視界を血飛沫の黒っぽい赤色で覆い尽くされればほとんど人間は戦々恐々でうろたえる事であると思うのだが、しかしこのぼくにおいてはさしたる感慨を抱くという事も無く、また随分と見慣れてしまっているな、という感想が浮かんでくるだけだったのを今でも覚えている。
だがそれは、ぼくが常日頃から流血しているような粗忽者だったり、また無意味やたら他人にそれを強要するような犯罪者だったりするという事ではない。
むしろそれを未然に防ぐ為に、計画的で必要最低限にしか流さないような、そんな人間であるという事の証明であるという事を主張したいところだ。
血飛沫に、もっと言えば血液に、正確に言えば赤色に対してぼくが見慣れているのは、それは確かに流血を見慣れているという事ではなる。
だがこれは必要最低限、つまり必要なことは決して忘れないからであって、四六時中見ているとかそんなわけではない。そもそも必要な分だけなのだから、多いも少ないもないのだ。
だがあくまでも私意的な事を言わせていただけるのなら、あえてぼくは、見慣れているのはどうしようもなく赤色な彼女の友人であり戦友であり協力者であり奴隷としての主であるからだ、と胸を張って言いたい。
髪やら瞳やら衣服やら、そして涙に至るまで赤い少女。赤い少女。赤過ぎる彼女。『赤き時の魔女』水倉りすか。りすか、である。
それ以上でも以下でも無く、彼女以外にそれを許したくなくなるほどに赤い彼女。彼女を知っているからこその見慣れなのだ、とそう思っていたい。まぁ確かに、彼女に対して流血を命じているのは動かざること山の如き事実ではあるが。
そんな彼女のおかぶを、トレードカラーを奪い腐ったあの豚野郎こと影谷蛇之が奇怪な男の奇怪な腹芸に殺され、そして殺した方の男もその同僚と思しき似たような格好の連中と共に、首を吹っ飛ばされて殺された。血飛沫でぼくの視界が埋められたのはその時の事だ。
しかしまぁ何である、あの時殺された10人前後は、少なくとも影谷蛇之を殺したあの人物はああなる事を想像しなかったのだろうか。
影谷蛇之の魔法が認知出来なかったのは無知蒙昧さ故と許してやってもいいが、しかしそれでも、何にせよ身動きとれない危機的状況だったとは理解してもいいようなものだ。
首が吹っ飛ぶのを想像しろとまでは言わないが、それに準ずる、最悪殺されるかもしれないという想像とそれを危険視して行動しないでおくという自制心は持ち合わせていなかったのか、とぼくは言いたくなってしまう。
もしもタイムマシーンがあったとしたら、ぼくはここに来る前に戻るよりもまずあの男に、低能の馬鹿野郎だな、と言ってやりたいね。
全く、最近は無駄に年齢だけを重ねてしまった大人しか存在していないのだろうか、と小学5年生、当年とって10歳ながらにして将来に絶望してしまいそうだ。
誰かが、大人は夢を見るのではなく見せるものだ、と言ったと思うが、それを実行できている大人は、さて、どれ程いるのだろうか。本当に困ったものである。
子供にため息をつかせる現代社会に物言いたいものだね。まあだからこそ数少ない有能な人間が光り輝き、またぼくが救ってやる必要があるという考え方もあるのだから、心底絶望は出来ない。
むしろ、やる気を出してせいぜい助けてやろうと思っておくのがポジティブ思考というやつだろう。
閑話休題。
りすかの父親、665の称号を持つ男、
水倉神檎。本人がそれを知っていたかどうかは別として、そんな人物に対して、否、人物というのもはばかられるような驚異的存在らしい『それ』に何の考えも無く反抗した低能共にいつまでも思考を許している場合ではない。
問題はりすかである。水倉神檎を探している、探してわざわざ『城門』まで越えてきた、若輩ながら乙種魔法技能免許を持つ、しかし一人の女の子に過ぎない彼女。
それほどまでにりすかは水倉神檎を求めている。探そうとしている。手がかりを見つけるとぼくも制御できなくなるほどに。
ここでまた影谷蛇之を思い出すのは不服かつ腹立たしい事でしかないのだが、りすかが水倉神檎が直接関わると暴走してしまうというのは、あの影谷蛇之をぼく達が一度殺したあの時でもよくよく、ほどほどに理解出来る。思い知ってしまう、のだ。
本当に本当に、掛け値なしに、それこそどうしようもなく『手に余る駒』である。能力があり過ぎるというのも考え物だ。
まあそれもぼくが大人になれば解決してしまうだろう問題であるし、それにこの歳であってもいつまでもそれに甘んじているつもりはない。しっかり完璧に制御できるようになって見せようではないか。
だが現在はそれが出来ず、また、出来ない状況であるのも事実なのだ。そうとう参ってるだろうなぁ、というのは楽々に想像できてしまう。暴走しているかもしれないなぁ、と頭を抱えてしまう、のだ。
影谷蛇之の魔法によって縫いとめられていたので直接見る事は出来なかったが、あの時聞かされた怒声と口調と声色は、間違いようも無くりすかのものだ。りすかががあの場所にいたのだ。ついでに、どなる程度には平静を崩しているのだ。
ああ、思い返すだけでも憂鬱だ。そして業腹だ。そんなりすかのところに行けなかった事、今も行けないでいる事は非常に腹立たしい事だ。影谷蛇之、全く豚野郎の面目躍如といったところだろうか。これほど豚野郎を憎らしく思った事はない。
姿を見れなかった。声もかけられなかった。今までかつてなかったであろう程に父親と接近したりすかに対して、ぼくは何もできなかったのであろう。これは非常にゆゆしき事態といっていい。
このぼくが何にも出来なかったなど、ただただ立ち尽くしていただけなど、どうしようもなく腹立たしい。
何一つとしてりすかにする事も出来ず、恐らくは水倉神檎の魔法なのであろう、頭の中に声を叩きこまれて、そしてぼくはあの場所から引き離されてしまった。感覚的には、瞬間移動のような、一瞬で別の空間に移るような感じだった。
これもまた水倉神檎の魔法であり、りすかをはじめとしたあの場所にいた他の有象無象度も同様だったのだろう。
飛ばされた先は考えるまでも無く、水倉神檎の言うところによる『殺し合う為の場所』という奴なのだろう。その意に沿って考えるならば、ぼく達はそこで殺し合いをさせられようとしている。
小学生に望むようなことではないぞ、と思う一方で、やってくれたな、という感情も浮かんでくる。
ぼくは決してこんなところで死んで良い様な人間ではない。ぼくにはあまねく全ての人間を幸せにする、どんな犠牲を払ってでもそれを実行しなければならない宿命と信念を持っているのだ。
だからぼくは『殺し合いの場所』とやらに言ったとしても死ぬ気は無い。少なくともぼくが死んでしまうくらいなら殺そうとしている奴や他の低能共を犠牲にする程度には、そう思っている。
それぐらいの気概を持てなければこれほどの理想など叶えられるはずがないというものだ。
蛇が出るか鬼が出るか、悪魔が出ようが『魔法使い』が出ようが、ぼくは死なない。逆に殺して返してみせようではないか。
ぼくこそは『魔法使い』使い、全人類を幸せにする男、
供犠創貴だ。
「と、まぁ」
ぼくがこんな鬱蒼とした森林の中にいるのはそうした理由がありきの事であり、このことからぼくが好き好んで深夜にこんなところに来るような奴ではないという事がよく良く解ってもらえた事と思う。
決して殺してしまった誰かさんの死体を隠す為にスコップ片手にやって来たわけでもなければ、殺してやりたいほど憎らしい奴がいるにもかかわらず五寸釘と藁人形に頼るような臆病者では、ない。
ここにいるのは水倉神檎の意図したところであり、ぼくが望んでいる事ではない。むしろ強制されたと言って良い。強要である。おかげで小説のワンシーンのようにこれまでを回想してしまった。まるで物語の歯車にされたみたいでとてもイライラする。
辺りには細いものから太いものまで多種多様の、いずれも138センチのぼくの体格とは比べるべくもない大きさをした木々が乱立している。
林間は枝葉に覆われてより一層暗いものとなっており、唯一の照明はそれの隙間からぼんやりと注いでくる月光や星明かりぐらいだ。もちろん、気休め程度の光だが。
その中でも特に暗い地点である木の影に座り込んでぼくが何をしているかと言えば、当然ながら夜目に慣らしているのだ。特に暗い場所で慣らした目ならば、そこを離れた後も通用するぐらいの夜目にはなってくれるだろう。ついでに身を隠す事にも繋がるしな。
そう、水倉神檎がこの『殺し合いの場所』に一体どれだけの人間を送り込んだのかは知ったことではないが、それを求められたからには殺し合いを行おうとする奴だっている、それどころか好んで自発的にやろうとする下衆野郎だっているはずだ。
自分以外で信じられるものといったら、りすかのような、この殺し合いに呼び込まれる前から知り合っている奴ぐらいのものだろう。
つまり誰も信じられない四面楚歌状態な訳だが、ぼくはこれまでの一生を、短いながらも誰一人となく信じることなく生きてきているので、取り立てた負担にはなりえない。
闇夜に目を慣らすべく木の影に座り続けておよそ15分弱、といったところか。ようやくぼくの両目は森林の暗闇にも慣れ始めてきてた。もちろん詳細に解るなんてことはないが、障害物の在る無しを確認できる程度にはなっている。移動に支障はないはずだ。
目が慣れたのなら、次は自分の現状を確認するとしよう。
まずいやでも感じてしまうのが、ぼくの細い首を一周する固い輪っか状の物体、あの真っ白な場所で変な格好をした一団の首を吹っ飛ばした首輪だ。金属製のそれは、水倉神檎が施したものらしい。
人間であるぼくには確認しようのない事だが、そうなると魔法を使った一品だと考えるのが妥当だ。
かつて影谷蛇から回収した『矢』のように、首に装着されることで機能を発揮するたぐいの物だろう。水倉神檎に逆らうと首ごと爆発する首輪、まったくえげつないものを作ったものだ。
そうなると、首輪をされた人間の言動や位置を監視するぐらいの事はしているかもしれないな。
望めるなら今すぐにでも外したいのだが生憎とぼくにはこれほど固いものを引きちぎる力もなければ、逆らうと爆発した首輪を無理やり外そうとするような蛮勇も持っていない。まあいじらなければ当面は害がないものだし、これは保留でいいだろう。
となると、次の確認事項はこのデイバックの中身だ。
いつの間にか、少なくとも森林にいる時には持っていたこれは、水倉神檎が殺し合いをより円滑に進める為に持たせた物品の数々らしい。小学生としての体格しかないぼくにはリュックサックほどの大きさにも感じられる。
まあ必ずしもこの暗がりで確認する必要はない。ここは木の影から離れて、あの枝葉の密度が薄くて月明かりの差し込んでいる場所に移動しようじゃないか。あの程度の光なら夜目と相乗効果を発揮して、夜目を損なうどころかより良い視界を成してくれる筈だ。
月光はぼんやりとした淡い感じで、色合いとしては青っぽい白として目に見えていた。想定通り、若干程度しかない鮮明な視界をくれる事はないが、引き換えに相乗効果を起こして視界を増強してくれた。これなら問題なくデイバックの中身を確認できる。
「ふむ」
デイバックから出てきたのは、食品に水、地図、懐中電灯やら時計やら。なるほど、いわゆるサバイバルキットと呼ばれるようなたぐいの物だろう。殺し合いを維持する為、最低限行動を補助する道具を詰め込んだ、という感じか。まあ妥当ではある。
懐中電灯が出てきたのは幸いであるが、せっかく闇に慣らした目があるのだ、今すぐ使うのは得策ではないだろう。
明確な視界は欲しいが、また目を慣らす時間が僅かなりとかかってしまうだろうし、周囲にぼくの存在を知らしめることになる。再三の事だが、今他人は信用出来ないのだ。
まあ初対面の相手にはせいぜい猫を被っておくとしようじゃないか。『魔法使い』との戦いは基本的に正面対決だったのでこういう事はなかったが、こうしたサバイバル的な戦いなら有効だ。ぼくは日常的に猫を被っているので特別の苦労はない、日常の延長線上だ。
残念ながらぼくの外見そのものは小学5年生以外の何物でも無く、低能な奴らはぼくの中身までは察する事が出来ない。殺し合いではカモにしか見られないだろうな。やはり弱者を装って取り入るなり紛れ込むなりして、裏から手を出すしかないだろう。
と、まだデイバックから出していない物があるな。さすがにデイバックの中は真っ暗よりも真っ暗、手探りで引き出すしかない。しかしなんだろうな、どうにも馴染みのある形の気がするのだが、これは一体、
「ぁ」
失敬、リテイク。
「……これは」
うっかり驚いて間抜けな声を出してしまった。ぼくとした事が全く油断と未熟の限りだ、こんな様では殺し合いに生き残れやしない、自粛してもし足りないところだ。しかし、デイバックから出てきたソレは、それなりの驚きを得るのに相応のものだったとぼくは釈明したい。
夜目にもどぎつく自己主張する強い色調、硬質な質感で長方形に近い輪郭、厚みはそれほどない。覚えのある形だったのも納得だ、これそのものはぼくの知る限り一点ものだが、形そのものはそれほど珍しいものじゃない。
なんの事はない。それは、りすかのカッターナイフだったのだ。デイバックに手を突っ込んでみれば、りすかがカッターナイフを入れているホルスター付きの細いベルトが出てきた。もうこれは見紛う事無きりすかのカッターナイフだ、疑いようがない。
あの白い部屋で『影縫い』された時になのか、はたまたこの『殺し合いの場所』に飛ばされた時になのか。妥当に考えれば前者なのだろうけれど、水倉神檎ならばどちらでも鼻歌交じりの朝飯前にやれるだろうから真実は定かではないな。ぶっちゃけどうでもいいし。
思慮すべきは、これがここにあるという事はりすかは今現在カッターナイフを持っていないという事だ。りすかの魔法は基本的に大なり小なりの流血を必要とし、このカッターナイフがないと痛みが減らないらしいから、これが無いと面倒なんだろうな。
まあさすがにいくら痛いのが嫌だと言っても危機的状況になってまでそれを渋るとは思わないけれど。指先の僅かな傷から流れる血液だけでも時間を『省略』してぼくのところに来るぐらいの事は出来るし。
ぼくのいるこの場所は知らないだろうが、ぼくの体の半分以上はりすかによって補填されているから、『ぼくのいる場所』をりすかは知覚できる。ぼくのこの体は、りすかにとって『座標』みたいなものなのだ。
どんな低能でも、りすかはそうだとは言わないが、ぼくと合流するぐらいは思いつくだろう。
「……て、待てよ」
そうだ、ぼくはりすかにとっての『座標』で、この特性を使ってりすかがぼくのところに来るのは毎度おなじみの常套手段であるのだ。なのに、もう『殺し合いの場所』に来て30分前後の時間が経過している。
なのにりすかがぼくの前に現れないというのは、どういう事だ?
「考えられるのは、思い至らないほど我を忘れているか、それが出来ないほど危機的状況にあるか」
または、魔法を封じられているか、だ。そしてこの三つの中では、この三番目が一番あり得る事だ、とぼくの推察力が警鐘を鳴らしている。カッターナイフがぼくのところにあるのもそうだ、まるでりすかの魔法を発揮させないための処置のようですらある。
そう、影谷蛇之の奴も言っていたじゃないか——バランスを取るため、能力には制限をかけた、と。りすかの魔法も、その一環として封じられたんじゃないか?
基本的にりすか1人だけだが、それでも時間を超えるという魔法はバランスを崩すものとして制限されたんじゃないのか。
しかし、しかし、だとしたら、
「水倉神檎は、りすかに生き残って欲しくないのか?」
痛みを減らすカッターナイフを奪い、もしかしたら(ぼくの勘ではほぼ間違いなく)りすかの魔法そのものにも制限をかけている。
娘であるりすかに、少なくとも今までそれなりに保護しようとする方針だった筈のりすかに対して、随分と冷遇だな。そもそも殺し合いの場所に引き込むだけでも、随分だというのに。
他の連中と平等に扱った末にりすかが死んだらどうするつもりなんだ? りすかには死んでも最強バージョンである『大人りすか』となって蘇生する、裏技というか秘奥儀みたいなものがあるが、それにしたって発動条件はあるし、魔力が無くなったら使えなくなる。
そもそもあれは、強力にして最強ではあるが、無敵ではない。その証拠にりすかは、ぼくと組んで間もないころに一度殺されかけている、否、殺されている。あの記憶はトラウマになっているらしく、極希にりすかが言う事をきかなかった時の無知に使ったりする。
一体どういうつもりなんだ? この殺し合いでは必ずしもりすかが生き残る必要はないという事なのか? それとも、こんな状況になってもりすかが生き残るという確信があるとでも言うのだろうか?
「……調べる必要があるな」
殺し合いが始まってまだ30分前後、答えを得られるだけの考察時間も経ていなければ、答えを見つけるだけのヒントも得ていない。何かが出来るほどの事をしていないのだ。残念にして腹立たしいにして悔む事だが、この段階では到底分り得る事ではない。
だがしかし、故に今後ぼくが取るべき行動も定められようというものである。つまり、情報と奴隷の確保、だ。水倉神檎が何をしようとしているのかを推理する情報と、ぼくの安全を確保し行動を補助するだけの能力を持った他人が、駒が、奴隷が必要にだった。
それにりすかとも合流しなければならないしな。どんな事情があるにせよ、りすかは今すぐぼくと合流出来ない何らかの事情があると考えるべきだ。
ツナギや楓はいるかどうかわからないし、奴隷は新規開拓するつもりでなくてはらないな。大変というよりは面倒だが、怠慢の先にあるのは自滅だけだ、怠れない。
現状を確認し、目的を定め、となると次にやるべき事は手段の確立だ。さっきデイバックから掴みだしたものの一つを、地図を手に取って見る。慣らしたとはいえさすがに深夜の屋外で地図を見るのは一苦労だが、それでも出来ないって訳じゃない。
ぼくがいるのは森林、そして地図上を見る限りで森林があるのはA〜Dの5〜8まで、つまりぼくがいるのは地図で言うところの右上部分という事になる。それが解るだけでも随分と変わってくこようというものだ。
情報にせよ奴隷にせよ、どちらにせよ森林よりかは市街地の方が見つけられる確率は大きいだろう。地図に点在している施設の大半は市街地にあるようだし、拠点にせよ人にせよ、森よりかは街の方が言いに決まっている。
それに、見過ごせない施設が一つある事だしな。
「コーヒーショップ、ね」
市街地というからには、地図で特記事項になっている以上の数の店舗があるだろう。ただのコーヒーショップというなら、特記事項になるわけがない。ならばこのコーヒーショップはごく一般のそれとは違うものだと考えた方がいいだろう。
そう例えば、りすかやチェンバリンが住んでいる、あのコーヒーショップかもしれない、とか。水倉神檎の力があれば、建物一つぐらいを別の場所に配置するぐらいのことは出来そうなものだ。
りすかと連絡が取れない以上、このコーヒーショップがぼくとりすかが打ち合わせ無しに落ちあえそうな唯一の場所だ。
りすかと連絡が取れない以上、このコーヒーショップがぼくとりすかが打ち合わせ無しに落ちあえそうな唯一の場所だ。
もしりすかのコーヒーショップじゃなかったとしても、そうかもしれない、という『行くあて』になっていればそれで良い。もちろん、本当にりすかのコーヒーショップなら一番良いのだが。
ここがどのエリアかは定かでないが、どのエリアの森林であるにせよ市街地は森林から見て一方向の先にある。地図と同様にデイバックから出てきた、このコンパスがあれば向かう事は難しい事ではない。コーヒーショップ第一、それが違っても市街地に行くことに意味がある。
これで手段も確立、現状も目的も定まった以上、後はそれを実行するだけだ。地図やら食品やらはデイバックに戻し、念のため懐中電灯はポケットの中へ。長くて収まりきらないが、それが逆に抜き出しやすさになっている。緊急時の照明や目印、目くらましに出来るだろう。
カッターナイフもホルスターに挿してベルトを巻きつける。護身用程度には使えるだろうが……このカッターナイフの痛みを減らすのがりすか限定じゃなかった場合、あまり示威行為にはならないかもしれないな。
まあカッターナイフで、使うのがぼくじゃもともと攻撃力は見込めないし、別に良いか。
とりあえず準備は完了、コンパス片手に、
「よし」
と意気込み。恐らくは市街地のあるだろう方向に身を向けて、踏み出した一歩目を、
「うな———————————————————っ!」
盛大にずっこけてしまった。
「……な」
い、いったい何だ今のは……? 獣なのか? いや、それにしては恣意的というか意図的というか、どうにも人間臭い響きだったような気がするな。いやしかし、あんな間抜けな声を惜しげも無く叫べる人間がこの世にはいるというのか?
否だ、というか、嫌だ、そんな人間がいるなんて僕は認めたくない……! そう、それこそぼくは叫びとして主張したい。だって、うなー、だぞ、うなー。うなー、って叫ぶ人間なんてぼくは存在して欲しくないぞ!?
だがしかし、仮に獣だったとしたらそれはそれで面倒だ。ぼくには獣と真っ向から戦うなんて能力はないし、猫をかぶっても効果が無い。くそ……認めるしかないのか、あれが人間の叫んだものとして認めるしかないのか!
………………………。
……待て、ここはプラス思考に考えるのだ。あんな叫び声をあげる人間が危険人物だとは思い辛い。同等に有能な人間とは思えないのだが……まあそこは度外視しよう。聞いた感じでは女性っぽい響きだったし、それならば猫を被れば何とかなりそうだ。
何にせよ確認の必要がある。聞こえた感じからして声の主はそう遠くにはいない筈だ、確認するのに面倒ではないし、しておいた方が情報収集として良いだろう。
夜目でどうにか浮かび上がる木々の影を避け、足場のその根を中心にして足音を消して叫び声の聞こえてきた方向へ行ってみる。しかしよくよく見ておかないと声の主を通り過ぎてしまいそうな、もっと言ったら蹴ってしまいそうな暗闇だ。
向こうも懐中電灯をつけていないところを見ると警戒しているのかもしれない、と思ったがそれもどうだろうな。それぐらいの事が考えられる奴なら叫び声なんてあげないだろうし。
低能なら低能なりに光をつけるくらいの愚挙をしてほしいものだ。そうすれば姿を見るなり目当てをつけるなり出来たものを。
幸いにしてかというべきか、木の根本あたりにやたら活発に動き回る影があったので見つける事自体はそれほど苦労はしなかった。おそらくあれが声の主だろう、叫ぶなんて愚挙をするにふさわしい、見つけてくれとでも言わんばかりに動き回っている。
何度も上げ下げされている細長いものはおそらく腕なのだろう、シルエットを鑑みるに屈んだ姿勢で、上げたり下げたり回したり規則性もへったくれもない動きを見せてくれる。屈んでいてもぼくと同じぐらいの大きさであることから年上、中高生ぐらいであるように思える。
「う————な————————……」
さっきも聞いた間抜けさ全開の呻き声が聞こえてくる。ぼくの想像通りに中高生だったとしたら世も末だな、確かに無駄に年齢だけを重ねてきた低能の大人なんて腐るほど見てきたけど、ここまで露骨にそれを見せびらかす奴は見た事が無い。
とりあえず人間であると確認できた事でひとまず納得しておこう。中高生ぐらいの大きさで間抜けっぽい言動、声色を聞く限りだと女性みたいだな。まあよく街角で見る事が出来るような知性のかけらもない形ばかりの年上なのだろう。
まあ以上の事を鑑みるに、有能ではないが今すぐ襲ってくるような危険人物には見えない。姿がよく見えないのであまり効果を上げていないが、ぼくには物ごころついた時から鍛えに鍛え抜いた観察眼がある。接触しても問題はなさそうだな。
普段ならあんな人間は奴隷に選びさえしないのだけれど殺し合いの中にいるという現状では、背に腹は代えられない事は出来ないという奴だ。
まあ今後出会った相手の警戒心を緩めたり、戦闘時の囮や壁にする程度には使えるだろう。それがたとえ、うなー、とか叫ぶような人間でも。
どれだけ露骨に間抜けさをひけらかしている人間だと言っても、しかし疑いを持たれるような接し方をするようなぼくではない。こういう時には小さくてなめられる事の多い小学生の外見も役に立つ。せいぜい気弱な子供が偶然遭遇した風にしてみようじゃないか。
こちらから声をかけて、というやり方は相手を驚かせるからあまり好ましい接触ではない。当然であるが人間という生き物は自分がイニシアチブと持っている方が安心するものだ。向こうがこちらに気づいた、という演出の方が良いだろう。
念のためカッターナイフをホルスターに入れた状態のままで刃を出しておく。
『きちきちきちきちきち……』という聞きなれた音がして、でもまあこの音をぼくが出す事になろうとは全く予想していなかったな、とかそんなことを思う。これでもし向こうが襲いかかって来たとしても、応戦の準備は出来た。
という訳で、草を踏みつけてわざわざ足音を立ててやる。
「おやおや、誰かいるのですかー?」
その音にもぞもぞと動き回っていた影が動きを止め、急に縦へ長くなった。立ち上がったのだろう、そのシルエットは確かに人間の形をしている。その声は年若な女のもので、やはり中高生ぐらいのものに聞こえる。だが気になるのは、その口調だ。
どう聞いたとしてもそれは恐る恐るといった風ではない。間延びした感じで、しかもこの状況にあって敬語を使っている。まあだからといって律儀とか礼儀正しいといった印象は全くなく、雰囲気としては楓の奴を連想させる。
「……あ、誰か、い、いるんですか?」
ぼくの方からも問い返してやる。これで向こうは自分の方が先に気づいたと思うだろう。そう考えさえる事で思考に余裕、まあぼくに言わせれば油断なんだけど、それを持たせてやろうじゃないか。
しかしそれにしても、我ながらずいぶん子供っぽい、しかも腰の低い口調を出してしまったな。
ああ今なら大人にヒントをくれてやる時のコナン君の気持ちが解る。無能な大人のためにわざわざ子供を演じてやると、なんとなく無意味に幼稚な風を演じてしまうのだ。
「その声だと男の子ですか? ここ暗いんで、もうちょっと近寄ってくれませんかー?」
聞く限りにおいて害意はなさそうだが、聞きようによってはぼくを招き寄せて攻撃しようとしている、という解釈もできる。だが姿を確認できないのはぼくも同じだし、カッターナイフに手をかけた状態で、近寄ってやるとしよう。
近寄って、ようやく向こうもぼくの影を見る事が出来たらしく、肩を落としておおげさに警戒を解く。
「またずいぶんと小さいですねー?」
余計な御世話だ。
「おいくつでちゅかー?」
この女は、少なくとも人語を解する程度には成熟している人間に対して、まだ赤ちゃん言葉を使うのだろうか。すさまじく腹立たしい対応だ。しかしこれも低能が故の愚かさと、大目に見てやろう。ぼくの器の大きさに感謝して欲しい。
「じゅ、10歳です」
「という事は小学生ですね」
「はい、5年生です」
「いいですねぇ、可愛い盛りですねー。わたしもそれくらいの弟が欲しいと思った時がありましたよ。わたし、末っ子だったので」
お前の家族構成なんて知ったことではないのだが、それを表に出すわけにもいかない。この女に対応するという事は忍耐力の修練と同異議であるように思えてならない。
「それで、少年くん」
「いえ、供犠創貴です」
「そうですか、釘打ったかくん」
「…………!」
ぼくの名前をそんな風に間違えたのはアンタが初めてだ……!
「供、犠、創、貴、です」
猫かぶりがはがれそうになってしまうが、だが、だがしかし、こればっかりは許容できない……!!
「空気吸ったか?」
「それは常に」
「クッキー食ったか?」
「食べてません!」
「失礼、噛みました」
「……わざとでしょう」
「いえ、本当に噛みました。……クッキーを」
「そっちかよ!?」
「そんなことより、創貴くん」
「ちゃんと言えるじゃないですか!」
「え、当り前じゃないですか。人の名前を間違うなんて、そんな失礼なことしませんよ」
「じゃあ今までの会話は何だったんですか!」
「細かい事を気にする子は大きくなれませんよ」
「今時そんな叱り方で改まる子供がいると思うなよ!?」
「全く、嫌な世の中になったものです」
「本当にそうですね!」
あんたがいるこの世の中が嫌になりそうだ。危うく猫かぶりを全部脱ぎ捨ててしまうところだったじゃないか。これがもし計画的にやったんだとしたらすさまじい策士だ、驚愕に値する。師事したって良い。
「創貴くん、わたしの鞄を開けてもらえますか?」
「鞄……デイバックの事ですか?」
「何でも横文字にするなんて感心しませんよ!」
「どうしてそこでキレるんですか!?」
この女の沸点がどこにあるのか解らない。
「いえ、ずっと中を確認しようとしていたのですが、どうも今のわたしには——手が足りなくて」
手が足りない? たかがデイバックを開いて中身を取り出す程度の事に何を言っているんだ、この女は。まさかそれが出来ないほど低能だとでも言うつもりなのだろうか。もしそうなら、低能から無能へと呼び名を変えなければならないな。
「開けてくれたら、良い事して上げますよ?」
「たとえば?」
「もてあましたわたしの性欲解消をさせてあげます」
「小学生にそんな事を褒美にするなよ!?」
変質者か!? 変質者だったのかこの女は!! あーもうついに猫かぶりが剥がれてしまったじゃないか!
「うふふ、ほーら、さっさと開けないと今にも解消させてあげちゃいますよぉ?」
「もはやそれは脅迫以外の何物でもありませんね!」
何なんだこの流れは。だがしかし言う事を聞いておかないと本当にやらされてしまいそうだし、こんなことでもこの女に対する点数稼ぎにはなるのだろう。仕方ない事この上ないのだがやってやる。たかがデイバックを開けるだけの事だし。
だが、ここでただ単にデイバックを開けるだけという事はしない。いや、夜目に慣れているからそれも出来るのだけど、だがこれにかこつけて別の事も出来るのだ。
「あ、あの、懐中電灯をつけてもいいですか?」
一応猫かぶりを直して尋ねてやる。ここで明かりをつければ、明確な視界を得るだけではなくこの女の顔を正確に把握する事が出来る。そうすれば、ぼくの観察眼によってこの女の本質を即座に看破出来るのだ。
接触しても攻撃してこなかったし、まあ明かりをつけても襲ってこない程度にはこの女のキャラクターがつかめているが、ここでさらに分析でおくのも悪くない。カッターナイフという非常用の応戦策はまだ残っているのだし。
「創貴くんはそんな便利アイテムをお持ちでらっしゃる?」
「はい、デイバックの中に入ってて……それがないと、よく見えないんです」
「そうですねー。あった方が楽ですし、それにずっと暗いのももう嫌ですし。あるというなら、どーぞどーぞ」
「は、はい」
ひょっとしたら向こうも明かりが無いからデイバックを開ける程度の事に手間取っていたのかもしれないな。つまり相当の不器用で能力の低い奴だという事になるのだが。
ポケットにいれておいた円柱形の機械、というほど複雑な作りという訳でも無いのだけど、まあとにかく携帯可能な照明器こと懐中電灯を抜き出す。高質でつっかえのない表面、だからこそつっかえた凹凸はスイッチに他ならない。
「つけます、ね?」
「どーんと来なさーい」
IQのかけらも感じられない能天気な答えだ。だが承諾はされたのだし、まあされなくてもそうしただろうが、ぼくは懐中電灯のスイッチを入れる。途端に傘状に膨らんだ先端が発光し、真っ暗な闇夜を切り取ったように鮮明な風景をぼくの目に映す。
そして、女の姿を見た。
「……………………」
「おやおや、創貴くんはそんな顔をしていたのですね」
ぼくは、見た。
ぼくの事をさんざんコケにしやがった、その女の姿を。
その姿はやはり年若い女のもので、中高生と予想していたがこうして正確に姿を見ると、彼女が高校生であるという事が解った。女子高生という奴だ。
服装は派手な色のジャージにいかにも学生って感じのスカートと靴。ジャージは大きさが合っていないのかちょっとばかりだぶついていて、掌が出ていない。頭にはニット帽を被っていて、髪の毛の大半を隠していた。
外見そのものは、いわゆるところの、ごく普通に街角で見かける女子高生のそれであった。表情もしぐさも、その域を出ていない。
だがしかしぼくの観察眼はそれ以外のものを見定めていた。物ごころついた時から鍛えに鍛え抜いた極限の観察眼が、目に見える特徴がこの女をすべてを表していないのだとぼくの意識に訴えかけている。
解る。そう、解ってしまうのだ。
理解出来る。見破れる。この女が——人殺しであるという事が。
「んん? どうしましたか、創貴くん」
「……いえ」
「あ、あー、そうか、わたしの名前が解らないんですね? そうですね、君が名乗ってわたしが名乗らないというのも失礼というものですねー」
人殺し、しかもそれを罪悪として認知する事の出来ない人間としての欠陥、それを抱えているのだとぼくの観察眼が見定める。人殺しを罪悪として感じない、それはもはや人間と呼べるものではないのかもしれない。
では何と呼ぶのかと言えば、それにはうってつけの単語がある。
殺人鬼、だ。
「わたしは、無桐伊織といいます」
人ならざるから人殺し。
人殺し故に、人ならざりき。
殺人鬼、無桐伊織。
ひょっとしたらぼくは、ハズレを引いたのかもしれない。