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 目が霞む。全身から力が抜け、指すら動かすことができない。泥と血が纏わり付いて、ずしりと重い感触と、凍えるような寒気が全身を襲い。そして無慈悲にも天から降り始めた雨は、一片の容赦もなく、わずかに残った俺の体力を奪っていく。

 ――あぁ。ここで、死ぬのか

 そう、静かに思った。


 元はといえば、俺が上官の命令を無視して単独で敵の陣地に入り込んだのがいけなかった。魔術師の連中が詠唱を終えるまでの時間稼ぎをしろ、という命令が気に食わなかったのかもしれない。とにかく魔術師共が攻撃を始める前に敵を全滅させてやろうと思い。だけど多勢に無勢。最初は俺が一方的な殺戮を繰り返していただけだったのが、徐々に形勢が逆転していき…がくり、と膝をついてしまったところですさまじい衝撃が俺を襲った。
 術師共か――……
 そう気付いたときにはもはや手遅れで。味方の攻撃により俺の身体はなすすべもなく吹き飛ばされ、数十メートル離れた地面に叩きつけられた。


 ――あぁ。ここで、死ぬのか

 再び俺は思った。戦闘の中で死ねるならそれこそ本望だと考えていたが、いざ死ぬとなると…少し恐怖を感じた。
 せめて冥土の土産にこの世の風景を見ておこうと思い、光を失いつつある目で辺りを見る。
 ほとんど更地と化した台地と、枯れてしまっているわずかばかりの草木。周りには死人と、死人になりかけの連中がごろごろと転がっていて。どんよりと濁った空と、そこから降り始めた雨が、さらに周囲の陰鬱さを増していた。
 その様子を見て、ふ……と俺は自嘲的な笑みを浮かべる。
 殺しに殺した戦闘狂の最期にはふさわしい光景だと…そう思った。
 そして脳裏に浮かぶのは、4人の親友たちの姿。
 蒼い髪の吸血鬼に、無表情の狩人。やたらプライドの高い走り屋と、小さなこまどり。
 俺が死んだらあいつら悲しんでくれるかなぁなんて馬鹿なことを考えていると、突然視界が闇に包まれた。それは俺が目を閉じたからなのか、それとも俺の目が目としての機能を失ってしまったせいなのかは分からない。ただ分かることは…死神がすぐそこまで来ているということくらいだった。

 ――闘ってばっかだったけど…悪くない人生だったなぁ

 俺は今、上手く笑えたのだろうか。自分でもよく分からないまま、最後に残った意識を手放そうとしたその時。

「大丈夫?」

 戦場にはおよそ不釣合いの、随分と可愛らしい声が聞こえた。


 誰だ。
 そう言おうとしたが、唇は思ったようには言葉を紡いではくれなかった。
「とりあえず応急処置はしておくね」
 その声と共にぱたぱたと小さな足音が聞こえ、傍に声の主が座りこむ気配がした。そしてそいつがぺたりと俺に触れたかと思うと、暖かい力のようなものが身体中に流れ込んできた。
 ――この力の雰囲気、ロビンのと…似てる……?
 ロビンのはもうちょっと荒削りな力だが、こいつのはなんだか…すごく安心する力だった。
 衛生部隊に配属されているYシリーズの誰かだろうなと思っているうちにも、身体は元の機能を取り戻し始めていた。
 感じていた寒気や身体の痛みはいつの間にか消えていた。鈍りかけていた嗅覚や聴覚もある程度元に戻り、先ほどより世界が身近に、より鮮明に感じられる。疲労が残っている所為で身体を動かすのが少々辛いが、まぁなんとかなるだろう。
「……誰、だ」
 擦れた声で、やっとそれだけ呟く。目を開けるのがだるかったため、気配で相手の様子を窺ってみると…どうやら側にいるやつは俺が喋ったことに安心したらしい。なんとなく場の雰囲気が緩くなったような気がした。
「ごめん。まだ名乗ってなかったね。
 私は衛生部隊所属・個体識別コードY-R01通称「お嬢さん(フロイライン)」…個体名は、ユラ。
 まだ息があってよかった……」
「フロイ…ライン……?」
 その名前には覚えがあった。確か、Yシリーズの最高傑作にして最大の失敗作。
 治癒の力は今までの個体とは比べ物にならないほど強いが、性格とその思想が戦場には向いていない、ある意味俺以上の問題児…フロイライン――お嬢さん。
 このまま目を閉じていてもよかったが、なんとなくそいつの面を拝みたくなり、うっすらと目を開ける。それと同時に、眩い灰色の光が俺の目を刺激した。
 目を細めながら、辺りの明るさに徐々に目を慣らしていく。しばらくして、周囲の風景が視覚情報として頭の中に流れ込んできた。
 俺の目がまだ生きていることに安堵しながら、「フロイライン」の姿を探す。

 そいつは――俺のすぐ側にいた。
 年の頃は9~10歳、肩くらいまである栗毛色の髪には、降り始めた雨粒が数滴乗っかっている。気の弱そうなその表情は確かに「お嬢さん」と呼ばれるのにはふさわしいもので――そして到底、「失敗作」には見えなかった。
「お前が…あの、」
 フロイラインか。そう言おうとしたところで、いきなり視界がぐにゃりと歪んだ。
「――あ?」
 助かったことに対する安心感からなのか。それとも極度の疲労によるものなのか。突然襲ってきた眠気に俺は耐え切れず。
「…っ!?大丈夫ですかっ!?しっかりしてくださいっ!!」
 フロイラインが慌てる声がして――そのまま、俺の意識は暗転した。


 次に目が覚めたのは、医務室のベッドの上だった。
「……生きて、る…のか…?」
 最初のうちは記憶がはっきりしていなかったが、ぼんやりと白い天井を見ているうちにいろんなことが思い出されてきた。
 上官の命令を無視して敵地に侵入したこと。そこで味方の魔術攻撃に巻き込まれ、瀕死の重傷を負ったこと。一人地面に横たわり、死を覚悟したこと。そして――フロイラインに、助けられたこと。
「起きた?」
 そこまで思い出したところで、横から聞き覚えのある声がした。ほんの少し目線を動かすと、栗毛色の髪をした10歳くらいの少女――フロイラインが、そこにいた。
「全く…単独で敵地に侵入なんてするからです…。既に傷口は完治しています。見つけたのが私でなければ……ひょっとしたら、死んでいましたよ?」
 「死」という言葉を口にした瞬間のフロイラインは、何故だかとても悲しそうな表情を浮かべていた。
「…なんで、俺を助けた」
 治療のおかげか、身体のどこにも痛みはない。あれから何分、何時間、あるいは何日経ったか知らないが、睡眠をとったことによりすっかり身体の疲労も取れていた。苦もなく上体を起こしてフロイラインと目をあわせる。
「それ、は……」
 まさかそんなことを聞かれるとは思っていなかったのだろう。戸惑いの色が、相手に表れる。
「もう一度聞く。何で、俺を、助けた」
 じぃっとフロイラインを見つめ、答えを待つ。

「…怪我人を助けるのは、当然のこと、だから……」
 しばらく間があいて、やっとフロイラインはそう言った。自信がないのだろうか、それとも怒られると思っているのだろうか。彼女は俺から目を逸らし、不安そうにうつむく。
「確かに怪我人を治療するのは衛生部隊の仕事だ。だからといって、何でわざわざあんなところまで来た。敵の生き残りがいて、自分が殺されるかもしれないとか、そういったことは考えなかったのか」
 Yシリーズは主に「治癒」を目的として創られている。だから、戦闘能力は皆無だと言っても過言ではない。噂を聞く限りでは、こいつは治癒以外の力も使えるようだが…その力をうまく扱いきれずにいる、とも聞いた。いつ敵が襲ってくるかも分からないところに、自分の身を守れるかどうかも分からないやつが出てこられても…正直、迷惑だ。
「まだ生きている人の気配がして……だから…」
 泣きそうな声で、相手は小さく呟く。そして俺は、自分でも何でこんなことを言っているのか分からないままフロイラインを叱責する。
「だからどうした!戦場なら人が死ぬのが当たり前なんだ!!
 それに俺たちは使い捨てだ!コードを持った俺達が1人死のうが1兆人死のうが、上の連中は困らない!コストはかかるし育てるのにも少し時間はかかるけど、データだけは残ってるんだからな!!むしろ死んでくれたほうがいいデータが取れたと言って喜ぶだろうさ!!」
「でもっ!!」
 バッと顔を上げ、フロイラインが俺と目をあわせる。気がたっているせいなのか、他に理由があるからなのかは知らないが、相手のその行動は俺を更に苛立たせた。
「…『でも』、なんだ……」
 必死で怒りを抑え、静かにフロイラインを睨みつける。
「それでも私は――…誰にも、死んでほしくない…」
 視線に押し負けたのか、再び相手は俺から目を逸らす。
「…ふん、甘いよ、お前」
 いつもならここで「まぁどうでもいいか」と切り捨てているはずの俺だったが…今回はなぜか言えなかった。
 殺して、殺されて。それが俺達のはずなのに…。どうしてこいつは、こんなにも生きることを求めるんだ。
 そもそもどうして、こんなにいらいらするんだ。

 フロイラインから目を逸らし、一人でいろいろと考え始めた俺に気を使ったのだろうか。もしくはこの場に居辛くなったのだろうか。小さな衣擦れの音がしたかと思うと、フロイラインが俺に背を向けていた。
「行くのか」
「怪我人はあなただけじゃ、ないですから…」
「そうか」
「じゃあ、私はこれで失礼させていただきます。……命、大事にしてくださいね?」
 短い会話を交わし、フロイラインはその場を去っていった。
 立ち去る前に、一度だけあいつはこちらを気遣うかのようにちらりと振り返ったが…その時あいつが浮かべていた、悲しそうな、辛そうな、苦しそうな、なんとも言えない表情が…妙に印象的だった。


 あの日…フロイラインに助けられた日から、何かが俺の心の中に引っかかっていた。苛立ちにも似たその感情がなんなのかよく分からないまま、再び俺は任務に明け暮れる日々を送った。
 任務中に大怪我を負うこともしばしばあって、その度に俺は医務室へと担ぎこまれたのだが…不思議なことに、医務室へ行くととても安心した気分になった。正確には、医務室にいるフロイラインを見ると、だが。


「フロイー、怪我したー」
「またあなたですか、ジャンカー……」
 そしていつの間にか俺はフロイラインのことを「フロイ」と呼びはじめ、任務中にわざと怪我をして医務室に行くことも多くなっていった。相変わらずイライラは消えなかったが、フロイの治療を受けている時だけは、やっぱり安心した気分になれた。俺が医務室にいった時、たまにフロイがいない時もあったが、きっと任務か…もしくは研究室の方にいるのだろうと思ってあまり気にしていなかった。
 ところが――

「聞いタか…フロイラインガまた暴走したらシい……」


 ちょうど、医務室から自室へと戻る途中の事だった。その日もフロイは医務室にいなかったが、まぁ検査でもされてるんだろうと思って別に気にしていなかった、のだが。
「聞いタか…フロイラインガまた暴走したらシい……」
「あぁん?またかよ。けっ、さっさと処分しちまえばいいのによ!」
 廊下の端の方で、たまに姿を見かけるコード持ちの2人組が話している声が聞こえた。一人は特徴的な仮面をつけていて、生きたやつの気配がしていない。以前何度か会ったことがある。あいつは暗殺部隊のノイズってやつだ。もう一人は俺と同じ部隊に配属されているやつ。確かジャッカルとかいったっけ。
(フロイライン――?それに、暴走……?)
 会話の端々で聞こえる単語が少し気になり、物陰に隠れて2人の会話に聞き耳を立てる。
 2人は俺に気付かないまま、会話を続けた。
「詳しいことハ分からなイ…ただ、まだ十分なデータが取り終わっテないかラではないかト……」
「これも噂だけどよ、あいつ両足両腕切り取っても数十分後には何もなかったかのように再生してたらしいぜ?」
「…我々が言えたコとデはない、が……まルで化け物だナ」
 その台詞を聞いて、何故だかは知らないが、怒りがこみ上げてきた。
 フロイが化け物、だと?あいつが化け物なら、俺は、お前らは、一体何なんだ。
 俺たちは創られた存在。常人とは遥かにかけ離れた能力を持って生み出された、不完全な人間。
 偽りの命を持ち、偽りの生を生きる――歪な、存在。
 故に俺が、お前らが。同じ存在であるフロイのことを化け物と呼ぶ権利は、どこにもない。
 そんなことを考えながら、2人をぶっ殺したくなる衝動を必死で抑えて会話を聞き続ける。
 しかし俺の努力は、次の一言で見事に無駄になってしまった。
「しょーがねーよ。だってあいつは――失敗作、なんだから」


 『失敗作』――
 その言葉を聞いた瞬間、身体が勝手に動いて、ジャッカルのことをぶっ飛ばしていた。
「うぐぁっ!?」
「ジャンカー……?」
「黙れジャッカル!それにノイズ!!」
 突然現れた俺に驚いている二人だったが、腐っても戦闘部隊と暗殺部隊。ジャッカルは即座に立ち上がって距離を取り、ノイズはノイズで、敵意を込めた目で俺を睨みつけた。
「ドういうツもりだ、ジャンカー…」
「うるせぇ!フロイは…あいつは失敗作なんかじゃねぇ!!」
 この怒りは一体どこから生まれてくるんだろう。同じコード持ち同士がいがみあうことからか、それともフロイが否定されたからか。よく分からないが、とにかく腹が立ってしょうがなかった。
「あいつは…あいつはっ…!」
 失敗作なんかじゃない。
 あの時…俺が戦場で死にかけてた時、助けてくれたじゃないか。
 あいつのあの反応を見る限り、あれは任務なんかじゃない…自発的に、あそこまで来たんだ。
 自分のことを気にせずに他人を助けようなんてする馬鹿が、化け物や失敗作なはずはないんだっ…!

「そういえバお前ノ噂も聞いたゾ……随分とフロイラインにご執心ノようダが…」
「何のことだ…」
「俺もその噂聞いたぜー?でもよジャンカー、あいつは気をつけたほうがいい…。いつ暴走するか分からない爆弾なんだからな」
「黙れお前ら…フロイだって、俺達と生まれは同じだろうが…!」
 何で。何でこんなにイライラする。
 分かる。血がたぎるのが、分かる。危ない。怒りが、抑え、切れ、ない…
「同じ、だと…?はっ、随分とあいつを軽く見ているようだな」
「お前ハあの惨状ヲ見てないからソんなことが言えるんだ…」
 惨状?暴走した時のことか?
 でも…それを言うなら俺達だって…
「俺達だって、暴走はする!生み出されてから今まで、1度も暴走したことがないとは言わせねぇぞ!!」
 怒りと殺意を抑え、ぐっと二人を睨みつける。
 しかし二人は全く動じることなく、自分の意見をいい続けた。
「そうダな…だがフロイラインの暴走回数は異常なほど多イ……。この1週間で3回も暴走しているのだからナ」
「それに、いくらYシリーズの最高傑作とはいえ…あの力は、異質すぎる」
「だけどっ……!」
 なおもフロイのことを庇おうとする俺を見て、ついにジャッカルが痺れを切らし、俺に怒鳴りつけた。
「目を覚ませ、ジャンカー!あいつは…あいつは俺達とは違うんだよ!!」
「――っざけんなぁあぁああああ!!」
 ここで我慢の限界だった。俺は力の限りジャッカルを殴りつけ――それから先のことはよく覚えていない。
 分かることといえば、ジャッカル達と盛大に喧嘩しているところへ駆けつけた研究員達に鎮静剤を打たれ、3日間の自室謹慎をくらってしまったことくらいだった。


 謹慎がとけて数日後。
 任務がなかったし、たまにはこういうのもいいかと思って建物内をうろうろしていると、目の前を見慣れた姿が横切った。フロイだ。
「おー……」
 フロイと話すのも悪くないなと思って声を掛けようとしたのだが…どこかいつものフロイとは雰囲気が違うような気がして、ためらってしまった。
 そしてフロイは俺に気付かないまま、廊下を進んでいく。
 どこへ行くのかがなんとなく気になって、気配をできるだけ殺し、フロイの後をつける。
 何度か角を曲がった後にフロイが入っていったのは――図書室だった。

 今の時間帯、ほとんどのやつは任務に出ているか、もしくは訓練場にいる。
 案の定、図書室に居るのはフロイと俺、だけ。
 何か無駄に心臓の音がうるさかったが、気にしないことにした。
「フロイ…?」
 小さく呟いて、フロイの姿を探す。広いものの、迷うことはない図書室だ。最悪、ジグザグを使えば位置は特定できる。そう思って室内をうろついていたら、奥の方からすすり泣く声が聞こえた。
「……?」
 フロイ以外に誰かいたのだろうか。それとも。
 足音を立てないように、声が聞こえるほうへと向かう。
 奥に近づくにつれて、泣き声ははっきりとして来た。誰の声かも判別できるくらいに。
 そして何か独り言をいっている感じがしたため、ぎりぎりまで声の聞こえる場所に近づく。
「…っ!……う、うぅあぁあぁん…」
 俺のことには気付いていないのだろう。泣き声の主―フロイは、声を抑えながらも、つらそうに泣いていた。

「暴走なんか…したくないよっ……」
「助けたい、のにっ…ただ、それだけ、なのにっ……!」
「何で、私を創ったのっ…?どう、してっ……!」
「自由に――なりたいっ……!!」
 まるで今まで溜め込んでいた不満を吐き出すかのように、フロイは泣きじゃくり続けた。
 きっとあいつは、暴走するたびにここで泣いていたのだろう。
 フロイの一言一言に何故か心を痛ませながら、俺はずっと、その場に立ちつくしていた。
 何も出来ないまま、フロイの独り言を、聞いていた。
 そしてどういうわけだか、ふと…フロイを守ってやりたい、と思った。
 守ってやれなくても、居場所くらいは、作ってやりたい。
 それもできなければ、せめて話を聞いてやりたい。
 そんな考えが浮かんでは消え、消えては浮かび――
 結局その日、フロイには近寄れないまま、一歩を踏み出せないまま…俺は図書室を後にした。

 俺は人を傷つけることしか知らない。守ることなんて、できない――
 そう考えて取った行動を後悔するのは、数日先の話になる。


 図書室でフロイを見かけてから数日後。あのフロイが脱走したと聞かされた。
 どうやらフロイの処分を決める会議内容を聞かれたらしく、あいつはその日のうちに逃げ出したそうだ。
 追跡部隊が追いかけているらしいが、今のところ姿は確認できていないらしい。
 でも、捕まって処刑されるのも時間の問題だ、とも聞いた。
 確かにそうかもしれない。俺も、あいつがラジエルの追ってから逃げ切れるとは思えないからな。


 だけど…俺は思う。
 もしあの時図書室で俺が声を掛けていれば。
 そうでなくとも、どこかでフロイに一言、何かを言ってあげてやれば。
 フロイが逃げ出すようなことには、ならなかったのかもしれない。
 でも、あの時俺は一体、フロイに対して何が言えた…?フロイに対して、何をしてやれた…?
 人を傷つけることでしか生きていけない俺が、人を守ることなんて…出来るはずが、ない
 矛盾した思いを抱きながら…俺は図書室の…フロイが最後に泣いていた場所へ行き、生まれて初めて、神に祈った。
 ――どうか、フロイが――……



「ゼノ?」
 その声で俺は現実に戻される。ふと隣を見れば、何よりも大切な人が、そこにいた。
「どーしたのさ、何か考え事?」
 いつものように明るく笑って、彼女――ティエルは俺の頬を突く。
 どうやら俺は長い間考え事をしていたらしい。昔のことを思い出すなんて、俺らしくない。そう考えつつ自嘲的な笑みを浮かべ、大人しくティエルに頬を突かれる。
「うりゃうりゃ~」
 無抵抗の俺を見て調子に乗ってきたのか、ティエルは満面の笑みで更に俺の頬を突き始める。
 そんな彼女の笑顔を見て、俺は安心すると同時に…何やら恐怖を感じてしまった。
 その感情をどこへやればいいのか分からないまま、俺はティエルに抱きついた。
「ゼ、ゼノ!?」
「なんでもねぇ」
 突然の出来事に赤面するティエル。
 だがそんなことはお構いなしに、俺はぎゅっと腕に力を込め、強く、だが優しく彼女を抱きしめ。
「もう、失わない」
「俺が…護るから」
「お前の、全てを――」
 俺自身にも聞こえないような声で、そう、小さく呟いた。



 バージル隊長、俺にも守りたい人ができました
 そして、自分の弱さを知りました
 ティエルを守るには、俺はまだまだ弱くて、無力だ…
 隊長、今度会った時は、またいろんなことを教えてください

 フロイ、今だから言える……お前のことが、好きだった
 だけど過去には捕らわれないぜ
 だってお前はもう…いないのだから
 でも、一つだけお前に誓うよ
 もう二度と、大切な人を失わないと
 自分の命に代えてでも…ティエルを守ると
 命を粗末にするなとお前は怒るかもしれないけど、知ったことか
 俺はこれからも、血塗られた道を歩んでいく
 お前はせいぜい、どっかからそれを見ていることだな

 グッバイ、フロイ
 俺の初恋の人
 そして、ハロー、ティエル
 俺が全てを護ると決めた人――

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最終更新:2009年03月11日 22:52