世界の終わり、正しくは始まり(中編)
「ところで」唐突に、声の調子が真剣なものに変わる。
「あなた、どうしてここにいるのかしら」
「………?」
どうして………?
それは、ぼくが今一番したい質問なのだけれど。
「私と同じく、強制的に連れてこられてここにいるのかしら。それともまさか、自分から望んでここへ来たとか? 何をさせられるのか知った上で、この悪趣味な首輪の中に、自分の首を突っ込んだとか?」
「………」
あり得ない、とぼくは思う。少なくとも、ぼく自身は。
「別に、あり得ないことじゃないわよねえ」
しかし彼女は、そんな風に言う。
「大層な“ごほうび”も出るみたいだし、向こう見ずな人間が何匹釣り針に掛ったって、別に不思議ともなんとも思わないわ。欲にまみれた俗物たちの醜い蹴落とし合い。『見世物』としては最高の部類なんじゃないかしら。いつか読んだギャンブル漫画を思い出すわ」
「………」
欲するものがあるから、得られる機会があるから、そこへ手を伸ばす。
その手で奪うことになろうとも。逆に、何かを失うことになろうとも。
欲望は人を鈍磨させる。
ぐい、と、後頭部への圧力が増す。殴られた部分に、鈍痛がぶり返す。
「本当、吐き気がするわ」
まさしくそれは、吐き棄てるような口調だった。
「どうしてこう、次から次へと変な物ばっかり寄ってくるのかしら。普通にしていたいだけなのに、まともな人間でいたいだけなのに、それがいけない事? 殺し合え? 馬鹿じゃないの? 最後の一人になれ? まずあなたが死になさいよ。如何なる望みもくれてやる?」
そんなこと、いったい誰が望んだっていうのよ———。
絞り出すような声音で、彼女は言った。
「私を、私たちを巻き込まないでよ。もう沢山なのよ、こんなこと」
「………………」
それを、ぼくに言うのはお門違いだ。
ただの八つ当たりにしか、それはならない。
実際それは、八つ当たりのつもりで放った言葉だったのだろう。
他に言うことは無いとでもいうように、後ろからの声はぱたりと止んだ。無言の中に、二人分の足音だけが静かに続く。
無人の静寂とは、また別の種類の静寂。
————。
しかし彼女は、わかっているのだろうか?
今この状況で、そんな言葉を言ったということが、一体どんな意味を持つのかということを。
もしも彼女が、生き残るつもりでいるというのなら、この悪夢から、生きて逃れたいというのなら———
たとえ相手が、通りすがりの脇役だったところで。
取るに足らない、場繋ぎ役の道化だったところで。
そんな言葉は、ここで吐くべきじゃあなかった。
「全くの同意見だね。笑えるくらいに吐き気がするし、滑稽なくらい馬鹿みたいだ。ただ君が思い浮かべたっていう漫画、多分ぼくも読んだことがあるやつだと思うけど、あれは名作だとぼくは思うね。あの緊迫した雰囲気は凡人に出せるようなものじゃない」
微かな動揺を背後から感じる——ことが可能なほど、ぼくは器用じゃない。
「『一杯の茶のためなら、世界なぞ滅んでもよい』——ドフトエフスキーだっけ? 人間の欲望ってまさにそんな感じだよね。身体は張るもので、命は懸けるもので、肉は斬らせるものだってね。一秒の幸福の得るために、永劫の世界でも紙クズ同然の扱い。大した等価交換だよ」
「ちょっと」
後頭部に、再び軽い衝撃。
「誰が喋っていいと許可したの? 勝手な行動はするなと、再三に渡って警告したはずよ」
「散々疑問符付きで話しかけておいて、返答すら許可しないって方がおかしいとぼくは思うけど。ぼくの話はそんなに警戒すべき要素なのかな。たとえ奴隷が相手だとしても、必要以上に自由を剥奪するのは、君自身のためとしても良くない」
確認はできないけれど、相手が苛立った表情をしているのが容易に想像できる。
「……口を開くだけならまだしも、減らず口まで許可するつもりはないわよ」
「軽口も教養の内だと思うけどね」
「……口で言ってもわからないみたいね」
敵意を一層、強烈に感じる。確認せずとも、声の調子だけで、はっきりとわかるくらいに。
「言葉が理解できないのだったら、鉛弾はどうかしら。そんなにご所望なら、引き金くらいいくらでも引いてあげるわよ。二発でも三発でも、あなたの口が大人しくなるまで」
後頭部への圧力は、中へめり込まんばかりに強くなっていた。本気で痛い。
「黙るつもりがないなら、本当に殺すわよ」
「無駄だよ」
容赦のない敵意(と痛み)にあてられながらも、平静を保った口調でぼくは言う。
「そんな脅し文句、ぼくには通じない。ぼくは既に、今のきみがぼくを殺すことができないことを絶対的に確信している。なぜならきみがその手に持って、ぼくの頭に突きつけ続けているそれは、拳銃の類なんかじゃないからだ」
◆ ◆ ◆
時代がかった町並みを通り過ぎ、ぼくたちは雑木林の中を歩いていた。林をふたつに分けるようにして一本の道がまっすぐ通っており、真上を見れば、木々に遮られることなく真っ暗な夜空を見ることができる。
こうして歩いていると妙な閉塞感を感じる。木々の間隔はまばらで、昼間であれば明るいと思えるくらいの林ではあったが、今は夜の闇のせいで、明かりのないトンネルの中を進んでいるような気分だった。
「『最初からすべてお見通し』——みたいな言い方になりそうでちょっと嫌だけど、おかしいと思っていたのは、きみが病院でぼくの背後から声をかけてきた、あの時からだった」
ぼくは前を向いたまま、独り言のように自分の後ろを歩く相手へと語りかける。顔の見えない、名前すら知らない相手と話すというのは、どうもやり辛い。
「きみはあの時、二つの音を発したね。きみの『動かないで』の声と、銃声一発。この場合、字面的に音と言うより声と言うべきかな? まあ、どっちでもいいんだけど」
冷徹な「Freeze」の声と、鋭くも乾いた破裂音。
「とにかくその二つの声を聞いたことによって、ぼくはきみが銃器の類を所持していると判断したわけだ」
あるいは、判断させられた——なのか。
ぼくは続ける。
「今更のようだけど、ぼくはあの時、きみが拳銃の類を構えているのをこの目で確認していない。ぼくが後ろを振り返らなかったから——否、きみが振り返らせなかったからだ。あの時から今に至るまで、ずっとね」
もっともあの薄暗い廊下だったら、離れた場所に立つ相手の持っている物なんて、ぱっと見ただけじゃわからなかっただろうけど。
「シュレディンガーじゃないけど、ぼくが目で見ていない以上、ぼくにとってきみが持っているのが拳銃の類でない可能性は存在する。ここまでは当然、可能性の話に過ぎない。ただそう考えた場合、あの時の一連の流れの中に、ある一つの事実を見出すことができる」
「回りくどい言い方はよしなさい。聞いててうざいわ」
苛立った声が、後ろから飛ぶ。
「推理小説の解答編みたいな形式、私は嫌いなの。無駄に演出的な順序立てして話したり、無駄に引き延ばしたような台詞をダラダラ何行も連ねたり。たいていの解答編は一ページもあればまとめ可能なんだから、あなたもそうなさい」
身も蓋も有りはしない。
回りくどいのは認めるけれど。
「まあ、努力はするよ………ともかく、もしきみがあの時に銃弾を発射したのだとしたら、銃声が聞こえたのはなんら不自然なことじゃない。ここで問題にされるべきは、聞こえなかった音のほうだ」
「聞こえなかった——ですって?」
“世界で唯一の音であるかのように、くっきりと響く残響音”。
足りない音が、あの場所にはひとつあった。
「銃火器の類は、派手な音を鳴らすのが特徴だ。ただし、音を出すのは何も銃本体だけじゃない。あの時足りなかった音ってのは、弾丸が鳴らす音の方さ」
銃を発砲すれば、当然のこと銃弾が飛ぶ。
発射音の後には、着弾音、または跳弾音が聞こえなければおかしい。
あの閉めきった建物の中で発砲すれば、弾丸は必ず、ぼくからそう遠くない所に着弾する。コンクリの壁やリノリウムの床に当たれば、それなりの音が響くはず。ガラスや調度品に命中すればいわずもがなだ。
「空砲が発射されたって可能性もあるけれど、このゲームの主旨から言って、あっち側がわざわざ空砲入りの銃を支給するってのはどうしても腑に落ちない。きみに銃弾を改造するスキルがあったとしても、空砲を撃たなきゃならない理由なんてない」
淡々と、あくまで淡々と。
ぼくは、言葉を紡いでゆく。
「あの時、弾丸は発射されていなかった。推理ってわけじゃないから、あくまで妥当性の問題ではあるけれど、きみが初めから銃器を所持していないと考えるのは妥当じゃないとは言えない」
「だから回りくどいのよ、この演説家気取り」
相変わらず、声は冷たいながらも苛々としていた。今まで黙って聞いてくれただけ良かったのかもしれない。
相変わらず、声は冷たいながらも苛々としていた。今まで黙って聞いてくれただけ良かったのかもしれない。
「あなた、大事なとこを無視してるじゃない。銃声じゃあないっていうなら、最初の音は何だっていうつもり?」
最初の音というのは、あの破裂音のことだろう。
「さあね、君の持ち物を把握してる訳じゃないから、そこは何とも言えない所だけど。銃声に代わる音を出せるような道具——例えば火薬玉みたいな物を使ったのかもしれないし、きみが自分の声で作った音だったのかもしれない」
そういう声帯模写って聞いたことあるし。
「無茶苦茶ね。暴論と言い換えてもいいわ」
「そのへんは、きみの暴言とおあいこってことで」
「自惚れないで。私の暴言は、暴徒や暴動や暴風雨よりもずっと暴力値が高いのよ」
………暴力値?
「じゃあ今のぼくが持つ情報だけを用いて、あの破裂音の正体を推測してみようか」
ぼくは続ける。
「きみの持ち物は把握してないと言ったけど、ぼく自身の持ち物は既に確認してる。あれを見て思ったのは、このデイパックが全員に与えられているとしたら、中身はみんな一緒なのか、それともみんなバラバラなのかってことだ」
その辺の説明が全然されていなかったから、杜撰だと思ったのだけれど。
「今、きみの荷物と比較できればいいんだけれど、仮にきみが教えてくれたところで、それを鵜呑みにするのはあまりにナンセンスだ。だからやっぱり明確なことは言えないけれど、ある程度、推測することくらいはできる。
ぼくの持っている荷物のなかで、注目すべきは——注目しないべきは、といった方がいいのかな。生き残り——サバイバルという言葉を、今ぼくたちがいる状況を表す言葉として用いるなら、地図、食糧、コンパス、時計、懐中電灯。
この5つは、言うなれば『あって当たり前』の物として類別することができるんじゃないかな。普通のキャンプですら必要必需品のアイテムだしね。むしろこれじゃ足りないくらいだ。
病院から出てすぐ、きみはぼくのデイパックからこの懐中電灯を取ってぼくに渡したね。最初からそれが入ってるのを知ってるみたいに。多分きみも、自分の荷物に懐中電灯があったからぼくのデイパックにもそれが入っていると予想していたんじゃないのかい?
で、この中で銃火器の代わりになりそうな道具はあるかな——まあ、ないね。武器になりそうな物すらないね——じゃあ、銃声の代わりになりそうな物は? 建物の中で反響するくらいの破裂音を奏でることができそうな物は?
ここで、今度こそ注目すべきものがひとつある。
懐中電灯だ。
なんの変哲もない、コンビニでも売ってるような普通の懐中電灯だね。つまり普通に考えるなら、この懐中電灯の中には電池が組み込まれているはずだ。
これ以上勿体ぶるのは忍びないから、この際はっきり言ってしまおう。
きみは乾電池を破裂させることで、その破裂音を銃声の代わりにしたんだ。
乾電池を火にくべると——つまり加熱することで、乾電池は爆発する。他ならぬきみ自身が言っていたことだ。熱源をどうやって確保したのかはわからないけど、あそこは病院だし、可燃物とかは容易に確保できそうな気がするね。
そういえば、乾電池とスチールウールを組み合わせることで火を起こすことができるとか聞いたことあったかな。まあ、その辺は完全に想像の域かな。熱を加えてから破裂するまでのタイムラグが問題だけれど、熱の強さ次第では、破裂するまでの時間を限りなく短縮できる。
ぼくにあの音を聞かせれば取りあえずは良かったんだろうし、あの時はたまたまきみが『動くな』と言った直後に爆発したのかもしれない———とまあ、今のぼくに推測できるのはこのくらいかな。
ついでに言うなら、きみがわざわざぼくのデイパックから懐中電灯を取って渡したのは、自分の懐中電灯が使えなかった状態だったからじゃないかな。電池が入っていなければ、ただの筒だからね、
そしてぼくの後頭部に押し当てられているこれが、正にその『ただの筒』となった、懐中電灯だったとしたら———」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
しばらくの間、沈黙が場を支配する。土を踏む音だけが二人分、一定間隔を保って続く。
「………勘違いしないでよね」
数十秒に渡る沈黙の後、ようやくといった感じで彼女は声を発する。
「別に、あなたのために今まで黙って聴いてたわけじゃないんだからね………あまりに馬鹿馬鹿し過ぎて、口を挟む気にもならなかっただけなんだからね………」
脱力感全開の口調だった。
新ジャンル、脱力系ツンデレ。
「…さっき、推理小説の解答編みたく、って言ってた自分が馬鹿だったことを認めるわ……こんな糞っ滓みたいな推理、実際に小説に使ったら社会的に死刑よ」
「だから推理じゃないって」ぼくはなるべく相手を刺激しないように言う。「ただの戯言さ」
「そう、じゃあおあいにくさま。戯れるための言葉なんて、私はこれっぽっちも聞きたくはないの」
放たれる敵意に、殺意が混じったように感じた。それは単に、ぼく自身の危機感から生じた感覚だったのかもしれないけれど。
「本当に言葉じゃわからないみたいね——もういいわ。これ以上そんな妄言を撒き散らすつもりなら、とっとと」
「報告ならいいんだろう?」
「は?」
ここで主導権を渡すわけにはいかない。
ここからが、本当のぼくのターンなのだから———。
「何かあったら即座に報告するよう、ぼくに言ったのはきみだろ? 実はさっきから、報告すべき事態が生じているんだけれど」
「………何よ、さっさと言いなさい」
「実はね——」
ざり、と。
靴の裏で、地面の感触を確かめるように擦る。
「ぼくの後ろ——つまりきみの後ろでもあるわけだけど、誰かいる。さっきからずっと、ぼくらを付けてきている」
◆ ◆ ◆
彼女がぼくから注意をそらしたかどうかも、思わず後ろを振り返ったかどうかも、前を向いたままのぼくからは確認することはできない。
だから、これはほとんど賭けのようなものだった。
両膝を曲げ、両手を前に出し、身体を思いきり低く屈める。地面に這いつくばるような低姿勢のまま、後ろ回し蹴りのようにして、背後の相手に足払いを繰り出す。
小さな悲鳴とともに、ようやく視界に捉えることができた人影が、地面に仰向けに転がる。素早く立ち上がって追撃を仕掛けようとするが、焦りのせいかバランスを崩してしまい、立ち上がるのが一瞬遅れる。
その一瞬の間に、相手は体勢を整えようと、両手両足の力を使って後方へと飛び退る。林の中へ逃げ込む算段か。
中途半端な姿勢のまま、ぼくは懐中電灯を相手へと向ける。突然の光を受け、相手が眩しそうに目を細めるのが、闇の中に浮かび上がるようにして見えた。
その隙にぼくは立ち上がり、一気に相手との距離を詰める。右手に持った黒い塊のような何かを、相手がこちらへと向けてくる。ぼくは懐中電灯を武器に、その右手を思いきり薙ぎ払った。
「………っ!」
相手の右手が、あさっての方向へと弾き飛ばされる。抑圧したような悲鳴が漏れたのが聞こえたが、それでも手に持った何かを離さなかったのは、流石と言うべき所なのだろうか。
懐中電灯を離し、硬直した相手の右手首を捕える。そのまま押し倒すように地面へ組み伏せようと、左手に力を込める。
「………!? う………っわ!!」
刹那、自分の身体が空中へと浮かぶのを感じた。視界がぐるりと反転し、逆さまの木々が暗闇のなかに見える。戸惑う暇もなく、ぼくは頭を地面に向けたまま落下する。
「———ぐあっ!!」
頭から着地することは何とか避けたが、肩と背中をしこたま地面へ打ち付ける。衝撃が脳を効果的に揺さぶる。
巴投げ———!
ぐらぐらと揺れる頭で、どうにか理解する。ぼくが相手の右手を掴んだ時、空いた状態の左手は、既にぼくの襟元を捕えにかかっていたのだろう。
畜生。
ぼくは小さく毒づく。素人じゃない。闘い慣れてる。
地面の上を転がりながら林の中へと逃げ込み、なんとか体勢を整えて相手に向き直る。相手の方も既に起き上がって、少し離れた所から、こちらをじっと見つめている。
両目は既に、暗闇に順応している。ぼくはようやく、相手の姿をはっきりと目に捉えることができた。
声でわかった通り、女の子。
服装は、ブラウスにプリーツスカート。明かりがないためよくは見えないが、その簡素な雰囲気から、学校の制服のようにも見える。
思っていたより、ずっとたおやかで華奢に見える体躯。背もそれほど高くはない。ぼくと同じくらいか。
そして、右手に持った何か。
否——もう「何か」ではない。ぼくにはそれが何なのか、明確に理解できている。
突如、その黒い塊から閃光が放たれる。鼓膜を掻き乱す不快な音とともに、稲妻のようにほとばしる蒼白い閃光。
冗談のように全身が粟立つ。いや、もう冗談では済まない。
ぼくにとっては、ある意味拳銃よりも驚異に値する代物。
「スタンガン——か」
ぼくは思わず声に出して言う。それが、まったく意味のない行為だと知りながら。
あれが今までずっと、ぼくの後頭部へと押し当てられていたわけだ。余裕ぶって講釈かましてた自分を馬鹿らしく感じる。
相手の右手が、再びこちらへと向けられる。
そして、全身から放たれる敵意。
先程まで背中で受けていた敵意を、ぼくは真正面から受け止める。
敵意。
敵意、敵意、敵意、敵意、敵意、敵意、敵意、敵意、敵意、敵意、敵意、敵意、敵意、敵意、敵意、敵意、敵意、敵意、敵意、敵意、敵意、敵意、敵意、敵意、敵意、敵意、敵意、敵意、敵意、敵意、敵意、敵意、敵意、敵意、敵意、敵意、敵意、敵意、敵意、敵意、敵意。
敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意敵意!
今までのそれとは、まるで比べ物にならない。
敵意だけでは恐怖に足りないなんて、とんだ戯言だった。ここまで研ぎ澄まされた敵意、中途半端な殺意よりよっぽど恐怖に値する。
じり、と、少女がこちらへ一歩踏み出す。
こちらから仕掛けた時点で、既に話し合いの機会は失われたも同然だった。奇襲をかけて主導権を握り、なんとか説き伏せるつもりでいたのだが———失敗した。
少女の双眸は、さながら獲物を狩る虎だった。
虎視眈々。言葉として填りすぎだ。
「ったく……結局こうなるのかよ………!」
デイパックを肩から外し、地面へと投げ落とす。相手の背中は既に空いているようだった。先手を取られた気分で、ぼくは臨戦体勢をとる。
こちらは徒手、あちらには凶器。それだけで既に、決定的とも言える開きだ。
でも、こちらに勝算がないわけではない。
膠着を解き、相手が先に攻撃体勢へと移る。
右手を向けたまま、こちらへ飛びかかってくる少女。ぼくは咄嗟にバックステップで後方へと下がる——かのように見せかけ、さりげなく足に引っ掛けておいたデイパックを、蹴り込むようにして相手へと飛ばす。
足による投擲。当然それは命中精度に欠けるもので、デイパックは少女の右脇を抜けるような軌道で飛んでいったが、相手はそれに少なからず動揺したらしく、両手で身体をかばうような姿勢になる。
右手が引っ込んだその隙に、跳躍するように地面を蹴って相手へと接近。突き出されるスタンガンを仰向けに倒れるように避けながら、スライディング気味に蹴りを繰り出す。
回避と攻撃の複合。
しかし一度足払いをくらっているせいか、ぎりぎりの所で回避される。ぼくの頭上を飛び越えるようにしての強引な回避。結局地面へ転がったようだが、うまいこと受け身をとったようで、即座にこちらへ向き直る。
やはり一筋縄ではいかない。ぼくも即座に起き上がり、続けて攻撃を仕掛けようとする。
「………がっ!?」
顔面に激痛が走る。右目の下辺りに、何かがぶつかったような感覚。何か投げつけられたか、と、意外に冷静な頭で思う。
地面にぼとりと落ちたそれを見ると、さっきぼくが投げ捨てた懐中電灯だった。起き上がり様に拾っていたらしい。人のことは言えないが、油断のならない真似をする。
まずい——脳が焦りを訴える。投擲により隙を作ってからの攻撃。その点で、奇しくもぼくと相手の戦略は共通していた。
違うのは、投擲により生じた隙の大きさ。顔面に衝撃を受け、反射的に目を閉じてしまっている状態。この状況下で、それは永遠にも匹敵する隙。
そしてもうひとつ。
相手にとって、ぼくに一撃でも叩き込むことができれば、この勝負は決まる。素手のぼくとは、一撃の殺傷力が違う。
ここへきて、護身用というオチもあるまい。
一撃必殺。
スタンガン。
「く………ああぁ!!」
目を開くより先に、ぼくは右側へ向けて力の限り跳躍した。飛んだ先に木が立っていたら、もろに頭から激突していた形だったが、幸いぼくの身体が味わったのは、地面との衝突による衝撃だけだった。
顔を向けると、さっきまでぼくが立っていた場所にスタンガンを突き出している少女が見えた。本気で際どい所だったらしい。
有無を言わさず、少女が追撃をかけてくる。倒れている状態のぼくへ容赦なく振るわれるスタンガン。それを回避しつつ、何とか起き上がろうとする。
しかし相手はそれを許さなかった。スタンガンに気を取られている隙に、強烈なローキックを足首に見舞われる。ぼくは三度倒されて、地面との再会を果たす。どうやらぼくは、このパターンがよほどお気に入りのようだ。
仰向けに倒れたぼくを、毒牙を携えたような瞳で見下ろしてくる少女。スタンガンが構えられる。いつかの情景が脳裏にフラッシュバック。
どうする、考えろ。状況を打開しろ。見下ろされるのはこれで何度目だ? その時は何を相手にしていたのだっけ。鉈? ナイフ? 拳銃?
いや拳銃は違う。あの時上から拳銃を構えてたのはぼくの方だ。確か無様にかわされてしまったのだっけ。あれはどうやって———
ぶん、と。
スタンガンを持った右手が、顔面へ真っ直ぐに降り下ろされる。
眼前に迫る、蒼白い閃光。
「う、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
ぼくは左腕を、大きく弧を描くようにして振りかざした。上半身の力だけをフルに使い、振り下ろされる右腕に対し、横薙ぎの掌底を叩き込む。
「く———うっ!」
軌道をずらされた右腕の一撃は、ぼくの頭部の右脇へと突き刺さる。紙一重。そのまま相手の右腕を掴み、渾身の力で引き倒す。
しかし相手も只では転ばない。倒れ様に、ぼくの顔面に蹴りを打ち込んでくる。防御が間に合わず、もろに喰らってしまう。
「か………は………!」
身体を引くことで衝撃を軽減することはできたが、そのぶん大きく吹っ飛ばされてしまう。本当、今日は色々と飛ぶ日だ。
痺れる頭をどうにか制御し、立ち上がる。よし、とりあえず危機は回避した。まだいける、まだいけるぞ、ぼく。
蹴撃が思いのほか効いた風を装って、ぼくはよろよろと近くの木にもたれかかる。それを見て、勝機を得たとばかりに突っ込んでくる少女。
フェンシングの剣のように突き出されるスタンガン。
その一撃は、今度は空を切らなかった。
スタンガンの先端が、ぼくのジャケットへぐさりと突き刺さる。
飛び散る火花。ほとばしる閃光。煙を上げて焼け焦げるジャケット。
そして———
結果焼け焦げたのは、ぼくのジャケットだけだった。
「………くっ!!」
少女の焦ったような声。彼女がスタンガンを突き出してくると同時に、ぼくは自分のジャケットを、スタンガンめがけて投擲していた。
それは防御の意味もあったが、もうひとつ、広げられたジャケットを暗幕として使う、という目的もあった。
今の一撃によって、彼女は放電時の閃光を、暗闇に慣れた状態の両目で至近距離からもろに受けた形になったはずだ。対してぼくの方は、大きく広げられたジャケットに遮られ、閃光が届くことはない。
狂わされた視覚、ジャケットに覆われたスタンガン。
その隙はもはや、永遠にも等しい。
ぼくは背後の木を反動に使い、一足飛びに距離を詰める。しかし少女は退かない。絡んだジャケットごと、右手を前に突き出してくる。
しかしその攻撃は、まるで方向の定まらない一撃。
捨て身の一撃というには、あまりにも温い。
突き出される右手へ、叩き下ろすように手刀を放つ。がくん、と右手が崩れ落ち、ジャケットが地面にはらりと落ちる。現れた少女の右手は、空だった。
ぼくの両手が、少女の手首をふたつ同時に捉える。
投げ技を仕掛ける隙は与えない。飛びかかった勢いそのままに、全身を使って体当たりをかます。相手のバランスが後ろへ崩れたところを狙い、一気に両手に力を込め、叩き付けるようにして地面へと押し倒す。
打ち付けた両腕から、鈍い衝撃が全身ヘと伝わる。だが掴んだ両手は離さない。
かふ、と、苦しげに息を吐く音が少女の口から聞こえる。
それが終了の音だった。
林の中に、再び静寂が戻ってくる。
呼吸が乱れているのを今更のように自覚。酸素が足りないせいか、先程の衝撃が効いているせいか、頭がいい具合に揺れている。睡魔とも錯覚できそうな疲労感。
少女のほうも、同じように息を荒くしている。しかしその表情に浮かんでいるのは、不気味なくらいの冷静さだった。
そして、敵意。
その表情からは、想像もつかないくらいの敵意。スタンガンの閃光も真っ青の敵意。
この状態で、まだ敵意を収めるつもりがないのか………。
呆れるより先に感心できる。
「………屈辱だわ」
互いに呼吸が落ち着いてきた頃、少女は溜め息とともに呟いた。
「こんな背景の端っこに立ってそうな、通行人Zみたいな男にやられるなんて——この一幕だけで、自分の重要度が極端に下がった思いよ」
通行人Zて。
強そうだなおい。
「殺すがいいわ、殺すがいいのよ。そして人気投票の結果を見て己の行為を悔いなさい。人気上位キャラを殺すことがどういう意味を持つのか、その身で存分に味わうがいいわ」
「………何のことかよくわからないけど」
ぼくは彼女に応じる。
「一応、さっきのきみの質問には答えておくよ。ぼくもきみと同じく、強制的に参加させられたクチさ。自分から参加なんて冗談じゃない。しばらくは、病院のベッドの上で暮らす予定だったのに」
「だから何? 同じ境遇にいるから心中を察しろとでも言うの? 辛いのはよくわかる、仕方なく殺すのはわかってるから、恨むつもりはない——とでも言ってほしいの?」
冷笑を浮かべながら言う少女。
「それとも、殺す以外の選択肢を画策でもしてるのかしら。今度は妄想じゃなく、本当に手籠めにしてみる?」
「ふん」
ぼくは軽く鼻を鳴らす。余裕ぶって見せたつもりだったが、様になっていたかどうかはわからない。
「選択肢がないのも、困りものだとは思うけれど」
ぼくは、少女から手を離した。
「何かを選ぶのって、あんまり好きじゃないんだよ」
少女は動かない。そのままの姿勢で、こちらを見上げている。
ぼくはゆっくりと立ち上がる。
「きみに明確な目的があるっていうんなら、あのまま黙って従ってても別に良かったんだ。奴隷の真似事でも、遮蔽物の真似事でも、何だってね」
真似事は道化の役割だからね。
そう言ってぼくは数歩後ろへと下がり、木の幹に背中を預けつつ、地面に腰を下ろした。
「今だって、きみの分まで選択権を握るつもりなんて、ぼくにはないよ」
「………よく言うわ」
少女は言う。
「派手に抵抗しておいて、よくそんなことを堂々と言えるわね。あんなによく喋る道化なんて見たことないわよ」
「きみがあんなことを言うからいけないんだよ。ぼくが黙っていたように、きみだって、あんな余計なことを言うべきじゃあなかった」
——そんなこと、一体だれが望んだっていうのよ。
「生き残りたければ、きみは口先だけでも殺人者に徹するべきだったんだ。殺人鬼になるべきだった。殺し屋になるべきだった。最悪に、なろうとすべきだった」
——私を、私達を巻き込まないでよ。
——もう沢山なのよ、こんなこと。
「そんな、『どこにでもいるような普通の女の子』みたいな、『日常から非日常へ放り出された不憫な少女』みたいな台詞を軽々しく吐いていたら、この闘いを生き抜いていくことなんて、間違いなくできないんだよ」
ましてや、吐いた相手がぼくだったなら——。
沢山だというのなら、巻き込まれたくないと言うのなら———
出会った時点で、ぼくを殺しておけばよかったのだ。
「逃げるのもいい。ぼくを殺すのもいい。何もしないのも選択肢の内だ。ただしどれを選んだにせよ、今のきみじゃあ、遅かれ早かれ確実に死ぬ。それをただ伝えたかっただけさ」
言いたいことはすべて言った、とばかりに、ぼくは嘆息し、沈黙する。
「………………」
相手も沈黙を続けていたが、しばらくして「………本当によく回る舌ね」と、今度は少女のほうが嘆息した。
「あなた、むかつくわ」
ぼくはそれに対し、嘆息しながら肩をすくめる。「よく言われるよ」
少女は嘆息しながら言う。「次に私があなたの後ろに立った時は、首筋を喰いちぎられる時だと思いなさい。精々背後に怯えているがいいわ」
ぼくは嘆息しながら言う。「そのへんは、信じる心で何とかするさ」
まるで、素直じゃない子供同士の喧嘩の後の仲直りのようだなと、嘆息まじりにぼくは思った。
最終更新:2009年05月05日 14:33