概要
原語 Edda
北欧神話の文献。
古代北欧の口伝を書き記した「古エッダ」と、13世紀アイスランドのスノリ・ストルルソンが書き記した「スノリのエッダ」の二つがある。
狭義には前者を指す。
古エッダ
『歌謡エッダ』『セームンドのエッダ』などとも呼ばれる。
アイスランドやスカンジナビア周辺のヴァイキング時代の伝承伝説を文章に記したものである。
古代北欧の信仰の内容を具体的に伝える資料としてはタキトゥスの「ゲルマニア」やカエサルの「ガリア戦記」と同様に最重要のものである。
起源
起源はアイスランドかノルウェーと言われるが、現在残っている写本はアイスランドで発見された。アイスランドには北欧神話の資料が大量に現存している。
ヴァイキングによって発見され、「氷島」と名づけられたアイスランドは、北欧諸国の中で最も早く
キリスト教を受け入れた。
にもかかわらず、異教である北欧神話の資料が残ったのは、他の北欧諸国と違って発見された七世紀から十三世紀までの間、国王による厳格な統治体制が敷かれず、「アルシング」と呼ばれる民会によって政治が行われていたためである。
つまり、改宗の際に国王が異教に関する物を破棄するよう強制しなかったため、キリスト教を信仰しながらも異教の遺物が残るという奇妙な状況が続いたのである。
言語
エッダは古代ノルド語で書かれている。古代ノルド語は北欧地方の言語としては非常に古い言語で、アイスランド語に近い。これはアイスランドが地理的に周囲から隔絶された土地であり、他文化からあまり影響をうけなかった為である。
よって、エッダを原語で読みたければ古代アイスランド語を勉強すると良い。
歴史
古エッダそのものが書かれたのは諸説あるが9世紀から12世紀ごろの間。
アイスランドの司教ブリュニヨールヴ・スヴェインソン(Brynjófur Sveinsson,1639-75)がスカーラホルト(スカウルホルト)で古エッダの写本(Codex Regius,写本番号2365,4°)を発見したのが1643年である。
この写本は10の神話詩と19の英雄譚を含み、推定では1270年以前の写本であるようだ。
またブリュニヨールヴはこの写本を発見したとき、「スノリが記した『エッダ』の原典はこの本だろう」と誤解した。そのため、この写本は「エッダ」と名づけられたのである。
さらに彼はこの写本の作者をアイスランドの学者セームンド(1058-1133)だとも誤解した。セームンドの時代アイスランドでは神話伝承の文字による記録は行われていなかったのでこの予想は間違いなのであるが、彼はデンマークのフレデリク3世(在位1648-70)に「学者セームンドのエッダ」の名でこの写本を献呈した。後にこの本はデンマーク王立図書館に収められたので、「王の写本(王室写本)」と呼ばれた。
もうひとつの写本は「アルナマグネアン写本」(Codex Arnamagnæanus,写本番号748,4°)である。ただし、不完全な断片であり、纏まりのある「王の写本」には劣るものである。
内容
神話詩、格言詩、英雄詩から成っているが、格言詩が神話詩に属すこともあり、分類は明確でない。
「王の写本」は四十五枚の羊皮紙に記されており、含まれている神話詩には以下の十篇である。(右側は原語表記)
古エッダ全体では以下の四篇もまた神話詩である。
歌謡エッダの名の通り、古来口承では節をつけて歌われた。
よって韻律が存在する。韻律は古譚律、歌謡律、談話律の三つがあるが、談話律はほとんど登場しない。ラテン語文化の韻律である尾韻と異なり、古代ゲルマン特有の頭韻である。
またエッダをはじめとした古代北欧詩における詩法としてもっとも有名なのはケニングである。
ケニングは婉曲を目的とした比喩で、二つの言葉で一つの意味を言い換えるのがふつうである。ただし、古エッダでのケニングの使用は後のスカルド詩と比較するとまだひかえめである。
ケニングの例:
- 「白鳥の路」⇒海
- 「枝の破滅」⇒火焔
- 「荒野の住人」⇒狼
- 「蛇の臥床」⇒黄金
- 「剣の戯れ」⇒戦
最終更新:2005年03月24日 10:59