「指環」 | 北欧神話 |
ジークフリート? | シグルズ/ジグルト |
ブリュンヒルデ?/ブリュンヒルト | ブリュンヒルド |
ジークムント? | シグムンド? |
ヴォータン? | オーディン/オージン |
ドンナー? | トール |
フロー? | フレイ |
フリッカ? | フリッグ |
フライア? | フレイヤ |
ローゲ? | ロキ |
グンター? | グンナル? |
グートルーネ? | グズルーン? |
ハーゲン? | ヘグニ? |
1200年ごろ | 現在のオーストリア地方の詩人によって「ニーベルンゲンの歌」が書かれる |
18世紀後半 | 「ニーベルンゲンの歌」が再発見される |
1808年 | ド・ラ・モット・フケーの戯曲「大蛇殺しのジグルド」が発表される |
1810年 | フケーの戯曲「大蛇殺しのジグルト」「ジグルトの復讐」「アスラウガ」をまとめた三部作「北方の英雄」が発表される |
1819年 | フランツ・ルードルフ・ヘルマンの戯曲「ニーベルンゲン」三部作が発表される |
1828年 | エルンスト・ラウパッハの戯曲「ニーベルンゲンの財宝」が初演される |
1840年代 | 美学家テーオドール・フィッシャーが「ニーベルンゲンの歌」のオペラ化を提唱 |
1848年10月 | 散文草稿「ニーベルンゲン神話」を書き上げる 台本「ジークフリートの死」の散文原稿・韻文原稿が完成する |
1849年 | ワーグナー、ドレスデンの反乱に参加し失敗。宮廷楽長の任を解かれ、スイスに亡命する |
1850年 | 「ジークフリートの死」についての音楽「ヴァルキューレの歌」「ノルンの情景」「ブリュンヒルデとジークフリートの別れ」がスケッチされる |
1851年6月 | 「若きジークフリート」散文・韻文草稿が完成する |
1852年3~11月 | 「ラインの黄金」散文草稿が完成する 「ヴァルキューレ」散文草稿が完成する 「ヴァルキューレ」韻文草稿が完成する 「ラインの黄金」韻文草稿が完成する |
1852年10月 | 全四部作の舞台祝祭劇「ニーベルングの指環」と題名が決定する |
1852年12月 | 「若きジークフリート」「ジークフリートの死」に手直しが加えられる |
1853年1月 | 「ラインの黄金」「ヴァルキューレ」の決定稿が成立する |
1853年9月 | イタリア旅行中「ラインの黄金」の冒頭部分の着想を得る(?) |
1853年11月 | 「ラインの黄金」全体草稿に着手 |
1854年1月 | 「ラインの黄金」全体草稿完成 |
1854年5月 | 「ラインの黄金」浄譜草稿が完成 |
1854年6月 | 「ヴァルキューレ」全体草稿に着手 |
1856年3月 | 「ヴァルキューレ」浄譜草稿が完成 |
1856年 | 「若きジークフリート」「ジークフリートの死」に再び手直しが加えられる |
1856年9月 | 「若きジークフリート」の全体草稿に着手 |
1857年8月 | 「若きジークフリート」第二幕第二全体草稿が完成 いったん「ニーベルングの指環」に関連する創作活動が中止される (この間「トリスタンとイゾルデ」(1859年)「ニュルンベルグのマイスタージンガー」(1867年)の台本執筆及び作曲がなされる) |
1861年 | フリードリヒ・ヘッベルの戯曲「不死身のジークフリート」「ジークフリートの死」「クリームヒルトの復讐」からなる三部作「ニーベルンゲン」初演 |
1863年 | 「ニーベルングの指環」の台本が公刊される。この際「若きジークフリート」は「ジークフリート」、「ジークフリートの死」は「神々の黄昏」と改題される |
1864年12月 | 「ジークフリート」再開 |
1866年1月 ~1867年10月 |
再び「ジークフリート」作曲が中断される(この間「ニュルンベルグのマイスタージンガーの作曲及び仕上げが行われる) |
1869年3月 | 「ジークフリート」作曲が本格的に再開される |
1869年10月 | 「神々の黄昏」第一幕第一全体草稿に着手 |
1871年2月 | 「ジークフリート」第三幕浄書が完了、「ジークフリート」が完成する |
1873年5月 | 「神々の黄昏」第一幕総譜浄書に着手 |
1873年11月 | 「神々の黄昏」第三幕総譜浄書が終了する。「ニーベルングの指環」四部作が完成する |
1876年8月 | 完成したバイロイト祝祭劇場で「ニーベルングの指環」四部作が初めて上演される |