――ここは、どこだろう
暗闇の中、少年は思った。
目を凝らせば何かが周囲にあることが分かるが、その『何か』が分からない。
その上辺りを包み込む静寂が、一層少年の不安を煽っていた。
しかしその静寂は、低い男の声によって破られる。
「大きくなったな、アイザック――」
「……!?」
それは少年にとって、どこか聞き覚えのある声。否、ずっと聞きたかった声だった。
暗がりの奥の方からカツン、カツンと足音がゆっくりと近づいてくる。
音が近づいてくるに連れ、周囲がだんだん明るくなっていく。
――カツン
音が、少年から3mほど距離を置いた場所で止まった。
そこに立っていたのは一人の男。
肩まである、白髪の混じった少しウェーブのかかった黒髪。前髪に半分ほど隠されている黒い瞳には残忍さと冷酷さが宿されており。唯一口元だけがにやりと嫌味な笑みを浮かべている。
その長身に纏わせた古いマントにはところどころ赤黒い染みが付着していて。男の周りには血と殺戮の気配が色濃く纏わりついていた。
「ゾラン……」
少年――アイザック・メイスフィールドは、嬉しそうに男――ゾラン・ブランカフォルトを見つめる。その視線に応えるかのように、男は微かに笑った。
「くくっ…久しぶりだな」
そしてそれが当然だとでもいうようにマントの下からナイフを取り出し、己の右掌を切り裂いた。
男の様子を見た少年もまた、嬉しそうな表情から一転。真剣な表情へと変わり、ゴーグルを装着。ホルスターに収められていたグロッグ17へと手を伸ばす。
「ふ――判断力が上がったな、アイザック。だが……」
「!」
ダンッと男が地を蹴り、3mの間合いを詰めて右手で少年の喉元を掴む。
「う、うぅ……」
「近すぎる間合いでの銃の使用は不適切、だ。敵を認識し、狙いを定め、引き金を引く。これだけの時間があれば、間合いを詰めて直接敵に攻撃した方が早い」
男は首を絞められて苦しそうに呻く少年を楽しそうに見つめ、容赦なく鳩尾に鋭い蹴りを入れる。少年の身体は軽々と宙を舞い、数メートル離れた地面に叩きつけられた。
「が、ぁっ……!!」
「敵を目の前にしたら容赦はするな。甘さは捨てろ。死ぬ気でかかれ」
地面に倒れこんだまま動かない少年を見ても全く動揺せず、きっぱりといい放つ男。
男は少年を見据えたまま後ろに跳躍し、冷たい声色で再び少年に話しかけた。
「立て。準備運動はこれくらいでいいだろう」
「ぐぅ…」
少年はふらりと立ち上がり、ペッと血の混じった唾を吐いてから男を睨みつける。
「そろそろ始めようか――」
こくりとうなずく少年を見て、にぃと笑ってから男は右掌を少年に向けて突き出す。そして手からぽたりと一滴の血が零れ落ちたと思えば、男の黒かった瞳はいつの間にか血のような赤に変色していた。
「潰れろっ!!」
先に動いたのは少年だった。意識を集中させ、男に重圧をかけ始める。2人の距離は約15m。少年の能力の射程範囲内。
「ぐっ……」
少し苦痛の声をあげる男。自身にかかる負荷を必死で耐え、じり…と一歩下がる、が――。
「くくっ、重力を操作可能なフィールドが広くなったか」
距離は16m。未だ有効範囲内からは抜けていない。
重圧がなくならないことに少々驚きを見せるも、男は嬉しそうに笑う。
「2年前は15mが限界だったのにな」
「ゾランがいなくなってから2年……俺はあのときより強くなった!」
「しかしまだ私には遠く及ばん」
あっさりと少年の言葉を切り捨て、男は右手に意識を集中させた。正しくは、右掌の傷に。
男は笑う。ぎしぎしと軋む身体は全く気にせず。すっと右腕を少年の方に向け。
「Bloody
Rain」
小さく呟かれたその言葉に反応するかのように、男の右掌からどろりと血が溢れ出した。
溢れ出した血液は重力に従ってそのまま地面に吸い込まれ――ず、突然無数の血の弾丸となって少年へと向かう。
「くそっ……落ちろ!!」
自身の周囲に重力の壁を張り巡らせる少年。鉄の弾丸ですら落とすその壁を血の弾丸が貫けるはずもなく。地に叩き落とされた弾丸は元の形を取り戻し、赤い液体が地面を濡らす。
「攻撃を防いだからといって安心するな。相手は次の一手のことを既に考えはじめている」
「なっ……!?」
いつの間にか男は少年から更に距離を取っていた。その間およそ25m。少年の能力の射程からは、わずかに外れる。
男が自身の能力から逃れたことに少年は動揺するも、男はにやりと笑うばかりであった。
「ほら、どうした。隙を見せると待つのは死のみだ」
笑みを絶やさず男は言う。
(効果範囲内から外れたっ……。なら――!)
少年は何かを警戒し、その場から一歩も動かないままホルスターから拳銃を抜き、男目掛けて発砲。ぱんぱんと軽い音が2つ、辺りに響く。
「いい判断だ。自身の力の及ばぬところに敵が逃れたら、遠距離攻撃を仕掛ける――。接近戦で勝負をつけようと
する癖は直ったようだな」
男は少年が銃を構えるのを見た瞬間、右手をすっと前に差し出した。再び傷口から血が溢れ出し、赤黒い壁が男の正面に作り出される。
少年が放った2発の弾丸はその壁に阻まれ、ぽろりと地面に落ちた。
「確かに銃は強い。だがその力を過信するな。真正面から攻撃するばかりが戦いではない。時には不意をうつことも重要だ」
その瞬間、少年の周囲に出来ていた血の海がぞわりと波立ち、まるで生き物のように蠢いたかと思うとそれは幾多もの血の蛇となり、紅い軌跡を残しつつ四方から少年へと向かう。
「うわっ!?」
「不意打ちや時間差攻撃にはまだまだ弱いようだな」
意識が完全に手元の銃と男に向いていたため、蛇への対処が遅れる。
少年は咄嗟に正面からきた蛇の頭を銃で撃ち抜くも、蛇はわずかに動きを鈍らせただけでなおも少年へと向かっていく。
蛇がもう少しで少年の喉元に喰らいつこうとした瞬間――。
「銃に頼るな!」
「……っ!!」
男から強い叱責の声があがった。その声を聞いてやっと少年は銃以外の攻撃方法を思い出したのだろう。慌てて意識を集中させ、周囲の蛇達に重圧をかける。
だが重圧がかかるよりも早く、一匹の蛇がざくりと少年の首筋に深めの傷をつけた。
「馬鹿が……。武器であれ何であれ、あれほど頼りすぎはよくないと日頃から教えていただろう!!」
「くぅ……!」
少年の能力により、蛇達は地面に叩き落とされ、再び血の海を形成する。
しかし蛇に傷つけられた少年の首筋からはどくどくと血が流れだしており、少年の衣服を濡らしていく。
(ちょっと…ヤバいか……?)
首の傷を確認するかのように、少年は首筋へと手をやる。べとりと少年の手に血が付着し、つんと鉄の臭いが鼻をついた。
(血管が切れてなきゃいいけどっ!!)
赤い液体は止まる気配を全く見せず、ただただ流れ続けている。
血管が切れていれば、失血死してしまう――。
少年の表情に、焦りの色が表れる。
そんな少年の様子を見てなおも男は攻撃の手を緩めない。そのまますっと右手を少年に突き出し、ぐっと力を込めた。
「……!?」
その途端、少年の傷口の血がざわりと波打った。
「まさかっ……!」
ポタポタと男の右手から滴っている血液と男を交互に見て。自身に何が起こったか、何をされたかを瞬時に把握したのだろう。少年の顔色がさっと青ざめる。
男は嬉しそうに少年を見て、笑う。
「そうだ。既に勝負は初撃で決まっていた――」
戦いが始まった時、男は自身の右手を傷つけた。それは能力発動の引き金となる行動。
しかしその次の行動――少年の首を右の手で鷲掴みにするという行動は、少年に戦い方を教えるのと同時に、自身の血液を少年の首に付着させることを狙っての行為。
「これがはじめて戦う相手であればまぁ許せる。自身の血液を操れる事は見抜けても、自身の血液に触れた血液をも操れることを見抜ける相手はなかなかいない――」
少年の首から血液が溢れ出す。それは自然に流れ出すものではなく、明らかに何らかの力によって無理矢理体外に引き出されている動き。
「だが私とお前は今まで何度戦ってきた……。この手に引っかかるのも、もう何度目だ!」
「あ、うぅ……」
急な失血により、意識を失いかける少年。
それを見て男はふっと鼻で笑い、溢れ出た血液を再び少年へと戻し始めた。
「…ゾラン?」
少年の声には応えず、男は右掌の傷に意識を集中させ、自身と少年の血の流れを操る。
しばらくして血は少年の体内へと戻り、ざっくりと切り裂かれた首筋の傷口も血液が固まることによって、一時的に塞がれた。
「何、で…?」
男の冷酷さは少年が一番よく知っていた。
例え自身の義理の息子であろうと、いざ戦う時になれば戦闘不能になるまで徹底的に攻撃し、叩きのめす。
それが少年の知る、ゾラン・ブランカフォルトという人間だった。
しかし今、自身の認識とかけ離れた行動をされたことに、少年はわずかな戸惑いを覚えた。
「…これが最後の手合わせとなる。来るなら全力で来い。悔いを残すな」
「――え?」
戸惑っている少年とは裏腹に、男は淡々と言った。
「ゾラン…それってどういう……!」
「では、いくぞ――」
少年の疑問を完全に無視し、男はナイフで左手を切り裂き、その後右手の傷を更に抉る。
にやりと男が笑みを浮かべた刹那、男の傷口から大量の血液が溢れ出した。
血液はそのまま行き場を探すように男の周囲で渦を巻いていたが――。
「Bloody Storm」
渦は徐々に液体から形を変え、無数の血の刃となって少年へと向かった。
「くっ……重力壁(グラヴィティ・ウォール)!!」
慌てて重力の壁を周囲に展開する少年。急激な重力の変化に、壁が展開された箇所の空気が一瞬ぐにゃりと歪む。
刃はそのまま重力の壁にぶつかり、べシャリと地面に叩き落とされそうになるも…。
「弱点は真上からの攻撃だったな……」
「――!?」
叩き落とされた血液は地面を這い、重力壁の展開されている場所からわずかに離れる。
そしてそのまま上空へとのぼり――。
「血に溺れるがいい――」
少年の頭上から、重力に従うように大量の刃が落下してきた。
「……!!」
落下してくる血の刃を見た瞬間、少年は絶望的な表情を浮かべた。
周囲には未だに血の海が広がっており、そこから逃げようとすれば再びそれは血の蛇と化して少年に襲いかかるだろう。
かといってこのままそこでボーっとしていれば、間違いなく刃に全身を貫かれ、死んでしまう。
(使うしか、ないっ――!)
落ちてくる血の刃を睨みつけ、何かを覚悟したように少年は唇を噛みしめる。
そしてズボンのポケットから数個の球体を取り出し。
「無重力空間(アンチ・グラヴィティ・フィールド)!!」
集中を極限まで高め、自身を中心として半径1mの円上に無重力空間を形成した。
だが慣性の法則により血の刃の落下は止まらない。
そもそも無重力空間は円の内側全体ではなく、円の周上のみに張られている。
一体少年は、何をしようとしているのか。
自身に向かってくる血の刃を全く気にしている様子もなく、少年はポケットから取り出した球体を次々と自分の作り出した無重力の空間へと投げつける。
それもただ適当に投げるのではなく、向きや速度などを考えて慎重に投げつけているようだ。
「……ふむ」
男は楽しげに少年の行動を見つめていた。
幾度となく少年に向けられた冷徹な視線ではなく、それはまるで…親が子供の成長を喜ぶかのような、優しい視線で少年を見つめていた。
だがそのことに少年は気付くことなく。5つの球体全てを無重力空間に放りこんでから、上空の…自身にせまってくる血の刃を睨みつける。
球体は無重力空間の中、少年より少し上の方でくるくると一定の周期で回っている。その様子はまるで惑星のようで。
(もうちょっと……)
少年は真剣な面持ちで血の刃と球体を交互に見つめ続ける。
刃は止まることなく少年にせまり続け、既に両者の距離が2mになろうとしたその時。
「シールド発動っ!」
バチッと鋭い音が響いたかと思うと、少年のわずか1m上空でくるくると回っていた球体から強い閃光が発せられ。
「墓場軌道に吹っ飛ばされないよう…注意しろっ!!」
球体同士が光の線で結ばれて五角形を作り出し、その内部にバチバチと高圧の電気が流れ始める。
そして落下してきた血の刃が五角形内の電気に触れると…嫌な臭いと共に、黒焦げになってばらばらになった。
「ほう……。ようやく無重力状態を作り出せるようになったか…」
「くっ…」
男は感心したように少年を見るも、少年はそれどころではないようだ。
無重力空間を維持するのには相当の集中力を必要とするのであろう。意識は完全に周囲の空間にしか向けられていない。
その様子を感じ取ったのだろうか。男はわずかに困った笑みを浮かべると、少年の周囲に未だ広がっている血の海から今度は蛇でなく鋭い鞭を生み出し、球体の一つを叩き落とした。
「あっ……!!」
叩き落とされた球体はそのまま地面にころりと転がり。それに連動するかのように発生していた電気が止まった。
そしてシールドの停止に動揺したのだろう。ふっと無重力の空間が消え、空中で回っていた残り4つの球体もカツーンと地面に落ちる。
「今度それを使う時は、1つダメにされてもまだ起動し続けるプログラムに書き換えてから使用することだな」
機械のことはさっぱり分からないが、と男は続けて言い。
「へへっ…やっぱゾランには……敵わない、や」
集中し過ぎて精神的に疲労したのだろう。ふらりと少年はよろめいて、その場に倒れこむ。
「そう簡単に超えることができるほど、人は生易しいものではない」
最後は優しげにそう呟いたあと、かろうじて空中に残っていた血の刃を少年の首筋向けて放つ。
ざくりという音と共に、再び少年の首に深い傷跡が出来た。
―――――
―――
―
戦いの後。
先ほどと全く変わらぬ場所で、少年を治療する男と、悔しそうに笑っている少年がいた。
「あーあ、あのシールドには自信があったのに…」
「着眼点は悪くない。己の弱点をカバーしようとするその向上心は認めよう」
男はぽふ、と少年の頭に手を置く。
少年はそれに抵抗することなく、無邪気な笑顔を浮かべ。
「強くなったな」
「へへっ。でもゾランに勝てなきゃ意味ないや!」
くすくすと二人は笑いあう。
「そういえば、何でゾランは俺の攻撃から逃げられたんだ?」
治療もあらかた終わったところで、少年は不思議そうに尋ねた。
「一応動きを止める程度には重圧をかけていたつもりなんだけどなぁ…」
不満げに呟く少年の頭を、男は軽く拳で叩く。
「いってぇ!何すんだよー!」
「集中力不足だ」
突然叩かれたことに文句を言う少年。
その少年の文句に聞き耳を持たないかのように、男はさらりと言い放つ。
「操作系の能力者は己の意識を集中させることによって始めて攻撃や防御が成り立つ。私の能力も、お前の能力も操作系だ。先ほど私がお前の攻撃から逃れられたのも、一瞬お前の意識が私の攻撃に向いたから。私への集中が緩むということは、私にかけられる重圧も緩むということ……。」
「あー、そういう事か……」
うんうんとうなずく少年を見て、男はふっと笑った。
「まだまだ修行が足りんな」
そしてまた少年の頭を撫で。
「……すまなかったな、アイザック」
申し訳なさそうに、そう言った。
「ゾラン――?」
少年の記憶の限りでは、男が少年に謝罪の言葉をかけたことはなかった。
叱責、怒声、労い、感謝。
そういった言葉をかけられたことはあっても、謝罪の言葉は、今この瞬間が初めてだった。
ぽん、ぽんと優しく頭を叩き、男はなおも喋り続けた。
「私があの時、伝えるべきことを伝えられなかったから…お前に辛いものを背負わしてしまった」
「それって、どういう……」
「アイザック」
男は正面から、血の赤ではなく黒色に戻った目で少年の鳶色の瞳を見つめる。
「ゾラ、ン……?」
そして男は――かつてのように、少年のことを「イジー」とは呼ばない。
「私は何度もお前に言ったはずだ。人を殺すなと。人を殺せば、それだけで修羅の道に落ちる
お前には…私のように、なってほしくないんだ」
「でもっ……!!」
少年は男のようになりたかった。
強く、気高く、孤独な戦いを求める男の姿が、少年の目にはとても輝いて見えていた。
目の前にいる男こそが、少年の世界の中で最強の男であり、超えるべき目標となっていた。
だからこそ。
だからこそ、男を殺した浦原氷桜という人間が、少年にはとても憎く思え…その強い感情が、少年を復讐という行動へと駆り立てたのだ。
「確かに大切なものを殺されるのは辛く、哀しい。復讐したいという気持ちも分かる。私も以前、その気持ちを抱き、お前から剥きだしの殺意を向けられたのだからな」
ぐしゃぐしゃと少年の髪を乱し、男は哀しそうに笑う。
「だが、だからこそお前には人を殺してほしくない。お前に殺された人間もまた、お前が昔の私や浦原氷桜に抱いた気持ちと同じ感情を抱くのだから」
「分かってる!!分かってるけど!!」
少年は無意識のうちに、涙を流していた。
男が復讐を望んでいないのならば、今まで自分がしてきたことはなんだったのか。
人を殺すなと言う義父の言いつけに背いてまで氷桜を追ったのは、どうしてなのか。
少年にとって男の言っていることは、少年の2年間を否定するということに近かった。
「アイザック」
ぐっと少年の頬に触れ、男は親指で少年の涙を拭う。
「お前は陽の下を歩け。まだお前は、堕ちちゃいけない――。
≪鉄壁≫の二つ名の通り、誰にも落とされず、一人胸をはって、堂々と歩いていけ」
そして男は少年を安心させるかのように、少年をぐっと抱きしめる。
「すまなかったな…。いままで、ありがとう――」
「ゾラン…!!」
「こんな父親ですまなかった。戦うことしか教えられなくて、悪かった…」
「そんなことないっ…!!確かにゾランは俺の両親を殺したけどっ!!
ゾランは俺の師匠でっ!父さんでっ!!生きる術を教えてくれた!戦う術を教えてくれた!!何より、ゾランがいてくれたから、俺は今生きてるんだ!」
ぎゅうっと少年は男にすがりつく。
自身の孤独を埋めるかのように。寂しさを癒すかのように。少年は強く男を抱きしめ、涙を流し続ける。
「……そう、か」
男は少年を愛おしそうに撫で、ぽふぽふとまた頭を軽く叩く。
だがしばらくすると、何かを悟ったようにそっと少年から離れた。
「ゾラン?」
男の様子に疑問を抱き、首を傾げる少年。
そんな少年を見て、男は寂しそうに笑った。
「時間、だ……」
「え――?」
男がそう呟くと同時に、少年は自分の視界が暗くなっていくのを感じた。
「アイザック……今だから言う。私はきっと知らぬ間に――お前に依存していた。
お前に生きてほしいと願ったのも、私のようになってほしくないと望んだのも…今考えれば私なりの愛情、だったのかもな。
じゃあな、アイザック。私の息子よ。せいぜい――幸せになれよ?」
優しい笑みを浮かべ、ぽふりと男は少年の頭を一回だけ軽く叩いた。
そして少年は完全に意識を失い――。
―――――
―――
―
「夢……?」
とある都市の路地裏で少年は目覚めた。
きっと転移先の世界で寝ているところで、再び転移現象に巻き込まれたのだろう。
目覚めたばかりの少年は今の状況を把握しきれていないまま、ぼんやりと辺りを眺めた。
膝の上には奇妙なトカゲ。バッグパックを傍らに、腰には拳銃。足元には買ったばかりのスケートボード。
すっと首筋をなぞるとそこに傷はなく。あるのはただ、先日の氷桜との戦いで足や肩に負った銃創のみ。
「ゾラン……」
しかし先ほどの出来事は夢と呼ぶにはあまりに現実味がありすぎて。
少年はしばし、夢と現実の狭間に意識を漂わせる。
――そしてふと、辺りを見渡すと…
「あれ……?」
そこは何の変哲もない路地裏。だが少年にとってそこは――。
「ここ、ゾランが死んだ場所……」
自身の義父が殺された場所であり、少年の旅の始まりとなった場所。
「まだ、残ってるかな……」
そう呟いて少年はきょろきょろと何かを探し始める。
周囲を更に探ってみると、それはすぐに見つかった。
灰色のコンクリートに覆われた路地裏の中で一箇所だけ、赤黒く変色した場所があった。
「ゾラン――」
それは少年の義父が最期に流した血の痕。
少年は赤く染まっている部分を愛おしそうに撫で、小さく自身の決意を呟いた。
「俺、人助けをするよ。多分大変なことなんだろうけど…でも、ゾランのせめてもの罪滅ぼしのためさ
ウラハラのことはまだ憎い。だけど、それはしょうがないかな
ゾラン――今までありがとう。ゾランの罪は全て俺が背負う。だから…ゆっくり眠ってて、な」
それだけ言うとふっと少年は笑い、傍らのトカゲに語りかける。
「行こうか、ラスティ……」
トカゲは奇妙な声で少年に応え。少年は寂しそうに笑って、その場を後にした。
ダークレッドは義父の血の色
深緑は故郷の草の色
重力を操り機巧を友とし
罪を背負いし優しき少年は
鳶色の瞳で何を見る
憎悪の光と哀悼の影をあわせ持ち
世界を巡る旅の中
少年は一体 何を悟るのだろうか…
数年後。
アイザック・ブランカフォルトという青年が機械工学の分野で名を上げ
裏では人助けをして活躍している未来がくるのは
これまた、別のお話――
最終更新:2009年03月12日 14:30