主体と客体の関係を垂直軸に見たときに、主体と客体の関係性を前後に何層も重ねるメタフィクションの形式をヴァーティカルメタフィクションとここでは定義する。先にそういったメタフィクションの例を示すと、未来世紀ブラジル、マトリクス、ドグラマグラ、夢オチなどがある。じぶんがこうだと思っていたものが誰かのコントロール下にあることがわかり、そのコントロールももしかして幾重にもかさなかったコントロールの下にあるかもしれず、そういった不安定さの中で主体性や自己同一性を見失う。どれも同一性を求められる局面で主体が何重かになっているため、一種の不安感を煽り、「だまし絵」的な演出効果がある。
恐らくこれらの手法は二次元カメラとドキュメンタリーの発展と強い関わりがあり、そのような技術とオールドスクルースとしてナノク世界では、垂直指向性のあるメタフィクションは骨董的な手法として扱われる。いわゆるトーキー以前の技術黎明期に対する懐古趣味のようなものである(ワックス・パンクも参考のこと)。
これに対する効果を持つテクニックが、伝承を前提とするようなホリゾンタルなメタフィクションである。これの好例は映画 羅生門などになるだろう。これとマクガフィンが合わさった例でパップラドンカルメという素晴らしい歌がある。
恐らくこれらの手法は二次元カメラとドキュメンタリーの発展と強い関わりがあり、そのような技術とオールドスクルースとしてナノク世界では、垂直指向性のあるメタフィクションは骨董的な手法として扱われる。いわゆるトーキー以前の技術黎明期に対する懐古趣味のようなものである(ワックス・パンクも参考のこと)。
これに対する効果を持つテクニックが、伝承を前提とするようなホリゾンタルなメタフィクションである。これの好例は映画 羅生門などになるだろう。これとマクガフィンが合わさった例でパップラドンカルメという素晴らしい歌がある。
口裂け女や怪談話し、都市伝説など、伝承によって冗長性が増し、真理にぶれが生じるが、受け取りてと送り手の間の主体性は崩れない。このかたちはシャノンの情報理論とも親和性が高く、デマなどが発生する風刺として利用することもできる。
垂直志向性のあるヴァーティカルメタフィクションは、クライアントサーバ式の物語の中で、何重にもその主客を遠近法のごとく設置することができ、効果としても強いが、使いすぎるとある種の「酔い」のような状況が出てくる。そもそも認識に関するの議論を誰もがしたいわけでもないので、「だまし絵」的な演出にことさらの必然性が無いとなれば、ナノク世界でのメタフィクションの効果的な演出としては、水平に広がる(ホリゾンタル)なフィクションを推奨する。「酔い」の副作用も少なく、多くの人が同じ土壌で参加できるからである。
ホリゾンタルフィクションには庶民の集合知的な側面もある。プラットフォームとしての好例はマイクロソフトが2006年に発表したPhotosynthがある。いちまいいちまいの写真が、大きな伽藍を描く。
ホリゾンタルフィクションには庶民の集合知的な側面もある。プラットフォームとしての好例はマイクロソフトが2006年に発表したPhotosynthがある。いちまいいちまいの写真が、大きな伽藍を描く。
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