カルマ(karma)

カルマン(karman)とも。漢訳語は「業(ごう)」。当てられた漢字を見てもわかるように、「行為」を意味する。一切の生き物の行為は身口意(しんくい)の三つにわけられ、それぞれ身体による行為・言葉による行為・心による行為(=思考)を指す。これを「三業」という。これらの行為は、その行為の主体に対して影響力をもっており、善行に対しては良い結果が、悪行に対しては悪い結果が生まれる。また、行為の持つ影響力は現世のみならず、来世まで及ぶとされる。このような、それが持つ影響力をも含め、行為のことを「カルマ」という。

カルマによる影響力は、いわば自動的に主体に与えられる。つまり、「この行為は悪行だから、この者を懲らしめなければならない」などと判断を下す仲介者は存在しない。すべての報いは「自業自得」なのであって、自らの行為がそのまま自分に作用するのである。

わが国では、「業が深い」などという言い回しに見られるように、前世の行為の結果として現世の出来事(主に苦しさ)があるというような、厭世的な意味合いが強調されている。では未来はどうかといえば、例えば浄土宗の考えでは他力によって極楽浄土への解脱を願う。だが、カルマの思想が目的としたところは「未来は自らの善行によって良いものにできる」という点であり、こうした人生観・来世観とは対極にあるともいえよう。

主な参考文献

須弥山と極楽』定方晟 著 講談社現代新書

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最終更新:2005年03月29日 00:29