聖徳太子(574~622)

(1)幼名を『厩戸皇子(うまやどのおうじ)』と言い、用明天皇の第二皇子として生まれる。推古天皇即位の時摂政となる。『官位十二階』『十七条憲法』『遣隋使』といった制度を設立させ、国家体制を安定させた。また、優れた仏教の信者でもあり、幼い頃仏舎利が手のひらから現れたとされる記述や、『十七条憲法』の一説「篤く三宝を敬え、三宝とは『仏』・『法』・『僧』である」という記述からも伺える。また、聖徳太子が亡くなる時、聖徳太子と同じ背丈で作られたとされる薬師如来の像も現存している。

参考

学研 仏教人物の事典

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最終更新:2006年04月27日 01:25