仁海

(1)天歴五年(951)から天歴九年(955)頃、宮道惟平の子として生まれる。六歳頃高野山にて高野山検校雅真のもと得度・受戒を受ける。三十三歳で東寺の入寺に任ぜられ、三十七歳で小野の地に曼荼羅寺(現在の随心院)を開く。
○「雨ふらし仁海」「雨乞い僧正」と、雨乞いの名人として知られ、生涯において九度の成功を収めており、京都の神泉苑で雨乞いをしていると、赤い神が現れたとされている。また「仁海僧正は鳥を食いける人なり、房に住みける僧の雀をえもいはず取りけるなり、件の雀をはらはらとあぶりて、粥漬のあはせに用ゐけるなり。しかりといへども、験ある人にありけり、仁海は大師の御影には違はず」(随心院発行 仁海 より抜粋)と記されており、鳥を食べる事でも知られている。小野流の開祖とされ、九十二年の生涯を遂げたとされる。

参考

随心院発行 仁海

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最終更新:2006年06月01日 01:00