柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)
後世では人丸とも。
生没年不詳
白鳳時代の歌人
王朝賛歌、皇族の挽歌などを多く歌い、宮廷歌人として活躍した。
後世の歌人には「歌仙」「歌聖」と称えられ、和歌の神としてあがめられた。
彼の作
高市皇子挽歌は壬申の乱の英雄叙事詩とも言えるもので、非常にカッコいいので、ファンタジー好きには是非読んでもらいたい。
白川静は、万葉集の「詠み人知らず」でこの人のが結構あると言っている。
経歴
万葉集以外に名が見えないので、経歴は定かではない。
どうやら六位以下の下級役人であったようだ。
草壁皇子の舎人として仕えたあと、諸国を転々とし、石見の国で没したらしい。
石見の国で刑死になったという説もあるが、これも諸説あって定かではない。
代表歌紹介
和歌の神としての人麻呂信仰
平安末期には人丸影供と呼ばれる習俗があった。歌会の始まる前に、人麻呂像に香華供物を供え、良歌を願ったのである。
民俗社会での人丸信仰
民間信仰の場では「ひとまる」の音から火伏せの神(火止まる)安産の神(人産れる・懐妊)として信仰されている。
昔、般若坊という坊主の住んでいる寺の近所で火事が起きた。
般若坊が
わが宿の垣の本まで焼け来るを般若棒にて打てば火とまる
と詠じると、火は隣家で止まったという話がある。
これは歌の呪性を伝える歌徳説話である。
参考文献
あとで書きます。
最終更新:2025年04月29日 18:31