Beddru of Japan
カージー・グレイヴス(Kersey Graves)著『磔にされた十六人の世界の救い主』
(原題:The World's Sixteen Crucified Saviors)で
イエスと同様な神話を持つ例として紹介された存在。
第一章のリストに名前が挙げられるだけで詳細は述べられない。
だが、日本の神話伝説にBeddruなんてキャラは出てこない。
そもそもddrと重ねて表記するような言葉は外来語にしかありえない。
『救い主』の新版に序文を書いたアーチャーリャ・S(Acharya S)はBeddouの誤植とした。
その記述のある38章の原文では古代中国の神の伝承として紹介され、
出身地はカシミール(Cashmere)とあり
ブッダとは異なる。
Beddouは母親の脇から生まれた点では釈迦と共通しているが、
イエスに対してヘロデがしたように、彼の父親は同じ時に生まれた男児を殺させた、とする。
1828年に刊行されたという資料からの引用として紀元前1027年生まれ
とされている点を紹介している。リストの2番目にBudha Sakia of Indiaと挙げられ、
16章でBudha Sakiaが磔にされた年代は紀元前600年とされており、少なくとも
グレイヴス自身は同一視していないと見られる。Budha Sakiaを磔にするに
あたって神が矢を用いたとあるが、これも仏典の伝える「釈迦」の臨終とは違っている。
釈迦の死にまつわる諸説にも外傷による他殺とするものはない。
日本で信仰される大乗の諸仏にも『救い主』にある
Budha SakiaやBeddouと同じ過去を設定されている尊格はない。
アーチャーリャ・Sはブッダが十二人の弟子(十大弟子+α?)を連れていたとか、
磔にされたとか、復活した、等といった話が仏教徒の記録にある、と主張するが
肝心の出典は出さない。Christian Lindtnerという人からの情報だといい、
サンスクリット写本が証明する、という書き方はするのだが言いたいことを
箇条書きするだけで終わっている。どの経典・文献にあるのかについては
沈黙している。ネット上にはAmida Beddruとして
阿弥陀如来と結びつける解釈が見られるが、生きた人物としての設定が
ほとんどない(漢訳の無量寿経に元国王という記述があるくらい)ため
Christian Lindtnerの「仏教徒の記録」と結びつけることも出来ない。
『磔にされた十六人の世界の救い主』について
19世紀に書かれたキリスト神話説の古典。世界各国の神話伝説にいる、
イエスのような要素を持つ神・人物について紹介するという書物。
キリスト教批判を行うサイトでよく引用されている。
宗教批判の映像作品でも資料として使用されることがある。
しかしながら『磔にされた十六人の世界の救い主』は
歴史学者リチャード・キャリアー(Richard Carrier)から
信頼性に欠ける書物とされている。キャリアーは護教的なキリスト教徒
ではなくキリスト教をはじめとする宗教を批判している無神論者である。
もちろんキリスト教徒の学者からの批判もある。
参考文献
岩波文庫『浄土三部経(上)』149ページ
参考サイト
最終更新:2009年11月14日 21:57