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オルダスハックスレーはホーマーの「オディッセイ」を読んで、どういう点において「オディッセイ」が近代の文学作品よりも力が強いか、ということ

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イギリスの現代の作家オルダスハックスレーはホーマーの「オディッセイ」を読んで、どういう点において「オディッセイ」が近代の文学作品よりも力が強いか、ということをつぎのような話で証明している。「オディッセイ」の中に、ユリシーズという主人公の船がシラとカリブデスという二つの魔物の住んでいる海峡を通り抜けるエピソードがある。
その海峡を通り抜ける時に、右側の崖の上に住んでいる蛸のような怪物であるシラが手を伸ばして、ユリシーズの船を漕いでいる船員を六人取って食う。その時、他の船員たちはユリシーズの命令によって、そこを大急ぎで漕ぎ抜けて、そのつぎの島であるトリナキエーという島に上がって休息する。その島に上がった時にユリシーズの部下たちは、船を海岸へ引き上げて、食物や酒を出して食事をし、そうして満腹してしまった時に、彼らは魔物のシラに取って食われた仲間を思い出して泣いた、というふうにオディッセイでは書かれている。
ハックスレーはこのエピソードを引用して、もしも近代文学者がこれを書いたならば、このように書くことはできないだろうと、言っている。彼はその点で、われわれは古典作家にかなわない、と言うのである。
それはどういう意味かというと、もしも近代作家がこれを書いたならば、たぶん、つぎのように書くことになろう。
「彼らは仲間が魔物に取って食われた後、船を漕いでゆきながらも、仲間を思い出して絶えず涙を拭った。とか、あるいは「島に上がった時、彼らは魔物に取って食われた仲間を思い出して泣き、飲み食いの支度をするもの忘れていた」。このように書くのが一般の書き方である。なぜならば、その方が、作者その人の個人的良心が安らかになるからである。そう書かないにしても、そう書きたい傾向が近代文学にあることは確かだ。
伊藤整


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