日本  妖刀

村正

ポピュラーな妖刀。村正というのは刀工の名前であって、当然、彼ら(村正の名を襲名した人物は一人ではないし、彼らの弟子もその一派に含まれるのでその数は必然的に多くなっている)の作った刃物は全て「村正」と呼ばれる。いわばブランド名。

非常に切れ味がよく、当時(1490年くらい?)から人気のある刀。

妖刀として知られるようになったのは、徳川家に数々の不幸な事件をもたらしたことがキッカケ。

家康の祖父・清康は、何かを勘違いした家臣に村正の刀で刺し殺され、父・広忠も村正の脇差で家臣に殺された(暗殺、錯乱とも)。
家康の愛息子で嫡男だった信康は、織田信長に謀反の疑いをかけられ死罪になったが、この時も村正。
家康自身、村正の槍で傷を負い、大阪の陣で家康を苦しめた真田幸村も村正の刀を持っていたという。

こういった事から、徳川家康は村正を忌み嫌い、諸大名も持つことをはばかった。ただ、徳川家に恨みを持つ大名は密かに隠し持ち、幕末には倒幕を目指す志士たちが好んで使用したといわれる。

川に刺すと、流れてきた葉っぱが刀身に吸い寄せられ、そのまま真っ二つになるという。

ただ、徳川家康に仕えた徳川四天王の一人、本多忠勝の名槍「蜻蛉切(とんぼきり)」も村正系の槍だったりする。

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最終更新:2005年10月02日 21:12