シーン制
セッションの場面場面をシーンと呼ばれる単位で区切っていく形式。
シーンは言ってしまえば「場面」の事で、それ自体は別段新しい概念でも何でもないのだが、
FEAR系TRPGにおいてはより増強されたシステムが追加されており、本来の意味での「シーン」を用いた手法とは一線を画する。
いわゆるシーン制は基本的に下記のような概念が追加されている。
登場判定がある。
そのシーンに登場するには「登場判定」が必要となる場合がある。
登場判定をしない、あるいは失敗したなら、そのシーンに居合わせる事が出来ない。
シーンの中心となる
シーンプレイヤーがいて、そのプレイヤーを文字通り中心にしてシーンを構築する。中心は飽くまで「中心」であり、プレイヤーの意志を制約する為の物ではないので注意。
絶対必要という概念ではないが、「誰が喋っているか」の判断がつきにくく、発言が入り乱れて混乱しやすいオンラインセッションでは有用な仕掛けだろう。
シーンプレイヤーが退場したなら、そのシーンは終了する。もっとも、退場の仕方によっては残った者を新しい
シーンプレイヤーに据えて、そのまま次のシーンに移行するだけだろう。
舞台裏を敢えてしっかり定義しない。
これは
FEAR系TRPGにおけるシーン制のキモになる仕掛けである。
普通なら、時間の経過は全ての存在に取って平等である(神とか異界の怪物とか、そういう類のものは例外かもしれないが、ここではどうでもいい)。あるキャラクターがシーンに登場している間、別のキャラクターもまたどこかにいて何かをしているはずだが、シーン制ではそれを敢えて決定せず曖昧にしておく。
色々と理屈を考えてしまい、場面に登場できないプレイヤーを救済する為の仕掛けであると同時に、面白そうだと思ったら乗り込んでいって一緒に盛り上がる事を支援する、パーティゲーム的な側面を強化する仕掛けだろう。
シーン制は卓が停滞した時などにシーンを仕切り直して風穴を開けたり、プレイヤーがやりたい事がバラバラで「俺が俺が」となってしまった時に混乱を避けたりするのに有効である。
大抵のシステムにおいては、シーンはガンガン回してしまった方がいい。
ただし、
ダブルクロスにおいては、シーンが変わればその分登場人物達の
浸食率も上昇する為、あまり考えなしにシーンを回すべきではない。
最終更新:2008年12月18日 19:51