと目を落としていた。
 静奈は、友人である上原梢の部活終了を待っていた。
 特に部活や委員会にも所属していない静奈が待ち時間を潰すために選んだ場所は、図書室だった。

 学食に行けば想い人に会えたかもしれない。
 しかし、彼が放課後の学食を好んでいることを知らない静奈は、かすかに漂う紙の匂いに心地よさを覚えながらページを手繰る。
 夕暮れの図書室で読んでいるのは、変わった装丁の恋愛小説だ。
 まるで日記帳のような本に、手書きめいた書体で物語は綴られていた。
 タイトルもろくに見ず、なんとなく手に取った本だったが、静奈はその物語に惹かれていた。
 悲恋ではなく、甘い恋が成就する物語を、静奈は追っていく。

 それは、非常に共感できる本だった。
 登場人物を自分と想い人に重ね合わせて胸を高鳴らせる。 
 大好きな彼と恋人になりたい。
 本に出てくる恋人のように愛し合い、一緒の時間を過ごし、共に色々なところへ行きたい。

 季節はもう、夏だ。
 一緒に花火をしたい。夏祭りに行きたい。
 泳ぐのは得意ではないが、彼と一緒に海やプールにだって行きたい。
 浴衣や水着を着たところを見られたらと、想像する。
 それだけで恥ずかしく頬が熱くなるが、見てほしいという願望も強い。
 褒めてもらえるだろうか。
 似合っていると、可愛いと、そう言ってもらえたらと、妄想めいた想像をする。
 知識でしか知り得ないデートの光景が、脳内に展開する。
 妄想はページを繰る手を止め、鼓動を速まらせ、口元をだらしなく緩ませる。

「ねぇ、あなた。私と、お話をしましょう?」

 目の前で静かな声が聞こえたのは、静奈の脳内で、牧村拓人と唇が触れあいそうになったときだった。

「え、ええぇッ!! わ、わたし、ですか――ッ!?」

 驚愕し大声を出した後で、静奈はここが図書室であることを思い出し慌てて口を抑える。
 一気に顔が真っ赤に染まり、べたついた汗が額と背中と掌に滲み上がる。
 変な顔をしていたのではないかと不安になりながら、静奈は正面に視線を向ける。
 そこにいたのは、ぬいぐるみを抱えた、短い黒髪が愛らしい女の子だった。
 彼女がいつの間に現れたのか、静奈は全く気が付かなかった。
 それほどまでに妄想へどっぷりと浸っていたのかと思うと、死にたくなる。
 大慌てでおどおどと首を振る静奈に、女の子は微笑んで見せる。
 目を細め、唇の両端を吊り上げたその顔は可愛らしい。
 それなのに。
 細められた瞼から除く瞳は、まるで、光すら呑み込んでしまう夜のように真っ黒だった。
 彼女は笑んだまま、口を開く。
 小さな唇の奥から除く舌は、鮮やかなほどに赤く見えた。

「ええ、あなたよ。そうね、あなたには――恋のお話がいいかしら」


 ●

 眼鏡がよく似合う、大人しい恋する女の子のお話をするわね。
 女の子が恋していたのは、同じクラスの男の子。
 彼は爽やかで格好いい、バスケ部のエースだったの。

 そんな男の子だもの、当たり前のように女の子の人気を集めたわ。
 ライバルも多くて、彼と恋人になれるなんてとても思っていなかった。
 彼と特別仲がよかったわけじゃない女の子は、いつも彼を眺めるだけだった。
 他の女の子と、楽しそうに話す彼を、いつも眺めていた。
 恋心と嫉妬をこね合わせた視線を、いつも彼に送っていた。

 女の子は、とても人見知りが激しかったの。
 だから彼に声もかけられなかったし、友達も少なかった。
 でも、親友と呼べる子が一人いたわ。
 女の子は親友に、自分の感情を吐露することが多かった。
 それは相談だったり、愚痴だったり。
 親友はいつだって、女の子の感情を受け止めた。
 たまに、困ったような顔や苦笑いを浮かべることはあったけれど。
 反論することもなく、批判することもなく、ただただ女の子の全てを肯定し受け入れたの。  

 それが女の子には心地よかった。安心できた。信頼できた。
 女の子は親友が大好きで、心から感謝していた。
 だからあるお休みの日に、お礼をしたくて、親友を遊びに誘ったわ。
 親友が見たいと言っていた映画を見て、親友のお気に入りのお店で美味しいケーキを食べて、いつもありがとうと言おうと思った。
 けれどその誘いは、残念なことに断られてしまったの。

 どうしても外せない用事があるから、と。

 女の子はがっかりしてしまったけど、都合が悪いなら仕方ないと思い、次のお休みに約束をしたの。
 そして、お休みの日はやってきたわ。
 親友にお礼をするはずだったその日に、女の子は一人で時間を過ごしていた。
 女の子は、日記を付けていたの。
 その日記が残り少ないことに気がついた女の子は、日記帳を買いに町へ出たわ。
 駅前に着いたとき、女の子は見つけるの。

 背が高い、大好きな男の子の姿と。 

 その隣に寄り添う、気合の入ったお化粧をして、可愛い服でおめかしをした親友を。

 楽しそうで幸せそうで仲睦まじそうな、誰もがカップルだと信じて疑わないような雰囲気で、二人は。
 女の子に気付くことなく、遠ざかって行ったの。

 それから、女の子はどうやって家に帰ったのか覚えていなかった。
 たった一人、女の子は、自分の部屋で茫然としていた。
 想っていたのは、男の子のことではなく親友のこと。
 持て余す感情のままに、とりとめもまとまりもなく、ただただ、想ったのよ。

 誘いを断ったのはデートのため。
 デートの相手は私の大好きな人。
 知ってたはずなのに。
 分かってたくせに。
 信頼していたのに。
 何を言っても受け入れてくれてたのに。
 それなのに。
 こんな形で。
 親友は。
 大好きなのに。
 応援してくれてると。
 想ってたのに。
 嘘だったの?
 騙してたの?
 ひどい。
 ヒドイ。
 酷い。
 どうして?
 どうして?
 どうして?
 どうして奪ったの?
 どうして踏みにじったの?
 どうして? どうして? どうして?
 どうして裏切ったの?
 私の全部を受け止めてくれるフリをして、本当は。
 嘲笑ってたの?

 たった一人の親友に対する信頼と情愛は、同じだけの憎悪と嫌悪に反転したわ。
 それでも女の子は、その感情を外に爆発させられなかった。
 だって、女の子は。
 男の子が大好きだったんだもの。
 もしも親友にこの感情をぶつけてしまったら、男の子に嫌われてしまうと。
 そう、恐れたから。
 男の子に嫌われたくないと、願ってしまったから。

 だから。
 女の子は外に感情をぶつけられず、持て余す感情を昇華できず抱え込んだまま。
 手首を、切ったんですって。

 残り少ない日記に血で文字を書いて。
 女の子は、息を引き取ったそうよ。

 ――くすくすくす。

 嫌われることを恐れる必要なんてないのにね。
 結局、恋は叶わないのだから。

 それにしても。
 同じクラスの男の子を大好きな女の子がいて。
 女の子には、相談を持ちかける親友がいるなんて。
 なんだか、似てるわね?
 これってきっと、よくある話かもしれないって、そう思わない?

 ――くすくすくす。
 ――くすくすくすくす。
 ――くすくすくすくすくすくす。

 ●

 空調の音が、図書室に低く響いている。他の物音は、耳に届かない。
 この場所は本来静かであるべきであり、物音がしないのは当然だ。
 だが、不必要なまでに静かなような気がして、静奈は身震いをしてしまう。
「ああ、そうそう。一つ、言い忘れてたわ」
 ぬいぐるみを抱えたまま、少女が静けさを破る。
 その声はしかし、気味の悪さを助長するかのように流れていく。
「女の子が書いていた日記なんだけどね? 普通の日記じゃないの」
 少女はそっと、静奈の手元に目を向ける。
 そこにあるのは、一冊の本。
 タイトルも分からない、手書きめいた書体で記された、まるで、日記帳めいた装丁の――。
 静奈の産毛が、総毛立つ。
 思わず両手で身を抱いた静奈の目が、少女を捉えた、その瞬間。
「……っ!」
 息が詰まり、泣き出しそうになった。
 少女は、笑っていた。
 上目遣いで静奈を睨めつけ、裂けそうなほどに両側の口角を上げて。
 にぃっ……と。
 笑っていた。

「妄想日記なんですって。大好きな男の子との甘い甘い甘い、妄想を綴った、まるで小説みたいな、日記。
 女の子と一緒に焼かれたその日記がここにあるということは、きっと、女の子も近くにいるわ。
 ひょっとしたら、自分と同じような女の子を、同じような目に合わせようとしているのかもしれないわね?」

 くすくすと、不安を煽り立てるような笑い声がする。
 それから逃れるように、静奈は少女の顔から手元へ目を落とす。
 そこには、本がある。
 僅か数ページとなるまで読み進めた、本がある。
 そして、静奈は気付く。
 ずっと気付かなかったのに、不意に気付いてしまう。
 今開かれているページ裏が、次のページに貼り付いて、奇妙に分厚いことに。
 貼り付いていて開けないが、しかし。
 手書きめいた文字の背景となるように。

 ――赤黒い文字が、シミのように、浮き上がっていた。

「きゃ――ッ!」

 堪えられず悲鳴を上げ、本を振り払う。
 鳥肌は止まらず背筋は震え、目には涙が浮かんでいた。
 世界が涙で滲み、嫌な悪寒が体を包み込む。
 逃げるように目を閉ざした静奈の耳に、届いたのは。 

「何、今の声……? って、静奈ちゃん!?」

 聞き覚えのある、声だった。
 恐る恐る、目を開ける。
 涙で滲んだ視界に、ウェーブのかかった豊かな金髪の女生徒が映った。
「アリス……さん……っ」
 共に演劇を行った先輩――真田アリスの姿に、静奈は安堵を覚える。
 瞬間、張りつめた恐怖が解けて思い切り後押しされたかのように、涙が押し寄せてきた。
「アリスさん、アリスさん――ッ!」
「わわ、ちょっと、どうしたの!?」
 狼狽するアリスに構わず、抱きついた。
 焼きつけられた恐怖を洗い流そうとするように泣く静奈は、気付かない。

 ぬいぐるみを抱えたあの少女とあの日記帳が、夕闇に溶けるように消えてしまったことを。----

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