昼の国。四六時中、太陽の光が降り注ぐ地
それらがもたらす恩恵による農耕技術。観光地としての人気。必然、商人が多く集まってくる
この街も例外ではなかった。首都グランツとまではいかないが、それなりに栄えた土地
人々の往来はひっきりなしに続き、街道沿いにはいくつもの店が立ち並ぶ
その一角に、ハルズマン精肉店はあった。小さな、肉屋だった
肉屋の店主は、太った中年の男だった。一人息子に店を手伝わせてはいたが、ほとんど一人で店を切り盛りしていた
他の商人たちと同じように、表向きは愛想のいい店主だったが、裏では酒を飲み歩き、賭博にのめり込み、生活は楽とは言えなかった
泥酔して帰って来ては、息子に暴力をふるうことも多くあった
しかし、誰もそれには気付かなかった。店主の外面の良さもさることながら、一人息子はまったくそんなそぶりを表に出さなかったからだ
「ねえ父さん。挽肉にこんなもの混ぜていいの?」
その日、息子は父にこう聞いた
質の悪い肉やパン切れを混入させて量を水増ししたり、動物の血を混ぜて色味を調整したり
息子は、何の悪気もなく行っていた。ただ、純粋に疑問に思って、そう聞いた
父親は、息子を睨みつけて、こう答えた
「いいか、カール。向かいで無知な観光客相手に、土産物売ってる親父はな、相手がなにも知らねえのをいいことに、安物を高く売りつけてやがる」
息子の目の前に屈んで、その幼い両肩をがっしりと掴んで、まくしたてる
「似たようなことは、どこのやつだってやってんだ!! 一歩譲ったら、こっちが百歩踏み込まれるんだよ!!」
血走った目が、息子の黒い瞳を睨む。しかし、息子の瞳は揺らいではいなかった。それを知ってか知らずか、父の言葉は続く
「この世界は、そういうもんだ。どいつもこいつも、誰かを踏みつけにして生きてやがんだ。てめぇの母親だって、散々俺を食い物にした挙句、使い捨てにしやがったろうが!!」
太い人差し指を息子の鼻先に突きつけると、叫んだ
「食うか食われるかだ!! てめぇも誰かの食い物にされたくなかったらな、他を利用して、踏みにじるしかねえんだ!! さあ、下らねえこと聞いてる間に、キリキリ働かねえか!!」
最後に、息子の身体を突き飛ばして、父は荒々しく作業に戻る。息子も、いつものことだと言わんばかりに平然と立ち上がる
何年にもわたって、似たような光景が繰り広げられた。しかし、息子の様子は、まるで変わりはしなかった
父がこのようになる前に、すでに彼の瞳は、暗い色をしていたのだ
いつしか、肉屋の店主は病床に伏した。荒れた生活と酒に、体を蝕まれたためだった
父は、息子を死の床に呼んだ。弱ってはいたが、いつもどおりに血走った眼で、息子を睨んだ
「カール……いいか、てめぇは……したたかに生きて見せろ……」
今では細くなってしまった両腕で、息子の胸倉をつかむと、父は言葉を吐きつけた
「手段を選ぶな……どいつもこいつも、利用して……踏みにじって、生きて見せろ……」
息子は、父の手を握って、笑った
「……ああ、親父。そうするとも。でも、親父に言われたからじゃあない。俺が、自分の意思でそうする」
父の表情が、歪んだ。それは、苦しみによるものだったのか。あるいは、どれほど暴力をふるわれても変わらない、息子の異様さへの恐怖だったのか
いずれにせよ、一人息子の、その不気味な笑みが、父の見た最期の光景となった
金がないために、ろくな葬儀は出せなかった。周りは同情はしてくれたが、金までは出してはくれなかった
息子は、しばらくは喪に服す様子を見せたが、やがて肉屋を正式に継ぐ形で、経営者の座に収まった
しばらくして、一人の男が、肉屋を訪れた。高級そうな黒スーツに身を包んだ、恰幅のいい紳士風の男だった
「君のお父さんは、賭博の借金を残していたんだよ」
にこやかな笑みを絶やすことなく、紳士は言った。相対する肉屋の息子も、顔には張り付いたような笑みを浮かべていた
「どう返してもらおうか、考えたんだ。この店を売ってもらっても、膨れ上がった借金を返すには足りなさそうだ。君自身も、まあいくらにもならんだろう」
店の中を歩き回りながら、紳士は語る。肉屋の息子は、黒い瞳でそれを追う
「そこで、だ。私は、裏の世界にも少々顔が利いてね。君には、こちらの紹介する仕事をしてもらいたいんだ。こうして明かした以上、断ればどうなるかは、わかるだろうね?」
柔和な笑みを絶やすことなく、しかしその眼光は鋭い。紳士が本気であろうことは、肉屋の息子にも伝わった
肉屋の息子もまた、微笑んだまま、言った
「わかりました。従いますよ、ゴルドーさん」
肉屋の息子に最初に与えられた仕事は、殺人ショーの出演者となることだった
異常者というものは、どこにでもいる。路地裏の闇の中にも、きらびやかな社会の上層にも
借金のカタに連れてこられた一般人の青年が、恐怖と罪悪感にまみれながら、殺人をさせられる。それが、今回の見世物だった。そのはずだった
肉切り包丁を与えられた肉屋の息子は、何のためらいもなく、同じように負債を抱えて連れてこられた、哀れな犠牲者たちを解体して見せたのだ
静まり返っていた場内は、やがて興奮の歓声に包まれた。肉屋で培った解体技術は、各国の異常者たちのお気に召したらしい
それからの彼は、表では今までどおりに肉屋を切り盛りしながら、裏で異常者たちのスターとして活躍する日々だった
やがて、彼のメインの仕事は、人体の解体そのものとなっていった。研究用、移植用、そして食用。人体を欲しがるものは多くいた
こうして上流階級の異常者と接触していく過程で、肉屋の息子は、殺人と、ある程度のマナーや教養を、身につけていった
ある日。いつものように店を閉めて、店内の掃除をしていた肉屋の息子のもとへ、彼を裏の世界へ誘った男が飛び込んできた
「ハルズマン!! 貴様……どういうつもりだ!!」
「どうしたんです、ゴルドーさん。血相変えて」
きょとんとした様子で尋ねる肉屋の息子に、紳士風の男は顔を紅潮させて叫んだ
「どうした、だと!? しらばっくれるな!! 貴様が、一般の業者に人肉を売っていることはもうわかっとるんだ!!」
唾を飛ばす紳士を前に、肉屋の息子は平然としている
「衛生には、じゅうぶん気をつけていますよ。研究を重ねて、やっと試験的に市場に出し始めたところなんです」
「ふざけるな!! あんな真似をして、足がついたらどうするつもりだ!! わしらにまで累が及ぶだろうが!!」
「大丈夫ですよ、ばれないようにやってます。素材も、路地裏のチンピラや浮浪者や娼婦しか使ってませんよ。いなくなっても、そうそう騒がれやしません」
噛み締めた歯をギリギリと鳴らしながら、紳士は肉屋の息子に詰め寄った
「なんのために、こんな無用なリスクを侵すのか、と聞いとるんだ!! 金持ちの変態どもを相手にするだけで、十分に稼げるだろうが!!」
相当な剣幕で怒鳴り散らす紳士を前に、肉屋の息子は態度を変えずに、こう言い放った
「足りないんですよ、それじゃ」
紳士が、目を見開いた
「全然、足りないんです。私は、もっと欲しいんですよ。金が。物が。肉の調理技術が。他にも、いろんなものが、欲しいんです」
肉屋の息子の黒い瞳は、紳士の目からわずかもそらされはしない。おぞましい言葉は、続く
「安価で食肉を生産出来て、私の人肉加工技術も上がります。肉の調理法の研究にもなります。それに、業者も安値で肉を仕入れられるし、お茶の間のみなさんはいつも通りおいしい肉を食べられるんです。そうでしょう?」
肉屋の息子の笑みは、紳士が彼と出会ったころのそれよりも、さらにそのドス黒さを増していた
紳士の紅潮していた顔が、青ざめていく。そのまま、何も言わずに踵を返して店から出ていく紳士を、肉屋の息子は変わらぬ笑みで見送った
店を出た紳士は、待機させていた車に乗り込み、その場を離れながら電話をかけた
「……わしだ。ああそうだ。自警団に、情報を流せ。やつは、もう切り捨てねばこちらが危ない」
「カール・ハルズマン!! 自警団だ!! ここを開けろ!!」
ドアを激しくたたく音と、怒号が響き渡る。やがて、ドアを破って自警団員が突入する
「二階、いません!!」「こっちもです!!」
次々に報告が上がる。精肉店は、すでにもぬけの殻だった
やがて、一人が地下室を発見する。踏み込んだ自警団員たちは、数分で全員が口元を押さえて飛び出してきた
地下室の中央には、色濃く血の跡を残す作業台が複数、据え付けられていた。周囲には塩漬けの人肉の入った樽や、瓶詰の臓物や骨や脂身
奥の冷凍室には、まだ原形をとどめた死体や、さまざまな人体パーツが保存されていた
しかし、何より異常と言えたのは、壁際の本棚にぎっしりと並んでいたノートだった
「仕入帳」と表記されたそれらのノートには、素材となった犠牲者たちの情報が、事細かに記録されていたのだ。自警団員たちは知る由もなかったが
殺人ショーの仕事で最初に人を手に掛けた日から、延々とそれらは綴られていた
犠牲者の氏名、性別、年齢、人種、国籍、身長、体重、死亡年月日、仕入にかかった費用、肉の硬軟、骨の太さ、どの部位をどう調理したか、その際の塩加減、臓物の色つやに至るまで
また、別のノートには、年齢別・性別の肉の性質や味の傾向といった情報が、詳細にメモされていた
踏み込んだ自警団の指揮者は、それらを少し読み進めただけで、手の震えを抑えられなくなった。その手から「仕入帳」が滑り落ち、床に落ちた
「……この変態野郎を絶対に逃がすな!! 探し出せ!!」
自警団らの必死の捜索にも関わらず、肉屋の息子の行方は杳として知れなかった
月日は流れ、この「ハルズマン精肉店事件」は、被疑者行方不明のまま、人々の記憶からは消え去っていった。人が死ぬことなど、この世界にはありふれていたからだ
カノッサ機関本部の一室で、その大男はジョッキを満たす赤い液体を飲み干し、ジョッキをテーブルに置いた
「んだよ、にやついて気持ちわりぃな」「新しい肉の調理法でも考え付いたか?」
大男の眼前の椅子に、一つの身体で腰かける二人の男。そろって怪訝な表情を浮かべ、二つの頭で問いかける。
「いや何、少し昔を思い出していたのさ」
変わらずに、気味の悪い笑みを張り付けたまま、大男が応じる。その額に埋まる巨大な眼球。眼前の二人に劣らぬ異形
「ほー、お前みたいな変態でも昔を思い出すことはあんだなぁ」「思い起こす価値のある思い出すらない我らにとっては、うらやましい限りだ」
「……腕を一本切り落とされたからといって、一対のバランスのために、残り三本も切って繋ぎ直すような変態どもに言われたくはないな」
「おい、あのガキのことを思い出させるんじゃねえよ」「せっかくの酒がまずくなる」
異形どもの酒盛り。交わされる言葉も、その姿も、正視に堪えぬ醜悪さ。しかし、彼らにも歩んできた道のりは、ある
双子が去った後、残った大男は一人、自室でまだ盃を傾けていた。ふと、虚空に視線を留める
「赤ん坊から順調に育ったことが有るなら……か。ふ、ふ」
己に向けられた言葉を思い返し、自嘲する。今の自分の姿。このありさまでは、もはやかつての自分だと気づくものはいないだろう
もっとも、かつての自分を覚えている人間など、どれほどいることか、わからないが
ジョッキを太い腕で空中に掲げ、一人つぶやく
「もう二度と帰ることのない、懐かしの我が家と……我が唯一の家族に乾杯」
あの日から、ずっと口にし続けてきた、この味。穢れ切った、自らの人生の味
血と脂で満たされたジョッキを傾け、
カニバディールはそれを一息に飲み干した
最終更新:2013年05月19日 02:50