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末路(順)《後編》


 ◆ ◆ ◆


 三階の廊下の端、羽川翼は物陰に身を潜め、エレベーターの前にひとりで立っている奇野頼知の様子を窺っていた。
 奇野は丸腰で、武器を隠し持っている様子もない。無防備に両手を腰にあて、何かを探すかのように視線を彷徨わせている。いかにも落ち着かない風でいるのが遠くからでも見てとれる挙動だ。
 羽川は身を潜めながらも臨戦体勢だった。右手に抜き身の状態の日本刀を構え、隙さえあればいつでも斬りかかれると言わんばかりに殺気に満ちた視線を放出している。
 ただし、相手にそれを気付かせない程度に。
 「……あー、」ややあって、奇野がおもむろに声を上げる。「そろそろ出てきてもいいんじゃねーかー? どっか近くに隠れてんだろ? さっきからずっと、こそこそと俺をつけ狙ってる奴。あの人形ぶっ壊されて困ってんのかもしれないけど、残念ながらこっちには油断も同情もないぜ。いい加減、観念して出てこいよ」
 空虚に向かって語りかけるような声が、静かな廊下に反響する。羽川にも当然、その声はよく聞こえてくる。「あんまり逃げ隠れしてると、男を下げるぜ」
 突っ込みどころではある台詞だったが、この場で突っ込みを入れることのできる人間などいるはずもない。静寂の中に空しく吸い込まれてゆくだけである。
 「……」
 やっぱり、そう安々と油断はしてくれなかったか――自分が隠れ潜んでいることが相手に知れているのを奇野の言葉で知り、羽川はむしろ安心する。相手が自分の存在を知った上で行動しているのか否かがわからないことは、逆にプレッシャーになり得るからだ。油断している風を装って誘いこむような作戦を取られてはたまらない。日和号を失った今、直接戦闘となれば今度こそ自分の身を投じるしか方法はないのだから。
 子荻の予想したとおり、羽川は奇野たちからそう遠くない場所で、日和号――微刀『釵』を操っていた。奇野を仕留めるのにあくまで日和号を使おうとしたのは、慎重を期したというよりもむしろ、日和号の扱いに慣れるために操作に徹した、というほうが主な理由としてある。その段階で、このゲームにおける支給品の中でも有数の利便性と戦闘力を誇る武器を早々に破壊されてしまったことは、羽川の油断が原因といっていいだろう。子荻の動きに羽川が気付いてさえいれば、一人も仕留められぬうちに破壊されるなどという事態だけは避けられたはずである。
 残る武器はひとつだけ。
 右手に構えた日本刀。日和号と同じ完成形変体刀が一振り、斬刀『鈍』。
 加えてもうひとつ、武器を失ったこと以外に警戒すべき要素が、羽川にはあった。
 銃器の存在である。
 建物全体に響いたであろう四発の銃声が、羽川に聞こえなかったはずはない。それでなくとも、エレベーター内に放置された日和号の残骸を調べれば、それがどんな武器によって破壊されたのかはある程度予測できたことだろう。
 日本刀しか武器のない今の羽川にとって「遠距離攻撃」という属性は、最も警戒すべき対象のひとつである。射程もさることながら、恐るべきはその殺傷能力だ。どんな銃器かはっきり見たわけではないが、生半可な威力のものでないことはほぼ間違いない。日和号が一瞬にして廃品にされたことがいい証拠だ。生身の羽川に、銃弾が致命傷の要因にならぬ道理などない。
 しかも、こちらは一人で相手は複数名。
 戦力だけで言えば、羽川は圧倒的に不利な立場にいる。
 「あくまでだんまりで通すつもりかー? ……ふん、黙して伏すのが美学ってタイプなら、あんま気は合わなそうだな。沈黙は金、雄弁は銀――ってか?」
 その使い方は誤用だ、とは羽川は言わない。奇野の言うとおり、黙して伏すだけである。
 ――しかし不可解だ、と羽川は思う。相手の行動を見るに、あの男を囮に羽川を誘き寄せて陰から仲間が仕留める、といった風の策をとっているように見えるが、今の段階で選ぶ策としては非効率過ぎではないだろうか。
 日和号を失ったことでこちらの攻撃手段が半減したことは、向こうも承知のはず。それにしては、向こうの攻めがあまりにも消極的すぎるというか、戦力の使い方が大人しすぎるように思える。
 こちらがどんな武器を所有しているのか分からないがゆえに警戒しているのだろうか――と一瞬思いかけたが、羽川はすぐにその理由を推察した。この建物は今、羽川たちの手によって――ほとんどが西東天の手によるものだが――完全な牢獄と化している。ここから外に出るためには、この密室を作り上げた人間を生かしたまま確保し、扉の解錠方法を聞き出す必要がある。
 つまり相手は、こちらを『殺すために』慎重になっているのではない。『殺さないために』、慎重にならざるを得ないのだ。
 その推察が正解だとすれば、当然そこは付け込むべき大きな隙となる。殺すことを前提にした方と殺さないことを前提にした方では、縛りの重さが格段に違う。向こうが慎重になればなるほど、こちらの生存率は高くなってゆく。
 存分に石橋を叩いてくれればいい。
 その音を頼りに、こちらは闇討つ。
 想操術に侵された脳を、羽川は回転させる。殺し合いの渦中にふさわしい、歪な戦闘意欲に塗れた思考をそこに展開させる。
 殺意。
 創られた殺意。
 植え付けられた殺意。
 激情でなく、冷徹で、機知的で、揺らぎのない機械的な殺意。
 さながら、微刀『釵』のような。
 「……」
 相手がこちらを誘い出そうとしているのなら、まずはその目論見に乗ったふりをして、相手の行動を誘発させる。囮ではない方の敵を、逆に誘い出してやろうという企みだ。
 奇野たちがここに到着するより前に、羽川はこの施設内の建物を丹念に見て回り、ほぼすべての構造や部屋割りを記憶に収めていた。相手が銃による「狙撃」を狙っているのだとしたら、狙撃手が銃を構えて潜んでいるであろう場所は、すでにある程度、当たりをつけている。その場所に意識の焦点を置いておけば、不意の一撃を喰らわされることはないはずだ。
 そもそも相手の得物が銃だからといって不利になるかといえば、そういうわけでもない。遠距離武器という性質が厄介であることは事実だが、それは屋外での話だ。稼げる距離の短さ、遮蔽物の多さという点において、この建物内部での銃器の有用性は著しく減少する。
 だからこそ、今ここで確実に仕留めておく必要がある。
 目を閉じ、呼吸を整え、斬刀『鈍』を両手で構え直す。
 探り合いの時間は、もう終わり。
 ここからは、殺し合いの時間。
 殺さなければ、生き残れない。
 生き残るため、殺す。
 自分のために、自分以外のために。
 ――私はまだ、死ぬわけにはいかない。
 絶対に。
 神経を極限まで尖らせ、再び目を開いた、その瞬間。

 ずん、と。

 鈍い衝撃とともに、全身に異様なまでのぶれを感じる。
 ついで、焼けるような激痛。
 そして銃声。
 「……っ!?」
 急転直下。
 不意の一撃が、いとも容易く羽川の身体を捉えた。


  ◆  ◆  ◆


 時間にしておよそ一時間前。
 第二研究棟の屋上にいた羽川と西東は、施設の入口である鉄扉を抜けてやって来る三人の姿を見ていた。
 山道を通ってここへたどり着いたばかりの、萩原子荻たち御一行様の姿である。
 「三人――ですね」
 羽川の表情は、傍目には冷静であるように見える。
 「ふん……こりゃあ中々に、面白いめぐり遇わせだな」
 「何がですか?」
 「驚くべきことに、三人とも俺と顔見知りなんだよ。――まあ、うち二人は俺が一方的に見知ってるだけかもしれんがね。ただ、あのカチューシャの奴に関しては本当の意味での知り合いだ。偶然にしては良い感じだな」
 羽川が『まとも』であったなら、この場所で奇野たちと戦闘になることはなかっただろう。
 二人と三人、合わせて五人の異色パーティーが完成していたに違いない。
 「狐さん」
 「ん?」
 「さっき、その気になればこの施設内のシステムくらいなら弄れるって言っていましたよね。――その技術で、ここの各建物のセキュリティを意図的に作動させて、すべての扉をロック状態にすることは可能ですか?」
 「ああ……? 可能っちゃ可能だがな。そんなことしてどうすんだ」
 「私に考えがあります」
 実際には考えと呼べるほどの考えがあるわけではなかった。
 『獲物を逃がしてはいけない』――内側からの命令に、ただ機械的に従っただけのこと。
 密室を作り上げたのは、実質的には羽川翼だったのである。
 「――――これで一応、施設内の扉はすべて制御されたぜ。パスワードが入力されねえ限りは絶対開かん。この程度の操作ならちょろいもんだ」
 「入口はひとつ、これで中からの脱出はほぼ不可能――ですね?」
 「そうなるな――しかしどういう組み合わせだありゃ。死神に呪い名に、よりにもよって『策師』までいるたあ……気味悪いくらいに気の利いた面子だな。神様だか魔法使い様だか知らんが、随分とまあ粋な真似をなさる――いやむしろ、縁が『合った』と解釈すべきなのかね、これは。足に任せてたどり着いた場所とはいえ、ここに来たのは正解だったようだな――」
 羽川の異変に、西東は気付かない。
 気付いていたとしても、結果は同じであっただろうが。
 「――――殺せば、」
 羽川翼の恐るべきところは正にそこだった。時宮時刻から直接に想操術をかけられてなお、傍から見れば正気を保っているとしか思えない状態を維持することを可能とした、圧倒的な精神力。
 脳内でリフレインするのは、診療所で交した西東との会話。

 ――殺せば、それでいいんですね。
 ――ああ、そうだ。
 ――ここでは、それが正しい。それこそが正答であり、正当だ。

 その会話が引き金となったのかどうか、ここではっきり断定することはできないが――
 「殺せば、それでいいん、ですね――」
 「あ?」
 西東が振り返ったときには、斬刀はすでに振るわれている。
 セキュリティの解除方法を知る西東を殺してしまえば羽川自身も外に出られなくなるという当たり前の事実にも、今の羽川の思考は及ばない。
 暴走、無差別、無感情。
 時宮の想操術の前に、敵も味方もありはしない。
 かくして時宮時刻の打った布石――狂戦士の火種は、彼の意思とは関係なしに狂い咲き、ここにおいて一人目の犠牲者を出す。
 羽川翼、暴走開始。


【西東天 死亡】 
【残り 40名】 





  ◆  ◆  ◆




 おかしい、と羽川は思った。
 思ったが、唐突すぎる展開のあまり、何がおかしいのか――何をおかしいと思えばよいのか、それが一瞬わからなかった。思考が無重力になり、地に足の付く感覚を喪失する。
 だが結局、一番最初に疑問に思ったことは、
 (どこから……撃ってきた?)
 だった。
 狙撃という手段は予想していた。予測していたからこそ、それが可能だと思える場所には、あらかじめ細心の注意を向けていたはずだった。
 そもそも羽川は、身を隠していた状態からまだ一歩も動いていない。
 この奥まった場所は、フロアの向こう側からは完全な死角になっている。
 撃てるはずがないのだ。
 「ぐ……っ!」
 激痛に耐えながら、倒れこむようにして物陰から廊下へと転がり出る。左腕が動かない。貫通した銃弾は左肘の関節部を完全に破壊していた。右半身の力でどうにか立ち上がり、奇野のいる方向へ意識を向ける。
 奇野は羽川の姿を視認するやいなや、上の階へと階段を駆け上がっていってしまった。
 逃げた?
 いや、狙撃の巻き添えを食わないよう退避したのか。
 そう思った矢先、二発目の銃弾が撃ちこまれてくる。咄嗟に身体の位置をずらしていたため、弾丸は床へと被弾する。
 立ち止まるのはまずい。そう思い、そのまま廊下を全力疾走し、階段の辺りまで一気に移動する。デイパックを隠れていた場所に置いたままだったが、どちらにしろ右腕一本では斬刀を握るだけで手一杯だ。
 二発目が撃ちこまれたことより、羽川はそれがどこから放たれたものか今度こそ理解する。
 上である。
 真上も真上、天井の向こう側から、銃弾が降り注いできたのだ。
 「上の階から……? そんな、どうやって――」
 思考を重ねたところで、羽川に答えを出すことはできない。
 子荻にとって日和号の存在が予測不可能だったように、子荻の持つ簡易レーダーもまた、羽川にとって予測不可能の代物だったのだから。
 子荻の企みにより、奇野は屋上で話を聞くまで、この建物には自分たち以外に誰もいないと思いこんで行動していた。それを見ていた羽川にとって、自分の存在が具体的な位置までとうに知られていたなど、予測も想像もできるはずがない。
 子荻の持つレーダーの画面は、支給品の地図と同じく真上から見た形の平面図になっており、首輪を身につけた参加者のいる場所を光点で示すようになっている。羽川の位置を表す点と子荻を表す点、そのふたつがちょうど重なる位置に立てば、ぴったり相手の真上に立つことができる。
 理屈の上では確かに、それで相手の姿が見えない状態での銃撃は可能となる。しかし当然、それでは狙いなど全くつけられないし、命中するかどうかも運次第のようなものだ。ましてや「相手を殺さないように」撃つことなど、不可能以外の何物でもない。
 この建物が密室と化している以上、相手は羽川から扉の解錠法を聞き出す必要がある。奇野が囮役として羽川に呼びかけてきたことで、自分を殺さずに捕えるための方法を選んでくるつもりなのだと確信した。
 だからこそ、羽川はそこにつけ込むつもりでいた。
 『だからこそ』、相手が死ぬかどうかも曖昧な手段を、子荻は選んだ。
 あくまで敵の裏をゆく策。
 相手が裏をかくなら、こちらは更にその裏を。
 まるで、それが唯一のこだわりであるかのように。
 これが『策師』――萩原子荻。
 「くっ……!」
 羽川の立場はすでに追われる側へと転じていた。相手の攻撃手段も分からぬまま、階段を下の階へと立ち止まらずに駆け降りる。玉砕覚悟で上の階へ行くことも考えたが、それは相手の思う壷だろう。出合い頭に一瞬で狙い撃ちにされてしまう。
 銃撃から逃れなくては。
 その思考だけが今の羽川にはあった。
 一階まで駆け降りたところで、上の階から羽川を追って駆け降りてくる足音が聞こえてくる。おそらくは銃の持ち手だろう。あくまで逃がさないつもりか。
 「――どこへ逃げようと無駄ですよ」
 足音に続いて、遠くから鈍く響き渡ってくるような声が聞こえてくる。恐らくは、上の階から発されているであろう声が。
 「――残念ながら、あなたの居場所は完全にこちらの手中です。階下に逃げようと、物陰に隠れようと、私の銃弾はあなたを逃がさない。これ以上の逃げは時間の無駄以外の何物でもありませんよ。お互いのために、そろそろおとなしく投降しては頂けませんか?」
 丁寧な口調ではあったが、内容は完全に脅迫だった。殺す気で撃っておいて、「お互いのため」とは言いも言ったりである。
 文字通り、上からの物言い、といったところか。
 その呼びかけを振りきるように、廊下の端へと全力で駆ける。あくまで逃げきるつもりですか、と言わんばかりに放たれた三発目の銃弾が、右脚の肉をわずかに抉る。火傷のような痛みが走るが、足は止めない。徐々に増していく左腕の激痛が、右足の痛みをすぐに掻き消す。
 銃弾から逃れるための方法を、羽川は走りながら即興で考える。思い付いたのは、単純に銃弾が届かない場所へと逃げ込むことだった。この建物は四階建てだが、当然それぞれの階の構造は同じようにはできていない。入れない部屋もいくつかあり、各階により異なるデッドスペースが存在する。
 つまり、一階と二階で構造にズレのある場所に逃げこめば、物理的に相手はこちらの真上をとることはできなくなる。
 各階の構造は、奇野たちがここに到着するより前に、すでに細部に渡って記憶に収めている。真上からも、相手が一階に降りてきた場合にも死角になり得るような場所を、羽川はすでに脳内でピックアップしていた。
 四発目の銃撃がこないうちに、一階の奥、物置のような小さなスペースにたどり着く。扉を斬刀で真っ二つに斬り裂き、体当たりするように扉ごと中へと飛び込む。さながら猫のような俊敏さだった。
 ここならば、角度からいっても上階からの銃撃は不可能。一階からも遠くからでは狙えない。仕留めるためには、向こうから近づいてくるしかない!
 ――しかし、その読みもまた浅かった。
 思考する時間がなさ過ぎた、というべきか。
 デッドスペースの存在には、子荻もとうに気がついていた。そして羽川がそこに逃げ込むこともまた予想の範疇。――いや、むしろ最終的にそこへと逃げ込むように、子荻のほうから誘導していた。
 密室という条件を利用した「追い込み」こそが、子荻の真の狙い。
 そして追い込んだ先には当然、先回りの一手。
 戦闘開始よりはるか前に敷かれていた、止めとなる最後の一手。
 「王手――というわけでもないでしょうけど、これにて一名脱落、ですかね」
 「……!?」
 その声に振り返るよりも速く、後頭部に受けた衝撃により、羽川は昏倒していた。


 ◆ ◆ ◆


 「終わったか?」
 奇野が一階に降りてくると、そこにはすでに全員がそろっていた。奇野以外の、この第二研究棟内に存在しているすべての面子が。
 ひとりは無骨なライフルを肩にかけ、長い黒髪を手櫛で整えている少女。
 「――辛勝、といったところですね。三対一でここまで梃摺るとは思いませんでした。ずいぶん無駄弾も撃たされましたし」
 萩原子荻は、そういって少し不満げな表情を見せた。あまり納得のいく結果ではないらしい。
 「結果オーライでしょう。こちらは一切無傷で済んだんですから。――あ、お疲れさまでした奇野さん、これお返ししますね。結局使わずに終わりましたけど」
 緑色のツナギを着た長身の少年、石凪萌太は柔和な笑顔を浮かべながら、無造作に持っていた一対の武器――トンファーを奇野に差し出した。
 「別に持っといていいぜ。俺はどうせ使わない」
 「そうですか? では、遠慮なくお借りしておきます」
 そういって、トンファーを自分のデイパックへと収める。武器を扱うのに慣れている風の手付きだ。
 奇野が囮役で、子荻が追い込み役だとするなら、その最終地点で止めを刺すための伏兵、待ち伏せ役を務めたのが、この石凪萌太だった。務めたとはいっても、実質的にはただひたすら小部屋の中で敵がくるのを待つだけの地味な役割だったのだろうが。
 探索開始の前、奇野は全員が分散することに疑問を感じたが、実際には分散などしていなかった。
 子荻が第一棟からすぐ移動してきたように、石凪もまた同じく第三棟から、始めから全員がこの第二研究棟に集まって、奇野の預り知らぬ間に包囲網が用意されていたのだ。
 ひとりの敵を仕留めるための、包囲網が。
 「……で、こいつがその――敵か」
 子荻と石凪の傍らに横たわっている眼鏡の少女。説明されるまでもなく、この少女がつい今まで奇野たちを攻め立て続けていた張本人なのだろう。
 「女だったのか……しかも全然武闘派な風には見えねえな」
 変わった意匠の巫女装束に、頭にはなぜか猫耳。何かの冗談にしか見えない。
 武闘派に見えないのは、目の前でライフルを携えているこの女子高生とて同じことだが。
 「武闘派ならそもそも、あの人形に頼りっぱなしということはなかったでしょう。どんな武器を持ってるのか一応警戒していましたけど、日本刀ひとつだけでした。直接戦闘に自信がないからこそ、あそこまで慎重になっていたんだと思います」
 その慎重さが仇になった、というわけだ。
 ……いや、一概に慎重だったとは言えないだろう。黙って逃げるか隠れるかする選択肢があったにも関わらず、この少女はこちらが三人だということを知った上で、たった一人で戦闘を仕掛けてきたのだから。
 慎重どころか、好戦的もいいところだ。
 どちらにせよ、この少女に自分らが危うく殺されかけたという事実に変わりはない。子荻と石凪はどうかわからないが、奇野の場合は本当に紙一重のところだった。石凪の言うとおり、全員が無傷で済んだのは幸運な結果といっていいのかもしれない。
 「囮に犠牲はつきものですよ、奇野さん」
 「一回殺されてみやがれ」
 切実な意見だった。
 「……で、どうすんだ、これから」
 「出入口は……まだ封鎖されたままでしょうね」
 やはり優先すべきは、この密室の開放か。しかし解錠法を知る人間は今のところ昏倒中。
 「一応、僕が確認してきましょうか」
 石凪が出入口の確認へと向かう。
 「出口――か」奇野は何となく思った疑問を口にした。「なあ、なんでこいつは外に逃げなかったんだろうな」
 「……?」
 首を傾げる子荻。
 奇野はさらに言う。
 「扉を封鎖したのがこいつなら、こいつ自身は自由に外に出る方法を確保してたってことだろ? いくらなんでもあれだけ追い込まれれば、デッドスペースに逃げ込むとかよりも、外に逃げるほうを選ぶと思わないか?」
 デッドスペースの位置を咄嗟にピックアップするくらい冷静な思考ができたのならば、当然その考えもあったはずだ。というか、三対一という状況を意識した時点で、逃げ道を確保しないのはやはり不自然さがある。
 向こう見ずに好戦的な人間が相手だというのならまだ分かる。しかしこの相手の行動を思い返すと、むしろ慎重さや緻密さを感じる場合が多い。
 なぜそこまで、奇野たちを仕留めることに終始したのか。
 「逃げを選択できない理由が何かあったんじゃないでしょうか。あるいは、戦わざるを得ない理由が」
 「いや、だからその理由を――」
 考えて分かるはずもないか。
 それこそこいつが起きてから聞けば分かることだ――と、奇野はまた思考を打ち切った。
 「そうですね」子荻はいつのまにか、羽川から没収したと思しき日本刀を持って、品定めするように見ている。
 「何にせよ、この方の意識が戻るまでは――――――――っ!」

 刹那の油断。
 ライフルから手を放し、刀に意識を向けたその瞬間を狙いすましたように、羽川は動いた。
 倒れた体勢から一瞬にしての跳躍。肉食動物を思わせる機敏すぎる動き。
 不意を突かれた子荻は、全身を使っての体当たりをまともに喰らい、壁ぎわへと吹っ飛ばされる。
 「あ……っ!」
 交差の瞬間、羽川はしっかりと斬刀『鈍』を奪い返している。
 そこから先の動きを、奇野は目で追いきれない。
 斬刀を片手に、出入口のある方向へと――出入口の確認に向かおうとしていた石凪萌太のいる方向へと、羽川は跳ぶ。左腕の弾痕から血がほとばしり、黒色の巫女装束が影のようにはためく。対照的に、抜き身の刀と見開かれた双眸が凶暴な白い光を放つ。
 子荻がそうだったように、石凪にも油断があったのかもしれない――いや、そんな理由付けが不要と思えるくらいに、その動作は速く、躊躇がなかった。
 背後からの殺気に対する反応が、わずかに遅れる。
 振り返るのとほぼ同時、右腕の力だけで放たれた斬撃が石凪の胴体を逆袈裟に斬り上げる。
 水面を斬ったかのように、それは滑らかな斬撃だった。
 「――――! しま……っ!」
 派手に血飛沫の舞う中、羽川は動きを止めない。
 薙ぎ払った石凪には一瞥もくれず、外へ逃げるためか出口の扉へと一直線に走っていく。子荻はそれを目で追いながら立ち上がり、取り落としたライフルへと駆け寄る。
 「奇野さん追って――って何でそんな遠くに隠れてるんですか!」
 「や、腹の調子が急に――さっきのういろうが中ったのかも……」
 「九割方食べた私は全然平気ですけど!」
 逃げ足だけは一流だった。
 目で追いきれないというか、追う気が最初からない。
 子荻がようやくライフルを構え直し、発砲する。気が急いていたせいか、あるいは羽川が急に方向転換したためなのか、弾丸は狙いを外れて向こう側の壁へと被弾する。しかし命中こそしなかったものの、その一発はわずかに羽川の右腕を捕えていた。音速を超えるライフルの弾丸と衝撃波が腕の表皮と肉を浅く抉る。
 「……っ!」
 銃声の余韻に重なるように、かしゃん、と高い金属音が響く。右腕の鋭い激痛に、羽川が斬刀を取り落とした音だった。
 その音が奇野たちの耳に届くころには、すでに羽川は視界から消えている。階段を上り、上の階へと再びフェイドアウトしていってしまった。
 「…………は、」
 速すぎる。
 脱兎の如く、と表現するにふさわしい俊敏さだった。
 「いや、俺が言うのも何だが……」
 依然として隠れたままの奇野を放って、子荻が走る。まだ追うつもりなのかと思ったが、駆け寄った先は大量の鮮血の上に倒れ伏した石凪のもとだった。
 屈みこみ、何かを確認するような仕草。この場合、確認の必要があるとは思えなかったが。
 「駄目です。即死ですね」
 予想通りの回答。
 血まみれの死体を前に、子荻は口惜しげに表情を歪める。
 それは当然、仲間を失ったことに対するものではない。
 「迂濶でした……まさか、あんな余力が残っていたなんて……」
 自分の思い通りに事が運ばなかったことに対する、不満の表情。
 失意の策師は、失ったばかりの貴重な『駒』を名残惜しげに見下ろしていた。


【石凪萌太 死亡】 
【残り 39名】 







 奇野は自分の置かれている現状に不満を抱き始めていた。不満というよりは不安といったほうが正確であるのかもしれないが。
 石凪が殺されたことに対して、ではない。一度ならず二度までも、敵として狙った相手を仕留めそこねた子荻に対しての違和感と疑心。それが奇野の不安を掻き立てている主たる要因だった。
 奇野は子荻を仲間として信用しているわけではもちろんない。最初の出会いの時から一貫して、いずれ敵となる相手の一人として警戒心を抱き続けている。しかし同時に、自分に代わって戦局を冷静に分析し、安全圏への道を示してくれる案内役、ナビゲーターとして信頼をおいている部分は少なからずあった。むしろ無意識下では、それは依存といえるくらい動かし難い信頼であったかもしれない。
 きっかけはやはり、自分が殺されかけた原因となった子荻の采配だ。
 自分が勝手に囮に使われたことで、その信頼に揺らぎが生じた。無意識下にあったものが意識上に浮かび上がり、疑念を感じる余地を生じさせた。
 こいつは自分にとって、本当に有益なのか?
 こいつのゲームに対するスタンスは、果たして正しいものといえるのか?
 その疑問に、奇野は未だ答えを出せずにいる。
 「…………」
 子荻はしばらく忌々しげな雰囲気を醸しだしていたが、羽川が落としていった日本刀を拾いあげた途端急に押し黙り、刀を眺めたり石凪の斬殺死体を検分したりしていた。今はそのどちらも終えた様子で、手元のレーダーに沈黙と視線を落としている。奇野は所在なく、近くの壁に背を預けて立っていた。
 「……第三棟のほうへ移動していきました。屋上まで逃げたようですね……」
 羽川の動きを伝えているらしいが、奇野には答えようがない。相手は相当の重傷を負っている上、二つ目の武器もぎりぎり奪うことができた。しかしこちらも戦力をひとり失ったわけだから、総合的にはふりだりに戻ったといっていい状況だ。そもそも生かしたまま取り逃がしてしまった時点で水泡に帰した感は否めない。
 「……もしかして、こうなることを予想して慎重になってたのか?」
 「え?」
 「や、何でもねえ……」
 下手につつけば容易に爆ぜる。そんな爆発物のような人間は、奇野の属する世界では珍しいほうではない。それを見越しての慎重策だったのだとしたら、それは計算の深さとか、そういう次元の話ではない。
 勘だ。
 単純であるぶん、それはある意味計算高さより底知れず、恐ろしい。
 「……こっから脱出するには、やっぱあの猫耳捕獲するっきゃないんだよな…………面倒くさっ」
 そもそもこの密室があったからこそ面倒な真似をするはめになったのだ。面倒くさい。状況そのものがとことん面倒くさい。
 何が原因でこんな状況に陥ってしまっているのか。
 「何が原因でこんなことになってしまったんでしょうね」
 「おめーだろ」速攻で突っ込んだ。ノータイムだった。「おまえが囮作戦とかって俺らに敵がいること黙って勝手に動いてたからこんなややこしいことになってんじゃねーか」
 「……ごめんなさい」
 謝られた。
 謝るのかよ。
 「でも奇野さん、忘れてないとは思いますけど、奇野さんを危機から救ったのは私ですよ?」
 「ああ、おかげで囮として死なずに済んだわ」
 助けられたときはありがたかったが、今では崖から突き落とした本人に引き上げられた心境だ。
 「私に落ち度があったことは認めます。でも私が何も考えずに行動していると思われるのは心外です。私は私なりにこのゲームの本分に則って、生き残るための策を考えて実行に移したまでです。いろいろと収穫もあったし、いいじゃないですか」
 よくないと思う。収穫もなにも、今一番欲しいのはここからの脱出方法だ。
 大体収穫って何よ。そのしょぼい日本刀か?
 「それに」奇野の心中を知ってか知らずか、自信ありげな表情で振り返る子荻。「脱出方法なら、見つかったかもしれませんよ」
 「は?」
 子荻は右手を、そして右手に持ったそれを、目の前に掲げる。
 奇野がしょぼいと評した、日本刀。
 鞘をわずかにずらし、その刀身の一部を外気にさらす。その輝きを見て、もう一度、自信ありげな笑みを浮かべた。
 「渡りに舟、というやつですかね」




 閉ざされた扉を前に、子荻はまず呼吸を整えるように軽く息を吐き、そして鞘に納まった刀を腰本に構える。扉に対して半身に、軽い前傾姿勢で。
 居合の構えだ。
 奇野は少し離れて、その様子を傍観する。
 数秒の静寂。
 静止から一転、刀が高速で鞘から抜き放たれる。空振りかと思うほどに滑らかな一閃。さらに返す刀で二発、三発と連続で放たれる斬撃。
 ひゅんひゅんと、空を斬る音だけが続く。
 ほどなくして、刀の動きが止まる。刀身をゆっくりと鞘に納め、その鞘の先で扉の真ん中あたりをとん、と軽く押した。
 その一押しで扉は開いた。否、破壊された。
 積木のようにガラガラと音をたてて崩れ落ち、扉はただの瓦礫と化した。
 開きましたよ、みたいな表情でこちらを見る子荻。
 「……散々動いて、最終的にこんな力業かよ…………」
 頭脳派が聞いて呆れる。
 「密室は開いてこそ意味があるのですよ」
 「それ、そういう意味じゃなくね?」
 崩れ落ちた扉の破片を見て、奇野が言う。
 「――しかしまあ、結構な腕前じゃねーの。こんなぶ厚い扉を、よくもあんな豆腐みてーにスパスパと。石川五ェ門かよお前は」
 「いえ、これは刀のほうが凄いんですよ。本当に斬鉄剣並の業物ですよ、これ。恐ろしいくらいの切れ味です。綱糸でも斬れそうなくらい――」
 久しぶりの――といっても数十分程度だが――扉の外は、もうはっきりと景色が見えるくらいに明るさを増していた。
 「一応聞いておきますけど」子荻が奇野に問いかける。「これでここから外に出ることは可能になりました。今すぐに他のエリアへ移動しますか? それともここに残って、あの巫女服の方と決着をつけますか?」
 奇野は首を横に振りまくった。「あんな悪魔憑きみてーな奴、二度と関わりあいになりたくねえ……」
 でしょうね、と子荻がうなずく。「不満は残りますが……あの状態なら放っておいても問題はないでしょう」
 奇野は床に視線を落とす。大量の血によってそこかしこが真っ赤に染まった、荒々しい戦闘の跡。ほとんどは必殺の一太刀を受けた石凪の血だが、左腕の貫通痕をはじめ、身体のあちこちに銃創を負わされた羽川の血も少なからず混じっている。
 あの傷は間違いなく重傷だ。今ごろ失血死しかけていてもおかしくはない。
 だからこそ、それほどの重傷を負ってなおあそこまでの動きを見せたことが驚異に価するのだが。
 そういうわけで、到着からわずか一時間そこそこで場所を移動する運びとなった。
 石凪の死体は当然のように放置。デイパックだけはしっかり回収しておく。
 「あ、その前に」と子荻が思い出したように言う。
 「エレベーターの中に残してきたあの人形。あれも一応回収しておきたいのですけれど」
 「あれ持ってくのかよ……まさか修理できるとか言う気じゃないだろうな」
 「可能性はありますよ。そういう風に狙って撃って壊しましたから」
 マジか。
 「少しでも使えそうなものはなるだけ収集しておきましょう。――本当の闘いは、まだまだこれから先なんですから」
 「へいへい……承知しましたよ、ライフル子さん」
 なんかもう、完全になじんでいる感じだ。
 『呪い名』である奇野よりも、この戦場に適応している気がする。
 「てか俺、今回何の役にも立ってねーな……」
 呪い名、一切呪わず。
 エレベーターの方向へ歩いていく途中、奇野は何となく子荻から言われた言葉を思い出す。建物の外と屋上、二回繰り返して言われた台詞。
 ――絶対に、私を疑うことをやめないでください――。
 その言葉に対し、最初は何の考えも巡らせなかった。その結果といえるかどうかは分からないが、奇野はあっさり敵の罠にはまり、窮地に立たされた。だから奇野はその言葉を「相手がどんな形で裏をかいてくるか分からない」という警句として解釈した。することにした。
 だがその言葉の先をもう少し深く考えれば、もうひとつ別の解釈ができることに、奇野の頭でも思い到ることができたかもしれない。
 すなわち、「私を出し抜こうとしても無駄ですよ」――という、言外の威圧。
 疑うことを止めるな。むしろ好きなだけ疑え。
 疑って疑って、永久に疑い続けていればいい。
 いくら疑っても、それは無駄なことだから――。
 奇野がエレベーターのボタンを押す。日和号はエレベーターの中にあの状態のまま残している。エレベーターを一階まで下ろせば、わざわざ四階までいかなくとも回収できる。
 幸いあれだけ暴れても壊れてはいないようで、エレベーターは正常に作動して下降してくる。
 数秒のモーター音。
 階表示のランプが1を示し、扉が両側へスライドする。
 「あれ?」
 エレベーターの中は空だった。
 ライフルの弾痕と、抜けた天井の一部だけが残されている。
 「…………あれ?」
 今さらのように頭が痛む。
 時計の針が、ちょうど6時を示そうとしていた。





【1日目 早朝 斜道卿壱郎研究施設 C-8】

【萩原子荻@戯言シリーズ】
[状態] 健康
[装備]、斬刀『鈍』@刀語シリーズ
[道具]支給品一式×2、ランダム支給品(1~3)、狙撃用ライフル@人間シリーズ(残弾80%) 、簡易レーダー(『生存者』の首輪に反応。同エリアにいる参加者の位置を示す)、ういろう(4/5)
[思考]
基本 生き残るために、常に最善の策を考えておく。
 1 「脱出」と「戦闘」、両方を視野にいれた上で思考・行動する。
 2 情報収集を優先。特に参加者と首輪に関する情報がほしい。
 3 奇野のことは「扱いやすい人間」と判断。
 4 そろそろ、澄百合学園にも足を運んでみようか……

【奇野頼知@戯言シリーズ】
[状態]健康
[装備] なし
[道具]支給品一式、ランダム支給品(1~2)、トンファー@人間シリーズ
[思考]
 基本 とりあえず生きることが優先。そのためには誰でも殺す。
 1  戦闘に関しては子荻に頼る方向でいく。
 2  『呪い名』としてのスキルが活かせる環境をはやく整えたい。
 3  子荻に対する不信感増。そろそろ何か手を打っておくべきか……

 ※奇野は哀川潤がゲームに参加していることを知っています。

【羽川翼@物語シリーズ】
[状態]左腕に貫通痕、全身にかすり傷、想操術による心神喪失状態
[装備]巫女装束@刀語シリーズ
[道具]支給品一式、ランダム支給品1~2
[思考]
基本 ――(暴走中)

 ※羽川は斜道卿壱郎研究施設のどこかにいます。
 ※今は想操術が発動していますが、不安定な状態です。
  暴走状態がいつまで持続するかは後の書き手さんに任せます。


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最終更新:2010年01月24日 22:15