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にゃーにゃーうぃーる

小説 ゆる色びより

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nyanyawheel

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ゆる色びより第1話(以下より各Sceneにジャンプできます)

   Scene1 ある晴れた日の小道


 雨の日も晴れの日も私は好き。

 窓枠を、葉を、傘を滴る雨の雫を眺めながら、ひっそりとした街の気配の中にしとしとと静かに響く雨音を聴く。人の心を癒す、唄うような雨音が、雨の日の醍醐味だって思う。

 晴れの日は活気づいた人たちの声に、私も元気をもらって外に飛び出す。燦々と輝く太陽は、私がどこへ行くにもついて来て、道を明るく照らしてくれる。陽気は心をうきうきと躍らせる。

 今日はそんな晴れの日だった。私は弾む心に身を任せ、

 ――校内を冒険しまくっていた。

 私の名前は橡結夏(つるばみゆいか)。入学したての高校一年生で、未だに特定の部活には入ってない。というか、入学して一週間ほど暇があればあちこち歩き回ってるというのに、一向に全貌が分からないこのおっきな学校を見る方が楽しくて仕方ないのだ。

 いっそのこと、さんぽ部かたんけん部でも作っちゃおうかな?

 私は苦笑しながら、校舎裏の道を歩く。幾つもある校舎の裏は意外とスペースがある。幅五メートル程の地面の道を挟んで反対側は、丸っこく切り揃えられた低い木や大きく伸びた木、その間を埋めるように背の低い草が生えていた。手入れはしっかりとされているようだけど、裏道は裏道、人影なんかは全然ない。ましてや今は放課後だし――

 ……って、あれ?

 そう思った途端に人影が目に飛び込んで来た。道の少し先、綺麗な長い髪を風に揺らす少女がいた。私はあちこちに注意が散漫してたし、彼女の方も低木の傍でしゃがんで黒猫を撫でていたからお互いに気付かなかったみたいだ。

 あの人って、確か同じクラスの――

 いち早く気配に気づいた黒猫が私の方を向き、にゃーって一鳴きすると彼女もようやく私の方に気付いたみたいで、立ち上がって振り向いた。


 振り向く動作に合わせて腰まである髪が、陽光を反射させながら大きく閃く。背は私より頭一つ高い。まあ、私って小さいから彼女は女子の平均くらいなんだけどね。

 ……まだまだ伸びるもん。

 可愛らしい顔立ちで、その瞳は彼女の物静かな印象を語るようにとても綺麗に澄んでいて――

「?」

 今更になって、彼女が私をじーっと見つめていることに気付いた。あれ、もしかして睨まれてるのかな? わ、私何かしたかな?

 内心であたふたしている私の気も知らず、彼女は足を踏み出した。歩いて来る、なぜか私の方に。

 思いがけない状況に、オドオドびくびくする私の目の前で立ち止まった彼女は、私のおでこ辺りに向かって手を伸ばす。おでこに感じる手の感触につい目を閉じてしまったけど、それは一瞬で手はすぐに離れていた。恐る恐るまぶたを持ち上げると、視界の真ん中に細い指で葉っぱを摘む手があり、すぐ上から呟くような声が落ちてきた。

「……これ」

「……ふえ?」

 自分でもびっくりする程の間の抜けた声だと思う。

「ついてた」

 端的な物言いだった。でも突き放した感じはせず、無表情ながらも優しさが滲んでいるような気がして、ようやく私は冷静さを取り戻すことが出来た。私は葉っぱを受け取りながら、

「あ、ありがとう。たぶん、さっき木の中に頭突っ込んだ時のが……」

「……えっ?」

 彼女はキョトンと少しだけ口を開いて小首を傾げた。私は慌てて思いっきり手をパタパタと振って、

「ううん、何でもないの!」

 乾いた笑い声を上げながら、誤魔化した。いくら私でも、面白いものは無いかなって草むらの中に入り込んだ時にポケットから落ちそうになったケータイの空中キャッチに成功したと思った瞬間木の根っこに足を引っ掛けて転んでそのまま低木の中に頭から突っ込んだなんて、同級生の女の子に知られるのはかなり恥かしい。全部払ったつもりだったんだけどまだ残っていたみたい。

 誤魔化しが成功したのか、はたまたそんなに興味が無かったのか、彼女はそれ以上は何も言わなかった。代わりに、彼女について来ていたらしい、さっきまで彼女にかまってもらっていた黒猫が足元でにゃーと鳴く。なんでだが分かんないけど、彼女を急かしているような気がした。

 彼女もそれに気付いたようで、

「うん、行こ。もろへいや」

 黒猫に手を伸ばし抱きかかえた。人に慣れているのか、首輪をしていない黒猫は大人しかった。

 ……って、今の猫の名前!? な、なんで? なんで、もろへいや?

 あまりの独創的かつ大胆不敵なネーミングセンスに打ちひしがれる私の頭は動作不良を起こしていた。そのため、

「ほ、……じゃあ私行くね、橡さん」

 彼女の言葉に反応し遅れてしまい、気付いた時には彼女は背中を向け数歩歩いた後だった。

「あっ、うん。また明日」

 慌てて大声で返してみたのだが、彼女は特に反応もなくそのまま後ろ姿は遠ざかって行った。角を曲がり校舎の陰に隠れてしまうと彼女の姿は完全に見えなくなった。何となく私は見えなくなるまで目で追っていた。

 ……なんていうか、不思議な感じの子だなぁ。でも、優しい人だ。

 私は頬を緩めながら、手の中にある小さな葉っぱをゆらゆらと揺らし、ふふっ、と今度は確かに小さな声を漏らして笑った。しばらく眺めてから、肩にかけたお気に入りの(よく子供っぽいって言われる)小さなポシェットの口を開いてパステル調の手帳を取り出す。適当なページを開き、そっと葉っぱを挟んで静かに閉じる。いそいそと手帳を収めながら、一つ気になった。

 あれ? そう言えば、私の名前をなんで覚えてたんだろう?

 ただでさえ読みづらいことで好評な名前だから、少し気になった。でも考えても分かんないし、まあいいかな?

 自分の中で結論を出すと、私は陽光差し込む小道を歩き始めた。太陽の色がオレンジ色に変わりかけていたけど、下校時間まではまだまだ時間がある。

「さぁて、次はあっち行ってみよっ♪」

 その日、入学してから一週間も経ったその日、私はクラスメイトの女の子、椚木秋(くぬぎあき)さんと初めて喋った。

   Scene2 影の映らない机


「へ~、そんなことがあったんだ」

 翌日の昼休み、そう言って相槌を打ったのは向かい合うようにくっつけた机の反対側に座る芙蓉冬莉(ふようふゆり)ちゃん。今日の冬莉ちゃんは後ろ髪を二つに縛って肩の上から前に流している。わざわざ詳しく言うのには理由があって、冬莉ちゃんは入学してから出来た友達なんだけど、わずか一週間の内にストレート、ポニーテール、三つ編みとすでに幾つもの髪型を披露しているからだ。

 表情豊かな彼女は、五分と経たずに食べ終わった、私のより三倍は大きい弁当箱を片付けて、新たに取り出した購買のパンをとろけるような笑顔で頬張る。

 ……見てるだけでお腹いっぱいになりそうだよ。

 どこにそんなに入るんだろう? 私は目の前の人型ブラックホールを前に、ここ数日繰り返したのと全く同じ動作で小首を傾げた。

「そう言えばあの子、休み時間になるといつもどこかに消えるのよねぇ」

 左側に座ってゆっくりと弁当箱をつついていた馬酔木春流美(あせびはるるみ)ちゃんが、中空に目線を上げておっとりとした調子で呟いた。腰まである長い髪を首の後ろで束ね、眼鏡の奥に無垢な瞳を隠した春流美ちゃんは、いつも落ち着いていて、私の頼れる幼馴染みなのだ。出会ったのが確か小学校の頃。えっと、こういうのを確か――

「くさった縁?」

「くされ、でしょ。訂正するの何度目かしら?」

 ふう、っと呆れたように溜息をついて、でも優しく微笑んだ。顎に指をあてる仕草とか、どことなく大人っぽい、けど悪ふざけも良くする子供みたいな一面もある、そんな友達だ。

 大の甘党なうえ辛いものは食べれないし、部屋の中はぬいぐるみでいっぱいだし――

「お気にのぬいぐるみ抱いてないと寝られないし」

「ゆいゆい~。いきなり何言ってるのかしらぁ?」

「ひぃっ!」


 頭の中だけで考えてたと思ってたのに、声に出ちゃってたみたい。ゆったり口調は変わらないのに、いつもの通りの笑顔のはずなのに、は、春流美ちゃんからとてつもない殺気を感じるんですけど!?

「わたしが、何だって?」

 さらに笑顔に輝きが増した。……はずなのに、どうして背中に汗が伝うんだろう?

「まあまあ、はるるんも落ち着きなって。ゆかっちも悪気は無かったんだし、ね」

「悪気が無いからと言って、許せることと許せないことはあるのよ」

 冬莉ちゃんが間に立ってくれたおかげで、春流美ちゃんは口ではそう言いながらも私に向けた矛を収めてくれた。うぅ、怖かったぁ。

 目の端に溜まった水滴をハンカチで拭いながら、ところで、と私は口に出した。

「何の話だったっけ?」

「君が話題の提供者でしょうがっ」

「あいたー」

 冬莉ちゃんにぺしんと頭を小突かれて思い出した。昨日の放課後の事を話していたんだっけ。私は目線を二人から窓際のとある机に向けた。春流美ちゃんも冬莉ちゃんもつられて首を動かす。

 昼休憩ということもあって太陽は真上付近にあるため、日は机の縦一列の所までしか差し込んで来ない。そのうちの一つ、表面に光を反射して山吹色にきらめく机を私達は見つめていた。暖かな光に包まれているはずなのに、そこだけぽっかりと空いてしまった穴のように空虚な感じがした。

 ――誰も座っていない机が、ポツンと置かれてあった。

「ボクも違う中学だからなー。でも同じ中学の人に訊いたら、椚木さんってその頃から友達という友達もいなくて、休み時間になったらいつの間にかにいなくなっちゃってたみたいだよ」

 冬莉ちゃんが、どこからか仕入れてきた情報を教えてくれた。そうなんだ、って私と春流美ちゃんが口から零す。

 そのまま沈黙してしまった。何と言えばいいのか分からなかった。だからといって、そこから目を離すことが出来なかった。

「いよっし。ごちそうさまっ!」

「えっ?」

「はい?」

 この雰囲気に似つかわしくない台詞がいきなり耳に飛び込んできた。見ると、空になったパンの袋の山を前に手を合わせ、にひひと満足気に笑う冬莉ちゃんがいた。茫然と眺める私達をよそに冬莉ちゃんは椅子から立ち上がる。

「んじゃっ、行きましょっか!」

「え、と。どこに?」

 春流美ちゃんがおずおずと尋ねる。話の流れについて行けてないようだ。……私もだけど。

「椚木さんを探しにだよっ。二人は気にならないの?」

「それは気になるけど……」

 春流美ちゃんはちょっと迷ってから、

「そうね、行きましょうか」

 割とあっさり腰を上げた。そんな中、私は二人から目を逸らすみたいに机に目をやり、ぽつりと呟く。

「でも……」

「?」

 二人が私の方を見ていることが、何となく感じ取れた。小さな声で私は続けた。

「椚木さん、迷惑じゃないかな? 本当は一人でいたいだけかもしれないし……」

 言い終わるや否や、溜息が聞こえたと思った途端に、おでこを、

「あいたー!?」

 ――でこぴん、された。

 突然の事に驚き、ひりひりと痛むおでこをさする涙目な私に、冬莉ちゃんは満面な笑みでこう言った。

「優しい子なんでしょ? ボクたちが友達になりたいだけなんだよ。文句ある?」

 単純明快な言葉に私は目をぱちくりと瞬いた。春流美ちゃんが続けて言う。

「ゆいゆいは、違う?」

 二人の顔を見て、ふと誰もいない席に目を向けて、もう一度変わらぬ笑顔でそこに立っていた春流美ちゃんと冬莉ちゃんに戻す。

 本当に、この二人と友達になれて良かったなぁ。そんな風に今更ながら思った。

 ――そして、昨日初めて言葉を交わした彼女の事を思い浮かべる。

「私。……私あの子の笑顔が見たい、って、うわっ!」

 初めから答えなんて分かってたみたいで、私が言い終わるのも待たずに両側から腕を引っ張って駆けだしていた。

 教室を飛び出した私達は当てもなく廊下を走る。気持ちの良い風が髪を浮かし、後ろに消えて行った。

   Scene3 地面に落ちる四つの影


 私、春流美ちゃん、冬莉ちゃんの三人は――

「どんだけ広いんだよっ、この学校はー!」

 ――校舎裏の道をとぼとぼと歩いていた。

 叫んだ冬莉ちゃんはそのままガックリと腰を落として校舎の壁によりかかり、ゼーハーと肩を上下させていた。私達も足を止めて一息つく。さすがに、疲れた。

 椚木さんがどこにいるかなんて心当たりのない私達。どこを探そうにも昨日椚木さんと出会った場所しか思い当たらず、とにかくそこに向かった。だけど世の中そんなに甘くないみたいで、当然のように椚木さんは見つからない。しょうがなくその辺りを手当たり次第走り回ってみたのだけど。

「ほんと。十数分走っているのに裏道を半分も回り切れないなんて、何を考えてこんなに敷地広げたのかしら」

 春流美ちゃんも珍しく疲れた様子で溜息をついた。簡単に見つかると思って調子に乗って走りっぱなしだったからね。かくいう私も、もう限界。

 そもそもこの高校はおかしいのだ。ここ県立月ヶ丘高等学校は、私たちは普通科なのだけど、色んな学科を揃えた結果、全校生徒は四〇〇〇人強を誇り、それだけの人数がいるというのに普通の高校よりも余裕を持って収めているのだからその広大さは想像するに簡単。さらにそんな中でもカリキュラムを全う出来るように施設も豊富で、例えば体育館なんてバレーボールコートを六面張れる程大きいのが二棟も建っている。……うん、変な学校だ。しかもそれで県立だなんて。

「だから、探検のしがいがあるんだけどね」

「今はそれがまるっきり仇になってるのだけど」

「ううっ」

 だいぶ落ち着きを取り戻した春流美ちゃんが、痛い所を突いてきた。それを言うのは卑怯だよぉ。

「それにしても、これからどうする? 仲良くなろうにも、本人に会えないと話が始まらないよ」

「そうなんだよね」

 昼休みの喧騒からほど遠い位置にあるこの裏道に、誰かがやって来るような気配は感じない。その誰かに、目的の彼女も含まれてしまうわけで。唯一の手がかりだというのに、最も可能性の薄い場所を探している気がしてもどかしい。

 にゃー。

「……はぁ」

 溜息が聞こえたけど、もう誰のかも分からない。私かもしれないし、違うかもしれない、その判断がつかないくらいに私達は意気消沈していた。

 にゃっ、にゃ。

 ――さっきから、にゃーにゃーって聞こえる猫っぽい鳴き真似を誰がしているのかってことも。

「……え? 猫?」

 今更気付くのも変な話だけど、猫の鳴き真似を私はもちろん二人がするわけがない。となれば、本物の猫がそこにはいるはず。

 そう思って目を向けると、土の地面の上を三匹の猫が互いの行く先なんてお構いなしにジグザグに歩いていた。その猫たちの他には、さらに一匹の猫を抱いて、足元の猫たちの動きに注意しながら慎重に歩を進める女の子が……、

『――って、いるしっ!』

「っ!?」

 春流美ちゃんも冬莉ちゃんも気付いていたみたいで、三人揃って声を大にして叫んでいた。

 目的の探し人、椚木秋さんがそこにいた。表情は読みづらいけど私達の叫び声に少しびっくりしていて、不安そうな瞳でこっちをじっと見ている。心中を和らげるためか、抱いた猫を胸元に押し付けているような気がする。

 どうでもいいことだけど、思い返すと恥かしいくらいの大声だったのに、四匹の猫は慌てることなく平然としている。足元の一匹は毛づくろいしているぐらいだし。

 ――この猫たち、大丈夫なのかなぁ?

 ううん、今は椚木さんの事が先。やっと、見つけられたんだもん。警戒心の欠片もない野に生きる猫たちの事も気になるけど、それは後。

「く、椚木さんは今何してるの?」

 ……他に何か良い話題は無かったのだろうか。とりあえず喋りたいと思った気持ちが先走って、私は勢いだけで話しかけてしまった。

「えっ、う、……私は教室に帰る所だけど?」

 呆れられると思った予想に反して、なぜか椚木さんは驚いたような慌てたような、そんな色んな風に取れる口調でどもっていた。

 そんなに変だったかな、って私が不思議に思っていると、椚木さんが抱いていた猫が手足をジタバタさせて、苦しそうに鳴き声を上げた。

「あっ、ごめん。ぶっそうげ」

 慌てて緩めた腕から零れ落ちるように抜けだしたぶっそうげと呼ばれたトラ猫は、空中でくるりと身を翻して難なく着地した。おおう、すごい。

 それにしても、ぶっそうげ、ってやっぱりあの猫の名前なのかなぁ? 漢字で、えっと、……物騒気? うーん、最早名前の由来がさっぱり分かんないよ。

 またも逸れかけた思考を元に戻す。猫たちと向かい合うように、椚木さんは膝を曲げて、

「うん。ほ……」

 四匹の猫に話しかける椚木さんは途中で言葉を切った。ちらりと私達の方に目線を向けてから、改めて口を開いた。

「じゃあ、またね」

 なんで私達の方に注意を向けたのか分からない程に、変わらない口調だった。猫たちは口々に鳴いて返すと、元来た道や茂みの中、足元を通り過ぎて私達の後ろの道と散り散りに駆けて行った。

 気付けば椚木さんも、私達の横をすり抜けるように歩いていた。

 ――ここで逃がすわけにはいかない!

 たぶん、この時三人が三人ともこう思ったに違いない。その中で、最も早くその方法を思いついて、さらに最初に実行に移ったのは――

「くーぬーぎー、さんっ!」

「ひゃっ!?」


 ――大胆にも椚木さんに抱きついて動きを封じることにした冬莉ちゃんだった。椚木さんは可愛らしい声で短く悲鳴を上げてうろたえていた。

 あぁ、懐かしいな。どうやら冬莉ちゃんはハグ癖があるらしく、気にいったものには抱きつくみたいで、私も春流美ちゃんも入学初日にいきなり抱きつかれて慌ててたなぁ。懐かしむ私の横で見守る春流美ちゃんは、面白そうに目を細めている。

 そんな事情を全く知らない椚木さんは、わたわたと手を振って振り解こうとしていた。が、一向に腕の束縛が外れる気配は無い。冬莉ちゃんは上手い具合に椚木さんの動きをコントロールしていた。

「ちょっ、あの」

「ん、ボク? ボクは芙蓉冬莉だよ」

 椚木さんの心中なんてお構い無しに冬莉ちゃんは自己紹介していた。

「し、知ってます」

 かろうじて抜け出した椚木さんは、肩で息をする。その後ろで冬莉ちゃんはきょとんとしていた。どうやら冬莉ちゃんの注意が薄れたから逃れられたようだ。

「ボクの名前知ってるの?」

 不思議そうに尋ねる冬莉ちゃんに、椚木さんは無表情のまま呟くように言う。

「……同じクラスだから」

 続けて春流美ちゃんも訊く。

「ねえ、ならわたしの名前も?」

「あせび、さん」

 特に悩む事もなく答えた椚木さんを見て、私達は、何て言うか安心した。気付かないうちに私達は若干の懸念を抱いてたみたい。でも、殆ど教室にいないのに、話した事なんて全然無いのに、彼女は私達の名前を覚えていてくれた。

 ――他の人に興味無いなんて事は無かったんだ。

「……えっ、なんでみんな近づいてくるん?」

「えへへ~」

 嬉しくてつい私達はにこやかな笑顔で椚木さんに接近したわけだけど、怖がる椚木さんの目には不気味に映っているのかも。

 まあ、そんなの気にしないけどね。椚木さんは私たちから逃げるように歩き始めた。追いかけると、さらに早足で逃げるから、それに合わせて私達もスピードを上げる。何度かそんな事を繰り返していると、諦めたのか疲れたのか椚木さんは歩みを緩めた。

 授業までそれほど時間が残っていなかったから、私達は歩きながら椚木さんに話しかける。たいていは冬莉ちゃんと私が騒いで、春流美ちゃんが諫めるといった感じだった。椚木さんは表情をずっと変えず、前だけ向いて黙っていた。口を開いたのは数えるほど。でも――

「そしたらね」

「へえ~」

「ふふっ」

「……うん」

 ――それでも、今はそれだけでも、言葉を交わせたことが大きな前進であると、すごく嬉しく思う。

 放課後、さらに仲良くなろうと椚木さんを探したんだけど、またしてもいつの間にか姿を消した彼女を、今度は見つけることは出来なかった。

 校舎裏を探してみても今度は見つけられなかった。湿った風だけが私の頬を撫でる。見上げると太陽の光を遮るように、分厚い雲が空を覆おうとしていた。

 ……明日は、雨かな?

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